沖縄人民党の歴史 第12章 科学的社会主義の党に向かって<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
「施政権」返還と新しい段階での党の進路 |
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1 たたかいの新しい段階 |
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2 科学的社会主義の党へ―画期的な決定 |
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3 理論学習と全党討議すすむ |
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4 第三十三回総選挙-瀬長再選と共産党の大躍進 |
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2 |
日本共産党の旗のもとに |
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1 党発展の創造的な歩み |
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2 第17回党大会 |
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3 合流への準備すすむ |
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4 合流の達成と日本共産党沖縄県党組織の発足 |
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年表 |
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沖縄人民党の歴史 第11章 核も基地もない沖縄をめざして<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
日米交渉の進展と内外情勢 |
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1 二つの道をめぐる七一年闘争 |
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2 政府の秘密外交 |
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3 ニクソンのラオス侵攻と党の抗議闘争 |
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4 日米共同声明の条約化の動き |
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2 |
全面返還を要求する統一闘争の高まり |
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1 七四年四・二八と五・一九統一行動 |
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2 沖縄協定締結と怒りの抗議行動 |
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3 「核マル」一派との謀略的攻撃 |
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4 参議院選挙のたたかい |
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5 「久保・カーチス協定」と自衛隊に反対する闘争 |
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3 |
「沖縄国会」へ向けたたたかい |
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1 党創立二十四周年と県内情勢 |
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2 六中総―たたかいの方針 |
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3 ”ドル・ショック”の襲来 |
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4 「沖縄国会」を前に |
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5 ”瀬長島を返せ” |
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4 |
国会を包む壮大な統一行動の展開 |
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1 11・10統一行動 |
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2 強硬「採決」への怒り |
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3 議場を圧した瀬長質問 |
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4 党勢拡大をめざして |
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5 |
「施政権」返還と沖縄県の復活 |
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1 ″復帰不安″の深まりのなかで |
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2 パリ世界集会に「沖縄の声」 |
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3 全面占領下さいごの 四・二八 |
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4 五・一五「施政権」返還 |
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6 |
県知事・県議選挙の勝利 |
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1 沖縄の進路をかけた政治戦 |
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2 五大基本政策をかかげて |
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3 党の躍進と革新県政の誕生 |
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止
沖縄人民党の歴史 第10章 日米共同声明路線反対闘争の発展と国政参加選挙の勝利<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
B52撤去、原潜「寄港」阻止闘争の発展 |
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1 B52の墜落と生命を守る県民共闘の結成 |
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2 二・四ゼネストの提起とたたかいの急速な発展 |
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3 ゼネスト圧殺の策謀と二・四大統一行動 |
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2 |
第七回海上大会と一九六九年四・二八諸行動 |
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1 「左」右の攻撃から統一を守って |
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2 行政主席も県民大会に |
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3 |
佐藤訪米反対の一九六九年十一月闘争と日米共同声明の発表 |
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1 日米交渉の進展と党の闘争方針 |
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2 全軍労の二十四時間スト―銃剣と対峙して |
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3 毒ガス撤去せよ、の声全県下に |
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4 前進する具志川市昆布の土地闘争 |
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5 佐藤訪米抗議の大デモ―11月闘争 |
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6 日米共同声明の発表と党の抗議 |
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7 革新県政の正しい発展のための党の闘争 |
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8 那覇市議選挙での党の前進 |
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9 瀬長委員長、ジョリオ・キュリー賞を受賞 |
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10 第32回総選挙と共産党の躍進 |
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4 |
第十六回党大会と新しい綱領の決定 |
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1 新綱領をきめた歴史的な大会 |
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2 新しい綱領の内容とその歴史的意義 |
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3 初の共産党代表を迎えて―一九七〇年四・二八闘争 |
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5 |
日米安保条約の固定期限終了と安保廃棄、基地撤去闘争の高まり |
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1 安保条約廃棄をかかげて |
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2 日本共産党第十一回大会への人民党代表の出席 |
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6 |
国政参加選挙の勝利 |
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1 国政参加ついに実現 |
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2 選挙の勝利をめざして |
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3 いっせい市町村選挙の結果 |
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4 日本共産党の支援を受けて |
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5 高まった瀬長支持 |
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6 歴史的な勝利、瀬長二位当選 |
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7 豊見城村長選挙の勝利 |
7 |
コザ事件―「鉄をもとかす怒り」の爆発 |
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1 二十五年の怒り燃えあがる |
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2 演習やめよ、山を守れ |
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止
沖縄人民党の歴史 第9章 革新共闘の発展と三大選挙の勝利<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
教公二法阻止のたたかい |
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1 土地接収反対闘争 |
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2 教公二法阻止闘争の勝利 |
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3 一九六七年の四・二八行動 |
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4 「核基地つき返還」論の登場 |
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2 |
第15回党大会 |
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1 新綱領草案を提起した第15回党大会 |
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2 党創立20周年を祝う |
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3 渡航の自由のためたたかいと人民党 |
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4 瀬長委員長の渡航許可かちとる |
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5 「核基地つき返還」論との対決 |
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6 佐藤訪米反対のたたかいと日米共同声明 |
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3 |
B52戦略爆撃機撤去のたたかい |
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1 佐藤首相、B52問題で古堅書記長に暴言 |
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2 全軍労の10割年休闘争と一九六八年の四・二八行動 |
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4 |
主席公選の実現と歴史の転換をかちとった三大選挙の勝 |
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1 たたかいとった主席公選 |
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2 革新共闘会議の結成と統一の前進 |
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3 「いもとはだし」論、反共攻撃とのたたかい |
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4 歴史の転換をかちとった勝利 |
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止
沖縄人民党の歴史 第8章 ベトナム侵略戦争の拡大と大衆闘争の高まり<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
「北爆」開始と第十四回党大会 |
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1 第一次佐藤・ジョンソン会談〔1965年1月14日日米共同声明〕 |
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2 第十四回党大会〔1965年1月16・17日〕 |
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3 ベトナム侵略戦争の基地化と米兵犯罪、演習被害の増大 |
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〔1965年6月18日「隆子ちゃん(読谷村・喜名小学校5年生)圧殺に対する抗議県民大会」、同校で開催。参加者約1万人〕 |
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4 労農運動の発展と統一を回復した四・二八闘争 |
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〔1965年4月28日、4・28県民大会、会場:那覇市内神原小学校、8万5000人結集〕 |
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5 立法院でのベトナム出撃基地化反対決議 |
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〔1965年7月30日、B29の渡洋爆撃で「戦争行為の即時取止めに関する要請」を全会一致で決議〕 |
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2 |
佐藤首相来冲抗議のたたかい |
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1 製糖会社合併反対の宮古農民闘争 |
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2 「売国奴・佐藤かえれ!」〔1965年8月19~21日訪問〕 |
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3 「戦場」状態とその下での大衆闘争 |
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〔第11回原水爆禁止世界大会への取り組み。沖縄県原水協から代表17人派遣。「民政府」、団長の瀬長委員長へのパスポート拒否(10回目)〕 |
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〔1965年7月30日、沖縄・小笠原返還同盟結成大会。会場:東京千駄ヶ谷・全自交会館。42都道府県・188人参加〕 |
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4 二中総・三中総と自治体選挙 |
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5 第7回立法議員選挙と「失格」宣言とのたたかい |
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〔11月14日投票〕 |
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3 |
あらたな土地接収への怒り |
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1 矢つぎばやに土地接収通告 |
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2 『人民』四頁建てに躍進 |
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3 一九六六年4・28とグェン議長のメッセージ |
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4 統一を回復したメーデー |
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4 |
裁判権移送撤回闘争と公民権奪還 |
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1 侵略の前進基地化と増大する県民の犠牲 |
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2 主席間接選挙反対闘争の発展と裁判権移送撤回、公民権回復闘争の勝利 |
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3 一九六六年いっせい市町村選挙と人民党 |
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4 欺瞞的な「分離返還」論とのたたかい |
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5 植民地的な搾取・収奪に反対して |
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沖縄人民党の歴史 第7章 専制支配の強化とそのもとでの共闘と分裂<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
第十三回党大会と第六回立法院議員総選挙 |
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1 第十三回党大会とあけぼの印刷所建設〔1962年9月22~23日〕 |
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2 第六回立法院議員総選挙と党の前進 |
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3 中学生れき殺米兵への無罪判決と県民の抗議 |
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〔1963年2月28日国場秀夫轢殺、米兵は5月1日の軍法会議で無罪判決〕 |
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4 那覇区教育委員に人民党から初当選 |
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2 |
アメリカの専制支配と県民の共闘 |
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1 キャラウェイ高等弁務官の専制政治 |
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2 生活と権利を守る県民共闘会議の結成と六三年春闘 |
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〔1963年3月12日、共闘会議結成〕 |
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3 一九六三年四・二八と初の海上交歓 |
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4 全沖労連分裂の策動と党のたたかい |
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5 婦人運動の新たな前進 |
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〔1963年6月9日、新日本婦人の会沖縄県本部結成〕 |
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3 |
専制政治下での諸闘争の発展と八・一五海上大会 |
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1 ケネディの美化に反対して |
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〔1963年11月22日、ケネディ米大統領暗殺される。人民党中央常任委員会論文「ケネディの死を利用した人民党攻撃の陰謀を暴露する」〕 |
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2 「キャラウェイ〔高等弁務官〕旋風」吹き荒れる |
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3 「クィック・リリース〔緊急発進〕」作戦反対デモ |
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4 八・一五海上大会 |
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4 |
戦線分裂と統一をめざすたたかい |
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1 大田主席を辞任に追いこむ |
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2 県原水協の分裂 |
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3 令冲労連脱退派で県労協を結成 |
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〔1964年9月25日、県労協:沖縄県労働組合協議会結成〕 |
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4 主席指名阻止のたたかい |
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止
沖縄人民党の歴史 第6章 軍事的植民地的支配の新段階と県民運動の前進
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
第十一回党大会と第五回立法院議員総選挙 |
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1 第十一回党大会〔1960年8月27・28日〕 |
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2 第五回立法院議員総選挙での後退 |
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3 OSIのスパイ強要事件 |
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2 |
原水爆基地化の進行と平和運動 |
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1 ホーク、メースBの配備とナイキ発射演習〔1961年1月13日、演習開始〕 |
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2 復帰協の戦闘的方針 |
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3 平和行進と県原水協 |
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〔平和行進1961年6月4日、八重山の伊原間から開始、本島内では7日間行進、参加者のべ人員およそ8万人、迎えた人びと、集会参加者あわせて12万人〕 |
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〔原水爆禁止沖縄県協議会第6回定期総会1961年8月5日那覇市・沖縄会館で開催〕 |
3 |
第十二回臨時党大会と「二つの敵」路線の確立 |
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1 日本共産党第八回大会と綱領決定 |
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2 ケイセン調査団来県への抗議行動 |
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3 第十二回臨時党大会 |
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4 糸満町長選挙で上原亀一郎当選 |
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4 |
党中央機関紙『人民』の発行 |
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1 出版の自由をかちとるたたかいと『人民』の創刊 |
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2 「二・一決議」と運動の高揚 |
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3 沖縄民青同盟と全沖農の結成 |
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4 ケネディ「新政策」の登場 |
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5 1962年統一春闘と全沖労連 |
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6 布令第145号の撤廃 |
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沖縄人民党の歴史 第5章 瀬長那覇市政と民主主義擁護、祖国復帰運動の発展まり
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
瀬長那覇市政の誕生と民主主義擁護のたたかい |
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1 第八回党大会〔1956年11月4日〕 |
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2 瀬長書記長、那覇市長に当選〔1956年12月25日投票〕 |
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3 市政に対する不当な干渉、妨害の激化と臨時党大会〔1957年1月13日〕 |
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4 不信任可決と那覇市議選挙 |
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5 布令による市長追放〔1957年11月23日布令公布、11月25日那覇市議会で不信任案可決〕 |
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6 瀬長市政の意義 |
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2 |
那覇市長選挙勝利と立法院議員総選挙での前進 |
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1 大統領行政命令と岸・アイク共同声明 |
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2 第9回党大会〔1957年12月8日〕 |
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3 民主主義をまもるたたかいの前進と那覇市長選挙での民連の勝利 |
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4 民連の全県的統一戦線組織への発展と第四回立法院議員総選挙 での前進 |
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5 兼次の裏切りと民連の不団結 |
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6 民連の評価―その成果と教訓 |
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3 |
労働運動の新しい発展とドル切り替え |
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1 労働運動の高揚 |
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2 沖縄県原水協の結成〔1958年8月6日〕 |
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原水爆禁止沖縄県協議会綱領
一、私たちは原水爆実験の即時停止を要求します。
一、私たちは核兵器の製造、貯蔵、使用の禁止を要求します。
一、私たちはソア等核兵器の沖縄持ちこみに絶対反対します。
一、私たちは原水爆搭載機のパトロールを即時止めることを要求します。
一、私たちは、沖縄を原水爆基地にすることにつよく反対します。
一、私たちは、沖縄をいつまでもアメリカの軍事基地にすることに反対し、祖国復帰実現のためにたたかいます。 |
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3 ドル切り替えと党のたたかい |
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4 妥協と四原則放棄の軍用地問題”解決” |
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5 日本共産党第七回大会と沖縄問題 |
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第七回大会:1958年7月23日~8月1日。大会としては10年7か月ぶりの開催。「沖縄に関する決議」を採択。 |
4 |
復帰協結成と復帰運動の発展 |
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1 第十回党大会と統一戦線方針 |
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2 「新集成刑法」阻止のだたかいと日本政府への公開質問 |
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3 宮森小学校ジェット機墜落事件と平和運動 |
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〔1959年6月30日 学童11人を含む死者17人、重軽傷者121人。パイロットはパラシュートで脱出〕 |
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4 復帰協の結成と復帰運動の新段階 |
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〔1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約発効<屈辱の日>〕 |
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〔1959年4月28日 沖縄県祖国復帰協議会結成〕 |
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5 新安保条約反対とア大統領の来沖抗議 |
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〔1960年6月19日 アイゼンハワー米大統領来沖。沖縄県祖国復帰協議会、県民大会開催。1万人余参加。〕 |
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6 主席任命の「第一党方式」登場 |
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止
沖縄人民党の歴史 第4章 弾圧の激化と”島ぐるみ”土地闘争の高まり
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
沖縄「無期限保有」方針と県民への弾圧の強化 |
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1 あいつぐ米軍首脳の長期保有声明
2 第二回立法院議員総選挙と人民党の前進、親米派の後退
3 祖国復帰運動に対する弾圧と反共攻撃の激化
4 ”メーデーはカールーマルクスの誕生日”
5 オグデンの反共声明と人民党の公開質問状
6 立法院正副議長辞任強要ー民主主義破壊の暴挙 |
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2 |
人民党弾圧事件 |
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1 原水爆基地化に反対して |
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2 「防共法」制定策動と県民の反撃 |
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3 党員、支持者の大量逮捕と投獄-弾圧の嵐 |
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4 人民党弾圧事件の政治的影響と教訓 |
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5 人民党村長の誕生と弾圧 |
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6 奪われた瀬長書記長の議席 |
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7 受刑者の決起-沖縄刑務所「暴動」事件 |
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3 |
反響を呼んだ沖縄報道と沖縄問題国際化の努力 |
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1953年1月、映画「ひめゆりの塔」(今井正監督)上映。
1954年6月、東京沖縄県学生会、沖縄現地ルポ『祖国なき沖縄』を発行。
1954年12月、平和擁護日本委員会、「沖縄問題を1955年の平和運動のカナメとして、日本国民のみでなく、平和的共存のためにたたかう世界の諸国民と共にたたかう」との沖縄の全県民におくるあいさつを発表。
自由人権協会(海野晋吉理事長)が約10ヵ月にわたっておこなった沖縄調査の結果を発表。
1954年12月30日・31日、日本共産党中央機関紙『アカハタ』が報道。
1955年1月13日、『朝日新聞』が報道
1955年4月、アジア諸国民会議(インド・ニューデリー)。東京の沖縄県人会から神山政良が日本代表団の一員として参加、会議は沖縄の日本への即時返還要求を決議。
1955年6月、ヘルシンキ世界平和大会で沖縄問題が訴えられる。 |
4 |
アメリカ軍の土地強奪のひろがり |
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1 伊江島、伊佐浜の頑強な抵抗 |
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2 武力で襲いかかったアメリカ軍 |
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|
5 |
いのちとくらし、権利を守って |
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1 布令第一四五号公布と弾圧にさらされる労働組合運動 |
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2 由美子ちゃん事件と党のだたかい |
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6 |
第七回党大会と第三回立法院議員総選挙 |
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1 第七回党大会 |
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2 第三回立法院議員総選挙 |
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3 瀬長書記長の出獄 |
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|
7 |
四原則貫徹の”島ぐるみ”土地闘争の爆発 |
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1 四原則をふみにじつだプライス勧告 |
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2 燃えあがる四原則貫徹闘争 |
|
3 アメリカ軍の弾圧と戦線の分断 |
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止
沖縄人民党の歴史 第1章~第3章
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
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見出し |
第1章 沖縄人民党の創立と初期のたたかい |
01 |
沖縄人民党創立の背景 |
|
1 戦前の沖縄県とたたかいの伝統
2 沖縄戦とアメリカ軍の占領
3 敗戦後の県民の状態とたたかいの始まり |
02 |
党創立と初期の綱領・方針 |
|
1 沖縄人民党創立大会
2 人民党創立の意義と創立期の党の特徴
3 たたかいを開始した党
4 当時の政党の状況 |
03 |
大衆の党をめざして |
|
1 第二回党大会と食糧配給停止反対闘争
2 所得税全免要求の三党共同闘争
3 第三回党大会-強化された指導部 |
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第2章 日本復帰方針の確立 |
01 |
講和問題と群島知事選挙 |
|
1 本格的な基地建設の開始
2 シーツの就任と群島知事・議員公選発表
3 第四回党大会と知事選挙
4 社会大衆党の結成 |
02 |
復帰方針の確立過程と講和をめぐるたたかい |
|
1 信託統治反対、日本復帰をかかげて
2 全面講和のだたかい
3 日本復帰運動の展開
4 奄美における復帰のたたかい
5 サンフランシスコ講和と沖縄、奄美、小笠原
6 メーデー記念行事 |
|
|
第3章 サンフランシスコ体制の始動 |
01 |
サンフランシスコ「平和」条約の発効とたたかいの新たな展開 |
|
1 軍事的植民地的支配の固定化
2 第五回党大会―琉球人民党第一回代表者大会
3 第一回立法院議員総選挙と宣誓拒否
4 条約第三条の撤廃をめざすたたかいと第一回メーデー
5 ビートラーの反共声明と笠利村での選挙 |
02 |
労働法をかちとるたたかい |
|
1 恒久基地の建設と労働者 |
|
2 かちとられた労働法 |
|
3 警察予備隊募集反対のたたかい |
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4 武力による土地強奪 |
03 |
圧政下での抵抗闘争と奄美の返還 |
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1 雑誌『平和』事件 |
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〔大山光二(人民党員・名護市議会議員)1952年12月アメリカ軍に逮捕される、理由は雑誌『平和』配布。翌53年1月22日、アメリカ「民政府」の軍事法廷、大山に重労働3年と罰金刑2万5千円。〕 |
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2 天願事件と植民地化反対闘争 |
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3 第二回メーデー〔1953年5月1日〕 |
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4 琉大事件 |
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〔琉球大学 1951年2月12日開学式。1953年4月10日、琉球大当局、学生4人を謹慎処分、5月9日退学処分。理由は原爆展を無許可で開いたこと、など〕 |
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5 全沖縄労働組合協議会の結成 |
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6 奄美の返還と第六回党大会 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。