世界平和広島仏舎利塔建立地鎮祭定礎式
| 時 昭和31年・仏起2500年4月8日午前10時 |
| 場所 比治山公園千本松 |
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| 式辞<抄> |
| 合唱団入場(広島音楽高等学校) |
| 高階瓏仙(たかしな ろうせん)禪師法語 |
| 参詣者仏舎利拝礼(午後三時迄) |
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
世界平和広島仏舎利塔建立地鎮祭定礎式
| 時 昭和31年・仏起2500年4月8日午前10時 |
| 場所 比治山公園千本松 |
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| 式辞<抄> |
| 合唱団入場(広島音楽高等学校) |
| 高階瓏仙(たかしな ろうせん)禪師法語 |
| 参詣者仏舎利拝礼(午後三時迄) |
止
広島県原水協年表(1956年)
| 月日 | 事項 | 備考 |
| 0118 | 「原爆の子の像」建設準備会開く. | |
| 2. 9 衆議院, 原水爆実験禁止要望決議案を可決. 2.15 原水爆禁止広島市協議会結成. 2.16 映画「生きていてよかった」の広島ロケ始まる. 3. 1 ビキニ被災二周年記念原水爆阻止広島集会. 3.18 広島県原爆被害者大会. 広島市千田小学校に 300人参加. 3.20 日本原水協の国会請願(21日まで). 広島から40数名参加. 4.15 太平洋水爆実験阻止広島集会. 5. 5 アメリカ, エニウェトク環礁で原爆実験. 5. 6 広島原水協, アメリカ大統領に抗議電. 5.10 広島詩集「川」発刊. 5.27 広島県原爆被害者団体協議会結成総会. ― 広島で原子力平和利用博覧会始まる. 6月17日まで. 6. 2 広大で小選挙区制・教育三法粉砕, ビキニ水爆実験抗議集会. 6.18 日本原水協製作「生きていてよかった」, 広島市公会堂で完成試写会. 7. 6 沖縄返還国民運動準備会, 広島市内青年会館で開催. 7.18 沖縄青年連盟代表 4名来県. 広島・尾道・呉・因島(19日, 福山・府中・三次・庄原)で沖縄問題実情報告会を開催. 7.20 沖縄問題解決広島県総決起大会(広島市児童文化会館). 8. 5 広島で8・6学生平和会議( 7日まで). 8. 6 原水爆禁止広島大会. (広島市公会堂). ― 原水爆禁止東京大会. 8. 7 広島県原爆被害者大会(広島平和記念館). 8. 9 第2回原水爆禁止世界大会(長崎).12日まで. 8.10 日本原水爆被害者団体協議会結成大会,長崎で開催.事務局を広島に置く.10. 2 広島県議会,原爆被災者の援護立法の促進要望を決議.12月22日,衆議院「原爆障害者の治療に関する決議案」を可決. 11.14 広大理学部素粒子論グループ,国際原子力機関設立までは特定国と原子力動力協定を結ぶなと声明. 11.16 ソ連平和擁護委員会書記コートフ,日本向けモスクワ放送で広島・長崎の被爆者に 7万ルーブル( 630万円)を贈ることになったと述べる. 11.17 広島地区年末共闘会議主催で生活と権利と国土を守る県民集会. 運賃・物価値上げ反対, 原爆被害者援護法制定などを決議. 11.19 原水爆禁止広島協議会, 原爆被爆者団体協議会, 広島合唱団共催で「広島のうたごえ」. 12.22 |
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| 1222 | 中国訪日京劇団, 日本公演の純益金 170万余をそれぞれ広島・長崎両市に贈る. |
| 月 | 日 | 記事 |
|---|---|---|
| 01 | 25 | 広島市当局、市議会産業委員会で、原子力平和利用展開催中は原爆資料館の資料を公民館に移す意向を表明。被爆者、遺品を移すのは心外だと反発。 |
| 02 | 02 | 丸木・赤松夫妻、「原爆の図」を日本アンデパンダン展に出品。全10部完成(アカハタ)。 |
| 02 | 11 | 神奈川県平塚市・地区労・医師会など、見附台体育館で丸木・赤松「原爆の図」展を開催(3日間)。約1万5000名が参観。原爆展の市主催は、英国コヴェントリー市についで2番目(アカハタ)。 |
| 03 | 23 | 天皇、東京日本橋高島屋で開催中のニューヨーク近代美術館など主催「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展を見学。その際、広島原爆被災の少年の写真にカバーがかぶせられる。(毎日新聞) |
| 03 | 24 | 「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展に出品中の長崎原爆被災写真5枚について、米側責任者スタイケンが撤去を申し入れ。(朝日新聞) |
| 03 | 26 | 丸木・赤松「原爆の図」展、ローマで開幕。(アカハタ)。 |
| 04 | 09 | 山口仙二長崎原爆青年会長、国際文化会館のケロイド模型の取り外しを指示した渡辺長崎県秘書課長補佐に7項目の公開質問状を提出。(長崎日々) |
| 04 | 15? | ハーベルマン(オランダの彫刻家)による丸木・赤松「原爆の図」の世界一周展覧行脚の呼びかけに対しスイスのベルン博物館・ニューヨーク・ボストン両博物館などから公開希望の申し入れ。 |
| 04 | 16 | 丸木・赤松後援会、「原爆の図世界行脚歓送懇談会を」東京お茶の水で開催。月末に訪中の予定(アカハタ)。 |
| 05 | 01 | アカハタ、「「原爆の図」展の成果-神奈川平塚地区委員会の総括」を掲載(-3日、3回)。 |
| 05 | 12 | 丸木・赤松夫妻、中国人民保衛世界平和委員会の招きで訪中するため羽田を出発(アカハタ)。 |
| 05 | 26 | 広島原子力平和利用博覧会、開会式を挙行。 |
| 05 | 27 | 広島原子力利用博覧会(広島県・市など主催)、広島市平和記念公園の平和記念館・原爆資料館で開催(6月17日まで、約11万人入場)。藤居原・水協事務局次長、平和利用に先だって原爆症に対する治療・予防の研究を第一目標に置いて欲しいと談話。 |
| 07 | 06 | 原子力平和利用博覧会(アメリカ広報庁・福岡県市・西日本新聞社共催)、福岡市で開幕。(長崎日々) |
| 08 | 04 | 長崎市原爆資料保存会、4月義宮来県以来国際文化会館の陳列から除かれていたケロイド模型を陳列することなどを決定。(長崎日々)[天皇] |
| 08 | 31 | 丸木・赤松夫妻、平壌に到着(アカハタ)。 |
| 12 | 23 | 丸木位里、帰国(アカハタ)。 |
原爆被害者援護法案要綱 1956.8
原爆被害者援護法案要綱 (日本被団協案)
第一 方針
一、国費により、原爆被害者の医療と必要な生活の保障を行うこととする
原爆被害者とは、原爆障害者及び原爆死没者ならびにそれ等の者の同一世帯員(主として当該障害者叉は死没者の収入によって生計を維持し、叉はその者と生計を共にした者、若しくはしている者)をいう。
原爆被害者については、次のような特異性が認められるので、これが医療と必要なる生活の保障は、すべて国庫負担によることが妥当と考えられる。
(一)科学的にみて
1、原爆障害者とは放射性物質のアルファー、ベーター、ガンマー線による持続的な細胞内原子機能機能の根本的破壊、ならびに爆発時における熱傷と爆風による広範な被害である。
2、原爆死没とは右のような原因により、死んだ者と今後予想せられる死亡をいう。
(二)医学的にみて
1、原爆障害者については、その治療は、長期を要し、かつ困難である。又被害者は多数にわたり、かつ後障害及び遺伝的影響を残すとされるから、その研究、治療は、総合的で規模も大掛りであることを必要とする。
2、原爆死没者については、的確な治療及び対策が講ぜられぬまゝ死没したものである。
(三)経済的にみて
1、原爆障害者については、その症状が前記のように特異であり、治療に永い期間と多額の費用を必要とするので、個々の患者にとって自らの治療の負担に耐え得ない。
2、原爆障害及び原爆死没者の同一世帯員については、原爆による被害が広範長期にわたり且大量殺りくであった為に自他共に生計維持の方途に苦しんだのである。従ってその障害者若しくは死没者か当該世帯の生計の中心者に該当する場合、叉は将来生計の中心者として期待される場合においては、その者の同一世帯員の生活は国家の責任において保障されることを必要とする。
(四)政治的にみて
原爆被害者は国の責任におい遂行した戦争による犠牲であり、原爆という当時においては予想を絶する特殊兵器によるものであるから、無防備無準備のまゝに受け、また警備にも適切を欠ぐという、全く個人の責任範囲外の被害であるから、これが治療と生活については国の責任で行はれるべきである。
二、その他、今日、国の責任において原子力科学及びその実用化の推進を取り上げているのであるから、これに随伴するであらう放射能被害の予防、治療、その他にも貴重な貢献をすることと思はれる。
第二 要領
一、国費で治療を行う者の範囲は、昭和二十年八月広島市及び長崎市における原爆障害者(当時胎内にいた者を含む。)とする。
二、本法による治療を行う者の決定は、先ず、被爆者の登録を行い、次いでこれらの者の内から、具体的に治療を行う者の認定をするという二段の手続きをとること。
登録対象は現に原爆症患者である者及び、将来原爆症の発生する可能性のあるもの、すなわち、被爆当時叉はその直后に被爆地域に在ったものとし、登録及び認定は、都道府県知事とする。
登録は、本人叉は第三者の申請によることゝし、次に治療を行う者の認定に当っては、厚生大臣の定める基準により諮問機関の議を経て決定するものとする。
三、治療を行う期間は転帰までとする。
四、治療を行う機関は厚生大臣の指定する医療機関とすること。
また、必要に応じて一時救護所を設けることができるようにすること。
五、医療機関の治療方針及び治療報酬は健康保険の例により、それによることができない時は厚生大臣が定めることとすること。
六、障害者に対しては障害年金を支給するか、若しくは、治療または療養を要する者の中、生活に支障を来たすため、これを受けることの困難な者に対しては治療手当または療養手当を支給すること。
七、障害者を安んじて治療叉は療養させるため都道府県知事が必要と認めたときは同一世帯員に対して援護することができるようにすること。
八、原爆死没者に弔慰金を支給し、その遺族に遺族年金を支給すること。
九、原爆障害者の調査と原爆障害の治療の研究機関を設立する。
十、被爆者の健康管理を行うこと、
本人の意に反しない範囲で登録の対象者である被爆者の健康状態を調査し、健康状態に関して指導と予防措置を講ずることゝし、これが実施は都道府県をして当らしめ費用は国が全額負担する。
十一、次の様な義務規定を設けること。
1、治療を受ける者及び健康管理を受ける者について、症状に関して、又、住居の変更に関して、当該機関に対する届出義務を化する。
2、治療の委託を受けた医療機関について、治療の経過等に関して当該機関に対する報告義務を課する。
3、右の届出、報告の時期様式等は省令に委任する。
十二、治療状況の報告を行った医療機関に対して要した実費を支給すること
『平和への教育 広島の初等教育 全国連合小学校長会総会広島大会記念号』(広島市小学校長会、19560529)
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| 裏表紙のロゴ(原子力?)に注目 |
目次
| 章節 | タイトル | 備考 |
| 序詞 | 平和の聖地 | |
| 1 | 原爆までの広島 | |
| 1-1 | 広島のはじまり | |
| 1-2 | 城下町 | |
| 1-3 | 近代都市 | |
| 1-4 | 軍都 | |
| 1-5 | 教育の都 | |
| 1-6 | 小学校教育のあゆみ | |
| 2 | 原爆の日の広島 | |
| 2-1 | 原子雲 | |
| 2-2 | 原子砂漠 | |
| 2-3 | 学校の壊滅 | |
| 3 | 原爆からの広島 | |
| 3-1 | 混迷より模索へ | |
| 3-2 | 模索より開眼へ | |
| 3-3 | 開眼より展開へ | |
| 4 | 進みゆく広島 | |
| 4-1 | 大広島への動き | |
| 4-2 | 小学校教育のすがた | |
| 結び | 平和を求めて | |
高校生による原爆資料紹介の会(仮称)活動報告
発行:広大教育学部附属高校
高校生による原爆資料紹介の会(仮称)
印刷:広島刑務所
| 本 | ||
| 高校生による原爆資料紹介の会(仮称)活動報告 | ||
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広島市原対協被爆生存者(児童生徒)調査表
1956年1月10日現在
| 小学校 | 中学校 | 高等学校 | 計 | ||
| A.外傷のみあるもの | 検査希望 | 27 | 44 | 15 | 86 |
| 治療希望 | 31 | 52 | 16 | 99 | |
| 検査治療希望せず | 155 | 270 | 149 | 574 | |
| 計 | 213 | 366 | 180 | 759 | |
| B.自覚症状のみあるもの | 検査希望 | 186 | 175 | 82 | 444 |
| 治療希望 | 151 | 140 | 52 | 343 | |
| 検査治療希望せず | 332 | 619 | 286 | 1237 | |
| 計 | 669 | 935 | 420 | 2024 | |
| C.外傷自覚症状共にあるもの | 検査希望 | 50 | 52 | 34 | 136 |
| 治療希望 | 60 | 86 | 29 | 175 | |
| 検査治療希望せず | 83 | 150 | 125 | 358 | |
| 計 | 193 | 288 | 188 | 669 | |
| D.外傷自覚症状共にないもの | 検査希望 | 175 | 161 | 73 | 413 |
| 治療希望 | 76 | 98 | 22 | 196 | |
| 検査治療希望せず | 1690 | 2801 | 1105 | 5596 | |
| 計 | 1945 | 3060 | 1200 | 6205 | |
| E.総計 | 検査希望 | 442 | 433 | 204 | 1079 |
| 治療希望 | 318 | 376 | 119 | 813 | |
| 検査治療希望せず | 2260 | 3840 | 1665 | 7765 | |
| 計 | 3000 | 4349 | 1988 | 9657 |
出典:『広島原爆医療史』」601頁
広島市における原爆障害者対策に関する調査概要(参議院社会労働委員会調査室、1956年1月)
目次
| 章節 | 見出し | 備考 |
| 1 | 参議院社会労働委員の現地調査 | |
| 1-1 | 視察委員 | 参議院議員 :谷口弥三郎・山下義信 |
| 1-2 | 視察日程概況 | 1月6日~7日 |
| 1-3 | 調査項目 | |
| 2 | 原爆障害者治療対策の概要 | |
| 2-1 | 原爆障害者の調査 | |
| 2-2 | 原爆障害者の一斉診察 | |
| 2-3 | 原爆障害者治療対策協議会の発足 | |
| 2-4 | 治療活動の開始 | |
| 2-5 | 治療資金の確保 | |
| 2-6 | 原爆障害者実態調査状況 | |
| 2-7 | 診察状況 | |
| 2-8 | 治療状況 | |
| 3 | 原爆被爆者の健康管理問題 | |
| 3-1 | 被爆生存者の数 | |
| 3-2 | 原爆後遺症による死亡者 | |
| 3-3 | 健康管理の必要 | |
| 4 | 原爆障害者の生活保護関係 | |
| 4-1 | 生活保護法の適用を受けている世帯と原爆との関係に関する調査報告 | |
| 4-2 | 調査結果概況 | |
| 4-3 | 保護費支給状況 | |
| 4-4 | 身体障害者手帖の交付を受けているもの | |
| (参考)原爆被爆生存者数 | ||
| 5 | 原爆犠牲者に対する遺族援護法適用状況 | |
| 5-1 | 援護法、恩給法事務進捗状況 | |
| 5-2 | 原爆犠牲者年金等要求について原爆死没者者援護に関する陳情経過 | |
| 5-3 | 原爆犠牲者(軍人を除く)弔慰金支給状況表 | |
| 6 | 原爆影響研究所(ABCC)の概況 | 7日午前10時両委員はABCCを訪問 |
| 6-1 | 名称 | |
| 6-2 | 設置の経過 | |
| 6-3 | 性格 | |
| 6-4 | 目的 | |
| 6-5 | 調査の状況 | |
| 6-6 | 治療方面について | |
| 6-7 | 職員 | 米国側職員50名、日本側淑員800名 |
| 6-8 | ABCCに対する日本政府の協力 | |
| ABCC所長宛山下議員発書翰(1956年1月20日) | ||
| 7 | 原爆傷害対策問題に関する懇談会における主要な要望 | |
| 8 | 地元の陳情 | |
| 8-1 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法改正に関する要望 | |
| 8-2 | 原爆障害者治療費等に関する要望 | |
| 9 | 原爆障害者に対する治療法確立のための国の財政措置 | |
| 9-1 | 放射能被害調査研究委託費 | |
| 9-2 | 昭和29年度における広島、長崎両県被爆者の治療法を確立するための調査研究委託事業実施の概要 | |
広島原爆障害研究会 設立日:1956年11月
研究会メンバー
| 名前 | 所属 | 分野 |
| 井上省三 Inoue,Shozo | 広島赤十字病院 | 内科 |
| 小川修三 Ogawa,Shuzo | 広島大学理学部 | 理論物理 |
| 於保源作 Obo,Gensaku | 広島市 | 内科 |
| 佐久間澄 Sakuma,Kiyoshi | 広島大学理学部 | 理論物理 |
| 重藤文夫 Shigeto,Fumio | 広島赤十字病院 | 内科 |
| 品川睦明 Shinagawa,Mutsuaki | 広島大学理学部 | 分析化学 |
| 庄野直美 Shono,Naomi | 広島女学院大学 | 理論物理 |
| 杉原芳夫 Sugihara,Yoshio | 広島大学医学部 | 病理 |
| 瀬戸紀守 Seto,Norimori | 広島市 | 産婦人科 |
| 原田東岷 Harada,Tomin | 広島市 | 外科 |
| 広瀬文男 Hiroshe,Fumio | 広島大学医学部 | 病理 |
| 広藤道男 Hirofuji,Michio | 広島市 | 内科 |
| 細川利郎 Hosokawa,Toshiro | 広島赤十字病院 | 内科 |
| 槙殿順 Makidono,Jun | 広島市 | 放射線科 |
| 山本司 Yamamoto,Tsukasa | 広島原爆病院 | 病理 |
| 以上は1957年12月末のメンバー | ||
| 以下は1958年7月のメンバー表で新たに加えられたメンバー | ||
| Masuda,Yoshiya | ||
| Mizuno,Moriso | ||
| Nishida,Sekio | ||
| Nakayama,Hiromi | ||
| Tabuchi,Akira | ||
広島平和をきずく児童・生徒の会日記
(1955年10月-1957年3月)
| 年月日 | 事項 |
| 19551025 | 佐々木禎子さん原爆症でたおれた。 |
| 19551110 | 幟町中の級友、全国中学校長大会で平和を訴え、「原爆の子の像」を作るビラをお願いした。 |
| 19551225 | 禎子さんの級友が「こけしの会」をつくる。 |
| 19560128 | 広島市小中高校が一つになり「平和をきずく児童生徒の会」を結成、宣言文を読む。会則を決め役員を選挙する。 |
| 19560325 | 「原爆の子の像」を建てる全国運動をおこし、趣意書を全国のお友達にくばる。 |
| 19560425 | 会の委員、街頭募金第1回を行う。 |
| 19560701 | イギリス・ハンガリヤ等外国からも激励文が来はじめる。 |
| 19560806 | 会の代表、原水禁広島大会へ参加、世界の子供が平和への手をつなぐ運動をおこす。 |
| 19560809 | 委員長中村君、長崎世界大会に出席、外国代表に会のメッセージを手渡した。 |
| 19561010 | 像の制作者選考にとりかかり、大人の美術家に相談する。 |
| 19561015 | 像の制作者、東京芸大教授菊池一雄先生に決定。 |
| 19561020 | アメリカ文化センター・フツイ館長、ノーマン・カズンズ氏をたずね、アメリカの友達とも文通することをお願いした。 |
| 19561128 | 菊池先生来広、制作計画をたてられる。 |
| 19561231 | 像の募金を締切る。 |
| 19570227 | 総会を開き会計報告をし、反省会をする。 |
| 19570310 | 像の模型出来上り菊池先生来広。 |
出典:『平和』第5号(広島平和をきずく児童・生徒の会、1957年8月5日)
平和をきずく児童・生徒の会 1956年1月11日準備会 28日結成総会
平和をきずく児童生徒の会関係資料
| 資料名 | 年月日 | メモ |
| 広島平和をきずく児童・生徒の会日記 | 195703 | 1955年10月-1957年3月 |
| 平和をきずく児童生徒の会会則 | 19560201 | 効力発生 |
| 私たちの手で”原爆の子の像”を | 中村正司(基町2年)(平和をきずく児童・生徒の会(広島平和記念館内)委員長) | |
| 「原爆の子の像」建設趣意書 | 19560301 | |
| 子どもの手で作る「原爆の子の像」に御支援を請う! | 19560310 | ビラ(謄写印刷) |
| 私たちの手で”原爆の子の像”を | 19560310 | 中村正司(平和をきずく児童・生徒の会(広島平和記念館内)委員長) |
| 平和 8月6日特集号 | 19570805 | (広島平和をきずく児童・生徒の会機関紙) |
| ”千羽鶴”製作懇談会ご案内 | 19571101 | ”千羽鶴”製作現地本部⇒ |
| 千羽鶴・シナリオ第一稿 | 19571210 | 共同映画社・広島平和を築く児童生徒の会編 |
| 千羽鶴製作ニュース | 195804 | 共同映画社、広島平和をきずく児童生徒の会 |
| 千羽鶴製作ニュースNo.1 | 1958 | 共同映画社、広島平和をきずく児童生徒の会 |
| 「千羽鶴」撮影予定表 | 195804 | |
| (出演現地生徒へのご配慮方要請) | 195804 | ”千羽鶴”製作現地本部⇒中学校長 |
| 1958年5月5日完成除幕報告 『原爆の子』の像建立募金名簿 | 広島平和をきずく児童・生徒の会 | |
「原爆の子の像」建設趣意書
1956(昭和31)年3月1日
私たちの手で”原爆の子の像”を
禎子さんはしんどいめをして死んでゆきました。小学校四年生の義登君もそうでした。
原爆の時、禎子さんはまだ二つだった。お母さんにおわれて必死で楠木町の方へ逃げ、ほいでいのちが助かった。それなのに去年のちょうどいまごろ、ぽっくりと原爆症がおき、お医者にかかりました。病名は亜急性リンパ腺白血病というむずかしい名ですが、息がきれるまで九ヶ月間、それはとても苦しいとう病生活でした。
私たちお友だちで、日赤病院へ見舞いに行った時、禎子さんはベッドに寝たまま、薬の紙で千羽鶴を折っていました。「こが-に鶴う折ってどうするん。」と言ったら、「ほいでも、早うなおりたいけ・・・」と、うらめしそうにこたえた禎子さんの顔が、まだ忘れられません。
運動の選手だった禎子さんは、早うなおって、又一番をとりたかったにちがいありません。
千羽鶴はみなで六四三羽折られていました。私たちはそれを一つずつ形見にもらい、あとはみんな私たちの手で、棺の中の禎子さんのお顔や胸におさめてあげ、お別れをしました。
義登君はクリスマスから悪くなり、この一月二十四日には、もうなくなりました。何を問われても、コックリうなずいて寝かされていた義登君。約束の原爆の映画にも、もうとってもらえないし、つまらないなあ。
禎子さんの遺品となった出しかけの手紙があります。
「私の手にゆけつされるときはたいへんいたかった。医者さんがいわれるには、病気をしたときは、少しはいたいことをしないとなおらないといわれました。いたいめをしてでもよいから、私は早くよくなって春休みにはおねえちゃんの所にいきたい」
これをホーム・ルームで読んだとき、島本さんが、「のう、みんなで原爆の子の像を作ろう。」と言いました。「ほいでも、えっとお金がかかるぞ」と洋吉君が口を出し、みんな困った。「そりゃ、お互が節約して出すんよの」と、島本さんが言って、みんなこれに賛成しました。
それからず-りきて、一九五六年一月二十八日でした。広島市内の小学校から高等学校までのぜんぶの児童・生徒のお友達たちの代表が集まり、像をたてる決議をしました。
さいしょの原爆が広島に落とされたとき、私たちはまだこまかった。かすかにしか覚えていません。でも、あの日、町の建物をのけたり、工場のきんろう作業に出されていたお兄さんや、おねえさんは、二十四万の爆死者とともになくなられた。二度と私たちのように楽しい勉強も、カープの試合も見られないから可哀そうです。
紘治君のお母さんも、仕立物をぬいながら、今でもよく泣いています。
この二月のはじめ、市の原爆しょうがい協議会が、私たちの中には、まだ九七〇〇人の爆弾にあったお友達がいると発表されたので、なんだかいびせくなります。
今年も原爆の病気が出て、広島市内でもつぎつぎと、大人の方がなくなっています。
禎子さんや義登君のように、カスリきず一つうけないで、お勉強をしてきたのに、いまになって、しかも自分のせいでない病気のために落さねばならない。ほんとうにこんなことがあってよいでしょうか。
戦争で傷つけられたのは、私たち広島の市民だけではありません。全国の児童・生徒の皆さんも、それぞれぎせいを受けられて、いまもきっと、情けないめをしていられることでしょう。あの時焼け死んだ一万名のお兄さんや、おねえさんたちは、みんな死にたくなかった。どんなにつらかったでしょう。今でも夜がくると、川の橋の下で、その泣き声が聞えるような気がします。
それに、死んでも禎子さんにはまだ仏だんがない、ナメクジ住宅のバラックのお家はすうすうして寒い板の打ちつけです。
全国のお友達の皆さん!
私たちは私たちの手で、これらたくさんの学徒や、お友だちの霊を、おまつりしてあげたいのです。お小づかいをしまつして、祈りのこもった原爆の子の像を作りたいのです。そしてお互に励まし合い、毎日一心に基金を集めています。
しかし、次の計画のように、心のこもった意義のある像を建てるには、えっともとでがかかり、大へん困っています。どうかこのことを知って、げきれいし、できたら、えんじょしていただけないでしょうか。私たちこころからのお願いです。
一九五六年三月一日
広島市材木町 広島平和記念館内 平和をきずく児童・生徒の会
委員長 中村正司
”原爆の子の像”を建てる計画書
1.事業者 広島市公私立小・中・高校の児童・生徒会
2.目的 私たちは戦争の犠牲となった亡き児童・生徒の霊を心からとむらい、傷ついた友達をなぐさめるために”原爆の子の像”を建て、ふたたび戦争をくり返すことのない、平和な住みよい世界を打ちたてるべく、努力することを誓います。
3.規模と制作 真にこの目的にかなって、意義がこもり、つねに私たちや人々の追憶と平和へのしるべとなり、後世に遺る規模のものを、この道のすぐれた彫刻家に依頼して制作してもらう。
4.建てる場所 広島市中島平和記念公園内
5.完成予定 募金額、制作費等と関係があり、まだとり決めていないが、見通しがつき次第、ただちに着手し、なるべく早く完成させたい。そして除幕式には御支援下さったお友達の地方代表をもお招きしたい。
6.募金対象と期限
イ.広島市内各小・中・高校児童・生徒
ロ.全国各学校のお友達
ハ.こころざしある一般の方々
とし第1期の募金〆切期日を昭和31年8月6日とする。
7.建てる基金を送って下さるには
1.一番確実な御送金は、この趣意書につけている振替用紙をおつかい下さい。
2.用紙のない場合も、同じく郵便局を御利用下さって、口座番号、広島20番広島銀行本店宛にお送り願います。
3.右の1.2.どちらの場合も、たいへん御面倒ですが、同封の葉書にて次の事務所宛に御送金下さった由を御一報下さい。
8.募金の扱い及び事務所
広島市材木町 広島平和記念館内 平和をきずく児童・生徒の会
準備会 昭和31年1月11日 結成総会 昭和31年1月28日
平和をきずく児童生徒の会会則
第1章 総則
(事務所)第4条 この会の事務所を広島市元町一番地、広島市児童文化会館内に置く。
第2章 役員
| 委員長 | 中村正司(基町高) |
| 副 長 | 福田晴之(幟町中) |
| 同 | (青崎小) |
(顧問)(小学校)田中* (中学校)田中元逸 (高等学校)正月定夫 (市教委総務課長)森岡幹造
1956年3月10日
子どもの手で作る「原爆の子の像」に御支援を請う!
今般広島市公私立小・中・高校の児童・生徒会が挙って企画・決議しました「原爆の子の像」の建立運動は、大人や各種団体がタッチしない、全く児童・生徒の悲願にもとづく自主的な運動でありまして、これまで広島に於ても類例を見ない聖なる実践活動であります。
趣意書にも、この目的が書かれていますが、幾多の原爆戦災犠牲学徒の霊を慰めたい至情と共に、平和への幼きものの訴えの証(あかし)として、事、極めて有意義な事業と思います。然もこうした自らの営みを通して全国の各児童・生徒、更には世界の子供が「平和の友垣を作る」運動にもなることであり、私共広島県各種教育団体としても満腔の側面的支援を惜しまぬところであります。
本趣意書は追而、児童・生徒の手で全国の小・中・高校のお友達に発送される予定でありますが、貴***教職員組合におかれても、関係各学校の教職員・児童・生徒に御伝達下さり、絶大なる御支援と御協力を賜りますよう御依頼申し上げます。 敬白
昭和31年3月10日
広島県教育委員会協議会 広島県PTA連合会 広島県小学校長連合会 広島県中学校教育会 広島県教職員組合
教職員組合殿
平和をきずく児童生徒の会 1956年1月28日結成
広島平和をきずく児童・生徒の会日記
(1955年10月-1957年3月)
| 年月日 | 事項 |
| 19551025 | 佐々木禎子さん原爆症でたおれた。 |
| 19551110 | 幟町中の級友、全国中学校長大会で平和を訴え、「原爆の子の像」を作るビラをお願いした。 |
| 19551225 | 禎子さんの級友が「こけしの会」をつくる。 |
| 19560128 | 広島市小中高校が一つになり「平和をきずく児童生徒の会」を結成、宣言文を読む。会則を決め役員を選挙する。 |
| 19560325 | 「原爆の子の像」を建てる全国運動をおこし、趣意書を全国のお友達にくばる。 |
| 19560425 | 会の委員、街頭募金第1回を行う。 |
| 19560701 | イギリス・ハンガリヤ等外国からも激励文が来はじめる。 |
| 19560806 | 会の代表、原水禁広島大会へ参加、世界の子供が平和への手をつなぐ運動をおこす。 |
| 19560809 | 委員長中村君、長崎世界大会に出席、外国代表に会のメッセージを手渡した。 |
| 19561010 | 像の制作者選考にとりかかり、大人の美術家に相談する。 |
| 19561015 | 像の制作者、東京芸大教授菊池一雄先生に決定。 |
| 19561020 | アメリカ文化センター・フツイ館長、ノーマン・カズンズ氏をたずね、アメリカの友達とも文通することをお願いした。 |
| 19561128 | 菊池先生来広、制作計画をたてられる。 |
| 19561231 | 像の募金を締切る。 |
| 19570227 | 総会を開き会計報告をし、反省会をする。 |
| 19570310 | 像の模型出来上り菊池先生来広。 |
出典:『平和』第5号(広島平和をきずく児童・生徒の会、1957年8月5日)
参議院社会労働委員の現地調査
1.視察委員:参議院議員 谷口弥三郎、同 山下義信
2.視察日程概況
| 1月 | 時刻 | 概況 |
| 6日 | 14:20 | 広島県庁を訪問し、地自宅において副知事、民生部長、衛生部長、関係各課長から原爆傷害者対策の概況説明を聴取した後意見を交換し、又県側の陳情を聴いた。 |
| 15:15 | 県知事応接室 | |
| 15:30 | 市役所 | |
| 16 | 市役所会議室 | |
| 7日 | 10 | 市役所 |
| 11 | ABCC(原爆影響研究所)ロバート・エッチ・ホームズ所長 | |
| 13 | 日赤広島病院 | |
| 14 | ||
3.調査項目
<以下未入力>
財団法人広島原爆障害者対策協議会原爆障害者救援事業広島委員会
1.名称 原爆障害者救援事業広島委員会
2.目的 ノーマン・カズンズ氏等国外有志の好意による原爆障害者救援事業の推進を図る
3.委員
| 原爆障害者救援事業広島委員会委員名簿(順序不同) | ||
| 顧問 | 東京日赤中央病院長 | 都築正男 |
| 日米協会長 | 小松隆 | |
| 日本タイムス社長 | 東ケ埼潔 | |
| 委員 | 広島市長原医協会長 | 渡辺忠雄 |
| 日本医師会代議員原対協副会長 | 松坂義正 | |
| 広島県医師会長原対協副会長 | 正岡旭 | |
| 広島大学長 | 森戸辰男 | |
| 広島県副知事 | 河野義信 | |
| 広島商工会議所会頭 | 白井市郎 | |
| 広島市医師会長 | 今川卓治 | |
| 広島市社会福祉協議会 | 鈴川貫一 | |
| 広島市議会議長 | 柴田重* | |
| 広島市助役 | 沖野悟 | |
| 広島原爆犠牲者遺族援護促進会委員長 | 任都栗一興 | |
| 広島県医師会理事 | 原田東岷 | |
| 広島県医師会理事 | 大内五良 | |
| 財団法人広島ピースセンター | 谷本清 | |
| 広島市厚生局長 | 向井一貫 | |
編年資料:ヒロシマ-1956年
広島県原爆被害者団体協議会
1956年5月27日設立
1555年8月、広島で開催された原水爆禁止世界大会直後、広島市内には,原爆乙女の会(シオン会)・原爆被害者の会・原爆の子友の会の先駆的3組織のほかに,広島子供を守る会,未亡人会(原爆被害者グループ),大会直前に原爆被害者の会から別れた八・六友の会と原爆被害者の会本部,および大会の期間中に組織された電気通信関係原爆犠牲者遺族会の8組織が存在した。世界大会直後から,これらの被害者組織の一本化が試みられたが,性格の異なる諸組織の統合には,多くの困難が存在した。10数回の会合ののち,1956年1月22日に広島市原爆被害者連絡協議会世話人会の発足にこぎつけた。
広島県原爆被害者大会(1956年3月18日)・国会請願(3月20日)の開催が,広島における既存の原爆被害者組織の大同団結と新たな被害者組織づくりの重要な契機となった。原爆被害者大会実行委員会は,1956年4月8日,事務局に県内各地から30人が参加して代表者会議を開催,次のような決議を行った。
県内の原爆被害者の組織は,被害者大会までに,大竹市(1955年8月6日結成)・甲奴郡(9月1日)・芦品郡(10月11日)・深安郡・神石郡・三次地区(1956年3月15日)などに結成されており,大会後の3月29日には,賀茂郡原爆被害者の会が結成された。
原爆被害者大会実行委員会は,4月8日につづいて5月13日にも代表者会議を開催,5月21日には,事務局長藤居平一の名で,5月27日の広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協と略称)結成総会の案内状を発送した。広島YMCA講堂で開かれた結成総会には,県内の被害者団体代表120人のほか,長崎8人,愛媛1人の代表が参加した。総会は,経過報告,規約案の審議ののち,次のような運動方針を決定した。
総会は,藤居平一(原爆被害者大会実行委員会事務局長・広島原水協事務局次長)・井上昇(広島県東部被害者連絡協議会)・日野義隆(大竹市被害者同志会)の3人を代表委員に,また,藤居を事務局長に選出した。
8・6学生平和会議
主催:広島大学学生自治会
1956年8月5~7日
第1日(5日)
午前9時半~午後5時半 広島児童文化会館
広島大学・広島女子短大、北海道・東北・東京・京都・四国・九州など全国80の大学・高校から約500人が参加。
開会宣言=棗田金治(広島大学文学部)
実行委員長あいさつ=児玉健次(広島大学文学部)
「原爆許すまじ」全員合唱
平和問題シンポジューム
講演
長田新日本教育学会会長
佐久間澄広島大学教授
柳田謙十郎戦没学生記念会理事長
今中次麿広島大学教授
重藤文夫広島赤十字病院院長
討論
午後6時~
高校生代表者会議
映画会=原爆記録映画「生きていてよかった」観賞
レセプション 於紙屋町ガスビル
第2日(6日)
午前8時~ 広島市平和記念式典参列
午前10時~ 修道高等学校講堂
原爆被害者実情報告会=吉川清・原成子・温品道義など7名。
午後1時~
大学部会(於広島市平和記念館)
北海道・東北・東京・京都・四国・九州などから約300名参加。
高校部会(修道高等学校)
四国・鳥取などからの参加者を含め100名参加。
代表30名による原爆症患者の慰問=日赤・市民病院・県病院
午後6時~
被害者を囲む会(学生会館)
柳田謙十郎氏を囲む高校座談会(教育会館)
女子学生懇談会(東保健所ホール)
第3日(7日)
午前9時~午後4時 広島市中央公民館
総会
大会宣言
人類の上に初めての原爆が投下されて十一周年目に世界の平和運動とはっきりとした連帯の下に進められた、始めての日本学生の平和会議が開催されました。この会議に集った学生代表は平和を望むすべての人々、とりわけ日本の学生の平和への希望と期待とに応え、原子戦争を企だてている力をうち砕くためにいかにすべきかについて、自由かつ真剣に討議しました。私達は平和をめぐる世界情勢を検討することを通じて、社会体制の相違にもかゝわらず両体制の共存は可能であり、戦争は不可避ではないという点ですべての参加者の意見の一致を見、平和についての強い確信をうるにいたりました。
私達はこの様な期待のもとに開催される第二回原爆禁止世界大会に心からの支持と援助を送ります。
第一回原爆禁止世界大会以后の此の一年間に国際緊張を緩和し、冷たい戦争を中止させる動きは増々活発になり、現在東西陣営の間での軍縮について、歩みよりが次々と行なわれております。軍備の増大は今迄諸国民に対して貧困と不安をもたらしただけでした。軍拡競争はたヾ戦争に向かって進むにすぎません。最大の軍備である原水爆兵器が出現した現在、戦争の危険ははかりしれない程大きなものとなり、将来もし原水爆戦争がおこるならば世界中がヒロシマ、ナガサキ、ビキニとなって人類は死滅してしまうでしょう。
しかし長い間の国際緊張に代って第一回原水爆禁止世界大会以後のこの一年間、国際緊張を緩和し冷たい戦争を中止させる動きはますます活発となり現在大国の間での軍縮についての歩みよりがつぎつぎと行なわれております。和解のための共通の努力があれば大国の間にある色々な障害は必ず解決されるでしょう。この見通しを実現するのは私達の努力いかんにかゝっております。けれどもこの様な世界の国際緊張緩和の動きに逆行する動きが私達の祖国日本に於て依然続行されております。沖繩問顧にみられる様に、日本がアジアにおける国際緊張の増大の焦点となっております。原水爆戦争の基地は拡大され軍国主義復活の傾向が明らかになり、世界の平和に対する主要な障害となっております。私達は国際緊張増大に反対する立場からその様な平和の障害を取り除く為に活動を続けて行かなくてはなりません。
この様な国際緊張緩和の運動に於て、成功をおさめることこそ原爆被害者の私達の期待にこたえる第一の道であります。この道にそって被害者の国家保障を勝ち取る運動を強力に押し進めて行かればなりません。平和はすべての学生の中心的課題であり、学問と学園を守り発展させることは平和なくしてはありません。
平和運動を正しく展開して行くことによって私達は日本の若き知性と良心と云う名に恥じない立派な学生であることが出来ます。私達は第二回原水爆禁止世界大会を全面的に支持し大会の成果を日本の国民とりわけ学生のものとする為に全カをかたむけるでありましょう。私達は第二回世界大会の成果を全世界のすべての学生の運動に発展させて行くことによって日本の学生の平和への名誉ある義務を果して行くでしょう。
本日の会議によってうち立てられた平和運動の正しい方向によって、私達日本の学生は原水爆が禁止され、その貯蔵が廃棄され全般的な軍縮が達成されて人類の上に恒久平和の確固とした保証が行なわれる日迄広く全世界の願いを同じくする人々としっかりと手を携えて前進して行くでしょう。
輝かしい世界恒久平和への望みは私達の努力にかゝっています。
一九五六年八月六日 広島にて
決議
1.軍縮、原水爆実験禁止を世界全学連へアッピールする。
2.大国間の軍縮協定、原水爆実験禁止協定の即時締結を国連に要請する。
3.日ソ国交回復について日本政府に要請する。
4.日本政府に対して、軍縮と原水爆禁止運動の先頭に立って努力するよう要請する。
5.日本の再軍備は世界の動きに逆行するものであるから憲法擁護について日本政府、自民党に要請する。
6.沖縄返還問題について米政府と沖縄政府へ決議文を送る。
7.砂川土地接収に反対するむね日本政府に呼びかける。
8.原水爆被災者の救援について治療、家族の生活の完全な国家保障を政府に要請する。
長崎大会代表選出