「原爆報道(各社)」カテゴリーアーカイブ

ヒロシマあの時、原爆投下は止められた いま、明らかになる悲劇の真実

『ヒロシマあの時、原爆投下は止められた いま、明らかになる悲劇の真実』(TBSテレビ「ヒロシマ」制作スタッフ編、毎日新聞社、20060730)

内容

001 はじめに 筑紫哲也
002 綾瀬はるか 祖母に原爆の話をきく
012 プロローグ セーラー服の少女
014 原爆はなぜつくられたのか
014 マンハッタン計画
原子爆弾のしくみ 放射能と放射線 第三帝国
018 日本はどんな時代だったのか?
年表
025 あの時原爆投下は止められた 原爆投下への分かれ道 画・つぼいこう
026 運命の2人
分かれ道1 力への誘惑 031
分かれ道2 中心科学者の反対 035
分かれ道3 推進派vs反対派 039
分かれ道4 和平工作の誤算 043
分かれ道5 幻の12条 051
057 1945年夏あの日広島で
058 1945年8月6日
なぜ広島は選ばれたか 太平洋戦争のころのヒロシマ
060 エノラ・ゲイ
062 あのとき せん光が
065 爆心の街
爆心の街を再現
068 その時地下で
077 手記『ヒロシマ・ナガサキ 死と生の証言』より
黒い雨
手記『ヒロシマ・ナガサキ 死と生の証言』より
ヒロシマ被爆地図 078
079 消えた夢 学徒たちの遺品
080 遺品は語る
085 日記
086 戦争終結へ
088 原爆症、原爆後遺症
090 いまも続く核の恐怖
092 原爆をめぐる日本の意識、アメリカの意識
きのこ雲を撮影したハロルド・アグニュー博士が広島を訪れた
094 アグニュー博士と被爆者との対面
096 アグニュー博士ヒロシマ行取材記 萩原豊
098 対談 原爆をめぐる過去、現在、未来 筑紫哲也×藤原帰一
嶌暢大 マンハッタン計画同窓会取材記
110 あとがき 「ヒロシマ」取材班 萩原豊
111 参照文献

参考資料

2005年8月5日放送
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被爆60年特別番組「戦後60年特別企画 ヒロシマ …あの時原爆投下は止められた …いま、明らかになる悲劇の真実」 (rcc.co.jp)
番組内容
人類初めての原爆投下から今年60年を迎える。
広島・長崎では、少なくとも10数万人が命を落とし、現在に至るまで、放射能の影響で健康被害が続いている。そして、この原爆投下がその後の核開発の幕開けとなってしまった。米・ソの冷戦終了後10年以上時が過ぎても、地球上には数万発の核兵器が存在していると指摘されている。つまり原爆投下は過去の問題だけでなく、現在の問題でもあるのだ。
番組では 原爆開発や投下決定にかかわった当事者、被爆者の方々の貴重な新証言、膨大な数の史料を集めたドキュメント、さらに証言から忠実に制作した再現映像やCGなどによって60年目に初めて明らかになる事実から人類最大の悲劇の“全体像”を描いていく。
番組からのメッセージ
・“継承”筑紫世代から綾瀬世代へ
・“核廃絶”
・“歴史からの教訓”
番組の流れ
・プロローグ(原爆ドーム前)
・戦争の基礎経緯~日米対立の構図
・テニアンから広島に飛び立ったエノラ・ゲイ物語(BBC制作ドラマより)
・なぜ原爆投下をとめることができなかったのか
原爆開発から投下までの歴史事実の紐解き
・ついに原爆投下
当時の広島は(資料からCGで完全再現)
被爆前の広島の人々
その瞬間広島の町はどうなったのか
・原爆の実態
原爆の破壊力を検証。キノコ雲の実態とは
・惨劇の全貌
被爆者の手記で語るあのとき(手記朗読:吉永小百合)
・エピローグ
筑紫、綾瀬からのメッセージ
広島から発するメッセージ
キャスト
ナビゲーター:筑紫哲也、綾瀬はるか(広島出身)
被爆者手記朗読:吉永小百合
ナレーター:森本毅郎
主題歌:平原綾香 with 久石譲
スタッフ
制  作: TBSテレビ  報道局・制作局

プロデューサー 戸田郁夫(制作局)
佐々木卓(報道局)
遠藤千鶴子(制作局)
総合演出 萩原豊(報道局)
共同制作: BBC(イギリス)
制作協力: RCC中国放送(広島)

もう一つのヒロシマ

『もう一つのヒロシマ』(御田重宝著、中国新聞社、19850706)

内容

はじめに(山本朗<中国新聞社社長>)1985年7月
1 長い一日  1
7時9分B29接近/朝は静かになったが/疎開作業へ社員出動/3ヵ所へ天候観測機/B29、福山湾へ向かう/運命分けた朝の行動/警報発令に参謀迷う/落下傘目撃後に閃光/ニジとともに原子雲/瞬間、1万度の高熱が/信じられぬ現象続々/飛散物を伴い“黒い雨”/火球、中国新聞を襲う/惨状にわが目を疑う/郊外へ続く半裸の列/義勇隊員の大半即死/古材の下敷きで焼死/炎の中で同僚と握手/一瞬周囲が暗やみに/ぼう然と火災見送る/わが子は家の下敷き/社員の連絡所へ急ぐ/火炎くぐり 社目指す/社はすでに火だるま/3人、肩抱き合い避難/自宅は被爆者で満員/荷車に二人乗せ歩く/警報の度に軍指令部へ/写真を…報道班員直感/撮影に20分ためらう/3枚目は涙で撮れず/マッチ爆弾かと疑う/世界初の”原爆写真”/高熱…社内に入れず/「音のない世界」体験/京橋川船上で黒い雨/一挙に社員113人失う/市内に入り直後に大雨/単身 炎の街突っ切る/やけど押し 社へ走る/1枚の布団で命拾い/中央放送局も犠牲に/勤務交代前、警報ベル/警報を放送中に爆風
2  原爆第一報  63
 現在も なおあいまい/焼却された軍機課類/「8時30分」には疑問/呉鎖守府から調査隊/特殊爆弾の疑念わく/全滅・・・指揮能力失う/暗号打電 翻訳遅れる/新聞発表は7日午後/四国・九州・福山に連絡/9時過ぎ「全滅」の連絡/自転車で広島へ急ぐ/入市やめ原放送所へ/岡山の局と連絡つく/「死者およそ17万人/「大げさでは」疑う軍部/船を雇い広島市入り/両岸、救援叫ぶ被爆者/日発「搬送電話」を利用/出張で被爆、惨状報告/軍管区指令部も壊滅/縮景園に火勢広がる/8時20分過ぎに発信/7日未明に新聞発表
3 再建への鼓動  95
「社員と家族を救え」/トップの苦しさ自覚/代行印刷依頼に奔走/総監府通じ代行依頼/船舶司令部通じ連絡/印刷機能壊滅を確認/軍通じ代行印刷打電/臨時県庁で情報収集/人材喪失、印刷に痛手/応召の編集局長 不明/カギを握る朝礼時刻/つかめぬ中尉の行動/緊張の作戦室で徹夜/当直済ませて自室へ?/庁舎で仮眠中、被爆か/夫人先頭に市中捜索/悲壮感漂う“再建本部”/社員の容体を案じる/幹部、相次ぎ被爆死/支社局から次々応援/尾道港で「壊滅」聞く/救援トラックに便乗/尾道に戻り救援活動/トラック“徴発”救援へ/被爆者に乾パン配る/被爆者乗せ救護所へ/「知事布告を報道せよ」/「布告」が報道第1号に/焼け残った部屋発見/民心の安定へ口伝隊/道路わきに死体の山/被爆米兵捕虜を目撃/避難阻まれ被爆死も/即死まぬがれたが…/切れた新聞社専用線/電話線ほとんど壊滅/陸軍主導で原爆隠し/「ピカドン」呼称広まる/軍部に「硫酸爆弾」説も/「爆心は護国神社上空」/ラジオ・ゾンデ発見/陸軍・大本営も調査隊/「ト声明」に仁科氏衝撃/「原爆」と正式に認める
 4  原爆の投下責任  151
ポツダム宣言を“黙殺”/ソ連参戦の報届かず/アイクは使用に反対/ソ連参戦防止を狙う?/「東西冷戦」絡み?作戦/宣言受諾条件で紛糾/海相、外相は降伏主張/閣議に長崎被爆の報/ポ宣言の受諾決まる/スイスなど通じ公電/軍主戦派と押し問答/10日夜に「受諾」放送/海外へは受諾流れる/陸相布告 掲載を強要/和平派殺害の計画も/「国体護持」を米が論議/米回答文、12日に通達/米回答の翻訳で粉糾/米ソ対立が引き金/終戦引き延ばしが致命/御前会議で終戦決定/天皇自ら詔書ご加筆/14日、全国へ「内密電」/録音盤から天皇の声/使節団、マ司令部へ/米側、厚木入りを通告/マ元帥迎える星条旗/占領軍批判はタブー
5 輪転機を回せ  189
9日、代行印刷紙届く/疎開機器の整備急ぐ/川手牧場と疎開交渉/「一県一紙」で重い責任/増加部数印刷に苦慮/温品移転やっと軌道/社員自ら組み立ても/新聞資材も分散疎開/20日ごろ工場へ送電?/20~30人集まり再出発/突貫工事、工場建てる/9月3日付から印刷/壁新聞用紙は軍提供/地下ごうの紙 役立つ/温品ではテント生活/代行紙、2駅で仕分け/「新聞復興に死力注ぐ」/「あの日」胸に社員連帯/各紙に「70年不毛説」/不毛説を医学者否定/悪戦苦闘…損紙の山/新聞見て社員“出社”/調子上がらぬ試運転/苦労した「紙型」取り/太陽光線で写真製版/活字は捨てず再使用/社報でも原爆の特集/再建へ意欲みなぎる/復員姿で社屋に直行/復員の日、温品印刷成功/分担超え紙面に情熱/米人記者と一問一答/原爆症に医学界混乱/医学論文の公表禁止/社の動き「日誌」に克明/10月26日に採用試験/「米兵の犯罪」を報道/「同盟」に業務停止命令/「同盟」が自主解散通告/検閲受け送信再開へ/声高に「平等」を否定/厳しい事前検閲開始/客観報道促す一面も/GHQ、混乱する路線/23年12月に検閲全廃
6 またも試練が  251
枕崎台風が広島直撃/「不毛説」弱めた台風/“温品版”最後の報道に/輪転機は被害免れる/温品工場の機能マヒ/流川での再建を決意/代行印刷、朝日へ依頼/自力再生を迫られる/全社一丸で題字守る/代行印刷、西部毎日も/京大の調査班も被災/訃報、3日後に京都へ/被爆調査資料も失う/100人が本社ビル清掃/温品の輪転機を解体/東洋工業菜が技術協力/「復興資材部」を設置/資材払い下げに奔走/移転の前日に慰霊祭/撤回された発禁処分/天皇会見で特報発行/「戦争責任」で陛下回答/本社員214人でスタート/ガス会社に鋳造機搬入/バタンコで活字運ぶ/復興財団に資材依頼/「特報中国新聞」に改題/巻き取り紙捨てられる/米軍駐留のとばっちり/社員総出で搬入作業/巻き取り紙に無情の雨/進駐軍用に慰安施設/用紙収容に米軍脇力/マツタケ狩りで一息/「共販制」16年末に発足/連盟に情報局が圧力/一県一紙体制を強行/「相互援助」で発行継続/25年まで共販制存続
7 うなる輪転機  303
東洋工の技師が視察/社長同士で移設契約/社長が訪れ運搬依頼/人使いのよさ見込まれ/運搬方法に知恵絞る/馬車使い本社へ運搬/難題だった定盤輸送/まくら木で道直し運搬/悪路のうえ雨までも/横転防止へ24人“伴走”/午前4時に本社到着/組み立て班、泊まり込み/11月5日「流川第1号」/東洋工業に1200円謝札/本社体制作りも着々/11月1日、新体制発足/進駐軍検閲係が来社/進駐軍の検閲を報道/板張り編集局に熱気/自力発行に緊張・興奮/裸電球の下鉛版セット/労苦報われ社員歓声/復興ぶり克明に報告/衣食住の補給訴える/建設目標は1日100戸/苦難超え原爆報道貫く
[年表]新開・言論関係/原子爆弾関係/国内、戦争関係 339
[人名索引] 346
 あとがき (尾形幸雄<編集局長>)1985年7月
(カット絵:金崎是)
注: 中国新聞社被爆40周年企画「もう一つのヒロシマ」(連載259回、期間:1984年7月1日~85年3月23日)

ヒロシマを生きて 被爆記者の回想

『ヒロシマを生きて 被爆記者の回想』(山野上純夫、20201031)

内容<作業中

見出し 備考
003 序にかえて(山野上純夫〈毎日新聞終身名誉職員〉)
011 本紙記者の体験記 ようやく掲載実現(戸田栄(編集委員))
授業中の被爆 校舎倒壊 同級生が即死  12
被爆直後のこと 自宅燃えたが、家族は無事  14
世界最初の原爆 科学学級で”予言”  16
原子砂漠を脱出 被爆免れた友を訪ねて  18
級友・加藤君の死 安らかな姿 父は「果報者」  20
60年後の証言 友を助け、逃げた地獄  22
学業と世情 軍の学校避けた友の死  24
妹同士 涙の交流 独に慰霊碑建てた友  26
25年の途中下車 父 広島での仕事誘われ  28
戦後、広島工専進学 「機械 またつくればよい」  30
原子力研究の是非 平和利用の美名に異議  32
広大の再出発 学長に元文相の森戸氏  34
森戸学長の信条 「人生の地平線」大切に  36
文系へ転身 あゆみグループと交流  38
毎日新聞に入社 自分に向き合う原爆取材  40
浜井市長落選 道路の舗装 後回し  42
貫いた都市計画 揺るがぬ建設局長  44
慰霊碑の碑文 親鷲の教えに通じる  46
原爆孤児の”父” 私費で育成所開設  48
僧になった孤児 真宗大谷派の要職に  50
7年間の菩薩行 家族とバラックへ  52
被爆記者の後輩 「一言を惜しむな」  54
同じ悩みを抱く 「悲惨さ忘れず告発」  56
同郷の先輩記者 ラジオ用速報指導  58
争い嫌う大原知事 目立たず復興に尽力  60
ABCCへの批判 「地元医師会への配慮」  62
サダコの周辺(1) 「小さなお墓を」  64
サダコの周辺(2) 全犠牲児童の碑に  66
サダコの周辺(3) 像は教育界の事業に  68
サダコの周辺(4) 同級生は疎外感  70
サダコの周辺(5) 治療費工面の苦労  72
サダコの周辺(6) 那須氏が徹底取材  74
ヒロシマの煩悩(1) わだかまる遺族感情  76
ヒロシマの煩悩(2) 同級生の生と死詠む  78
ヒロシマの煩悩(3) 町になじむ前に被爆  80
ヒロシマの煩悩(4) 中学生に救われた命  82
友の消息求め(1) 同期会で69年後再会  84
友の消息求め(2) 母 執念で息子見つける  86
友の消息求め(3) 全国紙に手がかり  88
友の消息求め(4) 出身校の垣根越え判明  90
恩師の短歌 特攻へ期待の寄せ書き  92
戦友別盃の歌 恩師しのび今も胸に  94
友は神父に(1) 「軍都」壊滅 衝撃受け  96
友は神父に(2) カトリックに親近感  98
靖国合祀 学徒も「まつってもらえる」  100
学徒の靖国合祀 「犠牲者の会」結成し陳情  102
記者仲間(1) 地元紙から協力要請  104
記者仲間(2) 「特ダネを書かない」  106
記者仲間(3) 原爆小頭症に「手当」  108
記者仲間(4) 在韓被爆者の実態追う  110
証言者(1) 核なき世界の実現を  112
証言者(2) 対等な語り 生徒ら感動  114
証言者(3) 平和願う心 次世代へ  116
友を襲う病(1) 抜群の秀才 宗教者に  118
友を襲う病(2) 50代までにがん続発  120
友を襲う病(3) 共に見上げた”長寿の星”  122
信仰と職務 「医師は罪深い職業」  124
竹西寛子さん(1) ”ささやかに”書き続け  126
竹西寛子さん(2) 敵も味方も被害者  128
学制改革(1) 伝統校もご破算に  130
学制改革(2) 断絶超えて慰霊行事  132
景福宮の芝(1) 関妃暗殺 広島と深い関係  134
景福宮の芝(2) 「閲妃」語らない広島  136
戦後の基町 知的な面の復興支える  138
母校・済美の廃校 校舎焼失 門柱だけ残る  140
カーブと私 草創期 有力選手少なく  142
144 結びを前に 「原爆は人間の行為」(戸田栄)
146 75回目の夏迎え 語り継ぐことが道
149 私への有明の月

朝日新聞よ、変わりなさい!

『朝日新聞よ、変わりなさい!』(朝日新聞労働組合新聞研究委員会編、葉文館出版、20000413)<作業中

内容

まえがき
1 朝日新聞よ、変わりなさい!
1 テリー伊藤の「私が社長だったらこう変える」
2 討論会「テリー伊藤VS朝日新聞」
2 ジャーナリズムよ、変わりなさい
斎藤茂男の「世紀末日本を歩いて」
斎藤茂男の「世紀末日本を歩いて」
有山輝雄の「報道機関と言論機関」
辻元清美の「お互い因果な商売や」
目加田説子の「市民の力が世界を変える」
杉山隆男の「メディア・ビッグバン」
宮崎学の「アウトローからみたジャーナリズム」
3 ニッポンよ、変わりなさい
1 講演録 戦後沖縄の挑戦  大田昌秀
2 討論会 響け、われらの声 –沖縄・アイヌ・在日から
3 インタビュー だから変だよ、ニッポン人
萱野 茂の「言葉こそ民族のあかし」(前半)
貝澤裕子の「二つの文化を学ぶ」(後半)
大田昌秀の「ニッポンに異議あり」(前半)
又吉栄喜の「眠っているパワーを探れ」(後半)
藤本英夫の「違いを認め合うことから」(前半)
辛 淑玉の「言論のタブーをなくそう」(後半)
服部孝司の「見えない国境を見る」(前半)
外岡秀俊の「多文化社会の可能性」(後半)
あとがき

 

ドキュメント中国百年第3部-重い軌跡

『ドキュメント中国百年第3部-重い軌跡』(中国新聞社(編)、浪速社、1968年5月27日)

内容

見出し
1 空行かば
山本長官の戦死/元師につづけ/色あせたノート/魂の記録/土浦/海軍航空隊/玉砕の悲報/悪化する戦況/感激の初飛行/死生観/硫黄島/血戦/夢まくら/戦死公報/悪魔のつめ跡/看病日記/英霊/防人の歌/
2 学徒出陣
/冷たい秋雨/死の影/精神の軌跡/国家と青春と死と/高速戦艦/「榛名」/海の城井沈没/生き残った者の怒り/
3 必死必中
/「回天」誕生/訓練開始/初の殉職者/和田稔の日記/菊水隊の戦果/死との対決/生還者/死と生と/読経の日々  遺族めぐり/望郷の丘/全軍特攻/連続と断絶/
4 民族のどうこく
/霧の島//敗戦の日/正義を信じて/暗い不安/モロタイ島/重労働と虐待/東京裁判/原爆投下問題/報復/残虐の証言/暴行/死の行軍/屈辱の体罰/涙雨 /近づく最期 /絞首台の祈り/良心と真実/巣鴨入り/獄中からの手紙/マヌス送り/四年間の落差/裏切り/有罪判決/見捨てられた戦犯/いけにえ/命令と責任/
5 原爆裁判
/戦勝国の不正義/歌集『人類』/「原爆民訴或問」/原爆損害求償同盟発足/失望/ビキニ事件/火の玉/未知への挑戦/原告たち/ゆがんだ社会/訴状/賠償請求の権利/食い足りぬ答弁書/政府の議声明/二つの論理/後継者/国際法違反で一致/三鑑定人の解釈/裁判官の怒り/あふれた真情/回想と反省/戦後は終わらない/
6 民族と国家
あとがき(森脇幸次 中国新聞編集局長)
<昭和42年9月1日から同年12月31日まで、121回にわたって中国新聞朝刊に連載した「日本の血・第3部―重い軌跡」をまとめたもの>
 <取材・執筆には特別取材班の平岡敬・阿部洋が当たった。>

ナガサキを考える 被爆50周年原爆平和報道記録

『ナガサキを考える 被爆50周年原爆平和報道記録』(長崎新聞社、19960701)

内容

 発刊にあたって(長崎新聞社報道部)
 被爆50周年は「長崎を地球最後の被爆地に」と叫び続ける地元紙にとってその責任と使命を問われる重いテーマでした。原爆の生き証人である被爆者の平均年齢はすでに65歳。被爆百周年という次の節目を迎えられる被爆者はほとんどいない、という厳然たる事実があるからです。週1ページ企画の「ナガサキを考える」シリーズは、被爆地長崎が抱える原爆・平和問題を洗い出し、読者に提起すると同時に、記者自身が現場で問題点を今一度とらえ直そう、と始めました。若手記者が原爆取材に飛び込むきっかけになれば、との期待もありました。被爆遺構、援護法、平和教育、原爆語り部、戦争責
任などのテーマでほぼ毎週掲載、被爆51周年の現在も続け原爆、平和間題のページとして定着しました。このシリーズの中から数多くの連載が生まれました。被爆50周年の一年間に取り組んだ原爆平和関連の企画物は報道部だけでも20シリーズに上ります。
このたび、長崎新聞が被爆50周年に取り組んだ原爆平和企画を記録する冊子を発行する運びとなりました。「ナガサキを考える」を中心に社説、文化面企画などを加えた内容で、企画の背景を分かりやすくするため、一般記事の一部も入っています。スクラップ集となりましたが、行間に長崎新聞社の記者の平和への思いを込めています。学校で、地域で、原爆平和を考える資料に活用していただければ幸いです。
01 社説<1995年>
被爆50周年を迎えて 長崎はいま何をなすべきか(1月1日)
長崎から核廃絶の一歩を(6月11日)
遠く険しい核廃絶への道(6月17日)
核兵器廃絶に新たな運動を(8月9日)
長崎に艦船は似合わない(9月15日)
 第1部 ナガサキを考える 被爆50周年を前に
1994年
忘れ去られたもう一つの鳥居(5・8)
危機に直面-援護法制定運動(5・15)
修学旅行に見る中学校の平和教育(5・22)
国連軍縮広島会議を終わって(5・29)
減少する「語り部」(6・5)
いつ出る厚生省見解i残留プル報告書棚上げ状態?(6・19一)
埋もれゆく被爆体験集(6・19)
ずさんな戦後処理浮き彫り(6・26)
心に刻めるか戦争責任(7・3)
実現できるか被爆者援護法(7・10)
各界の声を集めンンポー長崎平和大集会(7・24)
核軍縮を求める二十二人委員会(7・31)
学年一体で取り組み―長崎・横尾小平和教育(8・7)
長崎平和推進協会発足十二年目の課題(8・21)
故岡正治氏が残したもの(8・28)
教師27人中国の旅(9・4)
保存か再開発か住吉トンネルエ場跡(9・11)
国家補償の援護法をめざして(9・18)
建て替え進む国際文化会館(9・25)高校の平和教育(10・2)国家機密のベールー旧三菱兵器製作所(10・9)
運営基盤揺れる放影研(10・16)
援護法で自、社協議「均衡論」めぐり難航(10・23)
米・スミソニアン博物館原爆展「投下の正当性」に懸念(10・30)
8・9登校定着しない北松地区(11・13)
非核自治体宣言県内実施二割弱、全国四十五位(11・20)
政府と野党の思惑先行―援護法審議入り(11・27)
被爆資料は貸し出しすべきか―米スミソニアン原爆展計画修正(12・11)
もう一つの悲願一「被爆地域是正」(12・18)
1995年
被爆者の「自分史」(1・15)
被爆遺構保存ピンチ(2・19)
近づくNPT会議、国連軍縮会議長崎会議(2・26)
記念事業は市民参加型に―長崎市の被爆50周年記念事業(3・5)
「語り部」のインド平和の旅(3・12)
あの日の惨状伝えたい―恵の丘原爆ホーム原爆劇(3・19)
軍縮会議プレ会議(3・23)
もっとアジアへ、情報発信(3・26)
外国人の意見ノート、文化会館(4・2)どうなる原水禁運動―(4・9)
語り部続け26年、証言の会(5・21)
NAC平和大使(5・28)
被爆地にもう一つの顔、兵器生産(6・4)
原爆、日米にギャップ(6・11)
国連軍縮長崎会議閉幕(6・18)シンポ(7・4)
もう一つの語り部、バスガイド(7・16)
県議会・市議会50年決議(7・30)
平和宣言の50年(8・13)
追悼の碑歩こう(8・20)
チェルノブイリ、生かせ被爆地(8・27)
被爆地是正、相次ぐ決議(10・1)
国際司法裁判所(10・29)
核実験抗議の座り込み(11・12)
外国人被爆者コーナー(11・24)
教育研究集会(12・3)
市長語録(12・10)
1996年
大学の役割(1.・7)
核兵器国際法違反・古川教授に聞く(1・14)
フランス世論、ミホ・シボさんに聞く(1・21)
学ぶべき広島の行動力(1・28)
抗議の旗降ろさず(2・4)
海外に平和通訳ネットワークを(2・11)
絵筆に託す体験継承(2・18)
共通理解へ問いかけ(3・10)
 第2部 原爆平和企画報道
1994年
「消えた国家補償」(5回)
1995
語り継ぐナガサキ「原爆の子」(4回)(1・1)
語り継ぐナガサキ「原爆孤児」(6回)(1・25)
語り継ぐナガサキー千恵子の日記」(5回)(3・14)
遠い碑(8回)(1・31)
被爆遺品展示せず、「溝は埋められるのかI(6回)(2・7)
「生きていてごんめねI(8回)(5・17)
「届けナガサキの声」(2回)(6・8)
動員被爆の少年少女たち・第1部(5回)(6・6)
動員被爆の少年少女たち・第2部(10回)(6・11)
平和市長の16年(19回)(6・9)
無言の告発(15回)(6・6)
被爆遺構ワイド(6・21)
平和の礎(3回)(7・4)
広がる米原爆展論争(5回)(7・8)
アメリカ人の原爆観(12回、学者の意見)(7・18~30、8・6)
原爆論争-米の歴史家こう見る(8・6)
アジア人の原爆観(10回)(8・1~10)
夏雲の丘(20回)(7・15~8・30)
平和を伝えて(7回)(7・21)
山里小学校「50年目の鎮魂」(3回)
「焦燥の夏」(5回)
「夢の祖国」(7回)
「怒りの南太平洋」(8回)
「断絶に向き合った被爆者たち」(6回)
「核を裁く」(4回)
1966年
「揺れる被爆国」(1~15)
 資料編
1994年
援護法実現へ(11・3)

援護法―消えた「国家補償」(11・3)
国家補償援護法で公聴会(12・1)

公聴会(12・1)
成 立(12・10)
被爆遺品展示せず

1995年
国連軍縮長崎会議(開幕、声を世界に、アンケート)(6・13)
フランス核実験再開(シラク大統領発表)(6・15)会議閉幕((6・17)
沖縄50年(6・24)
ピースサミット(6・25)
スミソニアン、エノラ・ゲイ展開幕(6・30)
米艦船受け入れ、市長が表明
韓国で原爆展(開幕、反応)(7・26)
天皇訪問(7・27)
 山里小学校
 被爆50周年平和祈念式典
 終戦記念日アンケート
 終戦記念日
 中国核実験
 フランス核実験
  フランス核実験強行
  フランス核実験
  フランス核実験
 ブルーリッジ長崎入港
 市長を証人申請
 フランス核実験
市長、国際法違反を明言
フランス核実験
1996年
フランス6回目核実験
シラク大統領核実験停止宣言
核なお二万発、廃絶の叫び世界へ
忘れないあの惨禍、人も街も消え

広島テレビ放送開局20周年記念誌

『あなたと共に20年 広島テレビ放送開局20周年記念誌』(広島テレビ放送株式会社、1982年9月1日)

内容<作業中

見出し
1 よりよい明日のために
2 ヒロシマから訴える
平和の願いを世界に
被爆の実相を追い続けて
数々の受賞作品
そして平和音楽祭
ゴールデンメイプル賞
あの日あの時
3 行け!われらのカープ
4 お茶の間に楽しみを
5 多彩な事業活動
三大イベント 広島平和音楽祭
    DSC06283 (2)
6 広島テレビの現況
7 年表

 

 

 

 

 

ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道

『ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道』(NHK出版<日本放送出版協会>編・刊、20030730)

内容

はじめに
そのとき、ラジオ・新聞は
ラジオ放送が止まった/新聞記事にできない
1 第一章 それぞれの八月六日朝
八月六日付中国新聞朝刊/その朝のラジオ放送/大佐古記者の身代わり/生き運のいい松重カメラマン/中村記者の汚れたワイシャツ/間一髪、三人の放送局員
2 第二章 広島壊滅のとき
原爆投下・一〇秒の衝撃/広島中央放送局壊滅/もう一つのヒロシマ/中国新聞社壊滅/中国新聞社国民義勇隊全滅
3 第三章 あの日の五枚の写真
八月六日午前・二枚の写真/坪井はここに死す/後ろ姿の少年とセーラー服の少女/明の行方を知っていますか/八月六日午後・三枚の写真/被爆写真・もう一つの記憶
4 第四章 絵に残されたあの日の記憶
市民の手で原爆の絵を/
母と子の原爆の絵/
司令部特設放送室壊滅/
まぼろしの声/
母と子の絵、ふたたび
5 第五章 幻の原爆第一報
黒い雨/幻となった原爆第一報/軍管区発表も、記事にできない/ピカドン第二報、地獄の川を下る
6 第六章 爆心地の夜
八月末日夜・相生橋の一夜/袋町小学校の朝、比治山の夜/韓国に渡った原爆孤児/アメリカに渡った原爆乙女/生ましめんかな
7 第七章 原子野に月冴えわたる
比治山多聞院の臨時県庁/宇品・江戸家猫八さんと原爆資料館長/中国新聞社、代行印刷へ/呉鎮原爆調査隊、広島に入れず
8 第八章 原子砂漠の朝
八月七日・広島が消えた/爆心半径五百メートル/被爆地図復元へ/爆心地復元の元ディレクター/材木町から中島本町へ/遺影は語る/ヒロシマからの第一声
9 第九章 子どもたちの被爆
三位一体の人形になった子どもたち/母たちの悲しみ/元原爆資料館長と元エノラ・ゲイ機長/動員学徒たちの被爆
10 第十章 アメリカ兵捕虜の被爆
爆心地の被爆米兵/爆撃機ローンサム・レディー号/元搭乗員たちの生と死/トルーマン米大統領の声明/長崎被爆
11 第十一章 特殊爆弾の正体を解明せよ
呉鎮原爆調査団、爆心地へ/密命・幻の海軍原爆調査団/陸軍原爆調査団と仁科博士/わが国の原爆研究/三発の不発弾と長崎原爆のゾンデ/終戦を決めた原爆調査報告書/調査団員、それぞれの戦後
12 第十二章 新聞再開への道
在広新聞社の被爆/一県一紙と代行印刷/八月九日付中国新聞/終戦、大佐古記者の召集/九月三日付、自力発行第一号/原爆プレス・コードの発令
13 第十三章 原爆報道のあけぼの
台風、ふたたび代行印刷へ/十一月五日付、本社復帰第一号/生きている「死せるカメラマン」/放送局再開、平和祭の呼びかけ
14 第十四章 「広島特報」から「ビロシマ新聞」へ
三十五年目の原爆新聞/昭和二十年八月七日付と八日付「広島特報」/昭和二十年八月七日付「ヒロシマ新聞」/いまなぜ「ビロシマ新聞」か
15 第十五章 未来への伝言
俳優木村功の遺言/記者たちの伝言/核時代の記録・中国新聞は何を伝えたか/科学者たちの予見・核戦争後の地球/テレビは核をどう伝えたか
あとがき 本書の編集にあたって
引用・参考文献
年表NHK・中国新聞社原爆報道史
NHK・NHK出版、中国新聞社編集・発行の原爆関連図書
協力・資料提供者一覧