資料年表:山田浩

資料年表:山田浩

年月日 事項
1925
0310 誕生(佐賀県唐津市)
1944
12 入営、中国出征
1945
03 広島高等学校文科乙類卒。
1946
05 中国より復員
1949
03 九州帝国大学法文学部法科卒業
1953
04 広島大学皆実分校助手
1960
08 戦後日本の国家権力』(共著、三一書房)
1964
04 広島大学教養部助教授
1967
0110 『戦後アメリカの世界政策と日本』(法律文化社)
1971
1001 『安全保障と日本の未来 核抑止戦略を超えて』(法律文化社)
1973
0830 山田浩「廣高沿革小史」(『廣島高等学校創立五十年記念誌』廣島高等学校同窓会)所収
1120 座談会・手記を読んで 石田成雄 大槻和夫 庄野直美 空辰男 藤井敏彦 山田浩 (『戦前の教育と私』広島平和教育研究所編、朝日新聞社)
1975
0825 「核問題の現状と平和 山田浩」(『平和の探求』岡倉古志郎 他編、時事通信社)
1976
0731 『ヒロシマからの報告 平和・教育・被爆者問題を考える』(山田浩 他編、労働教育センター)
1977
0701 「核と平和」(『地域と科学者 被爆・核・広島特集』、日本科学者会議広島県支部編)
0910 「第Ⅱ章 社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)」(『広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会』)
1979
0518 山田浩、森利一編『平和研究ノート』(広島大学総合科学部国際関係論教室)
1103 『核抑止戦略の歴史と理論』(法律文化社)
1980
0925 『平和学講義』(森利一・山田浩編、勁草書房)
1981
1001 「第9回 :第2次大戦後の軍拡競争の歴史 、第10回 :今日の核軍拡競争 」(『平和を研究する』、広島大学放送教育実験実施委員会)
1982
01 「栗野鳳先生をお送りする言葉」、「戦略論議と限定核戦争―1960年代末以降のアメリカの核戦略構想をめぐって」(『広島平和科学 5 1982年』広島大学平和科学研究センター)
0220 「団体の紹介:学問と平和を守る大学人会」 『ヒロシマ・ナガサキの証言’82冬 創刊号』所収
1983
0520 『現代日本の政治』(北西允。山田浩著、法律文化社)
0930 『青春回想録 廣高その永遠なるもの 廣島高等学校創立六十年記念』(廣島高等学校同窓会)
1984
0331 『軍備と軍縮の歴史』(広島平和文化センター)
0830 山田浩編『平和学講義』(勁草書房)
1985
0215 『半生雑記帳』(溪水社)
0730 「限定核戦争論 第2報告者 山田浩」(『核戦争の危機と人類の生存』江口朴郎 他編、三省堂)
1130 「限定核戦争政策について 」(『平和のメッセージ 核戦争の脅威をのりこえて』アンセルモ・マタイス、関寛治編、明石書店)
1986
0630 「広島大学平和科学研究センターの歴史と今後の課題-平和研究の制度化推進のために- 山田浩」(『ヒバクシャと現代 創立20周年記念』日本科学者会議広島支部)
1987
0101 「ゲイサー報告をめぐる若干の考察―アメリカ核戦略の転換期における先駆的な道標―
山田浩」(『広島平和科学 9 1986年』広島大学平和科学研究センター)
0211 「核廃絶の道を探る-山田浩氏、金井利博氏との座談会(昭和四七年)」(『安部一成論文選集 5巻 原水爆禁止運動』東洋図書出版)
1107 「大学と平和教育」(『平和研究 第12号 エスニシティと平和』日本平和学会)
1988
0301 『最近のアメリカ非核通常戦略の一般的な動向 「水平的エスカレーション」戦略とNATO戦略を中心として』
0310 『半生雑記帳 続』(溪水社)
1990
0630 「広島の活性化と文化・平和行政」(『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』香川不苦三著 中国新聞社編)
1992
0720 「核軍拡・軍縮の歴史と課題」(芝田進午編『戦争と平和の理論』勁草書房)
1995
0720 「社会科学者と原水爆問題-故石井金一郎氏と私-山田浩(昭20文乙)」(『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』廣島高等学校同窓有志の会)
1997
0801 「金井利博氏とヒロシマ・核問題-『核権力』を読む 」山田浩<昭20文乙>)(『ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼』廣島高等学校同窓有志の会)
2000
1010 山田浩、吉川元編『なぜ核はなくならないのか 核兵器と国際関係』(法律文化社)
2002
1120 『現代アメリカの軍事戦略と日本』(法律文化社)
2004
0101 「米ロ間戦略核削減と「備蓄」問題―いわゆる「モスコワ条約」(SORT)の意義を考える―」(『広島平和科学 26 2004年』広島大学平和科学研究センター)
2006
0930 『核拡散問題とその対策の多様性 とくに武力行使について考える』(広島修道大学学術交流センター)

信州白樺―長田新特集

『信州白樺第61・62・63合併号―長田新特集』(信州白樺、1985/02/13)

内容

著者 タイトル 備考
005 長田新先生照影
006 長田新先生の分骨の墓碑
007 長田新年譜
035 長田新 ペスタロッチに還れ-上からの教育学より下からの教育学へ
043 長田新 平和を築くことが人間としての最高の道徳である
55 飯島宗一 長田新先生のことども
58 碓井正久 長田新先生と「新知育論」
67 太田尭 ペスタロッチの「直観」論と長田新
70 沖原豊 学問と平和を求めて-書斎から街頭へ-
80 金子金治郎 長田新先生の私的回想
94 小崎軍司 感銘をうけた教育評論
103 田畑忍 長田新博士との出会い
106 寺田英夫 最後の教え子として-『平和をもとめて』-
113 伏見康治 長田新先生の憶い出
115 福島要一 長田新先生と私
125 細谷俊夫 長田新氏を追想して
127 堀内守 長田新の教育学
135 宮坂広作 「近き理想主義」の教育哲学
151 村井実 長田新先生の郷土性
156 森滝市郎 ゲッチンゲン宣言と長田新先生
161 松浦勉 「大正自由教育」と部落問題-長田新の被差別部落民教育論-
230 羽仁説子 平和への祈りとともに
232 島為男 長田先生の片影
238 山口勇子 行動する知識人
240 与田準一 子どものしあわせ
241 柴谷久雄 学者として市民として
243 武内利忠 原爆の子の父-長田先生を衷いて-
256 玉置孝 いかに生くべきか
266 上原専禄 「同志」だけではなかった長田さん
268 上田庄三郎 日本自由教育史の先駆者
269 小川太郎 戦時中の長田さん
272 坂田昌一 あやまち二度とくりかえさせませんから
273 末川博 平和のための闘士
275 砂沢喜代次 日本民主教育の先達
279 南原繁 真理と平和を求めて
281 ハンス・シュテーエッドバッハー 日本におけるペスタロッチ運動創設者の追想のために
283 前芝確三 その面影をしのびつつ
285 務台理作 長田新博士を偲ぶ-人間の可能性を強く信じた理想主義者-
287 矢川徳光 「社会科学的ヒューマニズム」の立場に立って
289 特集 反戦・反核を訴える詩人たち
290 小崎軍司 プロローグ「反戦・詩人と市民のつどい」
294 三井為友 現代日本における反戦詩の役割
302 松本隆晴 歓迎の言葉
303 丸地守 朗読詩(1)
305 小崎軍司 上田自由大学運動の今日的意義
310 森田宗一 反戦平和への行脚の旅
314 長谷川龍生 戦争と人間
318 大島博光 抵抗詩について
322 藤原定 戦争と民主主義
326 増岡敏和 峠三吉と『原爆詩集』
332 朗読詩(2)
334 長田三郎 歴史を繰り返さないために
337 清野竜 エピローグ 一参加者の個人的な感想
340 船山謙次 長田教育学に学ぶ
372 自由席
松浦勉 本誌掲載の拙論について
宮坂栄一 編集記を兼ねて

 

資料年表:フロイド・シュモー

フロイド・シュモー

18950921生20010420没 享年105歳 米国の平和活動家。シュモーハウス。

資料年表:フロイド・シュモー<作業中

年月日 事項 備考
1895
0921 アメリカ中西部の一農家に誕生。
1949
 0702  フロイド・シュモー(クエーカー教徒)ら4人、広島市に育児診療所建設のため17日にサンフランシスコを出港予定。  C
1951
0331 『外國人より廣島によせることば』(広島県土木部計画課)
「(7)廣島の家 計画主任 フロイド・シュモー博士 13」
 1952
1001 『日本印象記』(フロイド・シュモー(Schmore,Floyd)(著)・大原三八雄(訳)
広島ピース・センター(刊))
1995
0801 『けんみん文化 1995.08』(広島・県民センター文化情報課)
まちかど シュモー会館
2013
0201 『平和文化 2013.2』(広島平和文化センター)
シュモーハウスがオープン………1~2
 2017
 1201  『平和文化 2017.12』(広島平和文化センター)
 Sarayama Village ―フロイド・シュモーが写した広島・江波・皿山…⑬
 2004
 ?? 原爆資料館のヒロシマ・ピース・ボランティア 3人、「シュモ―さんの『ヒロシマの家』を語りつぐ会」を結成。
 2012
1101 「シュモーハウス」、広島平和記念資料館付属展示施設として開館(広島市中区江波二本松一丁目)
 2014
1101  『ヒロシマの家 フロイド・シュモーと仲間たち』(シュモーに学ぶ会)
2018
1001 『月刊放送ジャーナル 2018.10』(第48巻第9号)
ETV特集 ~シリーズアメリカと被爆者第1回『シュモーさんを探して』~…鈴木典之…36
1101 『歴史地理教育 2018.11』( 886号)歴史教育者協議会
探訪ミュージアム112 シュモーハウス[広島平和記念資料館付属展示施設](広島市) 谷本真由美
2020
 1221  『広島平和記念資料館総合図録 ヒロシマをつなぐ』(広島平和記念資料館編、広島平和文化センター)
  コラム「シュモーハウス フロイド・シュモーと『広島の家』計画」

 

日本印象記-ヒロシマの家

『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著、大原三八雄訳、広島ピース・センター発行、19521001)

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内容

フロイド・シュモー博士の横顔―序文にかえて 訳者 1
日本印象記(ヒロシマの家) 1
71 シュモー博士と広島の家 浜井信三
75 跋 谷本清
Japan Journey by Floyd Schmoe (Silver Quoin Press 1950)

川端康成

川端康成

かわばた・やすなり 18990614生19720416没 享年72歳 日本ペンクラブ会長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。

資料年表:川端康成<作業中

年月日
1899
0614 誕生
1949
1126 川端日本ペンクラブ会長ら、国際ペンクラブ大会(1950年・英国)出席に備え広島市を訪問。 C
1950
0415 日本ペンクラブ主催「広島の会」。川端会長らペンクラブ会員約80人参加。講師:川端、石川達三、真杉静江、阿部知二、原民喜ら18人。平和宣言を発表。 C
1959
0814 川端から広島「憩いの家」(広島市宇品町)に小説990冊が届く。
1961
0730 日本ペンクラブ、広島「憩いの家」の運営資金にと42枚の色紙を贈る。寄贈者:川端、井伏鱒二、井上靖、徳川無声、丹羽文雄、佐藤春夫、東郷青児ら。
1967
0612 世界平和アピール7人委員会の4人(茅誠司・川端康成・上代たの・内山尚三)、佐藤首相に文化人18人が署名した原爆被爆者援護法制定に関する要望書を手渡す。
1969
0816 広島「憩いの家」主催「被爆者援護第7回文芸家・画家・国際色紙展」(会場:広島市・福屋百貨店)。川端ら約120人、300点を出品。サルトルらの被爆者へのメッセージも展示。
1970
0814 広島「憩いの家」主催の被爆者救援の色紙展(会場:広島市・福屋百貨店)。川端らの色紙300点を展示。
1972
0416 神奈川県逗子市のマンションでガス自殺。72歳。
2016
0921 森本穫「緑地帯 川端康成と広島<1>」(『中国新聞』連載)~<8>(9月30日)。

駆けぬけて 羽原好恵追悼集

 

『駆けぬけて 羽原好恵追悼集』(羽原好恵追悼集刊行委員会、1993/12/01)

内容

003 吉見弘(中国放送) 序にかえて
015 日記(抄) 19921124~19930412
023 追悼文
025 松林俊一 一枚の写真から 広島市公文書館
028 磯崎弘幸 もう、好恵さんのすがすがしい声をきくことはできない 民放労連書記長
031 市川美根 羽原さんと真珠の指輪 東京放送
033 隅井美沙子 浅草デート 東北放送
036 宮崎安男 羽原さんの笑顔 原水爆禁止広島県協議会代表委員
040 尾津訓三 透明な人 日本演劇学会
042 大林進 働く仲間の中にはいつも好恵さんがいた 元山陽新聞
045 古浦千穂子 無念の死 作家
048 岡本美紀 放送局で女性の数が半分になったら ラジオ日本
051 原田東岷 羽原さんを悼む 医師
054 川上三夫 歌わなくなったうた 元山陽新聞
056 井口泰子 彼女の闘いの終りに 作家
059 安部親雄 羽原かあちゃんを偲んで 「寿司富」店主
061 水藤晉 残酷な地雷 共同通信
063 岡野信子 ホンモノの優しさ 梅光女学院大学名誉教授
067 河井章子 イチ抜-けない 元中国放送
070 杜師弘一 人間を そして哲学を 中国放送
073 松本洋 明るく親切だった ヤンちゃんへ 元・元宇品小学校教諭
075  高岡日出子 まだまだ生きてほしかった   東京放送
078  森悦子 勇気ある旅立ち  広島市役所
080  田辺昭太郎 好っちゃんの怒ったとき  映画プロデューサー
082  岡本純江 ゆっくり休んで…  毎日放送
083  今田純子 いまごろになって 朝日放送
084  寺本真名 爽やかな人  元放送映画製作所
085  野崎清 精一ぱい生きた人   朝日放送
086  井上俊逸 メッセージ・フォー・あす  中国新聞
089  酒井幸 ボルゴグラードでの思い出 中国新聞
093  香川そのみ 女性記者であること  中国放送
095  中川幹朗 羽原さんの思い出  皆実高校教諭
098  徳光国弘 年上の女 は婆らさん  中国放送
101  須山楓 羽原さん 力をかして 南海放送
104  丸屋博 友よ、さらば 羽原さんの残した課題  広島共立病院名誉院長
109  栗本陽子 私達にできること  大阪文学学校研究生
111  天野茂 羽原好恵さん逝去の悲報に  元比治山女子短大教授
112  芝田進午 羽原好恵さんへの感謝  広島大学名誉教授
115  池谷洋二 チロ  毎日新聞
118  柴田和広 宿題 中国放送
122  三宅芙由  大芝小学校4年
123  長谷川洋 遠い声  共同通信
127  石田明 ヒロシマからあなたへ  被爆者
132  坂本治子 まるでマリア様のように  民放労連中四国地連・広島テレビ労組書記長
134  沼田鈴子 羽原好恵さんとの「きずな」  語り部の会
137  荒井栄子 姉のようだった好恵さんへ 中国放送
138  水野喬 牛んでも「モーン」  RCCミュージック
142  石嵜隆博 拝啓 羽原さま
広島市役所
144  古島哲朗 羽原さんの死が問いかけるもの  歌人
146  籔井和夫 クラブの母  中国新聞
149  川路恵理子 平和公園で会いましょう  毎日新聞
151  栗原貞子 ヒロシマの人体実験はまだ続いている  詩人
159  中村一郎 しっかりしんちゃい  読売新聞
161  田代真理子 天国でどうしていますか  中国放送
163  松本愛子 あなたの声を聞いてみせます  山陰放送
165  奥村宗洋 いつもの笑顔で  読売新聞
167  T・U 実録 好っちゃんの失敗
169  佐々木典明 『ヒロシマ記者』ヨッチャンの軌跡 中国放送
173  高木春美 沖縄大会を無事終えて  西日本放送
175  赤松怜子 この人好きだな…  西日本放送
177  大元誠司 一緒に伝えたい  CGオペレーター
181  藤原茂 思い出を語るにはあまりにも…  読売新聞
183  谷上朋子 青空グループ  中学校同級生
187 水原肇 雑誌『正觀』生みの親だった羽原好恵さん ジャーナリスト
191 遺稿
193 ささやくキャンパス― 1970年8月
195 とうとう社員にさせました― 1972年4月
201 白馬が跳ぶ海のことば― 1979年7月
217 ボルゴグラード友好の旅 1987年7月
220 ある日突然 海・外・取・材― 1990年3月
226 みつめる90 平和の夢を追いつづけて― 1992年4月
242 中四国地連第14回婦人集会へのメッセージ― 1993年2月
244 在広民放4組合婦人部合同「お花見」へのメッセージ― 1993年4月
245 おもいで
247 45歳いのち見つめて 新聞記事より
家族より
251 山根喜美子 好恵が生まれたころ
254 羽原博子 好恵さんに逢えて 義妹
256 羽原幹男 好恵とのこと
267 堀口勲 弔辞 中国放送社長
269 原森勝成 お別れの言葉 中国放送労組
273 田端佐紀子 弔辞 友人代表、広島テレビ放送
275 羽原好恵年譜
279 原森泉 あとがき
池本恵子、田端佐紀子、野田恵美、原森勝成、三宅泰次、山原玲子、三宅文枝

 

羽原好恵

羽原好恵

はばら・よしえ 19450730生19930418没 享年47歳 RCC中国放送勤務。

羽原好恵年譜<『駆けぬけて 羽原好恵追悼集』(羽原好恵追悼集刊行委員会、1993/12/01)>

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平和をもとめて 長田新論文・追想記

『平和をもとめて 長田新論文・追想記』(広島大学新聞会編・刊、19620325)

内容

はしがき(岡本明)
長田新論文
03 ノーモーア広島か、ワンスモーア広島か 『広島大学新聞』第13号、19520417
07 原子爆弾は何故投下されたか 『世界』195309
24 原爆をつくる人、こわす人 『改造』195310
46 原水爆と日本の子供たち 『思想』195408
68 松川事件に思うこと 『松川通信』19581107,1115号
73 核武装激化の歴史―原水爆禁止大会を迎えて 『中国新聞』19590806,0807
80 安保条約改訂のもたらすもの―危機日本のピーク 19590505
93 学生運動と危機にたつ日本 『広島大学新聞』第75号、19590408
96 大学の自由と独立 『広島大学新聞』第84号、19591125
98 国民教育の大道―危機を突破せよ 『広島大学新聞』創刊100号、19601210
103 青年学徒の使命 『広島大学新聞』104号、19610330
107 民衆の中へ-若き日のペスタロッチー 『広島大学新聞』96,97、101号
114 ペスタロッチーに還れ―上からの教育学より下からの教育学へ
126 最近の体育問題
追想記
157 長田新博士のこと 南原繁
159 平和のための闘士 末川博
162 「同志」だけではなかった長田さん 上原専禄
164 熱烈なヒューマニスト 田畑忍
167 その面影をしのびつつ 前芝確三
169 あやまちは二度とくりかえさせませんから 坂田昌一
171 長田さんにつながる想い出 福島要一
176 フィヒテと同じ道を歩んだ人 細谷俊夫
178 荒けずりな人・朴訥な人 三井為友
181 戦時中の長田さん 小川太郎
184 日本民主教育の先達 砂沢喜代次
190 長田教育学の発展 船山謙次
195 学者として市民として 柴谷久雄
197 実践的な学者 鈴木直吉
200 「幼き神の子の声を聞け」 森滝市郎
204 長田先生についての私記 金子金治郎
213 大学の研究室における晩年の長田先生 沖原豊
221 いかに生くべきか 玉置孝
235 偉大なおやじをうしなって 篠原孝義
239 敬・愛・信 西原章
246 ペスタロッチーと長田先生と 清水慶子
253 原爆孤児を守るために 山口勇子
257 原爆の子の父-長田先生を喪いて 武内利忠
273 「真理は最後の勝利者である」 大内昭三
278 若き学徒の渇仰の的 為藤五郎
279 日本の自由教育史の先駆者 上田庄三郎
281 長田教育学の本質 矢川徳光
292 偉大なる生涯 森徳治
304 長田先生の片影 島為男
312 先生と先生の最初の弟子達 島為男
323 不滅の真理をかかげて 李東準
329 日本におけるペスタロッチー運動創設者の追想のために ハンス・シュテットバッハー
333 長田新略伝
362 あとがき

勅使河原宏

勅使河原宏

てしがわら・ひろし 19270128生20010414没 享年74歳 映画監督、草月流家元。

資料年表:勅使河原宏<作業中

年月日 事項 備考
1927
0128 東京・青山で誕生。
1956
記録映画「生きていてよかった」(監督:亀井文夫、助監督:勅使河原宏)
1957
06 記録映画「世界は恐怖する」(監督:亀井文夫、助監督:勅使河原宏)
1981
0905 『創造の森』(草月出版編集部著・編、草月出版)
1982
0325 勅使河原宏(草月流家元)、広島原爆病院に100万円寄付。(出典:『中国新聞』)
0325 ~30日。「中国地区草月展」(広島・福屋)
0325 草月流レセプション。於福屋。藤居・松原<宇吹メモ>
1110 『勅使河原宏カタログ』(草月出版編集部、草月出版刊)
1988
1013 勅使河原宏「東京駅をいける」<(『東京駅と煉瓦 JR東日本で巡る日本の煉瓦建築』(東京ステーションギャラリー編集・デザイン、東日本旅客鉄道刊)>
1997
04 「ART 勅使河原宏展」<『けんみん文化 1997.04』(広島・県民センター文化情報課)>
1998
0331 『1997話題の展覧会から ◎勅使河原宏展「舞竹」』<『’98美術ひろしま』(広島市文化振興事業団)>
2001
0414

 

 

蜂谷道彦

蜂谷道彦

はちや・みちひこ 1903生19800413没 享年76 蜂谷道彦 『ヒロシマ日記』(朝日新聞社、1955)

資料年表:蜂谷道彦<作業中

年月日 事項 備考
1903 岡山県生まれ
1929 岡山医科大学卒
1942 広島逓信病院院長就任
1945
0806 逓信病院近くの自宅で原爆被爆、大怪我。8月11日職場復帰。原爆投下直後の56日間の職務記録、1955年に『ヒロシマ日記』として出版(朝日新聞社)。
1952
0601 「原爆放射線病の回顧 蜂谷道彦」(『広島医学』)
1959
0613 土木学会第45回通常総会記念講演「原爆の災害と家屋の放射遮蔽効果」(学会誌 (jsce.or.jp)
1966
0815 広島逓信病院院長辞職。
1980
0413 死去。

ペンギラン・ユソフ

ペンギラン・ユソフ

19210502生20160411没 享年94歳 元南方特別留学生として広島文理科大学に在学中被爆。元ブルネイ首相。

資料年表:ペンギラン・ユソフ<作業中

年月日
1921
0502 誕生
1964
0516 旧広島大学在学中に被爆死したマレーシア人留学生の遺族、広島市を訪問 C
2013
0422 元南方特別留学生ペンギラン・ユソフへの広島大学名誉博士号授与式、在ブルネイ日本大使館で実施。<広島大学 (hiroshima-u.ac.jp)
名 誉 博 士 候 補 者 調 書
2016
0411 死去。広島文理大に在学していた南方特別留学生9人のうちの最後の存命者。 C

小黒薫

小黒薫<作業中

おぐろ・かおる ****生20040410没 享年90 1974~1978年、広島女学院大学長?院長?<投稿>

資料年表:

年月日 事項 備考
1956
1201 小黒薫「音楽談義」(『トルソ 創刊号』(広島女学院大学文芸部)所収)
1970
小黒薫「ヒロシマとは何か」(『現代における平和への条件-1970ヒロシマ会議』)
1973
0625 ヒロシマの意味』(日本評論社、19730625)
1976
1001 「女学院教育の特色と創立100周年への展望(小黒薫院長)」<『九拾年の歩み』(広島女学院創立90周年記念誌編集委員会)>
1979
0110 ソ連地下核実験。12日、原爆慰霊碑前(広島)で抗議の坐り込み。小黒薫前広島女学院大学長、大原亨代議士ら約100人が参加。
2004
0410

 

井上ひさし

井上ひさし

いのうえ・ひさし 19341117生20100409没 享年75 本名:井上廈。日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任。<資料年表>

資料年表:井上ひさし<作業中

年月日 事項 備考
1934
1117 誕生
 1994
 09  『父と暮らせば』
1995
0810 『社史に見る太平洋戦争』(井上ひさし編、新潮社)
1025  広島高校生平和ゼミナールの生徒、「父と暮らせば」広島公演の出演者に、被爆かわらを贈る。  C
 2004
 「九条の会」呼びかけ人 <「九条の会」オフィシャルサイト (9-jo.jp)
 2008
0222  井上ひさし作・朗読劇「リトル・ボーイ、ビッグ・タイフーン」、フォーラム(東京都渋谷区)で初舞台。  C
2010
0409 死亡。

 

原爆ドームと楮山ヒロ子

『原爆ドームと楮山ヒロ子 ヒロ子の日記と原爆ドームの保存』(寺田正弘・中村秀次・吉村勝文著、原爆ドームと楮山ヒロ子の会、20191215)

内容<作業中

章節
序にかえて 2
1 楮山ヒロ子の生涯と人となり 9
1-1 今なぜ楮山ヒロ子なのか 10
1-2 原爆ドームと楮山ヒロ子 11
1-3 楮山ヒロ子の生い立ちと人となり 14
(1)生い立ち 14
(2)社会的背景(どのような生活環境の中で育ったのか) 21
(3)人となり 24
小学校時代 24
中学校時代 26
高校時代 28
1-4 楢山ヒロ子の追憶 31
(1)小学校卒業時のクラス写真より 31
(2)中学校卒業時のクラス写真より 32
(3)中学校の卒業文集より 33
(4)中学校卒業時のクラスメートにあてたサイン帳より 34
1-5 小・中・高校時代を振り返って 36
(1)小学校時代と中学校時代 36
(2)中学校時代のクラスの雰囲気 36
(3)高校時代 37
1-6 なぜ佐々木禎子のように名が広がらなかったのか 37
(1)佐々木禎子の生涯と人となり 37
(2)彼女はなぜ広く知れ渡るようになったのか 38
(3)楮山ヒロ子があまり知られていないのはなぜか 39
(4)佐々木禎子と楢山ヒロ子の共通点 39
(5)急性白血病とは 40
1-7 楮山ヒロ子の日記について 41
(1)なぜ日記をつけ始めたのだろうか 41
(2)なぜ8月6日にあのような日記が書けたのか 42
(3)なぜ日記が公開されるに至ったのか 45
1-8 追補 45
1-9 追加(前回発行した『ある日』への追加文です) 46
(1)国際婦人会議宛ヒロ子のお母さんのメッセージより 46
(2)「幼き日のひろ子さん」古池あさよさんより 48
(3)「惜別」段野信子さんより 51
2 ドーム保存へ 53
1.『ある日楮山ヒロ子の日記』 54
2.楮山ヒロ子の日記から原爆ドーム保存へ 56
3.河本一郎の略歴とドーム保存までの歩み 70
4.河本一郎の人となり 81
5.原爆ドームの存廃論義 85
3 対談集 89
3-1 段野・三上さんから楮山ヒロ子および河本一郎・折鶴の会などについて尋ねる 90
(1)楢山ヒロ子と段野(旧姓沖田)さん 91
(2)楮山ヒロ子の日記とドーム保存 96
(3)「折鶴の会」と河本一郎 100
(4)折り鶴の処理 107
(5)「折鶴の会」のさらなる活動 110
(6)ヒロ子の親友、段野(旧姓沖田)さんとめぐり合う 112
(7)マクミラン先生との出会い 120
(8)河本一郎と自転車 122
(9)被爆70年、ドーム100年 124
(10)ヒロ子の葬儀 126
3-2 黒瀬先生(広島女学院理事長)から河本一郎について尋ねる 128
(1)河本一郎との出会い 129
(2)河本一郎と広島女学院とのかかわり 132
(3)広島女学院退職後の河本一郎 134
(4)佐々木禎子を世界に向けて発信 136
(5)河本一郎の原点 138
(6)YMCAとの接点 140
(7)河本一郎の原動力 143
4 平和への歩み 147
1.なぜアメリカは日本に原爆を投下したのか 148
2.原爆はどのようにして開発されたか 152
3.なぜ広島・長崎が投下目標に選ばれたか 153
4.原爆投下に関するいくつかの重要な証言 155
5.楮山ヒロ子の日記のメッセージを書き残して行く意義と責務 159
6.原爆投下に関する日米の公式見解 160
7.追記 161
5 マスメディアによる取材 163
5-1 国内にむけての報道 164
(1)新聞より 164
(2)テレビより 165
5-2 国外にむけての報道 166
(1)****ントンポスト(アメリカのインターネット新聞)より 166
(2)NHKワールドより 167
あとがき 168

楮山ヒロ子

楮山ヒロ子

かじやま・ひろこ 生19600405没 享年17 広島で被爆。急性リンパ性白血病のため広島市民病院で死亡。<投稿>

資料年表:楮山ヒロ子

年月日 事項 備考
出典:C=『中国新聞』
1960
0405 急性リンパ性白血病のため広島市民病院で死亡。 C
0505 広島「折鶴の会」、原爆ドーム保存のための署名と募金運動開始を決める。楮山ヒロ子が日記(1959年8月6日)「あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも、恐るべき原爆を後世にうったえてくれるだろう」と記していたのが動機(「アンヘルの名とともに―河本一郎小伝」)。 C
0806 原爆の子の像(広島平和記念公園)前で追悼の集い(3回目)。広島子どもを守る会「あゆみグループ」、レイノルズ夫妻など約200人が参列。楮山ヒロ子の日記(1959年8月6日付)紹介。 C
1967
0804 広島「折鶴の会」、楮山ヒロ子の日記を中心に同会の歴史をつづった「爆心地」を発刊。 C
1994
0802 楮山ヒロ子の日記、広島原爆資料館へ寄贈へ。 C
2011
0331 2012年度からの中学校用教科書の検定に合格した歴史教科書(東京書籍)、楮山ヒロ子の日記をきっかけに60年代に広がった原爆ドーム保存運動などを紹介(山本洋子・記者)。 C
2019
1215 『原爆ドームと楮山ヒロ子』(寺田正弘、中村秀次、吉村勝文著、原爆ドームと楮山ヒロ子の会刊)

志あるところ必ず道あり 大原亨追悼録・遺稿集

『志あるところ必ず道あり 大原亨追悼録・遺稿集』(発行編纂委員会、19910806)

内容<作業中

著者 タイトル 備考
多賀谷真稔・秋葉忠利
序にかえて
秋葉忠利
追悼の辞
大原亨 経歴
001 第1部-1- 社会保障の大原
倒れても、なお、社会保障を 多賀谷真稔 2
大原先生・3つの思い出 伊藤茂 8
年金改革に注がれた情熱 宇津木泰子 13
社会保障制度に生涯を捧げた政治家 内海英男 15
党政策の大先達だった友 堀昌雄 16
「私たちの年金」が生まれた頃の想い出 小口賢三 18
福祉・年金の小原先生への思い 岸田文武 25
30年一筋に医療保障・年金を追究 長尾立子 28
教えられた福祉と平和の国づくり 三井速雄 30
瀬戸内海環境保全と年金で活躍 林義郎 36
「共済組合四法案」の闘いを担って 前田弘 40
045 第1部-2- 政治家としての大原像
慈しみの心で政治に取り組む 藤音晃祐 46
大衆への愛情をこめた政治家の姿 金子みつ 48
勉強家だった社労の大人 横山泰治 50
頼りがいある海坊だった 上杉佐一郎 54
大原君とはもっと話したかった 小杉進 57
「趣味は勉強」の大原先生 森井忠良 60
政治と郷里の大先輩を偲ぶ 粟屋敏信 63
大原先生の人間像を偲ぶ 小森龍邦 66
衆議第一議員会館215号室 素顔の大原さん 秋信利彦 71
初当選をおでん屋で祝ってくれた人 福岡義登 74
大原先生の幾つかの思いで 江田光子 76
パスポートなしで東独入り 海野明昇 78
在京秘書として働いた思い出から 石川弘美 81
085 第2部-1- 地元が語る政治家大原
終りを全うした人 竹下虎之助 86
大原先生と広島市長選挙 荒木武 88
県労会議と平和運動での大原さん 浜本万三 90
大原先生は私の労働運動の師 藤崎徳雄 92
遺影を奉じて被爆者援護法の実現へ 森瀧市郎 98
先生との出会いを心に 吉川生美 99
放影研発足のきっかけを作られた先生 重松逸造 101
昭和33年選挙から関わり続けて 山下三郎 103
大原君と広高教組のことども 岡本清 110
平和を望み、愛した大衆政治家 川崎美澄 115
気どらず気さくな人だった 斎藤尊 117
119 第2部-2- 身近な人が語る大原像
大原亨先生のほこり 鶴敍 120
一言に思いをこめて 庄野直美 134
信心の人・誠実の人・大原先生 武野似徳 135
郷土広島のためにも多大の功績 明星正明 137
町内で語り合った先生の思い出 山本秀雄 138
「むすび会」からと大原先生を懐う 増原千代子 140
「虹の会」の思い(1) 唐川敏子 145
「虹の会」の思い(2) 竹本久子 148
いただいた2枚の書に思う 村井浩 149
大原亨の生まれ故郷を語る 大原信 153
亨さんの生いたちと働きを偲んで 大原輝子 155
私人としての「亨君」を語る 岡本隆 159
勲一等より尊い勲章 山田文雄 165
普段着姿の義兄への思い 大原篤子 172
志あるところ必ず道あり 大原邦夫 174
179 第3部-1- 最後の論文
90年3月5日付の書簡 180
「逆転下の年金改正の総括」(上) 181
「逆転下の年金改正の総括」(下) 188
195 第3部-2- 国会における演説・質疑
初質問 第29国会・衆議院社会労働委員会(58・6・27)原爆被爆者の医療対策に関する質疑 196
第68国会・衆議院本会議代表質問(72・2・1)社会保障政策-老人福祉・医療等 207
第68国会・衆議院本会議趣旨説明(72・4・25)「公的年金の年金額等の臨時特例に関する法律案」 226
第71国会・衆議院本会議趣旨弁明(73・7・10)「活動火山周辺地域における避難施設等の整備等に関する法律案」 231
第72国会・衆議院社労委提案理由説明(74・4・4)「原子爆弾被爆者等援護法案」 234
第96国会・衆議院社労委(82・4・22)原爆関係2法案に対する質疑 237
第102国会・衆議院本会議(84・12・13)永年在職議員表彰に対する謝辞 255
第102国会・衆議院社労委(85・5・23)原爆被爆者対策に関する質疑 257
第104国会・衆議院予算案(86・2・17)部落差別問題に関する質疑 272
最後の質問 第116国会・衆議院社労委(89・11・22)国民年金法等一部改正案などに対する質疑 289

 

森脇幸次

森脇幸次<作業中

もりわき・こうじ ****生19770430没 享年68 中国新聞論説委員、取締役編集局長、中国地方経済連合会常務理事。
moriwaki-kicho
出典:『広島新史編修手帖 No.1』

 

杉村春子

杉村春子

すぎむら・はるこ 19060106生19970404没 享年91 女優。本名:石山春子。広島市出身。『広島県現代文学事典』(九内悠水子・記)。映画吹き込み現場に立ち会う。<投稿>

資料年表:杉村春子<作業中

年月日 事項 備考
出典:C=「中国新聞」
1906
0106 誕生。
1961
0614 杉村春子・朝永振一郎・末川博・亀井勝一郎・坂田昌一・中島健蔵・鈴木一雄、「7人の集まり」を結成、平和アピール発表。(『平和アピール20年運動史』) C
1963
0613 人権を守る婦人協議会、「原子力潜水艦の日本寄港に反対する婦人へのアピール」を発表。市川房枝・山高しげり・淡谷のり子・平塚らいてう・杉村春子など151人が署名。  C
1966
0601 「東京の原爆被害者をはげます集い」、東京都体育館(東京・千駄ヶ谷)で開催。都内の被爆者・家族約1700人など約8000人が参加。松本清張・杉村春子など在京文化人有志50人の呼びかけ。  C
 1967
 0714  広島テレビが芸術祭参加番組として制作するセミ・ドキュメンタリー「百日紅の花」の撮影始まる。監督:松山善三、主演:杉村春子。  C
 1004  広島テレビ制作、芸術祭参加番組「百日紅の花」放送(日本テレビ系は10日)。監督:松山善三、出演:杉村春子、木村光江ら。 C
 1969
 広島テレビ、芸術祭参加番組「碑(いしぶみ)」。 C
2006 
 0714  映画「母たちの祈り」でナレーションを務めた杉村春子さんから「ヒロシマの心とあるが、これはどういうことか」と尋ねられ、立ち会っていた私(宇吹)は、「ある市民からノーモア・ウォ―、ノーモア・ヒロシマと聞きました」と言ったら、「その気持ちで読もう」と言われた  C
  『中国新聞』(2006年7月14日)

 

伊藤実雄

伊藤実雄<作業中

いとう・じつお 19060325生19840404没 1946年4月の総選挙で広島全県区(当時)から初当選、1期。『古稀を越えて 伊藤實雄』(1982.2.25)

資料年表:伊藤実雄

年月日 事項 備考
1906
0325 出生地:広島県安芸郡熊野町。
1945
0808 子息・伊藤忠造(広島県立広島1中1年)原爆被爆により死亡。(「ご遺族からのアンケート」『ゆうかりの友』pp.91-92)
1977
0729 『回顧録』(広島県農業会原爆物故者追悼法要執行委員会)
1982
0225 『古稀を越えて』
1984
0404 死亡。

資料年表:大北威

資料年表:大北威<作業中

年月日 事項 備考
C=出典:『中国新聞』
1976
0606 大北威、第17回原子爆弾後障害研究会で発表。「広島の被爆者の白血病発生は全国平均に比べ依然高率」 C
1977 広島大学原医研、大北威血液学研究部門教授を新所長に選出。4月1日発令。 C
0224
1981
0319 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第1回>、米バージニア州ワレントンで開幕。~25日。12カ国100人が参加。日本から大北威、市丸道人(長崎大学)、庄野直美(広島女学院大学)が出席。 C
1208 パルメ委員会、広島市で研究討論集会。大北威と今堀誠二(広島女子大学長)が被爆の実相を説明。 C
1982
0403 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第2回>大会、英ケンブリッジ大学で開催。大北威が被爆後障害をスライドで紹介。 C
1983
0618 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第3回>大会、オランダ・アムステルダムで開催。福原照明広島市医師会長、大北威原医研教授が出席。7月12日、福原照明・大北威、帰国の記者会見。 C
1984
0405 大北威、野間祐輔広島県医師会副会長、児玉克哉(10フィート運動広島若者の会)の3人の核戦争防止国際医師会議(IPPNW)第4回世界総会への参加が決まる。 C
1985
03 大北威広島大学原医研教授、定年を待たず退官へ。国立名古屋病院副院長に就任。 C
1215 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のノーベル平和賞受賞を記念する学術講演会、広島市内で開催。大北威国立名古屋病院副院長、IPPNW共同代表2人が広島訪問実現の見通しと述べる。 C
12 広島平和文化センターの米国戦略爆撃調査団が広島の被爆直後を撮影した16ミリカラーフィルム全10巻の解説文作業完了。松重美人(写真家)・庄野直美・大北威の3人が担当。 C