「1956年」カテゴリーアーカイブ

広島県原水協年表(1956年)

広島県原水協年表(1956年)

月日 事項 備考
0118 「原爆の子の像」建設準備会開く.
2. 9 衆議院, 原水爆実験禁止要望決議案を可決.
2.15 原水爆禁止広島市協議会結成.
2.16 映画「生きていてよかった」の広島ロケ始まる.
3. 1 ビキニ被災二周年記念原水爆阻止広島集会.
3.18 広島県原爆被害者大会. 広島市千田小学校に 300人参加.
3.20 日本原水協の国会請願(21日まで). 広島から40数名参加.
4.15 太平洋水爆実験阻止広島集会.
5. 5 アメリカ, エニウェトク環礁で原爆実験.
5. 6 広島原水協, アメリカ大統領に抗議電.
5.10 広島詩集「川」発刊.
5.27 広島県原爆被害者団体協議会結成総会.
― 広島で原子力平和利用博覧会始まる. 6月17日まで.
6. 2 広大で小選挙区制・教育三法粉砕, ビキニ水爆実験抗議集会.
6.18 日本原水協製作「生きていてよかった」, 広島市公会堂で完成試写会.
7. 6 沖縄返還国民運動準備会, 広島市内青年会館で開催.
7.18 沖縄青年連盟代表 4名来県. 広島・尾道・呉・因島(19日, 福山・府中・三次・庄原)で沖縄問題実情報告会を開催.
7.20 沖縄問題解決広島県総決起大会(広島市児童文化会館).
8. 5 広島で8・6学生平和会議( 7日まで).
8. 6 原水爆禁止広島大会. (広島市公会堂).
― 原水爆禁止東京大会.
8. 7 広島県原爆被害者大会(広島平和記念館).
8. 9 第2回原水爆禁止世界大会(長崎).12日まで.
8.10 日本原水爆被害者団体協議会結成大会,長崎で開催.事務局を広島に置く.10. 2 広島県議会,原爆被災者の援護立法の促進要望を決議.12月22日,衆議院「原爆障害者の治療に関する決議案」を可決.
11.14 広大理学部素粒子論グループ,国際原子力機関設立までは特定国と原子力動力協定を結ぶなと声明.
11.16 ソ連平和擁護委員会書記コートフ,日本向けモスクワ放送で広島・長崎の被爆者に 7万ルーブル( 630万円)を贈ることになったと述べる.
11.17 広島地区年末共闘会議主催で生活と権利と国土を守る県民集会. 運賃・物価値上げ反対, 原爆被害者援護法制定などを決議.
11.19 原水爆禁止広島協議会, 原爆被爆者団体協議会, 広島合唱団共催で「広島のうたごえ」.
12.22
1222 中国訪日京劇団, 日本公演の純益金 170万余をそれぞれ広島・長崎両市に贈る.

 

 

年表:原爆展(1956年)

年表:原爆展(1956年)

記事
01 25 広島市当局、市議会産業委員会で、原子力平和利用展開催中は原爆資料館の資料を公民館に移す意向を表明。被爆者、遺品を移すのは心外だと反発。
02 02 丸木・赤松夫妻、「原爆の図」を日本アンデパンダン展に出品。全10部完成(アカハタ)。
02 11 神奈川県平塚市・地区労・医師会など、見附台体育館で丸木・赤松「原爆の図」展を開催(3日間)。約1万5000名が参観。原爆展の市主催は、英国コヴェントリー市についで2番目(アカハタ)。
03 23 天皇、東京日本橋高島屋で開催中のニューヨーク近代美術館など主催「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展を見学。その際、広島原爆被災の少年の写真にカバーがかぶせられる。(毎日新聞)
03 24 「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展に出品中の長崎原爆被災写真5枚について、米側責任者スタイケンが撤去を申し入れ。(朝日新聞)
03 26 丸木・赤松「原爆の図」展、ローマで開幕。(アカハタ)。
04 09 山口仙二長崎原爆青年会長、国際文化会館のケロイド模型の取り外しを指示した渡辺長崎県秘書課長補佐に7項目の公開質問状を提出。(長崎日々)
04 15? ハーベルマン(オランダの彫刻家)による丸木・赤松「原爆の図」の世界一周展覧行脚の呼びかけに対しスイスのベルン博物館・ニューヨーク・ボストン両博物館などから公開希望の申し入れ。
04 16 丸木・赤松後援会、「原爆の図世界行脚歓送懇談会を」東京お茶の水で開催。月末に訪中の予定(アカハタ)。
05 01 アカハタ、「「原爆の図」展の成果-神奈川平塚地区委員会の総括」を掲載(-3日、3回)。
05 12 丸木・赤松夫妻、中国人民保衛世界平和委員会の招きで訪中するため羽田を出発(アカハタ)。
05 26 広島原子力平和利用博覧会、開会式を挙行。
05 27 広島原子力利用博覧会(広島県・市など主催)、広島市平和記念公園の平和記念館・原爆資料館で開催(6月17日まで、約11万人入場)。藤居原・水協事務局次長、平和利用に先だって原爆症に対する治療・予防の研究を第一目標に置いて欲しいと談話。
07 06 原子力平和利用博覧会(アメリカ広報庁・福岡県市・西日本新聞社共催)、福岡市で開幕。(長崎日々)
08 04 長崎市原爆資料保存会、4月義宮来県以来国際文化会館の陳列から除かれていたケロイド模型を陳列することなどを決定。(長崎日々)[天皇]
08 31 丸木・赤松夫妻、平壌に到着(アカハタ)。
12 23 丸木位里、帰国(アカハタ)。

 

広島は訴える 原爆広島11年の記録

『広島は訴える 原爆広島11年の記録』(小積明男<川手健?>編、発行者:吉川清、発行所:広島原爆資料出版会、19560801)

目次

見出し
002 その朝までの広島
005 運命の日、八月六日
014 原爆は平和をもたらしたか
019 魔の遺産、原爆症
045 原爆被害者の生活
069 原爆被災児の実態
082 原爆被害者の運動
103 原水爆禁止運動の発展
128 附録1 原爆障害者調査結果表(原対協発表)
132 附録2 原爆被害者の損害賠償請求起訴状
145 附録3 損害賠償請求訴訟の政府側答弁書

原爆被害者援護法案要綱(1956.8)

原爆被害者援護法案要綱 1956.8

原爆被害者援護法案要綱 (日本被団協案)
第一 方針
一、国費により、原爆被害者の医療と必要な生活の保障を行うこととする
原爆被害者とは、原爆障害者及び原爆死没者ならびにそれ等の者の同一世帯員(主として当該障害者叉は死没者の収入によって生計を維持し、叉はその者と生計を共にした者、若しくはしている者)をいう。
原爆被害者については、次のような特異性が認められるので、これが医療と必要なる生活の保障は、すべて国庫負担によることが妥当と考えられる。
(一)科学的にみて
1、原爆障害者とは放射性物質のアルファー、ベーター、ガンマー線による持続的な細胞内原子機能機能の根本的破壊、ならびに爆発時における熱傷と爆風による広範な被害である。
2、原爆死没とは右のような原因により、死んだ者と今後予想せられる死亡をいう。
(二)医学的にみて
1、原爆障害者については、その治療は、長期を要し、かつ困難である。又被害者は多数にわたり、かつ後障害及び遺伝的影響を残すとされるから、その研究、治療は、総合的で規模も大掛りであることを必要とする。
2、原爆死没者については、的確な治療及び対策が講ぜられぬまゝ死没したものである。
(三)経済的にみて
1、原爆障害者については、その症状が前記のように特異であり、治療に永い期間と多額の費用を必要とするので、個々の患者にとって自らの治療の負担に耐え得ない。
2、原爆障害及び原爆死没者の同一世帯員については、原爆による被害が広範長期にわたり且大量殺りくであった為に自他共に生計維持の方途に苦しんだのである。従ってその障害者若しくは死没者か当該世帯の生計の中心者に該当する場合、叉は将来生計の中心者として期待される場合においては、その者の同一世帯員の生活は国家の責任において保障されることを必要とする。
(四)政治的にみて
原爆被害者は国の責任におい遂行した戦争による犠牲であり、原爆という当時においては予想を絶する特殊兵器によるものであるから、無防備無準備のまゝに受け、また警備にも適切を欠ぐという、全く個人の責任範囲外の被害であるから、これが治療と生活については国の責任で行はれるべきである。
二、その他、今日、国の責任において原子力科学及びその実用化の推進を取り上げているのであるから、これに随伴するであらう放射能被害の予防、治療、その他にも貴重な貢献をすることと思はれる。
第二 要領
一、国費で治療を行う者の範囲は、昭和二十年八月広島市及び長崎市における原爆障害者(当時胎内にいた者を含む。)とする。
二、本法による治療を行う者の決定は、先ず、被爆者の登録を行い、次いでこれらの者の内から、具体的に治療を行う者の認定をするという二段の手続きをとること。
登録対象は現に原爆症患者である者及び、将来原爆症の発生する可能性のあるもの、すなわち、被爆当時叉はその直后に被爆地域に在ったものとし、登録及び認定は、都道府県知事とする。
登録は、本人叉は第三者の申請によることゝし、次に治療を行う者の認定に当っては、厚生大臣の定める基準により諮問機関の議を経て決定するものとする。
三、治療を行う期間は転帰までとする。
四、治療を行う機関は厚生大臣の指定する医療機関とすること。
また、必要に応じて一時救護所を設けることができるようにすること。
五、医療機関の治療方針及び治療報酬は健康保険の例により、それによることができない時は厚生大臣が定めることとすること。
六、障害者に対しては障害年金を支給するか、若しくは、治療または療養を要する者の中、生活に支障を来たすため、これを受けることの困難な者に対しては治療手当または療養手当を支給すること。
七、障害者を安んじて治療叉は療養させるため都道府県知事が必要と認めたときは同一世帯員に対して援護することができるようにすること。
八、原爆死没者に弔慰金を支給し、その遺族に遺族年金を支給すること。
九、原爆障害者の調査と原爆障害の治療の研究機関を設立する。
十、被爆者の健康管理を行うこと、
本人の意に反しない範囲で登録の対象者である被爆者の健康状態を調査し、健康状態に関して指導と予防措置を講ずることゝし、これが実施は都道府県をして当らしめ費用は国が全額負担する。
十一、次の様な義務規定を設けること。
1、治療を受ける者及び健康管理を受ける者について、症状に関して、又、住居の変更に関して、当該機関に対する届出義務を化する。
2、治療の委託を受けた医療機関について、治療の経過等に関して当該機関に対する報告義務を課する。
3、右の届出、報告の時期様式等は省令に委任する。
十二、治療状況の報告を行った医療機関に対して要した実費を支給すること

平和への教育 広島の初等教育

『平和への教育 広島の初等教育 全国連合小学校長会総会広島大会記念号』(広島市小学校長会、19560529)

小学校長会1956
小学校長会1956b
裏表紙のロゴ(原子力?)に注目

目次

章節 タイトル 備考
序詞 平和の聖地
1 原爆までの広島
1-1 広島のはじまり
1-2 城下町
1-3 近代都市
1-4 軍都
1-5 教育の都
1-6 小学校教育のあゆみ
2 原爆の日の広島
2-1 原子雲
2-2 原子砂漠
2-3 学校の壊滅
3 原爆からの広島
3-1 混迷より模索へ
3-2 模索より開眼へ
3-3 開眼より展開へ
4 進みゆく広島
4-1 大広島への動き
4-2 小学校教育のすがた
結び 平和を求めて

広島市原対協被爆生存者(児童生徒)調査表

広島市原対協被爆生存者(児童生徒)調査表
1956年1月10日現在

 

小学校 中学校 高等学校
A.外傷のみあるもの 検査希望  27  44  15  86
治療希望  31  52  16  99
検査治療希望せず  155  270  149  574
 213  366  180  759
B.自覚症状のみあるもの 検査希望  186  175  82  444
治療希望  151  140  52  343
検査治療希望せず  332  619  286  1237
 669  935  420  2024
C.外傷自覚症状共にあるもの 検査希望  50  52  34  136
治療希望  60  86  29  175
検査治療希望せず  83  150  125  358
 193  288  188  669
D.外傷自覚症状共にないもの 検査希望  175  161  73  413
治療希望  76  98  22  196
検査治療希望せず  1690  2801  1105  5596
 1945  3060  1200  6205
E.総計 検査希望  442  433  204  1079
治療希望  318  376  119  813
検査治療希望せず  2260  3840  1665  7765
 3000  4349  1988  9657

 

出典:『広島原爆医療史』」601頁

広島市における原爆障害者対策に関する調査概要(目次)

広島市における原爆障害者対策に関する調査概要(参議院社会労働委員会調査室、1956年1月)

目次

章節 見出し 備考
1 参議院社会労働委員の現地調査
1-1 視察委員 参議院議員 :谷口弥三郎・山下義信
1-2 視察日程概況  1月6日~7日
1-3 調査項目
2 原爆障害者治療対策の概要
2-1 原爆障害者の調査
2-2 原爆障害者の一斉診察
2-3 原爆障害者治療対策協議会の発足
2-4 治療活動の開始
2-5 治療資金の確保
2-6 原爆障害者実態調査状況
2-7 診察状況
2-8 治療状況
3 原爆被爆者の健康管理問題
3-1 被爆生存者の数
3-2 原爆後遺症による死亡者
3-3 健康管理の必要
4 原爆障害者の生活保護関係
4-1 生活保護法の適用を受けている世帯と原爆との関係に関する調査報告
4-2 調査結果概況
4-3 保護費支給状況
4-4 身体障害者手帖の交付を受けているもの
(参考)原爆被爆生存者数
5 原爆犠牲者に対する遺族援護法適用状況
5-1 援護法、恩給法事務進捗状況
5-2 原爆犠牲者年金等要求について原爆死没者者援護に関する陳情経過
5-3 原爆犠牲者(軍人を除く)弔慰金支給状況表
6 原爆影響研究所(ABCC)の概況  7日午前10時両委員はABCCを訪問
6-1 名称
6-2 設置の経過
6-3 性格
6-4 目的
6-5 調査の状況
6-6 治療方面について
6-7 職員  米国側職員50名、日本側淑員800名
6-8 ABCCに対する日本政府の協力
ABCC所長宛山下議員発書翰(1956年1月20日)
7 原爆傷害対策問題に関する懇談会における主要な要望
8 地元の陳情
8-1 戦傷病者戦没者遺族等援護法改正に関する要望
8-2 原爆障害者治療費等に関する要望
9 原爆障害者に対する治療法確立のための国の財政措置
9-1 放射能被害調査研究委託費
9-2 昭和29年度における広島、長崎両県被爆者の治療法を確立するための調査研究委託事業実施の概要

広島原爆障害研究会

広島原爆障害研究会 設立日:1956年11月

研究会メンバー

名前 所属 分野
井上省三 Inoue,Shozo 広島赤十字病院 内科
小川修三 Ogawa,Shuzo 広島大学理学部 理論物理
於保源作 Obo,Gensaku 広島市 内科
佐久間澄 Sakuma,Kiyoshi 広島大学理学部 理論物理
重藤文夫 Shigeto,Fumio 広島赤十字病院 内科
品川睦明 Shinagawa,Mutsuaki 広島大学理学部 分析化学
庄野直美 Shono,Naomi 広島女学院大学 理論物理
杉原芳夫 Sugihara,Yoshio 広島大学医学部 病理
瀬戸紀守 Seto,Norimori 広島市 産婦人科
原田東岷 Harada,Tomin 広島市 外科
広瀬文男 Hiroshe,Fumio 広島大学医学部 病理
広藤道男 Hirofuji,Michio 広島市 内科
細川利郎 Hosokawa,Toshiro 広島赤十字病院 内科
槙殿順 Makidono,Jun 広島市 放射線科
山本司 Yamamoto,Tsukasa 広島原爆病院 病理
以上は1957年12月末のメンバー
以下は1958年7月のメンバー表で新たに加えられたメンバー
Masuda,Yoshiya
Mizuno,Moriso
Nishida,Sekio
Nakayama,Hiromi
Tabuchi,Akira

平和をきずく児童生徒の会日記

広島平和をきずく児童・生徒の会日記
(1955年10月-1957年3月)

年月日 事項
19551025 佐々木禎子さん原爆症でたおれた。
19551110 幟町中の級友、全国中学校長大会で平和を訴え、「原爆の子の像」を作るビラをお願いした。
19551225 禎子さんの級友が「こけしの会」をつくる。
19560128 広島市小中高校が一つになり「平和をきずく児童生徒の会」を結成、宣言文を読む。会則を決め役員を選挙する。
19560325 「原爆の子の像」を建てる全国運動をおこし、趣意書を全国のお友達にくばる。
19560425 会の委員、街頭募金第1回を行う。
19560701 イギリス・ハンガリヤ等外国からも激励文が来はじめる。
19560806 会の代表、原水禁広島大会へ参加、世界の子供が平和への手をつなぐ運動をおこす。
19560809 委員長中村君、長崎世界大会に出席、外国代表に会のメッセージを手渡した。
19561010 像の制作者選考にとりかかり、大人の美術家に相談する。
19561015 像の制作者、東京芸大教授菊池一雄先生に決定。
19561020 アメリカ文化センター・フツイ館長、ノーマン・カズンズ氏をたずね、アメリカの友達とも文通することをお願いした。
19561128 菊池先生来広、制作計画をたてられる。
19561231 像の募金を締切る。
19570227 総会を開き会計報告をし、反省会をする。
19570310 像の模型出来上り菊池先生来広。

出典:『平和』第5号(広島平和をきずく児童・生徒の会、1957年8月5日)