大山広司
おおやま・ひろし | 1918******生20090904没 | 享年91歳 | 元広島県議会議長、元全国都道府県議会議長会会長。『広島県議の半世紀 : 五人の知事に相まみえて : 大原博夫氏・永野巌雄氏・宮澤弘氏・竹下虎之助氏・藤田雄山氏』(大山広司・述、大平泰・記、溪水社、2005)<資料年表:大山広司> |
止
大山広司
おおやま・ひろし | 1918******生20090904没 | 享年91歳 | 元広島県議会議長、元全国都道府県議会議長会会長。『広島県議の半世紀 : 五人の知事に相まみえて : 大原博夫氏・永野巌雄氏・宮澤弘氏・竹下虎之助氏・藤田雄山氏』(大山広司・述、大平泰・記、溪水社、2005)<資料年表:大山広司> |
止
資料年表:岩佐幹三<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1929 | ||
**** | 誕生 | |
1945 | ||
0806 | 修道中学校在学。 16歳。広島市富士見町の自宅庭で被爆。母と妹を亡くす。 | |
1960 | ||
**** | 石川県原爆被災者友の会を設立。 | |
1983 | ||
0615 | 『広島・長崎を考える平和ゼミナール記録集1 ヒロシマヘの旅』(全国大学生活協同組合連合会) | |
●講演 :岩佐幹三「くらしと平和」 16 | ||
1984 | ||
0108 | 『石川県平和委員会のあゆみ 再建20周年を記念して』(石川県平和委員会) | |
祝いのことば一決意と連帯一 (2)岩佐幹三 | ||
1215 | 『広島・長崎を考える平和ゼミナール記録集4 PEACE NOW! HIROSHIMA ’84』(全国大学生活協同組合連合会) | |
PEACE NOW! HIROSHIMA’84 開会集会・あいさつ 岩佐幹三 4 |
||
被爆問題国際シンポジウム報告書 一九七七年国連NGOシンポジウム調査 一般調査に関する報告 岩佐幹三 (1) |
||
1986 | ||
0325 | 『鶴よはばたけ 「再び被爆者をつくらぬ」ために 創立二十五周年記念』(石川県原爆被災者友の会) | |
1990 | ||
0310 | 『被爆者援護法 核時代の人権宣言 かもがわブックレット 25』(被爆45周年に被爆者援護法を実現する京都の会編、かもがわ出版) | |
1 ひたたび被爆者をつくらぬために 岩佐幹三 5 被爆体験を語り継ぐ/なぜ援護法なのか/わたしのヒロシマ体験/原爆は人間に |
||
1994 | ||
0625 | 『原爆被害者調査 ヒロシマ・ナガサキ死と生の証言』(日本原水爆被害者団体協議会編、新日本出版社) | |
岩佐幹三「はじめに 日本被団協原爆被害者調査結果から読みとったこと」 17 | ||
1995 | ||
0401 | 『被爆者援護法国会審議参考人の意見陳述 東友文庫 , 8』(東京都原爆被害者団体協議会(東友会)) | |
参議院厚生委員会・参考人質疑 横川嘉範 …33 岩佐幹三 …47 |
||
0730 | 『青い空を いしかわの被爆者たちの50年』(石川県原爆被災者友の会編、若草書房) | |
第三部 被爆者運動 友の会の活動 西本多美子…141 被爆者の方の精密検査や診療に取り組んで 服部真…145 『この子たちの夏』をきっかけに 北市邦男…147 被爆者の悲願 谷岡房江…149 新しい法律の制定と国の被爆者援護対策の意味 岩佐幹三…151 |
||
2002 | ||
0301 | 『原爆と文学 2002年版』(原爆と文学の会) | |
証言 岩佐幹三「火の下の母の般若心経と行方不明に妹を探して」10 | ||
2003 | ||
0806 | 『原水協通信 第714号』(原水爆禁止日本協議会) | |
原爆症集団訴訟に支援を 岩佐幹三さん(日本被団協) 8 | ||
2008 | ||
0710 | 『自分史つうしんヒバクシャ 第186号』(栗原淑江) | |
本編 日本が変われば 世界が変わる 9条守ろうの熱気集め「世界会議」に3万人 つうしんNO.186(2008.7)―1 岩佐幹三さん(千葉) |
||
2009 | ||
0501 | 『ふたたび被爆者をつくるな 日本被団協50年史 1956-2006 本巻』(日本原水爆被害者団体協議会日本被団協史編集委員会編著、あけび書房) | |
1章 きのこ雲の下で…17 1 それは地獄絵そのものだった――岩佐幹三の証言 |
||
0701 | 『8月の晴れた日に 14』(被爆体験聞き書き行動実行委員会、コープネット労働組合平和部) | |
●第2部 被爆の体験をどう受け継いでいくのか 私の被爆体験と「原爆被害者の基本要求」 岩佐幹三さん(日本被団協事務局次長)…32 |
||
2010 | ||
0705 | 『法と民主主義 No.450』(日本民主法律家協会) | |
70 とっておきの一枚●被団協事務局次長 岩佐幹三先生………佐藤むつみ | ||
2012 | ||
0615 | 『核兵器・核実験モニター 第401-2号』(ピースデポ) | |
[連載]いま語る―45 岩佐幹三(日本被団協代表委員) | ||
2013 | ||
0331 | 『ヒバクシャからの手紙 被爆体験記集 第1巻』(広島平和文化センター 編集、厚生労働省・国立広島原爆死没者追悼平和祈念館) | |
岩佐 幹三 広島 第1巻 399 | ||
2014 | ||
0531 | 『広島の声』(P.R.プラシド・上田紘治編著、東洋書店) | |
原爆被害について考える-核時代に私たち人類はどう向き合うか- 岩佐幹三 25 | ||
1001 | 『国際平和博物館会議 第8回 日本参加者報告書』(安斎科学・平和事務所) | |
感想文集…8~40 岩佐幹三…11 |
||
2015 | ||
0330 | 『シリーズ戦争語りつごうヒロシマ・ナガサキ 2 キノコ雲の下で起きたこと』(安斎育郎文・監修、新日本出版社) | |
被爆者証言① 8月6日、母と妹におくる手紙 岩佐幹三さん(千葉県) 14 |
||
2020 | ||
0907 | 死亡。享年91歳 | |
1006 | 『被団協 第501号』(日本原水爆被害者団体協議会) | |
岩佐幹三顧問 死去 | ||
2021 | ||
1106 | 『被団協 第514号』(日本原水爆被害者団体協議会) | |
岩佐幹三さん追悼集『被爆者を超え人間として伝えたい』 | ||
止
岩佐幹三
いわさ・みきそう | 1929******生20200907没 | 享年91歳 | 修道中学在学中、被爆。1953年金沢大学教官となり同大名誉教授。1960年「石川県原爆被災者友の会」を設立。日本被団協事務局次長(2000年)・同会代表委員(2011年)<資料年表:岩佐幹三> |
止
資料年表:堀田善衛<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1918 | ||
0717 | 誕生 | |
1951 | ||
0801 | 『人間 6巻8号』(目黒書店) | |
廣場の孤獨 堀田善衛 71 | ||
1953 | ||
0630 | 『日本詩人全集 第11巻 戦後百人集 創元文庫』(村野四郎 編、創元社) | |
堀田善衛 現代史 61 | ||
1954 | ||
0601 | 『婦人公論 6月号第446号』(中央公論社) | |
連載第6回 マリー・アントアネット 堀田善衛 238 | ||
1957 | ||
1112 | 『岩波講座現代思想第11巻 現代日本の思想』(岩波雄二郎編、岩波書店) | |
Ⅴ 知識人の問題 日本の知誠人 堀田善衛 157 |
||
1219 | 『インドで考えたこと 岩波新書』(岩波書店) | |
1958 | ||
0220 | 『講座現代倫理 第2巻 悪について』(筑摩書房) | |
暴力 堀田善衛 160 | ||
1998 | ||
0905 | 没 | |
2010 | ||
1220 | 『広島県現代文学事典』(勉誠出版、山根繁樹・記) | |
「堀田善衛」(山根繁樹・記) | ||
止
ほった・よしえ | 19180717生19980905没 | 享年80歳 | 小説家。19180717 |
資料年表:サイド・オマール<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1926 | ||
0728 | 誕生 | |
1943 | ||
*** | 南方特別留学生として来日。当時17歳。 | |
1944 | ||
*** | 広島高師文科興南部に入学。 | |
1945 | ||
0806 | 興南寮で原爆被爆。 | |
0830 | 帰国のため上京途次に京都で発病、京大附属病院入院。 | |
0903 | 午後11時57分、死亡。出典:『生死の火』 | |
1957 | ||
0817 | S・M・アルサゴフ(シンガポールに住む哲学者)から広島市に依頼の手紙。弟のサイド・オマールの死亡証明書が欲しい。 | C |
1964 | ||
0516 | サイド・モフシン・アルサゴル(オマールの兄)らマレーシア人留学生2人の遺族、広島市を訪問。 | C |
1974 | ||
0903 | オマールの「墓を守る会」(園部健吉代表世話人)発足。円光寺(京都市)での法要に飯島宗一広島大学長らが参列。 | C |
1975 | ||
0806 | 『生死の火 広島大学原爆被災誌』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会) | |
4 留学生 339 | ||
サイド・オマール・ビン・モハメッド・アルサゴル | ||
1980 | ||
1031 | 『被爆南方特別留学生オマール少年の墓(思い出の記 第3集)』(園部健吉著、圓光寺) | |
1982 | ||
0515 | 『天の羊 被爆死した南方特別留学生』(中山士朗著、三交社) | |
1991 | ||
0525 | 『日本の原爆記録13 煉瓦の壁 長崎捕虜収容所と原爆のドキュメント、天の羊 被爆死した南方特別留学生』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター) | |
1993 | ||
0420 | 修学院小学校6年生(京都市)、マレーシアの南方特別留学生オマールの足跡をたどり平和学習。 | C |
0905 | アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)広島訪問。留学生寮「興南寮」跡などを巡る。 | C |
1994 | ||
0210 | 『オマールさんを訪ねる旅 広島にいたマレーシアの王子様』(早川幸生編、かもがわ出版) | |
0419 | 修学院小学校(京都市)6年生166人、修学旅行で広島を訪問。 | C |
0822 | 土井たか子衆議院議長、訪問中のマレーシアで、アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)と対面。 | C |
1995 | ||
0806 | 『ヒロシマ五十年 或る少年兵の回想』(小笠邦久著、蝸牛社) | |
5章 回想 254 オマール忌 305 | ||
0815 | 『京都・左京の十五年戦争 戦時下を生きた人々』(平和と民主主義をすすめる左京懇談会編、かもがわ出版) | |
被爆南方特別留学生サイド・オマール 早川幸生 113 | ||
08- | 京都原水爆被災者懇談会(世話人代表=永原誠・京都橘女子大教授)、オマールをいのぶ反核ビデオ「オマールさんをしってますか?」を製作。永原の父は留学生の「興南寮」の寮監で被爆死。 | C |
1996 | ||
0810 | 『アジア戦時留学生 「トージョー」が招いた若者たちの半世紀』(藤原聡・篠原啓一・西出勇志著、共同通信社) | |
南方特別留学生名簿 289 | ||
2002 | ||
0211 | 『東南アジアの弟たち 素顔の南方特別留学生 改訂版』(上遠野寛子著、暁印書館) | |
2003 | ||
0505 | 『京都修学旅行ハンドブック 学び・調べ・考えよう』(京都平和・国際教育研究会編、平和文化) | |
第5章 洛北を歩こう 53 4 一乗寺・修学院周辺一詩仙堂 59 圓光寺 59 コラム「被爆南方特別留学生サイド・オマール」62 |
||
2011 | ||
0822 | 『共に生きる ブルネイ前首相ペンギラン・ユスフと「ヒロシマ」 = Asia living together』(橋本明著、財界研究所) | |
第6章 父に会いたくて故郷へ サイド・オマールの死 144 |
||
2014 | ||
1030 | サイド・オマールの墓が校区にある修学院小学校6年生(京都市)94人、修学旅行で広島市を訪問、興南寮跡(オマールの被爆の地)で平和集会。 | C |
2015 | ||
0301 | 『ヒロシマが泣いているフクシマが泣いている ドキュメンタリー映画『ブラックラストワン』拾遺』(古田博一著、あいり出版) | |
ヒロシマが泣いている 001 1.オマール氏との出会い 002 玉音放送現代語訳/『広島は泣いている』 2.被爆直後の広島とオマール氏慰霊 018 ◇インタビュー:平塚哲夫先生 3.オマール氏の治療 020 ◇インタビュー:濱島義博先生 4.京都原爆被爆者の会の活動 オマール君の墓 022 一 端源山圓光寺に/ 二 広島から京都へ/ 三 園部兄弟の熱意と多くの協力者/ 四 看護の老婆とともに…/五 京都府原爆慰霊碑に合祀/ ◇インタビュー‥平塚哲夫先生 間奏資料 ヒロシマ・ナガサキ以後今日まで 054 |
||
0416 | 「[特集]南方特別留学生 来日75年」<原爆投下時、広島にいた南方特別留学生>(『中国新聞』20180416、山本裕司) | |
1113 | 南方特別留学生故 オマールの慰霊(園部敏江)や語りつぐ活動(新見博三)をしている2人に広島大学・学長特別表彰。 | C |
2018 | ||
0301 | 『史学研究 第299号』(広島史学研究会) | |
平野裕次「被爆した南方特別留学生と戦後の日本社会 一九五〇年代半ばから一九六〇年代半ばまでの時期を中心として」 | ||
1109 | 「マレーシア出身オマールさん 被爆留学生しのぶ縁 墓のある京都の児童 中区でつどい」(『朝日新聞』宮崎園子記) | |
1224 | 「被爆死の南方特別留学生オマールさん 京都で広がる継承の輪」(『中国新聞』山本祐司・記) | C |
2019 | ||
0201 | 「『記者縦横』南方特別留学生 継承を」(『中国新聞』山本祐司・記) | |
0216 | 「被爆留学生のお話を聞く会」、被爆した南方特別留学生について学ぶ研修会を原爆資料館で開く。 | C |
0806 | 『オマール王子の旅 広島で原爆に遭った南方特別留学生』(古田博一 作、藤原飛鳥 絵、あいり出版) | |
0814 | 「帰国かなわなかったオマールさん 被爆死の留学生語りつぐ 京都・埋葬された寺周辺の住民ら」(『朝日新聞』宮崎園子記) | |
0902 | 「南方留学生のヒロシマ 苦悩にじむ手紙・はがき 交流あった栗原さん 資料館に寄贈」(山本祐司・記) | C |
2021 | ||
1208 | 『語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心 下巻』(京都「被爆二世・三世の会」編、ウインかもがわ) | |
ヒロシマ編 33 早川幸生…被爆南方特別留学生サイド・オマールさんを訪ねる旅 …391 |
||
資料年表:尾津訓三(おづ・くんぞう)
年月日 | 事項 | メモ |
**** | ||
**** | 誕生。 | |
1968 | ||
1025 | 『広鉄文化 No.15』(国鉄広島地方本部広鉄文化会議) | |
職場からの報告 告訴状前文 尾津訓三……24 | ||
1972 | ||
0325 | 『広鉄文化 No.23』(国鉄広島地方本部) | |
現行慰安会こう思う 尾津訓三……75 | ||
1981 | ||
0301 | 『ひろしま 4号』(日本民主主義文学同盟広島支部) | |
報告:人形劇賛歌-ある報告ー 尾津訓三 140 | ||
1983 | ||
0401 | 『文団連ニュース No.52』(広島県文化団体連絡会議) | |
碑前祭を皮切りに 峠三吉没後30年記念行事スタート ―300余名が詩碑の前で平和を誓う― 時移り俗易るとも 賛助会員 尾津訓三 |
||
1990 | ||
0331 | 『峠三吉資料目録』(広島市立中央図書館) | |
尾津訓三氏寄贈資料…200 | ||
1993 | ||
0331 | 『広島市公文書館紀要 第16号』(広島市公文書館) | |
尾津訓三「占領下における広島県内の文芸活動と検閲 」 45 | ||
1996 | ||
0331 | 『広島市公文書館紀要 第19号』(広島市公文書館) | |
〈研究ノート〉戦後復興と広島の演劇 尾津訓三 45 | ||
1998 | ||
0401 | 『鶴のいた町 尾津訓三作品集』(出版者:町博光) | |
1999 | ||
0902 | 没。享年65歳 | |
0408 | 『広島に文学館を 広島の心を21世紀に伝えよう!』(尾津訓三、池田正彦編、広島文学資料保全の会) | |
1102 | 『悼記 劇作家・尾津訓三さん だれよりも願った地域演劇の復興』(『中国新聞』田原直樹・記) | |
2008 | ||
1114 | 尾津訓三追悼「縄文まつり」アステールプラザ | |
02 | 1999 | おづ・くんぞう | 65 | 劇作家。広島で被爆。「追記 だれよりも願った地域演劇の復興」(『中国新聞19991102』田原直樹・記) |
止
門秀一
資料年表:門秀一<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1915 | ||
**** | 生 | |
1969 | ||
0806 | 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会) | |
門秀一「平和の灯と浜井氏」 447 | ||
1976 | ||
**** | 中国文化賞受賞。 | |
1994 | ||
0902 | 没 | |
0920 | 『広大フォ-ラムNo.314』 | |
金田晋「門秀一先生を悼む」 | ||
かど・しゅういち | 1915****生19940902没 | 享年79歳 | 核禁広島県民会議初代議長。広島大学名誉教授。西洋倫理哲学専攻。 |
止
資料年表:林重男<作業中>
年月日 | ||
1918 | ||
**** | 誕生 | |
1971 | ||
1208 | 『広島原爆戦災誌 第五巻 資料編』(広島市) | |
13、被爆広島の写真記録者たち 971 | ||
1981 | ||
0730 | 『写真集 原爆をみつめる-1945年広島・長崎』(飯島宗一・相原秀次編、岩波書店) | |
1983 | ||
0221 | 『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会) | |
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32 | ||
1992 | ||
0619 | 『爆心地ヒロシマに入る カメラマンは何を見たか 岩波ジュニア新書208』(林重男著、岩波書店) | |
1994 | ||
0806 | 『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』(小倉豊文著、風濤社) | |
付録 写真・地図・統計 153 1、被爆後の広島市全景 林重男撮影 154 |
||
2002 | ||
0901 | 死亡。 | |
2005 | ||
0715 | 『原爆と写真』(徳山喜雄著、御茶の水書房) | |
第二章 キノコ雲の下で起こったこと 53 林重男 「道楽」をせずに、忠実に記録 96 |
||
2006 | ||
0515 | 『疑惑のアングル 写真の嘘と真実、そして戦争』(新藤健一著、平凡社) | |
第三章 戦場とカメラマン 145 原爆を撮った男たち 150 /木村伊兵衛の抵抗-林重男/ |
||
2015 | ||
0806 | 『広島原爆写真集 決定版 = The collection of Hiroshima atomic bomb photographs』(小松健一、新藤健一編、「反核・写真運動」監修、勉誠出版) | |
対談「原爆を撮った男たち」の証言 松本栄一 林重男 (聞き手・小松健一)…224 |
||
1001 | 『被爆70周年 ヒロシマを見つめる三部作 第2部』(広島市現代美術館) | |
爆心地ヒロシマに入る 林重男…24 Entering the Hypocenter in Hiroshima…28 Shigeo Hayashi 図版、作家、作品解説 Plates, Notes, on Artists & Works 林重男 Shigeo Hyashi… |
||
2017 | ||
0310 | 『戦中・戦後の記録写真Ⅱ 林重男・菊池俊吉・別所弥八郎所蔵ネガの整理と考察』(井上祐子、山辺昌彦、大堀宙著、東京大空襲・戦災資料センター) | |
第1部 総論 4 林重男・菊池俊吉・別所弥八郎のプロフィールと所蔵写真について 井上祐子 5 第2部 林重男所蔵写真解題 13 1.戦中日本における防空と市民の暮らしの写真について 山辺昌彦 14 2.戦中日本における軍関係写真について 大堀宙 20 3.1943年中国取材写真について 井上祐子 28 4.1943年フィリピン取材写真について 井上祐子 36 5.1944年東南アジア取材写真について 井上祐子 38 6.戦後写真について 山辺昌彦 46 |
||
2023 | ||
0410 | 『原爆写真を追う 東方社カメラマン林重男とヒロシマ・ナガサキ』(林重男・井上祐子著、図書出版みぎわ) | |
01 | 200201 | 林重男 | はやし・しげお | 84 | 写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男> |
止
林重男
01 | 200201 | 林重男 | はやし・しげお | 84 | 写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男> |
止
資料年表:孫振斗<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1927 | ||
** | 大阪市生まれ。 | |
1945 | ||
08 | 広島で被爆 | |
1972 | ||
0915 | 『朝鮮人被爆者 孫振斗さんに治療と在留を』(孫振斗さんを守る東京市民の会編・刊) | |
1974 | ||
0925 | 『鎮魂の海峡-消えた被爆朝鮮人徴用工246名』(深川宗俊著、現代史出版会) | |
補章 外国人被爆者の間題 193
孫振斗さんの勝訴 |
||
1975 | ||
1005 | 『被爆者援護法の論理 援護法制定運動の手びき』(原水爆禁止日本国民会議) | |
資料
朝鮮人被爆者・孫振斗さん勝訴46 孫振斗さん裁判の判決文(福岡高裁)60 |
||
1124 | 『ヒロシマを持って帰りたい』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部) | |
日本政府の国家責任を問う裁判(幹国人被爆者孫振斗さんの原爆手帳獲得の闘い)90 | ||
1978 | ||
0710 | 『朝鮮人被爆者孫振斗の告発 たいまつ新書40』(孫振斗さんに治療と在留を全国市民の会編集委員会編、たいまつ社) | |
1979 | ||
0101 | 『わたしたちの被爆者援護法制定運動と政府・国会の動き』(日本原水爆被害者団体協議会) | |
1 孫振斗訴訟最高裁判決抜粋…39 | ||
0305 | 『原爆被爆者関係法令通知集』(厚生省公衆衛生局企画課編、ぎょうせい) | |
資料
(六)孫振斗訴訟最高裁判決410 |
||
1981 | ||
0801 | 『「援護法」と在韓被爆者 基本懇意見書と三項目合意 在韓被爆者問題を考える No.1』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会) | |
資料
孫振斗手帳裁判の最高裁判決(要旨) 26 |
||
1983 | ||
1208 | 『無援の海峡 ヒロシマの声、被爆朝鮮人の声』(平岡敬、影書房) | |
黙殺との戦い-被爆朝鮮人・孫振斗さんの訴え 67
圧殺される声 81 孫さんからの手紙 92 国家と被爆者-孫振斗さん勝訴の意味 149 |
||
1984 | ||
0731 | 『原爆と朝鮮人 長崎朝鮮人被爆者実態調査報告書 第三集』(長崎在日朝鮮人の人権を守る会) | |
第4章 全朝鮮人被者完全援護法の制定 96
2.「孫振斗訴訟最高裁判決」(全文)・前記に対する意見 109 |
||
1985 | ||
0625 | 『非核未来に向けて 反核運動40年史』(森瀧市郎著、績文堂出版) | |
16. 被爆者救援運動-国の責任を追及…215
被爆者救援運動の新段階 朝鮮人被爆者に対する責任 原水禁の援護法制定運動と総評被爆連 放射線被曝と原爆被爆者 国の責任を明らかにした孫振斗裁判と最高裁判決 |
||
1992 | ||
0731 | 『従軍慰安婦と戦後補償 日本の戦後責任』(高木健、三一書房) | |
第4章 戦後処理はまだ終っていない 138
孫振斗判決の意義 160 |
||
1995 | ||
0815 | 『在韓被爆者が語る被爆50年 求められる戦後補償』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会) | |
起ち上がる在韓被爆者-日本の切り捨て政策に抗して 27
孫振斗手帳裁判 33 |
||
1998 | ||
0115 | 『朝鮮人被爆者孫振斗裁判の記録 被爆者補償の原点』(中島竜美編・著、在韓被爆者問題市民会議編・刊) | |
2000 | ||
1130 | 『ヒロシマを持ちかえった人々 「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』(市場淳子著、凱風社) | |
第二章 立ちあがった在韓被爆者(一九六七~一九七八年)41
「座して死を待つことはできない!」と協会結成 41 「からだを治して!」と日本に直訴 46 孫振斗さん密入国、日本で支援始まる 50 孫振斗さんの手帳裁判闘争 51 「補償なるか」と期待高まるが 54 日本での治療の道、開かれる 55 |
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2011 | ||
0615 | 『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬著、影書房) | |
一九七〇年一二月三日 被爆朝鮮人孫振斗、来日逮捕さる 153 | ||
2014 | ||
0826 | 死去。 | |
そん・じんどぅ | 1927**生20140826没 | 享年87歳 | 韓国人被爆者訴訟の原告の草分け<資料年表:孫振斗> |
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