東京資料調査覚え(198007現在)
「04 できごと」カテゴリーアーカイブ
宇吹の東京だより(198007)
宇吹の東京だより(198007)
受入承諾のハガキ(藤原⇒宇吹)
受入承諾のハガキ
19791002(藤原⇒宇吹) |
19791124(藤原⇒宇吹) |
藤原教授宛宇吹依頼状(控)
藤原教授宛宇吹依頼状(控)1979年9月
昭和55年度内地研究員調書(控・抄)
昭和55年度内地研究員調書(控・抄)
氏名 | 宇吹暁 |
研究区分 | 文-歴史学 |
研究題目 | 被爆者の社会史的研究 |
研究の方法及び計画 | ①戦争責任論の立場から原爆被害に関する国家責任の究明 ②原爆被害と一般戦災被害の比較検討 ③原水禁・被爆者運動のもつ国際的・国内的・地域的3側面の比較検討 |
研究期間 | 昭和55年9月1日~昭和56年2月28日 |
受け入れ機関 | 一橋大学社会学部社会学科藤原研究室 |
指導教授等の職名及び氏名 | 教授 藤原彰 |
教育研究上特に必要とする理由 | |
文部教官(助手) | |
文部省内地研究員研究成果報告書(草稿)
昭和56年3月4日提出 | |
研究期間 | 昭和55年5月1日から昭和56年2月28日まで |
研究経過概要 | (600字以内) |
藤原教授の指導の下に下記の研究をおこなった。 ①日本における原爆症研究の発足および展開過程を、故都築正男(元東京帝国大学教授、学研原爆災害調査特別委医学科会長)旧蔵資料などを資材として考察した。 ②被爆体験が日本の戦争犠牲者援護政策、原子力開発政策、安全保障政策にどのような形で定着しているかを、国会議事録を素材として考察した。 ③被爆体験の国民レベルでの定着形態を、新聞報道・雑誌論文などを素材として考察した。 ④被爆体験の国際的な意味について、ニューヨーク・タイムズを中心とする諸外国の新聞・雑誌を素材として考察した。 |
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原爆文献を読む会会報記事目録
原爆文献を読む会会報記事目録(抄)
号 | 記事 | 著者 | メモ |
1 | 経過報告と感想-初会合の記録にかえて | 長岡弘芳 | 19681101刊、19690711再刷 |
原爆の思想を築きたい アンケート集計結果 | |||
原爆文献を読む会-活動の記録 | |||
8月例会記 | |||
誌上録音 | |||
原爆講演会 | |||
1日合宿 | |||
9月例会 | |||
大牟田氏を囲んで | |||
10月例会 | |||
丸木美術館訪問 | |||
東友会・慰霊祭 | |||
忘れられなかった「原爆」 | 鵜沼礼子 | ||
広島と僕 | 近藤弘 | ||
「この世界の片隅で」レポート以後 | 岡寿克 | ||
「原爆の図」を見て | 佐藤博史 | ||
原爆展を見て | 佐藤博史・古川智子 | ||
地方会員からの便り | |||
書面出席 | |||
会員の仕事 | |||
編集後記 | |||
2 | 核時代のメモ・ノート(1)1968年の軌跡-広島・長崎被爆から中国の核実験まで- | 林栄介 | 19690205刊 |
3 | (続)孫貴達さんが残していったもの | 19690524刊 | |
4 | (特集)原爆と私たちの今日的課題 | 19690712刊 | |
5 | (特集)「原爆と私たちの今日的課題」集会報告 | ||
6 | 19700425 | ||
7 | 〈講演記録〉ある被爆者の戦後史 | 石田忠 | 19701002 |
8 | 19710305 | ||
回顧五年-原爆ヒロシマの記録(概要)
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)概要
序 | 瀬戸内海文庫編集部 | |
口絵写真 | 1945年8月6日午前8時15分 世界史に大きく記録される一瞬、それは広島市の上空に原子爆弾の第一弾が投下された時間であり、この一発こそ第二次世界大戦の終止符となり、世界平和への大きな原動力となった |
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1 | 一発の爆弾で見渡す限り死の原子沙漠と化した広島市 | |
2-1 | 爆発直後に撮影されたキノコ形の原子雲 | |
2-2 | ||
3-1 | ||
3-2 | ||
4-1 | ||
4-2 | ||
5-1 | ||
5-2 | ||
5-3 | ||
6 | ||
7 | ||
8 | ||
9 | ||
10 | ||
11 | ||
12-1 | ||
12-2 | 原爆の直下ともいえる相生橋の被害はひどかったが現在では全くそのかげをとどけぬまでに復旧工事がほどこされた | |
目次 | ||
報道篇 | ||
爆弾篇 | ||
体験篇 | ||
宣言 | 日本ペンクラブ「広島の会」(中国19500416) | |
あとがき | 編者 | |
奥付 | ||
編集者 | 「回顧五年-原爆ヒロシマの記録」 | |
広島市外祇園町 電話;祇園66番 | ||
発行者 | 田中嗣三 | |
印刷所 | 増田兄弟活版所 | |
広島市空鞘町 電話;西(3)2567 | ||
発行所 | 瀬戸内海文庫 | |
広島市研屋町12番地 電話;中(2)4495 | ||
回顧五年-原爆ヒロシマの記録(爆弾篇/体験篇)
回顧五年-原爆ヒロシマの記録(爆弾篇/体験篇)
爆弾篇(1945年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
英で着手、米で生産 | 毎日 | 0815 |
動力の世界に革新 | 毎日 | 0815 |
五百トン爆弾と同じ作用 | 朝日 | 0816 |
浅田博士に聴く(1) | 朝日 | 0821 |
理博、阪大教授、産業科学研究所員、超電波の権威 | ||
浅田博士に聴く (2) | 朝日 | 0822 |
浅田博士に聴く(3) | 朝日 | 0823 |
浅田博士に聴く(4) | 朝日 | 0824 |
浅田博士に聴く(5) | 朝日 | 0826 |
浅田博士に聴く(6) | 朝日 | 0827 |
原子爆弾の神秘を声明 | 19460330 |
体験篇(1945年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
原子弾を浴びて | 朝日 | 0831 |
つきぬ情の一筋 | 中国 | 19460215 |
名作「原爆の回顧」 | 朝日 | 19470808 |
原爆孤児が綴る新版「父帰る」 | 中国 | 19470821 |
私らは大きくなった | 朝日 | 19480808 |
出典:『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1949年)
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1949年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
八月六日を“世界平和デー”に | 中国 | 0128 |
海越えて米婦人“愛の小包” | 朝日 | 0131 |
原爆広島の復興、外人に忠言を聞く | 朝日 | 0206 |
原爆の街ヒロシマ | 毎日 | 0209 |
原爆患者の被災実演を撮影 | 朝日 | 0316 |
「原爆の日」を祝日に“ヒロシマ”の著者にも | 毎日 | 0320 |
原爆都の皇太子さま | 中国 | 0407 |
ノーモア・ヒロシマズ運動 | 中国 | 0419 |
原爆罹災者の署名運動 | 中国 | 0515 |
全人類を愛で結べ | 中国 | 0604 |
きのう晴れの着工 | 朝日 | 0604 |
原爆孤児と仲良く半日 | 毎日 | 0609 |
原爆の広島救えと9萬ドル | 朝日 | 0618 |
鳴れ世界の果まで | 中国 | 0623 |
悲願広島の家 | 朝日 | 0702 |
原爆傷害研究所近く着工 | ? | 7020 |
賛成が圧倒 | 中国 | 0709 |
平和を祈る一票 | 毎日 | 0709 |
あす公式に開所式 | 中国 | 0713 |
八月六日を広島の日に | 毎日 | 0719 |
6・7・8の三日間広島で平和祭 | 毎日 | 0804 |
世界各地へ記念ポスター | 中国 | 0804 |
高らかに平和の鐘 | 毎日 | 0807 |
広島・長崎にノッポ人出現か | 中国 | 0822 |
原爆死者二十萬突破 | 中国 | 0830 |
米眼科医二名が来広 | 朝日 | 0908 |
平和生む最後の一撃 | 朝日 | 0926 |
吉川氏夫妻を激励慰問金を贈る | 毎日 | 1001 |
四年後のヒロシマ | ? | 1001 |
原爆研究所陣容を強化 | 毎日 | 1009 |
平和への道標 | 毎日 | 1015 |
原爆の眼への影響 | 中国 | 1103 |
広島平和センター | 中国 | 1119 |
広島で原爆都市青年交歓会 | 毎日 | 1121 |
初の国際学生会議 | 中国 | 1122 |
広島、長崎に新しい原子病 | 毎日 | 1122 |
原爆体験記を紹介 | 朝日 | 1123 |
広島に集まる同情の眼 | 舞に | 1228 |
見出し |
回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1948年)
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1948年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
原爆都一番乗り、瑞西から婦人記者 | 中国 | 0121 |
アトム広島にアメリカの花 | 毎日 | 0124 |
アトム広島に孤児の家 | 毎日 | 0205 |
北米の仏教徒から贈物 | 毎日 | 0211 |
原爆の被害者研究所 | 毎日 | 0215 |
原爆地に新しき村 | 朝日 | 0301 |
グ司令長官来広 | 中国 | 0302 |
明年“平和博” | 毎日 | 0303 |
児童文化会館の建設進む | 毎日 | 0305 |
アトム広島復興の春 | 毎日 | 0325 |
ベル博士らの祝福を浴びて 前例のない施設 | 中国 | 0504 |
爆心に悲願の公園 | 中国 | 0520 |
営々の“村造り”二年 | 朝日 | 0703 |
両市に原爆医学研究所新築 | 朝日 | 0706 |
回り来る平和三周年 | 毎日 | 0801 |
四度びめぐり来る思い出の日 | 中国 | 0801 |
世界平和確立は市民の責任 | 朝日 | 0805 |
海を渡りくる激励文 | 毎日 | 0806 |
平和きっと広島から | 中国 | 0807 |
平和宣言 | 中国 | 0807 |
「アトム都、広島の追憶式典」 | 朝日 | 0807 |
さよなら原爆症 | 中国 | 0808 |
大人気のスピード復興 | 中国 | 0824 |
平和記念公園の応募要項きまる | 中国 | 0824 |
広島市民へのメッセージ(ヘレン・ケラー) | 毎日 | 1014 |
ヒロシマ新地園、一ヵ月に外客五百名 | 中国 | 1207 |
素晴らしきかな平和都市 | 中国 | 1207 |
来広の外人に原子焼の贈物 | 中国 | 1207 |
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