『ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道』(NHK出版<日本放送出版協会>編・刊、20030730)
内容
章 |
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はじめに |
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序 |
そのとき、ラジオ・新聞は |
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ラジオ放送が止まった/新聞記事にできない |
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1 |
第一章 それぞれの八月六日朝 |
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八月六日付中国新聞朝刊/その朝のラジオ放送/大佐古記者の身代わり/生き運のいい松重カメラマン/中村記者の汚れたワイシャツ/間一髪、三人の放送局員 |
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2 |
第二章 広島壊滅のとき |
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原爆投下・一〇秒の衝撃/広島中央放送局壊滅/もう一つのヒロシマ/中国新聞社壊滅/中国新聞社国民義勇隊全滅 |
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3 |
第三章 あの日の五枚の写真 |
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八月六日午前・二枚の写真/坪井はここに死す/後ろ姿の少年とセーラー服の少女/明の行方を知っていますか/八月六日午後・三枚の写真/被爆写真・もう一つの記憶 |
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4 |
第四章 絵に残されたあの日の記憶 |
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市民の手で原爆の絵を/
母と子の原爆の絵/
司令部特設放送室壊滅/
まぼろしの声/
母と子の絵、ふたたび |
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5 |
第五章 幻の原爆第一報 |
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黒い雨/幻となった原爆第一報/軍管区発表も、記事にできない/ピカドン第二報、地獄の川を下る |
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6 |
第六章 爆心地の夜 |
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八月末日夜・相生橋の一夜/袋町小学校の朝、比治山の夜/韓国に渡った原爆孤児/アメリカに渡った原爆乙女/生ましめんかな |
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7 |
第七章 原子野に月冴えわたる |
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比治山多聞院の臨時県庁/宇品・江戸家猫八さんと原爆資料館長/中国新聞社、代行印刷へ/呉鎮原爆調査隊、広島に入れず |
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8 |
第八章 原子砂漠の朝 |
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八月七日・広島が消えた/爆心半径五百メートル/被爆地図復元へ/爆心地復元の元ディレクター/材木町から中島本町へ/遺影は語る/ヒロシマからの第一声 |
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9 |
第九章 子どもたちの被爆 |
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三位一体の人形になった子どもたち/母たちの悲しみ/元原爆資料館長と元エノラ・ゲイ機長/動員学徒たちの被爆 |
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10 |
第十章 アメリカ兵捕虜の被爆 |
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爆心地の被爆米兵/爆撃機ローンサム・レディー号/元搭乗員たちの生と死/トルーマン米大統領の声明/長崎被爆 |
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11 |
第十一章 特殊爆弾の正体を解明せよ |
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呉鎮原爆調査団、爆心地へ/密命・幻の海軍原爆調査団/陸軍原爆調査団と仁科博士/わが国の原爆研究/三発の不発弾と長崎原爆のゾンデ/終戦を決めた原爆調査報告書/調査団員、それぞれの戦後 |
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12 |
第十二章 新聞再開への道 |
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在広新聞社の被爆/一県一紙と代行印刷/八月九日付中国新聞/終戦、大佐古記者の召集/九月三日付、自力発行第一号/原爆プレス・コードの発令 |
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13 |
第十三章 原爆報道のあけぼの |
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台風、ふたたび代行印刷へ/十一月五日付、本社復帰第一号/生きている「死せるカメラマン」/放送局再開、平和祭の呼びかけ |
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14 |
第十四章 「広島特報」から「ビロシマ新聞」へ
三十五年目の原爆新聞/昭和二十年八月七日付と八日付「広島特報」/昭和二十年八月七日付「ヒロシマ新聞」/いまなぜ「ビロシマ新聞」か |
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15 |
第十五章 未来への伝言 |
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俳優木村功の遺言/記者たちの伝言/核時代の記録・中国新聞は何を伝えたか/科学者たちの予見・核戦争後の地球/テレビは核をどう伝えたか |
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あとがき 本書の編集にあたって |
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引用・参考文献 |
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年表NHK・中国新聞社原爆報道史 |
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NHK・NHK出版、中国新聞社編集・発行の原爆関連図書 |
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協力・資料提供者一覧 |
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『NHK広島放送局60年史』( NHK広島放送局60年史編集委員会編、NHK広島放送局刊、1988/07/01)
内容
章節 |
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開局60周年にあたって |
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Ⅰ |
広島放送局の誕生 1 |
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1 |
日本放送協会中国支部設立 |
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ラジオの幕開け 1
日本放送協会中国支部設立 2
JOFK・こちらは広島放送局 4
総動員の郷土芸能人-開局記念番組- 7 |
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2 |
初期の放送番組 |
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放送番組の編成 9
とぎれとぎれの放送時間 10
報道放送 13
ニュース 臨時ニュース 産業ニュース 職業紹介 時報 生繭相場 局報 日用品値段 気象通報 経済市況
教養放送 17
講演講座 料理献立 青年の時間と農家の時間 学校放送 子供の時間
慰安放送 20
演芸 演劇 邦楽 洋楽
スタジオ外放送 23 |
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3 |
初期の放送設備 |
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放送機 電源 空中線 演奏室 マイクロホン 音声増幅器 連絡線・中継線・非常時連絡装置 有線中継と無線中継 |
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4 |
強まるラジオへの関心 |
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全国初めての聴取者嗜好調査 30
受信者普及運動 31
文書宣伝 映画講演会 放送実演・放送実験つき子供大会 ラジオ体操の会 講習会 ラジオ商組合・供電業者 特殊サービス
伸びる受信契約者数 35
地方局と出張所 37
中国支部が広島中央放送局に 38 |
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Ⅱ |
戦争と放送 |
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1 戦争体制へ
日中戦争と放送統制 41
戦時色に変わる放送番組 42
ひろがる放送網 45
岡山・鳥取放送局は、大阪から広島中央放送局管内に 46 |
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2 太平洋戦争
きびしい電波管制 48
戦時中の放送番組 49
原放送所に三角塔型空中線建設 53
妨害放送 53
受信者の動き(昭和10年代)55
司令部地下壕からの空襲警報放送 56
番組表・加入者原簿の疎開 57 |
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Ⅲ |
原爆と広島中央放送局 |
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昭和20年(1945)8月6日、広島に原爆投下 59
原爆投下8月6日午前8時15分 61
被爆直後の広島中央放送局 63
広島中央放送局職員の被爆状況 65
原放送所での救急活動と生活 77
惨禍の中での単独放送開始 78
昭和20年8月21日以降の放送部事務日誌から 81 |
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Ⅳ |
混乱から復興へ |
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1 占領下の放送
第二放送、第三放送開始 89
ラジオコードの指令 90
復旧した流川演奏所 92
再生第一歩の初放送 94
ゼロからの出発 95
2 開放された放送
ローカル放送番組始まる 97
戦後のJOFKかいわい 99
マイク街頭へ 101
放送ストライキと放送国家管理 102
放送記者誕生 104
天皇ご巡幸と報道 105
平和記念式典の変遷 106
公開番組あれこれ 107
広島県放送文化普及委員会の発足 109 |
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Ⅴ |
発展するラジオ文化 |
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1 新しい放送制度
電波三法の施行 111
特殊法人日本放送協会の発足 111
中国地方の民間放送 112
2 ラジオ全盛期へ
多彩なラジオ番組 115
戦後の番組編成から- FKのスタジオ事情 農事放送とRFD全局をあげての仕事 スポーツ放送(昭和20年代)全国版に躍り出たローカル番組 芸能番組と部外放送関連団体
報道課誕生(昭和26年から現在まで)134
ラジオ・ドラマ花ざかり 151
FK芸能団体の活躍 156
広島放送管弦楽団 広島放送交響楽団 広島放送合唱団 広島放送劇団 広島放送児童合唱団 広島放送児童劇団
円盤録音からテープ録音へ 167
ラジオ放送網の建設 168
活発な周知活動 171
瀬戸内海文化船・文化バス 巡回ラジオ列車 NHKたすけあい夏・期移動相談 ラジオの集い NHK全国学校音楽コンクール
受信者の動き(昭和20年代)176
受信障害対策の変遷 178 |
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Ⅵ |
テレビ時代の到来 |
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1 広島テレビジョン局開局
テレビの始まり 181
比治山テレビ放送所 182
昭和31年3月21日JOFK-TV開局 185 |
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2 初期のテレビ番組と放送制作
テレビローカル定時番組開始 189
平和記念式典初のテレビ中継 190
ローカルテレビニュース放送開始 192
待望のテレビ中継車配備 196
テレビ中継車でスタジオ番組を制作 199
8ミリによるローカル番組 200
テレビ特集、特別番組(昭和30年代)202
スポーツ放送(昭和30年代)205
FK制作テレビドラマの系譜 207
広島放送会館落成 213
テレビジョン放送局建設ラッシュ 217
中国地方放送番組審議会の発足 221
FM放送の開始と運行業務 222 |
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3 放送利用運動と視聴者サービス
放送教育研究会全国大会の開催 225
NHK婦人学級・放送利用農業集団の開設 228
あいつぐ海外演奏家・海外著名人の来広 228
番組公開 230
NHKサービスステーションの開設 231
テレビ受信対策 232
福山テレビ開局対策 大崎テレビ局UHF転換対策
受信者の動き(昭和30年代)234 |
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Ⅶ |
カラー放送の時代 |
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1 テレビ、カラー化進む
カラー放送の開始 237
ローカル番組もカラー化 238
爆心地図復元運動 240
ローカル30分番組の移り変わり 246
市民の手で原爆の絵を運動 249
特集・特別番組(昭和40年代)256
スポーツ放送(昭和40年代)と昭和50年のカープ初優勝 258 |
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2 視聴者とともに
視聴者サービス月間実施 261
生涯学習と放送 262
NHK交響楽団公演 266
番組公開 267
難視解消への取り組み 268
広島中央放送局ロビーに原爆之碑建立 272
受信者の動き(昭和40年代)275 |
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Ⅷ |
地域放送の拡充 |
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1 多様化するテレビ番組
ローカルワイドニュースの新設 277
特集番組の拡充 284
瀬戸内海企画シリーズ(昭和15年から現在まで)285
番組素材の宝庫「厳島」 288
昭和50年代の特集番組 290
地域とともに「まちかど号」 293
スポーツ番組(昭和50年代)296
昭和50~60年代の主なラジオ番組 297 |
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2 新しい技術
ニュース・番組制作全面ビデオ化 298
ニュースメディアの幕開け 300
衛星放送 文字放送 テレビ音声多重放送 緊急警報放送 ハイビジョン放送 |
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3 放送文化の発展を願って
視聴者センターの設置 304
テレビ放送開始30周年キャンペイン 305
中国地方テレビ映像祭 306
地域総合イベント 307
受信者の動き(昭和50年代)311 |
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4 ニューメディア時代を迎えて
各地で衛星放送公開・BSコンサート 315
中国地方文字放送フェア 315
広島放送局のきょうとあす 317 |
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原爆放送史 |
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原爆放送の概観 321 |
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NHKの原爆放送と私 327 |
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原爆関連放送番組表(昭和21年~昭和63年)330 |
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広島放送局制作原爆関連番組出版図書一覧 364 |
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資料 |
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昭和63年度地域放送番組一覧 367
広島放送局制作受賞番組一覧 368
ラジオ受信契約数の推移 371
テレビ受信契約数の推移 373
中国管内・県別受信契約数 376
中国管内ラジオ放送局一覧 377
中国管内テレビジョン・FM放送局一覧 378
広島県内の辺地共同受信施設一覧 393
広島放送局在籍者名簿[管理職 昭和2年度~61年度] 399
〃 [全職員 昭和30年度~61年度] 413
〃 [全職員 昭和62年度] 426 |
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年表 429 |
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備考
『爆心』(朝日新聞(広島版)連載 19850403~0822)
部 |
回 |
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Ⅰ |
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被爆死の空白 |
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1 |
白い花の記憶 遺骨の中に一輪 手向けの主は呉服商と判明 消えた繁華街・中島 消息不明なお多数 |
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2 |
小さき骨 |
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3 |
軍用旅舎 |
|
4 |
天神町北組 |
|
5 |
検校社 |
|
6 |
支社史 |
|
7 |
1/37 |
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8 |
アイゴー |
|
9 |
白衣 |
|
10 |
通行人 |
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11 |
動員学徒 |
|
12 |
68.8キロ |
Ⅱ |
|
その生活史 |
|
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1 |
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2 |
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3 |
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4 |
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5 |
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6 |
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7 |
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8 |
|
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9 |
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10 |
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11 |
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12 |
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13 |
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14 |
|
Ⅲ |
|
40年の歩み |
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1 |
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2 |
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3 |
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4 |
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5 |
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6 |
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7 |
|
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8 |
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9 |
|
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10 |
|
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11 |
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12 |
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13 |
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14 |
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15 |
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16 |
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|
17 |
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18 |
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19 |
|
Ⅳ |
|
生還 |
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1 |
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2 |
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3 |
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4 |
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5 |
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6 |
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7 |
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8 |
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9 |
二度とあっちゃいけんこと 9歳の記憶 |
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|
『消えたペン-新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編 、汐文社、19880718)
目次
頁 |
項目 |
備考 |
003 |
はじめに |
中国新聞労働組合不戦の碑実行委員会 |
009 |
炎熱のもとで取材したこと |
大佐古一郎 |
019 |
<記録>新聞労働者の1945・8・6 |
|
相川愛子さん(21) 相原利夫さん(23) 有馬軍治さん(25) 井川勝雄さん(28) 伊藤音三郎さん(29) 石井道子さん(32) 石井諒一さん(36) 出雲初一さん(39) 今田レツさん(42) 今出良秋さん(44) 上田照子さん(46) 後チサ子さん(50) 小野一明さん(53) 落窪ミカさん(55) 神田留次郎さん(57) 本原フサヨさん(59) 北山一男さん(63) 串本誉さん(65) 桑原玉江さん(67) 小迫周蔵さん・美律枝さん(68) 小谷増夫さん(70) 河野秀三さん(72) 佐伯カメさん(84) 佐上美代子さん(77) 佐々木猪勢治さん(80) 佐瀬実さん(84) 坂本定造さん(86) 下本キクエさん(88) 下江達重さん(91) 新城朝子さん(96) 杉野勝吉さん(97) 高田久子さん(100) 竹前省三さん(102) 千葉恭子さん(105) 寺尾政之さん(107) 寺本簫三さん(108) 戸田正記さん(111) 伴谷ヤスヨさん(112) 中井ヨシヱさん(114) 中野勝正さん(115) 仲伏一之さん(118) 中村正男さん(121) 難波くみ子さん(124) 西村静一さん(126) 馬場謙一郎さん(128) 橋本令一さん(130) 桧山八重子さん(132) 平本ウメ子さん(134) 深川庄三郎さん(136) 福井ミツヱさん(137) 藤勇哲さん(140) 法安雅次さん(143) 細川儀一さん(146) 前田英子さん(148) 三木芳郎さん(150) 三田久ニさん(152) 三好友太郎さん(155) 水原智識さん(157) 宮武松三郎さん(161) 宮本軍一さん(163) 宮本澄香さん(165) 宮本藤吉さん(166) 望月慶三さん(168) 矢田茂さん(170) 保田博さん(173) 山井治吉さん(176) 山根喜美子さん(179) 山本利さん(181) 横田怐治さん(185) 横山隆ニさん(186) 吉田芳夫さん(189) 若林ツネヨさん(190) |
192 |
藤間侃治(合同新聞=現山陽新聞) |
196 |
<座談会>「不戦の碑」運動と犠牲者遺族取材を通して |
204 |
戦時編集局の八月六日 |
ト部清隆 |
209 |
逝ってしまった先輩たち |
兼井亨 |
214 |
原爆と私 |
下住忠 |
218 |
涙でうるんだファインダー |
松重美人 |
224 |
おわりに |
浅井幹夫(中国新聞労働組合執行委員長) |
戦争展(読売新聞社)開催概要
回 |
会期 |
会場 |
備考 |
1 |
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|
『戦争記念館 第1回・第2回 <戦争>展全記録 別冊新聞記者が語りつぐ戦争』(読売新聞大阪社会部編、読売新聞社、19790515) |
2 |
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|
3 |
|
|
|
|
『戦争記念館 第3回・第4回 <戦争>展全記録 別冊新聞記者が語りつぐ戦争』(読売新聞大阪社会部編、読売新聞社、19790515) |
4 |
昭和55年8月7日-19日 |
|
|
5 |
昭和56年8月6日-18日 |
大丸大阪店 |
|
6 |
昭和57年8月5日-16日 |
大丸大阪店 |
|
7 |
昭和58年8月4日-15日 |
大丸心斎橋店 |
|
|
『真夏の戦争記念館 戦争展 第7回全記録 付第6回 記録 』(読売新聞大阪社会部編、読売新聞社、19830801) |
|
U |
8 |
昭和59年8月9日-21日 |
大丸心斎橋店 |
|
|
|
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|
原爆展(朝日新聞社主催)
資料
資料名 |
|
年月日 |
備考 |
本冊子 |
(編著者・発行所) |
|
|
ヒロシマ原爆展 |
朝日新聞東京本社企画部、 広島市・朝日新聞社 |
19670905 |
G |
原爆展アンケート集 |
朝日新聞社 |
19680101 |
G |
ヒロシマ原爆参考資料集-原爆ドーム保存工事完成記念 |
朝日新聞社東京本社企画部・広島平和記念資料館 |
19680115 |
G |
原爆展 |
朝日新聞西部本社企画部 広島市・長崎市・朝日新聞社 |
19680702 |
G |
長崎原爆展 |
朝日新聞東京本社企画部 長崎市・朝日新聞社 |
19680806 |
G |
ヒロシマ・ナガサキ原爆展 |
朝日新聞東京本社企画部 |
19700701 |
GU |
原爆展 忘れまい、この惨禍 |
朝日新聞東京本社企画部 |
1982/07/01 |
GU |
「原爆展」を見て 会場アンケートから |
朝日新聞東京本社企画部 |
19820920 |
G |
|
|
|
|
|
|
|
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|
|
|
|
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『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部、19820701 )
内容
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表紙 |
写真 |
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ヒロシマー1945 ナガサキー1945 |
挿図写真 |
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02 |
ごあいさつ |
広島市・長崎市・朝日新聞社 |
|
|
広島市から |
荒木武(広島市長) |
|
03 |
長崎市から |
本島等(長崎市長) |
|
05 |
広島ー人類最初の日 |
|
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13 |
地球最後の地 |
|
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21 |
非核日本の責務 岸田純之助 |
|
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24 |
原爆の開発・破壊力 |
|
|
27 |
目標都市の選定 |
|
|
28 |
日本の原爆開発 |
|
|
29 |
広島・八月六日 |
|
|
32 |
被爆直後〈松重美人〉 |
|
|
34 |
被爆の品々 |
|
|
40 |
遺品など |
|
|
48 |
原爆被害の全貌 |
庄野直美 |
|
51 |
長崎・八月九日 |
|
|
54 |
余燼くすぶるなかで |
〈山端庸介〉 |
|
60 |
被爆の品々 |
|
|
64 |
遺品など |
|
|
70 |
ラジオゾンデ・伝単など |
|
|
76 |
原爆による人体の障害 |
西森一正 |
|
81 |
ヒバクシャの戦後 |
〈福島菊次郎〉 |
|
84 |
原爆の図-救出 |
〈丸木美術館〉丸木位里・丸木俊 |
|
86 |
原爆以後の核開発と反核 |
|
|
88 |
米ソの核戦力 |
|
|
89 |
もし「核」が落ちたら |
|
|
90 |
私の反戦 |
瀬戸内晴美 |
|
92 |
出品目録 |
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|
|
『毎日ムック』(毎日新聞社 )
発行年 |
頁 |
書名 |
所蔵 |
19950325 |
戦後50年 |
G |
|
|
広島爆心地360度パノラマ写真 |
|
|
002 |
原爆・広島・長崎 |
|
|
055 |
アインシュタインの日本国民への釈明 |
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|
066 |
第5福竜丸ビキニ被爆 |
|
|
188 |
エンタープライズ寄港阻止闘争 |
|
|
207 |
京大闘争 |
|
|
214 |
三島由紀夫割腹 |
|
|
|
|
|
19950815 |
アメリカ人の見た日本50年前 : カラー新発見 1945-1951 <毎日ムック 戦後50年姉妹篇> |
GU |
|
031 |
広島商工会議所屋上望楼から360度パノラマ写真 194510<林茂夫撮影> |
|
|
073 |
終戦1周年の平和式典 広島19460815<誤?> |
|
|
090 |
ボルネオで日本軍と戦ったオーストラリア第7・9師団1200人が占領軍としてモロタイ島から呉に到着 広島19460214 |
|
|
102 |
米国人家庭の日本でのクリスマス 広島19471225 |
|
|
120 |
復興する広島 65%が再建された 19470516 |
|
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154 |
瀬戸内海 広島・音戸 194908 |
|
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176 |
広島駅 194904 |
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178 |
カナダ人と日本人の血をひく着物姿の女性と子供 1949 |
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179 |
肥おけのある商店街 広島194909 |
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184 |
復興する広島 195001 |
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184 |
原爆ドーム 19500112 |
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184 |
広島爆心地「平和の木・戦争はもうたくさん」 19500112 |
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185 |
戦争はもうこりごり 「NO MORE HIROSHIMA 」を掲げた西連寺 広島195004 |
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191 |
米映画の看板 広島195004 |
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194 |
ままごと遊び 広島19500403 |
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204 |
墓地に隠した密造のドブロク 広島195012 |
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238 |
ミスター・スチールと撮影著たち |
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19990220 |
シリーズ20世紀の記憶
1945年 : 日独全体主義の崩壊 日本の空が一番青かった頃 |
G |
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042 |
戦艦大和の最期(吉田満「戦艦大和の最期」より) |
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099 |
最初の原爆 |
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100 |
エノラゲイ |
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101 |
ヒロシマ 1945/8/6 8:15 |
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101 |
太陽の廃立1945年8月(カネッティ『断想1942-1948』より) |
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103 |
広島は平らになった (徳川夢声『夢声戦争日記8/10』より) |
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104 |
戦後丸儲け(『丸山真男手帖5』より) |
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105 |
ナガサキ 1945/8/91 11:02 |
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252 |
原爆開発[木幡越士] |
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19991230 |
毎日ムック シリーズ20世紀の記憶 連合赤軍・”狼”たちの時代 : 1969-1975 |
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003 |
東大落城へ |
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023 |
日大その後 |
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025 |
早大 |
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028 |
大学紛争 関東編 |
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029 |
京大闘争 |
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041 |
大学紛争 関西編 |
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042 |
「広島死闘編」(広島大) |
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045 |
九大 |
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046 |
4・28沖縄デー1969 |
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047 |
ASPAC(アジア・太平洋協議会)粉砕闘争 |
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047 |
10・21国際反戦デー |
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052 |
高校生全共闘 |
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106 |
70年安保闘争 |
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109 |
三島由紀夫の決起 |
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三島由紀夫割腹
三島由紀夫氏の死ののちに[武田泰淳]
(「中央公論」1971年1月号、『レクイエム57』より)
要するに天皇一家の存在はあんたの飯の種なんだね(「中井英夫未発表日記(1949~1992)抄」より) |
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112 |
三島回想 |
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180 |
未完の変革 高橋和巳君の死 |
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276 |
中ピ連 |
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『週刊朝日百科日本の歴史122 現代1敗戦と原爆投下』(朝日新聞社、19880821)
目次
頁 |
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所蔵 |
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藤村道生(責任編集) |
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GU |
02 |
日本の降伏をめぐる国際政治 |
藤村道生( 上智大学教授) |
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04 |
昭和二十年八月十五日 |
藤村道生 |
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08 |
コラム:東京大空襲-昭和二十年3月十日 |
伊藤正徳 (聖徳学園関東高校教諭) |
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10 |
「和平」への戦い サイパン陥落以後 |
藤村道生 |
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16 |
全国主要都市の空襲被害 |
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18 |
玉砕―その「構図」と精神的風土 |
黒沢文貴 都(立日比谷高校講師) |
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18 |
連合軍の反攻から原爆投下まで |
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20 |
戦術としての<特攻> |
櫻井良樹 (麗澤大学非常勤講師) |
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21 |
沖縄戦と原爆投下 |
藤村道生 |
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23 |
原爆の惨劇 |
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24 |
広島・長崎被害地図 |
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26 |
もの言わぬ証言者 |
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27 |
戦時下の教育-学徒動員と学童疎開 |
斎藤聖二 (茨城キリスト教短期大学助教授) |
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29 |
ポツダム宣言の受諾 |
藤村道生 |
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30 |
満州開拓団とソ連軍の進入 |
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アサヒグラフ(原爆関係記事一覧)
発行年月日 |
頁 |
記事 |
所蔵 |
19500816 |
18 |
ヒロシマを記録した人々告知板本 |
G |
19520806 |
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特別増刷 原爆被害の初公開 |
U |
19530701 |
04 |
原爆症患者その後-被爆八年目の広島にて
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G |
19530826 |
04 |
原爆記念日 広島 長崎 |
G |
19530930 |
06 |
本【雑誌】|広島平和記念資料館 平和データベース
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G |
19531223 |
03 |
本年度”浮世バンザイ”告知板 国内で初めて縁組 原爆孤児を精神養子に |
G |
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<未入力> |
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19650528 |
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表紙・くずれゆく原爆ドーム(広島) |
U |
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03 |
霊界から来だ”歌手・丸山明宏 |
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27 |
くずれゆく原爆ドーム |
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19730824 |
19 |
この人々に「戦後」はない―韓国・陝川郡の原爆被災者たち(写真と文:吉岡攻) |
U |
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19770617 |
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特集:日本原発地図 |
U |
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19780811 |
12 |
追跡全調査「原爆の子」106人の33年 閃光の記憶 いまも深く生々しく |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。