「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

DDT革命

『DDT革命 占領期の医療福祉政策を回想する』((C.F.サムス著、竹前栄治編訳、岩波書店))

内容

1 日本進駐
2 ペリメーター(前進区域)
32 原爆に関する命令
42 サムス、厚生省訪問
3 東京
52 旧陸海軍病院要図(1944年)
56 浮浪児
4 GHQ公衆衛生福祉局の設置
5 日本文化との出会い
6 食糧・栄養問題
106 栄養調査に見る食堂
113 食糧放出年表(1946.1―1946.8)
122 学校給食
7 予防医学の導入
134 DDTの歌
144 中東チフス使節団と日本占領
152 府中刑務所での人体実験
162 卵ワクチン紛失事件
172 ”日本脳炎”命名の由来
176 日本B型脳炎感染経路の追求
 183 《性病》
200 BCG騒動
8 衛生統計
9 保健所制度の改革
214 厚生省衛生三局の発足のいきさつ
216 保健所組織の機構
218 モデル保健所
223 県衛生部設置のいきさつ
226 公衆衛生院カリキュラム
10 医学教育・病院管理・医師会など
244 インターン制度
250 13人委員会
263 《日本医療団=国家総動員法の一環として設置》
164 《軍医のレッド・パージ》
11 看護改革
12 製薬産業
284 ペニシリン
292 国立予防衛生研究所の新設―伝染病研究所からの分離
13 獣医
14 ABCC
308 ABCC設置に関する報告書
312 いったい何のために調べるのか―ABCCへの被爆者の反感
15 麻薬
16 社会福祉
336 ララとケア
17 社会保障
354 アメリカ社会保障制度調査団
18 コミュニスト
378 岩ケ崎事件
19 人口問題
20 占領の要約
21 日本での生活
414 コリアン・エピソード
解説 419
1 サムスのプロフィール
《1902年4月1日、イリノイ州セントルイス生まれ》
2 本書の特色
3 戦後医療福祉改革の意義
あとがき
占領下の医療福祉年表(サムス関係)
索引

 

竹前栄治

竹前栄治

14 2015 たけまえ・えいじ 84 占領史研究家。出版社の叢書執筆者の会合で同席。介護犬同伴だったことに強い印象。

資料年表:竹前栄治

年月日
1930 誕生
0804
1972
1230 『日本占領 共同研究』(思想の科学研究会編、徳間書店)
3占領政策をめぐって 対日労働政策-竹前栄治 401
1980
0731 『占領戦後史 対日管理政策の全容』(双柿舎)
1983
0228 『証言日本占領史 GHQ労働課の群像』(岩波書店)
1986
0811 『DDT革命 占領期の医療福祉政策を回想する』(C.F.サムス著、竹前栄治編訳、岩波書店)
1987
0228 『日本占領の研究』(坂本義和 [ほか]編、東京大学出版会)
7 革新政党と大衆運動 竹前栄治 243
はじめに 243
1.GHQの初期政党政策 246
2.政党の再建と労働運動の再生 258
3.むすび-連続性と非連続性 270
1988
1121 『占領と戦後改革 (岩波ブックレット シリーズ昭和史, No.9) 』(岩波書店)
1991
0124 『九人の語る戦争と人間』(三宅明正・若桑みどり編、大月書店)
敗戦と占領 竹前栄治 133
作業中
2015
0714 死亡。

灰墟の光 甦えるヒロシマ

『灰墟の光 甦えるヒロシマ』(ロベルト・ユンク著、原田義人訳、文芸春秋新社)

内容<作業中

メモ
1 空虚と混乱(1945年)
書物
原子砂漠
大洪水のあと
孤児とやくざ
位牌
2 新たな開始(1946-1948年)
夢見る人
たけのこ生活
〈アトム・ボーイ〉
〈杖さん〉
3 平和の町(1948-1952年)
わが道を行く人びと
こわし屋
殺人
八月六日
草履
4 生き残った人びと(1953-1957年)
救援の人たち
冷たい人たち
破滅にさからう二人
エピローグ
訳者あとがきに代えて

 

田中隆荘

田中隆荘

たなか・りゅうそう 1925生20080714没 享年82歳 生物学者。広島大学学長・広島市立大学初代学長。

資料年表:田中隆荘

年月日 事項 備考
1925
**** 生誕生
1977
0910 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会)
第3節 植物学分野(藤田哲夫、安藤久次、田中隆荘)12
1.原子爆弾の植物に対する影響調査のこと 12
2.被爆後爆心地附近に生じた雑草の調査と標本展示 16
3.被爆後広島市に残存または出現した蘚苔類の研究 16
4.原子爆弾による被害植物の解剖学的研究 17
1985
0501 『政治経済セミナー 5月号 第1029号』(政治経済セミナー社)
無限の可能性クローン植物 24
田中隆荘(広島大学理学部長)「バイオテクノロジーの世界」
0701 『政治経済セミナー 7月号 第1031号』(政治経済セミナー社)
座談会・広島県勢活性化と農業 30
生産構造・貿易摩擦・バイオテクノロジー
竹下虎之助・桑田束稲・小野誠志・橋本宗利
田中隆荘
1987
0301 『政治経済セミナー 3月号 第1051号』(政治経済セミナー社)
世界蘭会議とその背景 8
広島大学理学部教授 田中隆荘
1201 『政治経済セミナー 12月号 第1060号』(政治経済セミナー社)
大正生れ 哀歓の昭和史 34
広島大学理学部長 田中隆荘
1988
0501 『政治経済セミナー 5月号 第1065号』(政治経済セミナー社)
放射光利用研究センターの設立は地域活性化に役立つ 8
田中隆荘 広島大学理学部長
櫟本功 広島大学経済学部教授
1989
0521 広島大学学長就任。歴代学長 | 広島大学 (hiroshima-u.ac.jp)
大正14(1925)年広島県生まれ。広島高等師範学校・広島文理科大学卒業後、広島大学理学部教授等、広島大学評議員、同理学部長を経て、平成元(1989)年、広島大学長に就任。平成20(2008)年死去。専門は植物学。
1990
01 『けんみん文化 1990年1月号第5巻第10号』(県民センター)
けんみん・えっせい 自然と文化 田中隆荘 1
0630 『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』(香川不苦三著 中国新聞社編、中野出版企画)
第8章 生活環境
アルボレータム(樹林園) 広島大学学長 田中隆荘 132
1991
0926 原爆遺跡保存運動懇談会、広島大学理学部1号館の保存を田中隆荘学長に請願。 C
1219 広島大学理学部1号館の保存を求める声がOBの9割達し、後藤陽一名誉教授らが田中隆荘学長に保存策の検討を要請。 C
1993
0528 広島市、「ひろしま新世紀都市ビジョン懇談会」(座長:田中隆荘前広島大学学長)の第3回会合。朴子アドジャパン社長が広島市の「国際平和文化都市」の「平和」は「なぜ広島に原爆が落とされたかという視点が欠けている。加害面を無視したアンフェアな平和運動だったのではないか」と指摘。 C
1994
0415 平岡広島市長、開学した広島市立大学(田中隆荘学長)の第1期生を対象に講演。
1998
0707 『21世紀への平和と創造』(嶋矢志郎、渓水社)
発刊に寄せて…広島市立大学学長田中隆荘…i
1999
0215 『荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡』(荒木武追想録刊行委員会)
田中隆荘 85
1001 『核廃絶への新たな挑戦-東京フォーラムの意義と課題』(広島市立大学広島平和研究所)
広島市立大学長挨拶 田中隆荘氏…4
2008
0714

 

 

沼田鈴子と白梅女子短大学教養科平賀ゼミ(近現代史)

沼田鈴子と白梅女子短大学教養科平賀ゼミ(近現代史)

宇吹メモ(1995~96年)より<敬称略>

月日 事項 備考
1995
0131 平賀明彦(一橋の藤原彰ゼミ)より自宅に電話。白梅女子短大の学生の研修旅行に広島を選びたいので相談に乗って欲しい。5月の21日ごろからを予定
0502 広島シティ・ホテルへ電話。会場は6時以降ならあるとのこと。早めに予約するよう言われる。平賀に電話。
0509 M先生(「ヒロシマを語る会」のメンバー)から電話。証言は沼田鈴子に頼んだ。21日6時~7時、広島シティホテルでと伝えてある。住所=東区矢賀新町***。TEL***。昼間は大体平和会館に居る筈。
平賀明彦(東京・白梅女子短大学教養科)に電話。被爆体験証言者の沼田鈴子に連絡を取るよう伝える。
0517 沼田鈴子の自宅へ電話。21日の白梅の件を依頼。
0521 出勤。白梅の学生に話すためのスライド準備。5時半、広島シティホテル到着。平賀と話す。5時50分ごろ沼田鈴子が来る。沼田が朝フロントに預けていた荷物が見つからずに大騒ぎをしたが、既に講演会場に運ばれていた。
平賀の話=今日は、原爆資料館には入館せず、平和公園の見学やビデオ「ヒロシマ母たちの祈り」の鑑賞
18:00平賀ゼミ(近現代史)2年生15人と一緒に、広島シティ・ホテルで沼田鈴子の話を聞く。皆、熱心に聞き、沼田も一生懸命話す。7時までの予定が、8時40分までとなる。終了後、沼田を自宅まで私の車で送る。
0522 白梅女子短期大学平賀ゼミ一行への講演。於原医研講堂。-10時40分。Nがスライド係。寝ても良いと初めに言っておいたら、昨夜の疲れか、半分くらいは寝ていた。陸軍墓地まで案内して別れる。謝礼として菓子と1万円を貰う。両方をNに渡す。
平賀の話=これから原爆資料館などの見学、明日は、自由行動の予定。夏にゼミの卒業生と広島に再び来たい。その節にもよろしく。
その後
1220 K、来所。Kの話=Kは、どの会にも属さず、フリー。沼田鈴子は、ヒロシマを語る会を離れフリーになった。
1996
0304 T(自衛隊学校教官)来所。原爆検閲が緩んだ最大の原因は、東京裁判の結審との仮説。太平洋史観などをめぐり大いに論争する。沼田鈴子に会って、彼女の歴史観に「自虐的歴史観」との批判を持つ。彼女からは、自衛隊は嫌いとの非難を受けた由。
0807 F(長崎被爆者団体代表)来所。**がまとめた沼田鈴子の伝記や栗原貞子について私が見解を述べたので話が長くなってしまった。Fは今回二人に会う予定とのこと。
1011 T(自衛隊学校教官)来所。戦略爆撃調査団の報告書の原文を一部コピー。2月にアメリカ軍の研究者との意見交換の会合に出席する由。沼田鈴子に事務所!!で会ってきたとのこと。

資料年表:ロベルト・ユンク

資料年表:ロベルト・ユンク<作業中

年月日 事項 備考
1913
0511 誕生
1954
0510 『未来は既に始まった』(ロベルト・ユンク著、菊盛英夫訳、文芸春秋新社)
1957
** ユンク、初来日。
0725 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会)
Ⅲ 原水爆禁止運動
決して飽きてはいけない R・ユンク…366
1958
0515 『千の太陽よりも明るく 原子科学者の運命』(ロベルト・ユンク著・菊盛英夫訳、文芸春秋新社)
1960
0805 『ヒロシマ・1960 永田登三写真集』(永田登三著)
 ユンク「まえがき」
1961
0210 『灰墟の光 甦えるヒロシマ』(ロベルト・ユンク著、原田義人訳、文芸春秋新社)
1962
0805 『ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙』(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス著、 篠原正瑛訳、筑摩書房)
 ロベルト・ユンク「解説」 5
1970
1110 『広島との対話-原爆25周年記念・テレビ特別番組の記録』(中国放送番組審議会事務局)
ロベルト・ユンク  7月27日放送  2
1978
0510 『千の太陽よりも明るく 世界ノンフィクション ヴェリタ』(ロベルト・ユンク、筑摩書房)
1979
0720 『ヒロシマに、なぜ 海外よりのまなざし』(小倉馨著、溪水社)
ロベルト・ユンク…41
0910 『原子力帝国』(ロベルト・ユンク著、山口祐弘訳、アンヴィエル刊)
1994
0714 没。
1997
0520 『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社編著・刊)
ロベルト・ユンク 41
2010
1220 『広島県現代文学事典』 川口隆行「ロベルト・ユンク」
2012
0420 『反核から脱原発へ ドイツとヨーロッパ諸国の選択』(若尾祐司・本田宏編、昭和堂)
第1章 反核の論理と運動 若尾祐司 3
-ロベルト・ユンクの歩み-
1 「短い二〇世紀」を駆け抜ける 3
2 戦争と科学技術と人間類型 11
3 「未来はすでに始まった」 19
4 広島・新しい千年紀への原点 25
5 未来運動から「原子力国家」批判へ 33
2013
0215 ユンク科研グループ『ヒロシマを世界に伝える 核の被害なき未来を求めて ロベルト・ユンク生誕100周年記念資料展』
期間:平成25年(2013年)2月15日(金)~3月28日(木)
場所:広島平和記念資料館 東館地下1階 ホワイエ
主催:広島平和記念資料館、ユンク科研グループ
協力:ロベルト・ユンク未来研究図書館、NPO法人日独平和フォーラム
1224 『二十世紀研究 第14号』(二十世紀研究編集委員会)
特集 核と対峙する人々
若尾祐司
反核の倫理と運動
‐R.ユンクとG.アンデルスの交差‐ (1)
倉科一希
2018
0710 『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡 上・下』(若尾祐司・小倉桂子編、名古屋大学出版会)

 

資料年表:山崎与三郎

資料年表:山崎与三郎<作業中

年月日 事項 備考
1889
1001 誕生。
1949
0920 広島平和記念都市建設方案 (昭和24.9.20立案)
1954
0723 『原爆関係文献目録 広島・長崎を中心とする』(山崎与三郎編、千田書房)
1956
0215 『統計の泉 Vol.7 2月号 No.67』(広島県統計協会)
文献紹介
広島アルバム (新庄正男・山崎与三郎編)
1968
0215 『原爆被災資科広島研究会』発足。
0308 「原爆資料の収集と保存を考える」(中)<『中国新聞』連載>
山崎与三郎(原爆資料保存会幹事)原爆資料の重要性 体験と実証で平和を 年とともに困難さ増す
1970
0401 『広島通信 No.20』(「広島通信」の会)
山崎与三郎「観光客から巡礼者へ」
0806 『原爆被災資料総目録 第二集』(原爆被災資料広島研究会)
1973
0715 『吾家の原爆体験記 死線を越えて』(山崎与三郎)
1975
0720 『平和の聖都ひろしま 広島巡礼案内』(山崎与三郎著、高橋謄写堂)
1976
0714 死亡。享年86歳。
** 千田書房(店主=山崎与三郎)印

末宗明登

末宗明登

すえむね・あきと ****生20110713没 享年84歳 1988年から2005年まで広島県原爆被害者団体協議会<金子一士理事長>事務局長。「広島被爆者団体連絡会議」の事務局長も経験。

資料年表:末宗明登<作業中

年月日
**** 誕生
1988
0703 広島県被団協総会。役員改選。中本剛事務局長が副理事長、事務局長に末宗事務局次長。 C
2005
0707 広島県被団協総会。17年間事務局長を務めた末宗を新設の筆頭副理事長とし、後任事務局長は吉岡幸雄。 C
2011
0713 死去。84歳。
0715 「1945年8月6日、爆心地から約キロの勤務先の広島駅構内で被爆。戦後は国鉄で労働運動に打ちこんだ」 C

資料年表:小倉馨

資料年表:小倉馨<作業中

年月日
1920
1013
1965
0723 『週刊広島 3号』(広報出版センター)
随筆四人集 小倉馨・大原三八雄・海見綾子・内田省三 35
1971
1201 『広島憩いの家 No.3 』(広島憩いの家)
「ヒロシマの花」を読んで 4
原田東岷 服部圓 小倉馨 沢田静馬 近藤勝 萬谷ももよ 西田政一 竹内武 山田郁子 狭間正恵 竹田静江
1972
0331 『広島県史 原爆資料編』(広島県)
「あとがき」(抄「外国資料の翻訳・検討には、小倉馨・・・の方々のご協力をいただいた」
0801 『広島通信 No.34』(「広島通信」の会)
あの夏からこの夏までの間 小倉馨
1973
0625 『ヒロシマの意味』(小黒薫編、日本評論社)
 小倉馨「ヒロシマ-この二十五年」 117
1976
0715 『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会)
最後の署名 広島市渉外課長 小倉馨…170
1977
0501 『月刊ペン 10巻5号』
小倉馨「広島市長国連を行く」  142
1978
0115 『ヒロシマ・ユネスコ 第6号』
私とユネスコ 本質の把握に研さんを
国際交流、平和文化の推進のために
広島ユネスコ協会 副会長小倉馨
1979
0713 没。享年58歳。
0720 『ヒロシマに、なぜ 海外よりのまなざし』(小倉馨、 溪水社)
0901 『平和文化 第19号』( 広島平和文化センター)
 「小倉馨氏を悼む」(原田病院名誉院長 原田東岷)
1987
0420 『廣島随想』(豊田清史)
悼縁記・・小倉馨君・・・85
1988
0920 『新聞資料 原爆Ⅱ』(小田切秀雄監修、日本図書センター)
広島平和文化センター事務局長小倉馨さん死去 216
2018
0316 『Hiroshima Research News Vol.20 No.2 2018.3』(広島市立大学広島平和研究所)
0710 『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡(上・下)』(若尾祐司・小倉桂子編 、名古屋大学出版会 )
ヒロシマを世界に伝える―ロベルト・ユンク宛て小倉馨書簡  竹本真希子……4~5

被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言

『被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言 岩波ジュニア新書 , 740』(広岩近広著、岩波書店、2013/04/19)

内容

はじめに−追悼の集いにて
1 沼田鈴子さんの証言−戦争と被爆体験
1 平和を考えるために……2
2 戦争のなかで育つ……6
3 婚約者の出征……14
4 その夜も希望をいだいて……19
5 きれいな閃光を見た……25
6 ノコギリで左足を切断……32
7 母の言葉で立ち上がる……36
8 証言は平和の種まき……41
2 沈黙の日に見た原爆フィルム
1 被爆アオギリに勇気づけられ……46
2 家庭科教師として生きる……51
3 原爆フィルムの衝撃……66
4 使命を胸に欧米で体験報告……72
3 アオギリの語り部が誕生
1 修学旅行生の前で号泣……82
2 ツッパリ高校生との出会い……90
3 被爆アオギリの前で……98
4 戦争の傷跡を訪ねて
1 沖縄戦の悲痛……108
2 韓国の被爆者……126
3 重慶の疲労爆撃……137
4 マレー半島の住民虐殺……148
5 空飛ぶ平和の民間大使
1 北イタリアのアオギリ平和公園……166
2 アジアとの友好を掲げて……178
3 ミネアポリスで乾杯……187
6 戦争と核のない世界を
1 プルトニウムと核兵器と原発……202
2 被爆アオギリの願い……211
3 平和を語る部屋……221
おわりに……237