広島県原水協年表(1968年)

広島県原水協年表(1968年)

月日 事項
0118 エンタープライズ寄港阻止佐世保大集会. 共・社・県労の広島県統一代表団200人参加.
1.19 エンタープライズ, 入港を強行.
1.29 広島県原水協, エンタープライズ寄港と朝鮮侵略行動に抗議する広島県民集会を広島市平和記念館で開催.
2. 3 広島県原水協・県平和委員会, 広島市内で合同全県活動者会議.
2.12 安保破棄・諸要求貫徹広島県実行委員会, 同広島市実行委員会, 大本営復元を計画する県・市に抗議.
2.16 安保破棄・諸要求貫徹広島県実行委員会, 同広島市実行委員会, ベトナム人民支援広島県中央集会を県庁前で開催. 300人参加.
2.22 被爆二世名越史樹, 死亡.
4. 4 広島の労働者・大学人・宗教者など63人, ベトナム人民支援募金委員会結成を呼びかける.
4.14 米軍, 江田島の秋月弾薬庫から呉, 国道31号・ 2号を経て北九州の山田弾薬庫へ弾薬輸送を開始. 19日, 広島県原水協・平和委員会, 県知事に抗議.
4.20 沖縄・小笠原即時無条件全面返還要求広島県中央集会. 広島市見真講堂に 200人参加.
5. 9 広島県原水協・被団協, 佐世保港での米原潜放射能汚染に対し, 米日両国政府に抗議電を打つ.
5.15 吉島病院被爆者の会結成.
5.27 呉地区労, 弾薬輸送中止・基地撤去を求め集会・デモ.
6. 1 広島県原水協第 8回全県拡大理事会.
6. 2 広島県被団協第 5回定期総会.
6. 3 弾薬輸送反対・黄幡基地返還要求広島県共闘会議結成. 共・社・県労・呉地区労など20数団体参加.
6. 6 原爆記録映画全面公開推進会議, 佐久間澄・森滝市郎らの呼びかけにより結成.
6. 9 広島県青年学生代表者会議, 呉市周辺の米軍弾薬庫を現地調査. 102人参加 6.11 広島県議会, 黄幡弾薬庫の弾薬集散基地化反対を決議.
6.19 黄幡基地返還要求広島県民総決起集会(県共闘主催), 呉市広町で開催.600人参加.
6.19 広島大学平和問題研究会, 学内で被爆者との懇談会を開く.
6.30 広島県青年学生代表者会議と弾薬輸送反対青年実行委員会, 呉市広町で「 6・30広島県青年学生呉大集会」を開催. 450人参加.
7. 1 米・英・ソ, 核拡散防止条約調印.
7.11 「ぼく生きたかった―被爆二世史樹ちゃんの死」(宇野書店)発行.
7.14 府中市被爆者の会, 「府中市被爆者懇談会」を開催. 約40名の会員が参加. 7.18 尾道原水協再建総会. 46人参加.
7.19 広島市八丁堀原水協結成.
7.21 広島県原水協, 呉基地を調査.
7.24 広島市で第14回原水禁世界大会の成功をめざす網の目平和行進.
7.29 広島市原水協総会.
7.31 広島県原水協三宅事務局長, 朝日新聞( 7月30日付)の報道について談話を発表.
8.- 吉島被爆者の会, 「老いと怒りと第 3集」を発行.
8. 1 福島地区被爆者の会, 「壁―未解放部落原爆被災者の手記」創刊.
8. 6 第14回原水爆禁止世界大会広島大会. 県立体育館に5000人参加. 基地問題の分科会はバス 4台で呉周辺の基地を調査.
8.18 弾薬輸送反対・軍事基地撤去中国五県総決起集会(県共闘会議主催), 呉市広町で開催. 4500人参加.
8.24 フランス, 初の水爆実験に成功(南太平洋).
8.25 米軍基地撤去・弾薬輸送反対呉青年実行委員会と県青年学生代表者会議, 呉市広公園で「広島県青年学生 8・25呉集会」を開催. 300人参加.
8.26 映画「ヒロシマの証人」の広島現地ロケ始まる.
9. 9 弾薬輸送反対・黄幡基地返還要求広島県共闘会議, 広交差点で一週間の座り込みに入る.
9.17 尾道原水協・被爆者の会・尾道市役所の三者で特別措置法の説明会を開催.160人の被爆者が参加.
9.29 尾道原水協などの協力で尾道市で被爆者の特別検診.
10. 5 広島県原水協拡大常任委員会.
10.25-26 日本原水協主催「核兵器完全禁止・被爆者救援全国活動者会議」. 広島市に73名の代表が参加.
10.27 安保破棄・諸要求貫徹広島県実行委員会, 呉市で「米軍弾薬輸送反対・軍事基地撤去・沖縄三大選挙勝利・ベトナム人民支援・安保条約廃棄・物価値上げ反対・被爆者救援・秋闘勝利広島県民大集会」を開催. 3000人が参加.
11. 4 呉市広漁協, 米軍弾薬庫前の海面制限に抗議して漁船78隻で海上デモ.
11.26 広島県原水協・被団協, 永野県知事にABCC撤去などにつき協力を要請.12. 9 日本原水協・広島県原水協・被団協, 広島市社会福祉センターで被爆者救援激励集会.

 

 

壁―未解放部落原爆被害者の手記

壁―未解放部落原爆被害者の手記(発行:福島地区被爆者の会)

第集 発行年 備考
1 19680806 差別と貧困の中から
壁―差別と貧困の中から―によせて 2
原爆被爆者の手記に寄せて 4
「未解放部落の被爆者として」 6
「日雇いぐらしの中から」 7
「差別と闘う我が子たち」 9
「私しゃ戦争にゃぜったい反対ですよ」 11
「ピカに夫を奪われて」 13
「朝鮮人被爆者として」 15
「原爆ブラブラ病に苦しむ」 16
「私の体験」 19
「二人のむすごをかえして!」 20
「一日も早く差別と戦争のない世の中を」 23
「私のあゆんだ道」 25
むすびのことば 28
2 19690806 三重苦の斗かい
○推せんのことば 広島県被爆者団体協議会理事長 田辺勝 1
○推せんのことば 部落解放同盟広島県連委員長 藤川春雄 2
はんせんのうた (一被爆者) 5
被爆者の保障はない *** 6
三重苦の斗い *** 7
食べるものも食べられぬ生活 *** 10
戦争と差別をなくするため!! *** 12
二十五年たったいまでも *** 14
三重苦のわたしらの現状 *** 17
原水禁運動を強めなくては *** 27
むすびのことば 金崎是 29
3 19700806
「壁」第三集発行によせて 福島病院院長 田坂正利 1
被爆者健診から 福島病院被爆診療科 鏑木富衛 3
被爆老人に生きる喜こびを 部落解放同盟広島県連合会 委員長 藤川春雄 13
〔特別寄稿〕
原子爆弾傷害調査委員会を告発する 深川宗俊 33
手記
米騒動と原爆で差別がわかった *** 15
カンボジアでもベトナムでもけっしてこんなことを切り返さないで *** 18
私の感想 *** 19
悲しき被爆二世 *** 21
みんなの力で! *** 24
生命のあるかぎり *** 28
子係や孫には平和な世界を *** 30
戦争を二度とおこさないために *** 31
あとがき 41
4 19710806
すいせんのことば 福島生協病院々長・田坂正利 1
人間らしい生活を 失対・***(62才) 2
嫁に行けない子 (認定被爆者)無職・***(63才) 3
わたしたちが死ぬのをまっている 失対・***(60才) 5
一五、六〇〇円で暮らしている ***(69才) 7
天皇や佐藤さんが来てもうれしくない ***(47才) 9
夫婦の記録 (認定被爆者)***(63才)・***(59才) 11
あの時の悲惨さは口にはいえない ***(67才) 13
このままでは死にきれない ***(63才) 14
被爆者活動から *** 17
ここに生きる(赤旗より) 故 鏑本富衛 19
むすび 事務局 25
5 19720806 被爆二世特集号
6 19730806 広島県水平社50周年記念
「壁」第六集発行によせて 部落解放同盟正常化広島県連委員長 藤川春雄 1
〔主張〕
原水禁運動と被爆者運動の真の統一と発展を願って 福島地区被爆者の会 3
〔特別寄稿〕
吉島被爆者の会「老いと怒りと」と野口久子さんの死 田丸歌子 5
〔手記〕
三重苦のわたしらの現状 堀川俊市 6
終戦の年のこと *** 14
差別の中に生きて靴職人の生活と原爆被爆 *** 16
娘をうばったあの日 八月六日
ひたむきに生きつづけてきた老婆の怒り *** 20
老いて訪づれた不幸 *** 23
どうしても語りつがなければ
少年の日、原爆と生活を背負って *** 25
被爆二世にも「手帳」を! *** 28
原爆被爆下の福島町 *** 30
「壁」を読んで読者からの便り 34
あとがき 38
7 19740806 原水禁運動20年
はしがき 1
福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2
原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8
被爆者の会を結成したころ 14
廃品回収運動の想い出 15
分裂への怒り(九回大会) 18
被爆者訪問の中から 20
被爆診療科のあゆみ 26
原水禁運動の日常化をめざして 30
被爆二世としてのとりくみ 32
原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35
あとがき 36
8 19750806 原爆被爆30周年
はしがき 1
福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2
原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8
被爆者の会を結成したころ 14
廃品回収運動の想い出 15
分裂への怒り(九回大会) 18
被爆者訪問の中から 20
被爆診療科のあゆみ 26
原水禁運動の日常化をめざして 30
被爆二世としてのとりくみ 32
原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35
あとがき 36
9 19760806 福島地区原爆犠牲者慰霊の碑建設記念
10 19780806 「壁」第十集発刊によせて 田阪正利 1
被爆者を囲んで 2
太陽の光もなんにもない。まっ暗ななかから狂うた牛が飛びかかってきた  *** 17
何べん死のう思うたかわからん *** 23
福島生協病院に入院中の被爆者のかたの話 27
戦争さえなければ、こんな目におうてないのに *** 34
「わしゃあ、あんたをかばっとるヒマはないんじゃけぇ」と妻に言って *** 39
あとがき 46
11 19790806
「壁」第十一集発刊によせて 中本康雄 1
われわれが訴えなければ、われわれの体験を現在の方々に伝えなければ 林田みや子 2
命をみつめて 林田みや子 8
いつでも子どもといっしょに いっしょに死ぬりゃあええ思うっとたんです 佐藤テル子(仮名)14
原爆に遭うた者には平等に手当をだしてもらいたい 鈴木ミネ子(仮名) 23
貧血のせいで、この暑いのにコタツがはなせんのですよ 藤川貞雄・藤川房江(仮名) 27
朝鮮の人に助けてもろうての、うれしかったよ 山田スミ子(仮名) 31
生き証人として大きい声でいゝたいよ *** 37
街が燃える最中に広島にはいってきました 杉山ヨシ子(仮名) 46
あとがき 53
12 19950806 終刊号
巻頭言・『壁』に寄せる 齋藤紀 1
主張 被爆者援護法の課題 3
平和・民主主義・生活擁護のたたかい五十年-金崎是の被爆・戦後五十年- 小西正則 5
助産婦として六十年-益田小蝝さんとの対談- 西岡ミツ子 12
岩井コマノさんの被爆体験 秋本美佐子 18
学童疎開から五十年-水本文子さんの孫への話し- 藤井みな子 22
藤川美代子さんの被爆とその後 佐竹陽子 27
米三升で焼いてもらったひろこちゃん・姉 木原清子さんの回想 柿本一征 30
金崎さんのお話を聞いて 山口竜司 36
金崎さんの話をうかがって 小西結介 38

 

原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)

原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)

中国新聞連載

年月日
19680307(上) 今堀誠二
特質無視のウ報告 資料の不足で迫力欠く  原爆被災資料広島研究会への期待
19680308(中) 山崎与三郎(原爆資料保存会幹事)
原爆資料の重要性 体験と実証で平和を 年とともに困難さ増す
19680308(下) 田原伯(原爆文献研究家)
個人の体験からの発言 分類・整理が急務 独力で一万点を集める
tahara19680309
気違い扱いの十年
 10年余り前、それまでの務めをやめて、ただ原爆資料の収集に全生活を当てたので私は「原キチ」と呼ばれ、変り者扱いにされてきた。
現在約一万点の原爆資料を集めることができた。
資料不備な図書館
全国の古本屋捜し
整理・研究が日課
収集三原則と分類
これは田原氏の談話をまとめたものである。

 

被爆者救援活動を強化するための決議

第14回原爆禁止世界大会(1968年)日本代表団の決議
被爆者救援活動を強化するための決議
アメリカの広島・長崎への原爆投下は、一瞬にして30数万の人命をうばい、その後23年、被爆者は今なお、死の不安に脅かされ、生活と医療に苦しみつづけています。
原爆の生きた証人である被爆者をまもり、その切実な要求を実現することは、原水爆禁止運動の重要な課題です。
アメリカと日本政府が、核アレルギーからの脱却などといって、核兵器への警戒をゆるめ、核軍事同盟強化に公然とのりだしている今日、被爆者救援活動を強化することは、ますます必要となっています。
この1年間に、被爆者救援活動は飛躍的に強まり、被爆者の身近な諸要求に対する施策を自治体からかちとる活動も大きく前進しました。さらに、援護法制定の運動に多数の地方自治体を動かし、原水爆禁止運動の発展と被爆者自身の積極的な行動によって多くの成果をかちとりました。
このような高まりにおされ、佐藤内閣は、「原子爆弾被爆者の特別措置に関する法律」を本年9月から実施しようとしています。この法律は、医療法を援護法へと発展させるかのごとき形をよそおいながら、認定患者を中心とするきわめて限られた一部の被爆者に適用されるにすぎず、わたしたちが要求してきた被爆者援護法とは全くほど遠いものです。
わたしたちは、この特別措置法のゴマかしの本質を広く国民の前に明らかにし、国家補償の責任にもとづく生活と医療の全面的保障を内容とする真の被爆者援護法制定のために、いっそう奮闘しなければなりません。同時に、特別措置法が少しでも被爆者に有利に施行されるよう、原爆医療審議会の公開と民主的運営などのためにたたかう必要があります。
また、被爆二世に対する調査と健康管理が行なわれることがとくに重要です。
わたしたちは、日本国民の力で被爆者救援をおこなうために、1500万円募金とともに、被爆者の大衆的世話活動、地方自治体自身に救援の施策を実施させることなどにとりくみ、各都道府県ごとに6・9行動をはじめとする諸活動を強化してきました。こうして集められた救援金は、被爆者にたいするあたたかい励ましとなっていますが、被爆者のおかれているきわめて困難な状態からみるならぱ、なお不十分であり、自治体の救援施策もなお、被爆者の要求とはほど遠いものです。
わたしたちは、救援行動の新らしい目標に向かって一段と活動を強化しなければなりません。当面、6・9行動推進特別月間の成功のために全力をあげてがんばりましょう。
加害者が被害者を調査し、核戦争準備に役立てているABCCの撤去と資料の公開のためのたたかいを、ベトナム人民との連帯の実感のなかで、さらに強めましょう。
被爆の実相を国民に明らかにするうえで、貴重な資料である原爆映画について、政府はプライバシー尊重という欺まん的な口実のもとに、もっとも重要な人体にたいする影響の部分をカットし、原爆投下の犯罪を国民の目からおおいかくそうとしています。ただちに広範な抗議行動をおこし、全面公開をかちとるとともに、フィルムのすべてを米軍没収以前の所有者に返還させることが重要です。
こうした活動をおしすすめるなかで、原水爆禁止運動の正しい路線のうえにさらに広範な被爆者を結集し、都道府県の被爆者組織を民主的に強化し、被爆者運動と原水爆禁止運動との団結をいっそう固めて前進しましょう。
右決議します。
1968年8月5日・東京にて

原爆文献を読む会会報記事目録

原爆文献を読む会会報記事目録(抄)

記事 著者 メモ
1 経過報告と感想-初会合の記録にかえて 長岡弘芳 19681101刊、19690711再刷
原爆の思想を築きたい アンケート集計結果
原爆文献を読む会-活動の記録
8月例会記
誌上録音
原爆講演会
1日合宿
9月例会
大牟田氏を囲んで
10月例会
丸木美術館訪問
東友会・慰霊祭
忘れられなかった「原爆」 鵜沼礼子
広島と僕 近藤弘
「この世界の片隅で」レポート以後 岡寿克
「原爆の図」を見て 佐藤博史
原爆展を見て 佐藤博史・古川智子
地方会員からの便り
書面出席
会員の仕事
編集後記
2 核時代のメモ・ノート(1)1968年の軌跡-広島・長崎被爆から中国の核実験まで- 林栄介 19690205刊
3 (続)孫貴達さんが残していったもの 19690524刊
4 (特集)原爆と私たちの今日的課題 19690712刊
5 (特集)「原爆と私たちの今日的課題」集会報告
6 19700425
7 〈講演記録〉ある被爆者の戦後史 石田忠 19701002
8 19710305

ひろしま平和の歩み(1968年)

ひろしま平和の歩み(広島平和文化センター編・刊、19680801) 目次

執筆者
山田節男(広島市長)
まえがき 「平和の歩み」編集委員会
改訂版19730806発行。以下の目次・情報は改訂版
資料提供のための座談会出席者=伊藤正子、大原三八雄、河本一郎、金井利博、桑原英昭、谷本清、升川貴志栄。その他の協力者=浜崎左髪子、増田勉、浜野千穂子。
1 原爆被災救援の活動 庄野直美
被爆直後の応急措置
隣接の各地から 救援隊
一〇日後でも死体散乱
救援者も放射能の犠牲に
すばやかった科学者の活動
内外からの救援金
ケロイドの治療
広島原対協の発足
原対協の事業の内容
市が被爆者調査の試み
医師の治療活動の開始
全国的な救援活動
生活救護への道開く
被爆者による救済活動
原爆被害者の会
大きな運動の流れの中へ
広島県原爆被害者団体協議会
日本原水爆被害者団体協議会
統一を貫く日本被団協
医療法は一三回改正
被爆者特別措置法の制定
2 原爆孤児・孤老の救済活動 今堀誠二
投げ出された孤児・孤老
涙の記憶しかない兄弟たち
あらゆる悲境に耐える
広島子どもを守る会
新しいおかあさんができた
石井好子やダークダックスも
家族四人が全滅した子
浮浪者となった少年
一〇歳の少女の受難
学童疎開から帰ってみると
連帯のいとぐちをつかむ
あゆみグループの誕生
中野教授夫妻が親がわり
被爆の体験を訴えて歩く
諸外国からも激励の人々
さまざまの困難にぶつかる
日常の中から平和をめざす
全市民の支援の中で
3 平和祭のあゆみ 今堀誠二
二二年に第一回の平和祭
慈仙寺鼻で平和宣言
マッカーサーもメッセージ
全世界に反響を呼ぶ
爆音にかき消された第二回平和祭
占領軍の禁止命令
過去帳の奉納始まる
ビキニ被災で盛りあがる
三〇年から全国に式典中継
4 平和記念施設の歴史 今堀誠二
広島市民と七つの川
永久平和めざす丹下構想
平和大学
平和図書館の夢も
平和都市建設法が実現
迷える霊の供養塔
ハニワの家を型どった慰霊碑
ヒロシマの焦点原爆資料館
狭くなってきた記念館・公会堂
新生広島の百メートル道路
国民運動でドームを保存
5 外国人による活動 庄野直美
 ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」
平和請願一〇万人運動
原爆孤児精神養子運動
ヒロシマ・ピースセンターの活動
原爆乙女をアメリカで治療
シュモー・ハウスを一九戸建設
ドイツから平和の鐘
仏人モーリス氏の「広島憩いの家」
ヨット「フェニックス号」と広島
ベトナム人への支援も
レイノルズ夫人と世界平和巡礼
ウ・タント総長に白書を要望
ワールド・フレンドシップ・センター
6 世界連帯の活動 小谷鶴次
戦争そのものの絶滅を
国連加盟への市民運動
二六年に国連協会県本部
加盟後の普及活動
アウシュヴィッツとの連帯へ
七万キロを平和行進
三八年にアウシュヴィッツ委
世界連邦運動の展開
二四年に連邦運動スタート
二七年に世界連邦アジア会談
市民の意志で「広島宣言」
海外にも大きな反響
一〇万人署名をもとに平和都市宣言
戦争放棄の精神を決議
「世界連邦」の県宣言
西日本大会ではドーム保存支持
サーバス友の会
市民代表の欧州訪問
7 文化・報道関係の活動 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美
「中国文化」で原爆特集
栗原貞子の「生ましめん哉」
壊滅した中国新聞の再刊
正田篠枝の「さんげ」
原民喜・大田洋子の作品
押収された「ピカドン」
峠三吉の反戦運動
若い画家たちと平和美術展
ガリ版刷りの「原爆詩集」
映画「原爆の子」作成
日本ペンクラブも平和宣言
続々と被爆体験記
若い作家らの活躍
「広島の詩」が海外に反響
平和の原点を考える
さらに体験の発掘へ
8 原爆被災・平和問題に関する研究活動 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美
 直後の医学者の活動
専門家による療養方針
プレスコードで資料手放す
悪条件下でも研究続く
ABCCの調査活動
講和とともに発表の活発化
広島の科学者の自主研究
市の機関も研究を助成
三六年に広島原爆医療史
自然科学の原爆白書
広大原医研が活動開始
社会科学の研究活動
国際平和の諸研究から
広島大学に平和問題研
学生グループの活動
二八年に「広島大学人の会」
被爆者の心理・生活の調査
「談話会」の発足と活動
9 民間団体の初期における諸活動 今堀誠二
二四年に平和擁護の第一声
ストックホルムアピールの反響
文化団体も活躍
朝鮮戦争下も続く
原爆被害者団体の結成
宗教団体も独自の活動
努力の積み重ねに期待
10 市民による特殊な平和活動 庄野直美
原爆体験記を発刊
原爆の子友の会の活躍
原爆の子の像
これはぼくらの叫びです
折鶴の会が発足
現在も活動
原水禁広島母の会
会誌「ひろしまの河」発行
運動の分裂が与えた影響
談話会の発足
原爆白書運動の胎動
政府による白書製作を提言
平和七人委も強く要望
日本学術会議も起つ
白書をすすめる市民の会
胎内被爆者を守る「きのこ会」
ベトナム戦傷孤児の救援
さまざまの市民運動
11 原水爆禁止三団体をめぐる動き 庄野直美
 ビキニ被災事件
反核の叫び全国に広がる
広島の婦人の動き
国家保障を求める決議
東京杉並の婦人たち
下から支えられた運動
重さ一二五キロの署名簿
原水禁広島県協議会
原水禁世界大会の発想
中央と広島の運動の相違点
広島は原体験から出発
第一回原水禁世界大会
場外にあふれる参加者
歴史的な広島アピール
右翼団体の妨害も
広く具体的な運動へ
被爆者援護の方向へ
平和行進も始まる
安保問題で離脱騒ぎ
第一回目の分裂起きる
第二回目の分裂起きる
広島県民の使命訴える
被爆者援護の請願続く
第九回大会は県原水協が運営
超党派の市民運動も進む
―平和の歩み― 年表
執筆者: 小谷鶴次、今堀誠二、庄野直美

「原爆記念日」の取扱いについて(広島市教育委員会)

広島市教育委員会 「原爆記念日」の取扱いについて
1968年7月16日
もくじ
1ねらい
2機会
3取扱い上の留意点
4取扱い例
資料
1原爆記念日
2被爆者について
3被爆者健康手帳
4原爆病院
5原爆障害者章
6平和記念都市建設法
7世界連邦運動と広島市について
8市民道徳について
1.ねらい
原爆記念日(8月6日)の意義を理解させるとともに、「平和都市広島」の市民としての自覚を深め郷土の発展に努力し、世界の平和に貢献しようとする態度を育成する。
2.機会
夏休暇の事前指導、または休み中の児童生徒の登校日(8月6日以前)などの機会をとらえて、生活指導の一環として、全校または学級で取扱う。
3.取扱い上の留意点
(1)児童生徒の発達段階をじゅうぶん考慮して、指導内容を選択すること。
(2)社会科学習や他の生活指導上の関連に留意すること。
(3)資料として、小学校3年社会科副読本『わたしたちの広島市』ならびに同指導書を参照するとよい。

4.取扱い例

内容 取扱い上の観点
1.夏休みの生活と社会的行事
2.原爆記念日について
○原爆記念日の意義 ○広島市を平和で文化のゆたかな町として発展させる覚悟をあらたにする日であること。
○原爆慰霊式、祈念式 ○原爆死没者の霊をなぐさめるとともに、市民の平和を祈る願いのあらわれとして式典がおこなわれること。
3原爆をうけた人びと
○原爆の被害
・核兵器のおそろしさ
○原爆投下の被害の概要と、その恐ろしさを知り、平和をいっそう愛する気持ちを育てる。
○被爆者の現状
・被爆者の健康診断(被爆者健康手帳)
○多数の被爆者は今なお原爆症に伸吟し生活苦に喘ぎ、後遺症や遺伝の恐怖におののいて正常な活動力を失い、常人としての生活を持続することのできない日を送っている。
・原爆病院 ○原爆病院で治療を受けている人のようすや、その人たちへ見舞やはげましの手紙を出す人もいることを知る。
・原爆障害者章 ○原爆障害者を守る善意の運動のあることを知り、それに協力する態度を身につける。
4平和への願い
○めざましい戦後の復興 ○市民の平和への願いが原動力になって、平和で文化的な町づくりが始められ、りっぱに復興したこと。
○平和記念都市 ○市民の平和への願いが結集したものであること。
○これからの広島市は平和記念都市としてふさわしく、ますます発展させなければならないこと。
○市民道徳 ○平和記念都市の市民としての自覚がたいせつであること。

留意事項
・取扱いの内容や観点、また順序などについては、この取扱い例にこだわることなく、学校や児童生徒の実態に応じた計画をたてて実施することがのぞましい。

資料
1.原爆記念日
・毎年8月6日には平和記念公園で市民の平和を祈る切なる気持ちのあらわれとしての大行事が行なわれる。
〈原爆死没者慰霊式並びに祈念式〉
・原爆慰霊碑の「やすらかにねむってください、あやまちはくりかえしませぬから。」のことばは市民全体のねがいがほりこまれている。
・8月6日8時15分全市民は1分間の然とうをささげ平和を切望する広島市民の願いがこめられている。
・「はにわ」にかたどった慰霊碑に納められている原爆死没者名簿の記載人員は昭和42年8月現在で62、423人(男33、257人、女29、123人、不明43人)
(『わたしたちの広島市指導書』より)

2.被爆者について
「一般被爆者」と「特別被爆者」がある。
(1)当時広島市内で直接被爆したもの。
(2)原爆が投下されてから一週間以内に市内に入ったもの。
(3)死体の処理、救護等に従事したもの。
(4)その胎児
以上いずれかに該当する者が居住地の知事(広島市であるときは市長)に申請し「被爆者健康手帳」の交付を受けて始めて被爆者としての取り扱いをうけることになる。
この被爆者のうち、特に原爆の放射能を多量に浴びたもの、すなわち
(1)爆心地から3Km以内の区域内にあったもの、およびその胎児
(2)厚生大臣が原爆の傷害作用による疾病であると認定したもの
(3)爆心地から3Km以上の区域であったもので、健康診断の結果、特別の病気であると認められたもの。
(4)一週間以内の入市者で健康診断の結果、特別の病気であると認められたもの等については「特別被爆者健康手帳」が交付され、「特別被爆者」としての取り扱いを受ける。
(資料提供 原爆被害対策課)

3.被爆者健康手帳
・被爆者健康手帳は健康診断を無料で受けることができ、特別被爆者健康手帳は、病気やけがで医者にかかりたいときは、知事、市長が指定した病院医院で無料で診断・治療・投薬・入院等が受けられる。
・昭和43年6月1日現在の交付者数
総数94、900人
・特別被爆者健康手帳84、139人
・一般被爆者健康手帳10、761人
(資料提供 原爆被害対策課)

4.原爆病院(千田町1丁目9番2号 広島原爆病院)
・原爆にかかった人のために、赤い羽根共同募金によって、昭和31年9月20日に開院した。
・一般健康診断と精密検査は国費で行ない、治療は原爆手帳と社会保険を併用するので無料である。
・病室は170名収容できるベットがあり、現年入院患者は148名、通院患者は約150名である。
(昭和43年7月現在)
(『わたしたちの広島市指導書』より)

5.原爆障害者章
「原爆障害者を守る善意の運動」
・市内には、原爆によって機能障害になった人たちが22年を経たいまなお不自由な生活を送っておられる。このような被害された人たちに、少しでも幸せな市民生活を送っていただくよう、市民の愛の手によって、あたたかい社会環境をつくるため「原爆障害者を守る善意の運動」をおこしている。
・市では、この市民運動の対象を明らかにし、大きく盛りあげてゆくため、原爆障害者バッジをつくることにした。
・このバッジは、被爆者援護の一環として昭和42年10月広島市議会で決定したもので、認定患者や身体障害者手帳を持っている被爆者などにくばられている。
・バッジのデザインは広く一般から募集し43年1月31日審査委員会で決まった。原爆のきのこ雲を図案化したもので、三つの輪は被爆者の苦しみと団結、そして平和への願いを意味し、全体に芽の感じを持たせ、今後果てしなくひろがって行く未来を表現している。
(『広島市政と市民』2月15日号No.261より)

6.平和記念都市建設法
・昭和24年5月「広島平和都市建設法」は衆参両院を満場一致で通過し、つづいて7月住民投票の結果賛成絶対多数を得て、8月6日平和祭の当日公布され平和都市広島の建設の基礎を確立することができる。
・建設法の概要
「この法律は恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。」という第一条の目標にはじまり、第七条にわたっているが、第二条以下はこの目的遂行のため必要な手続きを、およそ次の三点について規定している。
(1)その一は、国または地方公共団体は、広島市を平和記念都市として建設するために、特別の援助をしなければならないこと。
(2)その二は、広島市長は逐次建設事業の進捗状況を政府に報告し、政府はこれを国会に報告しなければならないこと。
(3)その三は、従前の戦災都市としての特別都市計画事業は、平和記念都市建設事業として変更すべきものであること
なお、この法律によって広島市は多くの国有財産の無償譲与を受けている。
(『わたしたちの広島市指導書』より)

7.世界連邦運動と広島市について
・この運動は、第二次世界大戦が始まる以前にヨーロッパで起こったものである。わが国では、第一回世界連邦アジア会議の本会議が、昭和27年11月に広島市で開催され、議長を賀川豊彦とし、主としてアジア地域の代表によって、この運動推進のための協議が行なわれた。続いて、第二回アジア会議が昭和29年11月に東京・広島その他各地で開催されたが、広島市議会はこれを機会に世界連邦精神にのっとって、平和の道を進むことこそ広島市民の使命であるとし、世界連邦都市宣言を採択した。
世界連邦都市宣言
われらは、人類の福祉増進のため全世界の人人と相結んで、世界連邦建設の趣旨に賛同する都市たることを決意する。広島市は世界の広島市として、永久の平和都市であることを確認する。
右宣言する
昭和二十九年十月三十日
広島市議会
(『わたしたちの広島市指導書』より)

8.市民道徳について
・市民道徳は、平和記念都市建設法の成立当時、平和記念都市にふさわしい市民の教養や品位の向上のために、一般市民から公募したものを10項目にまとめて作られたものである。したがって社会的に果たした役割は大きいが、作成当時より十数年も経過した今日では、今少し市民の心にアッピールする清新で内容の豊かなものが望まれている。
(『わたしたちの広島市指導書』より)
・広島市民道徳
1強い信念を持って、平和のためにつくしましょう。
2正直で謙虚な市民になりましょう。
3思うことを正しく言える市民になりましょう。
4言葉は静かに愛想よくいたしましょう。
5他人のことについて、よくないうわさをすることをやめましょう。
6会合の時間をさちんと守りましょう。
7交通規則を守り、老幼婦女子に席をゆずりましょう。
8公園や、道路に紙くずやきたない物をすてないようにしましょう。
9草木鳥獣を愛しましょう。
10服装を正しく胸をはり、大手を振ってあるきましょう。

佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争

佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争

『緑の旗 Vol.8』(広島大学教養部学友会総合機関誌、19680410)目次

栗原貞子 生ましめんかな 16
村岡孝彦・野口照生 ZENGAKUREN その思想と行動 66
全学連 この一年の闘い
ドキュメント 佐世保 71
1968年1月
16日 博多
17日 平瀬橋
18日 佐世保球場 5万人集会
19日
20日
21日 島之瀬公園 2万人集会

無題2

平和のために市民の対話をすすめる会・会誌

平和のために市民の対話をすすめる会 設立:1968年11月17日。

平和のために市民の対話をすすめる会・会誌(「対話の会」事務局発行)

発行年 目次
1 19690101 「対話の会」 その発足と経過
「第一回市民対話のつどい」記録 青年とヒロシマ 経過
平和グループ名簿(在広島)
2 19680415 市長を囲む市民対話のつどい記録
大本営復元のいきさつ
韓国在住被爆者の実態
広島にうたう(深川宗俊)
「ヒロシマ研究の会」紹介
「平和を願う友の会」紹介
平和グループ名簿
通信・投稿欄
3 19690715 ガイガー博士の講演
ベトナムと今後の日本
これからの市民運動
バーバラ・レイノルズ女史が広島で行なった活動の評価と広島市民の立場
通信・投稿
編集後記

市長を囲む市民対話のつどい

市長を囲む市民対話のつどい 1968年3月1日

日時 昭和43年3月1日、午後6時15分~9時
場所 平和記念館1階講堂
主題 広島市民の生活と平和
参加人員 約150名
集会次第
 司会  橋本栄一、今堀誠二
 開会挨拶  庄野直美
 話題提起  山田節男広島市長、田淵実夫広島市平和文化センター局長
 自由討論
 閉会挨拶  原田東岷

出典:平和のために市民の対話をすすめる会『ヒロシマ 平和のために市民の対話をすすめる会・会誌2号』(1968年4月15日)

原爆傷害調査委員会年表:1945-68

CHRONOLOGY OF EVENTS. 1945-68

年月日 事項
194508-10 広島および長崎で、原爆投下直後の影響を調べる日本側医学調査班とDr.A.W.OughtersonおよびDr.Shields Wrrenを長とする米国からの科学者が合流して、日本政府より、日米合同調査団の編成が認められた。東京大学の都築正男博士の尽力により、同調査団の偉大な事業を援助するすぐれた日本人科学者90人が集まった。その調査結果は、日本および外国の学術文献に発表されている。
<未入力>
196806

出典:『1968-69年度ABCC年報』

編年資料:ヒロシマ-1968年

編年資料:ヒロシマ-1968(昭和43)年

月日 資料名
04- 広島大学原医研・ 山県郡内在住原爆被爆者実態調査票(1968年4月~7月)
0716 広島市教育委員会  「原爆記念日」の取扱いについて
0725 旧住民のつどい案内状(中島平和観音会、1968年7月25日)
0805 第14回原爆禁止世界大会日本代表団の決議「被爆者救援活動を強化するための決議」
0805 第14回原爆禁止世界大会日本代表団の決議「第五福竜丸保存運動を推進させるための決議」
0806 広島市平和宣言
0809 長崎市平和宣言
09 被爆地図復元の論理と構想
爆心地区被爆関係予備調査・世帯シート(広島大学・原医研・社会医学教室、1968年?)