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都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」(1952年9月)

都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」

今般、科学研究費交付金総合研究計画に基いて、新に『原子爆弾災害調査研究班』が設けられることとなり、過日、研究班の編成を終わり愈々その作業を始めることになった。就ては、その発足に当り、新研究班が設けられるに至った動機と経緯とを述べ且つ研究班運営の方針を考察し、以て関係各位の御参考に供したい。

昭和20年8月上旬広島市及び長崎市に落とされた原子爆弾によって発生した災害に就いては、当時設けられた文部省学術研究会議原子爆弾災害調査特別委員会に於て詳しい調査研究が行われ、我邦学界の総力を挙げて、その真相を明らかにすべく努力せられたのであった。特別委員会の仕事は前後3ケ年に亘って継続せられ、その間、アメリカ側から派遣せられた原子爆弾調査団とも協力し、理学、生物学、工学、医学、農学等の領域に亘って、広汎研究が行われ、多くの報告が出来上がった。

そこで、原子爆弾災害調査研究特別委員会は、その後、調査研究報告を発表し且つ刊行しようとしたが、色々な事情で、ことが円滑に進行せず且つ刊行費の調達に就いても困難があり、ために延々となっていたことは遺憾なことであった。ところが、その後新しく発足した日本学術会議はこの刊行事業を学術研究会議から引継ぎ、幸にして、刊行費の調達に就いても見透しがついたので、昭和26年8月先づ『総括篇』として概要を記した部分を刊行し、次で『各論篇』として報告書全部を刊行し得る配となったのであって、各論篇は昭和27年秋頃発刊の予定である。

原子爆弾災害に関する総合的の調査研究は前述のように、約3ケ年に亘る特別委員会の作業によって大略終了し、昭和23年以後は特に興味を持つ研究者が夫々の立場から、原子爆弾災害そのもの、或いはそれと直接間接に関連のある事項に就いて、個別的に調査研究をせられていたばかりであったので、纏った報告として発表せられたものは多くない。

一方アメリカ側は昭和22年6月原子爆弾の災害に就て、主として医学的の立場から長期に亘る調査研究を行うことを計画し、日本側としては予防衛生研究所がその世話をすることとなり、昭和23年2月以来準備を始め、昭和24年2月広島市に原子爆弾影響研究所(Atomic Bomb Casualty Commission, Laboratory-略名ABCC)を新設し、次で長崎市にも研究分室を設けて調査研究を開始した。

爾来、広島及び長崎に於けるABCC研究所の職員は熱心に調査研究せられて、夫々成績を挙げておられるようではあるが、もともと、原子爆弾の被爆者を主な対象としての仕事であるために、色々と困難な事情があり且つ研究所の行き方が純アメリカ式であるために、被検者との間に意志の疎通を欠き或は誤解を生ずる等のことも起ったようであった。しかし、時と共に互の理解も出来又互の気持もわかって来て、作業は大体に於て計画通り円満に進んでいるようである。それだけに、他面、仕事の面で或る程度の偏位を余儀なくされている点があるのではなかろうか。他国に於けるこの種の文化事業が甚だ困難なことであることは云うまでもない。ABCC研究所の前所長 Dr.Tessmer もその点に就ては色々と考慮せられていたが、現所長 Dr.Taylor は特にこの点に就ては多大の関心を持ち、熱心にことに当たっていられるようである。

日本側としては、原子爆弾災害に関する医学的調査研究は前述のように、昭和22年度で一先ずその総合的研究を終了したのであったが、その後、広島及び長崎を初めとし、その他の地区に於ても、原子爆弾の被爆者間に色々の後遺症が残されていることが注意せられるようになり、その内でも、既に注目せられているものとしては、貧血症、白血病、白内障等を挙げることが出来よう。又関係医家の間では、被爆生存者が時々異常な病像を示すことがあることが認められ、或は次のような機転によるのではないかとも考えられ始めている。即ち、強力な放射能による傷害の結果として、生存者にも、色々の内臓の障碍が残されており、平素は特別の故障はないにしても、何等か異常の状況が起って病的現象の発現を見る場合には、それ等内臓の機能障碍が、これに関連して、特殊な病像を示すのではなかろうかとの考え方である。

原子爆弾被爆生存者はその大部分が現在も猶広島及び長崎地区に居住しているが、昭和25年10月の国勢調査の結果から判断しても、意外に多くの人々が、日本内各地に転住して、ちらばっているようである。

従って、それ等の人々に就て適切な健康管理を行うことは我邦医学徒の責務であらねばならない。

昭和23年以来、一時下火になっていた我邦における原子爆弾災害の調査研究熱が、そのような関係から、最近、再び盛んとなり、それ等と関連する熱、光、放射能等による傷害に関する研究と共に、各学会等に発表せられるものが漸くその数を増して来たようである。特に、この方面には密接な関係を持つ病理学会、血液病学会、放射線医学会等に於ては、夫々の立場から放射線傷害対策委員会を設けて総合研究を始めるに至った。

そこで、昭和26年暮頃から、有志の間で、この際再び原子爆弾災害調査研究の統合機関を設けてはとの話合が進められていた。ところが昭和27年1月26日広島ABCC研究所々長 Dr.Taylor 初め主要研究員の方々が東京に来られ、日本学術会議の肝入で、ABCCの事業の紹介並に業績発表の講演会が開かれ、同時にABCC及び予防衛生研究所関係の方々と、日本学術会議関係者との懇談も行われた。その結果、統合研究機関設立の議が急に具体化し、塩田広重博士を代表者として原子爆弾災害調査研究班が組織せられることとなったのである。

今般設立を見た原子爆弾災害調査研究班は上述のような事情で生れ出でたものであるから、その発足に当っては、特に次の諸点に就て、特別の考慮が払われなければならない。

1.本研究班の研究項目は純学問的の点だけでなく、あらゆる面で、国際的の性質を帯びていること。

2.アメリカ側の研究所が広島市及び長崎市で研究所を設け、充実した陣容で、すでに3ケ年余研究に従事しており、その初めから、日本側としては予防衛生研究所がその世話係をしていること。

3.広島市及びその付近では、広島医科大学及び日本赤十字社広島支部病院、広島県立病院、広島逓信病院等が従来からの関係で引続いて研究していること。

4.長崎市及びその付近では長崎大学医学部が従来の関係から引続いて研究をしていること。

5.病理学会、血液病学会及び放射線医学会では何れも放射線傷害対策委員会を設けて、夫々の立場から研究が始められたこと。

従って、原子爆弾災害調査研究班はその運営にあたって、特に次の諸点を強調すべきものと思う。

1.本研究班は今後我邦学会独自の立場で運営せられるべきこと。

2.本研究班は今後我邦に於ける原子爆弾災害調査研究の権威ある機関として存在し、既存研究団体間の統合連絡機関として活動するように運営せらるべきこと。

3.本研究班は予防衛生研究所を通じ、アメリカABCC研究所とは常に密接な連絡をとり、相互に協力し得るように運営せらるべきこと。

本研究班の編成にあたっては、上述の事情が考慮され、研究事項に関しては、権威ある独自の研究が十分に行われ得ると共に、各方面との円滑な連絡、相互の協力が支障なく達成し得られるように注意されて、別紙のような研究員の構成によって編成せられたのである。

本研究班の研究項目は最もその重要性が認められている医学部門に於けるものから着手するよう計画されており、第一年度(昭和27年度)に於ける研究計画項目は次の通りに定められた。

1.原子爆弾災害に関する未完結調査及び研究の継続

2.被爆者後遺症に関する調査研究

3.被爆者屍体の病理学的研究

4.原子爆弾災害に関連する基礎的研究

第二年度(昭和28年度)以降に於ては、次の方針で運営せられることとなる予定である。

1.第1年度の研究を継続し且つ増強する。

2.本研究を更に生物学的分野に拡大する。

3.研究成果の出版計画。

[以下略]

広島市の原爆死没者調査趣意書(1952年)

広島市原爆による死没者調査についての趣意書

広島市役所

今回広島市の原爆による死没者調査を全国にわたって実施致しますので、調査洩れのないよう関連者の方々からの申告を切望致します。

一 調査の目的

広島市の平和公園内に(慰霊堂)が建立されるので、本年の七回忌を期して全死没者氏名等の名簿を作成し、これを合祀することを目的とする。

二 調査の時期

五月中・・・・・・申告者に調査票を配布し、回収する。

七月中・・・・・・関係者の名簿縦覧期間とする。(遠隔地はハガキ等による照会、応答を実施)

三 調査の対象者

広島市に投下された原子爆弾により直接に、又は原爆の影響を直接の原因として死没された方全部を含む。これ等の人々を関連者からの申告に基づいて調査する。

例えば

〇原爆時に即死された方、行方不明となられた方、火災、重傷等で死没された方。

〇原爆時に負傷し、その後それが原因で死没された方。

〇原爆時には傷もなく元気であったが、その後原爆の影響で死没された方。(炸裂時に広島市外にいた方も含む)等何れも該当者とする。

四 調査の方法

〇広島市内及び広島県下については特別に徹底を期して、調査票も市内は全世帯に配布、県下も多量配布し、個人票以外に事業体、学校、団体、病院、寺院等には連記制調査票も配布する。

〇各県の地方課から各区町村役場の関係課係を通じて連絡員(部落の世話人)前国勢調査員、学校の生徒達の御協力により、或いは告知板の利用等により申告者に調査票を入手させ、記入して貰う。

〇記入済の調査票は入手した市区町村役場へ提出して貰い、更にこれを都道府県の地方課に募集の上当市に御送付を願う。

申告者と死没者との関連の限界

家族、親戚、知友、近隣、戦友その他凡ゆる範囲にわたって記載して貰う。

但し自分の家族以外の死没者については、その死没者が遺族等から確実に申告されると推定されるものは省くこと。即ち「この人は自分が申告しなければ洩れる」と判断され る人を申告して貰う。

五 調査の項目

1、死没者の氏名

2、性別

3、死没者の年令

4、死没者の当時の住所

5、死没者の当時の職業

6、死没年月日

7、直接の原因

8、死没の場所

9、被爆時にいた場所

(以上9項目を設けることにより、同姓、同名の死没者等も明確に区分される。)

六 周知宣伝

全国主要新聞、並びにラジオ周知放送により極力周知を図り、出来る限り申告者が市区町村で調査票を入手されるよう努める

広島市学校教育努力目標(1951年4月)

広島市学校教育努力目標

 広島市教育委員会 1951年4月

  平和都市広島市建設の基盤に培うため本年度は特に次の努力目標を設定し、これが実現達成を期したい。

 

一、道徳教育の振興

  道義の昂揚は、国家再建の根基であることにかんがみ、あらゆる機会と活動を通じて、民主的社会人としての道徳的叡知と、道徳的感情を養うとともに、日常生活におけるその実践を徹底せしめ、もってうるわしい郷土を建設し、文化創造に貢献する善良な国民を育成したい。

 一、保健教育の徹底

  体位の向上は、国家発展の基盤であることにかんがみ、学校・家庭および社会にわたり、健康生活の習慣を身につけるとともに、その改善に協力する態度を養い、さらに安全生活の実践に努め、もってあかるい郷土を建設し、民族繁栄に奉仕する心身ともに健全な国民を育成したい。

 一、生産教育の推進

  生産の拡充は、国力伸長の根源であることにかんがみ、勤労と職業に対する正しい信念を確立し、経済生活の理解と能力を養うとともに基礎的生産技術を習得させ、もってゆたかな郷土を建設し、経済自立に協力する有為な国民を育成したい。

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出典:「平和への教育-広島の初等教育」(広島市小学校長会編、1956年5月29日)

 「広島市学校教育努力目標」は、広島平和記念都市建設の基盤は「教育」にあるとの根本理念に立ち、「平和への教育」に究極の目標を求めたものである。しかし「平和」ということは、人類の歴史を通じ幾たびも願われたにもかかわらず、すべてはあえなく崩れ去っている。いま広島市民は、その平和への悲願を同じ意味においてくり返したのではない。原爆という未曾有の苛烈悲惨な試練を体験した最初の人類である広島市民として、かってのいかなる平和論者とも異なるより高い純粋な立場において、新しい世界史の門出に立ち、「平和への教育」を追求せんとしたのである。否それを天与の使命としたのである。

 「平和への教育」を支える柱として、「道徳教育」「保健教育」「生産教育」の三つが立てられ、これを学習指導、生活指導、教育調査、教育評価、現職教育等の全分野にわたって具体的におし進めんとしたのである。

 

ABCC調査調査要領(1950年)

ABCC調査調査要領

1.調査の時期

昭和二十五年国勢調査と同時に実施する。

2.調査対象

原子爆弾投下時、長崎市又は広島市内に現在していた者すべてを調査する。(当時長崎市又は広島市の常住者であった者でも、原爆投下時長崎市又は広島市にいなかった者は除外する。)

3.調査方法

1. 調査票

ABCC調査調査票を用い、「2」に該当する者のみついて記入する、

2. 質問記入方法

各世帯について国勢調査調査票記入後、「原子爆弾投下時長崎市内又は広島市内にいた人がありますか」と質問し、もし該当者があったときは、国勢調査調査票右側の行番号欄の該当者の番号に∨印をつけ、その者についてABCC調査調査票に記入する。但し、該当者のないときはABCC調査調査票第一行に「該当者なし」と記入する。

3. 調査員及び調査区

調査員及び調査区はそれぞれ国勢調査員又は国勢調査区による。

4.調査票の提出

調査票は国勢調査員より国勢調査指導員、市区町村長、都道府県知事を経由して総理府統計局長に送付する。

提出期限は国勢調査調査票の提出期限と同様とする。

 

ABCC調査調査票[の記入項目]

世帯番号

氏名(ふりがな)

出生の年月日

男女の別

広島市か長崎市かの別

常住地

小倉豊文『絶後の記録』(中央社、1948.11.30)

はしがき[抄]

 「われわれが原子エネルギーを解放することができるという事実は、自然力に関する人類の理解に新しい時代を導入するものである」--これはトルーマン米国大統領が、1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されて16時間後、世界に向って宣言した放送の一節である。と同時に、「原子力時代」というながい人類の想像の世界が、今や現実になりつつあるのである。そして8月6日の広島の現実こそ、この宣言にもあるように、「日本国民を完全破壊からまぬがれしめるため」に、7月26日ポツダムの最後通牒を、日本の戦争指導者が「黙殺」した結果だったのである。人類は、特に日本国民は、この事実を忘れてはならない。

 かくて原子爆弾は、現代人類最大の課題となり、その広島への一発は、全人類に、特に日本国民に、痛烈な回顧と反省を要求している。

[中略]

 かれこれの結果から、本書が日本の一民間人の体験と見聞による、広島原子爆弾のルポルタージュとしての役目は、一応果しうると思うし、同時に側面からは、終戦善後の1年間を広島に生きていた一知識人の自画像として、またその亡き妻の素描として、ひいては敗戦日本の懺悔録として、読みとっていただければ幸である。

[後略]

 GHQ/SCAP検閲資料

FIDENTIAL  CIVIL CENSORSHIP DETACHMENT CIS-MIS GHQ-SCAP

INTERCEPT:

From: MASUNAGA Toyo  670, 1*chome, Kamiuma-machi, Setagaya-ku, (Tokyo-to, Japan)

To : c/o TOKYO ASAHI SHINBUN SHA (Tokyo Asahi Press) Editorial Dept.

   Yuraku-cho, Chuo-ku, (Tokyo-to, Japan)

Type: Postcard

Dated: 18 Dec 48

Languige: Japanese

Disposition: Passed

Examiner: P7 J-2304 TCS 27

Prep. Date: 29 Dec 48

DISTRIBUTION: DAI DIV

TEXT

PRESS: REPORT ON ATOM BOMB COMPILED BY HIROSHIMA UNIVERSITY PROFESSOR

Writer states:

 “OGURA Tyofumi (小倉豊文) of Hiroshima University of Literature and Science, an old acquaintance of mine, wrote a report on the atomic bomb entitled the ‘Zetsugo-no-kiroku (Unprecedented Record)’, a copy of which will be sent to you.

 “Please mention it in the Recommendation Columm of the art and science division in your press. The book gives us his precious experience described from the aouthor’s standpoint of “liberalism.”

 

平和への燈(再版に序して)[『絶後の記録』194936日刊版より抄録]

[前略]この多くの無惨の死者が、もし平和への人類の歩みに高く燈をかかげるものとならなかったら、どう為よう。この記録を読んだら、どんな政治家でも、軍人でも、もう実際の戦争をする気はなくなるであらう。今後、せめて所謂冷たい戦争程度だけで戦争は終るやうになってくれなければ、この沢山の日本人は犬死になる。この本をよく読んで世界の人々に考へてもらひたい。

    1949年2月                        高村光太郎

 

『国立国会図書館一般考査部『戦後記録文学文献目録稿 考査事務参考資料 第4号』19491220

「著者の筆は必ずしも巧みではないが、この必ずしも巧みでない筆を通して描き出される悲惨な状景には全く堪えがたいものがある。ノー・モア・ヒロシマの決意を促すに足る作品の一つであろう」

 

広島市の原爆関係資料提供依頼(1948.11.22)

広調甲第87号

 昭和23年11月22日

         殿

 

                   広島市長 浜井信三

     原爆関係資料提供依頼について

 原爆関係の知識についてはその一部が『広島市勢要覧』に記載されてありますが本市を視察するものは内外人を問は原爆の状況及其の影響を深く知りたい意向なので原爆に関する凡ゆる面を包含した冊子を刊行致したいと思います。

 就ては御多忙中御手数乍ら貴事業所から見た原爆の状況並びに復興に関する推移等左記御参照の上刊行物の資料となるものを御提供下さる様お願ひ申し上げます。

 追って資料は12月10日迄に市調査課へ御提出願います。

     記

 一 原爆当時の所在地並びに名称

 二 爆心地よりの距離

 三 原爆当日午前8時現在に於ける

   (1)在籍(在学)人員数

   (2)当時就業者(登校者)の人員並び作業(授業)の状況、勤労奉仕、部外作業、疎開中等の状況を含めて下さい。

 四 原爆瞬時の状況並びに感想

 

 

中国連絡調整事務局執務半月報第2巻第18号 1948.11.3

1.ロバートソン司令官管内視察

(ハ)29日ホプキンス代将以下幕僚を従え広島市の初の公式視察を行い宇品純正食品会社、日赤広島支部、市保健所等を視察した。

1.広島CIE図書館開館式

総司令部民間情報教育部広島図書館の開館式は10月30日午前10時より同市下中町元県女あとに新に建築せられた同図書館内にて総司令部民間情報部長ニューゼント中佐代理ハードレイ氏、クロワード広島軍政部長夫妻、同民間情報課長ベネット大尉夫妻、中国軍政部教育課セリー氏其の他知事、市長外日本人側参列の上挙行せられ来賓祝辞の後新館長リリアン・ハーウェイ女史の挨拶があった。

1.高松宮殿下御来広

高松宮殿下には21日御来広せられ、22日似の島学園御見学、広島文理大御視察、23日スポーツ大会御観覧、芸陽高等学校及広島印刷御視察、石門心学会広島支部結成大会に御出席せられ同日午後の列車にて広島駅発御帰京された。

中国連絡調整事務局執務半月報第2巻第15号(1948.9.20)

3.張群氏来広

訪日中の前中国行政院長張群氏は1日12時5分空路岩国着、中国軍政部長シュナイダー大佐等の出迎を受け、午後1時30分広島に到着、爆心地に近い広島商工会議所国際クラブに於て軍政部の招待午餐会にのぞみ自動車で市内の復興状況を視察した後再び岩国から空路大阪に向った。

尚張群氏は広島県知事及び市長の歓迎挨拶に答え次の通り述べた。

「中日の友好関係は戦争で阻害されたが終戦とともに新しく出発した広島は世界平和の出発点として復興に努力されているがその迅速振りには感服した。今後とも新しい世界平和の出発点として平和的に民主的に御努力願いたい」云々

1.ヘレン・ケラー女史来広

ヘレンケラー女史は13日来広、駅頭にはクロワード広島軍政部長、ジヨンス濠軍YMCA会長及び多数日本側名士が出迎へた。

同女史の来広については当事務所の斡旋により軍政部側と諮り歓迎委員会を組織し歓迎準備を進める傍らひろくヘレン・ケラー・キャンペインを展開したが女史来広当日は広島児童文化会館において県市共同主催にて歓迎県民大会を開催し同女史から広島市民に対し

「世紀の奇跡を生むよう希望する」旨のメッセージを送られ、ついで広島市役所において浜井市長から原爆当時の模様について説明した。

尚女史は翌14日宮島で一日休養の後15日早朝福岡に向い出発した。

中国連絡調整事務局執務月報第2巻第13号(1948.8.20)

1.訪日濠州議員団動静

 ハイレン氏を団長とするムーレイ及クック両上院議員及フランシス、ラッセル、ライアン及びデブイッド下院議員の一行は7月18日空路岩国に到着し上京の後8月5日呉に来訪し同22日再び空路本国に帰国したが一行の当地方における動静は次の通りである。

 8月5日  呉到着、江田島病院(130 Australian General Hospital)視察。ロバートソン司令官招宴。

 8月6日  広島平和祭式典参列。午後呉元海軍工廠及び軍港視察

 8月8日  瀬戸内海巡航

 8月13日 宮島

 8月16日 因之島日立造船所視察、南極捕鯨船(2隻)見学。尾道より汽車にて上京。

1.広島平和祭

 原爆3周年を記念する広島平和祭式典は8月6日午前8時より同市平和広場で日米濠3国名士多数参列の下に左の順序により盛大に挙行された。

 (1)浜井広島市長開会の辞

 (2)広島の歌(大木篤夫作詩朗読)

 (3)平和の鐘(原爆投下時間8時15分を期し)

 (4)平和宣言

 (5)放鳩

 (6)英連邦軍司令官ロバートソン中将からマックアーサー元帥祝辞伝達及同司令官メッセージ

 (7)日本側祝辞(内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、(代読)文部大臣、広島県知事、呉市長等)

 (8)平和記念植樹

 (9)全国都市へ平和記念樹贈呈

 (10)平和の歌合唱

 (11)閉会の辞

  尚同式典にはロバートソン司令官、アーヴィング少将の外訪日中の濠州議員団7名が式壇1列に臨席した外米軍政部職員及家族、原爆研究所職員、英濠軍将校及び同家族並に外国新聞通信員多数が参列し外国人のみにてもその数は100名以上に達した。

  ロバートソン司令官及濠州議員団一行は式後商工会議所屋上から原爆跡を一望しハイレン議員団長は「広島の復興振りは日本が正しい方向へ一歩踏み出した證左である」旨のインターヴュを新聞記者に与へ、次いで平和美術展覧会に至り森元画伯の「廃虚に祈る」を特に所望買上げた。平和祭には前記式典、美術展覧会の外花行進、音楽会、慰霊祭、納涼船、各種競技大会、盆おどり等賑々しく催され No More Hiroshimas の意義深い行事を飾った。

  (尚平和祭については8月16日タイム誌及びニューズ・ウィーク誌記事御参照ありたい)

 

マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(1946年)

[解題]

 マンハッタン・プロジェクトは、1942年8月13日、原子爆弾製造を目的として米合衆国陸軍の管下に作られた組織である。47年1月1日、米国原子力委員会(46年1月24日設置)に吸収移転されることにより、4年有余の特異な歴史を閉じた。

 その歴史は、同プロジェクト自身によって『マンハッタン・プロジェクト-公的歴史とその諸資料』(MANHATTAN PROJECT – Official History and Documents)としてまとめられている。

 ここに紹介する資料は、この中に含まれていたプレス・リリーズ(報道向け発表、計712ページ)の目次である。

 101点のメモと6点の参考資料(番号にAまたはBを付記)からなるこの資料は、時期的には、広島原爆攻撃直後から同プロジェクト廃止までのもので、発表源は、ホワイト・ハウス、国務省などのものが若干あるが、ほとんどは陸軍省である。

 内容は、原爆開発を推進した立場からの公式見解として、あるいは原爆情報統制下の公式発表として、いずれも重要な資料である。

1946年

番号 月日 資料タイトル メモ
047 02.04 New College Organized for High Ranking Officers of Armed Services and State Department 軍および国務省の高官向けに新しく学校を開設(陸海軍省合同発表)
048 02.14 Statement by Secretary of War before the Senate Special Committee on Atomic Energy 上院原子力特別委に際し陸軍長官の声明
049 02.20 Statement by General Groves Regarding Prevalence of Loose Talk about Atomic Bomb Project 原子爆弾プロジェクトをめぐる流言に関してグローブズ将軍の声明
050 03.04 Awards Presented to Scientists for Work on Atomic Bomb 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(陸軍長官が8人へ)
051 03.09 Radio Adress by Secretary of War on Atomic Energy   コロンビア放送における原子力に関する陸軍長官の発言
052 03.13 Awards Presented to Atomic Bomb Scientists 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(グローブズ将軍が2人へ)
053 03.15 Summary of Press Conference Conducted by Secretary of War on Atomic Energy 記者会見における原子力に関する陸軍長官の発言要旨
054 04.09 Medal for Merit Award to Dr. G. B. Kistiakowsky 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(グローブズ将軍がハーバ一ドの学者に)
055 04.09 Reference to Report on the International Control of Atomic Energy and to Possibility of Denaturing Atomic Explosives 国務省が3月28日、原子力国際管理に関する報告を刊行したことを発表(国務省発表)
055A 04.09 Report on the International Control of Atomic Energy )原子力管理に関する報告(通称アチソン・リリエンソール報告)
056 04.30 Soldier’s Medal Awarded to Technician Third Grade J. D. Hoffman マンハッタン管区の3級技師にに功労章が贈られる。
057 05.13 Publicity Proposed to be Given to Atomic Bomb Tests 原子爆弾実験に関する公表(陸海軍合同発表)
058 05.15 Army and Navy Munitions Board Survey of Underground Storage Sites 陸海軍軍需局、地下貯蔵所について研究(陸海軍合同発表)
059 05.21 Last Shipment Enroute for Atom Test at Bikini 最後の船荷がビキニの原子実験地点に向け出発
060 05.28 General LeMay Plans Pittsburgh Address on Atomic Bomb and Future Air Development 7月1日ピッツバーグにおけるC.E.ルメイ少将の演説「原子爆弾と将来の空軍の発展」の予告
061 06.12 Aberdeen Studies Regarding Effect of Shock Waves on Underground Installations 地下施設に及ばす原爆衝撃波の影響に関するアバディーン実験場(メリーランド州)の研究
062 06.14 Peacetime Application of Atomic Research Possible under Army Program 陸軍の計画下で実施されることになった原子研究の平和時適用
063 06.14 Operations Crossroads to Test Ordnance Material 軍需物資に及ばす影響を実験する十字路作戦
064 06.26 Manhattan Project Reports on Atom Bombing of Hiroshima and Nagasaki to be Released 29 June 六月二九日に公表される広島長崎原爆攻撃に関するマンハッタンプロジェクト報告
064A 06.26 Report: The Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki 広島・長崎への原爆攻撃
064B 06.26 Photographs of the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki 広島・長崎への原爆攻撃の写真(図表5枚、写真99葉)
065 06.28 Radioactive Uranium Isotopes Open up Unexplored Processes of Life 放射性ウラニウム同位元素の生命への適用が未知の歩みをはじめる。
066 06.30 Resume of Manhattan Project Reports on Atom Bombing of Hiroshima and Nagasaki 広島・長崎原爆攻撃に関するマンハッタンプロジェクト報告の要約
067 07.22 Remarks by Secretary of War on Radio Program “You and the Atom” ラジオ番組「あなたと原子」における陸軍長官の演説
068 07.22 AAF(Army Air Forces) Seeking Atomic Propulsion for Aircraft 航空機用原子動力に関する陸軍航空隊の研究
069 08.02 Announcement of First Shipment of Radioisotopes from Clinton Laboratories クリントン研究所からの初の放射性同位元素の出荷
070 08.02 Production of Radioactive Isotopes in the Pile パイルにおける放射性同位元素の生産に関する解説
071 08.02 Background Material for Town Oak Ridge オークリッジの町の解説
072 08.02 Background Material for Clinton Laboratories クリントン研究所の解説
073 08.02 Camp Upton to be Site of New Atomic Research Center アプトン整地(ニューヨーク州)が新たに原子研究センターの一つになる。
074 08.15 Atomic Energy Lectures to Open in War Development 陸軍省幹部向けに実施される原子力講義
075 08.19 AAF Begins New Study of Upper Air Regions 陸軍航空隊が始めた上空における宇宙線研究
076 08.27 Remarks by Secretary of War at Opening of Atomic Energy Lecture Series 原子力講演会開会式における陸軍長官の講演
077 09.01 Unfamilier “Mesons” Studies by AAF Technicians 陸軍航空隊技師によるめずらしい「メイソン」研究
078 09.03 New National War College Opens 新たに開設された国立の軍事学校(陸海軍合同発表)
079 09.09 Address by Under Secretary of War at Wrightsville ライツビルにおけるローヤル一陸軍次官の講演
080 09.24 Atomic Lectures Begin at Ft. Belvoir フォートペルボアで始まった陸軍高級将校向け原子力講義
081 10.03 Address by General Ridgway at San Francisco, Cal. サンフランシスコにおけるリッジウエイ中将の演説
082 10.07 Secretary of War Denies Stories that Atomic Bombs were Shipped to Great Britain 米国が英国に原子爆弾を送ったという噂を陸軍長官が否定
083 10.09 Remarks by General Groves before National Safety Congress at Chicago シカゴの国家安全会議におけるグローブズ将軍の演説
084 10.25 Genaral Groves Urges 2 December as Birthday of Atomic Energy 12月2日を原子力の誕生日とするグローブズ将軍の提言(1942年12月2日に最初の連鎖反応に成功)
085 10.28 Statement by General Groves in Regard to the Appointment of the Atomic Energy Commission 原子力委員会任命に関するグローブズ将軍の声明
086 10.28 Statement by Secretary of War Regarding Transfer of Responsibility from U.S. Army to Atomic Energy Commission 原子力開発責任の合衆国陸軍から原子力委員会への移転に関する陸軍長官の声明
087 10.30 Calender of Important Events in Development of Atomic Energy 原子力開発主要年表
088 11.07 Progress Made in Declassification of Atomic Energy Information 原子力情報解禁に進展
089 11.10 Atomic Laboratory to be Built at Schnectady, N.Y シユネクタディに建設する原子研究所
090 11.12 Atomic Energy Commission Visiting Principal Atomic Energy Facilities 主要な原子力施設を視察する原子力委員会
091 11.22 Development of Atomic Power No Simple Problem 難事業の原子力開発(グローブス、原子力平和利用に関する報告書を公表)
092 11.26 Chicago Pile Fouth Anniversary Meeting to be Held at Chicago シカゴで開催されるシカゴ・パイル4周年記念祭
093 11.29 Ceremonies to Mark Atomic Anniversary 原子力記念日の主な行事
094 11.29 Announcement of Award of Construction Contract for Dayton Project デイトンプロジェクトの建設請負契約に関する発表
095 12.01 Backgound Material for Observance of Anniversary of Development of Atomic Energy 原子力開発記念祭の解説
096 12.10 Announcement of Award of Contract for Brookhaven National Laboratory ブルックヘブン国立研究所の建設請負契約に関する発表
097 12.11 Atomic Energy Commision to Absorb Manhattan Engineer District 1 January 原子力委、1月1日よりマンハッタン技術管区を吸収
098 12.31 Statement of Secretary of War on Transfer of Manhattan District マンハッタン技術管区転換に関する陸軍長官声明
099 12.31 Background Information on Development of Atomic Energy Under Manhattan Project マンハッタンプロジェクトのもとで実施された原子力開発に関する解説
100 12.31 Joint Announcement by Atomic Energy Commission and Secretary of War on Transfer of Manhattan District マンハッタンプロジェクト転換に関する原子力委・陸軍長官の共同声明
101 12.31 Statement of Members of Atomic Energy Commission on Transfer of Manhattan District マンハッタンプロジェクト転換に関する原子力委員会委員の声明