村上経行
むらかみ・つねゆき | 191804生201107没 | 享年93歳 | 『平和に生きる』(村上経行後援会、1972.10.1)、『広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん』(村上経行後援会、1975.12.25)、 |
『広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん』(村上経行後援会、1975.12.25)<抄>
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村上経行
むらかみ・つねゆき | 191804生201107没 | 享年93歳 | 『平和に生きる』(村上経行後援会、1972.10.1)、『広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん』(村上経行後援会、1975.12.25)、 |
『広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん』(村上経行後援会、1975.12.25)<抄>
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宮本顕治
みやもと・けんじ | 19081017生20070718没 | 享年98歳 | 日本共産党中央委員会議長、幹部会委員長、中央委員会議長。 |
資料年表:宮本顕治<作業中>
年月日 | 事項 | 出典など |
C=『中国新聞』 | ||
1908 | ||
1017 | 山口県光市生 | |
1958 | ||
0811 | 広島―東京平和行進と長崎―広島―東京自転車平和リレー、六郷橋(東京の入り口)到着。浅沼稲次郎(社会党)・宮本顕治ら出迎え。 | C |
08 | 日本共産党中央委員会書記長 | |
1964 | ||
0902 | 宮本書記長、赤旗紙上でソ連共産党へ、部分核停条約締結について「帝国主義者に譲歩と妥協をあえてした」と反撃。 | C |
1017 | 宮本書記長、「中国の核実験は祖国の防衛だけでなく、アジアにおける核戦争を防止するための防衛的な措置」と声明。 | C |
1967 | ||
1213 | 畑中政春(日本原水協代表理事)・吉田嘉清(事務局長)、山本幸一社会党書記長・宮本共産党書記長をそれぞれ訪れ、被爆者援護法実現への協力申入れ。 | C |
1968 | ||
0611 | 宮本共産党書記長、山本幸一社会党書記長に「原水禁運動統一問題での協議」を申入れ。山本幸一書記長、了承。12日、社会党、組織の根本に関する問題を政党レベルで話し合うことは政党の干渉になると、協議を断ることを決定。 | C |
1969 | ||
0804 | 第15回原水禁世界大会本会議開会総会(広島県立体育館)。宮本書記長があいさつ。広島県庁で記者会見。統一問題について語る | C |
1970 | ||
07 | 日本共産党幹部会委員長 | |
1973 | ||
0705 | 宮本委員長、国会内で記者会見。「今後は社会主義国の核実験でも反対する」。 | C |
1977 | ||
0127 | 宮本委員長、記者会見。原水禁運動統一問題について総評とのトップ会談で一致点が確認されれば統一は可能と語る。 | C |
0315 | 宮本委員長、記者会見。原水禁運動統一問題にとって被爆国際シンポジウムが開かれることしはチャンスと語る。 | C |
0704 | 宮本委員長、広島市で記者会見。統一大会反対の動きを批判。 | C |
1982 | ||
07 | 日本共産中央委員会議長 | |
1984 | ||
1217 | 日ソ共産党の宮本議長とチェルネンコ書記長、モスクワで会談。核廃絶に向け両党の協力をうたった共同声明。 | C |
1985 | ||
0505 | 『核兵器廃絶への道』(新日本出版社) | |
2007 | ||
0718 | 宮本顕治没 | |
2015 | ||
0501 | 県立山口図書館、戦後70年企画で山口ゆかりの文学者(宮本元共産党議長ら5人)が戦争体験を題材にした小説など展示。~8月27日。 | |
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那須正幹
19420606生20210722没 | なす・まさもと | 享年79 | 児童文学作家、小説家。『広島県現代文学事典』 |
関連資料
年月日 | 資料名 | 備考 |
20190806 | 「筆に託して 戦争体験と表現〈1〉児童文学作家 那須正幹さん(77)防府市」(増田咲子記者『中国新聞』20190806掲載) | |
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日野原重明
ひのはら・しげあき | 20170718 没 | 享年105歳 | 聖路加国際病院理事長。 |
日野原重明
宇吹メモ(広島女学院大学勤務期)
2005 | 10 | 20 | 12:30 | 木曜日チャペル:日野原重明(聖路加国際病院名誉院長・同理事長)「信仰・望み・愛」。出席。 |
2005 | 10 | 21 | 18 | 日野原重明・小沢征爾『世界へおくる平和のメッセージ』。広島県立総合体育館。グリーンアリーナ。参加できず。 |
2005 | 11 | 03 | 15:00 | BS2「共鳴する魂~日野原重朗・小沢征爾 世界へおくる平和のメッセージ~」。冒頭、一部分撮り損ねる。~16:40。 |
2006 | 12 | 25 | 13:30 | 日野原重朗講演会(私は欠席。1470名以上参加した由)。 |
2007 | 04 | 12 | 24 | ***から自宅に日野原の講演のチケットの礼の電話があった由。 |
a9 | 07 | 10 | 10:40 | 日野原先生講演会。不参加。 |
b0 | 05 | 27 | 15:00 | 日野原講演会。不参加。参加者は1200人あった由。 |
広島平和記念都市建設方案 (昭和24.9.20立案)
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広島大学蔵 |
原爆にたをれむ人もやすらかに平和の光受けて眠らむ
広島平和記念都市建設方案 (昭和24.9.20立案) |
企画部 | 建設構想の研究、実施の促進 | ||
建設法に伴ふ国家各機関との交渉 | ||||
建設予算編成と財源捻出(県市、国家、外国) | ||||
都市形態整備 | 特殊的 | 記念保存物調査決定(産業奨励館、原爆十景等) | ||
新建設物 | 慰霊塔(平和塔) | |||
記念館 | ||||
美術館 | ||||
科学館 | ||||
一般的 | 土木工事 | 道路 公園 | ||
軌道 ガス | ||||
上下水道 | ||||
橋梁 | ||||
建築工事 | 公共文化、社会事業的建造物 | |||
個人住宅 | ||||
内容充実 | 霊場設置 | 二十万犠牲者の鎮魂場 | ||
原爆資料 | 実物、写真 | 調査蒐集 | ||
文書、統計 | ||||
平和精神涵養 | 講演会(教育、宗教、文化団体連絡) | |||
雑誌(平和協会ヨリ発行) | ||||
市旗(平和都市象徴・各戸掲揚) | ||||
平和祭発展 | 行事の研究(世界的構想へ) | |||
市民の熱意表現工夫 | ||||
世界平和運動 | 国際連合、ユネスコ連絡(行事) | |||
会場の建設 | ||||
文化施設内容 | 美術館 | 資料研究、調査、蒐集 | ||
科学館 |
千田書房(店主=山崎与三郎)
やまさき・よさぶろう | 19760704没 | 享年86 |
資料
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広島大学原医研資料 20201030撮影 | |
増岡敏和
ますおか・としかず 2010年7月28日没 享年82歳
8月6日(1945年)には海軍の予科練(飛行機練習生)で松山航空隊に入隊、8月6日頃は軍隊疎開で愛媛県の南部の深浦町にいた。敗戦の数日以内に広島市に帰る。祖母、母、長妹(原爆死)、次妹被爆弟たちは学童疎開中。
資料
年月日 | タイトル | 形態・メモ |
19560601 | 請願書(広島県原爆被害者団体協議会) | |
19920911 | 増岡⇒ 吉川生美 | 書簡 |
吉川生美⇒ 宇吹 | 書簡 | |
19920923 | 増岡⇒ 吉川生美 | 葉書 |
19921006 | 宇吹⇒吉川生美 | 書簡(控) |
同上同封資料『東友文庫5 「ヒロシマ・ナガサキから何を学ぶか」被爆45周年連続学習講座 第5集 被爆者・国民は何をしてきたか』 | ||
19921030 | 宇吹⇒増岡 | 書簡(控) |
19921105 | 増岡⇒ 宇吹 | 葉書 |
19940712 | 増岡持参資料 | 紙1枚 |
「不屈の原水禁・被爆者運動前史―「占領期の広島」手控え」 | ||
19930124 | 1992年度久保医療文化研究所講演録(久保医療文化研究所) | 冊子 |
第68回講演会(19920314)増岡敏和「広島における反原爆文化運動の原点」 |
山崎与三郎
やまさき・よさぶろう | 19760704没 | 享年86 |
資料
体験記 『吾家の原爆体験記 死線を越えて』(山崎与三郎、19730715)
目次 | ||
1 | はしがき | |
2 | 山崎基定(長男) | あの日の思い出 |
3 | 山崎キミ( 妻) | 家の下敷から救われた命 |
4 | 八木道子(長女) | 灰燼の中に幼児を抱きて |
5 | 山崎与三郎(父) | 死線を越えて |
6 | あとがき | |
編著書
原爆関係文献目録 広島・長崎を中心とする | 山崎与三郎編、千田書房 | 19540723 | U |
原爆被災資料総目録 第二集 | 原爆被災資料広島研究会 | 19700806 | U |
創立百周年記念誌 | 広島市立本川小学校 | 19730110 | |
平和の聖都ひろしま 広島巡礼案内 | 山崎与三郎著 高橋謄写堂 | 19750720 | U |
吾家の原爆体験記 死線を越えて | |||
大原三八雄
19920706没 | おおはら・みやお | 享年87 | 「広島詩集 1965」(広島県詩人協会)、「世界原爆詩集」(角川文庫)を編集。広島女子大学・広島工業大学名誉教授。『広島県現代文学事典』 |
『今中次麿―生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)
目次
まえがき | ||
Ⅰ | 私の政治学の歩み | 今中次麿 |
Ⅱ | 時々事々 | 今中次麿 |
Ⅲ | ||
Ⅳ | ||
Ⅴ | ||
Ⅵ | ||
Ⅶ | ||
今中先生と平和運動―広島大学人会を中心として | 佐久間澄 | |
回想の五十年 | 今堀誠二 | |
今中先生を偲んで | 後藤陽一 | |
今中先生を偲ぶ | 佐藤正夫 | |
留守番としての交わり | 山代巴 | |
今中先生の笑顔 | 狭田喜義 | |
今中先生と私 | 山口利男 | |
今中先生を偲んで | 石田明 | |
マルキシズムを超えることだ | 中村吉男 | |
「畏敬」の対象としての先生 | 山田浩 | |
今中先生のこと―思い出すままに | 大西典茂 | |
今中門下の末っ子として | 北西允 | |
広島大学時代の先生 | 池田重久 | |
今中先生の思い出―「今中大学日記」寄託のことなど | 頼和子 | |
Ⅷ | ||
Ⅸ | 学者として、人間として―父を語る | 今中比呂志 |
今中次麿年譜 | ||
遺稿目録 | ||
あとがき <大西典茂・北西允・中村義知・山田浩 > | ||