埼玉原爆被害者協議会(しらさぎ会)
11 埼玉
埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)(19770720、19870510、19950601、19970620)
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
埼玉原爆被害者協議会(しらさぎ会)
11 埼玉
埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)(19770720、19870510、19950601、19970620)
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| 年月日 | 事項[人名略] |
| 1960.06 | 札幌を中心に道内各地に在住する被爆者による北海道被爆者の会と、十勝地方に結成されていた北海道被団協の両団体は、日本被団協東北・北海道担当の斉藤義雄理事出席のブロック会議で、発展的に解消し、北海道原爆被害者団体協議会に統一された団体として設立された。組織は道内10支部とし各支部一名の理事を選出。道役員は次の通り決定された。 |
| 1960.11 | 日本被団協規約改正に伴い、日本被団協関係役員は次の通りに変更。 |
| 1961.02 | 札幌で被爆者を励ます懇談会が開催された。 |
| 1961.07 | 道被団協総会が札幌労農会館で行われた。 |
| 1962.04 | 札幌被団協が結成され、会長に***が選出された。昭和四十六年には、札幌の会会長・***、北見の会会長・***、帯広の会会長・***、釧路の会会長・***等が地方において被爆者の交流や、諸運動に精力的に活動した。またこの年初めて共同募金会より18万円の見舞金を受けとった。 |
| 1967. | 昭和42年度総会で、会長に***が選出された。 |
| 1971.08.06 | 原爆死没者北海道追悼会が新善光寺で開催された。以後毎年開催されて今日に至っている。同年10月道による特別健康診断が開始された。開催地は、函館、室蘭、小樽、帯広、釧路、北見、旭川、札幌(3日間)、千歳であり、今日まで引き続き開催されている。またこの年には、函館の会の議会要請が通り、函館市内の電車・バス料金が無料となる。 |
| 1974.09 | 道被団協は、勤医協札幌病院に対し被爆者の特別検診について要請を行い協力を得る。10月には札幌被団協主催の被爆者の楽しみ会を太美温泉で開催、38名の参加で種々の懇談に花が咲く。苫小牧被爆者の会が***を会長に再建された。 |
| 1975.08 | 被爆30年原爆死没者北海道追悼慰霊祭の訴えを道記者クラブで行う。6日の追悼会には被爆者70名、宗平協、劇団さっぽろ、道原水協、新日本婦人の会等々150名が参加、盛大に挙行された。道被団協事務所、札幌市中央区南一六条西五丁目に移転する。 |
| 1976.05 | 道衛生部、被団協、医療機関による三者懇談会が開かれ、被爆者の医療について意見が交換された。同年6月、ノーモア・ヒバクシャ会館建設についての意見が出される。 |
| 1978.02 | NGOシンポの成功にむけ、道内網の目行脚が開始された。 |
| 1979.09 | 日本被団協中央相談所主催の北海道講習会が札幌で開催された。また12月には被爆問題シンポジウムが札幌市で開催された。この年の被爆者数は全道で538名と確認された。 |
| 1980. | 新聞「被団協」が道被団協から発送されることになった。原爆被爆者援護法制定要求の全国行脚が開始された。北海道では、4月14日札幌出発式以後、全道各地を5月16日の根室まで行われた。また、7月には被爆者会館建設実行委員会が結成された。昭和55年度総会で、会長に***が選出された。 |
| 1981.08 | 原爆死没者北海道追悼会実行委員会のメンバーにより、大通り公園を中心に街頭啓宣行動が行われた。 |
| 1984.05 | 北大学生生協主催の「被爆体験を聞く会」が定山渓で開催された。 |
| 1985.03 | 被爆者の諸要求貫徹の全国行脚が開始された。また7月には青法協道支部との被爆者懇談会が開催された。道被団協事務所、現在の白石区南郷通り一丁目に移転。本年度の総会で、会長に***が選出された。 |
| 1986.01 | 日本被団協による被爆者調査が、北海道推進委員会(被団協・民医連・原水協)によって開始され目標の100を突破164名を達成、また10月、札幌大学で「被爆体験を聞く会」が開催された。同年、被爆者会館建設並びに被団協の発展を期して社団法人化の検討が、道理事会を中心に行われ、また、会館建設委員会と法人化準備会がもたれて進められる。 |
| 1987.01.04 | 法人化のための定款、事業計画等の最終審議のため理事会を開催して案の決定をみ、18日北海道原爆被害者団体協議会の総会を開き、理事会原案通り可決し、知事に対して、社団法人北海道被団協の設立許可願いを提出する。 |
| 1987.03 | 知事より社団法人北海道被団協の設立許可がおり、早速登記手続きし、4月1日より社団法人北海道被団協としてのスタートを切った。 |
| 書名コード | 書名 | 編著者 |
| 66072001 | ヒロシマの証人-たたかう被爆者-北海道被爆者の手記(第1集) | 笹田実(編)[札幌宗教者平和協議会・北海道キリスト者平和の会]、琴似被爆者の会(発行) |
| 81112501 | 語りつぐ戦争体験 | 北海道教職員組合(編)・楡書房(発行) |
| 82042101 | 北の被爆者・原爆被爆体験集-原爆は人類にとって何であつたか | 被爆体験を語りつぐ会(編)[北海道北見市] |
| 82133301 | にんげんをかえせ-戦争と原爆を裁く「北海道法廷」の記録 | 戦争と原爆を裁く「北海道法廷」実行委員会(編) |
| 85113002 | 北の被爆者-被爆四〇年に憶う | 坂野井富貴子(等7名著)・北海道平和委員会(編) |
| 86081505 | 未来へ羽ばたく人びとに-北海道戦争体験者の手記 | 北海道連合遺族会 |
| 88043301 | 被爆者の証言-核戦争を阻止し、核兵器をなくすために | 北海道被団協 |
| 8906?? | 人間が人間でなくなる-ヒロシマ被爆記録 | 今喜代吉[北海道・奈井江町] |
| 96022501 | 続・被爆者の証言 | 北海道被爆者協会編 |
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栃木県原爆被害者協議会(栃木被団協)
資料年表:栃木県原爆被害者協議会
| 年月日 | 事項 | メモ |
| 1958 | ||
| 02 | 原爆被害者同志会設立準備会 | |
| 1991 | ||
| 08 | 栃木県原爆原爆死没者慰霊の碑除幕式典。場所:栃木県立運動公園内) | |
| 1992 | ||
| 1015 | 『一しずくの水-栃木観被爆者体験記』 | |
| 1995 | ||
| 0806 | 『新編・一しずくの水-栃木観被爆者体験記』 | |
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茨城県原爆被爆者協議会
資料年表:茨城県原爆被爆者協議会(茨被協)
| 年月日 | 事項 | メモ |
| 1956 | ||
| 08 第二回原爆世界大会に出席、資料中、昭和廿五年の調査として、県人被爆者401名が計上されていることを知る。
09 県議会に於て久保県議より県内居住被爆者の実態について質問あり、衛生部は保健予防課が担当して実態調査を企画する。 0920 ABCCに対し昭和25年国勢調査付帯事項から本県内居住被爆者の名簿移送方を依頼す。 <1023> 茨城県社会福祉協議会、原爆障害者救援資金(1万1千円余)を広島市に寄付。(毎日新聞) 1208 ABCCから名簿の移送を受け第一回名簿を作成す。 <出典>第三回原水爆禁止世界大会茨城県代表団『茨城県内居住の被爆者について』
|
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| 1957 | ||
| 0107 右名簿より県内居住被爆者が380名に達していることが判明し、これ等被爆者に対する健康診断費用の免除を考慮、昭和二十三年条例第三十三号第十条の規定を適用する旨各保健所長に通知する。
0108 保健所長会議において被爆者に対し1月末か2月末までに訪問調査すると共に健康診断を指示す。 0124 保健所保健婦主任会議において調査要領の説明。 0129 各保健所長に対し、被爆者の健康診断の細部説明を通知す。 0220 名簿に登録されていない被爆者も申出により同様の調査をする様に指示する。 <出典>第三回原水爆禁止世界大会茨城県代表団『茨城県内居住の被爆者について』 |
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| 1975 | ||
| 02 | 保健所での定期検診を通じ結ばれた「友人の会」の呼びかけで結成。 | |
| 1985 | ||
| 0920 | 『被爆体験記集 第1集』 | |
| 1990 | ||
| 0118 | 『被爆体験記集 第2集』 | |
| 1995 | ||
| 0801 | 『遺すことば 原爆被爆体験記 第3集』 | |
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『伝えつづける被爆者の願い 東友会65年のあゆみ』(東友会編・刊、2023/11/16)
内容
| 頁 | |||
| 003 | 発刊にあたって 家島昌志 | ||
| 009 | 広報活動から見た東友会のあゆみ―機関紙「東友」を中心に― | ||
| 課題ごとに見る「東友」の報道 | |||
| 243 | 国家補償・国の償い | ||
| 298 | 原水爆禁止・核兵器廃絶 | ||
| 325 | 相談事業(医療・介護・制度活用など) | ||
| 353 | 追悼事業(慰霊碑・追悼のつどい・墓参団など) | ||
| 373 | 実相普及(証言・原爆展・海外遊説など) | ||
| 「東友」以外の発行物・発信物 | |||
| 393 | 書籍・冊子など | ||
| 406 | ウェブサイト | ||
| 411 | 被爆者運動関連年表 | ||
| 454 | 編集後記 | ||
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反核燃の日全国集会
出典: 青森県史デジタルアーカイブス
検索条件:被爆者
| 第04章 巨大開発と原子力の時代 第2節 むつ小川原巨大開発 3 核燃料サイクル施設の建設 資料番号12 反核燃の日全国集会 ページ 236~238 |
|
| 反核燃の日全国集会
人類とは共存できぬ/六ケ所で反核燃の日全国集会 核燃基地を〝人間の鎖〟で包囲 |
|
| (資料年月日)1989年4月10日 (出典)『デーリー東北』デーリー東北新聞社所蔵 | |
| (解説) 原子力発電とは、燃料となるウランの核分裂による熱で水蒸気を発生させ、蒸気タービンや発電機を回して発電することである。この使用済み核燃料を再処理し、核分裂で生成したプルトニウムと核分裂しなかったウランを回収して、高速増殖炉などで核燃料として再利用することを核燃料サイクルといい、再処理をおこなう施設を核燃料サイクル施設という。日本はウラン資源を海外に依存しており、核燃料サイクルができればウランエネルギーの自給率が高まることから、政府や電気事業連合会(電事連)はこの計画を推進している。 1980(昭和55)年、再処理工場を経営する日本原燃サービス会社が設立され、施設建設の適地に受け入れがいくつかの地域に要請された。しかし、ウランの核分裂でできるプルトニウムは、半減期が2万4000年以上と長く、放射性廃棄物の処理に危険性が高いということで、要請された地域はいずれも拒否する。そこで六ヶ所村に受け入れ要請がくることになった。六ヶ所村には、むつ小川原開発における広大な買収用地と核燃料荷揚げ用の港があった。さらに60年代にむつ市大湊が原子力船むつの母港だったことで、国は下北半島を原子力基地と位置づけようと考えていた。 一方、開発を進めたい青森県は、むつ小川原石油備蓄会社に続く進出企業が決まらないことから、開発区域内への核燃料サイクル施設立地を構想し、電事連に受け入れの意向を伝えていた。こうして85年4月18日、青森県、六ヶ所村、事業主の日本原燃サービス株式会社、日本原燃産業株式会社、電事連の5者が立地基本協定(資料121)に調印し、核燃料サイクル施設が建設されることになった。資料122は、協定の調印を報じた新聞記事である。 その後、建設される核燃料施設は次の5施設となった。 ①再処理工場 ②ウラン濃縮工場 ③高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター ④低レベル放射性廃棄物埋設センター ⑤MOX燃料工場 六ヶ所村において、核燃料施設建設反対運動は、寺下元村長らの「六ヶ所を守る会」・泊地区の「核燃から漁場を守る会」・女性がつくる「核燃から子供を守る母親の会」が中心となった。そして85年と86年の海域調査問題で高まりを見せたが、一方で建設推進派もおり、両派は対立していた。そうしたなか、86年4月26日、ソビエト連邦チェルノブイリで原子力発電所の爆発事故が勃発し、深刻な放射能汚染が起こった。この事故は世界中に衝撃を与え、各国エネルギー政策の転換や地球環境問題への関心を高めることになった。青森県においても弘前市の主婦グループが「放射能から子どもを守る母親の会」を結成、八戸市の市民グループ「死の灰を拒否する会」は、「核燃サイクル阻止一万人訴訟原告団」を結成するなど、88年になると反対運動は全県的に広がっていった。翌89年4月9日、六ヶ所村での集会には、県内外から約1万人が参加する大規模なものとなり、反対運動はピークを迎えることになった(前掲『巨大地域開発の構想と帰結』)。ここでは反核燃の日の全国集会を報じた新聞記事を資料123に掲載した。 反対運動にもかかわらず、核燃料施設は建設され、ウラン濃縮工場、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、低レベル放射性廃棄物埋設センターはまもなく操業を始め、再処理工場は建設後稼働が試みられている。 2011(平成23)年3月11日の東日本大震災の後、福島第1原子力発電所が爆発し、放射能汚染事故が発生した。その後、全国の原子力発電所や原子力関連施設は停止となり、再稼働は点検終了後に判断されることになった。 |
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| 使用条件:改変可能・営利目的可能です。 | |
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「三沢大集会に万余の人々結集」
出典: 青森県史デジタルアーカイブス
検索条件:被爆者
| 第02章 日米安保体制下の青森県 第3節 「同盟」の深化と自衛隊 1 基地と装備の拡充 資料番号62 三沢大集会に万余の人々結集 ページ 105~107 |
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| 核兵器廃絶、F16くるな!! 三沢大集会に万余の人々結集/日米両政府に抗議文核攻撃機F16の三沢米軍基地配備に反対する大集会は五月二十六日正午から三沢市中央公園で、北は北海道から南は沖縄県、二十六都道府県から一万人を超す参加者によって開かれました。 大集会の中央舞台には大きく、核戦争阻止、核兵器全面禁止、日米安保条約廃棄、F16核攻撃機配備反対、三沢基地撤去、5・26三沢大集会とくっきり書かれ、文化行事にはじまり、きたがわてつ、のオープニング演奏、各県のうたごえ集団の賛助出演で集会は開始されました。 大集会の主催団体は、原水爆禁止日本協議会、日本平和委員会、基地対策全国連絡会議、安保破棄諸要求貫徹中央実行委員会と東北六県のF16・トマホークくるな連絡センター。四月二日三沢基地にF16が三機配備されてから初の全国的な規模の反対集会です。F16配備で最前線基地に 文化行事のあと、青森県原水爆禁止協議会大塚英五郎理事長が主催者を代表してあいさつに立ち「F16配備で三沢米軍の部隊名は第四三一戦術戦闘航空団という。これが彼等の名前、いかにも対ソ核戦争の最前線部隊であることが、名称によっても表われているではありませんか。 津軽海峡封鎖作戦演習もふくめ日米合同軍事演習はヒンパンに行われており、もし米ソ戦となれば中曽根の言う日本は、不沈空母になることを如実に物語っています。 我々は人類絶滅の核爆弾廃絶のため、F16反対運動を続けると同時に、広島、長崎からのアピールを支持する署名を国民の過半数から集めることに全力をあげながら今年の原水爆禁止世界大会を成功させましよう」と力強く述べましした〔ママ〕。 立木参議員〔立木参院議員〕のあいさつ 千歳・沖縄各代表が決意表明 政府への抗議文 抗議書 レーガン米大統領へ抗議文 |
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| (資料年月日)1985年5月30日 (出典)『北奥民報 第184号』三沢市立図書館所蔵 | |
| (解説) 資料51は1962(昭和37)年3月刊行の『米軍三沢基地の実態』に掲載された米軍三沢基地の現状報告である。同年2月にはアメリカ大統領ケネディがベトナム戦争を拡大し、戦略村と称する農耕集落を建設して農民を戦略村に移住させ、戦略村に移住しない農民は南ベトナム解放民族戦線のゲリラと見なして攻撃する作戦を開始した。B52戦略爆撃機の三沢飛来が確認され、三沢基地がベトナム戦争に組み入れられていることが強調されている。三沢基地はソ連と対峙するばかりでなく、アジア全体の米軍戦略上の拠点となっていた。 資料52は1970年の日米安全保障条約の改定を翌年に控えた1969年6月に刊行された『青森県下の軍事基地』のうち天ヶ森射爆場と基地関連労働の部分を収録したものである。天ヶ森射爆場は旧海軍航空隊の射爆場を1949年に米軍が接収したもので、天ヶ森の740万平方メートルが演習場で、海側は46.6平方キロメートルが漁業制限区域となっている。 また、基地で働く労働者3000人のほか、国鉄・日本電信電話公社など基地に附帯する事業で働く労働者の概要を知ることができる。労組の反戦・基地撤去の方針と基地撤去が自らの生活手段を奪うことの矛盾の中に生きる基地労働者について言及している。 防衛施設庁による在日米軍基地の実態調査が資料53である。調査は1970年3月から5月上旬までで、当然沖縄の基地は含まれていない(沖縄返還は1972年)。青森県の施設数は7か所で、神奈川・東京・福岡・長崎に次いで、北海道と同数の5位である。 |
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| 使用条件:改変可能・営利目的可能です。 | |
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京都大学原水禁研ビラ「被爆朝鮮人問題を自己の課題に!」
| 〔1975年8月〕 |
| 被爆朝鮮人問題を自己の課題に! |
| 孫振斗手帳裁判勝利!県=厚生省の最高裁上告徹底糾弾! |
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在韓被爆者問題市民会議
設立総会
日時:1988年5月20日
会場:日本YMCA(東京)
講演
小川正亮「被爆者援護の法理」

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年表:在韓被爆者渡日治療広島委員会<作業中>
| 年月日 | できごと | 備考 |
| 1984 | ||
| 0802 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会、発足。 | |
| 1985 | ||
| 0228 | ||
| 1986 | ||
| 0412 | ||
| 1988 | ||
| 0702 | ||
| 1990 | ||
| 0714 | ||
| 1006 | ||
| 1991 | ||
| 0804 | ||
| 1995 | ||
| 0527 | ||
| 2003 | ||
| 0510 | ||
| 2007 | ||
| 1025 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会、谷本清平和賞(第19回)に選ばれる。11月25日授賞式。 | |
| 2008 | ||
| 0626 | 中国新聞「在外被爆者への未払い手当 支給開始 1年」(森田裕美・記者) | |
| 2009 | ||
| 0531 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会(河村譲会長)総会 | |
| 0718 | 中国新聞「 在韓被爆者健康管理手当 民間記録で支給方針 広島市」(東海右衛門直柄・記者) | |
| 1107 | 中国新聞「 在韓被爆者 まず6人に健康手当 広島市、月末に支給方針」(東海右衛門直柄・記者) | |
| 2010 | ||
| 0401 | 在外被爆者の原爆症認定訴訟の来日要件、この日に撤廃 | |
| 0522 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会(河村譲会長)総会 | |
| 0812 | 中国新聞「『生きて』詩人 御庄博実さん〈13〉韓国人被爆者」(伊藤一旦・記者) | |
| 2015 | ||
| 0328 | 中国新聞「渡日治療広島委を表彰 韓国政府 在韓被爆者を支援」(田中美千子) | |
| 2016 | ||
| 0513 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会河村譲会長ら4人、広島市役所で記者会見。活動終了すると発表。(中国新聞 20160513) | |
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在韓被爆者渡日治療広島委員会 発足:1984年8月2日
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日韓被爆者交流会<作成中>
日韓被爆者交流会報告集「海峡を越えて」
| 訪韓 報告集 Ⅰ | ||
| 「在韓」被爆者の訴えを聞いて 1989・5/1990・5 | ||
| 発行 ヒロシマを語る会(代表:吉田博直)、 アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む会(吉野誠) 発行日 1999年10月20日 |
||
| 訪韓報告書2 | ||
| 『在韓被爆者』は今 何を求めているのか 1993年8月 1994年8月 1995年8月 1996年 |
||
| 発行 日韓被爆者交流会とそれを支援する会 (代表:宮川裕行) 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部 (支部長:豊永恵三郎) 発行日 1999年10月20日 |
||
| 訪韓報告書3 | ||
| 『在韓被爆者』にはもう時間がない | ||
| 第2回在韓被爆者との交流を深める旅(通算13回目) | ||
| 発行 在韓被爆者との交流を深める旅・実行委員会 代表:宮川裕行 編集者:藤原裕久子 発行所 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部 支部長:豊永恵三郎 発行日 1999年10月20日 |
||
日韓被爆者交流会開催状況
| 回 | 年月日 | メモ(概要) |
| 1 | 19890502~0506 | |
| 2 | 19900503~0506 | |
| 3 | ||
| 4 | ||
| 5 | 19930818~0821 | |
| 6 | 19940823~0826 | |
| 7 | 19950818~0821 | |
| 8 | 19960818~0821 | |
| 9 | 1997 | |
| 10 | 1998 | |
| 11 | 1999 | |
| 2000~ | 「在韓被爆者との交流を深める旅」として実施 | |
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年表:中国人被爆者 <作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1950 | ||
| 1111 | 中国共産党機関紙,中国人留学生の被爆体験記を掲載(1979年2月22日「中国新聞」)。 | |
| 1957 | ||
| 1113 | 長崎刑務所浦上支所、同所の墓地から収容中原爆で死亡した中国人34柱の分骨をおこなう。日中友好協会を通じ中国に引き取られる予定。 | |
| 1115 | 長崎刑務所浦上支所、原爆死した中国人33柱とその後病死した1柱計34柱の遺骨引渡式を挙行。天津郊外の殉難烈士慰霊堂に収められる予定。 | |
| 1958 | ||
| 0409 | 長崎の浦上収容所で原爆の犠牲となった36柱を含む中国人俘虜殉難者の合同慰霊祭、東京芝の真福寺で挙行。10日出港の白山丸の第8次遺骨送還(120柱)に先立ち実施。(「原水爆禁止ニュース」NO.56) | |
| 1970 | ||
| 0727 | 日中友好協会長崎県連合会の代表4人、諸谷長崎市長に原爆死した中国人捕虜33人を殉難者名簿に記載するよう申し入れ。市長は、別冊に記載すると回答。 | |
| 0809 | 長崎市、原爆犠牲者慰霊・平和祈念式を挙行。約8000人が参列。被爆者代表の辻幸江が「平和の誓い」を述べる(初)。中国人33人の名前も奉安(外国人は初)。 | |
| 1970 | ||
| 0221? | 中国人留学生の被爆体験記が、1950年11月11日付中国共産党機関紙に掲載されていたことが判明。 | |
| 1120 | 広島県議会訪中団、中国人被爆者の日本での検診、中国での原爆展開催を計画中であると発表。 | |
| 1130 | 広島県議会訪中団のメンバー帰国し、首相に、中国人被爆者の広島での検診・中国での原爆展開催実現に協力を要請。 | |
| 1207 | 中日友好協会顧問、中国人被爆者の来日・検診について、中国側には問題はないとの意向表明。 | |
| 1980 | ||
| 0325 | 広島県議会日中友好議員団、広島で被爆した元中国人留学生に広島への招待状を送付。 | |
| 1981 | ||
| 0717 | 広島で被爆した中国人(2名)、検診のため来広。(31日帰国。) | |
| 0727 | 長崎で被爆した中国人に、被爆者手帳交付される。 | |
| 1982 | ||
| 0417 | 長崎外国人戦争犠牲者追悼碑建立委員会、外国戦争犠牲者追悼文集「核廃絶人類不戦」を出版。被爆した中国人・朝鮮人などの証言を掲載。 | |
| 1983 | ||
| 0702 | 広島で被爆死した中国人留学生三名を新たに確認。広島大庶務部国際主幹の追跡調査によって。 | |
| 1985 | ||
| 0622 | 中国訪問から帰国した総評・原水禁被爆者代表団、広島市で記者会見。広島で被爆した中国人留学生らを招待する計画など発表。 | |
| 1016? | 原水禁国民会議、留学中に広島市で被爆した中国人 2名に、同市への招待状を送付。原爆病院での検診なでを計画。 | |
| 1017 | 留学中に広島市で被爆した中国人被爆者、死去。( 原水禁国民会議が広島市で検診を受けるよう招待を計画。) | |
| 1127? | 広島県原水禁、被爆した元中国人留学生の招請計画を、招待者の死亡などで、来春に延期。 | |
| 1986 | ||
| 0606 | 旧広島文理大留学中に被爆した中国人被爆者、治療のため来広( 14日、長崎市を訪問、16日、広島原爆病院に入院) 。 | |
| 1988 | ||
| 0514? | 広島で被爆した中国人元留学生由明哲、再来日を希望。日本の知人ら、招請のための資金援助などを呼びかけ。 | |
| 1991 | ||
| 0222 | 朝日新聞社、湾岸戦争について、韓国人被爆者・在米被爆者・オランダ人被爆者・中国人被爆者らに意見を聴取し、紙上に掲載。 | |
| 0630? | 「中国往還-現代史の視点」(小林文男広大総合科学部教授著)、出版。中国人原爆被爆者の取材報告などを収録。 | |
| 1992 | ||
| 0310 | 本島長崎市長、平和公園の旧浦上刑務支所で被爆死した中国・朝鮮人46人の名誉回復措置について、市議会で市長の所管外と答弁。 | |
| 0508 | 長崎の証言の会、旧長崎刑務所浦上刑務支所で原爆死した中国人の遺族が、中国で確認されたことを明らかにする。 | |
| 0606 | 中国で戦時中の対日民間賠償運動を続ける研究所助手、広島で被爆した中国人2人が見つかったと発表。 | |
| 0614 | 中国強制連行調査訪中団、報告集会を広島YMCAで開催。強制連行され広島で被爆したとされる中国人が渡日治療を求めていることが紹介される。 | |
| 0625 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島YMCAで発足会を開催。約15人が参加。戦時中、加計町の安野発電所建設に強制連行され広島市で被爆した中国人の実態解明が目的。 | |
| 0803 | 長崎県被爆二世教職員の会、中国河北大学の協力で長崎市平和公園の旧浦上刑務支所で被爆死した中国人4人の遺族を新たに確認したと発表。 | |
| 0803? | 強制連行された中国人被爆者との交流を進める会、広島市内の司法関係施設で被爆した11人の消息の調査を求める書簡を中国の研究者に送付。 | |
| 0804? | 中国から強制連行され広島の刑務所内で被爆した中国人2人、当時の手記を共同通信に寄せる。 | |
| 0812 | 広島刑務所が「獄中被爆」を訴えていた中国・青島市の徐立伝に在監を照明する回答書(7月22日付)を送っていたことが判明。 | |
| 0813 | 広島刑務所内で被爆した中国人徐立伝が死亡していたことが判明。 | |
| 0818 | 広島刑務所で獄中被爆した中国人生存者の存在が判明。 | |
| 0825 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、広島キリスト教社会館で会合。被爆が証明されながら死去した徐立伝の追悼集会を9月15日に開催することなどを決定。 | |
| 0915 | 広島刑務所で被爆し、1992年7月に死亡した中国人被爆者徐立伝の追悼集会、広島YMCAで開催。40人が出席。 | |
| 0917 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所で被爆した中国人被爆者の実態調査と渡日治療などの援護措置を広島市長に申し入れ。 | |
| 1009 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、広島刑務所で被爆した中国人被爆者張文彬の被爆者健康手帳交付申請書の写しを広島市に提出。 | |
| 1025 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所で被爆した中国人張文彬の被爆者健康手帳の取得と渡日治療を実現するための集会を広島市内で開催。新潟市のフリー・ライター佐藤杏子が張との会見の模様を報告。約20人が参加。 | |
| 1102 | 高清真(中国人)が広島刑務所で被爆したことを裏付ける公文書が存在することが判明。 | |
| 1202 | 劉宝辰・中国河北大学講師、強制連行された中国人帰国者の消息について調査のため広島入り。3日、広島市役所で記者会見し、刑務所で被爆したことが明らかになったのは、徐立伝の1人のみと公表。 | |
| 1993 | ||
| 0223 | 鎌田定夫長崎総科大学教授など市民有志、旧長崎刑務所浦上支所で原爆の犠牲になった中国人遺族を長崎原爆犠牲者追悼・平和記念式典に招待するために募金を開始。 | |
| 0301? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、日本へ強制連行され広島刑務所で服役中被爆した中国人の張文彬(72才)を、被爆者健康手帳の取得や治療のため5月に広島に招くことを計画。 | |
| 0310 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所で被爆した中国人の生存が新たに3人確認されたと発表。 | |
| 0310? | 広島刑務所、中国人被爆者張文彬に原爆投下時に在監していたことを認める文書を発送。来日時に被爆者手帳が取得できる道が開ける。 | |
| 0314 | 鎌田定夫長崎総科大学教授・平野伸人県被爆者二世教職員の会会長ら、「中国人原爆犠牲者遺族を招く会」の結成集会を長崎被災協会議室で開催。16人が参加し、旧浦上刑務支所の原爆犠牲者の遺族を平和式典に招待するため資金協力を呼びかけ。 | |
| 0424 | 宮崎安男広島県原水禁代表委員ら3人、広島刑務所で被爆したとみられる中国人3人の証言を取材するため訪中。11間の日程。 | |
| 0511 | 丹羽雄哉厚相、参議院厚生委員会で強制連行の中国人被爆者(広島)の救済に前向き名見解を表明。 | |
| 0511 | 宮崎安男広島県原水禁代表委員ら、広島刑務所で被爆したと名乗りでた中国人3人の聞き取り調査(4月24日-5月4日まで訪中)の結果を発表。 | |
| 0516 | 張文彬(広島刑務所で被爆した中国人被爆者)、「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の招きで広島入り。 | |
| 0517 | 中国人被爆者張文彬、広島市に被爆者健康手帳の交付を申請。 | |
| 0518 | 中国人被爆者張文彬、広島市の河村病院に検査入院。 | |
| 0520 | 広島市、中国人被爆者張文彬に被爆者健康手帳を交付。 | |
| 0521 | 中国人被爆者張文彬、原爆に被爆した広島刑務所を訪問。 | |
| 0523 | 広島県原水禁など、「張文彬さん(中国人被爆者)のお話しを聞く集い」を広島労働会館で開催。約100人が参加。 | |
| 0524 | 中国人被爆者張文彬、9日間の広島での日程を終え、かつて強制連行された新潟に向かう。 | |
| 0723 | 長崎市の「中国人原爆犠牲者遺族を招く会」、招待する遺族関係者の8人と滞在日程(8月7日-10日)を発表。 | |
| 0729 | 広島刑務所で被爆した中国人被爆者2人(呂学文・孟昭恩)、広島県原水禁などの招きで広島入り。 | |
| 0730 | 広島市、広島刑務所で被爆した中国人被爆者2人(呂学文・孟昭恩)に被爆者手帳を交付。 | |
| 0731 | 中国人被爆者呂学文、48年ぶりに広島県加計町の労働現場を訪問。 | |
| 0731 | 中国人被爆者呂学文・孟昭恩、広島県加計町の善福寺で挙行された中国人殉難者追悼法要に参列。 | |
| 0731? | 広島県安野中学校の生徒ら、広島入りしている中国人被爆者から同町での強制労働の実態などの聞き取りを計画。 | |
| 0801 | 強制連行された中国人被爆者「孟昭恩先生・呂学文先生のお話をきく集い」、広島労働会館で開催。約50人が参加。 | |
| 0802 | 「中国人原爆犠牲者遺族を招く実行委員会」、9日の平和式典に招く予定であった浦上刑務支所で原爆の犠牲になった中国人収容者の遺族の旅券発行が間に合わず、12月8日の招待に変更。 | |
| 0802 | 中国人被爆者呂学文・孟昭恩、広島市の河村病院に検査入院。4日、退院。 | |
| 0803 | 中国人被爆者呂学文・孟昭恩、西松建設中国支社に強制労働に対する謝罪や補償を求める要求書を提出。 | |
| 0805 | 「アジア被爆者フォーラム」、被爆48周年原水爆禁止世界大会国際会議広島大会の分科会として初めて開催。中国の被爆者らが体験談。 | |
| 0805 | 中国人被爆者の呂学文・孟昭恩、被爆地である広島刑務所を訪問。 | |
| 0806 | 中国放送(テレビ)、「トンネルに風が吹いた日-強制連行・被爆中国人を追って」を放映。 | |
| 0806 | 広島県山県郡の安野中学校生徒会、中国人被爆者呂学文・孟昭恩を招いて体験を聞く。 | |
| 0809 | 広島市、中国人被爆者2人(呂学文・孟昭恩)に原爆特別措置法に基づく「保健手当」1か月分を支給。中国人被爆者への手当交付は初。 | |
| 1110 | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設中国支店を訪れ、2人の中国人被爆者からの謝罪・補償要求などを同社が拒否する回答書を提出したことに反論。 | |
| 1121 | 広島県加計町・安野中学校生徒、中国人強制連行をテーマにした劇を文化祭で上演。 | |
| 1126 | 広島市、中国人被爆者張文彬の救援を求める書簡を受け取る。 | |
| 1207 | 強制連行され長崎刑務支所で被爆死した中国人の遺族ら7人、長崎入り。 | |
| 1208 | 「原爆犠牲者追悼・日中不再戦の集い」、長崎市平和会館で開催。約100人が参加。強制連行され長崎の浦上刑務支所で服役中被爆した中国人遺族らも参加。 | |
| 1208 | 長崎市の「中国人原爆犠牲者遺族を招く会」、日鉄鉱業島町鉱業所が外務省に提出した「華人労務者就労顛末報告書」の写しを公表。 | |
| 1209 | 長崎県高教組佐世保支部など、来県中の中国人原爆犠牲者の遺族ら7人を招いて「12・8を考える市民のつどい」を開催。約70人が参加。 | |
| 1211 | 大内厚生大臣、参議院厚生委員会で中国在住の被爆者の渡日治療に取り組む意向を明らかにする。 | |
| 1220 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、大内厚生大臣の孫平化中国日本友好協会長宛の書簡(12月14日付、日本の原爆2法による援護措置を説明)を広島市原爆被害対策部に示し、市独自の救済措置を要望。 | |
| 1994 | ||
| 0118 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、被爆中国人補償問題で西松建設中国支店で3回目の交渉を実施。 | |
| 0214? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」に広島で獄中被爆した中国人が大連に生存しているとのしているとの連絡が届く。 | |
| 0426 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバー6人、中国人の代理で広島市の西松建設中国支社と交渉。同支社、独自に現地調査を行う意向を明らかにする。 | |
| 0501 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、調査のため訪中(3回目)。8日、帰国。13日、帰国記者会見。 | |
| 0607 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、中国人被爆者などの外国人被爆者の実態調査や援護を求める要請文を広島市長宛に提出。 | |
| 0622 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設広島支店に強制労働させられた中国人への補償などを求める要求書を提出。 | |
| 0710 | 「広島の強制連行を調査する会」・「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島県加計町のダムや発電所などで歴史や生存者の現状を学ぶ会を開催。約100人が参加。 | |
| 0712? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島市長に6月7日付で提出した要請書に対する7月8日付の回答を受け取る。内容は、中国人被爆者の調査や援護の支援は「困難」というもの。 | |
| 0801 | 広島県、中国から広島文理大に留学中被爆した中国・北京市の元大学教授由明哲を県費で広島に招待し、10月2日のアジア大会開会式に出席出来るよう計らうことを決める。 | |
| 0803 | 広島県加計町立安野中学校生徒、同町の中国人や朝鮮人を動員して建設した発電所などを見学。講師は「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」などのメンバー。 | |
| 0819 | 広島市、広島刑務所で服役中被爆した中国人被爆者呂学文が持病の片頭痛の治療への支援を訴える市長あての書簡を受け取る。 | |
| 0928 | 由明哲(広島文理大の元留学生で中国人被爆者)、アジア大会の開会式に出席するため北京から広島入り。 | |
| 1112 | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」など、「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」を発足させる(広島平和会館)。18人が参加。 | |
| 1117 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設の担当者と広島県山県郡加計町の安野発電所建設工事に従事させられた中国人について初めて現地調査を実施。 | |
| 1226? | 広島県加計町の安野発電所に強制連行され広島で被爆した中国人?瑞雪に広島刑務所が「在監証明」を送っていたことが判明。 | |
| 1995 | ||
| 0101? | 広島市、被爆50周年の記念事業として平和記念式典に南北米や朝鮮半島、中国、東南アジア各国の被爆者を招待することを決める。 | |
| 0107? | 広島の市民団体「強制連行された中国人被爆者と交流をすすめる会」、5月に宋継尭、8月に被爆死した楊希恩の妻子を広島に招くことを計画。 | |
| 0206 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設中国支店との6回目の交渉を実施。新たに医療費の負担を要望。 | |
| 0425 | 広島県原水禁など9団体でつくる「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」、5月に宋継尭を招くことを決める。 | |
| 0518 | 宋継尭、「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」の招きで来日。 | |
| 0520 | 「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」、調査結果をまとめた「中国人被爆者・癒えない痛苦-獄中被爆の真相を問う」(明石書店刊)を発行。 | |
| 0520 | 中国人被爆者宋継尭、広島県加計町を訪問。強制労働者収容所跡を訪れた後、正念寺での中国人犠牲者30人の追悼法要に参列。 | |
| 0521 | 「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」、宋継尭の「証言を心に刻む会」を広島市の広島労働会館で開催。約100人が参加。 | |
| 0526 | 宋継尭、「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバーとともに、東京の西松建設本社を訪れ、補償を要求。 | |
| 0605 | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者と交流をすすめる会」、戦時中に強制連行され被爆した中国人于瑞雪が5月9日に死亡したとの連絡を遺族から受け取る。 | |
| 0708? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、「中国人被爆者・癒えない痛苦-獄中被爆の真相を追う」を発行。 | |
| 0730 | 戦時中広島県内に強制連行され被爆死した中国人労働者の遺族3人、県原水禁など9団体でつくる「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」の招きで来日。 | |
| 0801 | 「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」の招きで広島市入りしている3人、被爆死した可能性のある広島市内の2カ所を訪れる。 | |
| 0803 | 「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」、原爆の犠牲になった中国人労働者の追悼式を広島市の平和記念公園・原爆供養塔前で挙行。約30人が参列。西区民文化センターで証言集会を開催。 | |
| 0805 | 強制連行され被爆死した中国人遺族の楊世斗、広島市内で開催された原水禁などの世界大会分科会に出席。 | |
| 0807 | 西松建設、強制連行され広島市内で被爆死した中国人の遺族へ、謝罪・死亡通知を拒否する回答文書を届ける。遺族は受け取りを拒否。 | |
| 0815 | 中国河北省保定市で「安野強制連行・広島被爆受難者聯誼会が結成される。同市を訪問した広島県内の市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」の訪中団と協議の上結成。 | |
| 0925 | 中国人被爆者・遺族で組織する「安野強制連行・広島被爆受難者聯誼会」、日本政府と当時の雇用主西松建設に損害賠償などを求める要求書を郵送。 | |
| 1025 | 広島市の市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバー、「安野強制連行・広島被爆受難者聯誼会」の委任を受けて、当時の中国人らの雇用主の西松建設中国支店で賠償などについて交渉。 | |
| 1996 | ||
| 0312? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、7人目の被爆者の生存を確認。 | |
| 0617 | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所と広島市に対し、中国人被爆者の実態調査を実施することなどを要請。 | |
| 0627 | 広島市の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、山県郡加計町の発電所建設現場で中国人を働かせていた西松建設と交渉、同社の調査内容などを明らかにするよう求める。 | |
| 0820? | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、帰国後死亡した中国人被爆者1人の消息を確認。 | |
| 1107 | 戦時中日本に強制連行された中国人元労働者2人、広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会の中谷悦子代表の案内で広島市の原爆資料館を見学。 | |
| 0211? | ワールドフレンドシップセンター(広島市)、ルポ「中国人被爆者・癒えない痛苦」の英訳作業を実施。 | |
| 0430 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島県加計町に連行された中国人労働者の証言などを収録した教材ビデオを制作。 | |
| 0508 | 広島刑務所で被爆した中国人・喊允伝、被爆者健康手帳を申請するため広島市を訪問。9日、申請。12日、建設工事で働かされていた加計町の安野発電所を訪問。 | |
| 0510 | 「中国人強制連行国際シンポジウム広島集会」、広島市で開催。約200人が参加。喊允伝ら(中国人被爆者)らが報告。-11日。11日、呂学文が証言。 | |
| 0513 | 「安野労工・広島原子爆弾受難者聯誼会」代表・呂学文ら、工事を担当していた西松建設中国支店に対し補償を求める交渉を広島弁護士会館で実施。14日、同社を相手取り提訴する方針を決める。 | |
| 0630 | 広島県加計町安野の発電所建設現場で働かされた元中国人労働者が当時の雇用主の西松建設に損害賠償訴訟を起こす件で、弁護団などが広島市内で初会合。 | |
| 0801? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、戦時中に広島県加計町に強制連行された中国人の証言を基に紙芝居「陳さんとイチョウ」を制作。 | |
| 0806 | 「8・6ヒロシマ平和へのつどい1997」、広島市の県民文化センターで開催。約100人が参加。中谷悦子「強制連行・中国人被爆者との交流をすすめる会」代表が戦後補償を訴える。 |
止
年表:長野のヒバクシャ<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1955 | ||
| 0822 | 長野県原水協準備会、第1回原水禁長野県大会を長野県立長野図書館講堂で開催。広島・長崎の被爆者4名、長野県在住の被爆者松尾敦之・花岡邦子が参加。(「生き続けて」710205) | |
| 0913 | 宇野長崎市社会課長、渡辺千恵子に長野県岡谷市立南部中学校3年生が贈ってきた義援金1202円と激励の手紙17通を手渡す。(長崎日々) | |
| 0913 | 原水爆禁止長野県協議会、結成大会を善光寺大勧進で開催。会長に半田孝海善光寺副住職、副会長に高野イシ県婦連会長、事務局長に宮尾貞子を選出。(「生き続けて」710205) | |
| 1120 | 原水爆禁止長野県協議会や信州大学学生など、「原爆被災者治療資金」の募金活動(1円カンパ)を実施。(「生き続けて」710205) | |
| 1206 | 原水爆禁止日本協議会被爆者救援委員会、広島・長崎を除く各地の被災者(約8万人)を対象に被災者の無料健康診断を開始。資金には、中国からの寄付金を充当。群馬・長野・神奈川がモデル・ケース。6・7両日、群馬大学附属病院で。 | |
| 1207 | 日本原水協の「被爆者無料健康診断実施モデル地区」として長野県内で被爆者検診を実施。7日、佐久病院、7-8日、松本信州大学病院、長野日赤病院、上諏訪日赤病院、下伊那日赤病院。28名が受診。(「生き続けて」710205) | |
| 1956 | ||
| 「信濃路にひろがる原水爆禁止運動 県民一人一円出しあって 被災者救援の愛の手・・・全国でも一番熱心だといわれる長野県の例」『アカハタ』1956年1月1日 | ||
| 0201 | 高野イシ長野県原水協副会長・宮尾貞子同事務局長・松尾敦之・花岡邦子、被災者の会世話人会を開催。(「生き続けて」710205) | |
| 0205 | 長野県原水爆被災者の会、善光寺大勧進で結成。県内の被爆者8名と県原水協関係者が出席。会長:松尾敦之、副会長:前座良明・花岡邦子などを決定。(「生き続けて」710205) | |
| 「・・・同年九月十九日に日本原水協が、そして十月十八日に長野県原水協が結成され、「原爆被災者治療資金」の募金がおこなわれた。この資金によって県下五カ所の病院で健康診断を実施し、二十八名が受診した。そのなかに私もはいっていた。私はここではじめて原水協とのつながりができ、そのことによって、はじめて自分の怒りやなやみをきいてもらえる人たちができた。翌年、日本原水協の指導によって、県原水協の協力で健康診断を受けた二十八名とその後判った六名に呼びかけ、「長野県原水爆被災者の会」を結成することができた。ときに一九五六年二月五日のことだった。そして会則のなかで、「原水爆禁止運動に協力することをもって目的とする。このため原水爆禁止長野県協議会とは密接な連絡をはかる」こともきめた。<前座良明「長野における反原爆運動二十年と私」広島・長崎の証言の会『広島・長崎30年の証言(下)』(未来社、1976年)> | ||
| 0324 | 長野県原水爆被災者の会、善光寺大勧進で結成。県内の被爆者8名と県原水協関係者が出席。会長:松尾敦之、副会長:前座良明・花岡邦子などを決定。(「生き続けて」710205) | |
| 0624 | 長野県原水協常任委員会、松本母の会の募金1万円を被災者の会へ伝達。(現金受領は5月4日)。(「生き続けて」710205) | |
| 0709 | 原水爆禁止世界大会長崎実行委員会、鹿児島平和友の会と長野県原水協の被災者派遣の要請に応え、鹿児島に辻幸枝・小幡悦子、長野に山口仙二・永富郁子を派遣することを決定。10日、鹿児島班、13日、長野班が出発。(長崎日々) | |
| 0713 | 山口仙二・永富郁子(長崎原爆青年乙女の会)、長野原水協の招請に応じて長崎を出発。(長崎日々) | |
| 0808 | 「日赤長野病院、同下伊那病院、信州大学医学部附属病院、佐久病院ではいまもなお被爆者の診療をつづけており、また県原水爆禁止協議会に昨年十二月いらいあつめられた被爆者救援寄金は現在百五万円をこえている。」『アカハタ』1956年8月8日 | |
| 0809 | 松尾敦之長野県原水爆被災者の会会長、長野県代表団21人とともに第2回原水爆禁止世界大会に参加。(「生き続けて」710205) | |
| 0811 | 森滝日記=藤居平一氏、被害者代表四名とともに登壇して謝辞を述べ全会衆感動。許女史は平元夫人を抱擁。各国元首のメッセージ。ブルガーニン首相も。宣言文は長野の宮尾女史が読む。決議文は青山氏と中山女史。「原爆許すまじ」の大合唱。 | |
| 0821 | 京都府原爆被災者の会、東京の会より被爆者実態調査用紙を受領。(厚生省が被爆地以外の実態を知るため企画したもので東京・京都・愛媛・埼玉・長野が参加)。(「京友会のあゆみ」910333) | |
| 1003? | 長野県から広島原対協に寄金。差出人不明で、毎月200円を送るとの手紙。(毎日新聞) | |
| 1005 | 原爆被害者の会会長温品道義、長野県を訪れ、原爆被害者の実相を訴え。14日、帰広。 | |
| 1125 | 長野県原水協、結成1周年大会を開催。(「生き続けて」710205) | |
| 1205 | 長野県原水爆被災者の会、会独自の活動として長野日赤(10名)、諏訪日赤(3名)、松本信州大学病院(5名)、佐久総合病院(2名)、下伊那日赤(なし)で被爆者検診を実施。-15日。(「生き続けて」710205) | |
| 1957 | ||
| 0811 | 前座良明長野県原水爆被災者の会副会長・坂田信男同幹事、第3回原水爆禁止世界大会に参加。(「生き続けて」710205) | |
| 1101 | 原水爆禁止平和長野県民大会、長野市内で開催。約1000人が参加。前座良明長野県原水爆被災者の会副会長、被爆者の苦しみなどを訴える。(「生き続けて」710205) | |
| 1958 | ||
| 0518 | 長野県原水爆被災者の会、第4回総会を上山田温泉三楽荘で開催。松尾会長辞任にともない前座良明会長など新役員を決定。(「生き続けて」710205) | |
| 0806 | 長野県の全国高校体操女子選手団一行、長崎原爆病院を慰問。(西日本) | |
| 1116 | 長野県原水爆被災者の会、第5回総会を松本市外浅間温泉玉の湯で開催。(「生き続けて」710205) | |
| 1959 | ||
| 0517 | 長野県原水爆被災者の会、第6回総会を松本市龍宮鉱泉で開催。支部を設けることを決定。会員数72名。(「生き続けて」710205) | |
| 0725 | 長野大学附属小学校生徒ら5人、千羽鶴を広島市に送る。映画「千羽鶴」を見たのが契機。 | |
| 0731 | 藤枝自民党副幹事長、原水爆禁止世界大会に神奈川・長野など8県から自民党所属の県疑団が参加することを明らかにする。 | |
| 1960 | ||
| 0214 | 長野県原水爆被災者の会、第7回総会を松本市浅間温泉栄の湯で開催。会員数77名。(「生き続けて」710205) | |
| 1968 | ||
| 1970 | ||
| 0702 | 広島市・長崎市・朝日新聞社、原爆国内展を高崎・浜松・長野・東京・札幌・函館で開催。~8月30日。[広島原爆資料館][「遺品は語る」] | |
| 1975 | ||
| 0802 | 吉川清、長野市の福祉会館で講演(長野原水禁の依頼)。 | |
| 1977 | ||
| 1028 | 長野県の定時制高校生、修学旅行で原爆体験学ぶため来広。広島市の高校生と交流会。 | |
| 1125 | 仏核実験に抗議して、広島市内三ケ所で座り込み。呉市でも初の座り込み。詩人栗原貞子の友人の長野県の主婦、座り込みに参加。 | |
| 1978 | ||
| 1124 | 朝日新聞社、原子爆弾の記録展を長野市の長野東急デパートで開催(~29日). | |
| 1221 | 長野県被団協など、原爆の記録展を松本市の信濃ギャラリーで開催(~25日). | |
| 1980 | ||
| 0801 | 長野県被団協など、「人類生存のために!被爆者がかいた原爆の絵展」を県下10会場で開催(~10月2日). | |
| 1981 | ||
| 0202 | 長野県被爆者の会、「ふたたび被爆者をつくらせないために!原爆被爆者援護法の実現を要求するつどい」を長野市の労働会館で開催.90名余参加. | |
| 0805 | 長野市で、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート’81」開催。 | |
| 1019 | 長野県厚生連佐久総合病院従業員組合、平和問題学習会を開催. | |
| 1982 | ||
| 0130? | 長野県立飯田高校生徒、被爆体験記「白いチョゴリの被爆者」についての感想文で毎日新聞社賞受賞。 | |
| 0312 | 長野県議会、「核兵器の廃絶と軍縮の推進に関する意見書」を採択。 | |
| 0707 | 長野・松本市で不再戦の集いを開催. | |
| 0914 | 長野県の農業協同組合、広島原爆病院を慰問。 | |
| 1115 | 長野県高校長会、「核兵器廃絶に関する意見」を採択。 | |
| 1117 | 長野県原水爆被災者の会、「被爆者は訴える!反核のつどい-ヨーロッパ反核運動との交流12日間,いまなぜ援護法か」を松本市で開催.80人参加. | |
| 1983 | ||
| 0910 | 長野県の農協職員ら、原爆病院を慰問。 | |
| 1984 | ||
| 0513 | 長野県原水爆被災者の会、諏訪市で総会. | |
| 0704 | 長野県議会、「非核平和県民宣言」を決議。都道府県レベルでの非核宣言は(徳島県議会に次いで二番目) | |
| 0914 | 長野県の農協職員、広島原爆病院を慰問。 | |
| 1985 | ||
| ** | 長野県・篠ノ井旭高校の生徒、松代大本営の保存・公開を長野市長に提起。 | |
| 0325 | 長野県議会、被爆者援護法制定を求める意見書を全会一致で可決. | |
| 0604 | 長野県観光課職員、広島市の原爆養護ホームを慰問。 | |
| 0911 | 長野県経済連の職員、広島原爆病院を慰問し、特産品を寄贈。 | |
| 1986 | ||
| 0322 | 広島県議会、「核兵器廃絶に関する広島県宣言」を、全会一致で採択( 都道府県では、神奈川・長野などに次いで 6番目) 。 | |
| 0603 | 長野県の観光キャンペーンで来広した一行、広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」を慰問。 | |
| 0901 | 米ロサンゼルス市在住の航空技師長野亮、出身地の鹿児島県に被爆証人なしで被爆者手帳の交付を申請。 | |
| 0913 | 長野県の農協職員、広島原爆病院を慰問し、リンゴを寄贈。 | |
| 1010 | 広島市出身の故森本明(被爆者)の友人ら、長野県の故人の建てたペンションで、追悼のレコードコンサートを開催。 | |
| 1987 | ||
| 0911 | 長野県のあづみ農協職員、広島原爆病院を慰問、リンゴを寄贈。 | |
| 1211 | 長野県原水爆被災者の会、「ふたたび被爆者をつくらないために 原爆被爆者援護法を 今すぐに!」の意見広告を信濃毎日新聞に掲載. | |
| 1988 | ||
| 0914 | 長野県の農協職員、広島赤十字原爆病院を慰問、リンゴを寄贈。 | |
| 1989 | ||
| 0504? | 広島折鶴の会、長野市の布コイ製造業赤石平太郎から託された「こいのぼり」をブラジルのヒロシマ中学校に寄贈。 | |
| 0513 | 長野県被団協(長友会)、定期総会を開催。-14日。 | |
| 0914 | 長野県の「あづみ農協」職員、広島赤十字・原爆病院を訪れ、リンゴを寄贈。 | |
| 1990 | ||
| ** | 長野市、松代大本営の地下壕の一部を公開。1989年6月末までに74万2000人が見学。 | |
| 0327 | 「第1回少年少女ナガサキの旅」(日本生協連主催)、長崎市で開催(長崎・広島・長野などの小・中学生約100人参加)。被爆体験談の聴取など。 | |
| 0722 | 長野県原水爆被災者の会、「いまなぜ被爆者援護法かを考える全県学習会」を長野市内で開催。 | |
| 0913 | 長野県のあづみ農協、広島赤十字・原爆病院にリンゴを寄贈。 | |
| 1991 | ||
| 0326 | 長野県の住職ら、日本チェルノブイリ連帯基金を設立。現地での調査のため、訪ソ。 | |
| 0511 | 長野県被団協(長友会)、定期総会を開催。-12日。 | |
| 0714 | きょうちく会(体験記集「原爆の子」の執筆者のグループ)の早志百合子ら(4人)、同書の編者である長田新の故郷長野県茅野市を訪ね墓参。今年は同書の出版から40年、長田没後30年。 | |
| 0806 | 長野県松本市の「ピカドン」食堂店主、長野県の遺族代表として、平和祈念式に参列。 | |
| 0912 | 長野県・あづみ農業協同組合の職員ら、広島赤十字・原爆病院を訪れ、特産のリンゴを贈呈。 | |
| 1992 | ||
| 0225 | 長野県被団協副会長・矢崎坂治、死去。69歳。 | |
| 0409 | 長野県被団協、草の根全国行脚長野県集会を長野市内で開催。約40人が参加。 | |
| 0911 | 長野県豊科町のアヅミ農協の職員ら、広島赤十字・原爆病院をリンゴ1,200個をもって慰問。同農協は、広島中央卸売市場に出荷したことから昭和56年から毎年慰問。 | |
| 1993 | ||
| 0801 | 「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ-第13回長野平和音楽祭」、長野県民文化会館で開催。 | |
| 1994 | ||
| 0909 | 長野県豊科町のJAあづみのの職員、収穫したばかりのリンゴを持って広島赤十字・原爆病院を慰問。 | |
| 1995 | ||
| 0809 | 長崎市新興善小学校、平和集会を開催。元針尾海兵団軍医・降旗良知(長野県松本市在住)ら元軍医9人、同行で救護活動について話す。 | |
| 0913 | 長野県豊科町のJAあづみの職員ら、リンゴを広島赤十字・原爆病院に届ける。 | |
| 1217 | 長野県茅野市に非核平和宣言都市・茅野市の決意を託した「原爆の火・平和の塔」が市民の募金で建立され除幕。 | |
| 1996 | ||
| 0910 | 長野県のあづみ農協、広島赤十字原爆病院にリンゴ1200個を届ける。 | |
| 1997 | ||
| 0329? | 1947年頃の広島市の平和公園を撮影した写真が長野県で見つかる。 | |
| 0720 | 全国各地で戦争遺跡の保存運動を行っている22団体、長野市で全国シンポジウム(第1回)を開催。広島からなど100人が参加。戦争遺跡全国ネットワークを結成。 | |
| ?? | 安曇野ちひろ美術館開館。 | |
| 1998 | ||
| 0113 | 長野冬季五輪の聖火リレー、広島市の平和公園を1周。 | |
| 0327 | 長野冬季パラリンピックの閉会式を企画した「アクトジャパン日本楽劇人協会」の代表、閉会式会場を飾った折り鶴のうち2万羽を長崎原爆資料館に寄贈。 | |
| 0329 | 長野冬季パラリンピックの閉会式を企画した「アクトジャパン日本楽劇人協会」の代表、閉会式会場を飾った折り鶴のうち2万羽を広島市平和公園の「原爆の子の像」に捧げる。 | |
| 2017 | ||
| 0327 | 藤森俊樹日本被団協事務局次長(長野県茅野市)、核兵器禁止条約をつくる交渉会議(米ニューヨーク・国連本部)で演説(『中国新聞』20170805) | |
| 0805 | 中国新聞「8・6式典 都道府県遺族代表の思い 受け継いだ記憶 次世代へ」。<長野県代表> | |
| 2018 | ||
| 0310 | 藤森俊樹日本被団協事務局次長(長野県茅野市)、核兵器禁止条約をテーマにした講演会(2018国際女性デーひろしま実行委員会主催)で講演。(『中国新聞』2018年3月11日) | |
| 0522 | 中国新聞連載「緑地帯 ちひろとヒロシマ」(~5月31日、8回連載) | |
止
厚生大臣および沖縄県知事への要望書
(沖縄県原爆被爆者協議会・日本原水爆被害者団体協議会 1972年9月25日)
要望書
私達が広島・長崎で被爆して二七年が経ちました。その間、本土では昭和三二年原爆医療法が、昭和四三年原爆被爆者特別措置法が施行され、本土被爆者へは不十分ながら医療を中心とした福祉対策が行なわれてきました。
一方、沖縄県在住の被爆者はアメリカの施政権のもとで長く放置され、四二年の「了解覚書」、特別措置法の準用以後も本土被爆者との格差は歴然たるものがあります。
今回本土各県被爆者代表が渡沖し、沖縄県被爆者との懇談を行なうことによってこのことは愈々明白になりました。本土の被爆者は国の施策の不十分さをおぎなうため各地方自治体で独自の被爆者対策をかなりの程度進めさせています。
原爆被爆者医療、生活対策のために、医療施設、社会保障施設全般の水準の本土との格差を是正し、一日も早くニ七年間堪えつづけ、而も年々老令化していく被爆者のために、県当局が左記の事項に対して勇断をもって実施して下さることを要望するものであります。
要望事項
一、別添の日本政府への要求(実態調査、認定病院の設置、専門医師の配置と施設設備の充実、医師への原爆医療研修、広島・長崎等の専門医の沖縄派遣、広島・長崎等への専門病院での治療経費の国庫負担等)については、沖縄県に於てもその推進の為に努力すること。又当面その実施を県費支出によって行うこと。
二、健康診断受診者全員に奨励金を支給し、一般検診の際も交通費を増額すること。
三、一般疾病医療機関を増設し、原爆医療法の主旨徹底と原爆医療の為の医師研修につとめること。
四、県、病院、被爆者の三者懸談会を開催しその定期化を計ること。
五、全被爆者に栄養費を支給し、入、通院、自宅療養、六○才以上の被爆者に見舞金を支給すること。
六、公営住宅への優先入居を認めること。
七、生活困窮被爆者に特別手当を支給すること。
八、地方税の減税措置を講ずること。
昭和四七年九月二五日
沖縄県原爆被爆者協議会
日本原水爆被害者団体協議会
沖縄県知事殿
日本政府への要求
一、沖縄県被爆者は昭和四〇年厚生省調査から除外されているので直ちに医療生活を含む実態調査を行なうこと。
二、沖縄県に直ちに原爆医療法指定医療機関(認定病院)を設置すること。
三、それを中心に専門医師を配置し検査、治療に必要な施設、設備の充実を計ること。
四、沖縄県在住医師の原爆医療研修を実施すること。
五、当面沖縄県被爆者の健康診断の為、広島・長崎等の専門医を国費を以って派遣すること。
六、沖縄の被爆者が広島・長崎等の専門病院で治療入院をする場合はその交通費、宿泊費等の一切の経費及び留守家族に対しての援助金を支給すること。
七、昭和三二年から医療法準用に至る期間の被爆者の医療費、自己負担分を政府は補償すること。
沖縄県在住被爆者対策推進調査団報告集
(日本原水爆被害者団体協議会 1973年6月)
1.はじめに
2.調査団趣旨
3.調査団名簿
| 団長 | 伊東 壮 | 日本被団協事務局長 |
| 団員 | 尾島良平 | 神奈川県被団協会長 |
| 団員 | 木戸 大 | 愛知県被団協事務局長 |
| 団員 | 葉山利行 | 長崎県被団協事務局長 |
| 団員 | 長尾当代 | 東京都被団協委託事業部長 |
| 事務局 | 伊藤直子 | 日本被団協事務局員 |
4.調査団日程
1972年9月
| 日 | |
| 23 | 那覇着、沖縄県原爆被爆者協議会総会にのぞみ、総会後懇談。 |
| 24 | 金城理事長の案内で南部戦跡を訪問・慰霊。 |
| 25 | 沖縄タイムス、日赤病院、民主診療所を訪問・懇談。16時より沖縄県被爆協役員と共に県庁交渉。 |
| 26 | 金城文栄、与那嶺盛徳氏の案内で、中部米軍基地を見学。 |
| 27 | 那覇発。 |
5.沖縄県被爆者の実態
<沖縄県原爆被爆者協議会「沖縄在住被爆者の実情報告」より>
6.現地行動報告
7.厚生大臣および沖縄県知事への要望書
8.沖縄県被爆協への便り-厚生省交渉報告-
9.調査団感想文
高倉山温泉被爆者療養センター第1期工事竣工す
出典:上田仲雄『核兵器全面禁止の日まで 岩手県原水協30年の歩み』(原水爆禁止岩手県協議会、19850120)pp.177―245
| 六 | 高倉山温泉被爆者療養センター第1期工事竣工す |
| 1 | 被爆者療養センター問題 |
| 被爆者療養センター建設準備運動進む | |
| 被爆者による折りづる行脚 | |
| 県労連からの7項目の質問 | |
| 日報紙上におけるセンター問題 | |
| 2 | センター建設運動進む |
| 各地における建設運動進む | |
| 高倉山センター建設折鶴行脚 | |
| 3 | 第13回原水爆禁止世界大会 |
| 岩手県代表団の構成 | |
| 第13回国民平和行進の集約と特色 | |
| 4 | 被爆者療養センター第1期工事竣工 |
| 被爆者療養センター建設募金納入状況 | |
| 高倉山療養センター第1期工事竣工<19680511> | |
| 《南の別府温泉療養所と並んで北方の被爆者にとって大きな福音をもたらすものとなるであろう。》 | |
止
福井のヒバクシャ<作業中>
基本情報
| 県内被爆者数 | 46人(2021年3月末現在) | |
| 被爆者対策 | ||
| 被爆者団体 | 福井県原爆被害者団体協議会 | |
| 原爆報道(地域紙) | 8月6日社説 | |
| 反核団体 | ||
| 福井県原爆被害者団体協議会(950815) | ||
止
石川県のヒバクシャ<作業中>
関連資料
| 県内被爆者数 | 64人(2021年3月末現在) | |
| 被爆者対策 | ||
| 被爆者団体 | 石川県原爆被災者の友の会 | |
| 8月6日社説 | ||
| 北國新聞 | ||
| 被爆証言関係団体 | 石川県原爆被災者の友の会(681333、691333、860325、950730) | |
止