「04 できごと」カテゴリーアーカイブ

ドキュメント:1960年8月6日

ドキュメント:1960年8月6日<作業中

できごと 備考
広島県・市、原爆慰霊式ならびに平和記念式典を挙行。明仁皇太子・中山マサ厚生大臣・清瀬衆議院議長・各政党代表など参列。約4万人が参列。[天皇]
とうろう流し、広島市内6つの川11か所で実施。
原爆15周年記念総合体育大会、広島市内の22会場で開催。-7日。
中山マサ厚生大臣、広島市内の旅館で県動員学徒犠牲者の会・県身体障害者団体連合会など県内23団体の陳情を受ける。広島市、原爆総合医療研究所の設置を要望。
「原爆の子追悼のつどい」(第3回)、広島市平和公園の原爆の子の像の前で開催。約200人が参列。
原爆などで死亡した消防関係者の慰霊祭、広島市比治山公園内の慰霊碑まえで開催。
原爆犠牲者慰霊のミサ、広島市幟町の世界平和記念聖堂で開催。約200人が参列。
広島市古田町古江婦人会、似島沖で原爆犠牲者の海上供養を実施。
東京虎ノ門・社会事業会館で被爆15周年原爆犠牲者慰霊祭を挙行。1500人が参加。
広島市医師会原爆殉職碑(小町・平和大通公園)
嵐の中の母子像(広島平和記念公園)
英の原水爆禁止全国青年運動のメンバー、広島原爆犠牲者追悼ミサを英首相官邸前で実施。
広島県原水協、平和公園で、原水爆禁止県民大会を開催。約3000人が参加。
第6回原水爆禁止世界大会本会議(第1日)、東京・千駄ケ谷の都体育館で開催。中国代表、中国総工会などから被爆者に見舞金10万元(日本貨で約1,500万円)を贈るとのメッセージを発表。
「若い日本の会」の城山三郎・大江健三郎・開高健・桂芳久の4人、広島入り。平和式典に参加後、県教育会館で開催されたシンポジウムに出席。
広島県三次市三次小学校の生徒約30人、広島市平和公園の「原爆の子の像」建立の契機になった佐々木禎子の墓(三次町の専法寺)に千羽鶴を捧げる。
明仁皇太子、広島原爆病院を見舞い、ABCCを訪問。[天皇]
明仁皇太子、似島学園を慰問。原爆慰霊碑の近くに楠の記念植樹[孤児][天皇]

 

 

 

 

ドキュメント:1955年8月6日

ドキュメント:1955年8月6日<作業中

できごと 備考
神戸市在住の被爆者(52才)、自殺。原爆で父を失った少年(19才)も、自殺。長田新、原因として政治の貧困と市民による救援活動の欠落を指摘。
広島市社会課、供養塔に眠る無縁仏のうち2200柱の名簿を同塔前で公開。50名が遺骨と対面。
久保山すず、吉川清を見舞う。
広島市、原爆孤児ら約2000人を招いて、戦災児童と戦災母子世帯慰安の夕を開催。
アームストロング米国平和協会幹事(世界大会米国代表)、原爆患者治療費100万ドル募金運動を計画。
元米国下院議員、来広し、米で原爆被災者救援のため百万ドル募金を起こす考えを表明。
広島市原対協、平和公園で、被爆者に無料の治療を呼びかけ。(毎日新聞)
広島市、原爆死没者慰霊祭・平和記念式典を開催(約3万人参列)。原爆10周年を記念して、被爆当時、防火・避難復旧作業などに活躍した人々を表彰。
ひろしま川まつり委員会、午後8時から本川など7つの川でとうろう流し。
アームストロング前米下院議員から広島市民への平和のチャイム贈呈式、平和式典終了後、慰霊碑前で開催。
移動劇団「さくら隊」原爆殉難碑、広島市(中町・平和大通公園)に建立され除幕式。
元広島師団司令部関係原爆死亡者の慰霊祭・供養塔除幕式、広島市基町で(100人余参列)。(毎日新聞)
原爆死没者供養祭(戦災供養会主催)、広島市広島平和記念公園の新原爆供養塔で開催。約2000名が参加。
広島県庄原市の「原爆犠牲者軍人慰霊碑」前で追善法要。(毎日新聞)
電電公社職員の原爆職員慰霊碑除幕式、広島市基町で(約350人参列)。(毎日新聞)
日蓮宗、広島市の原爆慰霊碑前で世界立正平和運動平和大会を開催。信者約1000名が参加。増田日達管長、小型機で空から原爆犠牲者の冥福を祈る。
西本願寺広島別院、24隻の船を連ねて水上法要。
柴田重暉広島市議会議長(被爆当時、市助役)、体験記「原爆の実相」を出版。
広島高等学校第19回文科同窓会、原爆死した江村美智也遺稿抄「ふるさと」出版記念会を開催。
広島物療専門学校、市内医師会館で放射能とその影響についての講演会を開催。講師:佐久間広島大学教授、重藤広島赤十字病院長。
米ABC放送、「広島の声」を放送。
原爆被災者大竹同志会結成式、大竹市で開催(約600人参加)。大竹市からは被爆当時、義勇隊が出動、うち約400人が被爆死。
京都府在住の被爆者3名(藤田登良雄・高木幸太郎(公三)・福井満夫)、第1回原水爆禁止福知山大会で出会い、被災者の回結成発起人となる。(「京友会のあゆみ」910333)
甲奴・神石連合原爆被害者の会(会長井手口茂美)会員(135名)、労組・青年会などによる無料バスで、原水爆禁止大会に出席(毎日新聞備後版)。
高橋昭博(広島)、原水爆禁止世界大会本会議に被爆者代表として参加。
山口みさ子(長崎原爆乙女の会会長)、原水爆禁止世界大会本会議に被爆者代表として参加。
久保山すず、原水爆禁止世界大会本会議に水爆実験被害者代表として参加。
吉川清、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
峠和子、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
滝谷、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
寺岡、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
ビルマのラングーンで広島10周年集会。
原水爆禁止世界大会、広島市で開催(8日まで、正式参加約5000人、傍聴者を含めると2万人余)。2日目の分散会場で、原爆障害者による体験報告。3日目、本会議場で原爆被害者救援カンパを実施、被害者救済を盛り込んだ大会宣言を採択。
原水爆禁止世界大会準備会、広島市の平和広場で「歓迎と祈りの国民大会」を開催。約3万人が参加。
広島市公会堂で平和合唱交歓会。
広島市内泉邸ホテルで8・6大会参加の文学者を囲む座談会。中野好夫・中野重治・山代巴・永瀬清子ら90余名が参加。
世界連邦建設琉球同盟、原水爆禁止を要求する平和大会を開催。
法務省、共済圏からの世界大会大会代表のうち北朝鮮系を除き、入国を許可。
北海道美唄市で平和市民大会。1000名が参加。「8月6日を原水爆抗議の日として年中行事とする」ことなどを決める。
会場内に入れなかった世界大会代表約500名、広島市本川小学校で開催された原爆被害者50名との懇談会に出席。
世界連邦母の会広島支部、結成式を広島女学院中学校講堂で開催。柳原白蓮同本部理事らが参列。
原水爆禁止世界大会「学生の集い」、修道高校で被爆者との懇談会を開催。全国70の大学・高校から約500人が参加。
伊藤豊(被爆当時広島銀行副頭取)など9人、「原爆想い出の会」を東京で開催。
長崎市教組・県高教組、平和教育研究集会を国際文化会館で開催(~9日)。九州各県から約700人が参加。清水幾太郎が講演。(長崎日々)
広島平和記念資料館、完工し、原爆資料展示会を開催。

 

 

 

ドキュメント:1950年8月6日

ドキュメント:1950年8月6日<作業中

事項 備考
広島戦災供養会、中島本町の供養塔前と似島で供養会を挙行。
浜井広島市長、米国ロサンゼルス市で戦災5周年にあたりコメントを発表。「この戦災によって一挙に21万8000人を失った」。
観音学区母子愛育会、上野妙大師堂で原爆犠牲者合同慰霊祭を挙行。

丸木位里・赤松俊子(絵・文)平和を守る会(編)「ピカドン」(ポツダム書店)発刊.
武村好郎編「平和歌集」(広島原爆記念会)発刊.
「反戦詩歌集第二集」発刊.
「われらの詩第八集」発刊.
広島市民生局社会教育課編「原爆体験記」(広島平和協会)発刊.
真樹社、原爆被災者追悼歌会を開催。
ユネスコ運動研究懇談会、仁科芳雄・安倍能成・尾高東大教授らを囲んで広島文理大附属小学校で開催。
広島市警、祖国防衛広島県委員会や日本青年祖国戦線名の「不穏」ビラを福屋百貨店屋上や映画館内で撒いた疑いで4人を逮捕。
双三地区署、三次地区平和を守る会名のデモについて、日共県北地区委員長など10名を公安条例違反で逮捕。
福山市で開催予定の備南地区青年祖国戦線結成大会、市警の勧告で中止。
広島・福山・三次で非合法の平和集会.
広島では午前11時30分,八丁堀「福屋」前で平和大会,約500名.午後0時30分広島駅前で平和大会,約300名,猿猴橋までかけ足デモ.「福屋」屋上や市内映画館などで平和の闘いを訴えたビラ2万枚配布.
三次では数班に分かれ「原子兵器の禁止」などのプラカードを先頭に平和署名を集め,午後は300名が三次で結集大会を決行,のち三次・十日市間をデモ行進.10名検束される.
福山,60名参加.青年祖国戦線結成大会を成功させる.
広島平和擁護委員会,平和宣言「平和を愛する全世界の人民へ」を発表.
-7日。平和を守る会、平和擁護日本委員会に改組決定。

 

被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ(19750804) 

被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ (19750804)

出典:『核廃絶か破滅か-被爆30年広島国際フォーラムの記録』(時事通信社、19760520)

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被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ

被爆三〇年広島国際フォーラムは、飯島宗一(広島大学学長)、江口朴郎(東京大学名誉教授)、小野周(東京大学教授)、具島兼三郎(長崎大学学長)、上代たの (元日本女子大学学長)、関関治(東京大学教授)、藤井日達(日本山妙法寺山主)、三宅泰雄(日本学術会議会員)の八氏がよびかけ、吉野源三郎(評論家)を代表とする準備委員会によって組織され、一九七五年八月三、四日広島において開催された。

フォーラムは、核抑止の理論が核軍縮への道をきりひらくものではなく、核開発・核軍拡のとどまるところを知らない悪循環をもたらしていること、また、核保有国による核軍備の管理とその下での核の傘が諸国人民の安全を直ちに保障するものでないことを認識し、こんにちまでの核軍縮をめぐる政府間交渉の限界と問題点を諸国人民の意思によってどのように突破すべきかを、被爆三〇年にあたって明らかにすることを目的に、つぎの四項目を討議の主題に設定した。

一、被爆三〇年、核軍拡と核拡散の現状について - それは、いかなる危険と被害を現在と未来の人類にもたらしつつあるか。

二、軍縮、安全保障、エネルギー問題に関する政府間交渉に含まれている問題点は何か。

三、核兵器の完全禁止と廃絶に向かって、私たちはいかなる展望をもつことができるか。

四、私たちはいま何をなすべきか、何をすることができるか、広島から何を訴えるべきか。

上記の趣意は多くの賛同を得、フォーラムには海外二二カ国(オーストラリア、カナダ、チリ、キューバ、フィジー、東ドイツ、グァム、インド、アイルランド、イタリア、ミクロネシア、ニュージーランド、PLO、フィリピン、ポーランド、ルーマニア、スリランカ、スウェーデン、イギリス、アメリカ、北ベトナム、南べトナム)から六六名と、日本国内各界から一二八名、計一九四名が参加した。このフォーラムの全経費は、フォーラム参加者の登録料と、フォーラムを支持した広範な個人、団体(四七六名、二〇団体) の醸金によってまかなわれた。

フォーラムでは、広島・長崎への原爆投下以後三〇年間にわたる原水爆禁止運動、とりわけビキニ事件以降の日本における国民的規模での運動の発展が、広島・長崎の被爆の実相とその後遺、被爆者の現状と問題点とともに報告された。

三〇年経過したこんにち、一方では、ベトナム人民を先頭とするインドシナ諸国人民の崇高な闘争が勝利し、それに勇気づけられて第三世界で民族解放闘争がもりあがり、それらへの支持・連帯を示す世論がアメリカを含め各国でたかまっているが、他方では、平和と軍縮に反対する勢力は、歴史から正しい教訓をくみとることなく、産軍複合体をますます強化してきており、核戦争の危機はかえつて増大してきている面もあるといえよう。そして、いまや世界的に拡大しつつある原子力発電も、核兵器の完全禁止を実現しない限りきわめて危険な面をもち、放射能被害の面からも各国民にとつて脅威となっている。

こうした情勢評価をふまえて、フォーラムにおいては、いかにして核兵器の廃絶を実現するかという問題について、多くの提言がおこなわれた。

全面軍縮をめざす世界軍縮会議を開催させることが重要であり、それに国連のNGO (非政府組織) の意見を正しく反映させていかねばならないこと、太平洋非核武装地帯の設置、海洋法のなかで原子力潜水艦の航行を禁止すること、などが提起されるとともに、こんにちのように膨大な核が貯蔵・配備され、核の拡散がすすんでいる状況のもとでは、核兵器の完全禁止こそがもっとも緊急であり、かつ現実的な措置であることが指摘された。軍備管理ではなく真の軍縮へ向かって発想を転換すべきことが、討論全体の基調をなしており、とりわけ国際的レベルで核兵器禁止の条約を実現することの重要性が強調された。

討論のなかでは、人間性の追求を含め心の問題をあらためて深くふりかえり、考え方の根本的転換が求められていることが確認された。科学者・知識人は、こんにちの科学技術革命の時代についての正しい認識にたって、戦争を目的とする科学には従わないという決意を新たにするとともに、自然科学者、教育者、宗教者が相互に連帯し、国際連帯を強化しつつ、核抑止の信仰を打破するための具体的な研究をすすめ、その知識を広く大衆に伝えることによって運動の発展に寄与すべきことが確認された。

広島・長崎の事実を広く世界に知らせるとともに、運動の縦承発展のためにも平和教育を重視し、核兵器をもつことがみずからの利益にならない大衆の間における核廃絶の意識をさらに強め、大衆とともにたたかうことによって核兵器完全禁止の展望がひらけることが確認された。

このフォーラムは、当初、文書の採択を予定していなかったが、例外として、ショーン・マクプライド氏によつて提案され、満場の共感を得た、核兵器不使用国際協定締結に関する次の特別決議を採択した。

特別決議
被爆三〇年広島国際フォーラムは、軍拡、とりわけ核軍拡のかつてない重大なエスカレーションについて審議した結果、国際連合に対して緊急の問題として次のような国際法規を採択するよう要請する。
--どのような状況のもとで、どのような核兵器を使用しようとも、これを国際法と人道に対する犯罪とすること。
この決議は、マクプライド氏を通じてただちに国連事務総長に手渡すとともに (マクプライド氏からのその後の連絡によるとこの決議はすでに国連NGO加盟の全組織に配布されたとのことである)、フォーラムの全参加者がそれぞれの国の政府にはたらきかけ、この決議を国連の場にもちこませるよう努力すること、また、それぞれの組織を通じてもこの決議の実現のため広くよびかけとはたらきかけをおこなうことを申し合わせた。

一九七五年八月四日

本コミュニケは、国際フォーラムで採択された最終議長のまとめにもとづき、よびかけ人と準備委員会の責任で成文化されたものである。

2021年6月(日録)

2021年6月(日録)

 事項
 01  ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る」。
 03  ヒロシマ遺文への投稿=「れんがと広島 広島市郷土資料館調査報告書第16集」
04 ヒロシマ遺文への投稿=「2021年6月(日録)」
05 ヒロシマ遺文への投稿=「福山市原爆死没者慰霊碑建立記念誌 原爆被爆体験記」
06 ヒロシマ遺文への投稿=「被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ」、「原爆慰霊碑巡礼の案内」
07 ヒロシマ遺文への投稿=「歩兵第11連隊略歴」
08 ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメント:1950年8月6日」
09 ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメント:1955年8月6日」、「ドキュメント:1960年8月6日」、「ドキュメント:1965年8月6日」、「ドキュメント:1970年8月6日」、「ドキュメント:1975年8月6日」、「ドキュメント:1980年8月6日」、「ドキュメント:1985年8月6日」、「ドキュメント:1990年8月6日」、「ドキュメント:1995年8月6日」、
10 K・H・T(広島原爆資料館)、来宅。
10 ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメント:2019年8月6日」、「ドキュメント:2020年8月6日」、「ドキュメント:2021年8月6日」
11 ヒロシマ遺文への投稿=「広島文理科大学・広島高等学校 原爆死没者遺骨埋葬の地の碑」
12 新聞記事(2020年8月・9月分)の切り抜き作業。
12 ヒロシマ遺文への投稿=「段原町原爆慰霊碑」
13 新聞記事(2020年9月分)の切り抜き作業。
13 ヒロシマ遺文への投稿=「広島県宗教連盟」。
14  ヒロシマ遺文への投稿=「動員学徒慰霊塔」。
 15  ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止五日市市協議会原爆死没者慰霊碑」、「原爆展<新日本婦人の会呉支部>」。
 16  ヒロシマ遺文への投稿=「被爆建物壁面部材の展示会」、「ヒロシマ・ナガサキ被爆の実相等に関するポスター展」、「ニック・ユソフ墓」。
 17  ヒロシマ遺文への投稿=「鎮魂之碑」。
 18  昭和図書館へ。『平家物語(四)』返却、再借り出し手続き。
 18  ヒロシマ遺文への投稿=「広島県職員原爆犠牲者慰霊碑」、「広島県地方木材株式会社慰霊碑」。
 19  ヒロシマ遺文への投稿=「第29回オマール氏法要」。
 20  ヒロシマ遺文への投稿=「祈りの像」
21  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:被爆樹木」
22  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:沖縄・広島」
 23  沖縄「慰霊の日」
23  ヒロシマ遺文への投稿=「戦争と平和の理論」。投稿「年表:沖縄・広島」の校訂作業。
 25  中国新聞社『ヒロシマの空白 被爆75年』(20210623)レターパックで届く。
25  ヒロシマ遺文への投稿=「8・6世界大会準備ニュース(原水爆禁止世界大会日本準備会)」、「原水爆禁止世界大会広島準備会」
 26  ヒロシマ遺文への投稿=「広島女子高等師範付属山中高等女学校慰霊祭」
 27  ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止日本協議会代表委員(1955年11月現在)」、「独立運動と民主化闘争に学ぶ 韓国・歴史と平和の旅」、「【論!2010】「被爆者」にこだわるべき 宇吹暁さん」、
28  「76年前の呉空襲 検事報告書複写 息子の富村さん保管」『中国新聞(湯浅梨奈記者)』
 28  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆被爆者援護事業概要目次(広島県健康福祉局被爆者支援課、202007)」、
29 ヒロシマ遺文への投稿=「内閣総理大臣(安倍晋三)挨拶 20200806」
30  ヒロシマ遺文への投稿=「特別論文編22原爆と広島大学(構想)」

 

 

 

 

0308年表:国際婦人デー(国際女性デー)

年表:国際婦人デー(国際女性デー)

 年 月日 行事内容 備考(主催者・場所など)
1948 国際婦人デー広島大会 会場:中国配電ビル講堂。広島大会としては初。
 1950  民婦協広島支部が「戦争反対、原子力を平和産業へ」のスローガンを掲げて立ち上った(『平和戦線』19500609)
 1951  0308  広島婦人民主クラブ主催国際婦人デー記念集会 「 広島市国際ビル二階で、“ふきのとう”の著者山代巴さん、広島県労書記長松江氏を迎えて開催され、約七十数名が参加」(『民族の星』第29号19510316)
 2018  0311 2018国際女性デーひろしま実行委員会主催講演会 講師:藤森俊希(日本被団協事務局次長)。広島市男女共同参画推進センターで開催。参加者約150人。
2019
2020
2021