平和式典報道体制(広島テレビ)
| 撮影年月日:2017年8月6日午前8時26分 |
| 撮影者:宇吹暁 |
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| 撮影年月日:2018年8月6日午前8時35分 |
| 撮影者:宇吹暁 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
平和式典報道体制(広島テレビ)
| 撮影年月日:2017年8月6日午前8時26分 |
| 撮影者:宇吹暁 |
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| 撮影年月日:2018年8月6日午前8時35分 |
| 撮影者:宇吹暁 |
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『ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道』(NHK出版<日本放送出版協会>編・刊、20030730)
内容
| 章 | |||
| はじめに | |||
| 序 | そのとき、ラジオ・新聞は | ||
| ラジオ放送が止まった/新聞記事にできない | |||
| 1 | 第一章 それぞれの八月六日朝 | ||
| 八月六日付中国新聞朝刊/その朝のラジオ放送/大佐古記者の身代わり/生き運のいい松重カメラマン/中村記者の汚れたワイシャツ/間一髪、三人の放送局員 | |||
| 2 | 第二章 広島壊滅のとき | ||
| 原爆投下・一〇秒の衝撃/広島中央放送局壊滅/もう一つのヒロシマ/中国新聞社壊滅/中国新聞社国民義勇隊全滅 | |||
| 3 | 第三章 あの日の五枚の写真 | ||
| 八月六日午前・二枚の写真/坪井はここに死す/後ろ姿の少年とセーラー服の少女/明の行方を知っていますか/八月六日午後・三枚の写真/被爆写真・もう一つの記憶 | |||
| 4 | 第四章 絵に残されたあの日の記憶 | ||
| 市民の手で原爆の絵を/ 母と子の原爆の絵/ 司令部特設放送室壊滅/ まぼろしの声/ 母と子の絵、ふたたび |
|||
| 5 | 第五章 幻の原爆第一報 | ||
| 黒い雨/幻となった原爆第一報/軍管区発表も、記事にできない/ピカドン第二報、地獄の川を下る | |||
| 6 | 第六章 爆心地の夜 | ||
| 八月末日夜・相生橋の一夜/袋町小学校の朝、比治山の夜/韓国に渡った原爆孤児/アメリカに渡った原爆乙女/生ましめんかな | |||
| 7 | 第七章 原子野に月冴えわたる | ||
| 比治山多聞院の臨時県庁/宇品・江戸家猫八さんと原爆資料館長/中国新聞社、代行印刷へ/呉鎮原爆調査隊、広島に入れず | |||
| 8 | 第八章 原子砂漠の朝 | ||
| 八月七日・広島が消えた/爆心半径五百メートル/被爆地図復元へ/爆心地復元の元ディレクター/材木町から中島本町へ/遺影は語る/ヒロシマからの第一声 | |||
| 9 | 第九章 子どもたちの被爆 | ||
| 三位一体の人形になった子どもたち/母たちの悲しみ/元原爆資料館長と元エノラ・ゲイ機長/動員学徒たちの被爆 | |||
| 10 | 第十章 アメリカ兵捕虜の被爆 | ||
| 爆心地の被爆米兵/爆撃機ローンサム・レディー号/元搭乗員たちの生と死/トルーマン米大統領の声明/長崎被爆 | |||
| 11 | 第十一章 特殊爆弾の正体を解明せよ | ||
| 呉鎮原爆調査団、爆心地へ/密命・幻の海軍原爆調査団/陸軍原爆調査団と仁科博士/わが国の原爆研究/三発の不発弾と長崎原爆のゾンデ/終戦を決めた原爆調査報告書/調査団員、それぞれの戦後 | |||
| 12 | 第十二章 新聞再開への道 | ||
| 在広新聞社の被爆/一県一紙と代行印刷/八月九日付中国新聞/終戦、大佐古記者の召集/九月三日付、自力発行第一号/原爆プレス・コードの発令 | |||
| 13 | 第十三章 原爆報道のあけぼの | ||
| 台風、ふたたび代行印刷へ/十一月五日付、本社復帰第一号/生きている「死せるカメラマン」/放送局再開、平和祭の呼びかけ | |||
| 14 | 第十四章 「広島特報」から「ビロシマ新聞」へ 三十五年目の原爆新聞/昭和二十年八月七日付と八日付「広島特報」/昭和二十年八月七日付「ヒロシマ新聞」/いまなぜ「ビロシマ新聞」か |
||
| 15 | 第十五章 未来への伝言 | ||
| 俳優木村功の遺言/記者たちの伝言/核時代の記録・中国新聞は何を伝えたか/科学者たちの予見・核戦争後の地球/テレビは核をどう伝えたか | |||
| あとがき 本書の編集にあたって | |||
| 引用・参考文献 | |||
| 年表NHK・中国新聞社原爆報道史 | |||
| NHK・NHK出版、中国新聞社編集・発行の原爆関連図書 | |||
| 協力・資料提供者一覧 | |||
『NHK広島放送局60年史』( NHK広島放送局60年史編集委員会編、NHK広島放送局刊、1988/07/01)
内容
| 章節 | ||
| 開局60周年にあたって | ||
| Ⅰ | 広島放送局の誕生 1 | |
| 1 | 日本放送協会中国支部設立 | |
| ラジオの幕開け 1 日本放送協会中国支部設立 2 JOFK・こちらは広島放送局 4 総動員の郷土芸能人-開局記念番組- 7 |
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| 2 | 初期の放送番組 | |
| 放送番組の編成 9 とぎれとぎれの放送時間 10 報道放送 13 ニュース 臨時ニュース 産業ニュース 職業紹介 時報 生繭相場 局報 日用品値段 気象通報 経済市況 教養放送 17 講演講座 料理献立 青年の時間と農家の時間 学校放送 子供の時間 慰安放送 20 演芸 演劇 邦楽 洋楽 スタジオ外放送 23 |
||
| 3 | 初期の放送設備 | |
| 放送機 電源 空中線 演奏室 マイクロホン 音声増幅器 連絡線・中継線・非常時連絡装置 有線中継と無線中継 | ||
| 4 | 強まるラジオへの関心 | |
| 全国初めての聴取者嗜好調査 30 受信者普及運動 31 文書宣伝 映画講演会 放送実演・放送実験つき子供大会 ラジオ体操の会 講習会 ラジオ商組合・供電業者 特殊サービス 伸びる受信契約者数 35 地方局と出張所 37 中国支部が広島中央放送局に 38 |
||
| Ⅱ | 戦争と放送 | |
| 1 戦争体制へ 日中戦争と放送統制 41 戦時色に変わる放送番組 42 ひろがる放送網 45 岡山・鳥取放送局は、大阪から広島中央放送局管内に 46 |
||
| 2 太平洋戦争 きびしい電波管制 48 戦時中の放送番組 49 原放送所に三角塔型空中線建設 53 妨害放送 53 受信者の動き(昭和10年代)55 司令部地下壕からの空襲警報放送 56 番組表・加入者原簿の疎開 57 |
||
| Ⅲ | 原爆と広島中央放送局 | |
| 昭和20年(1945)8月6日、広島に原爆投下 59 原爆投下8月6日午前8時15分 61 被爆直後の広島中央放送局 63 広島中央放送局職員の被爆状況 65 原放送所での救急活動と生活 77 惨禍の中での単独放送開始 78 昭和20年8月21日以降の放送部事務日誌から 81 |
||
| Ⅳ | 混乱から復興へ | |
| 1 占領下の放送 第二放送、第三放送開始 89 ラジオコードの指令 90 復旧した流川演奏所 92 再生第一歩の初放送 94 ゼロからの出発 95 2 開放された放送 ローカル放送番組始まる 97 戦後のJOFKかいわい 99 マイク街頭へ 101 放送ストライキと放送国家管理 102 放送記者誕生 104 天皇ご巡幸と報道 105 平和記念式典の変遷 106 公開番組あれこれ 107 広島県放送文化普及委員会の発足 109 |
||
| Ⅴ | 発展するラジオ文化 | |
| 1 新しい放送制度 電波三法の施行 111 特殊法人日本放送協会の発足 111 中国地方の民間放送 112 2 ラジオ全盛期へ 多彩なラジオ番組 115 戦後の番組編成から- FKのスタジオ事情 農事放送とRFD全局をあげての仕事 スポーツ放送(昭和20年代)全国版に躍り出たローカル番組 芸能番組と部外放送関連団体 報道課誕生(昭和26年から現在まで)134 ラジオ・ドラマ花ざかり 151 FK芸能団体の活躍 156 広島放送管弦楽団 広島放送交響楽団 広島放送合唱団 広島放送劇団 広島放送児童合唱団 広島放送児童劇団 円盤録音からテープ録音へ 167 ラジオ放送網の建設 168 活発な周知活動 171 瀬戸内海文化船・文化バス 巡回ラジオ列車 NHKたすけあい夏・期移動相談 ラジオの集い NHK全国学校音楽コンクール 受信者の動き(昭和20年代)176 受信障害対策の変遷 178 |
||
| Ⅵ | テレビ時代の到来 | |
| 1 広島テレビジョン局開局 テレビの始まり 181 比治山テレビ放送所 182 昭和31年3月21日JOFK-TV開局 185 |
||
| 2 初期のテレビ番組と放送制作 テレビローカル定時番組開始 189 平和記念式典初のテレビ中継 190 ローカルテレビニュース放送開始 192 待望のテレビ中継車配備 196 テレビ中継車でスタジオ番組を制作 199 8ミリによるローカル番組 200 テレビ特集、特別番組(昭和30年代)202 スポーツ放送(昭和30年代)205 FK制作テレビドラマの系譜 207 広島放送会館落成 213 テレビジョン放送局建設ラッシュ 217 中国地方放送番組審議会の発足 221 FM放送の開始と運行業務 222 |
||
| 3 放送利用運動と視聴者サービス 放送教育研究会全国大会の開催 225 NHK婦人学級・放送利用農業集団の開設 228 あいつぐ海外演奏家・海外著名人の来広 228 番組公開 230 NHKサービスステーションの開設 231 テレビ受信対策 232 福山テレビ開局対策 大崎テレビ局UHF転換対策 受信者の動き(昭和30年代)234 |
||
| Ⅶ | カラー放送の時代 | |
| 1 テレビ、カラー化進む カラー放送の開始 237 ローカル番組もカラー化 238 爆心地図復元運動 240 ローカル30分番組の移り変わり 246 市民の手で原爆の絵を運動 249 特集・特別番組(昭和40年代)256 スポーツ放送(昭和40年代)と昭和50年のカープ初優勝 258 |
||
| 2 視聴者とともに 視聴者サービス月間実施 261 生涯学習と放送 262 NHK交響楽団公演 266 番組公開 267 難視解消への取り組み 268 広島中央放送局ロビーに原爆之碑建立 272 受信者の動き(昭和40年代)275 |
||
| Ⅷ | 地域放送の拡充 | |
| 1 多様化するテレビ番組 ローカルワイドニュースの新設 277 特集番組の拡充 284 瀬戸内海企画シリーズ(昭和15年から現在まで)285 番組素材の宝庫「厳島」 288 昭和50年代の特集番組 290 地域とともに「まちかど号」 293 スポーツ番組(昭和50年代)296 昭和50~60年代の主なラジオ番組 297 |
||
| 2 新しい技術 ニュース・番組制作全面ビデオ化 298 ニュースメディアの幕開け 300 衛星放送 文字放送 テレビ音声多重放送 緊急警報放送 ハイビジョン放送 |
||
| 3 放送文化の発展を願って 視聴者センターの設置 304 テレビ放送開始30周年キャンペイン 305 中国地方テレビ映像祭 306 地域総合イベント 307 受信者の動き(昭和50年代)311 |
||
| 4 ニューメディア時代を迎えて 各地で衛星放送公開・BSコンサート 315 中国地方文字放送フェア 315 広島放送局のきょうとあす 317 |
||
| 原爆放送史 | ||
| 原爆放送の概観 321 | ||
| NHKの原爆放送と私 327 | ||
| 原爆関連放送番組表(昭和21年~昭和63年)330 | ||
| 広島放送局制作原爆関連番組出版図書一覧 364 | ||
| 資料 | ||
| 昭和63年度地域放送番組一覧 367 広島放送局制作受賞番組一覧 368 ラジオ受信契約数の推移 371 テレビ受信契約数の推移 373 中国管内・県別受信契約数 376 中国管内ラジオ放送局一覧 377 中国管内テレビジョン・FM放送局一覧 378 広島県内の辺地共同受信施設一覧 393 広島放送局在籍者名簿[管理職 昭和2年度~61年度] 399 〃 [全職員 昭和30年度~61年度] 413 〃 [全職員 昭和62年度] 426 |
||
| 年表 429 |
備考
『爆心』(朝日新聞(広島版)連載 19850403~0822)
| 部 | 回 | |
| Ⅰ | 被爆死の空白 | |
| 1 | 白い花の記憶 遺骨の中に一輪 手向けの主は呉服商と判明 消えた繁華街・中島 消息不明なお多数 | |
| 2 | 小さき骨 | |
| 3 | 軍用旅舎 | |
| 4 | 天神町北組 | |
| 5 | 検校社 | |
| 6 | 支社史 | |
| 7 | 1/37 | |
| 8 | アイゴー | |
| 9 | 白衣 | |
| 10 | 通行人 | |
| 11 | 動員学徒 | |
| 12 | 68.8キロ | |
| Ⅱ | その生活史 | |
| 1 | ||
| 2 | ||
| 3 | ||
| 4 | ||
| 5 | ||
| 6 | ||
| 7 | ||
| 8 | ||
| 9 | ||
| 10 | ||
| 11 | ||
| 12 | ||
| 13 | ||
| 14 | ||
| Ⅲ | 40年の歩み | |
| 1 | ||
| 2 | ||
| 3 | ||
| 4 | ||
| 5 | ||
| 6 | ||
| 7 | ||
| 8 | ||
| 9 | ||
| 10 | ||
| 11 | ||
| 12 | ||
| 13 | ||
| 14 | ||
| 15 | ||
| 16 | ||
| 17 | ||
| 18 | ||
| 19 | ||
| Ⅳ | 生還 | |
| 1 | ||
| 2 | ||
| 3 | ||
| 4 | ||
| 5 | ||
| 6 | ||
| 7 | ||
| 8 | ||
| 9 | 二度とあっちゃいけんこと 9歳の記憶 | |
『消えたペン-新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編 、汐文社、19880718)
目次
| 頁 | 項目 | 備考 |
| 003 | はじめに | 中国新聞労働組合不戦の碑実行委員会 |
| 009 | 炎熱のもとで取材したこと | 大佐古一郎 |
| 019 | <記録>新聞労働者の1945・8・6 | |
| 相川愛子さん(21) 相原利夫さん(23) 有馬軍治さん(25) 井川勝雄さん(28) 伊藤音三郎さん(29) 石井道子さん(32) 石井諒一さん(36) 出雲初一さん(39) 今田レツさん(42) 今出良秋さん(44) 上田照子さん(46) 後チサ子さん(50) 小野一明さん(53) 落窪ミカさん(55) 神田留次郎さん(57) 本原フサヨさん(59) 北山一男さん(63) 串本誉さん(65) 桑原玉江さん(67) 小迫周蔵さん・美律枝さん(68) 小谷増夫さん(70) 河野秀三さん(72) 佐伯カメさん(84) 佐上美代子さん(77) 佐々木猪勢治さん(80) 佐瀬実さん(84) 坂本定造さん(86) 下本キクエさん(88) 下江達重さん(91) 新城朝子さん(96) 杉野勝吉さん(97) 高田久子さん(100) 竹前省三さん(102) 千葉恭子さん(105) 寺尾政之さん(107) 寺本簫三さん(108) 戸田正記さん(111) 伴谷ヤスヨさん(112) 中井ヨシヱさん(114) 中野勝正さん(115) 仲伏一之さん(118) 中村正男さん(121) 難波くみ子さん(124) 西村静一さん(126) 馬場謙一郎さん(128) 橋本令一さん(130) 桧山八重子さん(132) 平本ウメ子さん(134) 深川庄三郎さん(136) 福井ミツヱさん(137) 藤勇哲さん(140) 法安雅次さん(143) 細川儀一さん(146) 前田英子さん(148) 三木芳郎さん(150) 三田久ニさん(152) 三好友太郎さん(155) 水原智識さん(157) 宮武松三郎さん(161) 宮本軍一さん(163) 宮本澄香さん(165) 宮本藤吉さん(166) 望月慶三さん(168) 矢田茂さん(170) 保田博さん(173) 山井治吉さん(176) 山根喜美子さん(179) 山本利さん(181) 横田怐治さん(185) 横山隆ニさん(186) 吉田芳夫さん(189) 若林ツネヨさん(190) | ||
| 192 | 藤間侃治(合同新聞=現山陽新聞) | |
| 196 | <座談会>「不戦の碑」運動と犠牲者遺族取材を通して | |
| 204 | 戦時編集局の八月六日 | ト部清隆 |
| 209 | 逝ってしまった先輩たち | 兼井亨 |
| 214 | 原爆と私 | 下住忠 |
| 218 | 涙でうるんだファインダー | 松重美人 |
| 224 | おわりに | 浅井幹夫(中国新聞労働組合執行委員長) |
戦争展(読売新聞社)開催概要
| 回 | 会期 | 会場 | 備考 |
| 1 | |||
| 『戦争記念館 第1回・第2回 <戦争>展全記録 別冊新聞記者が語りつぐ戦争』(読売新聞大阪社会部編、読売新聞社、19790515) | |||
| 2 | |||
| 3 | |||
| 『戦争記念館 第3回・第4回 <戦争>展全記録 別冊新聞記者が語りつぐ戦争』(読売新聞大阪社会部編、読売新聞社、19790515) | |||
| 4 | 昭和55年8月7日-19日 | ||
| 5 | 昭和56年8月6日-18日 | 大丸大阪店 | |
| 6 | 昭和57年8月5日-16日 | 大丸大阪店 | |
| 7 | 昭和58年8月4日-15日 | 大丸心斎橋店 | |
| 『真夏の戦争記念館 戦争展 第7回全記録 付第6回 記録 』(読売新聞大阪社会部編、読売新聞社、19830801) | U | ||
| 8 | 昭和59年8月9日-21日 | 大丸心斎橋店 | |
原爆展(朝日新聞社主催)
資料
| 資料名 | 年月日 | 備考 | |
| 本冊子 | (編著者・発行所) | ||
| ヒロシマ原爆展 | 朝日新聞東京本社企画部、 広島市・朝日新聞社 | 19670905 | G |
| 原爆展アンケート集 | 朝日新聞社 | 19680101 | G |
| ヒロシマ原爆参考資料集-原爆ドーム保存工事完成記念 | 朝日新聞社東京本社企画部・広島平和記念資料館 | 19680115 | G |
| 原爆展 | 朝日新聞西部本社企画部 広島市・長崎市・朝日新聞社 | 19680702 | G |
| 長崎原爆展 | 朝日新聞東京本社企画部 長崎市・朝日新聞社 | 19680806 | G |
| ヒロシマ・ナガサキ原爆展 | 朝日新聞東京本社企画部 | 19700701 | GU |
| 原爆展 忘れまい、この惨禍 | 朝日新聞東京本社企画部 | 1982/07/01 | GU |
| 「原爆展」を見て 会場アンケートから | 朝日新聞東京本社企画部 | 19820920 | G |
『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部、19820701 )
内容
| 表紙 | 写真 | ||
| ヒロシマー1945 ナガサキー1945 | 挿図写真 | ||
| 02 | ごあいさつ | 広島市・長崎市・朝日新聞社 | |
| 広島市から | 荒木武(広島市長) | ||
| 03 | 長崎市から | 本島等(長崎市長) | |
| 05 | 広島ー人類最初の日 | ||
| 13 | 地球最後の地 | ||
| 21 | 非核日本の責務 岸田純之助 | ||
| 24 | 原爆の開発・破壊力 | ||
| 27 | 目標都市の選定 | ||
| 28 | 日本の原爆開発 | ||
| 29 | 広島・八月六日 | ||
| 32 | 被爆直後〈松重美人〉 | ||
| 34 | 被爆の品々 | ||
| 40 | 遺品など | ||
| 48 | 原爆被害の全貌 | 庄野直美 | |
| 51 | 長崎・八月九日 | ||
| 54 | 余燼くすぶるなかで | 〈山端庸介〉 | |
| 60 | 被爆の品々 | ||
| 64 | 遺品など | ||
| 70 | ラジオゾンデ・伝単など | ||
| 76 | 原爆による人体の障害 | 西森一正 | |
| 81 | ヒバクシャの戦後 | 〈福島菊次郎〉 | |
| 84 | 原爆の図-救出 | 〈丸木美術館〉丸木位里・丸木俊 | |
| 86 | 原爆以後の核開発と反核 | ||
| 88 | 米ソの核戦力 | ||
| 89 | もし「核」が落ちたら | ||
| 90 | 私の反戦 | 瀬戸内晴美 | |
| 92 | 出品目録 | ||
『毎日ムック』(毎日新聞社 )
| 発行年 | 頁 | 書名 | 所蔵 |
| 19950325 | 戦後50年 | G | |
| 広島爆心地360度パノラマ写真 | |||
| 002 | 原爆・広島・長崎 | ||
| 055 | アインシュタインの日本国民への釈明 | ||
| 066 | 第5福竜丸ビキニ被爆 | ||
| 188 | エンタープライズ寄港阻止闘争 | ||
| 207 | 京大闘争 | ||
| 214 | 三島由紀夫割腹 | ||
| 19950815 | アメリカ人の見た日本50年前 : カラー新発見 1945-1951 <毎日ムック 戦後50年姉妹篇> | GU | |
| 031 | 広島商工会議所屋上望楼から360度パノラマ写真 194510<林茂夫撮影> | ||
| 073 | 終戦1周年の平和式典 広島19460815<誤?> | ||
| 090 | ボルネオで日本軍と戦ったオーストラリア第7・9師団1200人が占領軍としてモロタイ島から呉に到着 広島19460214 | ||
| 102 | 米国人家庭の日本でのクリスマス 広島19471225 | ||
| 120 | 復興する広島 65%が再建された 19470516 | ||
| 154 | 瀬戸内海 広島・音戸 194908 | ||
| 176 | 広島駅 194904 | ||
| 178 | カナダ人と日本人の血をひく着物姿の女性と子供 1949 | ||
| 179 | 肥おけのある商店街 広島194909 | ||
| 184 | 復興する広島 195001 | ||
| 184 | 原爆ドーム 19500112 | ||
| 184 | 広島爆心地「平和の木・戦争はもうたくさん」 19500112 | ||
| 185 | 戦争はもうこりごり 「NO MORE HIROSHIMA 」を掲げた西連寺 広島195004 | ||
| 191 | 米映画の看板 広島195004 | ||
| 194 | ままごと遊び 広島19500403 | ||
| 204 | 墓地に隠した密造のドブロク 広島195012 | ||
| 238 | ミスター・スチールと撮影著たち | ||
| 19990220 | シリーズ20世紀の記憶 1945年 : 日独全体主義の崩壊 日本の空が一番青かった頃 |
G | |
| 042 | 戦艦大和の最期(吉田満「戦艦大和の最期」より) | ||
| 099 | 最初の原爆 | ||
| 100 | エノラゲイ | ||
| 101 | ヒロシマ 1945/8/6 8:15 | ||
| 101 | 太陽の廃立1945年8月(カネッティ『断想1942-1948』より) | ||
| 103 | 広島は平らになった (徳川夢声『夢声戦争日記8/10』より) | ||
| 104 | 戦後丸儲け(『丸山真男手帖5』より) | ||
| 105 | ナガサキ 1945/8/91 11:02 | ||
| 252 | 原爆開発[木幡越士] | ||
| 19991230 | 毎日ムック シリーズ20世紀の記憶 連合赤軍・”狼”たちの時代 : 1969-1975 | G | |
| 003 | 東大落城へ | ||
| 023 | 日大その後 | ||
| 025 | 早大 | ||
| 028 | 大学紛争 関東編 | ||
| 029 | 京大闘争 | ||
| 041 | 大学紛争 関西編 | ||
| 042 | 「広島死闘編」(広島大) | ||
| 045 | 九大 | ||
| 046 | 4・28沖縄デー1969 | ||
| 047 | ASPAC(アジア・太平洋協議会)粉砕闘争 | ||
| 047 | 10・21国際反戦デー | ||
| 052 | 高校生全共闘 | ||
| 106 | 70年安保闘争 | ||
| 109 | 三島由紀夫の決起 | ||
| 三島由紀夫割腹 三島由紀夫氏の死ののちに[武田泰淳] (「中央公論」1971年1月号、『レクイエム57』より) 要するに天皇一家の存在はあんたの飯の種なんだね(「中井英夫未発表日記(1949~1992)抄」より) |
|||
| 112 | 三島回想 | ||
| 180 | 未完の変革 高橋和巳君の死 | ||
| 276 | 中ピ連 | ||
『週刊朝日百科日本の歴史122 現代1敗戦と原爆投下』(朝日新聞社、19880821)
目次
| 頁 | 所蔵 | ||
| 藤村道生(責任編集) | GU | ||
| 02 | 日本の降伏をめぐる国際政治 | 藤村道生( 上智大学教授) | |
| 04 | 昭和二十年八月十五日 | 藤村道生 | |
| 08 | コラム:東京大空襲-昭和二十年3月十日 | 伊藤正徳 (聖徳学園関東高校教諭) | |
| 10 | 「和平」への戦い サイパン陥落以後 | 藤村道生 | |
| 16 | 全国主要都市の空襲被害 | ||
| 18 | 玉砕―その「構図」と精神的風土 | 黒沢文貴 都(立日比谷高校講師) | |
| 18 | 連合軍の反攻から原爆投下まで | ||
| 20 | 戦術としての<特攻> | 櫻井良樹 (麗澤大学非常勤講師) | |
| 21 | 沖縄戦と原爆投下 | 藤村道生 | |
| 23 | 原爆の惨劇 | ||
| 24 | 広島・長崎被害地図 | ||
| 26 | もの言わぬ証言者 | ||
| 27 | 戦時下の教育-学徒動員と学童疎開 | 斎藤聖二 (茨城キリスト教短期大学助教授) | |
| 29 | ポツダム宣言の受諾 | 藤村道生 | |
| 30 | 満州開拓団とソ連軍の進入 | ||
アサヒグラフ(原爆関係記事一覧)
| 発行年月日 | 頁 | 記事 | 所蔵 |
| 19500816 | 18 | ヒロシマを記録した人々告知板本 | G |
| 19520806 | 特別増刷 原爆被害の初公開 | U | |
| 19530701 | 04 | 原爆症患者その後-被爆八年目の広島にて | G |
| 19530826 | 04 | 原爆記念日 広島 長崎 | G |
| 19530930 | 06 |
本【雑誌】|広島平和記念資料館 平和データベース 原爆傷害調査委員会 広島
|
G |
| 19531223 | 03 | 本年度”浮世バンザイ”告知板 国内で初めて縁組 原爆孤児を精神養子に | G |
| <未入力> | |||
| 19650528 | 表紙・くずれゆく原爆ドーム(広島) | U | |
| 03 | 霊界から来だ”歌手・丸山明宏 | ||
| 27 | くずれゆく原爆ドーム | ||
| 19730824 | 19 | この人々に「戦後」はない―韓国・陝川郡の原爆被災者たち(写真と文:吉岡攻) | U |
| 19770617 | 特集:日本原発地図 | U | |
| 19780811 | 12 | 追跡全調査「原爆の子」106人の33年 閃光の記憶 いまも深く生々しく | U |
『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(朝日新聞社文化企画局大阪企画部(編・刊、199409)
目次
| 頁 | ||
| 口絵写真 | ||
| 020 | 19940927-1030 | 熊本県立美術館 |
| 19950551-0612 | 大丸ミュージアム・梅田 | |
| 19950812-0924 | 郡山市立美術館 | |
| 19951007-1203 | 広島市現代美術館 | |
| 021 | ごあいさつ | 主催者 |
| 024 | 霊魂よ眠れ | 新藤兼人 |
| 033 | コレクションテーマ[ヒロシマ] | |
| 087 | ヒロシマ―半世紀への黙示 | |
| 114 | コレクション、テーマ「ヒロシマ」について | 竹澤雄三(広島市現代美術館学芸課長) |
| 120 | 21世紀への黙示―ヒロシマ | 小泉晋弥(郡山市立美術館主任学芸員) |
| 127 | 原爆写真とは何か―次代の人類のヴィジョンのために | 平木収(写真論) |
| 133 | 戦争を風化させないために―フォトCD[ヒロシマ・1945] | 後藤和雄(朝日新聞写真データベース委員会幹事) |
| 135 | 市民が描いた原爆の絵 | 小泉晋弥 |
| 136 | 作家略歴 | |
| 140 | 出品目録 | |
『ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録 』(佐々木雄一郎写真、毎日新聞広島支局編 、毎日新聞広島支局、19770701 )
内容
| 撮影年月日 | 備考 | |
| 荒木武 | ||
| 194509 | 爆心 | |
| 1948 | 原爆ドーム | |
| <以下要入力> | ||
| ヒロシマの歩み<年表> | ||
| ヒロシマと生きて | 佐々木雄一郎 | |
| ヒロシマに思う | 山本皓三 | |
| 編集後記 | 河野通宏 | |
| 編集委員 |
『原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと』(NHKスペシャル取材班、岩波書店、20170725 )
目次
| 章 | ||
| 1 | きのこ雲の下の二枚の写真 | |
| 原爆投下三時間後の写真 | ||
| 「涙でファインダーがくもった」 | ||
| 御幸橋は壊滅地帯の出口だった | ||
| コラム① 「地獄の再現」は、証言者がいたからこそ実現した | ||
| 2 | 橋の上には凄惨な光景が広がっていた | |
| 少女は動かなくなった赤ちゃんを抱いていた | ||
| 「どこに逃げればいいのか」それだけを考えていた | ||
| 瀕死の重傷を負って | ||
| あれは「死の前の光景」だった | ||
| コラム② 私たちは八月六日、御幸橋を通った | ||
| 3 | 写真にはどのような”痛み”が写し出されているか | |
| 「科学の力」で原爆の実相を浮かび上がらせる | ||
| 人間が感じる最大の痛み、”フラッシュ・バーン” | ||
| 写真は”原爆の非人道性”を物語る | ||
| 放射線による影響は出ていたか | ||
| コラム③ 対談 熱傷の専門家×原子核物理学者 | ||
| 4 | 橋の上は、命を救う最前線だった | |
| 御幸橋は、救護の拠点となっていた | ||
| 広島に入った特攻兵を皮肉な運命が待っていた | ||
| 命の選別が行われた | ||
| 似島に運ばれて | ||
| コラム④ 水をあげるか、あげないか。それは究極の選択だった | ||
| 5 | 私は友を置いて橋へと逃げた | |
| がれきの下で校歌の合唱が始まった | ||
| 橋の上にいたのは、一〇代の少年少女たち | ||
| 最大の犠牲者は中学生だった | ||
| 悔いを抱えて | ||
| コラム⑤ 写真が写し出す”悲しき物語” | ||
| 終章 | 原爆は市民の上に落とされた | |
| 公表になぜ七年もかかったのか | ||
| 世界で唯一の写真は、訴え続ける | ||
| 「被爆の真実」は伝わっているか | ||
| コラム⑥ 差別を超えて | ||
| あとがき | ||
『NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真』(NHK取材班編、日本放送出版協会、19950830)
目次
| 章 | ||
| 序文 | ||
| 序章 | アメリカでよみがえる長崎 | |
| 写真修復計画「長崎・ジャーニー」 | ||
| 1945年8月10日、川端庸介の「長崎・ジャーニー」 | ||
| 山端写真と最新技術との出会い/クリスとジュディ | ||
| 第1章 | 長崎を記録した男 | |
| ヒロシマとナガサキ | ||
| 原爆を記録したカメラマンたち | ||
| 写真家・山端庸介の戦争 | ||
| 西部軍報道部と火野葦平 | ||
| 新たに発見された山端写真 | ||
| PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー | ||
| 第2章 | 長崎・ジャーニー1 ラッキーガール、おにぎりを持った親子 | |
| 偶然の「浦上工場」/八月十日「悲劇の谷」到着/早朝の憲兵隊本部 | ||
| 少女の微笑み/「ラッキーガール」の悲劇/「さまよう兄弟」との出会い | ||
| 炊き出しのおにぎり/「おにぎりを持った親子」/優しかった母の面影 | ||
| 第3章 | 長崎・ジャーニー2 爆心地・傷つき焼かれた人々 | |
| モンペの柄から/トラックの上の炎熱地獄/爆心地の悲惨/立ちすくむ少女 平和を祈る龍さんの五十年/路面電車、生と死のドラマ 謎の「浦上天主堂」写真 |
||
| 第4章 | 長崎・ジャーニー3 救援・逃げ延びた人々 | |
| 爆心地から北へ/市役所職員奮闘す/「これは私の家だ」 道ノ尾駅の幻の看護婦/日赤第七一三救護班/胸に滲むチンク油の匂い 語ってくれた[お乳をあげる母]/二人の子を失って/写真が説明している |
||
| 〇〇 | PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー | |
| 終章 | 長崎の映像は語る | |
| クリスとジュディの長崎再訪/アメリカ・原爆写真展の衝撃 | ||
| あとがき | ||
ヒロシマの記録(西本雅実・中国新聞記者)
(抄)
| 頁 | 見出し1 | 見出し2 | 備考(掲載日など) |
| 001 | ヒロシマガールズ | ||
| 017 | ドームの街 猿楽町 | ||
| 031 | 体験記53年後の訴え | ||
| 041 | ヒロシマの記録―遺影は語る | ||
| 053 | ヒロシマの記録―平和都市法50年 | ||
| 058 | ヒロシマの記録―遺影は語る | ||
| 132 | 写真家・林重男 | ||
| 135 | ヒロシマの記録 | ||
| 平和記念式典の歩み | |||
| 136 | ヒロシマ打電第1号 レスリー・ナカシマの軌跡 | ||
| 144 | ヒロシマの記録 | ||
| 平和大通り | |||
| 被災写真をみる | |||
| 147 | 原爆被災写真 1945~2003年 | ||
| 156 | ヒロシマの記録―原爆・平和写真データベース化 | 20040322 | |
| 資料館と本社共同 参加や式典2802枚 1次分を保存 | |||
| 157 | 松重美人さんが撮影 45.8.6全5カット 貴重な「記憶」次代へ | ||
| 158 | 広島平和ミッション 歴史を見つめて 中国編 | ||
| 167 | 広島平和ミッション 過去、今、未来 韓国編 | ||
| 174 | ヒロシマの記録 | ||
| 182 | ヒロシマの記録 原爆被災写真 | 20050802 | |
| 被爆の惨状 鮮明267枚 被災撮影者の会台帳の原本 中国新聞社に保存 | |||
| 183 | 被爆直後の市民 惨禍伝える「証言者」 | ||
| 原子雲 市内外から9カット | |||
| 193 | 被爆者運動50年 | ||
| 206 | ヒロシマの記録 | ||
| 224 | 被爆1カ付き 廃墟の映像が現存 | ||
| 226 | 原爆写真を追う 1945―2007年 | ||
| 230 | 原爆写真を追う 1945―2007年⑤ | 20070814 | |
| 御幸橋の惨状 | |||
| 231 | ヒロシマの記録―原爆写真の撮影者たち | 20070814 | |
| 原爆写真57人が2571枚 1945年8月6日―年末に撮影 資料館、1819枚保存 全体像が判明 | |||
| 232~233 | 広島原爆の写真撮影者(1945年8月6日~12月末) | ||
| 234 | 広島県女一年六組 1945-2008年 | ||
| 243 | ヒロシマの記録 | ||
新研ニュース(中国新聞労組新研部発行)
| 号 | 発行年月日 | 備考 |
| 01 | ||
| 02 | 19840113 | |
| 03 | 19840117 | |
| 04 | 19840204 | |
| 05 | 19840209 | 自治体報道への提言①兼井亨「一貫性欠ける特落ち対策」 |
| 11 | 19840321 | 原爆・平和報道への提言①秦野裕子「『なぜ』に答えぬ連載 多い常とう句深まらぬ認識」 |
『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)
目次
| 章節 | ||
| 序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午) | ||
| Ⅰ | 人間の復権を目指して(湯崎稔) | |
| Ⅰ-1 | 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔) | |
| Ⅰ-2 | 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔) | |
| Ⅰ-3 | 広島における被爆の実相 | |
| 『歴史評論 NO.336』(197804) | ||
| Ⅱ | 爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人) | |
| はじめに | ||
| Ⅱ-1 | 被爆原点の空白 | |
| Ⅱ-2 | 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃 | |
| Ⅱ-3 | 「爆心復元」アイデアの源泉 | |
| Ⅱ-4 | 爆心復元の論理と構想 | |
| Ⅱ-5 | キャンペーン始動 | |
| Ⅱ-6 | 爆心復元運動の展開 | |
| Ⅲ | 爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉) | |
| はじめに | ||
| Ⅲ-1 | 日本現代史の縮図としての広島 | |
| Ⅲ-2 | ヒロシマの視点 | |
| Ⅲ-3 | ヒロシマと現代 | |
| Ⅲ-4 | 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ | |
| Ⅳ | 座談会「爆心調査」からヒロシマを考える | |
| 出席者 | ||
| 青木豊子(爆心地復元調査協力者) | ||
| 鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員) | ||
| 高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者) | ||
| 長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター) | ||
| 渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員) | ||
| 児玉克哉(三重大学人文学部助教授) | ||
| 太田武男([中国新聞]編集部) | ||
| あとがき(児玉克哉) | ||
生きて(中国新聞連載)
| 氏名 | 回 | 見出し | 掲載日・担当記者 | |
| 葉佐井博巳 | 核物理学者 | 西本雅実 | ||
| 1 | 原爆 放射線測定で実態追う | |||
| 15 | 顧みて 戦争なき世界つくろう | |||
| 石丸紀興 | 都市・建築研究者 | 林淳一郎 | ||
| 1 | 復興史研究 被爆地広島の軌跡追う | 20161206 | ||
| 15 | 提案 地域見つめて研究継続 | 20161227 | ||
| 鎌田七男 | <医師・広島大名誉教授(1937年~)> | 西本雅実 | ||
| 1 | 顧みて 被爆者に教えられ歩む | 20170725 | ||
| 15止 | 継承 広島だからこその務め | 20170815 | ||
| サーロー節子 | <被爆者(1932年~)> | 金崎由美 | ||
| 1 | 新たな決意 廃絶へ仕事はこれから | 20180803 | ||
| 20止 | 核兵器 終わりの始まり | 20180901 | ||
広島国際文化財団
1977年、中国新聞社と中国放送が広島の文化振興を目的に設立した財団法人
主な事業
| 年月日 | |
| 197807 | 街づくりシンポジウム(丹下健三、平山郁夫など) |
| 197811 | デザイン会議1978広島 |
| 197904 | ガウディ展 |
| 198008 | 増田勉ヒロシマシリーズ作品展 |
| 米国記者招請計画(アキバ・プロジェクト) | |