出典:http://www.mofa.go.jp/mofaj/dns/ac_d/page3_001846.html
国連軍縮フェローシップ事業概要
(1)国連軍縮フェローシップは,特に開発途上国における軍縮専門家を育成するために,1978年の第1回国連軍縮特別総会において実施が決定されました。主に各国の若手外交官や国防関係者等を対象とし,国連及びジュネーブ軍縮会議における研修や関係国への訪問等をプログラムとして,1979年以降毎年実施。
(2)日本は,1982年の第2回国連軍縮特別総会における鈴木善幸総理演説において本計画参加者の広島及び長崎招待の提案い,翌83年以来毎年約30名の各国若手外交官等の訪日を実現。2016年は34年目に当たり,本年を含めこれまでに883名の参加者が我が国政府の経費負担により日本を訪問。
(3)訪日プログラムは,例年広島での原爆ドームや平和記念資料館等の視察,長崎での原爆中心地や原爆資料館等の訪問,被爆者による被爆体験講話等を通じ,被爆の実相について理解を深める。
2016年度国連軍縮フェローシップ(結果)
平成28年10月2日から8日まで,「国連軍縮フェローシップ・プログラム」により,コラロフ国連軍縮部ジュネーブ事務所顧問他25か国25名の外交官等が訪日。概要は以下のとおり。
(1)10月3日,長崎において,原爆資料館及び原爆死没者追悼記念館を視察した後,被爆者による被爆体験講話を聴講。また,原爆投下中心地碑において献花を行い,平和公園を視察。その後,被爆者や若者との懇談や,長崎大学核兵器廃絶研究センターにおける有識者との意見交換を行ったほか,永井隆記念館を視察。
(2)10月4日,広島において,広島平和文化センター主催の歓迎レセプションに参加。翌5日は,広島平和記念資料館や国立広島原爆死没者追悼平和祈念館,原爆ドーム等を視察し,広島平和都市記念碑において献花。その後,ドキュメンタリー「母たちの祈り」の鑑賞や,被爆者による被爆体験講話,広島平和文化センター理事長講話の聴講を通じて被爆の実相に対する理解を深める。翌6日午前には,放射線影響研究所での講義を聴講。
(3)10月6日夜には,東京において,外務省主催のレセプションに参加,外務省職員や国内有識者,ユース非核特使経験者等と交流を深める。翌7日には,軍縮・不拡散促進センターを訪問し,包括的核実験禁止条約(CTBT)の国内運用体制についての講義を聴講。その後,外務省において,中国における遺棄化学兵器処理プロジェクト及び日本の核軍縮・不拡散政策に関する説明を受ける。
広島市と長崎市が設置した「ヒロシマ・ナガサキ平和アピール推進委員会」からの受託事業
1 国内原爆写真展用資料の貸出し………………139
2 海外でのヒロシマ・ナガサキ原爆展の開催………139
(1)米国・セントポール市……………………………139
(2)フランス・パリ市……………………………140
3 国外原爆写真展用資料の提供…………………141
4 世界平和都市連帯の推進………………………142
○地域別平和市長会議加盟都市数…………142
○平和市長会議国・地域別加盟都市数…………143
5「広島・長崎講座」設置協力プログラム……………145
6 核兵器廃絶のための緊急行動の展開………………145
◎第3回長崎原爆犠牲者慰霊の会…………………146
受託事業(広島市からの受託事業)
1「ヒロシマ・ピースフォーラム」の開催…………92
2 広島平和記念資料館の企画展の実施……………95
(1)企画展……………………95
①「廃嘘の中に立ち上がる―平和記念資料館とヒロシマの歩み―」………96
◎歴代館長の座談会……………96
②「宮武甫・松本榮一写真展―被爆直後のヒロシマを撮る」………96
(2)被爆資料の複製(レプリカ)の製作と保存処理の実施……97
3 原爆展・平和学習用資料の充実………………98
4 第6回「ヒロシマ・ガイド」の開催……………99
5「中・高校生ピースクラブ」の開催……………99
6 被爆資料等収集の全国展開及び海外被爆資料の所在調査……101
7 図録『原爆の絵』の発行………………………101
8 平和・戦争に関する博物館等とのネットワーク…………102
9 展示・収蔵資料等の調査・研究………………102
10 平和記念資料館更新計画の策定………………104
11 市民の平和活動の資料等データベース整備………104
12 アクション21「核兵器保有国への平和メッセージの伝達」…………104
13「広島・長崎講座」の開設………………105
14 第6回平和市長会議被爆60周年記念総会の開催…………106
15 核兵器廃絶のための緊急行動(イタリアなどでの要請活動)………112
16 資機材の供与……………………112
17「姉妹・友好都市の日」の開催及び化ロシマ・メッセンジャー」の運営
(1)「姉妹・友好都市の日」記念催事の開催……………113
(2)ヒロシマ・メッセンジャーの選考等…………………115
18 施設の管理運営等…………………………………116
(1)広島平和記念資料館の管理運営…………………116
①施設の紹介………………116
②メモリアルホールの利用方法………………118
③入館者状況……………………………………120
④観覧料の収納…………………………………121
(2)広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の維持管理……121
(3)広島国際会議場の管理運営……………………122
①施設の紹介…………122
②利用方法……………124
③利用状況……………125
(4)国際交流ラウンジの運営……………………126
(5)広島市留学生会館の管理運営………………127
①施設の紹介…………127
②利用方法……………128
③交流施設の利用状況………………131
④居住施設の入居状況………………132
国際平和推進事業
開始年 |
事業名 |
備考 |
1968 |
核実験に対する抗議書簡・抗議電報 |
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1979 |
国連軍縮フェローズの受入れ |
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1982 |
世界平和都市連帯の推進 |
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1988 |
中国人民平和軍縮協会との交流 |
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1995 |
国際平和シンポジウムへの出席 |
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2003 |
長崎原爆犠牲者慰霊の会 |
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被爆体験継承普及事業
開始年 |
事業名 |
備考 |
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1968 |
原爆罹災者名簿の公開 |
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1978 |
修学旅行生への被爆証言講話等 |
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1978 |
国内原爆写真展用資料の普及・活用 |
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1980 |
原爆被災説明板及び被爆建物表示板の設置 |
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1982 |
原爆展・平和学習用資料の普及・活用 |
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1986 |
被爆者証言ビデオテープの制作 |
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1987 |
被爆体験証言者交流の集いの運営 |
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1993 |
被爆建物等保存・継承事業 |
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1994 |
平和記念資料館の企画展等の実施 |
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1998 |
広島平和記念資料館資料調査研究会発表会の開催 |
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1999 |
ヒロシマピースボランティア事業 |
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2001 |
被爆樹木の樹勢回復措置 |
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2002 |
中・高校生ピースクラブの開催 |
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2002 |
ヒロシマ・ピースフォーラム |
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2003 |
平和文化センターインターンシップ事業 |
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2004 |
次世代と描く「原爆の絵」…………… |
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2012 |
平和記念資料館再整備事業 |
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2012 |
被爆体験伝承者の養成 |
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2012 |
折り鶴に託された思いを昇華させるための取組の推進 |
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2016 |
被ばく樹木のモニタリング |
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国内原爆展雄開催 |
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英語で伝えようヒロシマセミナー |
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被爆関連映像資料のアーカイブ化 |
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旧日本銀行広島支店での平和記念資料館収蔵品の展示 |
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「新着資料展」の開催 |
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「収蔵資料の紹介」コーナーの展示 |
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被爆体験伝承者による伝承講話の定時開始 |
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折り鶴データベースの記録保存 |
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被爆体験講話会の定時開催 |
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平和・戦争に関する博物館等とのネットワーク |
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2016 |
平和記念資資料館収蔵資料の保存措置の強化 |
新規 |
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2016 |
被爆資料の収集の強化 |
新規 |
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2016 |
平和首長会議国内加盟都市会議に合わせた原爆展の開催 |
新規 |
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2016 |
三重県における原爆展の開催 |
新規 |
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2016 |
平和記念資料館ボランティアスタッフ活動支援事業 |
新規 |
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http://www.pcf.city.hiroshima.jp/hpcf/jigyo/pdf/2017/04.pdf
1 修学旅行生への被爆証言講話等………14
(1)実施状況………………………………14
(2)申し込み方法…………………………15
(3)被爆体験証言者(本財団所属)名簿…………16
2 ヒロシマピースボランティア事業……………17
3 国内原爆展の開催………………………………18
4 原爆展・平和学習用資料の貸出し……………21
(1)貸出件数………………21
(2)資料一覧………………21
(3)貸出方法………………24
☆原爆被災写真の貸出し…………25
5 被爆者証言ビデオテープの制作………………25
6 被爆体験証言者交流の集いの運営……………26
(1)全体会の実施………………26
(2)研修会の実施………………26
(3)構成団体一覧表……………27
(4)団体別被爆体験証言実施状況………28
7 次世代と描く「原爆の絵」……………29
◇被爆建物等保存・継承事業………………30
◇原爆被災説明板の設置……………………31
◇被爆樹木の樹勢回復措置…………………31
◇原爆罹災者名簿の公開……………………33
◇折り鶴データベースの記録保存…………34
◇折り鶴の保存・展示を実施………………34
◇平和記念施設保存・整備方針の策定………35
歴代広島市長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
18 |
粟屋仙吉(あわやせんきち) |
昭和18(1943)年7月10日 |
20年8月6日 |
19 |
木原七郎(きはらしちろう) |
昭和20(1945)年10月22日 |
22年3月22日 |
20 |
濱井信三(はまいしんぞう) |
昭和22(1947)年4月17日 |
26年3月31日 |
21 |
濱井信三(はまいしんぞう) |
昭和26(1951)年4月25日 |
30年4月8日 |
22 |
渡辺忠雄(わたなべただお) |
昭和30(1955)年5月2日 |
34年5月1日 |
23 |
濱井信三(はまいしんぞう) |
昭和34(1959)年5月2日 |
38年5月1日 |
24 |
濱井信三(はまいしんぞう) |
昭和38(1963)年5月2日 |
42年5月1日 |
25 |
山田節男(やまだせつお) |
昭和42(1967)年5月2日 |
46年5月1日 |
26 |
山田節男(やまだせつお) |
昭和46(1971)年5月2日 |
50年1月8日 |
27 |
荒木武(あらきたけし) |
昭和50(1975)年2月23日 |
54年2月22日 |
28 |
荒木武(あらきたけし) |
昭和54(1979)年2月23日 |
58年2月22日 |
29 |
荒木武(あらきたけし) |
昭和58(1983)年2月23日 |
62年2月22日 |
30 |
荒木武(あらきたけし) |
昭和62(1987)年2月23日 |
63年2月22日 |
31 |
平岡敬(ひらおかたかし) |
平成3(1991)年2月23日 |
7年2月22日 |
32 |
平岡敬(ひらおかたかし) |
平成7(1995)年2月23日 |
11年2月22日 |
33 |
秋葉忠利(あきばただとし) |
平成11(1999)年2月23日 |
15年2月22日 |
34 |
秋葉忠利(あきばただとし) |
平成15(2003)年2月23日 |
19年2月22日 |
35 |
秋葉忠利(あきばただとし) |
平成19(2007)年4月8日 |
23年4月7日 |
36 |
松井 一實(まついかずみ) |
平成23(2011)年4月10日 |
27年4月9日 |
37 |
松井一實(まついかずみ) |
平成27(2015)年4月12日 |
31年4月11日 |
38 |
松井一實(まついかずみ) |
平成31(2019)年4月12日 |
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2019年=平成31年は4月30日まで。5月1日からは令和元年 |
出典:https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/7/17966.html
時:1950年2月11日~3月12日
場所:広島市中央公民館
「原爆と平和」展内容案内 |
第1部 原子力
世界平和は広島から(電動装置)
原子力の象徴
元素発見の科学者
原子と湯川博士
元素表
原子図解
原子の生産
三大国と原子力
世界のウラニューム鉱山
アメリカ原子力工場の分布
原子エネルギー製産地
原子の威カースツテイン博士
原子爆弾の威力
原子の発熱量(ウラニューム)
第2部 原爆と広島
被爆直後の広島(モデオラマ)
被爆前の広島
被爆後の広島大観
被爆状況の詳細
長崎と原爆
第3部 戦争の回顧
真珠湾攻撃
原子爆弾と竹槍(東京空襲)
日本海軍の終焉 |
終戦の大詔
ミズリー艦上の降伏調印式
日本新憲法
戦費と人的損害
戦争と結果
日本の生きる道
第4部 原子力と平和
原子力と工業
原子力と交通
原子力の応用
原子力と医学
放射線と保護
原子ニュース(特設自動回転)
第5部 平和と産業
世界現勢要図
世界貿易産業図解
日本産業貿易大観
第6部 世界平和と広島
広島平和宣言
広島ピースセンターの構想
招来の大広島(パノラマ)
世界国家への構想
文化国家日本の将来
広島平和協会 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。