お願い(1976年国連要請日本国民代表派遣広島県実行委員会結成について) 1976年9月3日
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国連へ核兵器完全禁止を要請する国民代表派遣広島県実行委員会(仮称)結成よびかけ人 |
飯島宗一 |
広島大学 学長 |
相原和光 |
YMCA総主事 |
石田明 |
広島被爆教師の会 |
大森正信 |
広島大学 助教授 |
北西允 |
広島大学 教授 |
佐久間澄 |
原水爆禁止広島県協議会 理事長 |
佐々木和夫 |
広島大学 教授 |
庄野直美 |
広島女学院大学 教授 |
宅和純 |
広島平和教育研究所 理事長 |
藤井敏彦 |
広島大学 助教授 |
圓山益輝 |
広島大学 教授 |
山田浩 |
広島大学 教授 |
横山英 |
広島大学 教授 |
(アイウエオ順) |
事務局 広島市上幟町1-3 平和親善センター内 |
出典:『核兵器完全禁止を国連に要請する国民代表団(広島県代表)の報告』(国連へ核兵器完全禁止を要請する国民代表派遣広島県実行委員会、19770125)
止
帰国のごあいさつ<作業中>
核兵器全面禁止国際協定締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団広島県代表
中本剛・藤田厚吉・北西允
出典:『核兵器完全禁止を国連に要請する国民代表団(広島県代表)の報告』(国連へ核兵器完全禁止を要請する国民代表派遣広島県実行委員会、19770125)
止
1976年国連要請日本国民代表団名簿<作業中>
出典:『核兵器完全禁止を国連に要請する国民代表団(広島県代表)の報告』(国連へ核兵器完全禁止を国連に要請する国民代表派遣広島県実行委員会、19770125)
止
『国連要請報告集 再び被爆者をつくらぬために』(葉山利行、1976年11月)
止
『核兵器完全禁止を国連に要請する国民代表団(広島県代表)の報告』(国連へ核兵器完全禁止を国連に要請する国民代表派遣広島県実行委員会、19770125)
目次<作業中>
頁 |
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00 |
1976年国連要請日本国民代表団名簿 |
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01 |
ごあいさつ (飯島宗一) |
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02 |
北米反核の旅 (北西允) |
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13 |
国民代表団に参加して (藤田厚吉) |
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19 |
訪米雑感 (中本剛) |
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24 |
シェフチェンコ事務次長のあいさつ |
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資料 |
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国連事務総長への手紙 |
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国民代表団日程 |
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第2次国民代表団の活動について |
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帰国のごあいさつ 広島県代表 |
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(資料) |
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お願い(県実行委員会結成のよびかけ) |
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国民代表団派遣についてのお願い |
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募金のお願い |
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止
日本原水協代表団、日本原水協事務局編『国連要請行動の成果にあたって-原水爆禁止運動のあらたな前進を』(1975年1月1日)
目次
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1 |
国連要請行動にかんする文書 |
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(1)日本原水協声明(1974年12月14日)―国連要請・日本原水協代表団の成果にたって原水爆禁止運動の新たな前進を |
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(2)国連事務総長への書簡(日本原水協・1974年11月12日) |
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(3)日本原水協代表団と国連事務次官アルカディン・N・シェフチェンコ氏および軍縮部長ロルフ・ビョルンステット氏との会見 |
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(a)会見の冒頭にシェフチェンコ氏が読みあげた声明 |
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(b)日本原水協代表団とシェフチェンコ氏との懇談と討論 |
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2 |
国連要請行動に参加して-日本原水協代表団員の報告と感想 |
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小佐々八郎(日本原水協代表理事、長崎県被災協会長、被爆者)、佐久間澄(日本原水協代表理事、広島県原水協理事長、被爆者、広島大学名誉教授)、田辺勝(日本原水協常任理事、広島県被団協理事長、被爆者)、藤井敬三、小島光雄(東京都原水協副理事長、被爆者)、田中道宜、久保文、芳沢弘明 |
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3 |
資料 |
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(1)アメリカにおける歓迎と記者会見について |
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(2)代表団活動日誌 |
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(3)原爆博物館見学調査報告―アルバキルキー、カートランド米軍基地(吉田嘉清・佐藤行通・芳沢弘明)「日本の原水爆禁止運動としてまた、平和団体としてはじめて調査を行った」 |
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(4)国連要請・日本原水協代表団名簿 |
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4 |
後記(吉田嘉清) |
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止
『核兵器裁判』(NHK広島核平和プロジェクト、NHK出版、19970725)
目次
章 |
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1 |
世界法廷運動への道 |
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世界法廷に持ち込まれた核兵器 |
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非核先進国ニュージーランド |
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キッチンから世界的市民運動へ |
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世界法廷プロジェクト発足 |
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ヒロシマからハーグへ |
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2 |
持つ国VS持たざる国、二週間の攻防 |
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WHOの提訴決議 |
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1993年 一回目の挑戦、そして挫折 |
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提訴決議案再提案へ |
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1994年 国連の攻防「第一幕 国連第一委員会」 |
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11月9日~提訴決議案提出 |
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11月10日-16日~核保有国の切り崩し |
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11月17日~審議延期の動き |
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11月18日~決議案採決 |
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1994年 国連の攻防「第二幕 国連総会本会議」 |
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11月18日~決議案採決 |
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11月18日~12月14日~総会本会議を前に |
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12月15日~総会本会議 |
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3 |
史上初の核法廷~各国陳述 |
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核兵器は全面的に違法~オーストラリア、口火を切る |
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フランスとの限りなき闘い~ニュージーランド陳述 |
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告発された核植民地主義~ジンバブエ陳述 |
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主権不平等への怒り~マレーシア陳述 |
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市民と小国の連帯~ロートブラッド氏の陳述書 |
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核兵器を違法とする法はない~アメリカ陳述 |
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自衛権の下、核使用は合法~フランス陳述 |
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国際法違反を明言せず~日本政府の陳述 |
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核兵器は国際法違反~広島・長崎市長の陳述 |
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陳述をめぐる外務省と広島市長の対立 |
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4 |
判事たちの対立~勧告的意見発表の舞台裏 |
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一四人の国際司法裁判所判事 |
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難航する審理 |
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七月八日 勧告的意見の発表 |
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勧告的意見の骨子 |
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各判事の個別意見~対立する判断 |
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・ペジヤウイ裁判長の声明 |
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・シュベーベル判事(アメリカ)の反対意見 |
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・フェラリーブラボ判事(イタリア)の声明 |
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・ウィーラマントリー判事(スリランカ)の反対意見 |
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・ギョーム判事(フランス)の個別意見 |
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・コ囗マ判事(シエラレオネ)の反対意見 |
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・史判事(中国)の声明 |
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・小田判事(日本)の反対意見 |
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5 |
核廃絶を目指して~勧告的意見以後 |
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勧告的意見の反応 188 |
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勧告的意見を具体化する動き |
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核兵器廃絶への提言 |
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包括的核実験禁止条約の採択 |
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軍人と文民の指導者たちの反核声明 |
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南半球が非核地帯条約の下に |
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カナダ、核抑止政策の見直しへ |
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核兵器審理の意義 |
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ヒロシマからハーグへ、そして世界へ |
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6 |
核廃絶へ向けて~世界有識者の提言 |
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核拡散防止条約の評価 |
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包括的核実験禁止条約の評価 |
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史上初の笹界核法廷”の評 |
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核廃絶へのシナリオ~キャンベラ委員会報告 |
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核廃絶に向けて |
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あとがき |
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資料 核に関する国際法、条約 |
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年表 「核をめぐる外交」 |
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『’82・平和のためのヒロシマ行動 3月21日の記録』(総評教宣局共同デスク、労働教育センター、19820523)
内容
頁 |
見出し |
備考 |
01 |
ヒロシマ行動 反核の叫び、空前の大集会 |
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世界へ核廃絶訴える |
富塚光夫(総評事務局長) |
02 |
反核運動に新たな芽-ヒロシマへー |
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07 |
東京、国連に連動を |
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11 |
報告(「音楽運動」4月1日号) |
印牧真一郎 |
13 |
メッセージ |
デクエヤル(国連事務総長) |
14 |
反戦・反核の声高く ヒロシマに20万人つどう(「婦人しんぶん」4月10日号) |
広島・森容子 |
19 |
核戦争の危機をめぐって(月報生きる権利 82年4月号) |
野間宏(作家) |
24 |
きいてください |
洲加本有衣子(作詞) |
26 |
6会場で多彩な催し 人類が生存するために |
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26 |
メインステージ |
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28 |
反核平和運動と「3・21ヒロシマ行動」の意義-ヨーロッパと極東(月報「生きる権利」82年4月号) |
森瀧市郎(広島大学名誉教授) |
30 |
スピーチ広場 草の根運動を広めよう |
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32 |
若者の広場 |
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35 |
戦争に加担するな 小田実氏が講演 |
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38 |
ちびっ子ひろば |
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43 |
反核・軍縮へ・・・各界もたちあがる |
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46 |
ヒロシマ行動の中で 新しい運動への始動 抑圧からの解放の役割を |
伊藤成彦(反核・文学者グループ・中央大学教授) |
48 |
語り部の広場 原爆の惨状を伝える |
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52 |
歌の広場 |
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56 |
日本は悲惨を知っている 世界各地でヒロシマ報道 ロンドンからモスクワから |
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57 |
ヒロシマ行動に20万 5・23集回につなごう(「解放新聞」4月5日号) |
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『記録・82年 平和のためのヒロシマ行動』(82年・平和のためのヒロシマ行動広島実行委員会、198205)
内容
頁 |
タイトル |
備考 |
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テーマソング きいてください |
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主催:第2回国連軍縮特別総会に核兵器完全禁止と軍縮を要請する国民運動推進連絡会議、82年・平和のためのヒロシマ行動・ヒロシマ実行委員会 |
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参加人員:194000名、とき:1982年3月21日 午後1時~4時 ところ:広島市平和記念公園一帯 |
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グラビア |
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002 |
<はじめに>(K) |
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002 |
メイン・ステージ |
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003 |
開会宣言 |
今堀誠二 |
003 |
呼びかけ人挨拶 |
中野好夫 |
004 |
基調報告 |
庄野直美 |
007 |
被爆者の訴え |
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007 |
何も知らずに死んだ市民 |
伊藤サカエ |
008 |
罪ない朝鮮人被爆者 |
李実根 |
009 |
今こそ真剣に行動を |
山口仙二 |
010 |
あいさつ(国際軍縮促進議員連盟顧問) |
宇都宮徳馬 |
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あいさつ(広島県知事) |
竹下虎之助 |
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メッセージ(国連事務総長) |
デ・クエヤル |
011 |
あいさつ(広島市長) |
荒木武 |
012 |
あいさつ(長崎市長) |
本島等 |
012 |
日本被団協あてローマ法王庁からのメッセージ(要旨) |
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イ・マルチネス(バチカン市国、国務長官代理) |
013 |
ヒロシマ・アピール |
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82年 平和のためのヒロシマ行動 |
014 |
反核アピール |
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伊藤成彦 |
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ディック・ミネ |
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槙枝元文 |
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森瀧市郎 |
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藤井日達 |
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大友ヨウフ |
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田中龍夫 |
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中林貞男 |
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草野信男 |
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熊代慎一 |
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今石益之 |
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閉会宣言(日青協会長) |
城吉信 |
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<以下別掲予定> |
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024 |
語り部の広場 |
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050 |
歌の広場 |
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056 |
若者の広場 |
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071 |
ちびっこの広場 |
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077 |
スピーチの広場 |
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105 |
関連協賛行事 |
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115 |
ヒロシマ行動をふりかえって |
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117 |
経過と総括 |
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ヒロシマ行動会場分布図 |
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