秋葉忠利広島市長平和宣言(1999~2010年)

1999(平成11年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

戦争の世紀だった20世紀は、悪魔の武器、核兵器を生み、私たち人類はいまだにその呪縛(じゅばく)から逃れることができません。しかしながら広島・長崎への原爆投下後54年間、私たちは、原爆によって非業の死を遂げられた数十万の皆さんに、そしてすべての戦争の犠牲者に思いを馳(は)せながら、核兵器を廃絶するために闘ってきました。

この闘いの先頭を切ったのは多くの被爆者であり、また自らを被爆者の魂と重ね合わせて生きてきた人々でした。なかんずく、多くの被爆者が世界のために残した足跡を顧みるとき、私たちは感謝の気持ちを表さずにはいられません。

大きな足跡は三つあります。

一つ目は、原爆のもたらした地獄の惨苦や絶望を乗り越えて、人間であり続けた事実です。若い世代の皆さんには、高齢の被爆者の多くが、被爆時には皆さんと同じ年ごろだったことを心に留めていただきたいのです。家族も学校も街も一瞬にして消え去り、死屍累々(ししるいるい)たる瓦礫(がれき)の中、生死の間(はざま)をさまよい、死を選んだとしてもだれにも非難できないような状況下にあって、それでも生を選び人間であり続けた意志と勇気を、共に胸に刻みたいと思います。

二つ目は、核兵器の使用を阻止したことです。紛争や戦争の度に、核兵器を使うべしという声が必ず起こります。コソボでもそうでした。しかし、自らの体験を世界に伝え、核兵器の使用が人類の破滅と同義であり、究極の悪であることを訴え続け、二度と過ちを繰り返さぬと誓った被爆者たちの意志の力によって、これまでの間、人類は三度目の愚行を犯さなかったのです。だからこそ私たちの、そして若い世代の皆さんの未来への可能性が残されたのです。

三つ目は、原爆死没者慰霊碑に刻まれ日本国憲法に凝縮された「新しい」世界の考え方を提示し実行してきたことです。復讐(ふくしゅう)や敵対という人類滅亡につながる道ではなく、国家としての日本の過ちのみならず、戦争の過ちを一身に背負って未来を見据え、人類全体の公正と信義に依拠する道を選んだのです。今年5月に開かれたハーグの平和会議で世界の平和を愛する人々が高らかに宣言したように、この考え方こそ21世紀、人類の進むべき道を指し示しています。その趣旨を憲法や法律の形で具現化したすべての国々そして人々に、私たちは心から拍手を送ります。

核兵器を廃絶するために何より大切なのは、被爆者の持ち続けた意志に倣って私たちも、「核兵器を廃絶する」強い意志を持つことです。全世界がこの意志を持てば、いや核保有国の指導者たちだけでもこの意志を持てば、明日にでも核兵器は廃絶できるからです。

強い意志は真実から生まれます。核兵器は人類滅亡を引き起こす絶対悪だという事実です。

意志さえあれば、必ず道は開けます。意志さえあれば、どの道を選んでも核兵器の廃絶に到達できます。逆に、どんなに広い道があっても、一歩を踏み出す意志がなければ、目的地には到達できないのです。特に、若い世代の皆さんにその意志を持ってもらいたいのです。

私たちは改めて日本国政府が、被爆者の果たしてきた役割を正当に評価し援護策を更に充実することを求めます。その上で、すべての施策に優先して核兵器廃絶のための強い意志を持つことを求めます。日本国政府は憲法の前文に則(のっと)って世界各国政府を説得し、世界的な核兵器廃絶への意志を形成しなくてはなりません。地球の未来のために、私たちが人間として果たさなくてはならない最も重要な責務が核兵器廃絶であることをここに宣言し、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。

2000(平成12年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

私たちは今日、20世紀最後の8月6日を迎えました。

一発の原子爆弾が作り出した地獄の日から55年、私たちは、絶望の淵(ふち)から甦(よみがえ)った被爆者と共に悲嘆にくれ、慰め励まし、怒り祈り、学び癒(いや)し、そして訴え行動してきました。その結果、広島平和記念都市建設法の制定、原爆死没者慰霊碑の建立、被爆者援護法の制定、南半球を中心とした非核兵器地帯の設定、国際司法裁判所による核兵器使用の違法性判断、包括的核実験禁止条約の締結、原爆ドームの世界遺産化、核保有国による「核兵器全廃に向けた明確な約束」等、多くの成果を挙げることができました。特に、長崎以降、核兵器が実戦において使われなかったことは全人類的成果です。しかし、今世紀中に核兵器の全廃をという私たちの願いは、残念ながら実現に至りませんでした。

21世紀には、何としてもこの悲願を達成しなくてはなりません。そのためにも今一度、より大きな文脈で被爆体験の意味を整理し直し、その表現手段を確立し、人類全体の遺産として継承していかなくてはなりません。世界遺産として認められた原爆ドーム、被爆に耐えた旧日本銀行広島支店や世界中の子どもたちから寄せられる折鶴(おりづる)の保存や活用はそのためにも重要です。また、「核兵器は違法である」という大きな成果を核兵器廃絶につなげるため、世界平和連帯都市市長会議の力を結集する必要もあります。そして人類の誰(だれ)もが自らの国家や民族の戦争責任を問い、自ら憎しみや暴力の連鎖を断つことで「和解」への道を拓(ひら)くよう、そして一日も早く人類が核兵器を全廃するよう、世界に訴え続けたいと考えています。

コンピュータはもちろん鉛筆も、いや文字さえなかった太古から今日まで、20世紀が他のどの時代とも違うのは、人類の生存そのものを脅かす具体的な危険を科学技術の力によって創(つく)り出してしまったからです。その一つが核兵器であり、もう一つが地球環境の破壊であることは、言うまでもありません。そのどちらも私たち人類が自ら創(つく)り出した問題です。その解決も当然、私たち自身の手で行わなくてはなりません。

核兵器の廃絶を世界に向って呼び掛けてきた広島は、さらに、科学技術を真に「人間的目的」のために活用するモデル都市として新たな出発をしたいと思います。広島そのものが「人間的目的」の具現化であるような未来を、広島の存在そのものが「平和」であることの実質を示す21世紀を創(つく)りたいと考えています。それは人間の存在そのものを危機に陥れた科学技術と、人類との「和解」でもあります。

朝鮮半島における南北首脳会談で両国の首脳が劇的に示してくれたのは、人間的な「和解」の姿です。私たちは、20世紀の初め日米友好の象徴として交換されたサクラとハナミズキの故事に倣(なら)い、日米市民の協力の下、広島にすべての「和解」の象徴としてハナミズキの並木を作りたいと考えています。国際的な場面においても広島は、対立や敵対関係を超える「和解」を創(つく)り出す、調停役としての役割が果せる都市に成長したいと思います。

私たちは改めて、日本国政府が、被爆者の果してきた重要な役割を正当に評価し援護策を更に充実することを求めます。その上で、核兵器廃絶のための強い意志を持ち、かつ憲法の前文に則(のっと)って、広島と共に世界に「和解」を広める役割を果すよう、強く要請します。

20世紀最後の8月6日、私たちは、人類の来し方行く末に思いを馳(は)せつつ広島に集い、一本の鉛筆があれば、何よりもまず「人間の命」と書き「核兵器廃絶」と書き続ける決意であることをここに宣言し、すべての原爆犠牲者の御霊(みたま)に衷心より哀悼の誠を捧(ささ)げます。

2001(平成13年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

今世紀初めての8月6日を迎え、「戦争の世紀」の生き証人であるヒロシマは、21世紀を核兵器のない、「平和と人道の世紀」にするため、全力を尽すことを宣言します。

人道とは、生きとし生けるものすべての声に耳を傾ける態度です。子どもたちを慈しみ育(はぐく)む姿勢でもあります。人類共通の未来を創(つく)るため和解を重んじ、暴力を否定し理性と良心に従って平和的な結論に至る手法でもあります。人道によってのみ核兵器の廃絶は可能になり、人道こそ核兵器の全廃後、再び核兵器を造り出さない保障でもあります。

21世紀の広島は人道都市として大きく羽ばたきたいと思います。世界中の子どもや若者にとって優しさに満ち、創造力とエネルギーの源であり、老若男女誰(だれ)にとっても憩いや寛(くつろ)ぎの「居場所」がある都市、万人のための「故郷(ふるさと)」を創(つく)りたいと考えています。

しかし、暦の上で「戦争の世紀」が終っても、自動的に「平和と人道の世紀」が訪れるわけではありません。地域紛争や内戦等の直接的暴力だけでなく、環境破壊をはじめ、言論や映像、ゲーム等、様々な形をした暴力が世界を覆い、高度の科学技術によって戦場は宇宙空間にまで広がりつつあります。

世界の指導者たちは、まず、こうした現実を謙虚に直視する必要があります。その上で、核兵器廃絶への強い意志、人類の英知の結晶である約束事を守る誠実さ、そして和解や人道を重視する勇気を持たなくてはなりません。

多くの被爆者は、そして被爆者と魂を重ねる人々は、人類の運命にまで自らの責任を感じ、岩をも貫き通す堅い意志を持って核兵器の廃絶と世界平和を求めてきました。被爆者にとって56年前の「生き地獄」は昨日のように鮮明だからです。その記憶と責任感、意志を、生きた形で若い世代に伝えることこそ、人類が21世紀を生き延び、22世紀へ虹色の橋を架けるための最も確実な第一歩です。

そのために私たちは、広い意味での平和教育の再活性化に力を入れています。特に、世界の主要大学で「広島・長崎講座」を開講するため私たちは努力を続けています。骨格になるのは、広島平和研究所等における研究実績です。事実に基づいた学問研究の成果を糧(かて)に、私たち人類は真実に近付いてきたからです。

今、広島市と長崎市で世界平和連帯都市市長会議が開催されています。21世紀、人道の担い手になる世界の都市が、真実に導かれ連帯することで核兵器の廃絶と世界平和を実現するための会議です。近い将来、この会議の加盟都市が先頭に立って世界中に「非核自治体」を広げ、最終的には地球全体を非核地帯にすることも夢ではありません。

わが国政府には、アジアのまとめ役として非核地帯の創設や信頼醸成のための具体的行動、ならびに国策として核兵器禁止条約締結の推進を期待します。同時に、世界各地に住む被爆者の果してきた役割を正当に評価し、彼らの権利を尊重し、さらなる援護策の充実を求めます。その上で、核兵器廃絶のための強い意志を持ち、憲法の前文に則(のっと)って、広島と共に「平和と人道の世紀」を創(つく)るよう、強く要請します。

21世紀最初の8月6日、私たちは今、目の前にある平和の瞬間(とき)を、21世紀にそして世界に広げることを誓い、すべての原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。

2002(平成14年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

57年前、「この世の終り」を経験した被爆者、それ故に「他(ほか)の誰(だれ)にもこんな思いをさせてはならない」と現世の平和を願い活動してきた被爆者にとって、再び辛(つら)く暑い夏が巡ってきました。

一つには、暑さと共に当時の悲惨な記憶が蘇(よみがえ)るからです。

それ以上に辛(つら)いのは、その記憶が世界的に薄れつつあるからです。実体験を持たない大多数の世界市民にとっては、原爆の恐ろしさを想像することさえ難しい上に、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』やジョナサン・シェルの『地球の運命』さえも忘れられつつあります。その結果、「忘れられた歴史は繰り返す」という言葉通り、核戦争の危険性や核兵器の使用される可能性が高まっています。

その傾向は、昨年9月11日のアメリカ市民に対するテロ攻撃以後、特に顕著になりました。被爆者が訴えて来た「憎しみと暴力、報復の連鎖」を断ち切る和解の道は忘れ去られ、「今に見ていろ」そして「俺の方が強いんだぞ」が世界の哲学になりつつあります。そしてアフガニスタンや中東、さらにインドやパキスタン等、世界の紛争地でその犠牲になるのは圧倒的に女性・子供・老人等、弱い立場の人たちです。

ケネディ大統領は、地球の未来のためには、全(すべ)ての人がお互いを愛する必要はない、必要なのはお互いの違いに寛容であることだと述べました。その枠組みの中で、人類共通の明るい未来を創(つく)るために、どんなに小さくても良いから協力を始めることが「和解」の意味なのです。

また「和解」の心は過去を「裁く」ことにはありません。人類の過ちを素直に受け止め、その過ちを繰り返さずに、未来を創(つく)ることにあります。そのためにも、誠実に過去の事実を知り理解することが大切です。だからこそ私たちは、世界の大学で「広島・長崎講座」を開設しようとしているのです。

広島が目指す「万人のための故郷(ふるさと)」には豊かな記憶の森があり、その森から流れ出る和解と人道の川には理性と良心そして共感の船が行き交い、やがて希望と未来の海に到達します。

その森と川に触れて貰(もら)うためにも、ブッシュ大統領に広島・長崎を訪れること、人類としての記憶を呼び覚まし、核兵器が人類に何をもたらすのかを自らの目で確認することを強く求めます。

アメリカ政府は、「パックス・アメリカーナ」を押し付けたり世界の運命を決定する権利を与えられている訳ではありません。「人類を絶滅させる権限をあなたに与えてはいない」と主張する権利を私たち世界の市民が持っているからです。

 

日本国憲法第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定しています。この規定に従うべき日本国政府の役割は、まず我が国を「他(ほか)の全(すべ)ての国と同じように」戦争のできる、「普通の国」にしないことです。すなわち、核兵器の絶対否定と戦争の放棄です。その上で、政府は広島・長崎の記憶と声そして祈りを世界、特にアメリカ合衆国に伝え、明日の子どもたちのために戦争を未然に防ぐ責任を有します。

その第一歩は、謙虚に世界の被爆者の声に耳を傾けることから始まります。特に海外に住む被爆者が、安心して平和のメッセージを世界に伝え続けられるよう、全(すべ)ての被爆者援護のための施策をさらに充実すべきです。

本日、私たち広島市民は改めて57年前を想(おも)い起し、人類共有の記憶を貴び「平和と人道の世紀」を創造するため、あらん限り努力することを誓い、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。

2003(平成15年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

今年もまた、58年前の灼熱(しゃくねつ)地獄を思わせる夏が巡って来ました。被爆者が訴え続けて来た核兵器や戦争のない世界は遠ざかり、至る所に暗雲が垂れこめています。今にもそれがきのこ雲に変り、黒い雨が降り出しそうな気配さえあります。

一つには、核兵器をなくすための中心的な国際合意である、核不拡散条約体制が崩壊の危機に瀕(ひん)しているからです。核兵器先制使用の可能性を明言し、「使える核兵器」を目指して小型核兵器の研究を再開するなど、「核兵器は神」であることを奉じる米国の核政策が最大の原因です。

しかし、問題は核兵器だけではありません。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代は正に戦後から戦前へと大きく舵(かじ)を切っているからです。また、米英軍主導のイラク戦争が明らかにしたように、「戦争が平和」だとの主張があたかも真理であるかのように喧伝(けんでん)されています。しかし、この戦争は、国連査察の継続による平和的解決を望んだ、世界の声をよそに始められ、罪のない多くの女性や子ども、老人を殺し、自然を破壊し、何十億年も拭(ぬぐ)えぬ放射能汚染をもたらしました。開戦の口実だった大量破壊兵器も未(いま)だに見つかっていません。

かつてリンカーン大統領が述べたように「全(すべ)ての人を永遠に騙(だま)すことはできません」。そして今こそ、私たちは「暗闇(くらやみ)を消せるのは、暗闇(くらやみ)ではなく光だ」という真実を見つめ直さなくてはなりません。「力の支配」は闇(やみ)、「法の支配」が光です。「報復」という闇(やみ)に対して、「他(ほか)の誰(だれ)にもこんな思いをさせてはならない」という、被爆者たちの決意から生まれた「和解」の精神は、人類の行く手を明るく照らす光です。

その光を掲げて、高齢化の目立つ被爆者は米国のブッシュ大統領に広島を訪れるよう呼び掛けています。私たちも、ブッシュ大統領、北朝鮮の金総書記をはじめとして、核兵器保有国のリーダーたちが広島を訪れ核戦争の現実を直視するよう強く求めます。何をおいても、彼らに核兵器が極悪、非道、国際法違反の武器であることを伝えなくてはならないからです。同時に広島・長崎の実相が世界中により広く伝わり、世界の大学でさらに多くの「広島・長崎講座」が開設されることを期待します。

また、核不拡散条約体制を強化するために、広島市は世界の平和市長会議の加盟都市並びに市長に、核兵器廃絶のための緊急行動を提案します。被爆60周年の2005年にニューヨークで開かれる核不拡散条約再検討会議に世界から多くの都市の代表が集まり、各国政府代表に、核兵器全廃を目的とする「核兵器禁止条約」締結のための交渉を、国連で始めるよう積極的に働き掛けるためです。

同時に、世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼び掛けます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞は弄(ろう)せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。

また「唯一の被爆国」を標榜(ひょうぼう)する日本政府は、国の内外でそれに伴う責任を果さなくてはなりません。具体的には、「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする新・非核三原則を新たな国是とした上で、アジア地域の非核地帯化に誠心誠意取り組み、「黒い雨降雨地域」や海外に住む被爆者も含めて、世界の全(すべ)ての被爆者への援護を充実させるべきです。

58年目の8月6日、子どもたちの時代までに、核兵器を廃絶し戦争を起こさない世界を実現するため、新たな決意で努力することを誓い、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に衷心より哀悼の誠を捧(ささ)げます。

2004(平成16年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

「75年間は草木も生えぬ」と言われたほど破壊し尽された8月6日から59年。あの日の苦しみを未(いま)だに背負った亡骸(なきがら)——愛する人々そして未来への思いを残しながら幽明界(ゆうめいさかい)を異(こと)にした仏たちが、今再び、似島(にのしま)に還(かえ)り、原爆の非人間性と戦争の醜さを告発しています。

残念なことに、人類は未(いま)だにその惨状を忠実に記述するだけの語彙(ごい)を持たず、その空白を埋めるべき想像力に欠けています。また、私たちの多くは時代に流され惰眠(だみん)を貪(むさぼ)り、将来を見通すべき理性の眼鏡は曇り、勇気ある少数には背を向けています。

その結果、米国の自己中心主義はその極に達しています。国連に代表される法の支配を無視し、核兵器を小型化し日常的に「使う」ための研究を再開しています。また世界各地における暴力と報復の連鎖は止(や)むところを知らず、暴力を増幅するテロへの依存や北朝鮮等による実のない「核兵器保険」への加入が、時代の流れを象徴しています。

このような人類の危機を、私たちは人類史という文脈の中で認識し直さなくてはなりません。人間社会と自然との織り成す循環が振り出しに戻る被爆60周年を前に、私たちは今こそ、人類未曾有(みぞう)の経験であった被爆という原点に戻り、この一年の間に新たな希望の種を蒔(ま)き、未来に向かう流れを創(つく)らなくてはなりません。

そのために広島市は、世界109か国・地域、611都市からなる平和市長会議と共に、今日から来年の8月9日までを「核兵器のない世界を創(つく)るための記憶と行動の一年」にすることを宣言します。私たちの目的は、被爆後75年目に当る2020年までに、この地球から全(すべ)ての核兵器をなくすという「花」を咲かせることにあります。そのときこそ「草木も生えない」地球に、希望の生命が復活します。

私たちが今、蒔(ま)く種は、2005年5月に芽吹きます。ニューヨークで開かれる国連の核不拡散条約再検討会議において、2020年を目標年次とし、2010年までに核兵器禁止条約を締結するという中間目標を盛り込んだ行動プログラムが採択されるよう、世界の都市、市民、NGOは、志を同じくする国々と共に「核兵器廃絶のための緊急行動」を展開するからです。

そして今、世界各地でこの緊急行動を支持する大きな流れができつつあります。今年2月には欧州議会が圧倒的多数で、6月には1183都市の加盟する全米市長会議総会が満場一致でより強力な形の、緊急行動支持決議を採択しました。

その全米市長会議に続いて、良識ある米国市民が人類愛の観点から「核兵器廃絶のための緊急行動」支持の本流となり、唯一の超大国として核兵器廃絶の責任を果すよう期待します。

私たちは、核兵器の非人間性と戦争の悲惨さとを、特に若い世代に理解してもらうため、被爆者の証言を世界に届け、「広島・長崎講座」の普及に力を入れると共に、さらにこの一年間、世界の子どもたちに大人の世代が被爆体験記を読み語るプロジェクトを展開します。

日本国政府は、私たちの代表として、世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮を匡(ただ)すべきです。また、唯一の被爆国の責務として、平和市長会議の提唱する緊急行動を全面的に支持し、核兵器廃絶のため世界のリーダーとなり、大きなうねりを創(つく)るよう強く要請します。さらに、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

本日私たちは、被爆60周年を、核兵器廃絶の芽が萌(も)え出る希望の年にするため、これからの一年間、ヒロシマ・ナガサキの記憶を呼び覚ましつつ力を尽し行動することを誓い、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げます。

2005(平成17年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

被爆60周年の8月6日、30万を越える原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが幽明(ゆうめい)の界(さかい)を越え、あの日を振り返る慟哭(どうこく)の刻(とき)を迎えました。それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻(とき)でもあります。この決意は、全(すべ)ての戦争犠牲者や世界各地で今この刻(とき)を共にしている多くの人々の思いと重なり、地球を包むハーモニーとなりつつあります。

その主旋律は、「こんな思いを、他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならない」という被爆者の声であり、宗教や法律が揃(そろ)って説く「汝(なんじ)殺すなかれ」です。未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります。9年前の国際司法裁判所の勧告的意見はそのための大切な一歩です。また主権国家の意思として、この真理を永久に採用した日本国憲法は、21世紀の世界を導く道標(みちしるべ)です。

しかし、今年の5月に開かれた核不拡散条約再検討会議で明らかになったのは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮等の核保有国並びに核保有願望国が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。

これらの国々は「力は正義」を前提に、核兵器の保有を入会証とする「核クラブ」を結成し、マスコミを通して「核兵器が貴方(あなた)を守る」という偽りの呪(まじな)いを繰り返してきました。その結果、反論する手段を持たない多くの世界市民は「自分には何もできない」と信じさせられています。また、国連では、自らの我儘を通せる拒否権に恃(たの)んで、世界の大多数の声を封じ込めています。

この現実を変えるため、加盟都市が1080に増えた平和市長会議は現在、広島市で第6回総会を開き、一昨年採択した「核兵器廃絶のための緊急行動」を改訂しています。目標は、全米市長会議や欧州議会、核戦争防止国際医師の会等々、世界に広がる様々な組織やNGOそして多くの市民との協働の輪を広げるための、そしてまた、世界の市民が「地球の未来はあたかも自分一人の肩に懸かっているかのような」危機感を持って自らの責任に目覚め、新たな決意で核廃絶を目指して行動するための、具体的指針を作ることです。

まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。それは、ジュネーブでの軍縮会議、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。

さらに国連総会がこの特別委員会の勧告に従い、2020年までに核兵器の廃絶を実現するための具体的ステップを2010年までに策定するよう、期待します。

同時に私たちは、今日から来年の8月9日までの369日を「継承と目覚め、決意の年」と位置付け、世界の多くの国、NGOや大多数の市民と共に、世界中の多くの都市で核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開します。

日本政府は、こうした世界の都市の声を尊重し、第一委員会や総会の場で、多数決による核兵器廃絶実現のために力を尽くすべきです。重ねて日本政府には、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

被爆60周年の今日、「過ちは繰返さない」と誓った私たちの責任を謙虚に再確認し、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げます。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

2006(平成18年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

放射線、熱線、爆風、そしてその相乗作用が現世(げんせ)の地獄を作り出してから61年——悪魔に魅入られ核兵器の奴隷と化した国の数はいや増し、人類は今、全(すべ)ての国が奴隷となるか、全(すべ)ての国が自由となるかの岐路に立たされています。それはまた、都市が、その中でも特に罪のない子どもたちが、核兵器の攻撃目標であり続けて良いのか、と問うことでもあります。

一点の曇りもなく答は明らかです。世界を核兵器から解放する道筋も、これまでの61年間が明確に示しています。

被爆者たちは、死を選んだとしても誰(だれ)も非難できない地獄から、生と未来に向かっての歩みを始めました。心身を苛(さいな)む傷病苦を乗り越えて自らの体験を語り続け、あらゆる差別や誹謗(ひぼう)・中傷を撥(は)ね返して「他(ほか)の誰(だれ)にもこんな思いをさせてはならない」と訴え続けてきたのです。その声は、心ある世界の市民に広がり力強い大合唱になりつつあります。

「核兵器の持つ唯一の役割は廃絶されることにある」がその基調です。しかし、世界政治のリーダーたちはその声を無視し続けています。10年前、世界市民の創造力と活動が勝ち取った国際司法裁判所による勧告的意見は、彼らの蒙(もう)を啓(ひら)き真実に目を向けさせるために、極めて有効な手段となるはずでした。

国際司法裁判所は、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」との判断を下した上で、「全(すべ)ての国家には、全(すべ)ての局面において核軍縮につながる交渉を、誠実に行い完了させる義務がある」と述べているからです。

核保有国が率先して、誠実にこの義務を果していれば、既に核兵器は廃絶されていたはずです。しかし、この10年間、多くの国々、そして市民もこの義務を真正面からは受け止めませんでした。私たちはそうした反省の上に立って、加盟都市が1403に増えた平和市長会議と共に、核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果すよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)を「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」の第二期の出発点として位置付け展開します。さらに核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets)プロジェクト」に、取り組みます。

核兵器は都市を壊滅させることを目的とした非人道的かつ非合法な兵器です。私たちの目的は、これまで都市を人質として利用してきた「核抑止論」そして「核の傘」の虚妄を暴き、人道的・合法的な立場から市民の生存権を守ることにあります。

この取組の先頭を切っているのは、米国の1139都市が加盟する全米市長会議です。本年6月の総会で同会議は、自国を含む核保有国に対して核攻撃の標的から都市を外すことを求める決議を採択しました。

迷える羊たちを核兵器による呪(のろい)から解き放ち、世界に核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私たち世界の市民と都市にあります。岩をも通す固い意志と燃えるような情熱を持って私たちが目覚め起(た)つ時が来たのです。

日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、核保有国に対して「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果せ」と迫る、世界的運動を展開するよう要請します。そのためにも世界に誇るべき平和憲法を遵守し、さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した人間本位の温かい援護策を充実するよう求めます。

未(いま)だに氏名さえ分らぬ多くの死没者の霊安かれと、今年改めて、「氏名不詳者多数」の言葉を添えた名簿を慰霊碑に奉納しました。全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げ、人類の未来の安寧を祈って合掌致します。

2007(平成19年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)——静寂——阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。

落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人——辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。

14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。

それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。

しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えいごう)忘れてはなりません。

こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。

しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。

世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。

我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。

唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。

2008(平成20年)年平和宣言(広島)

平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡(のうり)に、63年前がそのまま蘇(よみがえ)る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」———被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰(だれ)にもさせない」ための決意を新たにする日です。

しかし、被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過少評価され、未だに被害の全貌(ぜんぼう)は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2か年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生れた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

昨年11月、科学者や核問題の専門家などの議論を経て広島市がまとめた核攻撃被害想定もこの真理を裏付けています。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全(すべ)ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生れています。市民が都市単位で協力し人類的な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します。

また来月、我が国で初めて、G8下院議長会議が開かれます。開催地広島から、「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待しています。

被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓います。

2009(平成21年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

人類絶滅兵器・原子爆弾が広島市民の上に投下されてから64年、どんな言葉を使っても言い尽せない被爆者の苦しみは今でも続いています。64年前の放射線が未(いま)だに身体を蝕(むしば)み、64年前の記憶が昨日のことのように蘇(よみがえ)り続けるからです。

幸いなことに、被爆体験の重みは法的にも支えられています。原爆の人体への影響が未(いま)だに解明されていない事実を謙虚に受け止めた勇気ある司法判断がその好例です。日本国政府は、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した援護策を充実すると共に、今こそ省庁の壁を取り払い、「こんな思いを他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならぬ」という被爆者たちの悲願を実現するため、2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきです。

今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。

それに応(こた)えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々(ますます)高まる日本国憲法に凝縮されています。

全世界からの加盟都市が3,000を超えた平和市長会議では、「2020ビジョン」を具体化した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、来年のNPT再検討会議で採択して貰(もら)うため全力疾走しています。採択後の筋書は、核実験を強行した北朝鮮等、全(すべ)ての国における核兵器取得・配備の即時停止、核保有国・疑惑国等の首脳の被爆地訪問、国連軍縮特別総会の早期開催、2015年までの核兵器禁止条約締結を目指す交渉開始、そして、2020年までの全(すべ)ての核兵器廃絶を想定しています。明日から長崎市で開かれる平和市長会議の総会で、さらに詳細な計画を策定します。

2020年が大切なのは、一人でも多くの被爆者と共に核兵器の廃絶される日を迎えたいからですし、また私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、次の世代への最低限の責任さえ果したことにはならないからです。

核兵器廃絶を視野に入れ積極的な活動を始めたグローバル・ゼロや核不拡散・核軍縮に関する国際委員会等、世界的影響力を持つ人々にも、2020年を目指す輪に加わって頂きたいと願っています。

対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつあります。その芽を伸ばし、さらに大きな問題を解決するためには、国連の中にこれら市民の声が直接届く仕組みを創(つく)る必要があります。例えば、これまで戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市100、そして、人口の多い都市100、計200都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案です。

被爆64周年の平和記念式典に当り、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の多数派の市民そして国々と共に、核兵器のない世界実現のため渾身(こんしん)の力を振り絞ることをここに誓います。

最後に、英語で世界に呼び掛けます。

We have the power. We have the responsibility. And we are the Obamajority.

Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.

2010(平成22年)年平和宣言(広島)秋葉忠利

「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊(みたま)と共に、改めて「こがあな いびせえこたあ、ほかの誰(だれ)にも あっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。

ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。

今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全(すべ)ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓(ひら)くために必要であることが確認されました。

核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。

また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲(く)み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。

このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。

こうした絶好の機会を捉(とら)え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑(つぶ)っている人もまだ多いからです。

今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全(すべ)ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。

また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全(すべ)ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。

私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創(つく)ります。

最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全(すべ)ての被爆者が「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。