広島県議会意見書 原爆犠牲者の大慰霊祭執行についての要望

広島県議会意見書

原爆犠牲者の大慰霊祭執行についての要望

1959年12月15日

原爆犠牲者の大慰霊祭執行についての要望

理由

昭和二十年八月六日広島市に原子爆弾が投下されて以来十周年にあたる明、昭和三十五年を期し、広島県主催により原爆犠牲者の大慰霊察を厳粛盛大に執行せられたい。

ついては左記によりただちに準備に着手せられたい。

一 全国の原爆犠牲者の遺族、被爆者の参列を案内すること。
一 政府当局をはじめ各界の方々の参列を求めること。
一 意義あらしめるよう最も適当な日時及び場所を選定すること。
一 計画及ぴ実施については準備委員会(仮称)を設置する等万全を期すること。

右要望する。

原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案(大原亨君外13名提出)の提案理由説明

原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案(大原亨君外13名提出)の提案理由説明

衆議院社会労働委員会、1959年11月28日

○大原議員

私は日本社会党を代表して、わが党の提案いたしました原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案(原子爆弾被爆者等援護法案)に関しまして、提案の趣旨及び内容のおもな点を御説明申し上げます。

わが党は今日まで、原爆被害者救援の問題は生きながらにして死の恐怖に直面する原爆被害者を守る運動であり、原水爆禁止の運動は実験検による被害を含んで、将来一人の原水爆被害者も作らないという運動であって、この二つは表裏一体であるとの考え方より一貫して努力して参りました。

すなわち原水爆禁止に対する固い決意を前提としてのみ被害者救援の運動が成果をあげ得るものであり、被害者救援の決意なくして原水爆禁止運動の結実はあり得ないと考えるものてございます。一部の人々が運動発展の歴史を無視いたしましてこの二つの運動を切り離して考え、原水爆禁止の運動を非難するがごときは、その意識するとしないとにかかわらず原爆の被害を過小に評価することによって戦争の準備を正当化せんとする、誤った考え方に起因するものといわねばなりません。特に広島、長崎のあの惨劇の後十四年間、歴代の保守党内閣がこの恐るべき原爆症の科学的、社会的実相を国の責任において明りかにする努力を怠っていたことは人道的にも非難されなくてはなりません。

わが日本社会党は、昭和三十二年のいわゆる被害者医療法を抜本的にこの際改正して総合的な援護立法を制定することを主張する理由として次の四つの点をあげたいと存じます。

その第一は、原爆の投下は国際法規に違反する、非戦闘員をも対象とする大量無差別の殺戮行為であるという点であります。日本の加盟する一九○七年締結のハーグ陸戦法規の第二十二条は「交戦者は外敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ず」と規定し、同第二十三条A項では「毒又は毒を施したる兵器を使用すること」及び同条E項においては「不必要な苦痛を与うべき兵器、投射物その他の物資を使用すること」を禁止しているのであリます。そればかりではありません。一八六三年のセント・ペテルスブルグ宣言は、戦争の必要が人道の要求に一歩を譲るべき技術上の限界を決定している赤十字条約にも違反しており、空戦における軍事目標主義(空戦法規第二十四条)に反し、さらに一九二五年五月のジュネーブ議定書及び一九四八年の集団殺害防止処罰条約の精神に違反するものであることは明白であります。

日本がサンフランシスコ条約において締約国との間における一切の賠償請求権を放棄したとはいえ、被害を受けた国民の要求権を無視したものではなく、少なくとも講和条約締結の日本国政府が被害者に対する義務を負担するものであって、賠償が戦勝国のみに保障されるものであっては、人道を名にする国際法は無意味といわなければなりません。このことにつきましては、以上二つの点にわたりまして、去る十一月十九日の社会労働委員会におきまして、藤山外務大臣を招いて質問した際も、藤山外務大臣は私のその主張に対しまして、同意を表明いたしたのであります。要するに、原爆被爆者の損害に対して国は責任を負うものであることは明らかであります。

第二の理由は、原爆による傷害作用はいかなる凶器や毒ガス、細菌などよりも致命的被害を与えるものであり、特に被爆後の十四年の今日も放射能の影響によって死亡するものもあり、遺伝的影響をも与えることが実証されているのであります。わが国の放射能医学の第一線の権威である日赤の都築博士は「人体の細胞の中の核に放射線が作用するということが明らかになった。核の中の染色体だけに作用するという障害因子は細菌や毒薬にはなく放射能だけだ」と述ぺているのてあります。

第三に、いわゆる医療法は原爆症の特殊性を認めた立法でありますけれども、この医療法は実施三年にしてその法的な欠陥が明らかとなり、医療の目的を達するためには国の責任による生活保障が不可欠となったのであります。

第四に、社会立法との均衡上の問題でございますが、今日公務員すなわち軍人軍属に国家保障を限るということは、当時国家総動員法などから見て不当であるばかりでなく、戦犯や引揚者に対する恩給や一部保障軍がなされていることからも被爆者の家族及び遺族に対する援護は当然といわねぱなりません。

以上の理由によりまして、わが党は次の項目を骨子とする原爆被爆者援護のための法律改正を提出いたす次第でございます。

第一に、現行医療法の治療認定基準を拡大し、被爆者の負傷または疾病が原子爆弾の傷害作用に関連しているもののすぺてを対象とすることにいたしました。

第二に、医療給付を受ける被爆者に対して援護手当を支給することにいたしました。この際援護手当は栄養補給など医療中の被爆者の家族の生活援護であって、いわゆるボーダー・ライン層を含んだわけであります。

第三に、医療を受けるため労働することができず、このため収入が減じたと認めるものに対しまして、援護手当とは別個に医療手当を支給することにいたしました。

第四に、健康診断または医療給付を受ける被爆者に交通手当を支給することにいたしました。

第五に、被爆死亡者の遺族には三年に限り、一人年額一万五千円の給与金を支給することにいたしました。ただし戦傷病者戦没者遺族等援護法の規定による年金、給与金を受けるものを除外いたしました。

第六に、被爆死亡者の遺族に、一人につき十年以内に償還すべき記名国債で三万円の弔慰金を支給することといたしました。

第七に、厚生大臣の諮問機関として被爆者援護に関する重要事項の調査審議のため原爆被爆者等援護審議会を置き、この審議会には被爆者及び死亡者の遺族代表も加えることにいたしました。

第八に、原爆の影響を総合的に調査、研究、及び治療をし、原爆症患者の医療と福祉向上のため原子爆弾影響研究所を設立し、付属病院を併置することにいたしました。

以上が国際法規の精神を中心として、国が全責任を持って放射能の影響と治療の根本的研究、その上に立つ完全なる医療給付と生活援護についての方針を骨子とする援護法の内容でございます。

言うまでもなく、日本はただ一つの被害国であります。世界ただ一つの被害国が原爆被害の実相を究明し、再びこのあやまちを繰り返さないために、この決意をこの援護法を通して表明することは、全世界の人々が原水爆、ミサイルの究極兵器の今日、原水爆禁止と完全なる軍縮を願い、国連にもこれにこたえて討議、諸決議を上げられておる。そういう現状から見て、わが日本の政府、国会の当然の責務であると存じます。すでに本委員会におきましても、渡辺厚生大臣、中曽根科学技術庁長官、藤山外務大臣等が出席いたされました際に、すべて賛意を表し、努力を約束されておるところてございまして、特に広島や長崎を中心といたしまして、被爆関係者あるいはその地域、全国的に与野党とも一致いたしましてこのことを要求をいたしておるのでございます。何とぞ慎重御審議の上、すみやかに可決あらんことをお願い申し上げまして、提案の説明を終わります。

原爆被爆者対策についての陳情並びに請願経過概要

『原爆被爆者対策についての陳情並びに請願経過概要』(広島市、[1959年9月])

1.原爆医療法制定以前

年月 陳情・請願先 陳情・請願者 内容
1953.07 国会
(衆参両院)
広島市・議会
長崎市・議会
原子爆弾による障害者に対する治療援助に関する請願
(概要)治療費の国庫負担に関すること
1954.06 厚生省 広島原対協 原爆障害者治療費国庫負担につき陳情書
(概要)健康管理と治療費に関すること
1954.06 厚生省 広島原対協 原爆症調査治療研究の総合機関に関する陳情
(概要)広島に設置されたいこと
1954.09 厚生省 広島・長崎特別都市建設
促進議員連盟会長
広島・長崎両県選出国会議員
原爆障害者治療費の国庫支出に関する陳情書
(概要)3カ年計画
①原爆障害者治療費 301,500,000円
②治療に伴う生活援護費 24,300,000円
計 325,800,000円
1955.09 厚生省 広島市・議会
広島原対協
原爆障害者治療費等増額に関する陳情書
(概要)3カ年計画
①原爆障害者治療費 207,000,000円
②治療に伴う生活援護費 18,000,000円
③被爆者検査費 18,000,000円
計 243,000,000円
1956.11 厚生省 広島市・議会
長崎市・議会
原爆障害者援護法制定に関する陳情書
(法案要綱)
①医療及び健康管理を行うこと
②医療手当を支給すること
③原爆障害に関する調査研究機関の設置

 

2.原爆医療法制定以後

年月 陳情・請願先 陳情・請願者 内容
1958.08 厚生省 広島市・議会 1.原爆被爆者の健康管理及び医療を促進するための対策に関する陳情書
(概要)
①健康診断車の設置
②栄養物の補給
③医療範囲の拡大と認定手続の簡素化
④現地に原爆医療研究機関の設置
2.被爆者援護対策の確立に関する陳情書
(概要)
①医療中における生活保障の確立
②医療交通費の支給
③寝具の備付
④身体障害者の装具の支給
⑤被爆者福祉センターの設立
3.原爆白書の作成に関する陳情書
国家において原爆白書の作成
1958.09 郵政省
厚生省
広島県・議会
広島市・議会
広島原対協
寄付金つき郵便葉書等の発売に係る寄付金の配分方に関する陳情書

1.生活援護 11,200,000円
①生活援護費
②特別医療費
③身体障害者に対する補装具費
④医療交通費
⑤寝具購入費
5,760,000円
720,000円
220,000円
2,700,000円
1,800,000円
2.健康診断車(艇)の設置 8,800,000円
3.原爆福祉センターの建設 48,000,000円
4.原爆医療の総合的研究調査 10,000,000円
78,000,000円

「注記」福祉センターについては、本申請において約1億円の規模とした。

 

第5回原水爆禁止世界大会日程

第5回原水爆禁止世界大会日程

月日 時間 会議名 会場
8.1 09:00-17:00 予備会議総会

(議事次第)1開会のことば、2議長団選出、3議長団あいさつ、4運営委員選出、5日程説明、6地元歓迎あいさつ、7外国代表答辞、8一般経過報告、9主要国および国際組織活動報告

平和記念館集会室
8.2 09:00-17:00 予備会議分科会
第一分科会(A)(議題)1東西首脳会談と緊張緩和全般的軍縮達成の道、2原水爆の全面的禁止と原子戦争の絶滅、3各国における核武装阻止、4中立と軍事同盟の問題
平和記念館第2会議室
第一分科会(B) 第3会議室
第二分科会(議題)1原水爆禁止運動の発展とその方向、2原水爆被害者の救援運動 平和記念館集会室
18:00-20:00 広島市長主催外国代表歓迎レセプション 新広島ホテル・ガーデン
20:00-02:00 予備会議起草委員会 平和記念館第3会議室
8.3 09:00-12:00 被害の実相見学

(コース)平和記念公園-平和記念館-平和記念資料館-市公会堂-慰霊碑-原爆の子の像-原爆ドーム-住友銀行-県庁-市民病院-広島城-縮景園-平和記念聖堂-比治山-ABCC-広大-日赤-原爆病院-市役所-平和大橋-平和公園

(観光バスで巡回)
13:00-18:00 予備会議総会 平和記念館集会堂
8.4 16:30-17:10 平和行進歓迎集会 平和記念広場
8.5 14:00-16:00 ライナス・ボーリング博士講演会 広大政経大教室
19:00-21:30 世界大会総会

(議事次第)1開会のことば、2議長団選出、3議長団あいさつ、4運営委員選出、5原爆犠牲者に対する黙とう、6日程説明、7広島市長あいさつ、8一般基調報告(安井理事長)、9外国代表あいさつ、10意見発表(広島,長崎の被爆者代表,基地代表,沖縄代表各1人)、11国際平和巡礼代表あいさつ、12平和行進代表あいさつ、13閉会

平和記念広場
8.6 08:00-09:00 平和記念式典(広島市主催) 平和記念広場
09:30-17:00 世界大会分散会

[会場]1児童童文化会館、2千田小学校、3竹屋小学校、4広大皆実分校、5国泰寺高校、6袋町小学校、7松本商業、8労働会館、9広陵高校、10広島女学院中、11幟町小学校、12中央公民館、13広瀬小学校、14天満小学校、15観音小学校、16観音高校、17市公会堂

19:00-22:00 宣言決議起草委員会 平和記念館食堂
19:00-21:00 外国代表をかこむ懇談会

1アラブ・アフリカ代表との懇談会 竹屋小学校
2インド代表との懇談会 千田小学校
3インドネシヤ・オーストラリヤ代表との懇談会 記念館第2会議室
4北アメリカ代表との懇談会 広瀬小学校
5ソ連・蒙古(東欧を含む)との懇談会 神崎小学校
6ドイツ・ヨーロッパ代表との懇談会 天満小学校
7朝鮮・ベトナム代表との懇談会 記念館第3会議室
8労働者代表との懇談会 広陵高校
9婦人代表との懇談会 広島女学院中
19:00-21:00 被爆者との懇談会

[会場]1児童文化会館、2広大皆実分校、3国泰寺高校、4袋町小学校、5本川小学校、6労働会館、7観音高校、8中央公民館、9記念館集会室、10中国新聞舎ホール

23:00より 燈ろう流し 太田川ベリ
8.7 09:00-14:00 宣言決議起草委員会 平和記念館集会室
09:00-14:00 階層別協議会

労働 広島市公会堂
婦人 国泰寺高校
青年 千田小学校
大学生 中央公民館
農民 竹屋小学校
漁民 天満小学校
商工 広陵高校
宗教 広島女学院
自治体 児童文化会館
文化人・ジャーナリスト 中国新聞社ホール
科学者 記念館集会室
被爆者 広大皆実分校
高校生 農協ビル
法律家 記念館第3会議室
情宣 労働会館
14:30-18:00 被爆の実相見学 (観光バスで巡回)
15:00-17:00 宣言決議草案審議代表団会議 児童文化会館
19:30- 世界大会総会

(議事次第)1開会、2宣言,決議草案審議代表団会議の報告、3大会宣言決議,特別決議案の提案と採択、4広島アピールの提案と採択、5日本原水協あいさつ、6花束贈呈、7外国代表答辞(5人)、8万歳三唱、9閉会、10アトラクション(3~40分)

市民球場

出典:日本原水協『第5回原水爆禁止世界大会案内』

平和県に関する宣言(広島県議会)

平和県に関する宣言

1959年3月18日

平和県に関する宣言

広島県は、人類の福祉を念願する世界の人々とともに核兵器を禁止し、世界の恒久平和を実現するため世界連邦建設の趣旨に賛同し、永遠の平和県であることを、ここに宣言する。

昭和34年3月18日

広島県議会

広島県原水協年表(1959年)

広島県原水協年表(1959年)

月日 事項
1.19 戦争と失業に反対する国民大行進, 広島入り.
2. 1 広島県平和委員会第 3回総会, 安保改定阻止を運動の中心にしてたたかう方   針を決定.
2.10 「平民協」第 3回会議. オルグ団を編成し安保闘争を下から盛り上げることなどを決める.
2.19 広島県平和委員会, 県労会議に当面のすべての闘争の中心に安保改定阻止を据えて闘うよう申し入れ.
2.23 安保改定阻止・日中国交回復大講演会, 広島労働会館で開催. 陸井三郎・長田新の講演. 終了後県民大集会.
4.15 安保改定阻止広島県中央総決起大会(広島市役所横広場). 47組合・2000人参加.
6.24 安保条約改定阻止広島県民共闘会議結成.
6.25 安保改定阻止第 3次統一行動.
6.26 日本原水協, 石井金一郎ら15名による広島・長崎の被爆者綜合調査結果を発表.
6.28 第 7回世界青年学生平和友好祭代表壮行大会. 佐々木一(国労)・高橋昭博(被団協)・小林基雄(全建設中国地本)の 3代表にウィーンのナチ犠牲者の遺跡にささげる広島の土を託す. 高橋は体調不調で渡航断念.
7. 9 広島県議会, 県原水協への大会補助金支出を否決.
7.12 広島県原水協, 大会補助金削除は県民の意思に反するとして県当局と県議会に再度大会支持要請することを決定.
7.21 自民党 7役会議, 自治体から原水協へ補助金を出さないよう指令.
7.22 安保改定阻止総決起大会・講演会(広島市平和記念館).
7.31 平和と学問を守る大学人の会, 安保改定交渉を即時打ち切るよう声明.
8. 4 60日間のべ6000キロ, 1000万人参加の国民平和行進, 3方面から広島入り. 平和公園で歓迎集会, 2万人参加.
8. 5 第 5回原水爆禁止世界大会開会総会, 平和公園に 2万人参加.
8. 6 17会場で世界大会分散会.
8. 7 世界大会階層別協議会と閉会式(広島市民球場).
8. 8 日教組・全電通・全建労それぞれ平和集会を広島で開催.
9. 1 原水禁広島母親連絡会議結成準備会開催(のち原水爆禁止広島母の会).
10.20 安保改定阻止第 7次統一行動.
11.21 自民党広島県連, 安保改定推進の方針を決定. 23日安保改定推進決起大会(広島市), つづいて県内各地で研修会・演説会を開く.
11.25 安保改定阻止広島県中央総決起大会(広島市役所横).
11.27 安保改定阻止第 8次統一行動.
12.10 安保改定阻止第 9次統一行動.
12.22 安保改定阻止第10次統一行動.
1225 安保条約改定反対共同声明広島世話人会が声明書を発表.

 

 

原水爆時代(上)(ピカ研校訂作業)

『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)

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以下未完
 登場人物  備考
ピカドンに死なず
幽鬼の町ヒロシマ
今堀誠二 山口県の西北海岸、一兵士。
古賀八重子
少国民の最後
「菩提樹」をうたう少女
敗戦を飾る犠牲者の美
世界の良心は告発する
ピカドンに屈せず
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。
占領軍に屈せず
1 第二の誕生
「生ましめん哉」
栗原氏と「中国文化」
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹
プレスコード下の最初の刊行物
『中国文化』創刊号
ヒロシマは歴史の証人
2 ざんげの道
悲嘆の日記「さんげ」
トマトをめぐる母子の悲歌
守られた非合法出版物
死の商人のざんげ
地球を動かす支点
警告ビラは回収された
3 無欲の顔
村にきたジープ
原爆について語るな
作家の眼がとらえた「屍の街」
無欲顔貌
人間の精神はボロになった
平和をかえして下さい
いまだ癒えぬ傷あと
4 原爆エレジー
原子野に咲いた「夏の花」
壊された詩碑
忘れかけたあの日の記憶
「長崎の鐘」
原爆エレジーの流行
5 よみがえった記録映画
映像になった記録
占領軍の撮影禁止
生きていたプリント
公開された被爆写真
6 科学者の道
廃墟に芽ばえた国民の科学
災害調査はじまる
奇病の発生第二期症状
病理へ振るうメス
全滅した劇団「桜隊」
都築氏の活躍
世界最初の原爆症講演会
原爆症救護病院
山津波にのまれた京大班
災害調査研究特別委員会
きびしい原爆の秘密保持
撤去された研究施設
原爆はGHQのタブー
終戦の日に始った原爆戦争の準備
恐るべき後遺症
原爆症とは何か
被爆者はABCCのモルモットか
原爆禁止は科学者の道
ノー・モア・ヒロシマ
1 原爆は戦争ではない
広島に向った青い眼の記者
死臭と敵意の中で
ヒロシマからの報告
人類よ!広島をくり返すな
原爆患者の存在を抹殺
勝利した官製ニュース
二つの原爆処理方式
科学者の「十字軍」
2 人道主義と反戦主義
全米を震撼させた実話小説
「ヒロシマ」の主人公たち
人道主義の原爆否定
同情はごめんだ
アメリカの盲点
世界連邦主義
ピース・センターと精神養子
原爆乙女の厚生
憤激をかったルーズベルト夫人
原爆乙女は立証する
3 平和祭
広島平和復興祭
46・7年の世界の動き
マ元帥の教書と「平和宣言」
原爆をとりあげたアメリカの新聞
8・6をカーニバルにするな
世界でもたれたヒロシマ・デー
貧弱だった「原爆否定の研究室」
平和こそ女性の幸福の源
原爆外交と広島の復興
大衆から浮いた平和祭
4  偏見を乗り越えて
東洋にかけるアメリカの橋
クエーカーの絶対平和主義
シュモー氏の「広島の家」
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ
神よ平和を来らし給え
むずかしい平和住宅の運営
ブ夫人の公民館
平和運動を離れた「広島の家」
平和精神をうらづけるものは何か
シュ氏のピントの甘さ
ブ夫人への一票は原爆防止の一票
過ちは繰返しませぬ
殴殺されたアメリカ兵
恩讐を越えた供養塔
原爆で死んだ異国の人
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
あとがき

 

 

原水爆時代(上)

『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)

 登場人物  備考
ピカドンに死なず
幽鬼の町ヒロシマ
今堀誠二 山口県の西北海岸、一兵士。
古賀八重子
少国民の最後
「菩提樹」をうたう少女
敗戦を飾る犠牲者の美
世界の良心は告発する
ピカドンに屈せず
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。
占領軍に屈せず
1 第二の誕生
「生ましめん哉」
栗原氏と「中国文化」
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹
プレスコード下の最初の刊行物
『中国文化』創刊号
ヒロシマは歴史の証人
2 ざんげの道
悲嘆の日記「さんげ」
トマトをめぐる母子の悲歌
守られた非合法出版物
死の商人のざんげ
地球を動かす支点
警告ビラは回収された
3 無欲の顔
村にきたジープ
原爆について語るな
作家の眼がとらえた「屍の街」
無欲顔貌
人間の精神はボロになった
平和をかえして下さい
いまだ癒えぬ傷あと
4 原爆エレジー
原子野に咲いた「夏の花」
壊された詩碑
忘れかけたあの日の記憶
「長崎の鐘」
原爆エレジーの流行
5 よみがえった記録映画
映像になった記録
占領軍の撮影禁止
生きていたプリント
公開された被爆写真
6 科学者の道
廃墟に芽ばえた国民の科学
災害調査はじまる
奇病の発生第二期症状
病理へ振るうメス
全滅した劇団「桜隊」
都築氏の活躍
世界最初の原爆症講演会
原爆症救護病院
山津波にのまれた京大班
災害調査研究特別委員会
きびしい原爆の秘密保持
撤去された研究施設
原爆はGHQのタブー
終戦の日に始った原爆戦争の準備
恐るべき後遺症
原爆症とは何か
被爆者はABCCのモルモットか
原爆禁止は科学者の道
ノー・モア・ヒロシマ
1 原爆は戦争ではない
広島に向った青い眼の記者
死臭と敵意の中で
ヒロシマからの報告
人類よ!広島をくり返すな
原爆患者の存在を抹殺
勝利した官製ニュース
二つの原爆処理方式
科学者の「十字軍」
2 人道主義と反戦主義
全米を震撼させた実話小説
「ヒロシマ」の主人公たち
人道主義の原爆否定
同情はごめんだ
アメリカの盲点
世界連邦主義
ピース・センターと精神養子
原爆乙女の厚生
憤激をかったルーズベルト夫人
原爆乙女は立証する
3 平和祭
広島平和復興祭
46・7年の世界の動き
マ元帥の教書と「平和宣言」
原爆をとりあげたアメリカの新聞
8・6をカーニバルにするな
世界でもたれたヒロシマ・デー
貧弱だった「原爆否定の研究室」
平和こそ女性の幸福の源
原爆外交と広島の復興
大衆から浮いた平和祭
4  偏見を乗り越えて
東洋にかけるアメリカの橋
クエーカーの絶対平和主義
シュモー氏の「広島の家」
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ
神よ平和を来らし給え
むずかしい平和住宅の運営
ブ夫人の公民館
平和運動を離れた「広島の家」
平和精神をうらづけるものは何か
シュ氏のピントの甘さ
ブ夫人への一票は原爆防止の一票
過ちは繰返しませぬ
殴殺されたアメリカ兵
恩讐を越えた供養塔
原爆で死んだ異国の人
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
あとがき

 

 

原爆被害の実相と被害者の苦しみ

『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』 日本原水爆被害者団体協議会 1959年8月6日発行

目次

筆者紹介
まえがき
  原爆によってどのような物理的被害を受けたか
1 原爆が爆発した瞬間の被害
2 残留放射能による被害
  原爆症とはどのような病気か
1 原爆症の統計的研究
2 放射線は被害者の身体にどんな変化を与えているか
3   被爆者の生活にはどのような苦しみがあるか
1 被爆者の家庭生活のなかの苦しみ
2 被爆者の職業生活のなかの苦しみ
3 被爆者の苦しみと要求
4 被爆者の社会意識
4   被害者の救援はどこまで進んでいるか
1 医療法はどこまで役に立っているか
2 完全な医療保障と生活保障の実現のために
むすび-救援運動と原水爆禁止運動とのむすびつきを深めるために
付「被爆者を囲む懇談会」への被害者代表の訴え

執筆者紹介

1 庄野直美 広島女学院大学助教授・物理学
佐久間澄  広島大学理学部教授・物理学
小川修三 広島大学理学部助教授・物理学
2 杉原芳夫  広島大学医学部助教授・病理学
3 山手茂 広島女子短期大学講師・社会学
4 石井金一郎 広島女子短期大学助教授・政治学

まえがき(抄)
 被爆者の現状についての社会科学的な研究は、今までに極めて乏しかったので、今年初め日本原水協・被団協の依頼によって組織した「広島・長崎原爆被爆者調査団」がおこなった、431名の被爆者の面接調査および救援活動、救援機関の調査の結果を参考としてまとめている。

編年資料:ヒロシマ-1959年

編年資料:ヒロシマ-1959年

0216 第1回原爆被爆者調査団会議開催案内
0318 広島県議会「平和県に関する宣言」
0806 広島市平和宣言
0809 長崎市平和宣言
0812 日本社会党「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案」
1015 原爆障害綜合医学研究所案
1215 広島県議会意見書「原爆犠牲者の大慰霊祭執行についての要望」
12 都築正男「原子爆弾による障害の研究経過について」(抄)(『広島医学』1959年12月)
長崎市原爆資料保存委員会の活動

 

原子爆弾後障害研究会(第1回)

原子爆弾後障害研究会(第1回)
1959年6月13日-14日 於広島市平和記念館
挨拶
広島市長 浜井 信三
主催者を代表致しまして一言御挨拶申上げます。
本日茲に広島県・市並に広島原爆障害対策協議会共催のもとに原子爆弾後障害研究会を開催致しましたところ,御多忙中にも拘らず厚生省尾村局長,塩田先生をはじめ医学界の各先生方並に来賓各位多数の御臨席を頂きましたことは誠に感謝に堪えないところでございます。一昨年四月,原爆医療法制定以来多数の被害者の方々が健康診断及び治療等の恩典に浴し,原爆障害の将来に明かるい見透しを持つことが出来るようになりましたことは誠に喜びに堪えないところでございますが,被爆後十年を経ました今日尚原爆後障害に悩んで居る人々が多いのでありまして,原爆の惨禍は今尚存して居るのでございまして,現在原爆障害対策に就きまして二つの問題があると考えるのでございます。その一つは原爆障害者の生活援護の問題でありましてその点につきましては今後皆様方の御理解と御援助によりまして何とか解決の道を見出すべく努力を続けて参りたいと存じます。今一つの問題は原爆障害についての医療的研究と治療の問題でございます。その意味に於きまして被爆者は勿論,行政の衝に当ります県・市といたしましても本研究会に期待するところ極めて大であると思うのでございます。幸い,関 係者の皆様方の絶大な御支援と御協力とによりまして,本日此の研究会を開催する運びに到りましたことは誠に喜びにたえません。私達関係者は此の研究会が今後の原爆障害者の医療に新生面を拓き,今尚この障害に悩んで居る人々に明かるい希望を与えるきっかかけとなりますように念願致してやみません。最後に,本研究会開催に当りまして厚生省をはじめ各方面から寄せられました特別の御好意に対して厚く感謝致しますと共に今後一層の御指導,御鞭撻を腸りますよう重ねてお願い致しまして御挨拶と致します。
挨拶
厚生省公衆衛生局長 尾村 偉久
本日は県・市・原対協三者の主催で我々厚生省はじめ長崎関係等後援申上げまして,本研究会が会の大きさこそささやかでございますが,非常に斯界でも質的に貴重な意義のある研究会が本日発足致しまして非常におめでたいことでございます。心より主催者に対しまして敬意を表する次第でございます。14年前に多数の原爆による死没の犠牲者を出し,更に二十数万,約三十万に及ぶ負傷原爆被爆者の生存者が居られるわけで,その蔭には10年以上,公の点では国の政策に於ても必ずしもうまく行っておらず,地元のそれぞれの団体の御協力によりまして細々とこれらの救済が続けられておったのでございます。非常な熱誠ある御努力によりまして,32年から原爆医療法が施行されまして,国費を以ての或る程度の医療の道が開かれて更に原爆医療に対する審議会が設けられまして,斯界の権威者を網羅してこの医療を全うするための御協議や審議が続けられて軌道にのせるべく進んでいるのでありますが,しかし何といたしましても之等の被爆生存者の方々に対する国なり国民の願いは最もよい,適切な治療を速かに施して早くなおして頂き,立派な一般の社会人として100%の生活を続けて頂き たいというところにあるのであります。ただ何といたしましてもこの病気が或はこの負傷が世界でも初めてのことでございまして,それ以前にすでに我が国はもとより世界各国で確立された治療法なり医学的のまとまった意見というものが必しもなかった。むしろ過去十四年間にそれぞれ地元の関係の方々或いは市全体のこれに関係をもたれた方々が経験によりましてつみ重ねられて来られたことが現在においてもそれが一つの治療に対する最も高ろ意見であろうと,かように思われるのであります。むしろまだ治っておらない,これらの多数の被爆者の方々の適切な医療をやるには過去の個々に積まれた意見をこのさいにお互に示し合ってその綜合の中からまた新たな点をみいだす。或いは今後もお互いに研究しながら生じて行く方向につきまして相互に認識し合って速かな進歩を来すということはこれからは国内の被爆者にとって一番必要なことであると同時に,これが将来の原子力の平和利用に基きましての色んな障害が予想されるのでありますが,それらに対しましてもこのような会に於けるまとまった意見というものは斯界にも非常に貢献することは疑いないと信ずるわけであります。さような意味で, お集まりの方々は恐らく2~300人の関係の学者の方々であろうと思うのでありますが,此の学会の結果如何によっては学会それ自身を権威し,或いは協議会というようなところが,大いにお世話をされてそれぞれの学者の発表を充分うまく利用されて非常な力をいたされておる。さらにもう一つは一番被害をうけられた市の土地,地元のしかも爆心地に近い地でこの研究会が行われるということは恐らくやはりこの会場の下でも相当の犠牲者の方々がここで死なれておられる。かようなことも非常な特徴でございまして,更に全国にわたりまして家族を含めて数十万以上の直接のこの治療がどうなるかということについて関心をもたれている方々が,この二日間の小さい乍らも学会を非常に注目しておられる,とこう信ずるのであります。これは従来の一般の学会とは非常な性質も違い,その大きさは小さくとも質的に非常な重要性をもち又,今後もますます発展すべき含みをもっている学会であろうしさような意味で本日,スムースに発会出来ましたことを大いにお祝い申上げると同時に我々と致しましても国が今後原爆被災者に対する医療行政をやるのに,この発会の成果は直ちに,利用出来,利用という と具合が悪いですが,反映して適切な行政に裏付をするということがあとに続いているのであります。さような意味でも厚生省といたしましても,大いにこれは関心をもつと同時に御協力申上げなければいかんわけであります。さような意味でお祝いを申上げると同時にみなさま方の熱心なノーリツ的な御検討を心からお願い致します。よい成果を被害者のためにお出し下さるようにお願い致しましてお祝いの言葉と致します。
挨拶
原爆後障害研究会名誉会長 塩田 広重
(略)
祝辞
広島医学会々頭 田坂 三友
(略)
経過報告
準備委員会副委員長・原対協副会長 松坂 義正
ここに本日及ぴ明日にわたり、原子爆弾後障害研究会の開催に至りました経過の概要を御報告申上げます。
御承知の如く,我が広島市におきましては,昭和28年1月県・市当局,医科大学,在広官公立病院,県・市医師会,及び本市各層有識者によって,広島原爆障害対策協議会を設立し,爾来原爆症に関する治療研究,及び障害者に対する治療の国費支弁獲得に努力致して参りました。ついで原爆症研究に対する公的の会日,昭和28年11月,国立予防衛生研究所に原爆症調査研究協議会を,広島・長崎に於ける関係者及び中央の諸家により構成設置され,29年5月,第五福龍丸ビキニ問題発生により同年10月,前の協議会を発展的に解消されて厚生省に原爆被害対策調査研究連絡協議会の第5部会として,広島・長崎部会となり,其の間数回現地でシンポジウム又は学術報告などを開催され,昨年広島県医師会特別委員会に於てもシンポジウムを開催いたされていたのであります。
一方被爆地としての県・市当局,原対協は,障害者医療費等の国費支弁につきしばしば政府や国会に陳情しておりましたところ,政府は昭和32年3月原爆医療法として国会に提案し,その可決により同年4月より被爆者の健康管理及び治療は,国の施策により行なわれることに相なり,爾来医療法の施行2年余に及びましたが障害者がその恩恵に浴するところ少なしとしないのであります。
他面,被爆者の健康管理の向上,治療法の究明j,援護などの諸問題,等々の研究は一日も怠り得ざる重要なる基礎であり,これらについて諸家の研究にまつ所尠からずと信ずるものがあります。被爆地広島・長崎においてもその研究の学会を開催して解明に努力してはおりましたが,かつて原爆医療法を推進して頂いた参議院議員在任中山下義信氏が、厚生省当局に対しこの研究治療等は学会のゆるがせにすぺからざる事を以てその開催の緊要なることを強く献言いたされ,厚生省当局に於かれても,かねての宿願でもあったので,原爆医療審議会に其の議を諮問し,その賛同を得られ,且つ諸般の協力を約束されよって広島県・市に其の開催を要望されたのであります。
茲に県・市は多額の予算を計上し原対協と共に本会開催の運びとなり地元に於ては本年3月関係者が一丸となり準備委員会を組織して諸般の用意をいたし,本日より開催することと相成った次第であります。
本会開催にあたりまして諸先生方が遠路のところ多数御参加,御講演いただくことは準備委員会として光栄とするところであります。以上,概要を御報告申上げます。
尚準備委員会に於きましては,本研究会の会長を,広島大学医学部長渡辺漸教授をお願いしているところであります。皆様の拍手を以て御賛成を願います。
更に今回の研究会に厚生省原爆医療審議会々長塩田先生を名誉会長に御堆載致したいと存じます。満場の拍手を以て御賛成を願います。
挨拶
原爆後障害研究会長 渡辺 漸
本研究会の開会に当りまして一言御あいさつ申上げたいと思います。こういうふうな原爆の被爆による障害についての研究会は従来も開会されたことがないわけではございません,例えば日本血液学会或いは広島医学会などにおいてそれぞれ相当の時間をさいてこのことを論じたことはございますけれども,二日間にわたってそのことのみに専心して研究のデータを発表する,そして永くつづけて原爆被爆者の福祉に貢献しよう,というようなことはなかったのであります。その意味において唯原爆に起因するところの障害者そういうことの医学的の調査研究,それだけを目的とする学会としての意義は非常に深いのであります。大体原爆の投下にみられる医学的の調査研究のデータを発表致しまして,且、それについて,討議を交わして被爆者の福祉によき貢献をなすということが,この研究会の目的であることは申すまでもございません。しかしながら私は医療を必要とするという程度に至るまでにはっきりと臨床的の症候をそなえてきた,そういう医学的の障害或いは医学的の障害を蒙った人,それのみが我々の調査研究の対象ではないことを特に強調いたしたいのであります。即ち,被爆者の病理のみ ならず,その健康管理についても我々は重要に努力しなければならないのでございます。かくして被爆者の健康管理は完全に行われるのでございまして,被爆者の健康の擁護ということが最も大切な命題であって,ひいてはこのことが後障害の発現の防止にも寄与するものと信じております。被爆者にすでに発現している後障害の治療をすることが大体,医療法制定の主旨でございますが,単に治療のみでなく健康の保持乃至は発病の阻止という点までずっと一貫した措置がとられなければならないのでございまして,こういうような,はなればなれにその措置がとられるということでは,不充分でございます。従ってそのためには原爆被爆者に見られるいかなる自覚的障害も,又生理的にさえみえるその因習に対する反応の態度も一々刻明に記載され、且つ提示される必要があるのでございます。今日我々の知識では原爆被爆者にみられる障害のあるものを,被爆と関連のないもの或いは少ないものとして見逃しておるかも知れませんが,我々はこうしたことをはっきり記憶しておく必要があると思います。そしてその集積されたものの解析と総合によってはじめてかかる障害が如何なる理由で原爆の放射能との 因果関係があるかをはっきりと認識して行けるのであります。どうかここにお集まりの皆様方も,そうした態度でこの問題にとりくんでいただき,原爆被爆者の健康が之以上に障害されないように適切な対策が樹立されることを望んでやみません。そして本研究会が被爆者自身の幸福のために医学的に役立つことを第一に且最も重要な目標としてテーマを掲げられんことを切に望むものであります。終りに遠路はるばるおいで下さいました講師の方々,多忙な時間を割いて参加下さいました参会者の各位に,厚く御礼を申上げ本研究会の今日の成立までに尽力された方,準備委員の方々に深い敬意を表する次第でございます。プログラムの時間が非常にぎっしりつまっておりますので,どうか講演なさる方々だけでなく,更に御参加の方々も御意見をお聞かせねがうことも非常に重要な問題でございますので,そういう討論の時間を犯さないように尊重してやって下さるように演者の方々にも御願い致すとともに,皆様方の隔意ない御討議,御意見をおきかせ下さるようお願いする次第でございます。
閉会の辞
原爆後障害研究会長 渡辺 漸
一言閉会に当って御あいさつ申上げたいと思います。只今,主催者である県知事或いは広島市長も居られませんので,私から代りまして御あいさつ申上げたいと存じます。昨日及び本日の二日間に皆様方に色々と御話をねがいましたが,此の学会の成果と致しましては,やはりこの二日間に皆様方が原爆の後遺障害というものの全ぼうを略把握された,そういうことが最も有益なる収穫であったのではないかと考えます。但し只今も或いは二日間のその間にも皆様方,色々と御話しになったのでありますが,原爆被爆者においては,やはり,一見何でもないようにみえておっても,その予備力というものは非常に低下しておるのでその取扱いには慎重な注意を要するということが,最も大切なことでありまして,殊に今日治療の方面に於きましても,ここにシンポジウムに参加された方々が,ていねいに色々な治療法についてお示しになりましたけれども私はこういう治療法の施行に当っては,やはり薄氷をふむ思いでやって頂きたいということを痛感するものでございます。あまり治療にねっしんの余りに,そういう治療法を乱用されるということは被爆者にとってはむしろ有害でこそあれ決して益のないこ とでありまして,どうかそういう治療に当っては,いやが上にも慎重になすって頂きたいということを私も臨床医家ではございませんけれども特に,ここに御参集の指定医の皆々様,並びに他の方々におねがい致しておく次第でございます。この会は非常に予期以上の成果を挙げ得ましたが,これはわざわざ遠路参加して頂きました講師の方々,又昨日今日に此の会に参加するためにおいで頂きました,一般の参加者の方々の御協力によるもので,深く感謝する次第でございます。こういう成果はやはりこのままにしておいてはいけないので,これを記録に致しまして,出来るだけ早い機会に皆様のお手元に届くように,又,必要に応じましてはそういうものを実費頒布か何かの形式で頒布いたしまして,少なくとも今日いらっしゃる方々の御目にとまるように,又利用出来るような形にいたしたい所存でございます。それから,この学会は,やはり中々そういうデータが集まるのが難しいとは申しますものの,やはりたえず我々勉強して行かなければならないのでございまして,ひきつづき来年も,こういう研究会を催したいのでございますが,それは御迷惑でございましょうけども広島と肩を並ベ,或いはうれ いを共にしているところの長崎において開催していただくように我々はおねがい致したく存ずる次第でございまして,又ほかの方々の御意見でも,そうしたらいいだろう,ということでございますし,長崎の方々には,これには多分の負担を感じられるかしれませんけれども,どうかそういう負担を原爆被爆者に免じてお担い下さいますよう,重ねて私から御願い申上げる次第でございます。これを以て閉会の御あいさつとさせて頂きます。

日米安全保障条約改定反対共同声明広島世話人会(1959年12月)

日米安全保障条約改定反対共同声明広島世話人会

平和と学問を守る大学人の会は,1959(昭和34)年7月7日の常任理事会および7月20日の理事会において,日米安全保障条約改定交渉の即時打ち切りを求める声明書の案を作成し,それを会の名において発表することについて,全会員の賛否を問うことを決定した。この声明は,152人中77人の賛成を得て7月31日に発表された。

同会有志は,11月初めには,再度声明文の発表を企画,前回よりも広い範囲の署名を集めるため,会員外の人々にも呼びかけ人(=世話人)となってもらうよう働きかけた。11月19目の第1回世話人会時点では,29人が世話人となることを承諾,12月初めには40数人の文化人・学者からなる安保改定反対共同声明広島世話人会が発足した。

世話人会の討議の結果,「一般大衆署名は他団体の運動に期待することにし,世話人会としては広島県下の文化人・学者の安保改定にたいする反対意志の表明に運動の重点をおき,その立場から全国民の運動にサポートを与えるという方針を打ち出した。12月10日には,次のような声明書を作成,48人の世話人名で共同声明への参加を呼びかけた。

 昨年の秋から交渉が進められてきた新しい日米安全保障条約は,その全貌が国民に明らかにされないままに,いよいよ調印されようとしています。

 この日米安全保障条約の改定にたいして私どもは日本の安全と平和,世界の平和をねがう見地から深刻な不安を感じます。

 政府は今回の条約改定の目的として日本の安全と自主性の回復とをあげ,その具体的な問題として,日米共同防衛の原則を確立すること,在日米軍の配備,装備並びに出動を協議事項とすること,期限を十年にすることなどをあげています。

 しかしながら,第一に,これによって日本が戦争にまきこまれる危険がかえって大きくなるばかりか,極東における国際的な緊張が緩和されないで,かえって強められる恐れがあります。合衆国が一方的に他国と紛争をひきおこしたばあい,日本はその意思いかんにかかわりなくほとんど自動的に参戦せしめられることになるでしょうし,事前協議にかんする規定も,寸秒を争うミサイル戦の時代においては事実上実効をもたないと考えられます。

 第二に,これによって,原水爆禁止という日本国民全体,とくに原爆被災者である私ども広島県民の悲願が日本自身の手でふみにしられる恐れがあります。改定条約の中に,バンデンバーグ決議をもりこんだ「共同防衛」の原則が確立されることによって,当然に日本の軍事力の増強,とくに核武装が避けられないものとなるでしょう。

 第三に,これによって日本国憲法と国内民主主義にさらに重大な制約が加えられる恐れがあります。この改定によって国内法上違憲の疑いのある日本の自衛隊が国際的に合法化され,ひいては「共同防衛」の原則によってその海外派兵が避けられなくなり,この面から日本国憲法改定のための突破口が開かれることが懸念されます。また,日米協議事項を定めることとひきかえに,秘密保護法がつくられる恐れもあります。

 フルシチョフ・ソ連首相の訪米と来春に予定されているアイゼンハワー米大統領の訪ソ,また,国連における八十二か国の軍縮決議の可決など,急速に世界情勢が平和と軍縮に向かおうとしている今日,日本がなぜ急いでこのように多くの重大な疑点のある条約を,しかも十年間という長い期限を定めて結ばなければならないのでしょうか。このことについても私どもは納得できません。

 ふたたび戦争の悲劇をくりかえさないことを念願している私どもは,以上の理由からしてこのたびの日米安全保障条約改定交渉ならびに調印は中止すべきであると考えます。

 右声明致します。

この声明書は,12月25日,広島大学関係者374人をはじめ,文学者・画家・舞踊家など計531人の名前とともに発表され,内閣・国会・各政党および県内の市長・市議会議長その他諸団体に送付された。

世話人会は,共同声明発表後もひきつづき存続し,1960(昭和35)年2月28日には,広島市内専立寺において相原和光・佐久間澄を講師として安保研究集会を開催,集会終了後,参加者は平和公園原爆慰霊碑前まで静かなる行進を実施した。また,3月16日には,安保改定阻止広島県民共闘会議主催の「安保改定阻止・日中国交回復・生活と権利を守る国民大行進」に積極的に参加した。

5月19日から20日にかけての国会は,安保条約を自民党の単独で採決,これを契機に安保反対の運動は最大の盛り上がりを示すが,世話人会は,6月4日,広島キリスト者平和奉仕会・広島平和問題談話会・広島文学会・平和と学問を守る大学人の会とともに,「新安保反対,平和と民主主義を守る抗議集会および行進」を行った。