星野村平和の塔
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| 星野村 平和の塔の由来 2010年1月 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
星野村平和の塔
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| 星野村 平和の塔の由来 2010年1月 |
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資料年表:山本達雄<作業中>
| 年月日 | ||
| **** | 誕生 | |
| 1945 | ||
| 08 | 広島への原爆被爆直後、陸軍兵として遺体処理作業。市内で書店(金正堂)を経営していた叔父を探す。 | |
| 0916 | 地下倉庫でくすぶる火を懐炉に移し福岡県吉野村の自宅に持ち帰り仏壇や火鉢でともし続ける。 | |
| 1966 | ||
| **** | 家業の茶栽培を取材に来た新聞記者に漏らしたことから「原爆の火」の経緯が報道される。 | |
| 1968 | ||
| **** | 「平和の火」として星野村に引き継がれる。 | |
| 1972 | ||
| 0730 | 原水禁被爆者キャラバン隊が分火し、原水爆禁止世界大会長崎大会(社会党・総評系)の会場へ。8月7日長崎市松山公園にともる。 | C |
| 1973 | ||
| 0805 | 広島県原水禁、福岡県星野村の「原爆の火」を8月6日に広島での世界大会会場に届ける。 | C |
| 1988 | ||
| 0324 | 福岡県星野村の「原爆の火」、役場前の「平和の塔」で採火式。第3回国連軍縮特別総会(SSDⅢ)の開かれるニューヨークに向け出発。 | C |
| 0602 | 「原爆の火」、国連本部に届く。 | C |
| 0611 | ニューヨークでNGOの国際平和集会、国連本部前からセントラルパークまで平和行進。先頭は 「原爆の火」をもった被爆者30人。 | C |
| 0806 | 『ヒロシマの火』(山口勇子著、新日本おはなし文庫) | |
| 1024 | 大窪寺(香川県長尾町、四国霊場88番札所の結願寺)で 「原爆の火」平和塔の建立式。 | C |
| 1989 | ||
| 0213 | 東照宮(東京)で「上野東照宮に広島・長崎の火を灯す会」発起人会。山口勇子・伊東壮東友会会長らが出席」。 | C |
| 04― | 般若寺(奈良市)境内に「原爆の火」を灯し続ける「平和の塔」の建立計画。 | C |
| 1015 | 豊橋市立桜丘高校(愛知県)、「原爆の火」を灯した「平和の塔」完成。 | C |
| 1990 | ||
| 0721 | 上野東照宮(東京)の「原爆の火」を灯しを灯し続けるモニュメント完成。 | C |
| 0729 | 神奈川県原爆被災者の会、鎌倉市の大船観音境内に「原爆の火の塔」を建立。 | C |
| 1995 | ||
| 0506 | 「1995年国民平和大行進」(日本原水協など)、上野東照宮の「原爆の火」をともし、都立第5福竜丸展示館前を出発。 | C |
| 2000 | ||
| 1206 | 「ピースウォーク」参加者約40人、「原爆の火」を手に、広島市平和公園に到着。 | C |
| 2003 | ||
| 0120 | 『社史が語る原爆・ヒロシマ』(「しんぶん赤旗」中国四国総局、新日本出版社)) | |
| 「いまも燃える『原爆の火』―金正堂」83- | ||
| 2004 | ||
| 0511 | 逝去。享年88歳 | |
| 0601 | 『朝日新聞』(20040601) | |
| 渕沢貴子「山本達雄さん 広島「原爆の火」採取し守る 平和の願い、静かにともす」 | ||
| 2007 | ||
| 08 | ヒロシマの火 平和への灯 | |
| このモニュメントには、広島平和記念公園の「平和の灯」と福岡県星野村の「平和の火」から分火された、”2つの火”が灯されています。 「平和の火」は、1945年(昭和20年)福岡県星野村出身の山本達雄さんが、原爆で亡くなられた親戚の形見として、廃墟となった広島の街から持ち帰った”原爆の火”です。 自らも被爆した山本さんは、多くの尊い命が奪われた”ヒロシマを忘れてはならない”と、自宅で絶やすことなく火を守り続けました。 その後、1968年(昭和43年)この火は「平和の火」として星野村に引き継がれ、広島から遠く離れた地で、被爆後62年の今も、燃え続けています。 NHK広島放送局では、広島平和記念公園と星野村の”2つの火”を合わせ、原爆で亡くなられた方々の慰霊、また核廃絶と恒久平和を願う”ヒロシマの祈りの火”として灯し続けていきます。題字は、書家で被爆者でもある森下弘さん(広島市佐伯区)にお願いしました。2007年(平成19年)8月 |
||
| 2008 | ||
| 1202 | 『「平和の火」 福岡県星野村から広島平和公園へ』(久行大輝・記者) | C |
| 2014 | ||
| 1218 | 「平和首長会議 加盟年からの平和メッセージ」 | |
| ㉘福岡県八女市 三田村統之 | C | |
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山本達雄
| やまもと・たつお | 生20040511没 | 享年88歳 | 「原爆の火」保存者。兵役に就いていた広島で、原爆投下直後に残り火をカイロに採取し、故郷の福岡県星野村で20年以上保存。広島に投下された人類史上初めての原子爆弾の火、すなわち、世界で唯一の「火」。 |
止
村井志摩子
| むらい・しまこ | 19280712生20180509没 | 享年89歳 | 劇作家・演出家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記) |
資料年表:村井志摩子<作業中>
| 年月日 | ||
| 1928 | ||
| 0712 | 誕生 | |
| 1991 | ||
| 1015 | 『広島の文学』(岩崎文人著、溪水社 ) | |
| 「村井志摩子 広島」 115 | ||
| 1993 | ||
| 0731 | 『赤旗』 | |
| 「ヒューマニズムと広島をみつめる心 劇作家・演出家 村井志摩子さん」 | ||
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| 1001 | 『落暉燃ゆ 廣島高等学校創立七十年記念誌』(廣島高等学校同窓会) | |
| 村井志摩子(村井真澄・12文甲)「兄の思い出」 602 | ||
| 1996 | ||
| 0806 | 『女がヒロシマを語る』(江刺昭子・加納実紀代・関千枝子・堀場清子編、インパクト出版会) | |
| 村井志摩子「 ヒロシマのボレロ」 148 | ||
| 1997 | ||
| 0331 | 『原爆ドーム世界遺産登録記録誌』(広島市市民局平和推進室) | |
| 村井「原爆ドームの世界遺産登録を記念して」 12 | ||
| 0806 | 『原爆ドーム、ヤン・レツル三部作 村井志摩子戯曲集』(村井志摩子著、テアトロ) | |
| 1998 | ||
| 0925 | 『「戦争と平和」戯曲全集 第15巻』(藤木宏幸・源五郎・今村忠純著、日本図書センター) | |
| 村井志摩子「 広島の女・八月六日」 134 | ||
| 2015 | ||
| 0801 | 『被爆70年 文学に描かれた8月6日』(ふくやま文学館) | |
| 村井志摩子「広島の女・八月六日」-戯曲…39 | ||
| 2018 | ||
| 0509 | 没。享年89歳 | |
| 2019 | ||
| 0510 | 『ヒロシマ対話随想』(関千枝子・中山士朗著、西田書店) | |
| 「村井志摩子さんの死と記録の保存 217」 | ||
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『時代の証言 原子科学者の昭和史』(伏見康治著、同文書院、1989/12/16)
内容
| 奇蹟の都市(1932年) 1 陽電子…1 中性子…4 重水素…6 人工的核反応…6 サイクロトロン…8 東大物理教室…9 |
||
| 理化学研究所の空気 18 教室に現われない同級生…18 寺田物理学…21 物理学助手として…23 理研2号館…26 東大工学部力学教室…29 本郷の理学部では…32 |
||
| 新設大阪帝国大学 37 阪大五人の教授…37 菊池教授の原子核研究の方針…43 |
||
| 晴耕雨読の季節 50 核実験のいろは…53 質量分析器…55 青木さんの大功績…61 |
||
| 遅い中性子との出遇い 67 口コミがもたらしたニュース…67 イタリア後の雑誌…71 核物理におけるモーズレーの法則を目指して…76 |
||
| 不純な物質 80 ボーアの玉突き…85 重陽子の理論…89 パルチチオ・ヌメロールム…91 |
||
| 菊池研究室の周辺 94 陰極線…94 宇宙線…96 湯川さんとの接触…97 中間子論の誕生を目撃して…103 |
||
| 阪大の同僚たち 109 湯川さんとの交渉はまだある…109 武谷三男の出現…113 武谷三男さんの憶い出…115 第一回の卒業生たち…120 |
||
| 加速器の時代 130 高圧ファン・デ・グラーフ加速器…130 |
||
| 忍びよる軍靴の跫音 137 中性子・電子の直接作用の仮説…137 忍びよる軍靴の跫音…144 |
||
| 核分裂発見 150 ネーチュア誌に現われた核分裂発見の歴史…150 |
||
| 核分裂に関する論議 157 彦坂氏の存在…157 |
||
| 同位体分離 162 電探レーダーの研究…166 |
||
| 私の戦時研究 169 興味をもてなかった戦時研究…169 立体回路の回路論に熱中…172 |
||
| 確率論及び統計論 177 | ||
| 戦争中の原子炉研究 181 大学の留守番…181 中性子の反射…184 中性子減速の時間…187 |
||
| 敗戦の年 189 | ||
| 戦争末期の症状…189 | ||
| 空襲の体験…191 | ||
| 遂に広島、長崎…194 | ||
| 情報の餓え 201 オンザーガーの論文との出会い…201 原子力情報-スミス報告との出会い…203 |
||
| 日本学術会議の場で 207 研究か組織か…207 学術会議の誕生…209 |
||
| サンフランシスコ条約、茅・伏見提案 217 原子力研究の開始…217 原子力研究の伏見私案…219 茅・伏見提案と学術会議総会…223 |
||
| 中曽根予算、原子力憲章 228 原子力シンポジウムと中曽根予算…228 伏見による原子力憲章草案…230 朝永委員会の主張…232 原子力平和利用に関する声明…236 |
||
| ビキニ事件 239 福竜丸事件…239 放射線に関する研究所の設立…241 |
||
| 藤岡ミッション 245 初めての外遊…245 原子力の年一九五五年…251 |
||
| 原子核研究所 255 原子核物理学の研究所をつくる…255 日本原子力研究所と研究者…258 |
||
| 関西研究用原子炉 261 関西研究用原子炉の構想…261 原子炉設置は私の最高の義務…267 |
||
| 大阪府原子炉問題審議会 271 | ||
| 略年譜 275 | ||
止
伏見康治
| ふしみ・こうじ | 19090629生20080508没 | 享年98歳 | 物理学者。1953年日本学術会議会長。1958年参議院議員(公明党)。 |
略年譜<出典:『時代の証言 原子科学者の昭和史』(同文書院)>

資料年表:伏見康治
| 年月日 | ||
| 1909 | ||
| 0629 | 誕生 | |
| 1946 | ||
| 0501 | 『科学の反省 再建叢書 , 第1輯』(帝国人造絹糸刊) | |
| 「原子爆弾経緯 8」 | ||
| 1952 | ||
| 1101 | 日本物理学会が原子力委員会設置問題で論争。賛成=伏見(阪大)ら、反対=三村剛昴(広大)ら。 | C |
| 1954 | ||
| 0915 | 『原子力のゆくえ 朝日文化手帖 35』(朝日新聞社) | |
| 1955 | ||
| 0807 | 伏見阪大教授、原水禁世界大会で発言。「原子力の平和利用にはABCCのような研究が不可欠」。 | C |
| 1956 | ||
| 0410 | 『新パンドラの箱 原子力平和利用のために』(毎日新聞社編) | |
| 伏見「人類のための原子力」 | ||
| 1957 | ||
| 1015 | 『原子力とエネルギー 市民のための原子力Ⅲ 市民のための原子力 3』(伏見康治・安芸皎一著、朝日新聞社) | |
| 1958 | ||
| 1015 | 『原子力シンポジウム報文集 第2回第1分冊 総合講演 討論』(日本学術会議、原子力シンポジウム報文集刊行委員会) | |
| 伏見(第二回原子力シンポジウム報文集編集委員会委員長)「編者のことば」 | ||
| 伏見(日本学術会議原子力特別委員会委員長)「挨拶」 | ||
| 1980 | ||
| 1022 | 『科学者憲章』(渡辺直経 他著、勁草書房) | |
| 伏見「科学者社会の憲章」 11 | ||
| 伏見「学術振興の基本」159 | ||
| 1981 | ||
| 0416 | 『嵯峨根遼吉記念文集』(嵯峨根遼吉、嵯峨根遼吉記念文集出版会) | |
| 伏見「第2部 座談会 嵯峨根遼吉先生の六つの活動相」 121 | ||
| 0903 | 第31回パグウォッシュ会議(カナダ)閉会。伏見日本学術会議議長らが参加。 | C |
| 1982 | ||
| 0512 | 世界平和アピール7人委員会の新メンバーに井上靖(日本ペンクラブ会長)・伏見日本学術会議会長。故湯川秀樹らの欠員補充。 | |
| 1025 | 『シラードの証言』(S・R・ウィアート、G・W・シラード編 伏見康治 他訳、みすず書房) | |
| 1983 | ||
| 0212 | 『原子力委員会の闘い』(石川欽也著、酒井節雄刊) | |
| 伏見「推薦のことば」 | ||
| 1984 | ||
| 1024 | 広島市で「核軍縮を求める22人委員会」のシンポジウム。伏見参議院議員らが参加。 | C |
| 1985 | ||
| 0213 | 『信州白樺』 | |
| 伏見「長田新先生の憶い出」…113 | ||
| 1986 | ||
| 0120 | 『「1%問題」と軍縮を考える 岩波ブックレット No.54』(核軍縮を求める二十二人委員会平和構想懇談会編、岩波書店) | |
| 伏見康治(参議院議員、元日本学術会議会長) | ||
| 1987 | ||
| 0730 | 東京で「核兵器廃絶運動連帯」主催の国際フォーラム「連帯のつどい」。世話人代表は伏見参議院議員ら。 | C |
| 1988 | ||
| 0803 | 『核廃絶と世論の力(長崎平和シンポジウム) 岩波ブックレット No.120』(長崎市・核軍縮を求める二十二人委員会編、岩波書店) | |
| 0815 | 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1988 第2集』(長崎の証言の会) | |
| 長崎平和シンポジウム(核軍縮を求める二十二人委員会・長崎市) 201 | ||
| 1103 | 「核兵器廃絶運動連帯」(世話人代表は伏見参議院議員)主催の「日米ソ国際フォーラム」の米ソ代表ら、広島の原爆資料館を見学。 | C |
| 1989 | ||
| 0509 | 「核兵器廃絶運動連帯」(世話人代表:伏見参議院議員、原水禁国民会議、核禁会議、市民団体などの連絡組織)、米水爆搭載機水没事件で政府に非核三原則の法制化を要求する声明。 | C |
| 1216 | 『時代の証言 原子科学者の昭和史』(同文書院) | |
| 2008 | ||
| 0508 | 没 | |
止
月丘夢路
| つきおか・ゆめじ | 19211014生20170503没 | 享年95歳 | 宝塚歌劇団、女優。本名:井上明子。広島市中区出身。映画「ひろしま」に出演。 | 備考 |
資料年表:月丘夢路<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1921 | ||
| 1014 | 広島市生 | |
| 1953 | ||
| 0731 | 広島市児童文化会館で原爆孤児援助の集い。~8月1日。益金13万8940円を広島市長に寄贈。 | C |
| 0803 | 夢路・千秋姉妹、広島市戦災児育成所の孤児の精神養姉になることを申し出。 | C |
| 1954 | ||
| 11 | 広島市が原爆孤児奨学金制度を発足。寄金に山田五十鈴、月丘夢路らも寄付。 | C |
| 2017 | ||
| 0503 | 没 | |
止
永井隆
| ながい・たかし | 19080203生19510501没 | 享年43歳 | 長崎医科大学教授。同大で被爆。 |
資料年表:永井隆<作業中>
| 年月日 | ||
| 1908 | ||
| 0203 | 誕生 | |
| 1948 | ||
| 0615 | 『ロザリオの鎖』(ロマンス社) | |
| 0901 | 『アサヒグラフ』第50巻第9号通巻1252号 | |
| 原子病と闘う―永井隆博士の或る日―p.4 | ||
| 0925 | 『この子を残して』(大日本雄弁会講談社) | |
| 1018 | ヘレン・ケラー女史、長崎市を訪問。永井隆を慰問。 | C |
| 1110 | 『生命の河 原子病の話』(日比谷出版社) | |
| 1949 | ||
| 0113 | 『夕刊ひろしま』、永井の随想「倒れて後始む」を掲載。 | |
| 0130 | 『長崎の鐘』(日比谷出版社)<特別附録 マニラの悲劇> | |
| 0625 | 『亡びぬものを』(長崎日日新聞社) | |
| 0630 | 『花咲く丘』(日比谷出版社) | |
| 0801 | 『原子雲の下に生きて 長崎の子供らの手記』(大日本雄弁会講談社) | |
| 0810 | 『雅子斃れず』(石田雅子著、表現社) | |
| 0930 | 『いとし子よ』(大日本雄弁会講談社) | |
| 0930 | 『長崎-二十二人の原爆体験記録』(長崎文化連盟編、時事通信社) | |
| 永井「その日の大学 」 61 | ||
| 1120 | 広島市で広島・長崎両原爆都市青年交歓会。永井隆宅のバラを広島市役所前庭と爆心地に移植。 | C |
| 1128 | 衆議院考査委員会、湯川秀樹・永井隆の表彰を決定。 | C |
| 1950 | ||
| 0505 | 長崎市で第2回広島・長崎両原爆都市青年交歓会。広島城のバラをを永井隆宅に移植。 | |
| 0728 | 永井署『長崎の鐘』松竹映画化で現地ロケ隊30人余長崎入り。 | |
| 09 | 新藤兼人監督・松竹映画「長崎の鐘」完成。 | |
| 1951 | ||
| 0501 | 死亡。 | |
| 0507 | 山田耕作、永井隆の辞世の句を作曲、遺族に贈る。 | |
| 0514 | 浦上天主堂で公葬。 | |
| <未完> | ||
止
村上経行
| むらかみ・つねゆき | 191804生201107没 | 享年93歳 | 『平和に生きる』(村上経行後援会、1972.10.1)、『広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん』(村上経行後援会、1975.12.25)、 |
止
山本康夫『歌話と随想』(真樹社、19650720)
内容
| 章 | 見出し | 備考 |
| 1 | 短歌とともに | |
| 相聞歌の変遷 9 万葉集を味わいつつ 25 啄木短歌の普及性 44 松倉米吉の生活歌 51 現代短歌批判 54 格調と字余り歌 58 炉辺歌話二十章 62 受刑者の歌 77 短歌への伊藤整発言 79 態度の確立 80 作品としての価値の問題 82 よい短歌の第一条件 83 推敲と改作 84 文学作品の通俗とは何か 85 歌集出版の意義について 86 新風歌と短歌大衆 88 前衛歌の後退 89 短歌を亡ぼすもの 90 小野十三郎氏の詩談 92 中堅歌人の意欲を 93 休息と作歌 94 楽しい歌壇へ 95 宗匠主義の排除 96 |
||
| 2 | 広島と原爆 | |
| 幻(慟哭の手記)98 | ||
| 被爆壊滅から再起した中国新聞社と共に 103 | ||
| 皮膚のない裸群 108 | ||
| 原爆歌集「広島」の企画 111 | ||
| 推薦された歌集「広島」 112 | ||
| 歌集「広島」の注目作品 114 | ||
| 原爆歌集「広島」に親しんで 119 | ||
| 原爆関係歌論評について 121 | ||
| 原爆病院で逝った加納節尋氏を悼む 123 | ||
| 3 | 随筆と旅記 | |
| 生田春月と信州渋温泉 126 亡き妻の記 129 悲傷の中の思索 135 或る灰色の記録 140 歌碑を訪ねて 143 詩の島「宮島」 147 鶴の渡来地「八代」 149 国立広島療養所 151 三滝公園の秋色 153 秘境栗谷三倉峡 155 青海島と秋吉台 159 富士五湖から白糸の滝へ 165 出雲大社紀行 167 浅間叙情 170 裏千家今日庵 173 |
||
| 4 | 随想片々 | |
| 花鳥風月 176 中秋の名月 178 廃園 179 発音考 180 旅のエチケット 182 佐佐木信綱先生を憶う 184 環境 186 短歌会のこと 187 タンキスト 188 |
||
| 5 | 国語改革の線にそって | |
| 短歌も現代かなづかいで 189 短歌表記法の正常化192 短歌用語の問題 193 現代かなと当用漢字 194 現代国語標準表記法へ踏み切ろう 195 現代表記法の推進 197 現代表記法と新聞 199 新聞用語の歩み 200 快速調の用語統一 203 |
||
| 跋 | ||
| 富永義照「山本康夫の原爆詠と人間性」 | ||
| 山本節子「山本康夫の処女歌集『萓原』」 | ||
| 山本康夫「あとがき」 218 | ||
止
山本康夫
| やまもと・やすお | 19021027生19830530没 | 享年80歳 | 歌人。短歌誌「真樹」主宰者(被爆者)。『広島県現代文学事典』(山本光珠・記)。 |
資料年表:山本康夫<作業中>
| 年月日 | |||
| 1902 | |||
| 1027 | 誕生 | ||
| 1947 | |||
| 0401 | 『麗雲 歌集(真樹叢書, 第12編 山本康夫第5歌集)』(真樹社) | ||
| 1948 | |||
| 0815 | 『朝心抄 山本康夫第六歌集』(真樹社) | ||
| 1953 | |||
| 0110 | 『槙の実 山本康夫第七歌集』(真樹社) | ||
| 1954 | |||
| 0425 | 『追憶』(広島一中遺族会) | ||
| 「幻 山本康夫 」167 | |||
| 0625 | 『ながれ』(村上哲夫著) | ||
| 「校訓(外林秀夫)眞樹の主宰者(山本康夫) 158」 | |||
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| 1965 | |||
| 0720 | 『歌話と随想』(真樹社) | ||
| 1983 | |||
| 0530 | 没。享年80歳 | ||
止
資料年表:伊藤正子(いとう・まさこ)<作業中>
| 年月日 | 事項 | メモ |
| 1892 | ||
| 10 | 広島県御調郡坂伊原村で誕生 | |
| 1954 | ||
| 0625 | 村上哲夫『ながれ』(発行所:村上哲夫後援会、1954年6月25日) | |
| 気丈な婦人代表 広島市婦人連合会長 | ||
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| 1968 | ||
| 0426 | 『20年のあゆみ』(広島市千田婦人会、19680426) | |
| 1980 | ||
| 0113 | 宇吹の聞き取りメモ(1980年1月31日) | |
| お宅で面会。戦災供養会・平和式典などについて。 | ||
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止
『わが非暴力 藤井日達自伝』(藤井日達著・山折哲雄編、春秋社、1992/05/20)
内容<作業中>
| 篇 | 見出し | |
| 1 | 試煉 | |
| 生い立ち 2 出家の動機 8 大崎遊学 13 京都遊学 19 1年志願兵 24 法隆寺での参学と焼身 27 健仁寺で参禅 33 堅田の教会所開設 38 比良山での断食 47 桃尾の滝で断食 52 北陸路の信心問答 57 宮城・二重橋での撃鼓宣令 62 |
||
| 2 | 激動 | |
| 母危篤-朝鮮へ急行 66 満州開教と寒行 70 関東庁の妨害と日蓮宗の横槍 77 日本山妙法寺の誕生82 北支開教-天津・北京 86 関東大震災-帰国 91 富士山麓に日本山妙法寺誕生 98 東京開教-葉山でのご祈念 99 熱海開教-西天開教の原点 105 那須開教の因縁 113 十字街頭で辻説法 116 |
||
| 3 | 転身 | |
| 母の死と西天開教への出立 120 インド上陸-還来帰家 126 セイロン行脚 133 ガンジーと対面 139 お仏舎利の感得 148 陸海軍へお仏舎利奉呈 154 中国人との接触 160 日中戦争と日本山 163 インパール作戦と日本山 169 満州・朝鮮伝道-敗戦 174 |
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| 4 | 開華 | |
| 花岡山にお仏舎利塔建立 180 戦後のインドと日本山 189 王舎城の仏教復興-戦前 193 王舎城の仏教復興-戦後 198 清澄山にお仏舎利塔建立 214 王舎城宝塔落慶供養とオリッサ開教 219 砂川闘争と日本山 227 三里塚闘争と平和運動 232 シーク教徒とヒッピー族-布施の精神 239 インドの新仏教徒 248 非暴力思想とお仏舎利塔建設 251 |
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| 年譜 | ||
| あとがき | ||
止
『戦後アメリカの世界政策と日本』(山田浩 著、法律文化社、1967/01/10)
内容
| 章 | 節 | |||
| はしがき | ||||
| 1 | アメリカの世界政策と対日占領政策…1 | |||
| 1 | 大戦直後におけるアメリカ世界政策の基調…1 | |||
| 一 第二次世界大戦と冷戦…1 二 冷戦政策の展開…7 三 過渡期のバーソズ外交…11 |
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| 2 | 戦後の極東政策の動向…17 | |||
| 一 ヨーロッパ第一主義と中国第一主義…17 ニ アメリカの中国政策…19 |
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| 3 | 戦後初期の対日占領政策…25 | |||
| 一 対日占領体制の特質…25 二 初期占領政策の展開とその背景…31 三 民主化政策の限界…35 |
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| 4 | 〈封じこめ〉政策の確立…44 | |||
| 一〈封じこめ〉政策の特徴…44 二〈封じこめ〉の国内的条件…47 三 超党派外交と新孤立主義…50 四〈封じこめ〉の軍事戦略…58 |
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| 5 | 対日占領政策の転換…67 | |||
| 一 日本独占復活方針の確立…67 二 独占復活政策の推進…69 三 占領政策をめぐる対立の変化と〈条約なき平和〉…75 |
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| 2 | 朝鮮戦争とアメリカの世界政策および対日講和…81 | |||
| 1 | 朝鮮戦争前における政策的混乱…81 | |||
| 一 軍事政策の停滞…81 二 紛糾する中国政策…87 三 対日政策をめぐる混乱…95 四 南朝鮮政策と朝鮮戦争…100 |
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| 2 | 戦争勃発後の世界政策の動向…105 | |||
| 一 経済軍事化の進行…105 二 朝鮮戦争下の新孤立主義とマッカーシズム…108 三 朝鮮戦争と軍事戦略上の問題…111 四 マッカーサー罷免と世界政策をめぐる論争…115 五 台湾政策の変化と朝鮮休戦…123 |
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| 3 | 朝鮮戦争と対日講和…129 | |||
| 一 日本の軍事的意義と対日講和…129 二 対日講和と旧連合諸国の態度…134 三 対日講和と日本経済…137 |
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| 3 | ニュー・ルック戦略と対日政策…142 | |||
| -アイゼソハワー政権下の世界政策と日本(一)- | ||||
| 1 | -アイゼソハワー政権下の世界政策と日本(一)- | |||
| 一 アイゼンハワー政権の誕生…142 二 アイク政権と新孤立主勢力…144 三 最高潮のマッカーシズムとその退潮…147 四 均衡予算主義と国防支出…153 |
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| 2 | ニュー・ルック戦略の特徴…160 | |||
| 一 戦略核空軍力の重視と阻止戦略の確立…166 二 軍事同盟および局地戦対策…166 三 政策的積極性と冒険性…169 |
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| 3 | ニュー・ニュー・ルック戦略と諸種の戦略論争…174 | |||
| 一 陸軍の批判と戦略空軍力論争…174 ニ スプートニク成功の衝撃とミサイル・ギャップ論争…180 三 局地核戦争論をめぐる論議…188 |
||||
| 4 | ニュー・ルック戦略下のアジア政策…197 | |||
| 一 アジア政策の一般的特徴…197 二 アメリカのインドシナ戦争対策…201 三 台湾海 紛争と大陸沿岸諸島…204 |
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| 5 | アイク政権の対日政策…209 | |||
| 一 対日経済政策…209 二 対日軍事政策…213 三 鳩山内閣とアメリカ…220 |
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| 4 | 平和共存とアメリカの世界政策および対日政策…226 | |||
| -アイク政権下の世界政策と日本(二)- | ||||
| 1 | 平和共存とニュー・ルック戦略…226 | |||
| 一 共存路線の抬頭…226 ニ アイク政権と平和共存路線…230 三〈雪どけ〉の進行とアメリカ…232 四 対外援助政策と軍縮問題…233 |
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| 2 | 核ミサイル時代の開幕と平和共存…240 | |||
| 一 西欧諸国の動揺と〈兵力ひき離し〉構想…240 二 アイク政権になる共存路線への接近…245 三 緊張緩和の高まりと国内情勢…247 |
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| 3 | 緊張緩和への反撃とその崩壊…253 | |||
| 一 国際的冷戦勢力と〈産軍相互依存体制〉…253 二 ミサイル・ギャップ論争の再燃と政府批判…256 三 アイク政権と緊張緩和の崩壊…261 |
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| 4 | 平和共存とアメリカ極東政策…266 | |||
| 一 台湾海峡紛争の再燃…266 二〈二つの中国〉論の拾頭とアイク政権…268 三 核ミサイル時代の極東軍事戦略…270 |
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| 5 | 緊張緩和と対日政策…273 | |||
| 一 岸内閣とアメリカ…273 二 安保改定をめぐる政治軍事的問題…277 三 安保改定の経済問題…281 |
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| 5 | ケネディ政権の世界政策と対日政策…285 | |||
| 1 | ケネディ政権の成立とその性格…285 | |||
| 一 ケネディ政権のリベラル勢力…285 二 ケネディ政権の財政金融政策…289 三 議会と右翼勢力の拾頭…292 |
||||
| 2 | ケネディ政権の〈大戦略〉…289 | |||
| 一 対兵力戦略とマクナマラ体制…299 二 対兵力戦略への批判と現実…306 三 多角的核戦力をめぐる諸問題…311 四 局地戦対策の重視と転換…315 |
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| 3 | 対外政治・経済政策の諸特徴…320 | |||
| 一 「決意」と「選択」…320 二 軍備管理政策をめぐる評価…324 三 中ソ対立をめぐるアメリカの政策…330 四 対外経済およ対外援助政策…334 |
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| 4 | ケネディ政権の中国政策…341 | |||
| 一 く二つの中国>論をめぐる検討…341 二 対中国接近から〈封じこめ〉へ…343 |
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| 5 | ケネディ政権の対日政策…348 | |||
| 一 対日政策におけるく深みのある外交×…348 二 日中関係と日韓国交回復…351 三 対日軍事政策…355 四 対日経済政策…360 |
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止
吉野源三郎
| よしの・げんざぶろう | 18990409生19810523没 | 享年82歳 | 雑誌「世界」初代編集長。日本ジャーナリスト会議初代議長(1955年2月19日)。「被爆30周年国際フォーラム」の代表世話人。1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人。 |
止
岡本直正
| おかもと・なおまさ | 1921生20120523没 | 岡本直正 | 享年91歳 | 広島大学原爆放射能医学研究所所長(第3代 1970.4.1~1977.3.31)。 |
資料年表:岡本直正<作業中>
| 年月日 | |||
| 1921 | 生 | ||
| 1967 | |||
| 0330 | 岡本直正 「放射線被爆が胎児に及ぼす影響 -中性子照射による心臓並びに大血管系の形成異常 」(『原子爆弾後障害研究会講演集 第7回』218) | ||
| 1969 | |||
| 0620 | 岡本直正「原爆症認定の問題点 病理の立場より」(『原子爆弾後障害研究会講演集 第9回』22) | ||
| 1970 | |||
| 0401 | 広島大学原爆放射能医学研究所所長(~1977.3.31)。 | ||
| 19730806 | 『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』(中国新聞社) | ||
| 「人体傷害」(岡本執筆) | |||
| 1977 | |||
| 0910 | 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会) | ||
| 岡木直正「原爆放射能医学研究所における将来計画と協同研究への歩み」61 | |||
| 2012 | |||
| 0523 | 没 |
止
『小さな窓から』(新藤兼人著、朝日新聞社、1985/09/05)
内容<作業中>
| 頁 | |||
| 009 | 夫婦とは 9 | ||
| 012 | 男と女 | ||
| 15 | 台所革命 | ||
| 18 | 母の思い出 | ||
| 21 | 加害者はだれか | ||
| 24 | 姉の地平線 | ||
| 27 | アメリカ製日本人 | ||
| 30 | ぜんそく考 | ||
| 33 | ある結婚 | ||
| 36 | 父の肖像 | ||
| 39 | 酔いどれ妻 | ||
| 42 | ライバル | ||
| 45 | 雪が舞う | ||
| 48 | 三匹の猫たち | ||
| 51 | ふり向いた女の目 | ||
| 54 | ある少女の出発 | ||
| 57 | 荷風忌 | ||
| 60 | 恩師 | ||
| 63 | 兄の生涯 | ||
| 66 | 家 | ||
| 70 | 足跡 | ||
| 74 | 三文役者 | ||
| 77 | 砂漠の中の森の町 | ||
| 80 | 青春の町 | ||
| 83 | 子どもたちよ | ||
| 87 | 生き証人 | ||
| 90 | 紫陽花のひと | ||
| 93 | ああ離婚 | ||
| 96 | 朝顔 | ||
| 100 | 原爆を落とした男 | ||
| 103 | 八月十五日 | ||
| 106 | 俺はあとでいいよ | ||
| 110 | 溝口忌 | ||
| 114 | 墓のある場所 | ||
| 117 | あるカメラマンの一生 | ||
| 120 | N君の仕事 | ||
| 123 | 竜安寺門前町 | ||
| 126 | 雨の日の朝 | ||
| 129 | 裏切りの心 | ||
| 132 | 無声映画の詩 | ||
| 135 | 栗ごはん | ||
| 139 | 私は脱がない | ||
| 143 | 遠足 | ||
| 146 | 風の中の三味線 | ||
| 149 | あなたに従います | ||
| 152 | めしを食ったか | ||
| 156 | 同窓会 | ||
| 159 | 現代風俗 | ||
| 162 | 結婚しない女 | ||
| 165 | 友ありて | ||
| 168 | 蔵の中 | ||
| 171 | 正月餅 | ||
| 175 | D氏の碑 | ||
| 179 | ふるさとの声 | ||
| 183 | 幕切れは | ||
| 187 | 縄文の足跡 | ||
| 190 | 人間の姿 | ||
| 194 | 女ひとり | ||
| 197 | あによめ | ||
| 201 | 役者根性 | ||
| 204 | おもちゃ | ||
| 207 | 水ぬるむ | ||
| 210 | ひいばあさん | ||
| 213 | はんてん | ||
| 216 | あとがき | ||
| 1984年1月8日~85年3月31日、連載。 | |||
止
資料年表:新藤兼人<作業中>
| 1912 | ||
| 0422 | 生 | |
| 1950 | ||
| 09 | 新藤監督:松竹映画「長崎の鐘」完成。 | C |
| 1952 | ||
| 0515 | 近代映画協会による「原爆の子」映画化。広島市で吉村公三(制作)、新藤兼人(脚本・監督)ら、「原爆の子友の会」メンバーと初打ち合わせ。 | C |
| 0707 | 原爆傷害者懇談会(広島市基町・朝日ホール)。新藤・乙羽信子らも出席。 | C |
| 08 | 「原爆の子友の会」、新藤監督の映画「原爆の子」制作に協力した会員5人を除名にするなど内紛。 | C |
| 1953 | ||
| 0429 | 「原爆の子」(新藤監督)、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞を逸す。 | C |
| 1956 | ||
| 0212 | 英映画協会、「原爆の子」(新藤監督)を1955年度世界優秀映画の国連賞受賞作品に決定。 | C |
| 1957 | ||
| 02 | 西ドイツで上映中の「原爆の子」(新藤監督)、反戦映画として軍当局に没収される。 | C |
| 1958 | ||
| 09 | 映画「第5福竜丸」(監督:新藤・主演:宇野重吉、乙羽信子)撮影中 | C |
| 1959 | ||
| 02 | 映画「第5福竜丸」(近代映画協会・新世紀映画の共同製作、監督:新藤)、広島市の帝劇で特別試写会。 | C |
| 1982 | ||
| 0331 | 『広島市公文書館紀要 第5号』 | |
| 有田嘉伸「 新藤兼人の人と作品 」 | ||
| 「新藤兼人資料目録」 | ||
| 1983 | ||
| 01 | 『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店) | |
| 0310 | 『日本名作映画76選』(佐藤忠男著、広島市映像文化ライブラリー編、広島市教育委員会) | |
| 1985 | ||
| 0905 | 『小さな窓から』(朝日新聞社) | U |
| 1996 | ||
| 0614 | 『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店 同時代ライブラリー) | |
| 1998 | ||
| 0220 | 『弔辞』(岩波新書、) | U |
| 1980 | ||
| 0315 | 『私の足跡 : 独立プロ三〇年のあゆみ(新藤兼人映画論集 1)』 (汐文社, 1980.3) | U |
| 1981 | ||
| 09 | 『仕事場の出会い : 監督とはシナリオとは女優とは(新藤兼人映画論集 2)』 (汐文社, 1981.9) | U |
| 1988 | ||
| 0420 | 『さくら隊散る』(未来社) | U |
| 0420 | 『さくら隊8月6日 広島で被爆した若き新劇人たち』(岩波ブックレット No.114) | U |
| 1993 | ||
| 1006 | 『青春 新藤兼人の足跡1』(岩波書店) | U |
| 2002 | ||
| 1103 | 文化勲章発令・宮中親授式 | |
| 2003 | ||
| 0411 | 「原爆の真実を残す 広島で90歳対談 映画監督・新藤兼人さん・元本社カメラマン・松重美人さん」(『中国新聞』20030411) | C |
| 2004 | ||
| 0721 | 『シナリオ人生』(岩波新書) | U |
| 2010 | ||
| 1220 | 『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版)<佐藤武・記> | U |
| 2012 | ||
| 0529 | 没。享年100歳。 | |
| 0531 | 「新藤兼人監督が死去 反戦貫き人間愛描く 100歳」(『中国新聞』20120531、串信考・記) | |
| 2022 | ||
| 0413 | 広島市映像文化ライブラリー、新藤兼人生誕110年記念の特集上映開始。(『中国新聞』20220402) | |
止
大庭みな子
| おおば・みなこ | 19301111生20070524没 | 享年76歳 | 作家。広島県立賀茂高等女学校在学中、原爆のきのこ雲を西条町より望見。8月末~9月、広島市に救援隊として動員される。『広島県現代文学事典』(瀬崎圭二・記) |
資料年表:大庭みな子<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1930 | ||
| 1111 | ||
| 1972 | ||
| 0501 | 大庭みな子(芥川賞作家)、雑誌『潮』原爆特集の取材で広島市を訪問。 | C |
| 2007 | ||
| 0524 | 没。享年76歳 | |
| 2010 | ||
| 1220 | 「大庭みな子」(『広島県現代文学事典』〈瀬崎圭二・記〉、勉誠出版) | |
| 2016 | ||
| 0612 | 東広島青少年オーケストラ、「ひがしひろしま音楽祭」で、被爆の惨状をつづった大庭みな子のエッセイの朗読を取り入れた演目を上演。(『中国新聞』20160609、森岡恭子・記) | |
止
佐藤月二
| さとう・つきに | 19090215生19880522没 | 享年79歳 | 元広島大学教育学部教授。広島県史跡名勝天然記念物調査委員(1947年2月~)。1949年当時、原爆ド-ムの保存を主張。著書『むさしあぶみ』(溝本積善館、19720215)。 |
資料年表:佐藤月二<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1909 | ||
| 0215 | 生 | |
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| 1988 | ||
| 0522 | 没 | |
止