「年表:平和教育」カテゴリーアーカイブ

年表:平和教育(1961~1970)

年表:平和教育(1961~1970)

事項
1967 06 20 広島女学院大学で学生対象に原爆特別講座始まる。テーマ「八月六日の意味するもの」。同大宗教委主催
1968 07 01 広島市教委、原爆・平和問題に関する特別授業実施を決める。8・6を中心に一時間程度
1969 03 26 広島県被爆教師の会結成。県内小、中、高校教員、退職教員などが参加。平和教育の推進が目的
69 04 20 東京都青梅市の都立農林高校定時制4年生50人、修学旅行で広島を訪問。同校は3年前から修学旅行で広島に来ているが、今回初めて被爆者を囲み懇談。
69 06 19 鳥取市での日教組三十六回定期大会、原爆教育推進を運動方針に掲げる
69 07 05 広島県教組の原爆・平和教育教材「ひろしま」出版
69 07 16 広島県教委、原爆・平和教育指導指針をまとめ各学校に通知。「原爆の日の意義を理解させるとともに、いっそう平和を願う心情や態度を育てる」
69 07 19 広島市立荒神小学校で原爆・平和教育。被爆教師の体験と同校制作のスライドで
69 07 28 広島県教組、同県被爆教師の会編集の被爆教師の体験記「未来を語りつづけて」出版
69 08 02 広島市、第2回平和を語る市民集会を開催。テーマ「被爆体験の継承と平和教育」。
69 10 18 吉川清、原爆慰霊碑前で東京電気大学高校工業科2年生340人に原爆の惨状などを話す。
1970 10 18 東京電気大学高校工業科2年生344人、修学旅行で広島市を訪問。今回が10回目。高橋昭博広島県被団協理事の話を聞く。

 

年表:平和教育(~1960)

年表:平和教育(~1960)

事項
1950 10 26 三原市西小学校、修学旅行で広島を訪問。原爆孤児にと630円を中国新聞社に寄託。
1951 04 05 順宮・清宮、修学旅行の途次、広島入り。供養塔、原爆記念館、御便殿、ABCCなどを視察。[天皇]
51 06 29? 広島市教育委員会、市内小中学校在学中の孤児71人の境遇調査結果まとめる。原爆で父を失った者は、小学校25.8%・中学校32.9%、母を失った者小学校30.6%・中学校34.9%。
51 08 17? 広島市教育委員会、5月に調査した市内小中学生の身体検査の結果を公表。被爆児童と非被爆児童の間に身長・体重・胸囲とも差がないことが判明。
51 11 02 長崎市立城山小学校子供会、第2回平和記念式を「あの子らの碑」前で開催。
51 11 22 広島市教育委員会、原爆犠牲学徒・教職員数を調査、犠牲者9505人と発表。
1952 02 25 長崎市立山里小学校、自主教育研究会に合わせて「永井博士と浦上の子ら」遺品展を開催。
52 03 04 長崎市立城山小学校、教育心理学専門家を招き、原爆学級編成について協議。
52 03 08 長崎市立城山小学校、同校入学予定児童の身体検査を実施。うち、原爆被災児童36名に対しては別個に知能検査を実施。
52 04 04 長崎市立城山小学校入学式。新入学児童259人(うち被爆児童40人)を対象に原爆学級2クラスを編成。
52 04 07 広島の原爆当日に生まれた3人、小学校に入学。
52 08 08 広島市の児童・生徒代表2人、長崎市平和祈年祭に出席のため長崎入り。
52 08 10 長崎市城山小学校で広島の生徒を迎えて被爆児童座談会を開催。
52 11 01 長崎市山里小学校、5年生以上の児童約600名で「あの子らの碑」第3回設立記念式を開催。
1953 02 26 長崎城山小学校、原爆学級開設(1952年4月)から1年間の研究発表会を開催。関係者約50名が参加。被爆児(183人)は知能が劣る、疲労回復が遅い、普通児より胸囲が小さい、などの結果が報告される(長崎日々)
53 02 27 長崎市城山小学校教諭道口マチ子、冊子「原爆児の記録」をまとめる(長崎日々)。
53 03 05? 長崎大学医学部小児科教室、城山小学校の原爆児の知能調査に関連し、4月から医学的調査を2年計画で実施することを決定。(長崎日々)
53 08 05 広島市己斐小学校、「平和のつどい」を開催。4年生以上600名の児童が平和への誓いを新たにするとともに、校内72名の原爆孤児たちを慰める。
53 10 19 大阪府教育委員会、映画「ひろしま」を教育映画として推薦しないことを決める。
1954 11 02 長崎市山里小学校、「あの子らの碑」設立5周年記念式を開催。約1000人が参列。(長崎日々)
1955 03 22 広島大学附属東千田中学校、1954年4月から実施したユネスコ実験教育「原爆と平和」の結果をまとめる。
55 06 16 広島市PTA連合会、本年度事業計画として原爆被害児童の健康管理実施など決定。
55 08 06 長崎市教組・県高教組、平和教育研究集会を国際文化会館で開催(~9日)。九州各県から約700人が参加。清水幾太郎が講演。(長崎日々)
55 11 02 長崎市立山里小学校、あの子らの碑設立6周年平和祈念式を挙行。同校生徒約2000名が参列。平和の誓いを宣言。(長崎日々)
1956 01 21 広島市・幟町中学校2年佐々木雅弘(禎子兄)、同1年万代紀子(禎子友人)、原爆症で死亡した佐々木禎子をテーマに県下中学校弁論大会に出場、それぞれ2位・1位に入選。(毎日新聞)
56 04 18 修学旅行中の名古屋市の淑徳高校生徒10人、広島赤十字病院の原爆症患者を見舞う。(朝日新聞)
56 05 30 平和を築く児童生徒の会、広島市での全国連合小学校長会で、原爆の子の像建設趣意書を配布し、協力を要請。(読売新聞)
56 05 30 第8回全国連合小学校長会、広島市で開催(-31日)。
56 07 13 長崎市内小中学校長理事会、勝山小学校で開催。全校生徒に原水爆禁止世界大会のため白バラ募金に協力させることを申し合わせる。(長崎日々)
56 07 14 「平和をきずく児童生徒の会」、総会開催(約100人参加)。原爆の子の像建設募金は150万円を達成。原爆障害者慰問などについて打ち合せ。(毎日新聞)
56 08 06 名古屋市淑徳高校生徒、原爆症患者にと慰問品を寄贈。今年で3年目。(朝日新聞)
56 11 07 広島女子商学園生徒、広島原爆病院を慰問。(読売新聞)
1957 04 23 愛知淑徳高校の生徒代表4人,修学旅行の途中に広島原爆病院を慰問.
57 07 05? 長崎市城山小学校の原爆学級をテ-マとした教育映画「長崎の子」(共同映画社)、完成。
57 08 09 長崎市城山小学校、平和祈念式を挙行。
57 11 05 広島市内の私立崇徳高校の教員・生徒308名、九州一周旅行の帰途、長崎の原爆公園で犠牲者に献花し、誓いの言葉をささげる。
1958 02 15 核兵器禁止高校生連絡協議会、核兵器禁止高校生集会を東京神田・教育会館で開催。都内・神奈川・埼玉から約300人が参加。
58 03 02 巣立ちゆく原爆学級の子ら すくすく成長 普通の子より成績よい
58 03 20 長崎県内の小学校で卒業式。長崎市城山小学校でも原爆の子ら36人が卒業。
58 03 30 兵庫県伊丹高校の修学旅行生、生徒から集めた被爆者への見舞金5,000円を長崎日日新聞社に届ける。
58 06 17 名古屋市の椙山高校3年生230人の女子学生、修学旅行で長崎入りし、原爆病院の入院患者を慰問。
58 10 22 高知大学教育学部附属中学校3年生の修学旅行生一行110人、長崎入り。平和公園の祈念像前で黙祷・「原爆許すまじ」合唱の後、被爆者の体験談を聞く。代表10人が原爆病院に折鶴を届ける。
58 11 03 京浜女子短期大学附属高校の生徒3人、修学旅行の途中、長崎日日新聞社に原爆病院入院患者あての千羽鶴を寄託。
1959 06 13 東京の私立大妻女子高校の修学旅行生約500人、広島市平和記念公園の「原爆の子の像」に千羽鶴を捧げる。
59 06 20 長崎県小長井中学1年2組の代表5人、原爆病院への千羽鶴5箱を西日本新聞諌早支局に寄託(「西日本」)
59 07 07 広島県教組、広島市内で委員会を開催。-8日。8月6日に夏休暇中の児童・生徒を招集し、学校毎に「平和の祈り」を捧げることなどを協議。
59 07 25 長野大学附属小学校生徒ら5人、千羽鶴を広島市に送る。映画「千羽鶴」を見たのが契機。
59 08 09 長崎市城山小学校、校庭で慰霊祭を挙行。在校生1470人が参列。(「西日本」)
59 08 09 長崎市純心女子学園演劇部30人、原爆リズム劇「白い雲のかげに」を同校講堂で上演(「西日本」)
1960 04 30 宮崎西中学校修学旅行団(340人)、千羽鶴を長崎原爆病院の患者に届ける。
60 08 06 広島県三次市三次小学校の生徒約30人、広島市平和公園の「原爆の子の像」建立の契機になった佐々木禎子の墓(三次町の専法寺)に千羽鶴を捧げる。
67 06 20 広島女学院大学で学生対象に原爆特別講座始まる。テーマ「八月六日の意味するもの」。同大宗教委主催