第2回ヒロシマ原爆映画をみる会(1976年8月)
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
第2回ヒロシマ原爆映画をみる会(1976年8月)
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広島平和教育映画ライブラリー
| 1976年 広島平和教育研究所・広島映画センターが共同で設置 |
| 広島平和教育映画ライブラリー設置記念上映会 |
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被爆者献体の呼びかけ(山本美代 1976年6月)
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土居晩鐘・15回忌記念「原爆記録画展」 1976年8月1日~ 会場:ヒロシマセンター街
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広島県原水協年表(1976年)
| 月日 | 事項 | 備考 |
| 0117 | 軍縮と社会正義のための米大陸横断平和行進に参加する日本原水協の代表4人、原爆慰霊碑前を出発。 | |
| 1201 |
『第五福龍丸事件』(焼津市、19761101 )
目次
| 章 | 見出し | 備考 | |
| 挨拶(焼津市長 服部毅―) | |||
| 発刊によせて(焼津漁業協同組合長 滝ロ佐々ヱ門) | |||
| 序(編集委員長 北山宏明) | |||
| 1 | 事件の概要 | ||
| 乗組員名簿 | |||
| 第五福竜丸事件年譜 | |||
| 2 | 被災時の諸問題 | ||
| 1 | 被災時の位置 | ||
| その時の状況について乗組員談 | |||
| 2 | 帰港後の様子と被災時の諸問題 | ||
| 3 | 乗組員の被害について | ||
| 1 | 焼津市対策本部日誌3月14日より3月28日まで | ||
| 2 | 衛生課の事件日誌 | ||
| 3 | 初診時所見とその経過(焼津病院外科医長 大井俊亮) | ||
| 4 | 被災患者上京入院及び退院帰省につき打合せ事項 | ||
| 通達と譲渡証 | |||
| 患者との意見交換 | |||
| 4 | 乗組員の病状 | ||
| 1 | 3月1日より9月23日まで | ||
| 2 | 故久保山愛吉氏の臨床経過 | ||
| 3 | 各医師の発表 | ||
| 東邦医大教授(森田久男博士の発表) | |||
| 主治医の立場から (東大病院沖中内科教室医博 三好和男) | |||
| 東大名誉教授都築博士 米国務省訪問見解表明 | |||
| 5 | 船体と管理 | ||
| 1 | 生いたちと概要 | ||
| 2 | 帰港直後の状況 | ||
| 3 | 船体等の管理と補償問題 | ||
| 4 | 船体の監視と売買 | ||
| 監視日誌 | |||
| 5 | 船体の移動と東京への回航 | ||
| 6 | 魚への影響及び補償(第五福竜丸関係) | ||
| 1 | 主として直接的被害について | ||
| 2 | ビキニ事件の補償問題 | ||
| 3 | 久保山愛吉氏慰謝料問題について | ||
| 4 | 乗組員の慰謝料問題について | ||
| 7 | 事件と漁業対策(一般補償関係) | ||
| 1 | 対策本部設置 | ||
| 2 | 組合長会議 | ||
| 3 | 日かつ連、要望書手交 | ||
| 日かつ運が総額20億円の補償要求 | |||
| 片付かぬビキニ補償 | |||
| 交渉妥結とその後の対策 | |||
| ビキニ被災―年補償金決らず | |||
| 補償問題の対米折衝経緯 | |||
| ビキニ問題その後 | |||
| 8 | 手記及び追悼文 | ||
| 1 | 久保山愛吉氏の手記 | ||
| 2 | 愛吉氏と家族との交信 | ||
| 未亡人すゞさんの手記 | |||
| 3 | 患者の手記 | ||
| 4 | 久保山さんの死に思う 熊取敏之博士 | ||
| 5 | 故久保山愛吉君を悼む | ||
| 9 | “死の灰”について | ||
| 調査団 | |||
| 死の灰の分析と第1回発表 | |||
| 筧博士の報告書 | |||
| 第2、第3回の分析発表 | |||
| 相つぐ漁船の被害 | |||
| マーシャル水域における漁船等の被害対策 | |||
| 最終結果の分析発表 | |||
| 静岡大、大阪大、金沢大の分析結果 | |||
| 日本全土を掩う放射能 | |||
| 調査船〃俊鶴丸〃 | |||
| 附 | |||
| a | その後の乗組員の様子 | ||
| b | 当時を顧みて(近藤久一郎) | ||
| c | 第五福竜丸の思い出 (宮崎作次) | ||
| d | 回想(見崎吉男) | ||
| 参考文献 | |||
| 編集委員名簿 | |||
| 資料写真 |
向原町原爆被爆者慰霊碑
1976年10月建立、1995年8月1日、丸山公園に移設。
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| 被爆者慰霊誌
昭和二十年八月六日広島市に原子爆弾が投下され本町がいち早くこれらの戦災者の救護活動を展開したが真夏日と医薬品皆無の状態の下悶死された犠牲者は百数十柱に及んだ |
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| 裏面 「昭和56(1981)年10月 建之」 |
| 月 | 日 | 記事 |
|---|---|---|
| 01 | 24 | 山梨県原水爆被害者の会など、ヒロシマ原爆の記録展を甲府市内・岡島デパートで開催(~28日).25000人が入場.2200の援護法署名が集まる. |
| 02 | 10? | 長崎市、ユネスコ本部で永久保存される平和のモニュメントに浦上天主堂の原爆遺物「天使の像」を第一候補に選ぶ。 |
| 02 | 14? | 諸谷長崎市長、今春フランス・パリで開催される「南蛮渡来から原爆までの長崎展」に出席する意向を固める。 |
| 02 | 28 | 「南蛮渡来から原爆までの長崎展」準備委員会、開催。出品する資料を決定。 |
| 03 | 19 | 長崎市・浦上天主堂の原爆遺物「天使の像」の寄贈式、同天主堂で挙行。ユネスコ本部で永久保存される平和のモニュメントとして。 |
| 03 | 31? | 広島市の国際青少年協会、西ドイツ・ハノーバー市でヒロシマ原爆展を開くことを計画。 |
| 04 | 01 | 長崎市、フランス・パリで開催される「南蛮渡来から原爆までの長崎展」に展示される資料を、市内で一般公開。-6日。 |
| 04 | 09 | 中国新聞「ヒロシマの痛み-米国で写真展開き訴え-今夏、広島の若者」 |
| 04 | 27 | ユネスコと日本ユネスコ協会連盟、日本文化祭をフランス・パリのユネスコ本部で開催。開会式に諸谷長崎市長出席。期間中、「南蛮渡来から原爆までの長崎展」。-5月7日。 |
| 05 | 16 | 毎日新聞「パリ・日本文化祭の印象-中国放送の亀井さん-難しい”ヒロシマ”の訴え-核意識のズレ驚くばかり」 |
| 06 | 03 | 長崎市、8月6日から東京で開く「長崎原爆の記録展」の実施計画をまとめる。7日、予定していた銀座・松坂屋が会場の貸与を断る。 |
| 07 | 01 | 広島市、「戦後30年のあゆみ展」を市立中央図書館で開催。- |
| 07 | 29 | 創価学会青年部平和委員会、全国縦断反戦・反核長崎展を、長崎市内で開催。-31日。 |
| 08 | 03 | 万国博記念協会、大タペストリー「かなしみの塔」の永久保存を決める。 |
| 08 | 06 | ドイツ・ハノーバー市で「広島原爆31周年平和祈念式」と原爆資料写真展。国際青少年協会の同市訪問広島青少年使節団なども参加。 |
| 08 | 20 | 中国新聞「アメリカでヒロシマ写真展計画-広島の青年」 |
| 08 | 29 | 広島県大野町の原爆画展実行委員会、NHKが行った「市民の手で原爆の絵を」の町民版の原爆画展を同町公民館で開催。-9月12日。 |
| 11 | 07 | マイク・グラベル米上院議員、米連邦議員として初めて広島市を訪問。20日、読売特派員に、原爆資料の国連への展示を働きかける意向を明らかにする。。 |
| 11 | 12 | 愛知県原水爆被災者の会、原爆被爆体験絵画展を名古屋市内で開催。-14日。 |
「核意識構造の実態研究」グループ(代表:庄野直美)
「はじめに」(『核と平和 日本人の意識』(庄野直美他編、法律文化社、19781201 )抜粋
****************
研究が企画された契機は, 1975年8月の「広島大学平和科学研究センター」の発足にあった。この研究センターの研究プロジェクトの一つとして,「核識構造の実態研究」グループ(代表:庄野直美)が組織され, 1976年と77年には文部省科学研究費(総合A)補助金の交付をうけた。
この研究費により, 1976年度には,戦後30年間に新聞社等が行なってきた世論謌査のうち,核問題にかかわるすべての資料を収集し,その内容を分析した.収集された資料は, 190種の世論調査において約1,400の調査項目に及び,それらは(1)原爆被災 (2)核実験・核兵器・核政策(3)原水禁運動,(4)原子力発電,(5)戦争観・安全保障,(6)憲法第9条・自衛隊,という6大頂目に分類され,分析された。
しかし,これらの世論調査だけでは核意識構造の分析には不十分で,私たちが知りたいと望む情報を更に得るために, 1977年2月および7,8月には,広島・長崎・岡山・金沢の4都市において,中学2年生もしくは3年生,(回収実数5,039名)とその父母(回収実数4,699名)に対し,また同年11月には広島・長崎・岡山の高校2年生(回収実数1,816名)に対し,私たち研究グループ
独自の調査を実施した。この独自調査の分析結果が,本書の主要な内容である。
私たちの研究プロジェクトに参加した研究者は,全国]3大学の27名であり,専攻分野も十数領域に及んだOその氏名と所属(当時)は下記のとおりである。(○印は本書の執筆者,50音順)
伊東 壮:山梨大学(経済学)
今堀誠二:広島大学(アジア史)
岩佐幹三:金沢大学(政治学史)
〇上野裕久:岡山大学(憲法)
宇吹 暁:広島大学(歴史学)
〇大槻和夫:広島大学(教育学)
岡本三夫:四国学院大学(哲学・平和研究)
小川岩雄:立教大学(原子物理学)
鎌田定夫:長崎造船大学(人文・欧米文学)
○北西 允:広島大学(政治学)
栗原 登:広島大学(疫学・社会医学)
○小寺初世子:広島女子大学(国際公法)
○庄野直美:広島女学院大学(原子物理学・平和研究)
高畠通敏:立教大学(政治学)
田中靖政:学習院大学(社会心理学)
○永井秀明:広島大学(理論物理学・平和研究)
○初瀬龍平:北九州大学(政治学)
濱谷正晴:一橋大学(社会学)
深井一郎:金沢大学(日本語学)
藤井敏彦:広島大学(教育学)
○松尾雅嗣:広島大学(平和研究)
松元 寛:広島大学(英米文学)
安田三郎:広島大学(社会学)
山川雄己:関西大学(政治学)
山田 浩:広島大学(国際政治)
湯崎 稔:広島大学(社会学)
横山 英:広島大学(中国近代史)
本書の作成にあたっては,上記名簿(○印)の8名が,研究グループの討論をふまえた上で各自に執筆し,それを3名の編者が最終的に整理・加筆した。
本書は,核問題を中心とした,平和に関する日本人の意識構造を明らかにする,日本ではじめての総合報告書であると思う。平和と核問題に関心ある人びとの研究,教育,思索の一助になることを願うとともに,私たちの調査研究に寄せられた関係諸方面の援助・協力に対し,心からの謝意を表するものである。
1978年8月6日
編者
『原爆三十年-広島県の戦後史』(広島県編・刊、19760331 )
目次
| 章節 | タイトル | 執筆者 |
| 発刊にあたって | 宮沢弘 | |
| 序説 | ||
| 1 | 人類の生存と平和の課題 | 熊田重邦 |
| 1-1 | 生存の問題 | |
| 1-2 | 平和の問題 | |
| 2 | 地域と生活の課題 | 天野卓郎 |
| 2-1 | 地域の問題 | |
| 2-2 | 生活の問題 | |
| Ⅰ | 戦争と広島 | 児玉正昭 |
| 1 | 軍都広島 | |
| 1-1 | 日清・日露戦争と広島 | |
| 1-2 | 第二次世界大戦下の広島 | |
| 2 | 県下の戦災 | |
| 2-1 | 被害の概況 | |
| 2-2 | 呉空襲 | |
| 2-3 | 福山空襲 | |
| Ⅱ | 原子爆弾の被害 | |
| 1 | 原爆被災 | 小堺吉光 |
| 1-1 | 被爆者の諸相 | |
| 1-2 | 救護班の活動 | |
| 1-3 | 調査・研究 | |
| 1-4 | 原爆被災の概要 | 庄野直美 |
| 2 | 原爆と終戦 | |
| 2-1 | 政府・軍部と原爆 | 小堺吉光 |
| 2-2 | 日本の原爆報道 | 宇吹暁 |
| 2-3 | 海外の原爆批判 | 宇吹暁 |
| Ⅲ | 再建への道 | |
| 1 | 一 戦後改革 | 井上洋 |
| 1-1 | 経済改革と労働者・農民 | |
| 1-2 | 政治改革と市民運動 | |
| 1-3 | 教育改革 | |
| 1-4 | 女性解放 | |
| 2 | 戦後の混乱と生活 | 永田守男 |
| 2-1 | 食糧危機 | |
| 2-2 | 市民生活 | |
| 2-3 | 犯罪 | |
| 3 | 都市の復興 | 永田守男 |
| 3-1 | 広島市の復興 | |
| 3-2 | 呉市の復興 | |
| 3-3 | 福山市の復興 | |
| 3-4 | 産業の復興 | |
| 4 | 文化活動 | 永田守男 |
| 4-1 | 文化運動の台頭 | |
| 4-2 | 原爆作品 | |
| Ⅳ | 平和意識の高揚 | 宇吹暁 |
| 1 | 朝鮮戦争と原爆問題 | |
| 1-1 | 広島市の平和への努力 | |
| 1-2 | ストックホルム・アピール | |
| 1-3 | 朝鮮戦争下の平和の声 | |
| 2 | 国民諸階層と原爆問題 | |
| 2-1 | 原爆の子 | |
| 2-2 | 映画「原爆の子」・「ヒロシマ」 | |
| 2-3 | 広島の平和運動の前進 | |
| Ⅴ | 被爆者の援護 | |
| 1 | 原爆医療 | |
| 1-1 | 原爆症 | 庄野直美 |
| 1-2 | アメリカ調査団とABCC | 湯崎稔 |
| 1-3 | 被爆者治療対策と原対協 | 湯崎稔 |
| 2 | 被爆者の問題 | |
| 2-1 | 原爆孤児と原爆乙女 | 湯崎稔 |
| 2-2 | 被爆者対策の発展 | 湯崎稔 |
| 2-3 | 被爆者の連帯 | 庄野直美 |
| Ⅵ | 原水爆禁止運動 | 今堀誠二 |
| 1 | 原水協の成立 6 | |
| 1-1 | ビキニ被災 | |
| 1-2 | 一〇〇万人署名運動 | |
| 1-3 | 杉並アピール | |
| 1-4 | 原水爆禁止世界大会 | |
| 2 | 原水禁運動と平和問題 | |
| 2-1 | 被爆者の援護 | |
| 2-2 | 原水禁運動と国際政治 | |
| 2-3 | 原水禁運動と安保問題 | |
| 3 | 国民運動の意味 | |
| 3-1 | 分裂と統一 | |
| 3-2 | 被爆国日本 | |
| 3-3 | ヒロシマ=平和のメッカ | |
| Ⅶ | ヒロシマの思想 | |
| 1 | 核戦略と日本の立場 | 岸田純之助 |
| 1-1 | ヒロシマへの回帰 | |
| 1-2 | 核時代の現況 | |
| 1-3 | 非核政策の堅持 | |
| 2 | 慰霊碑・体験記の思想 | 宇吹暁 |
| 2-1 | 慰霊碑 | |
| 2-2 | 体験記 | |
| 3 | 被爆体験の継承 | |
| 3-1 | 原爆ドームと原爆資料 | 小堺吉光 |
| 3-2 | 原爆被災白書運動と復元調査 | 湯崎稔 |
| 3-3 | 平和研究 | 庄野直美 |
| 3-4 | 平和教育 | 天野卓郎 |
| Ⅷ | 未来への志向 | 天野卓郎 |
| 1 | 原爆問題と行政 | |
| 1-1 | 被爆者の援護と平和 | |
| 1-2 | 県・市町村議会と原水爆問題 | |
| 1-3 | 県・市町村の被爆者対策 | |
| 2 | 平和への道 | |
| 2-1 | ヒロシマをめぐる世論 | |
| 2-2 | ヒロシマを世界へ | |
| 2-3 | ヒロシマを未来へ | |
| 資料 | ||
| 写真目次 | ||
| 参考文献 | ||
| 年表 | 宇吹暁 | |
| あとがき | 熊田重邦 | |
| 協力者(執筆者を除く):小都勇二(高田郡吉田町郷土資料館長、佐々木雄一郎(写真家)、城戸禅(県史編さん室嘱託)、松本栄一(朝日タウンズ) | ||
『広島県史研究記事目録(抄)』(広島県史編さん室、広島県、19760331)
| 号(発行年月日) | タイトル | 著者 | 備考 |
| 創刊(19760331) | |||
| 創刊にあたって | 宮沢弘 | ||
| 発刊によせて | 熊田重邦 | ||
| 県史の窓 広島県史刊行への期待 | 石垣重信 | ||
| 広島県における近代現代史研究の課題 | 今堀誠二 | ||
| 近代現代資料の収集状況(1) | |||
| 2(19770331) | |||
| 県史編さんに想う | 熊田重邦 | ||
| 戦後外交文書の中の”原爆” | 古川博 | ||
| 広島県史に求めるもの―私の戦争体験にふれながら | 滝尾英二 | ||
| 市町村史編さんの問題点 | 一色征忠 | ||
| 3(19780331) | |||
| 初心に立ちかえって | 土井忠生 | ||
| 米国戦略爆撃調査団について | 宇吹暁 | ||
| <書評>『広島県史 近代現代資料編Ⅲ(社会文化編)』 | 佐々木隆爾 | ||
| 4(19790331) | |||
| 県史編さんについて | 竹下虎之助 | ||
| 市町村史編さんの実際と県史 | 橋本昭子 | ||
| 広島県史に期待すること | 川島孝郎 | ||
| 近代現代資料の収集状況(2) | |||
| 5(19800331) | |||
| 広島県史の完結に向って | 今堀誠二 | ||
| 戦後広島県の労働者文化運動 | 藤原浩修 | ||
| 全国文書館設立運動の問題と現状 | 広田暢久 | ||
| 資料保存運動の方向について-『広島県労働運動史』の観光と関連して | 山下優 | ||
| 6(19810331) | |||
| 史料調査・序説」 | 桑山浩然 | ||
| 「県立文書館」設立に向って | |||
| 芸備地方史研究会 | |||
| 神辺郷土史研究会 | |||
| 甲奴郡文化財研究会 | |||
| 赤木勇夫 | |||
| 阿川静明 | |||
| 今中保子 | |||
| 太田雅慶 | |||
| 岡崎環 | |||
| 来栖義典 | |||
| 阪田靖正 | |||
| 下野岩太 | |||
| 末永栄 | |||
| 平井隆夫 | |||
| 資料は史料として創造の世界にまで及ぶ | 深川宗俊 | ||
| 7(19820331) | |||
| 広島県史の完成を願って | 田中稔 | ||
| 戦後広島県の教育改革 | 藤原浩修 | ||
| 地元以外での県市町村史利用について | 小野寺逸也 | ||
| 町村役場文書の利用と保存 | 松林俊一 | ||
| 史料の活用 | 有田吉之 | ||
| 地域史としての「おはなし歴史風土記」 | 松木鶴美 | ||
| 空襲・戦災を記録する運動と資料保存 | 岡田智晶 | ||
| 市町村史編さんの現状と課題 | |||
| 県立文書館建設調査研究協議会委員名簿 | |||
| 広島県立文書館建設基本構想について | |||
| 8(19830331) | |||
| 地域史の可能性 | 熊田重邦 | ||
| 原水爆禁止世界大会に関する覚書 | 宇吹暁 | ||
| 編集後記 | あまの | ||
| <1~7号の編集後記の執筆者も「あまの」> | |||
年表:平和教育(1976年)
| 05 | 11 | 長崎市立長崎中学校3年生207人、修学旅行で初めて広島を訪問。広島市立国泰寺中学校の生徒が出迎える。 |
| 05 | 13 | 広島市立国泰寺中学校3年生346人、修学旅行で長崎市を訪問。長崎市平和公園で姉妹校の縁組みを進めている長崎中学校の生徒と交歓会を開く。 |
| 06 | 09 | 東京都葛飾区立上平井中学校3年生280人、修学旅行で初めて広島市を訪問。 |
| 06 | 12 | 第4回全国平和教育シンポジウム(広島市)。1200人余が参加。-13日。 |
| 06 | 19 | 京都市立安祥寺中学校3年生、修学旅行で初めて広島市を訪問。「原爆の子の像」と「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を参拝。韓国人の慰霊碑に修学旅行生が参拝したのは初めて。 |
『ヒロシマからの報告 平和・教育・被爆者問題を考える』(山田浩・関寛治・永井秀明・石田明・庄野直美編、労働教育センター、19760731)
目次
| はしがき | 山田浩 | ||
| 1部 | 今日の平和問題とヒロシマ-報告 | 熊田重克 | |
| ヒロシマの「心」と課題/診療白書」が明らかにしたこと/原爆後遺症と被爆二世問題/「ヒロシマ・ナガサキ」を理解しない政府/「ヒロシマの国際化」を抑止するもの/核軍拡競争と「核抑止論」 /核軍拡競争はなぜつづくか /ヒロシマに立って「平和」を論じる | |||
| ヒロシマから平和を考える-討論 | |||
| 山田浩・関寛治・熊田重克 | |||
| 米ソの冷戦と核戦略の展開 /アメリカの“核戦略”の転換と後退/軍拡とデタントの理論問題/ヒロシマに平和をつくりあげる// | |||
| 2部 | ヒロシマの平和教育とその展望 | ||
| 永井秀明・大槻和夫・藤井敏彦・空辰男 | |||
| はじめに | |||
| 平和教育の足どり | |||
| ヒロシマの平和教育の歩みと学校教育の現状-報告 | 空辰男 | ||
| 戦後の原爆教育 /再起された原爆教育/文部省の「平和教育」/広島市の1つの教育実践 | |||
| 討論 | |||
| 教科書から原爆をハズしたい /平和教育は広島の子らをどう変えたか/子どもたちが主体になって | |||
| 平和教育の目的と内容-報告 | 永井秀明 | ||
| 平和教育の目的 /平和教育の内容 | |||
| 討論 | |||
| 平和教育の視点と焦点/平和教育実践ニつの側面 | |||
| 家庭や子どもの状況と平和教育-報告 | 大槻和夫 | ||
| 広島の子どもたちの原爆認識 /受験体制下の子どもと平和教育/子どもの文化と平和教育/家庭の現状と平和教育/家庭・地域における平和教育 | |||
| 討論 | |||
| 「家庭の場」がそこなわれていく /重視したい「地域のつながり」 | |||
| 地域課題の発掘視点と平和教育運動-報告 | 永井秀明 | ||
| 戦争体験の掘り起こしと教材化(原点教材)/郷土の歴史と自然の掘り起こし、教材化/安保体制の把握と教材化/ | |||
| 国際連帯と平和教育-報告 | 藤井敏彦 | ||
| 平和教育における国際連帯教育の位置 /真の国際連帯とは何か/国際連帯教育を前進させ深めるために/ヒロシマと国際連帯/ | |||
| ヒロシマの平和教育-総合討論 | |||
| 永井秀明・大槻和夫・藤井敏彦・空辰男 | |||
| 戦争体験と郷土史の発掘 /沖縄・被爆体験・原水禁運動/ヒロシマの国際化と地域化の結合 | |||
| 3部 | 核時代の被爆者問題 | ||
| 庄野直美・石田明・伊東壮・高橋昭博 | |||
| 「ヒロシマ」の意味するもの-討論 | |||
| 片仮名のヒロシマにこめられて/ヒロシマがもつ原体験/原爆投下と真珠湾攻撃/ヒロシマの風化は何に原因するか/原水爆禁止運動が広がったこと/ヒロシマの国際化と被爆者の役割 | |||
| 原爆による物と体の被害-報告 | 庄野直美 | ||
| 原爆についての基礎知識 /広島・長崎原爆における死傷者数/熱線・爆風・放射線による被害の実相/原爆の医学的影響-原爆症について/ | |||
| 被害の実態-報告 | 伊東壮 | ||
| 原爆による生活と心の被害-報告 | |||
| 社会的側面のもつニつの意味/狭い意味の原爆被害/ 原爆被害の総合化/ | |||
| 被爆者援護の諸問題-報告 | 庄野直美 | ||
| 被爆者援護の歴史と救援運動 | |||
| 被爆者援護の諸問題-報告 | 伊東壮 | ||
| 政府の援護対策と援護法 | |||
| 被爆者問題と「ヒロシマの心」-討論 | |||
| 庄野直美・石田明・伊東壮・高橋昭博 | |||
| 古くして新しい被爆者観 /外国人被爆者問題の周辺/「石田原爆訴訟」の今日的意味 /被爆者援護法と原水禁運動/「ヒロシマの世界化」を推進するもの | |||
| あとがき | 庄野直美 | ||
[季刊]平和教育 第1号(創刊号)
日本平和教育研究協議会、明治図書出版、19760525
| 号 | 発行年月日 (著者) |
特集 (タイトル) |
所蔵 |
| G=原爆資料館、U=宇吹 | |||
| 01 | 19760525 | 平和教育をどうすすめるか | GU |
| 石田明 | 平和教育の今日的課題 | ||
| 森田俊男/松山善三/山田洋次/金沢嘉市/大田堯/飯島宗一/梅根悟/小川岩雄/棋枝元文/小森秀三 | |||
| 『季刊・平和教育』の発刊にあたって | |||
| 鎌田定夫 | 被爆30年子どもたちの証言 | ||
| 文沢隆一 | 平和記念資料館物語 | ||
| 中沢啓治 | インタビュー “はだしのゲン”とわたし | ||
| 増岡敏和 | 作家と作品1 峠三吉 峠三吉の抒情の変革とその生涯 | ||
| 永田守男 | マスコミの動向 被爆の炎は消えず | ||
| 02 | 19760825 | 戦争体験をどう継承するか | GU |
| 03 | 19761125 | 平和のための学校行事設定の意義 | GU |
| 04 | 19770310 | 平和教育は人格形成にどうかかわるか | GU |
| 05 | 19770610 | 平和教育のあゆみと憲法・教育基本 | GU |
| 06 | 19770930 | 子どもの戦争観はどうなっているか | GU |
| 07 | 19780130 | 世界に広がる平和教育 | GU |
| 08 | 19780601 | 地域に学ぶ平和教育 | GU |
| 09 | 19790101 | 未来につなげる戦争の学習 | GU |
| 10 | 19790701 | 子ども・青年の危機と現代のファシズム | G |
| 11 | 19800301 | 教育の荒廃と平和教育の課題 | G |
| 12 | 19800901 | 80年代と平和教育の課題 | G |
| 13 | 19810601 | 国防教育と自衛 | G |
| 14 | 19820201 | 道徳教育としての平和教育 | G |
| 15 | 1982/08/01 | 現代平和教育をめぐる実践的課題 | G |
| 16 | 1983/02/01 | 草の根の平和教育 | G |
| 17 | 1983/10/01 | 日本における沖縄の位置と課題 | G |
| 18 | 1984/04/01 | 核未来戦争の脅威の中で何を教えるか | G |
| 19 | |||
| 20 | 1985/04/01 | 核戦争の危機と教育の課題 | GU |
| 21 | 1985/11/01 | アジア・アフリカをどう認識させるか | G |
| 22 | 1986/04/01 | 子どもたちにいのちと人権を守る力を | G |
| 23 | |||
| 24 | 1986/10/01 | いじめ・暴力にたちむかうちから | G |
| 25 | 1987/01/01 | ここからはじめる平和教育 | G |
| 62 | 2002/06/01 | 二一世紀の平和教育 | G |
『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)
内容
| 章節 | タイトル | 備考 |
| 序にかえて | ||
| 1 | 原爆に生き残って | |
| 1-1 | 運命の八月六日 | |
| 1-2 | 廃墟の中で | |
| 1-3 | 一牧師のビジョン | |
| 2 | 和解の旅 | |
| 1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル | ||
| 2-1 | ピース・センターの構想 | |
| 2-2 | 第一印象 | |
| 2-3 | メンジスト教会ミッション・ボードと私 | |
| 2-4 | 本格的巡回始る | |
| 2-5 | ピース・センター独自の途を歩む | |
| 2-6 | 被爆地ヒロシマをどうするか | |
| 2-7 | 平和請願運動 | |
| 2-8 | 平和請願運動潰される | |
| 2-9 | 真珠湾記念日とヒロシマ・デー | |
| 2-10 | 東京裁判と死刑執行への反応 | |
| 3 | 嵐の中の平和行脚 | |
| 1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル | ||
| 3-1 | 朝鮮戦争下のアメリカへ | |
| 3-2 | 講演の新内容を求めて | |
| 3-3 | ニューヨーク入り | |
| 3-4 | カズン氏は極めて多忙である | |
| 3-5 | ヒロシマ・ピース・センター理事会 | |
| 3-6 | 今回の巡回旅行の特色 | |
| 3-7 | 嵐の中の平和運動 | |
| 4 | 原爆乙女アメリカに往く | |
| 1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル | ||
| 4-1 | 日本における原爆乙女治療始る | |
| 4-2 | 米国での治療運動始る | |
| 4-3 | 資金はどのようにして集められたか | |
| 4-4 | ニューヨークの受容態勢 | |
| 4-5 | ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング | |
| 4-6 | 原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか | |
| 〇ヒューストン市の1週間 | ||
| 〇原爆悲劇に対する読みが深くなった | ||
| 〇国際時局に対する読みも深くなった | ||
| 〇募金活動の実情 | ||
| 〇協力を申し出る4つの病院 | ||
| 〇一日本人医師の批判とその影響 | ||
| 4-7 | ピース・センターはどこへ行く | |
| 4-8 | 平和の営み | |
| 5 | 「傷痕」の伴をして | |
| 1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル | ||
| 5-1 | 「傷痕」ダイジェスト | |
| 5-2 | 講演後の質問応答 | |
| 5-3 | 核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている | |
| 5-4 | 「傷痕」のどこに感動したか | |
| 5-5 | 被爆者治療問題の隘路 | |
| 5-6 | 被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない | |
| 5-7 | アメリカ講演旅行の総括 | |
第1部 国際連合訪問の状況(日程順)
| 1976年11月 | |
| 25日 | ワシントン到着 |
| 26日 | 日本大使館を表敬訪問 米国務省軍縮局を訪問 国立公文書館を訪問 ウイリアム・ペン・ハウスで平和の集いを開催 |
| 27日 | アーリントン墓地参拝 米国科学者連盟事務所を訪問 ウイルミントン到着 ウイルミントン大学学長主催夕食会に出席 |
| 28日 | ウイルミントン市長主催朝食会に出席 ヒロシマ・ナガサキ記念文庫を訪問 ニューヨーク到着 |
| 29日 | 日本代表部を訪問 国連広報担当事務次長補を訪問 クリスチャン・センターを訪問 オーストラリア代表部を訪問 |
| 30日 | カナダ代表部を訪問 フランス代表部を訪問 アメリカ代表部を訪問 |
| 1976年12月 | |
| 1日 | ワルトハイム国連事務総長と会見 イギリス代表部を訪問 内外新聞記者団と会見 イスラエル代表部を訪問 アメラシンゲ国連総会議長と会見 ニューヨーク市長を表敬訪問 赤谷次長補主催のレセプションに出席 ノーマン・カズンズ氏と懇談 |
| 2日 | ソビエト代表部を訪問 インド代表部を訪問 東ドイツ代表部を訪問 西ドイツ代表部を訪問 日本協会主催のレセプションに出席 |
| 3日 | ニュージーランド代表部を訪問 ノルウェー代表部を訪問 国連第1委員会(軍縮)を傍聴 |
| 4日 | 訪問10日目に休養日 |
| 5日 | ロサンゼルス空港到着 広島・長崎両県人会主祭歓迎夕食会に出席、在米被爆者と懇談 |
| 6日 | ロサンゼルス市長を訪問 大内会長ら、被爆者と医療相談 ロサンゼルス市議会を訪問 日本総領事官を訪問 シティー・ビュー病院を訪問 ロス郡医師会の昼食会に出席 日系老人ホームを視察 |
| 7日 | ロサンゼルス郡参事会で発言 内外記者会見で両市長共同声明 トーマス・野口事務所を訪問 ロサンゼルス発 サンフランシスコ着 広島・長崎両県人会主催歓迎会に出席 |
| 8日 | サンフランシスコ市長を訪問 オークランド=ベイ地区を見学広島・長崎両市長主催夕食会開催 |
| 9日 | サンフランシスコ発、東京へ |
| 10日 | 東京羽田着 |
| 12日 | 荒木広島市長、慰霊碑に帰国報告 |
| 13日 | 諸谷長崎市長、記念像に帰国報告 |
出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(著者:広島市・長崎市編、 刊 19770331 )
『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』広島市・長崎市編 、刊、19770331)
| 部 | 事項 | |
| 国連訪問を終えて | ||
| 1 | 国際連合訪問の状況(日程順)<詳細リンク> | |
| 2 | 国連事務総長への要請・要望事項および原爆被害の実態に関する資料 | |
| 3 | 国際連合訪問の経緯 | |
| 概要 | ||
| 1975年8月1日~1976年11月25日 | ||
| 編集後記 |
ビキニ水爆被災資料集(監修:三宅泰雄・檜山義夫・草野信男、編集:第五福竜丸平和協会、発行:東京大学出版会、19760331刊)
目次
| 編章 | 節項 | 見出し | 備考 |
| 序にかえて(美濃部亮吉) | |||
| 第五福龍丸のおしえ(三宅泰雄) | |||
| 1 | 1954年3月1日ビキニ水爆実験 | ||
| 1-1 | ビキニ水爆実験とその背景 | ||
| 1 | オぺレーション・キャスルとビキニ水爆実験 | ||
| 1-1 | 米原子力委員会発表(実験開始と終了) | ||
| 1-2 | オペレーション・キャスルの日時と実験内容 | ||
| 1-3 | ビキニ水爆は超ウラン爆弾 | ||
| 1-4 | ビキニ灰の分析 | ||
| 2 | 実験の背景とニュールック | ||
| 1-2 | 水爆実験の影響(その1) | ||
| 1 | 米政府原子力委員会報告 | ||
| 1-3 | 水爆実験の影響(その2) | ||
| 1-4 | 水爆実験の影響(その3) | ||
| 1-5 | 水爆実験の影響(その4) | ||
| 1 | 第五福龍丸以外の被災船リスト | ||
| 2 | 被災がひきおこした深刻な波紋 | ||
| 2 | 第五福龍丸と乗組員の被災をめぐって | ||
| 2-1 | 被災状況 | ||
| 1 | 被災状況 | ||
| 2 | 船体各部、積荷の汚染 | ||
| 2-2 | 船体各部、積荷の汚染 | ||
| 1 | 乗組員の症状経過 | ||
| 2 | 久保山氏の死亡をめぐって | ||
| 2-3 | 乗組員および国内外の人びとの手記・手紙 | ||
| 2-4 | 焼津市の状況 | ||
| 2-5 | 被災問題に対するアメリカの態度 | ||
| 2-6 | 日本政府の被災対策 | ||
| 3 | ビキニ・水爆実験に対する内外の反響 | ||
| 3-1 | 国民世論 | ||
| 3-2 | 原水爆禁止運動のもりあがり | ||
| 3-3 | 文学・芸術・評論 | ||
| 4 | 海外の反響 | ||
| 付録 | |||
| 第五福龍丸保存運動 | |||
| 第五福龍丸関係保存物品目 | |||
| 年表 | |||
| 文献目録 | |||
| 資料収集にあたって(林茂夫) | |||
| 編集後記(第五福竜丸平和協会) |
吉浦郷土史研究会
機関誌『ふるさとよしうら』創刊号:1976年5月18日
| 年月日 | 号 | 著者 | タイトル | 所蔵 |
| 所蔵:U=宇吹、N=西岡喜美子 | ||||
| 19760518 | 創刊 | 題字 | 田淵実夫 | U |
| 宇吹暁 | 故宇根実氏の収集せる資料について | |||
| 19761120 | 2 | U | ||
| 19770425 | 3 | 西岡喜美子 | ふる里雑感(短歌) | U |
| 作者は「火幻」編集委員 | ||||
| 19770825 | 4 | 宇吹やす | 大和路の記並びに歌句 | U |
| 19771220 | 5 | 小竹寿法 | 四方山話 狩留賀(其の三) | U |
| 19780428 | 6 | 宇吹暁 | 郷土史断想 | UN |
| 19780810 | 7 | 宇吹やす | 奥嵯峨巡り | UN |
| 19790120 | 8 | 青木文明 | 吉浦と原爆(身代りの友を悼む) | UN |
| 19790425 | 9 | 宇吹やす | 寂光院 | UN |
| 原爆死亡者調 | ||||
| 19790828 | 10 | UN | ||
| 19791225 | 11 | 編集部 | よろこび二つ 森井忠良氏当選す | UN |
| 19800422 | 12 | 編集部 | 書物紹介「歌集―輪廻」[著者は西岡喜美子] | UN |
| 19800815 | 13 | 田代国次郎(広島女子大学) | 郷土史研究に課せられた課題 | UN |
| 19801215 | 14 | 編集部 | 森井忠良氏当選す | UN |
| 豊田清史 | 書物紹介 こころと町を育てるグループ活動―歌集「あしあと」第2集に寄せる | |||
| 宇吹やす | 木曽路往く | |||
| 19810430 | 15 | UN | ||
| 19810810 | 16 | 窪田美代子 | 異郷だより | UN |
| 1945年8月18日、父(原爆で全身大やけど)が吉浦共済会病院で死亡。 | ||||
| 宇吹やす | 伊勢路より南紀へ | |||
| 19811220 | 17 | UN | ||
| 宇吹やす | 築後より筑紫路へ 短歌 | |||
| 19820430 | 18 | 田代国次郎 | 吉浦遊郭の一断面 | UN |
| 宇吹暁 | 近況報告 | |||
| 宇吹やす | 大和・堺を巡りて 短歌 | |||
| 編集後記 | ||||
| 19820820 | 19 | 香川亀人 | 日本の庭球会を背負って活躍した俵積雄氏に関する覚書(其の一)<原田東岷に言及> | UN |
| 19821220 | 20 | 西岡喜美子 | 美しい落暉 | UN |
| 19830420 | 21 | 田代国次郎 | 広島の廃娼運動 | UN |
| 19830810 | 22 | 細田哲雄 | 平清盛による安芸音戸瀬戸開削 | UN |
| 19840525 | 23 | 香川亀人 | 離郷の御挨拶 | UN |
| 19841225 | 24 | UN | ||
| 19850625 | 25 | UN | ||
| 19860125 | 26 | 宇吹やす | 追悼歌 | UN |
| 19860625 | 27 | UN | ||
| 19870105 | 28 | UN | ||
| 19870925 | 29 | UN | ||
| 19890410 | 30 | UN | ||
| 19900120 | 31 | 宇吹ヤス | 旅の思い出 唐招提寺あたり | UN |
| 19901020 | 32 | UN | ||
| 19910810 | 33 | UN | ||
| 19920801 | 34 | UN | ||
| 19930520 | 35 | UN | ||
| 19931210 | 36 | 香川亀人先生逝去さる(10月15日、享年97歳) | UN | |
| 19940620 | 37 | 香川先生を悼む | UN | |
| 19941220 | 38 | 田代国次郎 | 香川亀人先生を偲んで―偉大なヒロシマ福祉開拓の先駆者 | UN |
| 19950620 | 39 | 小竹寿法 | 戦後2年 | UN |
| 39 | 清水公男 | 子供の頃の記憶 戦争に関連した | ||
| 39 | 末永統一 | 私と我が家の戦中戦後のことについて | ||
| 39 | 西岡喜美子 | 短歌に寄せて | ||
| 19951220 | 40 | 本会会員・森井忠良氏 厚生大臣に就任す | UN | |
| 西岡喜美子 | 祝意を表して | |||
| 19960810 | 41 | UN | ||
| 19970620 | 42 | |||
| 19980220 | 43 | 西岡喜美子 | 短歌に寄せて | U |
| 19990621 | 44 | U | ||
| 20000131 | 45 | U | ||
| 20000825 | 46 | UN | ||
| 20010301 | 47 | 宇吹やす | 蒲刈の旅 | UN |
| 20010730 | 48 | U | ||
| 20020325 | 49 | UN | ||
| 20030301 | 50 | UN | ||
| 51 | 欠? | |||
| 20061030 | 52 | 呉空襲時における吉浦地区の被害と体験記 | U | |
| 小山田純子 | その1 戦後60年 呉空襲-思い出のままに | |||
| 中田文芳 | その2 呉市史を補正す―吉浦地区の被害と体験 | |||
| 20061215 | 53 | 中留伸子 | 研修旅行記 | |
| 袋町小学校原爆資料館、広島県立文書館、広島市郷土資料館、ニホヒメ神社 | ||||
| 20080410 | 54 | N | ||
| 20090430 | 55 | N | ||
| 20100530 | 56 | N | ||
| 201105 | 57 | |||
『広島・長崎30年の証言』広島・長崎の証言の会編、未来社 (上) 19750806(下)19760430
内容
| (上) | 19750806 | |
| 序章 原爆30年目の問い | ||
| 秋月辰一郎 | ヒロシマ・ナガサキ三十年の想い | |
| 鎌田定夫 | わが内なるヒロシマ・ナガサキ | |
| 第1章 歴史の暗点から | ||
| 小堺吉光 | ヒロシマ・救われない犠牲者 -国民義勇隊員の惨禍 | |
| 秋月辰一郎 | ナガサキ・歴史の暗点 | |
| 第2章 ”核権力”と被爆者 | ||
| 栗原貞子 | 天皇と核権力と被爆者と | |
| 山田かん | 原爆とキリシタン | |
| 李奇相 | 被爆朝鮮人の受難と怒り -在日朝鮮人の証言と告発 | |
| 第3章 ビキニ水爆20年目の告発 | ||
| 広田重道 | ビキニ被災二十年目の証言 -原水禁運動の原点をみつめて | |
| 久保山さんへの手紙は訴える -原水爆への国民的怒りの原点をさぐって加納竜一 近藤弘 長岡弘芳 | ||
| 第4章 30年を生きて今-被爆者30年目の証言 | ||
| 鎌田信子 | 原爆を生きつづける証人たち -長崎原爆青年乙女の会のふたり | |
| 古浦千穂子 | 生きられなかった被爆者たち | |
| 文沢隆一 | 胎内被爆から三十年-きのこ会のこと | |
| 広瀬方人 | 被爆二世の生と死 | |
| 石田明 | 原爆裁判への情念と論理 | |
| 福田須磨子 | 〔遺稿〕 われなお生きてあり(続) | |
| 第5章 無国の谷間から -海外被爆者の告発 | ||
| 辛泳洙 | 被爆と民族の問題-日本政府・天皇・国民への苦言 | |
| 鎌田定夫 | 在韓被爆者三十年の遺恨と告発 | |
| 林福順 | 苦しみの淵から | |
| 厳粉連 | 広島から韓国へ地獄はつづく | |
| 島津邦弘 | 核に追われる難民 -ミクロネシアの被爆者たち | |
| 立ちあがる在米被爆者たち | ||
| 据石和江 | アメリカ人に原爆の悲惨を訴えて | |
| 倉本寛司 | カリフォルニア州上院小委員会 原爆被爆者公聴会における証言 | |
| 関係文献目録 | ||
| (下) | 19760430 | |
| 第6章 反原爆運動の中から | ||
| 伊東壮 | 日本被爆者運動の三十年 | |
| 草の根・被爆者運動の中で | ||
| 前座良明 | 長野における反原爆運動二十年と私--長野県原水爆被災者の会と共に | |
| 杉山秀夫 | 私の原水禁運動・被爆者運動二十年 --静岡県原水爆被害者の会と共に | |
| 伊藤普 | 福岡被団協の二十年と私 | |
| 平山良明 | おきなわ・二重苦の被爆者たち | |
| 伊東壮 | 東友会二十年のあゆみ | |
| 深川宗俊 | 朝鮮人被爆者復権のたたかい | |
| 浜崎均 | 原水禁運動とともに生きる--渡辺千恵子さんの生を支えるもの | |
| 北西允 | 原水禁運動の統一と静岡・広島 | |
| 鎌田定夫 | 歴史の証言から歴史の変革へ--「長崎の証言」運動とその周辺 | |
| 第7章 原爆体験の継承をめざして | ||
| 瀬戸口しのぶ | おさなき弱者と「見えない被爆者」 | |
| 今田斐男 | 戦争・原爆体験の伝承者として | |
| 森下弘 | 沈黙の決議 --被爆者教師としての三十年 | |
| 空辰男 | 平和教育の諸相と課題 | |
| 島田麗子 | ひろしまを考える旅 | |
| 長岡弘芳 | 原爆から原発まで --《原爆体験を伝える会》 | |
| 第8章 原爆体験の思想化 | ||
| 石田忠 | 福田須磨子さんの生と死 | |
| 文沢隆一 | 原爆資料発掘作業の試み | |
| 湯崎稔 | 原爆被災復元調査の中から--人間の復権めざして | |
| 山手茂 | 社会科学者は原爆被害問題とどうとりくんできたか | |
| 小川岩雄 | 原水禁運動とパグウォッシュ運動--その問題点と今後の課題 | |
| 山田かん | 詩の中の反原爆 | |
| 岩崎清一郎 | 文学のなかの「原爆」--記録の虚構・その変貌 | |
| 栃木利夫 | 日本近・現代とヒロシマ・ナガサキ | |
| 高橋真司 | 反原爆の思想 --広島・長崎の現代史的意義 | |
| 終章 反原爆三十年目の課題と展望--「広島・長崎の証言の会」座談会 | ||
| ヒロシマ・ナガサキ30年とは何か--広島での討論記録 | ||
| 被爆者運動30年と今後の課題--東京での討論記録 | ||
| 核権力と民衆と証言運動--長崎での討論記録 | ||
| 鎌田定夫 | あとがき | |