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藤居メモ(1956年3月-5月)

【資料】藤居メモ(1956年3月-5月)

[3月19日 原水爆禁止日本協議会全国総会]

長崎、東京、広島

世界大会を開くかどうか

杉本[長崎]市議 世界大会 資金の自信がない

八戸-費用を出す  広島でやれ-費用、距離の点

長崎の代表[小佐々八郎]-長崎が陰にかくれるのは不都合

会場がない 爆心地屋外テントを張ってでも

第1候補 長崎、第2候補 広島  常任委員会

太平洋における水爆実験阻止-連帯性

救援

他の平和諸運動との関連性

国際協定の進め方

原水爆禁止と軍縮の日

国際法の問題 1.中止要求の権利、2.予防措置、3.賠償

3300万の署名、7億の署名

世界的科学者-同盟体を作ってボイコットの要

国際法違反として国際法廷

宗教家の結合体・被災団体->ローマ法皇提案

1.太平洋地域の原水爆実験禁止に関する決議

2.救援運動の促進に関する決議

[4月12日 原水爆禁止日本協議会幹事会]

木野、山本、新屋敷、福島、草野、草野、広田、藤居、安井、御前

第2回世界大会

1.広島・長崎原水協-現地の意向

2.各地域の意向

3.世界平和行動の日

第1.長崎 第2.広島

1.禁止運動-世界大会への準備

2.救援運動

3.4/15-4/21 阻止週間

4.生きていてよかった 5:30 国鉄会館の講堂-約1時間

5.その他

5月6日 [原水爆禁止広島協議会理事会]

1.御前様のお話  会場がないところでこそやるべきだ

2.常任委・準備-水爆実験対策

水爆実験阻止国民大会

中心は水産 かつを、まぐろ

1.国際協定を結べ

2.救援--国家補償

-救うことが救はれることだ

3時間 13,000 1800名

8日 第1回実行委員会

長崎現地 1,000人収容 7-8ケ所

3.被害者の声に相呼応する-批判層の獲得

軍縮と原子兵器 大会の組方

4.国際的・国内的-車の両輪

平和と軍縮と原子兵器 署名

田辺 両方へ出得る人数を1,000人

第1回軌道にのせる-藤居 実行委員会、浜井

長崎 独自の力では準備が出来ぬ

広島 被害者派遣等をしている

世界大会

8・6-8・9大会

8・6集会 世界大会の一環として

救援と禁止運動を明確にする

国際的-禁止協定 禁止と軍縮

国内的-援護法、救援と禁止

分科会に重点を置く

大会までに充分議論を尽す

8・6大会 地域大会を持つ

広島 8・6被害者全国総会-協力 1,000-2,000名

長崎 世界大会の一環として長崎大会

東京 主要世界大会

実行委員会の成立

性格-歴史的つながりで原水協が世話団体として

団体数 2500通  中央団体 300 原水協 300 国会議員 700

個人 400 地方自治体 800

5月8日 [第2回原水爆禁止世界大会実行委員会]

田辺氏に臼田さんより、仕事の件で長崎の帰途一度広島へよる。

5月9日に予定せられるエニウェトク水爆実験は、9日が長崎原爆投下の日にあたる

[中止を]強く要求する。

各国主権に制限を加へても、戦争防止をする。

297坪 1坪6人坐る 1,300人 体育館

2,000人収容の三菱会館は6月より補強改装

長崎国際文化会館 1,000人収容

宿舎は50名は可能

やれる方法を定めて帰って来てくれ

広島 6、7  禁止と救援-被害者援護法と国家補償問題

長崎 9、10、11 禁止と軍縮-水爆実験禁止協定

5月9日 全国社会福祉協議会原爆被害者対策特別小委員会

長友技官、斉藤事務官

青木事務局長 挨拶

民生部長 3回政府衆参両議院

佐伯氏 三輪

長友 公衆衛生局

原爆による人体への影響は大きい

予防・治療・診断の関係 本体発見は未経験 定説までには相当期間

適確な治療法を発見する 本体が逐次判明

治療法の確立に協力する立前

予算化 臨床検査

精密検査費 27年から 28 100

研究治療費 1240

原対協 広島

長崎 医大

広島、長崎、市川

1.いのち、2.生活

骨子を作る-此の次までに

地元議員に出てもらう

大蔵省 8月終りに  6月初め 項目  6月中旬頃課長会議

全社協青木事務局長、佐野民生部長、熊谷厚生部長、厚生省公衆衛生局長長友技官外3名、藤居広島原水協事務局次長、市川千代子(未亡人会)、小佐々長崎市会副議長等-20名が集まり、5月9日午前10時から東京渋谷区原宿社会事業会館で、全国社会福祉協議会原爆被害者対策特別小委員会を開き、特別小委員会を常置すると共に、次のことを協議した。特に長友技官その他の人は涙をうかべながら現地側の説明を聞いていた。

1.原爆症の治療費の全額国庫負担については厚生省は熱意を示しているが、問題は政府、衆参両議院にある。

2.現在、広島及長崎原対協が行っている被爆者の検査結果の速かなる判明をまって原爆被害者援護法の骨子を作り第2回特別小委員会を開く。その時は出来るだけ多くの国会議員の参加をもとめる。政府-議員立法?

3.6月中旬に厚生省の課長会議までに援護法の裏付予算資料として十分な資料を公衆衛生局は待っている。

4.本年度研究治療費が昨年の額になったことは衆参両議員、広島長崎市および市議会が大きな力となったが、原水爆禁止世界大会とその後の運動の成果が決定的基礎を  なしている。

5月22日 [原水爆禁止世界大会常任実行委員会]

295坪 体育館 長崎に会場なし

安井総長 経過報告

畑氏報告 駅より2つ目の茂里町 118K×30K 50坪 3分

1m×50cm 1列8本 2,000人 廃墟 市所有物

周辺-

長崎バス整理工場 戦後の建物らしい

真中に向って右側はあけ開げ 最中に鉄骨の柱7,8本<縦長50cm>ある

真中から左を修理工場 解放の可能性あり

兵器製作所 450坪 400坪 2,000人

便所その他は? 増設の要あり 床はコンクリート

国際文化会館 補助椅子を加へ1,025 屋外ステージ

東高校 7-8分 勝山小学校体育館295坪

黒田氏 三菱兵器製作所-建築専門

長崎バス修理工場 修理に使用している

3日間 装飾等を加へるならば1週間

杉本 東高等学校講堂体育館 医師会3,000人の人-集ったといふ

兵器製作所 会場にするならば整備する テント・屋根・ビニール

写真の通り板囲い通風、便所は設備する

長崎バス-昨年譲渡

小山 16日 地評議長 長崎バス 貸りられれば可能

分科会会場はある 爆心地

田辺 ①三菱兵器製作所、廃墟だから補強しなければ安心してやる 国際儀礼

②茂里町の自動車修理工場は可、1/3程度 修理を続ける所

修理工場の機能をやめなければ会議場にならぬ。大会中そっくり借りなければ ならぬ。相当広い空地があるので、収容数は相当数ある。

①第一会場 市で装飾を考える、②450坪、③400坪×4人

午后 大会の意義

平和アピール7人委員会日高

禁止は具現段階-どう取扱ふか

イーデン首相から返事、全廃することに賛成

協議の上に協定された軍縮するといふことを含む

米国スチーブンソン、キーフオーバー

ソ連は120万軍縮実現

第1日に政治的努力を払ふ為に東京で行ふ、東京案

愛善会 1.東京を主会場にして長崎と広島をどう生かすか 2.

他人数を集めたのは広島といふよりも原水爆禁止がそういふ力を持った。集めた 次にどう組織し、力を持たすか、それをどう政治的に高めるかといふことだ。会 場については東京が決定的ではない。広島-長崎と往復するかといふことではな い。大衆運動は長崎といへばそちらに動いている。労苦を積重ねていたことに対 し、 長崎1年間に何に

運動

○組織がどうであったか-運動がどうか

○救援金-救援運動はどうか

○未組織層が多かったのはどうか

8・6 行動-各地でもつ

8・9 世界大会

13-15  世界大会

決定 長崎主要会場 5月29日長崎へ原水協・総評

事務総長 安井郁

原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会最終報告(抄)(1998年9月)

原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会最終報告(抄)

1998年9月

目次

1.はじめに

2.検討の経緯

3.施設に関する基本釣考え方.と既存施設との関係について

4.施設の名称について

5.祈念館に掲げる銘文について

6.平和祈念・死没者追悼のあり方について

7.被爆関連資料・情報の収集及ぴ利用について

8.国際協力及び交流について

9.「被爆関連資料・情報の収集及び利用」と「国際協力及び交流」の具体的な事業について

10.管理運営方法について

11.おわりに

(参考)原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会委員名簿

1.はじめに

国として、原子爆弾(以下「原爆」という。)による死没者に対する追悼の意を表し、永遠の平和を祈念するとともに、原爆の惨禍に関する世界中の人々の理解を深め、被爆体験を後代に継承する・ことを目的とする「原爆死没者追悼平和祈念館」(以下「祈念館」という。)を、被爆地である広島及び長崎に設置することを前提として、その準備のための検討が今日まで進められてきた。

本報告は、こうした検討経過を踏まえ、今日までに得られた結論に基づき、祈念館のあり方を以下のとおり提言するものである。

2.検討の経緯

昭和60年に厚生省が実施した「原子爆弾被爆者実態調査」の一環として、「死没者調査」の結果が平成2年5月に公表されたことを契機に、国の原爆死没者に対する弔意の表し方についての検討が政府内で開始された。

平成3年度から、原爆被爆に関する調査研究啓発事業、地域等における慰霊事業に対する補助事業及び原爆死没者慰霊のための施設の設置についての検討等が実施されたが、それらの中で本検討会に深く関係するものは以下のとおりである。

(1)原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会における検討

平成3年5月、原爆死没者を慰霊し、永遠の平和を祈念するための施設の基本理念、内容等について幅広く検討を行うため、厚生省に設置されたのが当懇談会である。

10回の審議、広島、長崎及び沖縄の現地視察並びに専門委員会における5回の検討を経て、平成5年6月に報告書が取りまとめられた。

その中では、施設設置の基本理念として、すべての原爆死没者に対する恒久的な慰霊・追悼の場を設け、併せて原爆被害の悲惨な状況を世に伝え、世界の恒久平和を訴えるために、「慰霊の場」、「資料・情報の継承の拠点」及ぴ「国際的な貢献を行う拠点」と呼ぶべき三つの機能を持たせることが適切とされた。

(2)原爆死没者慰霊等施設基本計画検討会における検討

前記報告書を受け、さらに施設建設の基本計画について幅広い観点から検討を行う場として、平成5年7月に当検討会が設置された。8回の審議を経た後、平成7年2月に基本計画報告書が取りまとめられ、その中で、施設の性格、具体的構成、管理運営方法、既存施設との機能・役割分担並びに広島及ぴ長崎両施設それぞれの特性についての提言がなされた。また、施設名を「原爆死没者追悼平和祈念館」とすることが最も相応しいとする考え方が示された。

(3)原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の成立

その間、平成6年12月には、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(以下「被爆者援護法」という。)が成立し、恒久の平和を念願し、原爆による死没者の尊い犠牲を銘記する旨の前文とともに、第41条では「平和を祈念するための事業」が規定された。衆議院厚生委員会は、この法律案の採決に際し、政府に対して、「原爆死没者慰霊等施設のできるだけ早い設置を図るとともに、被爆者及び死没者の遺族の共感が得られる施設となるよう努める」ベき旨の附帯決議を行っている。

(4)本検討会における検討経過

こうした経緯を経て、祈念館のより具体的な開設準備を行うため、平成7年11月に本検討会、すなわち、「原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会」(以下「検討会」という。)が設置された。

検討会では、これまでの経緯及び被爆者援護法の精神を踏まえ、設置の理念、理念の銘文化、広島及ぴ長崎の両施設それぞれが持つべき機能、施設の設計、平和祈念・死没者追悼のあり方、被爆関連資料・情報の収集及ぴ利用方法、国際協力及ぴ交流の内容、施設の管理運営方法、既存の関連諸施設の機能との調整・分担・連携等について幅広く検討を行い、今日に至っている。

その間、平成8年2月には、「原爆死没者追悼平和祈念館(広島)の基本設計に際して留意すべき事項」を取りまとめ、同年12月には、広島に設置すべき祈念館の施設設計に関する基本的な考え方を了承した。さらに、平成9年6月には、「原爆死没者追悼平和祈念館(長崎)の基本設計に際して留意すべき事項」を取りまとめた。

また、検討会では、祈念館を後代にわたって国民の共感と支持が得られる施設とするためには、広く国民の意見を聴くことが重要であるとの観点から、平成9年6月に、広島に設置する祈念館の検討状況及び方向性について中間報告を取りまとめ、公表するとともに、平成9年10月には広島で、平成10年1月には長崎で、それぞれ検討会を開催し、その折りに直接、地元や被爆者団体からの意見を求めた。

3.施設に関する基本釣考え方と既存施設との関係について

(1)施設設置の基本的考え方

祈念館は、国として、原爆死没者の尊い犠性を銘記して追悼の意を表すとともに、永遠の平和を祈念し、併せて、原爆の惨禍に関する全世界の人々の理解を深め、その体験を後代に継承するための施設としてく初めて設置されるものである。

祈念館は、原爆の投下により多数の尊い生命が奪われた広島及ぴ長崎の地に設置するものとし、これまでの懇談会及び検討会からの提言を踏まえ、「平和祈念・死没者追悼」、「被爆関連資料・情報の収集及ぴ利用」並びに「国際協力及ぴ交流」の三つの機能を持つ施設とする。

広島及び長崎の祈念館は、それぞれの地域性を考慮し、機能において特徴ある施設とすることが適当である。すなわち、上記三つの機能のうち、「平和祈念・死没者追悼」については、両祈念館通の主たる機能と位置づけ、広島では「被爆関連資料・情報の収集及び利用」を、また、長崎では「国際協力及び交流」を、それぞれの特徴としながら相互に協力し、連携していくことが必要である。

(2)既存の関連諸施設との関係

祈念館の建設について検討する過程で、既存の関連諸施設との関係、とりわけ、新しい施設を造る意義は何か、権能が重複するのではないか等について、再三議論を行ってきた。

まず、原爆死没者を追悼し、永遠の平和を祈るという最も基本的な目的及びそれに直接関係する「平和祈念・死没者追悼」機能は、祈念館と既存施設との間に共通する普遍的なものであるが、祈念館は、国が、国として、このような意思を表し、施設を造るという点が既存の施設にはない最も大きな特色であり、当然、そこには国が核兵器の廃絶への努力を誓うという意義も含まれている。

「被爆関連資科・情報の収集及び利用」と「国際協力及び交流」の両機能は、原爆の惨禍を広く世に示し、被爆体験を後に伝えるために必要な具体的事業を展開するためのものと位置づけられる。祈念館においては、これらの分野で既に個々に行われてきた諸事業の内容と、その果たしてきた役割をよく認識した上で、これまで十分に行われていなかった事業、これまでに達成された個々の事業のさらなる総合化、国でなけれぱできない事業、そして、これからの時代に求められる事業を、新たに実施していく必要がある。

広島に設置される祈念館の特徴として位置づけられる、「被爆関連資料・情報の収集及び利用」については、既存の資料館が原爆死没者の遺品等、主として被爆した「もの」を通して原爆被爆の実相を伝え、平和を訴えているのに対し、祈念館では、原爆死没者や遺族等の手記、体験記等を収集し、利用に供することにより、主として被爆した人々の「こころとことば」によって原爆被爆の実相を伝え、平和を訴えようとするものである。

また、長崎に設置される祈念館の特徴として位置づけられる、「国際協力及ぴ交流」については、既存の,施設で収集されてきた被爆に関する様々な情報や知見、さらには原爆死没者や遺族等の体験と思いを広く海外にも拡げ、被爆の実相を世界に伝え、諸外国との連携を図ることにより、世界平和の実境に資する機能の一層の充実を図ろうとするものである。このような作業は将来、祈念館が既存各施設共通の窓口となり、例えば、放射線関連医療に関して言えば、国際組織の頭脳的中心となる可能性も秘めている。

祈念館が、これらの機能を発揮することにより、既に行われている他事業との連携・補完が可能となり、全体として、平和祈念と原爆死没者の追悼という普遍的な目的の実現に資することは明白である。

4.施設の名称について

祈念館を設置する広島の「平和記念公園」及び長崎の「平和公園」は、それぞれ「広島平和記念都市建設法」及ぴ「長崎国際文化都市建設法」(何れも憲法第95条に基づく地方特別法により、住民の投票を経て成立)に基づいて整備されたものであり、公園内には多数の祈念碑や慰霊碑のほか、「広島平和記念資料館」、「長崎原爆資料館」等が設置されている。また、広島の当該地区には、世界遺産である原爆ドームが存在している。

祈念館はこのような地を選び、設置される予定であることから、各祈念館の名称については、両公園内における既存施設との差異が明らかになるよう留意する必要がある。

また、祈念館が国によって設置される施設であることを明示することが好ましく、それぞれ「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」、「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」とすることが適当である。

5.祈念館に掲げる銘文Iこついて

祈念館は、「日本国憲法」の世界平和を訴える前文並びに「被爆者援護法」の前文及ぴ同第41条の精神を基本理念として設置するものである。

このような設置理念を銘文化し、それを祈念館に掲げることについては、広島及び長崎の地元被爆者団体等からの強い要望・意見にも応えるべく、種々検討を行ってきた。

その一環として、広島及び長崎で開催した検討会においても、地元や被爆者団体等から直接意見を求め、それらに基づいてさらに慎重な検討を行った結果、設置理念の精神を簡潔に表した文章を「国立」を冠した施設名とともに、銘板として祈念館に掲げることが適当であるとの結論に達した。

両祈念館に掲げる銘文の文言については、その根底にある基本理念が共通なものであれば、文章表現は必ずしも同一でなくてもよいとすることで意見の一致をみた。

以上の経緯を踏まえた、それぞれの銘文案は以下のとおりである。

広島に設置する祈念館の銘文

原子爆弾死没者を心から追悼するとともlこ、その惨禍を語り継ぎ、広く内外へ伝え、歴史に学んで、核兵器のない平和な世界を築くことを誓います。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

長崎に設置する祈念館の銘文

昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、長崎市に投下された原子爆弾は、一瞬Iこして都市を壊滅させ、幾多の尊い生命を奪った。たとえ一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない心と体の傷跡や放射線lこ起因する健康障害を残した。

これらの犠牲と苦痛を重く受け止め、心から追悼の誠を捧げる。

原子爆弾による被害の実相を広く国の内外に伝え、永く後代まで語り継ぐとともに、歴史に学んで、核兵器のない恒久平和の世界を築くことを誓う。

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

6.平和祈念・死没者追悼のあり方について

「平和祈念・死没者追悼」は、最も重要な機能であり、従って、両祈念館とも、例えば、入館者が、一日中ゆっくりと厳かな雰囲気の中で静かに死没者に思いを致し、析り、そして平和について深く思索することができるような空間とすべきとの結論が得られた。

平和祈念・死没者追悼のあり方については、先の中間報告において幾つかの選択肢を示したところである。中間報告発表の前後、特に、原爆死没者の氏名を壁に刻むことを望む意見が多く出されたことから、その可能性の有無についても慎重に検討を重ねた。

その結果、中間報告でも示したような、原爆死没者そのものの定義、氏名の把握、氏名不詳者・氏名秘匿者・秘匿希望者の取扱い等、種々の問題があり、いわゆる刻名として氏名そのものを来館者の目に触れるような形で表現することは、極めて困難であるとの意見が強く、次のような二つの方法を併用することにより、惨禍の大きさを量的に表現するとともに、遺族の申し出に基づき、死没者名を記しておくことが適当であるとの結論に至った。

(1)

原爆被害の甚大さを表すことが、刻名を望む大きな理由の一つとなっていることから、手形や人型等の象徴を用いて、原爆死没者の数を示すこととする。

使用する原爆死没者の数については、これまで各種の調査により様々な推計が行われているが、流動的な人口、被災による資料の消失、被爆当時の混乱・地域社会の壊滅等のため、正確な数は不明である。何れの調査を使用すべきか検討した結果、昭和51年に広島市及び長崎市が国際連合に提出した、「国連への要請書」の中に示されている推計値を用いることとし、昭和20年12月末までの数字であることを明示した上で、広島にあっては、14万人(士1万人)、長崎にあっては、17万人(士l万人)とするのが適当であるとの結論に至った。

なお、原爆死没者の中には、多数の外国人も含まれていることや、昭和21年以降も多くの人々が被爆の後障害に苦しみ、そのために亡くなっていることも重要であることから、それらの説明を加え、被害の甚大さを表すと同時に、原爆被害の特殊性についても、併せて明らかにしておくことが必要である。

また、原爆死没者の中には、氏名不詳者も少なからぬ数を占めていることにも思いを致し、このような死没者にこそ、国として、弔意を捧げるものであることを忘れてはならない。

(2)

遺族等の心情に配慮し、遺族の申し出があれば、原爆死没者の氏名及び写真(遺影)を登録する。その上で、これらを簡単な操作により検索できるようなシステムを祈念館内に設置し、閲覧に供する。

この平和祈念・死没者追悼のための空間の整備に当たっては、被爆後半世紀を超える歳月を経て、あらためて、ここにこのような施設を建設することの意義をかみしめ、将来にわたり、歴史上の理解と評価が得られるよう、その永続性と普遍性を十分考慮しなけれぱならない。

国立の施設である以上、特定の宗教色を排し、厳かな雰囲気の中で、入館者がその思想、信条を超えて、原爆死没者に思いを致しながら、平和について深く思索することができるよう工夫することが必要である。

7.被爆関連資料・情報の収集及び利用について

広島の祈念館に特徴的な役割と位置づけられる、「被爆関連資料・情報の収集及ぴ利用」については、原爆の惨禍を世界の人々に知らせ、また、被爆者・被災者・遺族の体験を後代に継承するため、原爆被爆に関する様々な情報を収集、整理、分析・研究し、求めに応じて、それらを提供することができる機能整備が必要である。

既存の資料館や図書館、研究機関等においても、既にある程度、原爆被爆に関する様々な分野の資料・情報が整理・蓄積され、各施設の設置目的に応じ、一般若しくは関係者に対し提供されている。

従って、祈念館の機能整備に当たっては、可能な限りこれらを包括することも重要であるが、これまでに例のない、被爆者等の体験に焦点を当てた資料群を造り上げて、独自の情報発信機能を整備することが必要である。

8.国際協力及び交流について

原爆被爆という、人類未曾有の悲惨な体験を有する我が国は、再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの深い願いのもとに、世界唯一の原爆被爆国として、核兵器の廃絶を全世界に向けて訴え続けてきた。

こうした中で、長崎の祈念館の特徴的な役割と位置づけられる、「国際協力及び交流」は、核兵器の廃絶を願う被爆国民の「思い」と原爆被害の実態を、世界各国の人々により強く伝えるための手段ととらえることが出来る。

また、こうした経験、知識は、将来起こりうる原爆以外の不慮の放射能障害に対しても、何らかの意義を有するものと考えられる。

この国際協力及び交流の機能の整備に当たっても、既に広島及び長崎、その他で行われている数多くの事業があることを忘れず、独自のものを打ち立てる必要がある。特に、過去の資料を中心とした活動に止まらず、将来を見渡しての有用性が求められる。

9.「被爆関連資料・情報の収集及び利用」と「国際協力及び交流」の具体的な事業について

両祈念館それぞれに特徴的な機能と位置づけられる、「被爆関連資料・情報の収集及び利用」と「国際協力及ぴ交流」は、観念的には互いに全く別の機能であるかのように映るが、具体的・個別的に事業内容を検討してみると、分離することが困難な面が多い。

一例を挙げれば、原爆死没者や遺族等の体験や思いを国の内外に対し、世代を超えて伝えていくにしても、手記、体験記等を収集・整理することとともに、それらを国内外に発信する必要があり、両者を画然と区別して、前者を、広島で、後者を長崎でとすることも不自然である。

こうした場合、個々の事例によっては、「被爆関連資科・情報の収集及ぴ利用」の機能だけでなく、当然、「国際協力及び交流」の側面も念頭において、具体的な事業内容を考える必要がある。

従って、各祈念館の運営に当たっては、両機能を截然と切り離して考えるのではなく、むしろ、「平和祈念・死没者追悼」の普遍的な目的の下に一体的に捉えることが重要であり、その上で、両祈念館が適切な役割分担をするとともに、相互に協力し、補完し合う必要がある。

また、両祈念館では、入館者は基本的に共通のサービスを受けることができるように、また、一方が他方の窓口にもなりうるように工夫するべきである。例えば、主として広島の祈念館で収集・整理されることになる被爆体験記は、長崎の祈念館を介しても閲覧することができるようにするといった措置も必要と思われる。

このような観点から、現在の時点で考えうる祈念館の事業を整理してみると、主として次のような整備が適当と考えられる。

(1)被爆者・家族・友人一人ひとりの被爆体験の収集・整理・継承

これまでに、数多くの被爆者や家族等が、原爆被爆の悲惨な体験や死没者への思い、平和を希求する願いを、体験記、手記、日記、書簡、追悼記等様々な形で綴り、本・冊子の形にまとめられ、公表されたものも少なくない。しかし、これらの資料を総合的に収集・把握・分析し、被爆者一人ひとりの体験や思いを、個々人のレベルで検索し、手にすることができる機能は未だに整備されていない。

このため、公開可能な被爆体験記等をできる限り収集・保管し、これらに込められた様々な情報やメッセージを分析し、データベースとして整理することにより、被爆者の氏名や属性、各地の被爆時の状況等、個別の多種多様な目的や求めに適った体験記の検索・提供を行う。

また、原爆がもたらす”大量の人的・物的損害”、”地域社会と家族の崩壊”、“瞬間的・全面的な破壊と長期的・持続的な被害”、“心理的・精神的打撃”等々の複合的な被害の実相を、被爆者及ぴ近縁者たち自らの言葉(体験と思い)を組み合わせながら明らかにする。

一方、平和のための学習、平和関連の研修会及ぴ講演会等にも、既存事業との協調の下に、その十分な活用を図るべきである。その際、原爆被爆に関する基礎的な事項についての解説は、被爆者一人ひとりの体験とともに、大いに効果的であると考えられる。

(2)被爆関連資料情報ネットワークの構築による総合案内

上記(1)に加え、何処にどのような資料が存在し、どのような形での利用が可能なのかを把握し、このような情報を提供することも重要である。

そのために、各機関が有する資料や情報そのものを祈念館に収集することを目指すのではなく、各機関との連携のもとに、それぞれが保有する資料(データベース、ホームページ、利用案内等を含む)に関する情報の把握に努める。その上で、インターネット等を通じて祈念館に照会があれば、必要な資料情報の存在個所やその入手方法を提供するといった被爆関連資科情報のネットワークを整備する必要がある。

その一環として、原爆放射線による障害につき、これまで各機関に分散、蓄積されている医療データを総合的・一元的に提供しうるよう整備することは、海外の研究者や学生等に対しても極めて有用であり、この点を念頭に置いた事業の取り組みに努めるべきである。

また、単なる情報交換の域を超えて、祈念館が国内外の研究機関や大学間での被爆医療分野における交流の橋渡しを行うことも重要である。この役割を果たすためには、国内外における人材の派遣、受け入れ等の照会にも対応できるよう、関係団体との連携を図りつつ、そのような情報のネットワーク作りを行う必要がある。国際シンポジクムの開催等も、海外への情報発信とともに、海外からの情報の収集に役立つであろう。

(3)

以上の(1)及ぴ(2)の機能が十分に発揮されるためには、図書室、会議室、各種研修室等が必要であるが、その時々の利用目的及ぴ人数等によって、柔軟に対応できるように工夫する必要がある。また、国が原爆被爆関係資料の収集・整理及ぴ保管・提供システムの検討を目的として、平成3年度から実施している原爆死没者慰霊等調査研究啓発事業や、原爆死没者慰霊等事業(地域の被爆者団体が行う慰霊式典、死没者を悼む出版物の刊行事業等に対する助成)の成果を十分に活用していく必要がある。

祈念館の国際的な情報発信機能を向上させるために、適宜外国語での情報提供を行うことは当然である。また、国内外の原爆被爆関係研究者の便宜を計るため、施設内で研究・分析できるようにする必要があるが、特に「国際協力及び交流」を特徴的な役割とする長崎の祈念館においては、外国からの訪問や照会への対応、具体的な事業の実施に支障をきたさぬよう配慮した取り組みを行うべきである。

なお、祈念館が保有する資料・情報の中で、個人情報保護の観点から利用に制限を加える必要があるものについては、「情報保護規定」を設け、適切な保管・活用を図るとともに、他の機関が保有する資料情報の取扱いについても、各保有機関の許可・了承のもとに情報を提供することが必要である。

代表的な資料については、その点字化や音声の利用を考慮する必要がある。

10.管理運営方法について[略]

おわりに

祈念館の設置については、これまでに多くの論議がなされてきたが、原爆死没者の尊い犠性を銘記し、世界の恒久平和を祈念することは、国民共通の思いであり、本祈念館こそ、その国民共通の思いを国として具現するための施設である。

祈念館が、意義ある施設として、将来永きにわたり、被爆者や遺族を始めとする幅広い人々の共感と支持を得るためには、被爆の惨禍を繰り返さないようにするためのメッセージを、国内外に向かい、世代を超えて発信し続けることが必要であり、その建設は、ことの終わりではなく、始まりであると考える。また、このような経験と知識は、将来、社会学、医学等の発展にも広く、何らかの貢献をなしうる可能性がある。

もとより、祈念館の設置は、被爆者に対する施策展開の経緯や国民世論を踏まえて、政府が立案したものであるが、本報告書は、地元の被爆者を始めとする国民の意見を十分踏まえながら、種々鋭意なる検討を行い、取りまとめた結論である。検討会として、本報告書に基づく祈念館の早期建設と、円滑かつ持続的な事業展開を強く希望する次第である。

原爆死没者追悼平和祈念館(広島)の基本設計に際して留意すべき事項について(1996年2月)

原爆死没者追悼平和祈念館(広島)の基本設計に際して留意すべき事項について

1996年2月 原爆死没者追悼平和記念館開設準備検討会

一 設置の理念

○原爆死没者追悼平和祈念館は、「日本国憲法」の前文、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律第117号)」の前文及び第41条の精神を設置の理念として建設するものである。

二 広島・長崎の施設の機能分化について

○原爆死没者追悼平和祈念館は、原爆被爆地である広島、長崎に設置するものであり、「平和祈念・追悼」、「資料情報の収集、利用」、「国際協力及び交流」の三つの機能を持つ施設とする。

このうち「平和祈念・追悼」の機能については、広島・長崎の両方の施設の主たる機能の一つとし、さらに広島の施設については、「資料情報の収集・利用」の機能を充実し、長崎の施設については、「国際協力及び交流」の機能の充実を図ることとする。

三 施設の機能について

(1)類似施設との機能分担について

○広島平和記念公園内に立地する広島平和記念資料館、広島国際会議場、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)等との機能の連携及び分担について考慮し、「平和祈念・追悼」、「資料情報の収集、利用」の機能において特徴ある施設となるよう十分配慮すること。

(2)具体的な施設の構成について

○修学旅行生等の団体による利用者が、効率的に原爆に関する基本的なガイダンス等の「平和学習の場」として利用できるよう、団体対応コーナーについては、広さ、構造等に配慮すること。

○被爆者団体や市民等が原爆に関する各種研移会、平和を祈念する講演会・会議等の多様な目的に利用できるよう、会議室、研修室は、利用形態・人数によって柔軟に対応できるようにすること。

四 施設の構造等について

○施設は「地中化」することとし、広島平和記念公園の全体的な雰囲気との調和に十分配慮すること。

○原爆ドームの世界遺産化を念頭に置き、広島平和記念公園全体としての人の流れに対応した施設の配置等に配慮すること。

五 施設の動線について

○平和祈念・追悼空間については、希望する来館者が入ることのできる独立した空間とし、厳かな雰囲気を保てるよう動線に配慮すること。

六 平和祈念・追悼の表し方について

○平和祈念・追悼空間については、設置の理念に基づき、恒久の平和を祈念し、原爆死没者を追悼する気持ちを表現できるような空間とすること。

また、来館者が原爆死没者を想い、瞑想できる空間となるよう配慮すること。

○平和祈念・追悼空間にモニュメントを設置する場合にも同様の配慮を行うこと。

○平和祈念・追悼空間における原爆死没者の氏名の取り扱いについては、引き続き検討するものとする。

七 その他

○本報告を踏まえた基本設計(案)を作成した段階で、必要があればさらに本検討会において検討するものとする。

○上記の項目以外については、「原爆死没者慰霊等施設基本構想報告書」及ぴ「原爆死没者慰霊等施設(原爆死没者追悼平和祈念館)基本計画報告書」(資料編を含む。)を参考とすること。

○施設の管理運営、資料情報の取り扱い等については、今後とも被爆者団体や地元の意見等に十分配慮するとともに、原爆死没者追悼平和祈念館がその趣旨に沿った施設となるよう幅広い観点から、引き続き検討するものとする。

原爆死没者慰霊等施設(原爆死没者追悼平和祈念館)基本計画報告書(1995年2月)

原爆死没者慰霊等施設(原爆死没者追悼平和祈念館)基本計画報告書

1995年2月

 原爆死没者慰霊等施設基本計画検討会

第1章 施設のもつべき機能

一 施設の性格及び機能の役割分担

本施設の設置そのものが、国として原爆死没者を慰霊し、永遠の平和を祈念する事業であるとともに、国立の施設でないと収集できない資料や国内外に散在する資料借報を総合的に把握・活用し、世界各地域へ発信するなど多岐にわたる事業を展開する施設として位置づけられている。したがって、慰霊,平和祈念施設、図書館的施設、情報提供施設、国際協力・交流施設、調査,研究的施設など多様な性格をもつ施設である。

また、類似施設や隣接施設への機能の役割分担を積極的に行い、重複を避けるとともに、それらの施設をネットワークで結ぶ中核的施設としての役割を果たすべきである。

なお、本施設は、多様な性格を帯びる施設であることから、立地条件や財政面を考慮して、機能の兼用が図れるような、効率の良い空間づくりをする必要があるとともに、設置場所については、施設の性格にふさわしい場所を検討する必要がある。

二 広島・長崎の施設機能分化について

広島市、長崎市に全く同じ機能を有した施設をつくることは、効率的でなく、財政面においても不経済である。

また、原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会で提言している、

①慰霊の場とする

②資料・情報の継承の拠点とする

③国際的な貢献を行う拠点とする

この三つの基本理念の機能について、各々の施設にそれぞれの機能を分担させることは、家族・遺族並びに被爆者の思いや、既存施設との連携等に問題があり、困難である。

したがって、三つの機能のうち慰霊・平和祈念については両施設とも主たる機能の一つとし、残る二つの機能については、それぞれ、そのどちらかを主たる機能の一つとしつつ、両施設間においては、互いの主たる機能を補完しあうものとするのが望ましい。

例えば、広島の施設においては、利用のためのホストコンピューターの設置など資料情報の収集の機能を充実し、長崎の施設においては、国際協力及び交流の機能を充実することなどが考えられる。

その上で、それぞれの施設がそれぞれの地域性を考慮した運営を行っていくことが望ましい。

三 施設機能の考え方

類似施設や機能分化を考慮した施設機能を考えるに当たって、ロケーションを踏まえ次のことに留意する必要がある。

ア 類似施設の機能と重複を避ける。

イ 本施設においては多数かつ幅広い来場者があることを見込む。

(1)本施設の独自性・特徴を打ち出す機能の考え方

既存の類似施設が集中するなかで、本施設の特徴を打ち出すためには、本施設自体が多様な性格を合わせ持つということのみならず、展示や情報提供においても、特徴ある機能を持つことが必要である。

ア データベースシステムによる資料情報の集積、提供

イ 被爆者のライフヒストリーによる被爆体験の記録・保存

(2)利用者の目的に応じた空間区分の明確化

被爆者やその家族・遺族等の直接の関係者、原爆関係の研究を行う研究者、教育の一環として来場する修学旅行生、一般利用者など多様な来場者が予想される。

しかしながら、その来場者も利用者層によって、利用時間や利用目的も違うため、異なる利用者層が同一空間で検索などを行うと、混雑や混乱が予想されるので、あらかじめ空間区分が必要である。特に個人的な傾向が強いデータベース検索は、個人の利用者への配慮が大切である。

また、施設のスムーズな運営という視点から見て、調査・研究のための利用者と一般の利用者の動線とが混在しないことが必要となる。

(3)空間を有効に利用するための兼用化

本施設では、空間を有効に利用するために、展示や情報提供以外の集会スペースにおいて多目的な機能を持たせる必要がある。例えば、会議室や研修室などは兼用する。

第二章 施設の構成

一 施設構成の考え方

(1)施設のシンボル性

本施設は、原爆死没者への弔意を表す事業として建設されるという性格に鑑み、原爆死没者に対する弔意としてのシンボル性を有するものとする。また本施設は、平和祈念事業としても位置付けられていることから、平和を希求する心がより積極的に内外に伝わるものでなければならない。

(2)周辺環境との調和

周辺環境と建物との調和に留意し、景観にとけ込み、違和感を与えないように配慮することが必要である。

(3)あらゆる人々が利用できる建物

原爆死没者慰霊等施設は、原爆被爆者やその家族・遺族、研究者等の限られた者の利用ばかりでなく、多くの人々が自由に施設を訪れ、事業に参加できるとともに、身体障害者・高齢者などにも利用しやすい構造設備とすることが必要である。

(4)時代にあった現代的な構造設備

高度情報化社会に対応できる構造設備としていくため、情報提供等の事業に必要な情報拠点機能の充実はもとより、施設の管理面においてもできるだけインテリジェント化を図るとともに、省エネルギー化にも留意する必要がある。

二 施設空間の考え方

施設の空間構成は次のようなものになると考えられる。(図表1)

(1)導入空間

建築的な空間として必要とされる。ここを通り、本施設のさまざまな空間へと向かう。ここは、ロビー的な機能も合わせ持つ空間とする。

(2)慰霊・平和祈念空間

慰霊の場として、来場者が襟を正すような雰囲気を持ち、原爆死没者への慰霊と平和を祈念する空間とする。

(3)資料・情報空間

原爆に関する様々な資料を収集保存、利用する空間とする。

(4)国際協力・交流空間

国内外からの各種問い合わせ等に対応するとともに、会議及び研修等を通じて、交流することができる空間とする。

三 施設構成

(1)導入空間

○本施設全体におけるエントランス的役割を持ち、来場者がまず最初に訪れる空間であるので、ロビーとしての機能とともに、施設のイメージが感じられるような工夫が必要である。

また、施設全体のインフォメーションやサービス機能の確保と速やかに移動できる動線計画が必要となる。

○本施設は、多くの人々が気軽に施設を訪れ、参加できるとともに、身体障害者・高齢者などにも利用しやすく、入りやすい落ち着いた雰囲気を持つ空間とする。

○具体的施設構成

導入空間については、次のような構成が考えられる。

ア 受付・案内

訪れた人々のために受付を設置し、高齢者や身体障害者、外国人への対応を考慮した適切な案内を行う。その他、施設を訪れた来場者を速やかに目的の場に導くきめ細かなインフォメーションを行う。

イ その他(サービス機能)

・有料とする場合、チケットの発券に伴うチケットブースの設置や、団体利用者への対応の窓口を設ける。

・公衆電話、コインロッカー、ベンチ、グリーン(植栽)などを設置する。

・高齢者や身体障害者への配慮も行う。

(2)慰霊・平和祈念空間

○原爆死没者への慰霊と平和を祈念するために、来場者が襟を正すような厳かな雰囲気の空間とする。なお、休館日であっても訪れた人々のために、慰霊・追悼できるような配慮をすることが望ましい。

○慰霊と平和を祈念する場として、圧迫感のないように空間の広がりなどを大切にしつつ厳かな雰囲気を持つ空間とする。

また、内装の質感や色彩計画、照明計画は、場にふさわしい落ち着いたものとする。さらに、心が安まるように、水や外光、音響などを効果的に取り入れることも考えられる。

○具体的施設構成

慰霊空間については、

A案:建物の外観、構造等で慰霊・平和祈念の気持ちを表す。

B案:モニュメント等で慰霊・平和祈念の気持ちを表す。

・モニュメントの設置

・原爆死没者の象徴的な遺品

・生花を絶やさない祭壇等

C案:原爆死没者一人一人への慰霊の意味を考慮し、個人資料を展示する。

・原爆死没者の氏名やライフヒストリー的な内容のもの

・グラフィックモニュメントの設置等

等が考えられるが、それらを組み合わせたもので、慰霊・平和祈念の気持を表すことが望ましい。

(3)資料・情報空間

○本施設が調査収集した資料や各種データを保管、提供するとともに、被爆の実態を後世に伝える機能を持たせる。

ア 原爆についての知識の少ない人々のために、広島・長崎の被爆についての概略情報をガイダンス的に提供する機能(類似施設で提供される資料は除く。)と、必要に応じて、原爆に係わる各種資料を探すための詳細情報を検索できる機能が必要である。

なお、利用者のニーズに応じて的確に検索の案内を行うレファレンスサービスが必要である。

イ 国内類似施設や海外とのネットワークにより、特報の交換を行うことが望ましい。

ウ ライフヒストリーの対象者となる人々のプライバシー保護のために、公開データと非公開データを区分できるシステムが必要である。

工 収集された資料を活用・研究して、新たな情報の創造を行う機能が必要である。例えば、利用者の要請に見合った資料の提供など。

○短時間で回転する修学旅行生などの団体利用と、比較的長時間にわたる調査研究用の検索のスペースは、動線上交錯しないことが望ましい。

○具体的施設構成

資料・情報空間については、次のような構成が考えられる。

ア 団体対応コーナー

修学旅行生等の団体利用者に対して、原爆に関すること及び原爆死没者への慰霊の意義等について基本的なガイダンスを行う。

イ 情報検索室

被爆者やその家族・遺族のほか、研究者、学生、その他幅広い層の利用者に対して、原爆に関する様々な情報(被爆者のライフヒストリーを含む)を提供する。

ウ ビデオライブラリー室

記録映画、被爆の映画、テレビ番組の録画、類似施設が保有している映像等、既春の映像素材を収集し、ライブラリー化し、一般に公開する。

エ データベース室

原爆に関する資料情報検索システムを構築し、本施設が収集、保存、展示する資料はもとより、類似施設、図書館、研究機関、固体等に保管されている原爆に関する膨大な資料情報をコンピューターの活用により、求められた情報を提供する。

オ 情報収集処理室

開館に伴って作られるデータベースに、その後も継続的に遺族などから収集された資料等のデータを入力する。

収集された資料を活用して、医学的な研究のみならず、人文科学、社会科学等を含めた学際的なアプローチにより、原爆被害の実情を明らかにし、新たな情報のプロデュースを行う。

カ 図書閲覧室

原子爆弾に関する図書、被爆状況に関する図書及び被爆者の日記や手記等を収蔵し、来館者の利用に供する。

キ その他

収蔵に当たっては開架式書庫を原則とするが、プライバシーの保護について十分留意する必要がある。また、利用頻度のそれほど高くない書籍等を収蔵するためにも蘭架式書庫及び保管庫が必要である。

(4)国際協力・交流空間

○世界唯一の原爆被爆国である日本の貴重な資料を基に、国際協力と交流の場として、この空間が位置づけられる。

具体的には、会議や研修ができるとともに、研究者や専門家等の研究の場としての活用、国内外の関係機関との資料交換や情報の受発信を行う。

ア 派遣や受入れについて、施設や制度を紹介・調整する機能が必要である。

イ 関係団体との連携を図りながら活動を行うことが必要である

○国内外の類似施設、国際機関、図書館、大学、各種団体などとの資料の交換、人的交流などのネットワーク作りを行うことができる空間が必要である。

また、一つの用途だけに限定しない多目的性を持った空間が望ましい。

○具体的施設構成

国際協力・交流空間については、次のような構成が考えられる

ア 会議、研修室

原爆に関連する各種研修会、平和を祈念する講演、会議、研修等に多目的に利用できる場を提供する。

イ 研究室

国内外から訪れる研究者などは、滞在しながら研究することも考えられるので、研究活動用の研究室を設置することが望ましい。

ウ その他(事務局)

国内外からの人材の派遣、受け入れ等の問い合わせに対して、さまざまなコーディネートを行うとともに、関係団体との連携を図りながら、資料の交換、人的交流などのネットワーク作りを行う。

本施設の情報誌を定期的に編集発行し、広く国内外へ情報を発信するとともに、情報の受信も行う。

四 動線の考え方

さまざまな利用者が訪れる本施設の運営を円滑に行うために、利用者の特性に応じた動線を設定することが大切であると思われる。また、利用者と管理用の動線についても交錯しないような配慮が必要である。

(1)管理動線と利用者動線を設定する

一般的な管理動線の考え方としては、施設の管理にかかわる人や物の流れと、施設利用者の出入口とは別に設置し、管理動線と利用者動線が分離されることが望ましいとされている。これは利用者への配慮と、施設機能の維持、スムーズな運営のためであり、本施設においても、この考え方を踏まえることが大切である。

現在、建築予定地や建築概要が決まっていないことから、動線計画だけ概念的に提示するにとどめておくこととする。(図表2)

(2)利用者動線での団体と個人を分離する

本施設を訪れる利用者は、さまざまな行動をとることが予想されるが、スムーズな移動ができるような動線計画が重要になる。具体的には、二つの大きな動線を設定することが適切であると考えられる。

その一つは、修学旅行生等を対象とした団体動線であり、もう一つは、ゆっくり時間をかけて施設を利用する人々のための一般動線である。

団体動線については、短時間で大量の人声を効率よく移動させることが重要であり、一般動線については、被爆者や原爆死没者の関係者、研修に訪れた者等が落ち着いて慰霊できることが重要である。

なお、二つの動線については、交錯しないで目的の場にたどり着けることが望ましい。

五 施設の構成

具体的な施設構成に当たっては、来場者の予測が必要となるため、広島・長崎の類似施設の来場者(年間約110、140万人)の半分程度(年間約60万人)が訪れるとしてシミュレーションした。

その結果、年間利用者は60万人であり、1日当たりの利用者は2,000人、1時間当たり250人が訪れる計算になる。これを基礎データとして、施設の構成、フロアー占有面積については、次のような案[表・略]が一例として考えられるが、具体的には立地条件等により判断されるものである。また、両施設の機能分担についても考慮する必要がある。

第三章 管理運営

一 管理運営と組織

(1)管理運営主体の形態

本施設の運営の主体は、持続的に活性化できる組織を構成するという視点から考えるべきであり、そのためには、人・事業・財政面において柔軟で開かれている民間の活力を有効に使っていくことが必要である。

従って、施設の設置主体は国であるが、運営については、広島、長崎のそれぞれにおいて、原爆関係の事業を行っている公益法人に委託することが望ましい。

なお、その運営の適正化を図るため、学識経験者等からなる何らかの諮問機関を国及び受託公益法人にそれぞれ置くことが必要である。

受託公益法人においては、この事業に係る収入及び支出を明確にするため、特別会計を設けることが、適正な運営を図るために必要である。

(2)組織構成

組織構成は、施設の事業内容及び事業分掌等から決定することとし、人員規模は、施設の管理、事業について最小限の常勤職員を配置し、施設の案内受付、データ入力等については非常勤職員を配置することが望ましい。

また、警備、清掃、保守点検等については、外部委託とする。

以上の点を踏まえると、例えば、図表3のような組織が考えられる。

(3)施設の名称

施設の名称については、平成6年12月に成立した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」第41条に規定している「平和を祈念するための事業」に基づいて設置される施設であることを明らかにするために、「原爆死没者追悼平和祈念館」とすることが最もふさわしいと考えられる。

なお、施設の国際性から英語による表現も考慮に入れるべきである。

また、広く国民になじみやすい施設とするために、通称を決めることも一つの考え方である。

 

原爆死没者慰霊等施設基本構想報告書(1993年6月)

原爆死没者慰霊等施設基本構想報告書

 1993年6月

 原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会

Ⅰ 施設の設置の基本理念

 人類史上初めて広島および長崎に投下された原子爆弾は、未曾有の悲惨な結果をもたらした。他に例を見ない爆風、熱線および放射線によって極めて多数の人命が奪われたのみならず、生存被爆者にはその後長期間にわたって健康上の障害が残され、さらには家族や職場の崩壊、ひいては地域社会の解体も招いた。

 このように、市民や社会に多大な、しかも永続的な障害をもたらした原爆は、戦争のもつ非人道性の象徴的存在ともなって、我が国はもとより、国際社会に大きな波紋を広げた。それらの中にあって、原爆によってその生命を失った人々に対する哀悼の気持ちは全ての国民が等しく抱いているところであり、原爆死没者全体に対する永続的な慰霊・追悼の場を設けることの必要性を説く所以である。

 原爆投下からすでに半世紀近くの年月が経過しようとしている。この間、原爆被害の記憶を有する人々はしだいに少なくなり、貴重な記録や資料が散逸しつつある現状にあり、一部には原爆体験の風化を懸念する声もある。

 このような現状にかんがみ、被爆者個人々々の記録や原爆被害にかかわる資料・情報を幅広く収集整理して後代に継承していくことは、現在生きている我々の歴史に対する責任である。被爆者の一生は有限であるが、その体験や思いは人類の平和のために無限に語り継がなければならない。

 一方、今日の国際社会においては、東西の冷戦構造に終止符が打たれ、核兵器の廃絶を目指して精力的な努力が続けられているが、原爆の悲惨な状況を全世界の人々に伝えていくことは、世界で唯一の原爆被爆国である我が国の果たすべき役割であり、再び広島・長崎の惨禍を地球上に繰り返さないことを求めるとともに、世界の恒久平和の確立を訴えていかなければならない。

 また、悲惨な過去を振り返るだけでなく、将来に向けての教訓として、我が国が長年培ってきた原爆被害に関する医学を中心とした蓄積を基に、国際社会に貢献していくことも必要であるとともに、内外の関係固体や関係施設の協力を得てネットワークを形成し、互いに交流しあうことが必要である。

 このような基本的な理念を具体化するために、本施設には次の三つの機能をもたせることが適切である。

1慰霊の場とする

 原爆死没者に対する慰霊を行うとともに、再び広島。長崎の惨禍を招かぬための平和を希求する場とする。

2資料・情報の継承の拠点とする

 国の内外に散在する資料・情報を総合的に把握し、原爆被害の実態や遺族の気持ちを世界に広げ、また、後世に継承するための拠点とする。

3国際的な貢献を行う拠点とする

 唯一の原爆被爆国としてこれまでに蓄積してきた原爆被害に関する知見を中心に、国際的な貢献を行うための拠点とする。

Ⅱ 機能の具体的内容

1 慰霊,平和祈念

 本施設の設置そのものが慰霊・平和祈念事業として位置付けられるものであり、したがって、本施設の事業には、慰霊・平和祈念の理念が貫徹されなければならない。

 また、被災者の高齢化と減少により被爆体験の風化が進みつつある中で、被爆者や遺族の気持ちに思いをいたし、さらにそれを後世代に正しく伝え、継承していくことにより、将来を担う若い世代をはじめ全ての人々が国際平和を誓う場とする。

(1)慰霊,平和祈念のための展示

 手紙、日記、手記等の被爆者の遺品や文書等原爆に関する諸資料を展示し、被爆の実態、被爆者の心情や遺族の気持ちを率直に見学者に伝える。

 しかしながら、既存の施設との機能重複を避けるため、展示については、一部の象徴的なものに限って実物を展示する。

 その他については、見学者に分かりやすく、深い印象を与えるような映像展示を中心に行う。

(2)慰霊・平和祈念の交流

 原爆犠牲者の慰霊や平和祈念に関する行事を行うため、被爆者や遺族はもとより、内外の人々が広く交流し合えるような機能を含める。

 そのため、それらの人々が広く原煤に関する諸問題について学ひあい、ネットワークづくりを行いうるよう、現在行われている活動との連携を図りつつ、出会いや交流、さらに学習、情報交換の場を設ける。

(3)原爆死没者情報の検索機能

 原爆死没者一人一人のライフヒストリーを明らかにし保存するため、死没者情報検索システムを構築する。これは被爆者一人一人の思いを尊重することにもつながる。

 死没者に関する情報の具体的な収録範囲については、専門家の検討に委ねることが望ましい。

 また、多数の市民の協力・参加(例えば、公開されている出版物等により知り得た死没者に関する情報をハガキ等に記入し、本施設に送付してもらう。)を得て、データベースの形成に資することとする。それは、一般国民の慰霊施設への参加意識を醸成するとともに、原爆問題の関心を高めることにもつながるであろう。

 しかし、個人々々のデータについては、プライバシーの問題に深くかかわることであり、本人や遺族の考え方もさまざまであると思われるので、慎重な取り扱いが必要である。

 なお、死没者情報検索システムの形成にあたっては、広島市・長崎市の原爆被爆者動態調査のデータの提供を受ける等、両市の協力が必要である。

2 資料情報の収集、利用

 広島平和記念資料館や長崎国際文化会館等の既存の類似施設、図書館、研究機関、団体等は、その施設自体が所有し、保管している資料等の情報は提供できるが、他の施設が所有、保管している資料等については、十分な情報をもっていない現状にある。

 本施設では、多くの他施設を含むネットワーク作りを推進してこれらのすべてが所有する資料等を把握するよう努めるほか、これまで把握できなかった国内外の各地に所在する資料等の情報も包括的に把握することにより、求めに対して必要な情報を提供できるようにするとともに、収集した情報から創造Lた情報をも提供できる機能を持つことを目指すものとする。

(1)情報の総合化

  ア 原爆に関する資料情報検索システム

 原爆に関する資料情報検索システムとは、本施設が収集、保存、展示する資料はもとより、類似施設、図書館、研究機関、団体等に保管されている原爆に関する資料等の目録、概要、所在地等に関するデータベースを構築し、オンラインの活用により、利用者が求める資料等の所在や概要等に関する情報を短時間のうちに検索できるシステムである。(別紙1)

 取扱対象とする資料情報は、原爆による被害の悲惨さと人々の労苦を客観的具体的に伝える資料情報、並びに被爆前から現在に至るまでの被爆者等の生活について広い視野から知ることのできる資料情報とする。(別紙2)

 資料情報検索システムのデータベースとしては、例えば、以下のものが考えられるが、資料等の分類、登録方法等については、専門家の検討に委ねることが望ましい。

 なお、物品類のデータベースには、必要に応じて画像データベースを導入する。

(ア)案内データベース

案内データベースは、保有機関等の協力を得て、次のような項目を登録することが考えられる。

a文書類

 文書形態によって項目は異なるが、例えば、表題、原爆との関係、著者、要約、作成年・月、形態(種類)、保管場所、保管責任者又は保有機関、利用条件、オリジナル・データベースの有無等

b物品類

種類、原爆との関係、大きさ、形体、色、保管場所、保管責任者又は保有機関、利用条件等

(イ)オリジナル・データベース

 本施設が独自に収集した資料、各保有機関等から寄せられた資料などを活用して、創造した新しい情報をデータベース化したもので、例の案内データベースに入るもののほか、必要に応じ、より詳細なデータベースを構築する。

 なお、前述の原爆死没者情報もこの一つとして構成されると考えられる。

(ウ)各保有機関のオリジナル・データベースのコピー

 各保有機関等が保有資料等のデータベースを所有している場合、協力を得て、それらのコピーの提供を受け、(イ)のオリジナル・データベースの補完的機能を果たすことが望まれる。

(エ)事項解説システム

 学生等一般人を対象とした基礎的・解説的な情報提供サービスを行うもので、検索を通じて原爆に関する事項の解説、資料の概要説明とその所在情報等を、文字、音声、動画などを使って提供する。

  イ 原爆に関する資料等のレファレンスサービス

 検索システムについては、例えば、検索する人の知識の水準又は関心の程度に応じて一般向け、専門家向け等といった難易度に応じて検策ができるような工夫が必要であるとともに、利用者の二ーズを顕在化させ、その二-ズに応じて的確に検索の案内をしてくれるレファレンスサービスが必要である。

(2)補完的機能

 国立の施設でないと収集できない資料、広島,長崎以外の地域に散在している資料等、既存の関係機関によって、これまでに必ずしも十分手がつけられていなかった資料情報を収集する。

 収集の方法としては、政府広報による呼びかけ、既存施設・固体等に対するアンケート調査、海外調査等が考えられる。

 散逸している貴重な資料については、所有者が保管に苦労しているものであって、本施設で保管が可能なものについては、所有者の了解を得たうえで本施設が保管する。また、資料によっては、てーブやディスクの形で記録し利用することも考えるべきである。

(3)情報の創造

 収集された資料を活用して、医学的な研究のみならず、人文科学、社会科学等を含めた学際的なアプローチにより、原爆被害の実情を明らかにし、新たな情報の創造を図る。

 情報の創造としては、例えば、以下のようなものが考えられる。

ア 編集情報サービスとして、利用者の希望する資料等が本施設のテークにない場合、登録されているデータを結合、編集し、要請に見合った資料を提供する。

イ 被爆者の被爆記録、被爆体験記、テーブに残された声や映像、原爆被爆者実態調査結果等を集約して、被爆者の健康、心理、生活等をまとめる。

ウ イの研究成果を、展示・学習プログラムヘの反映、情報データベースヘの集積、会議・シンポジウムの開催等の中に生かしていく。

(4)情報の伝達

 伝達する方法としては、例えば、次のようなものが考えられる。

ア 検索浩果を印字して、利用者に提供できるようにする。

イ 利用者がわざわざ本施設に行かなくても、必要な情報を入手できるようにするため、通信回線によるオンライン等を利用して、資料情報検索システムを囲内外のどこからでも利用できるようにする。

ウ 図書・資料の閲覧、貸出しサービスを行う。

エ (3)研究成果を定期的にまとめ、研究紀要を作成する。

オ 原爆関係資料の名称、所在施設等をリストアップした情報誌を作成する。

(5)情報の共用

 本施設のもつ情報を広く利用してもらうため、また、原爆に関する様々な情報を幅広く相互に交換していくため、例えば、国内外を問わず他の類似施設や関係機関等と通信回線等を利用した情報ネットワークを構築する。

 また、国内外の他の類似施設との間はもちろん、国際機関、図書館等の各種施設、研究機関、大学、各種団体などとの資料の交換、人的交流などの組織作りを行い、共同研究や施設の共同利用の斡旋を行う。

(6)留意事項

ア 情報サービスの利用者としては、被爆者やその家族・遺族のほか、研究者、学生、その他幅広い層が考えられることから、資料情報検索システムの構築に当たっては、利用者のレベルや必要度に応じて利用できるような工夫が必要である。

イ サーピス提供については、その実費について適切な負担を利用者に求める。

ウ ブライバシーの問題については、オリジナル・データベース情報に個人情報等保護すべき情報が含まれている場合には、その部分については提供に制限を加えることとし、必要な「情報保護規定」を設ける。

 原資料等の保有機関等の許可がない場合には、利用希望者に対してこれらの原資料等の保有機関等を紹介するにとどめるなど、適切に取り扱う配慮が必要である。

工 情報サービスは、日本語だけでなく、適宜外国語でも行う。

3 国際協力及び交流

 被爆という人類未曾有の悲惨な事態を体験した我が国の貴重な資料は、被爆者の医療に生かされていることは言うに及ばず、放射線の人体影響の評価を行う上での重要な基礎の一つとして活用されている。そうしたなかで、本施設の行う国際協力及び交流により、在外被爆者及び核実験や原子力発電所事故等の新たな放射線被爆による被災者の医療救済に役立てるとともに、本施設の事業を通じて、原爆被害の悲惨さや我が国の平和の希求に向けての決意を世界中に伝えるものとする。

(1)コーディネーター機能

ア 専門家等の諸外国への派遣や研修生等の受け入れについては、従来から行われている医学・医療の分野にとどまらず、原爆関係を幅広く対応すべきである。しかし本施設は、それ自身で派遣や受入れを扱うのではなく、コーディネーターとして施設や制度を紹介・調整する機能を果たすとともに、国内外の他の類似施設との間はもちろん、図書館等の各種施設、研究機関、大学、各種団体等との資料の交換、人的交流などの組織作りを行う。

イ 本施設は、関係団体との連携を図りながら活動を行う。(別紙3)

(2)情報の発信

 利用者には、諸外国からの利用者も含まれることが考えられ、また、広島・長崎の原爆資料・情報に対する国外からの二-ズが著しく増加していることにかんがみ、世界各地域へ関係情報を発信するとともに、情報の受信も積極的に行う。

 また、現在行われている活動との連携を図りつつ、外国から研究者等を招いて、原爆や平和に関する会議やシンポジウムを開催するとともに、外国で開催される会議やシンポジウムに、日本からも被爆者や研究者を派遣する。

Ⅲ施設の設置場所

 広島・長崎両市と原爆は密接な関係があり、当地には原爆被爆者やその遺族の多くが今も住んでいること等を考慮すると、施設を両市に設置することが適当である。しかしながら、同じ内容の施設とするのではなく、地元の要望も踏まえて、両地域の特徴を出すようにすべきである。

Ⅳ施設の運営

 本施設の運営の主体は、持続的に活性化できる組織を構成するという視点から考えるべきであり、そのためには、人・事業・財政面において柔軟で開かれている民間の活力を有効に使っていくことが必要である。

 この見地からすると、国直営、地方公共団体や特殊法人への委託については、必ずしも適切であるとはいえない。そこで、経営基盤が確立され、この施設を運営するにふさわしい公益法人に委託することが現状では望ましいものと考える。

 この場合、国は適切な財政負担を行う等、国として果たすべき役割を担うべきである

別紙1 資料情報検索システムの概念図

別紙2 資料情報検索システム項目例

別紙3 国際協力及び交流の概念図

     原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会名簿

     原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会専門委員会名簿

 

日本社会学会による原爆被災に関する社会学的調査研究の推進についての要請(1967年10月)

日本社会学会による原爆被災に関する社会学的調査研究の推進についての要請(1967年10月)

原子爆弾の投下による人的・物的被害は、その規模、内容ともに人類史上未曾有のものであったことは周知の通りであります。しかもこの原爆被災は、単に物理的な破壊力による損傷ばかりではなく、同時に多量の電離放射線の曝射という特性を有しております。このために被爆に関する問題はこれまで一般的な被爆状況そのものよりも、被爆個体に対する医学的、生物学的諸影響の問題が中心となり、かつ緊急の課題とせられたので、被爆に関する科学的な研究としてはこれらの調査研究が主体をなしてきました。

もちろんこれらの研究は重要な意義を有し、その成果は医療行政にも吸引され昭和三二年には「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」が制定されるに至っています。しかしわれわれがなお注視せねばならぬことはこれらの身体的影響もさることながら、かかる大規模な被災に際しての被災者の社会的経済的画側面ならびに精神的心理的側面に対する諸影響であります。被爆による生活の秩序あるいは基盤の解体、喪失という多くの事実は、社会生活の広範な場面に重大かつ深刻な影響を及ぼしたであろうことは自明の通りであります。

しかしながら翻ってみますと戦後二十余年を経た今日においてもなおこうした原爆被災のもたらした社会的,諸影響に関する社会科学的側面からの組織的な研究は極めて少なく、かつ断片的に報告がなされているにすぎず、学問的にも全く空白のまゝ放置されてきております。したがってその社会生活の内面に及ぼした被爆の諸影響の実相については明らかでないばかりか被爆時の諸状況に関する基礎的なデータさえも体系的に記録されていず、その被爆死亡者数も不明のまゝに至っているのが実情であります。

然るに現状では家族の欠損、社会的諸関係の解体等々をはじめとして被爆後の個体の生理構造の脆弱化あるいは時間的推移による被爆者の老令化とあいまって、一方ではその階層的分化、とくに一方落層化、孤老化、スラム等々の現象を噴出せしめ、貧困や結婚、労働の疎外など多くの問題を表出し、社会問題として早急に対策を講ぜざるを得ない段階にきておりますが、これらの生活の実態については科学的には全く未知のまゝにおかれています。

しかも他方ではわれわれにとって誠に遺憾なことは被爆後二十余年の時間的経緯とともに、これらの貴重な未曾有の体験有する被爆者あるいは被爆関係家族の死亡、消滅が著るしくその他記憶の喪失、社会的移動の拡大等々、資料の散逸、埋没化が加重しつつあることであり、かかる社会科学ならびに精神医学、心理学的な立場からの学術的なあとづけが欠落したまゝに消滅寸前の段階を迎えていることてあります。

昭和四十年行政的レベルにおいてではありますが厚生省では原爆医療行政の一環として被爆者調査を実施しており、それによれば今日全国に約三十万名に及ぶ被爆者の生存が確認されています。しかし前述の如き災害時における人間行動の実情あるいは生活構造に対する影響の実態に関しては明らかではなく、なおこの調査によっても把握されていない多数の被爆者集団の在在が確認されております。

寡聞ではありますが諸外国においては人間生活に影響を及ぼした諸災害について、社会科学の独自な立場からの報査研究が学術会議あるいは学術研究会議機関等を通じて組織的かつ広般に行まわれていると聞きます。そして今次大戦の爆撃災害をはじめ他の戦争災害あるいは地震、水害などの自然災害、産業災害などを対象に大量災害における人間行動ならびにその社会影響について着々と成果を集積しつつあり、社会学的研究もその一環として蓄積され、被災者における諸問題の解明と同時にその福祉対策の策定に主要な貢献をなしつつあると聞きます。

もちろんわれわれとしましてもかかる原爆被災の如き大規模な災害の実態に関しては国家的に強力に推進されるべきものと希求するものでありますが、前述の如き背景に鑑みましてなお社会学的立場からの接近と解明が肝要と思われるのてあります。しかもすでにあげた問題の事情からしまして現在の段階ではその研究も一個人の一研究室の研究推進だけではすまされない状況にあり、この機を逸すれば被爆の社会的影響の解明は永久に失なわれることになり、将来のわが国の社会科学の発展の歴史において痛恨事となることは明らかであります。

こゝにわれわれは日本社会学会理事の諸先生はじめ各地域の各位の共同により、全国に散在する原爆被爆者の実態を早急に調査し、それらの有している諸問題の解明の一翼をになうために日本社会学会による組織的調査研究の推進を希求し要請するものであります。具体的な調査研究計画としてとりあえず別記の如き素案を付しておきましたが調査計画ならびに組織の構成、研究費等々に関しまして学会理事ならびに先学の諸先生方の格段のご審議とご高配をお願いする次第であります。

昭和四十二年十月

 広島大学野口隆

八木佐市

谷田部文吉

湯浅良之助

高橋三郎

志水清

渡辺正治

湯崎稔

広島女子大学 間庭充幸

山口大学 近沢敬一

大阪市立大学 上子式次

大藪寿一

吉井藤重郎

 日本社会学会会長殿

日本社会学会理事会殿

「調査研究計画素案」

(1)調査研究機関の名称 日本社会学会原爆被災全国調査委員会

(2)研究組織の構成 調査委員として各都道府県別に会員各位から選出して構成する(各都道府県の被爆者数に比例して選出)

(3)調査期間 昭和四十三年四月一日-四五年三月三十一日

(4)研究費

(イ)出所 文部省科学研究費(その他国の科学研究費)

(ロ)金額 初年度六○○万円-一○○○万円

(総合研究費の三件分に相当)

(5)調査方法

(イ)基礎調査 統一的な質問調査票による全国調査

(ロ)個別精密調査 基礎調査後各地域の特殊問題に応じての個別的テーマによる追跡調査、研究

(6)主要調査項目

(イ)基礎調査

A被爆状況 被爆に至る経緯。被爆場所の状態、距離。受傷状態、その他。

B被爆当日の行動 離脱、移動の状況。入市の日時、場所。被災地内での行動、作業内容。その後の行動状況、その他。

C被爆後の健康状況 急性症状、後遺症状。健康状態の推移、その他。

D被災後の生活史ど変動過程 家族欠損など家族集団の構造に及ぼした影響と推移。職業、婚姻に及ぼした影響。生活環境の変化と推移、その他。

E社会心理的状況 社会意識ならびに態度、その他

Fその他

(ロ)個別調査(略)

 

 

中国から寄せられた救援金に対する要望(1955年9月)

中国から寄せられた救援金に対する要望
日本国民救援会提供
(その一)甲奴郡原爆被害者の会(広島)井出口茂美

前略 郡部はやはり広島市とは事情の異る点がありますので郡部としての希望をまず記させていただき、次に総括的な考えを申しあげてみたいと存じます。
郡部被害者はほとんどが農家でございます。その実態は、作業のほとんどを人手(雇傭)にたよらなければならないので、それらの費用が過重となり収入については一般農家並の常識があてはまらない有様です。
夏は私どもの身体は最も不調の季節でございますがとくに郡部農家の被害者は6月の農繁期の過労がたたって夏季の身体不調を訴えるものが多い。したがって農繁期の労働を軽減することが急務と思います。
農繁期中に最も過労となる仕事は牛馬を使って耕記する作業であると思われます。
したがって
(1)耕運機(動力)が必要であります。価格は20万円から35万円程度であります。
(2)バタンコ(自動三輪車)1台
これは、郡内を耕運機を運搬したり、農作物の運搬その他に利用する。
非農家に対する援助はこの利用によって多少の利益を求め、援助資金が出来るのではないかと思います。
動力耕運機と自動三輪車の利用は、労働を10分の1位に減じ、おくれ勝ちな作業も適期に植付も出来ることとなり、従って増産にもなると考えられます。
郡部として一番に欲しているものは、何といってもこれでございます。その他、種々希望もありますが、全般的に共通の必要を感じ、直接影響力の大きなものは右の通りです。
(3)会として、又個人的な立場として不便を感じ、以前から希望しているものに単車(オートバイ)があります。郡部は交通も不便であり、被害者宅が広範に散財していますので、連絡、見舞、案内、実態調査、病状急変等の場合、実に不便を感じております。
生存者が主体となって会の運営をやっておりますので誰としても遠路、自転車で連絡して歩くのは困なんで、とくに夏季は日中を避けたりしますので運営もなかなか困難です。
広島との連絡も交通費等の関係で十分出来ませんが、オートバイが1台あれば緊急な連絡もでき、間接的に被害者の向上にも益するものと思います。
以上が広島市と異る郡部としての共通の希望であります。
個人に分配することは焼石に水の実状であり、ほとんど益するところがないのではないかと思います。半恒久的な処置としてながくこの浄財の恩恵に浴させていただきたいと思います。
そして、その処置は300円や500円一時的にいただくよりは数倍も価値があります。例えば、耕運機の例をとりましても1反たがやすのに、人を雇えば1日かかり、1500円位の費用がいりますが、自動耕運機でやれば、1時間半ぐらいですから、1年春秋2回だけでも数倍の恩恵があるわけです。これは、一例ですが他の恒久的な処置でも同様のことがいいうるのではないかと思いますので、ぜひ個人的分配を排しての浄財を生かして使うようにしていただきたいと存じます。少なくとも郡の会員はすべてそれを望んでおります。
温品さん(広島原爆被害者の会事務局長)がおはなしくださったように「原爆福祉会館」建立の件、私も日頃賛成しております。実はこれは私の平素よりの定説でもあり、会にも提案し、温品さんも賛成をいただいた次第です。これによって、心のよりどころが出来ます。そして郡部からは「無料宿泊所」の併設によって原対協の併設によって原対協の合同診察会にも気やすく出かけていくことが出来ます。いろんな希望は次にまわして、まずこの建設こそ第一にあげねばならぬ問題ではないかと思います。
但しあくまでこういう施設は被害者以外の人が直接運営にあたることはさけねばなりません。被害者の気持は被害者同士でなければうちとけませんし、被害者のよりよき「いこいの場所」は気易く利用させるために、被害者のみによって利用させるべきでありましょう。
原対協の受付が被害者間に割合に不人気なのもかかる点に原因しているのではないかと思われます。
原爆福祉会館に浴場・宿泊所・相談所・栄養品廉売所等を設ければ、直接利用する者の恩恵はもちろんのこと、利用できない困きゅう者に対しても300円や500円程度の援助ならいつでも出来る状態が出来ると考えます。私どもは地域的・特殊事情によるあらゆる欲求を抑えてまず第一に会館建設に全幅に賛意を表します。そして我々のみのための会館が出来ることが、何か大いなる力を与えてくれるような気がいたしますし皆様の救援のご活動と相まって、ながくはないかもしれぬ余生を、希望と安心と楽しみにすごせるような気がいたします。
一人の叫びは打消されてもたくさんの声が集って世論となれば、大きな反きょうがありますと同様に小さく分割された金の力は、一時的にあらわれて立ちぎえになるように思います。永く被害者の役に立ちますように、有効に集中されるようぜひお伝えねがいいたしたいと存じます。
なお、甲奴郡では生存者・遺族もれなく当会員となっております。

(その二)原爆被災者在京人会(東京)

本会では日本準備会の要請により、救援資金の使途に対する被爆者の意見をまとめるため次の如き懇談会を開きました。

群馬県  8月20日 参加者 6名
神奈川県  8月27日 8名
世田谷区  8月30日 4名
港、目黒区    9月 2日 9名
渋谷区・千代田区 9月 3日 8名
中野区・杉並区  9月 4日 8名
東京都の内、他の地域は九月中旬より順次開く予定です。
この結果次の点に就いて意見が一致しました。
1 医療費の補助
現在広島長崎両県市に居住する被爆者と全国に散在する約10万の被爆者(助け合い新聞152号参照)とを概観した場合、前者より後者が経済上に於いても健康上に於いても、或る程度恵まれていることは否めません。このような点から今回の救援資金は勿論のこと、将来のあらゆる救援活動も広島長崎両県市居住の被爆者に重点がおかれなければならないのは当然と思われます。
しかし乍らそれはあくまでも概観であって、個別的に見た場合東京都及び近県に於いても要治療者は42名(8月末までに判明した分)に達しております。ところが広島長崎両県原対協では資金難から両県市以外に居住する被爆者が発病し、治療費の調達に如何に困っても、何等の援助もなされておりません。人数こそ少いがこうした全国に散在する要治療者のうち治療費に困る者にこの救援資金が使われるよう希望するものです。
2 生活費の補助
生活困窮者に対しては、生活扶助料というものが支給されていますが、その額は極めて僅少であって到底その健康を維持するだけの力はありません。特に生活困窮者の中に要治療者が多いのも普断の生活が暗く最低であるために原因するものと思われます。これに対しては本会としても協力諸団体と提携して生活扶助料の増額を関係方面に交渉し、実現させなければならぬことは勿論でありますが、それでも尚且不足する場合や、生活扶助料の支給対象とならない被爆者の治療中の生活費の補助が望まれます。
3 健康診断の施行
現在までに本会で調べた範囲では、原爆神経症患者は意外に多く、被爆者の殆どが何らかの苦痛を訴えています。ところが原爆を原因とする諸種の症状に対する医師の診断が浅いために、被爆者は自らの健康に就いて確かな判断もできず、いたずらに恐怖をいだいて生活に結婚に絶望している者、或いは症状が悪化しつつあることを知らないために保健に留意せず突如病床に伏す人も多いのです。
こうした弊害を除き、加えて専門医学者による速やかな治療方法の研究を達成する方法は、全国の被爆者の健康状態を適格に調べる統一的な血液検査以外にはありません。
幸いにしてこの要望が容れられるならば、本会は専門医学者の協力により関東各県は勿論中部以東の被爆者の検診を施行するつもりです。
4 憩の家設置
在京被爆者の親睦の便に供するは勿論、治療、精密検診のために上京する地方在住者の宿泊に利するための「憩の家」の設置は、全員の一致した希望であります。しかしこれはあくまでも将来の希望であって、現在前記の3点より優先して直ちに設置することを希望しているものではありません。

厚生省予防衛生研究所のABCCへの協力(1947年6月~52年12月)

 『国立予防衛生研究所年報 昭和23年版』[抄]

原子爆弾影響の医学的調査に関する米国 Atomic Bomb Casualty Commision(A.B.C.C)との協同研究

 本協同研究は昭和22年6月3日ABCC代表者より本研究所に協力申入れがあったことに端を発している。これに先立ちABCCの代表は現地に於て予備的調査を行った。又同年8月中旬 Stanford 大学の Glenrich 博士は被爆小児の発育に関する予備的調査に来朝した。

 その後ABCCの一行は帰米され、同年10月16日軍籍を脱した。 J. Neel 博士は再び来朝、予研に浜野局長、小川課長、小林所長及び小島副所長を訪れ、重ねて協同方を申入れた。

 同博士は米国 National Research Council, Committee on Atomic Bomb Casualtties に提出した genetic program に関する報告及び予研宛の Memorandum を提示して、特に  genetic program の早急な着手を要請された。厚生省ではこれらの資料に基き、早急具体的実施計画の樹立に努力する旨回答して散会した。

 小林所長及び浜野局長は予研永井技官を広島に派遣して従来の genetic study の状況を調査せしめ、これを参考資料として具体的実施計画を樹立せんとした。その際永井技官は現地に於て Neel 博士、広島市保健課長松林博士、広島県衛生部長藤井義明博士と会談、ABCCが既に実施中の hematorogical survey の情況を聴取し、且つ genetic study に必要な人員構成等についても一致点を見出して帰京し、これに基き第1回の具体的草案を作り上司に報告した。

 永井技官は小林所長、浜野局長の命により具体案をたて、これを資料として予算案を作製し、12月15日頃予防局長に提出した。

 前項具体案はABCC Neel 博士にも提示して一部に訂正をうけた。

 厚生省に於ては前項の予算案を以って、数度大蔵省と折衝を重ね結局約150万円の予備金支出の承認を要求することとした。

 昭和22年11月25日小林所長は東京、京都在住の遺伝学者10名の参集を求め具体案につき総合的な意見を徴した。その際予研の東京に於ける責任者として熊本医大教授木田文夫博士が推せんされ、予研は同博士を予研嘱託とした。

 ABCC Neel 博士は広島に於ける使用建物につき考慮中であったが、在広島の浅野図書館の戦災建物を借入れ、修理してこれにあてることを希望し浜野局長にこれが借入斡旋方を依頼した。依って同年12月24日浜野局長は木田博士、永井技官を帯同して広島に赴き、広島市長と折衝し、その結果広島市は該建物を20年間ABCCに提供し、これに対しABCCは広島市に200万円を謝礼として支払う協定案を作製した。

 尚 Neel 博士はこの旨 Washington に承認手続きをとった。一方広島財務局管理中の宇品町所在の旧凱旋館の一部借入れの了解を得た。

 その後久しからずしてabcc顧問建築技師 Pfeiffer 氏来朝、浅野図書館を検査した結果戦災のため強度を減じ、修理しても使用には安全でない事が明らかになったので該建物借入を中止し、旧凱旋館の一部を借入れるとともに別に適当な市内地に永久的な建物を新設する事に決定した。

 昭和23年1月佐世保検疫所勤務の厚生技官田中正四(元京城大学衛生学教室)を広島駐在連絡員に任命し、同時に広島県衛生部勤務参事高島哲造を庶務主任に委嘱した。

 一方昭和23年3月上旬本研究に要する経費は漸く2~3月分のみ認められ令達をうけた。之れは1月から2月に渡る内閣交代による政治空白によっての所以であった。

 昭和23年4月6日小川課長及び永井技官は広島に赴き一般情況を視察した。調査は専らABCCの指揮監督により、予研所属の集計員、書記等のみがこれに当り、予研の幹部は殆んど与る所なく、従って予研の幹部の意向は全体の運営にも又現場下級職員にも全く反映せず、命令系統を明かにする要を痛感した。よって永井技官はこの間の事情を、PHW Section Lt. Col. Thomas Dr. Hamlin の提唱により厚生省の浜野局長、小川課長、予研の小林所長、小島副所長、永井技官が参集してこの問題につき懇談会を催した。

 席上予防局並に予研より問題の核心を述べたる所ABCC側より予研は更に適当なる責任者を参加せしむべきであって、然る後に初めて本問題を更めて討議し得るものと考えるとの意志表示があった。これに対し浜野局長より現在結核予防会に勤務中の槙弘氏が最も適当であると考えられるので、同氏の参加を求める方向に努力する旨を提案して散会した。

 なお槙弘は6月29日厚生技官に任命され、8月31日付を以って広島原子爆弾影響研究所長に就任した。

 次に一方長崎に関しては昭和21年中 Warren 大佐、Tessmer 中佐、 Neel 中尉等の最初の予備的視察以来 Owen 博士等が一度視察をした事があるが、広島の場合と異り日本側に於ても調査をした事なく、ABCCとしても先ず広島に於て陣容を整備し、然る後に長崎に着手する方針をとり、昭和23年7月迄は何等の積極的活動は行われなかった。

 然し昭和23年5月以前に Owen 博士、Tessmer 中佐、北村博士等視察の際に予研から木田博士も同行長崎医科大学有力者等との数次の会談があり、長崎におけるこの問題は微妙なものがあった。

 7月12日、ABCCは統計学者 brewer 及び倉田医師を長崎に派遣、長崎に於ける活動の第一歩を踏出した。予研は従来、長崎県衛生部赤星勝義氏及び雇員2名を以って本調査に関する事務を担当せしめ、長崎に於ける活動に備えた。現在の情況は長崎保健所に一室を借り調査登録に数名の係員を置き漸く登録を開始した程度である。

 本調査の円滑なる運営のためには一つの運営機構を必要とすることは何人も認める所であるので、9月2日の会議席上予研試案を提出して考慮を求めた。その後9月16日の会議の席上ABCCより資料[別紙資料略]の如き試案を提出、この案は厚生省、予研並にSams 准将の承認を得て9月20日の会議の席上採択を決定、即日これが運営規程草案に着手した。

 12月18日小林所長は平尾庶務課長・永井技官・小松事務官を帯同し広島・長崎に出張、現地に於てABCC幹部と運営方針並びに本建築の問題に就き懇談し、相互の理解認識を深めると共に、テンポラー、ラボラトーの建設、職員の養成等に重点が置かれたが、ABCCとの関係の緊密化とともに、24年度の研究には多大の期待が懸けられる。

 『国立予防衛生研究所年報 昭和24年版』[抄]

    Ⅶ.原子爆弾影響研究所

 ABCCはかねて仮研究所の開設の準備を進めていたが遂にその完了を見たので7月14日開所式を挙行した。当日は特にGHQ SAMS 准将の臨席を得て関係各官公庁、日本学術会議、各医科大学、医師会その他各関係諸団体の代表者など約100名を招待し、ABCCから Tessmer 中佐以下各幹部、NIHから小林所長、平尾庶務課長、内外技官、槙支所長外幹部職員が列席した。席上多数名士の祝辞があり茲に改めてABCCの沿革と事業の将来が社会に発表せられ本研究所に対する一般の認識を一段と深め事業運営上多大の成果を終めたものと確信する。

 『国立予防衛生研究所年報 昭和27年版』[抄]

    原子爆弾影響研究所の概要

施設 Atomic Bomb Casualty Commission は、昭和26年1月広島市比治山の本建築5棟に宇品仮研究所から移転したが、同27年10月更に2棟の増築が竣工したので、12月末宇品に残留していた部分が運輸部を残して総て比治山に移転集中したので、業務は一体として円滑に進む様になった。

 

都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」(1952年9月)

都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」

今般、科学研究費交付金総合研究計画に基いて、新に『原子爆弾災害調査研究班』が設けられることとなり、過日、研究班の編成を終わり愈々その作業を始めることになった。就ては、その発足に当り、新研究班が設けられるに至った動機と経緯とを述べ且つ研究班運営の方針を考察し、以て関係各位の御参考に供したい。

昭和20年8月上旬広島市及び長崎市に落とされた原子爆弾によって発生した災害に就いては、当時設けられた文部省学術研究会議原子爆弾災害調査特別委員会に於て詳しい調査研究が行われ、我邦学界の総力を挙げて、その真相を明らかにすべく努力せられたのであった。特別委員会の仕事は前後3ケ年に亘って継続せられ、その間、アメリカ側から派遣せられた原子爆弾調査団とも協力し、理学、生物学、工学、医学、農学等の領域に亘って、広汎研究が行われ、多くの報告が出来上がった。

そこで、原子爆弾災害調査研究特別委員会は、その後、調査研究報告を発表し且つ刊行しようとしたが、色々な事情で、ことが円滑に進行せず且つ刊行費の調達に就いても困難があり、ために延々となっていたことは遺憾なことであった。ところが、その後新しく発足した日本学術会議はこの刊行事業を学術研究会議から引継ぎ、幸にして、刊行費の調達に就いても見透しがついたので、昭和26年8月先づ『総括篇』として概要を記した部分を刊行し、次で『各論篇』として報告書全部を刊行し得る配となったのであって、各論篇は昭和27年秋頃発刊の予定である。

原子爆弾災害に関する総合的の調査研究は前述のように、約3ケ年に亘る特別委員会の作業によって大略終了し、昭和23年以後は特に興味を持つ研究者が夫々の立場から、原子爆弾災害そのもの、或いはそれと直接間接に関連のある事項に就いて、個別的に調査研究をせられていたばかりであったので、纏った報告として発表せられたものは多くない。

一方アメリカ側は昭和22年6月原子爆弾の災害に就て、主として医学的の立場から長期に亘る調査研究を行うことを計画し、日本側としては予防衛生研究所がその世話をすることとなり、昭和23年2月以来準備を始め、昭和24年2月広島市に原子爆弾影響研究所(Atomic Bomb Casualty Commission, Laboratory-略名ABCC)を新設し、次で長崎市にも研究分室を設けて調査研究を開始した。

爾来、広島及び長崎に於けるABCC研究所の職員は熱心に調査研究せられて、夫々成績を挙げておられるようではあるが、もともと、原子爆弾の被爆者を主な対象としての仕事であるために、色々と困難な事情があり且つ研究所の行き方が純アメリカ式であるために、被検者との間に意志の疎通を欠き或は誤解を生ずる等のことも起ったようであった。しかし、時と共に互の理解も出来又互の気持もわかって来て、作業は大体に於て計画通り円満に進んでいるようである。それだけに、他面、仕事の面で或る程度の偏位を余儀なくされている点があるのではなかろうか。他国に於けるこの種の文化事業が甚だ困難なことであることは云うまでもない。ABCC研究所の前所長 Dr.Tessmer もその点に就ては色々と考慮せられていたが、現所長 Dr.Taylor は特にこの点に就ては多大の関心を持ち、熱心にことに当たっていられるようである。

日本側としては、原子爆弾災害に関する医学的調査研究は前述のように、昭和22年度で一先ずその総合的研究を終了したのであったが、その後、広島及び長崎を初めとし、その他の地区に於ても、原子爆弾の被爆者間に色々の後遺症が残されていることが注意せられるようになり、その内でも、既に注目せられているものとしては、貧血症、白血病、白内障等を挙げることが出来よう。又関係医家の間では、被爆生存者が時々異常な病像を示すことがあることが認められ、或は次のような機転によるのではないかとも考えられ始めている。即ち、強力な放射能による傷害の結果として、生存者にも、色々の内臓の障碍が残されており、平素は特別の故障はないにしても、何等か異常の状況が起って病的現象の発現を見る場合には、それ等内臓の機能障碍が、これに関連して、特殊な病像を示すのではなかろうかとの考え方である。

原子爆弾被爆生存者はその大部分が現在も猶広島及び長崎地区に居住しているが、昭和25年10月の国勢調査の結果から判断しても、意外に多くの人々が、日本内各地に転住して、ちらばっているようである。

従って、それ等の人々に就て適切な健康管理を行うことは我邦医学徒の責務であらねばならない。

昭和23年以来、一時下火になっていた我邦における原子爆弾災害の調査研究熱が、そのような関係から、最近、再び盛んとなり、それ等と関連する熱、光、放射能等による傷害に関する研究と共に、各学会等に発表せられるものが漸くその数を増して来たようである。特に、この方面には密接な関係を持つ病理学会、血液病学会、放射線医学会等に於ては、夫々の立場から放射線傷害対策委員会を設けて総合研究を始めるに至った。

そこで、昭和26年暮頃から、有志の間で、この際再び原子爆弾災害調査研究の統合機関を設けてはとの話合が進められていた。ところが昭和27年1月26日広島ABCC研究所々長 Dr.Taylor 初め主要研究員の方々が東京に来られ、日本学術会議の肝入で、ABCCの事業の紹介並に業績発表の講演会が開かれ、同時にABCC及び予防衛生研究所関係の方々と、日本学術会議関係者との懇談も行われた。その結果、統合研究機関設立の議が急に具体化し、塩田広重博士を代表者として原子爆弾災害調査研究班が組織せられることとなったのである。

今般設立を見た原子爆弾災害調査研究班は上述のような事情で生れ出でたものであるから、その発足に当っては、特に次の諸点に就て、特別の考慮が払われなければならない。

1.本研究班の研究項目は純学問的の点だけでなく、あらゆる面で、国際的の性質を帯びていること。

2.アメリカ側の研究所が広島市及び長崎市で研究所を設け、充実した陣容で、すでに3ケ年余研究に従事しており、その初めから、日本側としては予防衛生研究所がその世話係をしていること。

3.広島市及びその付近では、広島医科大学及び日本赤十字社広島支部病院、広島県立病院、広島逓信病院等が従来からの関係で引続いて研究していること。

4.長崎市及びその付近では長崎大学医学部が従来の関係から引続いて研究をしていること。

5.病理学会、血液病学会及び放射線医学会では何れも放射線傷害対策委員会を設けて、夫々の立場から研究が始められたこと。

従って、原子爆弾災害調査研究班はその運営にあたって、特に次の諸点を強調すべきものと思う。

1.本研究班は今後我邦学会独自の立場で運営せられるべきこと。

2.本研究班は今後我邦に於ける原子爆弾災害調査研究の権威ある機関として存在し、既存研究団体間の統合連絡機関として活動するように運営せらるべきこと。

3.本研究班は予防衛生研究所を通じ、アメリカABCC研究所とは常に密接な連絡をとり、相互に協力し得るように運営せらるべきこと。

本研究班の編成にあたっては、上述の事情が考慮され、研究事項に関しては、権威ある独自の研究が十分に行われ得ると共に、各方面との円滑な連絡、相互の協力が支障なく達成し得られるように注意されて、別紙のような研究員の構成によって編成せられたのである。

本研究班の研究項目は最もその重要性が認められている医学部門に於けるものから着手するよう計画されており、第一年度(昭和27年度)に於ける研究計画項目は次の通りに定められた。

1.原子爆弾災害に関する未完結調査及び研究の継続

2.被爆者後遺症に関する調査研究

3.被爆者屍体の病理学的研究

4.原子爆弾災害に関連する基礎的研究

第二年度(昭和28年度)以降に於ては、次の方針で運営せられることとなる予定である。

1.第1年度の研究を継続し且つ増強する。

2.本研究を更に生物学的分野に拡大する。

3.研究成果の出版計画。

[以下略]

広島市の原爆死没者調査趣意書(1952年)

広島市原爆による死没者調査についての趣意書

広島市役所

今回広島市の原爆による死没者調査を全国にわたって実施致しますので、調査洩れのないよう関連者の方々からの申告を切望致します。

一 調査の目的

広島市の平和公園内に(慰霊堂)が建立されるので、本年の七回忌を期して全死没者氏名等の名簿を作成し、これを合祀することを目的とする。

二 調査の時期

五月中・・・・・・申告者に調査票を配布し、回収する。

七月中・・・・・・関係者の名簿縦覧期間とする。(遠隔地はハガキ等による照会、応答を実施)

三 調査の対象者

広島市に投下された原子爆弾により直接に、又は原爆の影響を直接の原因として死没された方全部を含む。これ等の人々を関連者からの申告に基づいて調査する。

例えば

〇原爆時に即死された方、行方不明となられた方、火災、重傷等で死没された方。

〇原爆時に負傷し、その後それが原因で死没された方。

〇原爆時には傷もなく元気であったが、その後原爆の影響で死没された方。(炸裂時に広島市外にいた方も含む)等何れも該当者とする。

四 調査の方法

〇広島市内及び広島県下については特別に徹底を期して、調査票も市内は全世帯に配布、県下も多量配布し、個人票以外に事業体、学校、団体、病院、寺院等には連記制調査票も配布する。

〇各県の地方課から各区町村役場の関係課係を通じて連絡員(部落の世話人)前国勢調査員、学校の生徒達の御協力により、或いは告知板の利用等により申告者に調査票を入手させ、記入して貰う。

〇記入済の調査票は入手した市区町村役場へ提出して貰い、更にこれを都道府県の地方課に募集の上当市に御送付を願う。

申告者と死没者との関連の限界

家族、親戚、知友、近隣、戦友その他凡ゆる範囲にわたって記載して貰う。

但し自分の家族以外の死没者については、その死没者が遺族等から確実に申告されると推定されるものは省くこと。即ち「この人は自分が申告しなければ洩れる」と判断され る人を申告して貰う。

五 調査の項目

1、死没者の氏名

2、性別

3、死没者の年令

4、死没者の当時の住所

5、死没者の当時の職業

6、死没年月日

7、直接の原因

8、死没の場所

9、被爆時にいた場所

(以上9項目を設けることにより、同姓、同名の死没者等も明確に区分される。)

六 周知宣伝

全国主要新聞、並びにラジオ周知放送により極力周知を図り、出来る限り申告者が市区町村で調査票を入手されるよう努める