索引(平和記念式典の歩み)

索引

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あ行
天野貞祐 14
アメラシンゲ国連総会議長 48,81
荒木武 53,55,56,81,108
安保改定反対闘争 87
池田勇人 77,92
遺骨 5,6,7,31,32,101-104
石島治志 9,12,15,18
石本喜久治 103
石本美由起 53
伊勢神宮 33
遺族代表 24,34,46-48,77,83,84
祈りの曲第一哀悼歌 53
慰霊祭→戦災死没者慰霊祭
慰霊塔 31
慰霊堂 31,42,43
慰霊の曲 53
慰霊碑→原爆死没者慰霊碑
岩国基地 24,26,46
宇野宗祐 78,92
右翼 38
英連邦軍 11,15,18,21,26,75,76
NHK世界の音楽 15,51
NHK広島放送管弦楽団 50,51
NHK広島放送(混声)合唱団 26,50
NHK広島放送局 9,12,15,105
MRA→道徳復興運動
遠藤実 53
扇ひろ子 41,52,53,
大木惇夫 15,41
大谷光照 7
大築邦雄 53
大原博夫 24,26,30
大原美術館 15
奥田達郎 21,22
長田新 13,25

か行
海部俊樹 78,92-94,99
核禁会議→核兵器禁止平和建設広島県民会議
核軍縮 58,61,68,81,108,109
核軍縮を求める22人委員会 84
核実験 58,60,61,64,70,
核戦争防止国際医師会議 68,69,84
核兵器禁止平和建設広島県民会議 33,84
核抑止論 58
過去帳→原爆死没者名簿
カズンズ 19,20,82,98
片田天玲 49
片山哲 11,91
香取正彦 50
カモメ 72
川崎優 53
韓国原爆被害者援護協会 47,82
岸信介 29,30,92
木原七郎 7,11
清瀬一郎 78
くす玉 41
楠瀬常猪 7,11,15,18,20,21
供養塔→戦災供養塔、原爆供養塔
供養会→広島市戦災死没者供養会、広島戦災供養会
クラーク 81
軍縮特別研究員→国連軍縮特別研究員
軍縮特別総会→国連軍縮特別総会
献花 24,27,35,41,42,46-48,53,78,83,84
献水 41
県婦協(県婦連)→広島県地域婦人団体連絡協議会
県労被爆連→ 広島県労働組合会議被爆者団体連絡協議会
原子爆弾症医療無料相談所 9
原子爆弾被爆者の医療等に関する法律 45,65
原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律 45
原水協→原水爆禁止日本協議会
原水禁→原水爆禁止国民会議
原・水爆禁止県民運動連絡本部 28,74,75
原水爆禁止国民会議 84
原水爆禁止日本協議会 36-38,84
原水爆禁止世界大会 36-38,48,65,75,80,82,84,86,88
原爆医療法→原子爆弾被爆者の医療等に関する法律
原爆乙女 50,83
原爆記念日→平和記念日
原爆供養塔 44,100,102-104
原爆供養塔納骨名簿 104
原爆孤児 8,25,47
原爆死没者慰霊碑 25,27,30,32-34,36,38,41,43,46,47,71,74,76,78,83,89,103,
106
原爆死没者名簿 25,43
原爆死没者調査 42,43,45
原爆資料館→広島平和記念資料館
原爆ドーム 31,69,85,103,105,107
原爆の子の像の歌 41,53
原爆被爆者対策基本問題懇談会 64,83
原爆被爆者養護ホーム 94
原爆病院→広島赤十字・原爆病院
原爆許すまじ 52
小磯良平 21
後遺症 56
皇太子 29,30,37,41,52,76,78
講和条約 25,102
国際軍縮促進議員連盟 78
国際自由宗教者世界大会 82
国際連合 19,58-63,67,72,81,108,109
国立東京博物館 15
国連→国際連合
国連軍縮会議 69
国連軍縮特別研究員 61,62
国連軍縮特別総会 60-62,68,108
国旗掲揚台 33
小林和作 14

さ行
雑賀忠義 32
坂田修一 25,39,102
佐藤栄作 78,92,94
産業奨励館→原爆ドーム
山陽競翔連合会 36
在日本大韓民国居留民団広島地方本部 83,94
在日本朝鮮人総連合会広島県本部 83
式典表示パネル 35
式典モニター 35
重園贇雄 10,52
死没者名簿→原爆死没者名簿
清水修 53
市民広場 11,17,21,23,30,31,49
宗教連盟広島県支部→広島県宗教連盟
終戦詔書 2,55
祝電披露 11,41
シュモー 81
新生学園 47
新日本協議会 37
GHQ 4,11,42
慈仙寺(の)鼻 6,8,10,11,23,74,100,104
人類破滅観 55,56,57,69
水上音楽会 105,106
鈴木善幸 78,92
世界平和アピール7人委員会 84
世界平和記念聖堂 76
世界平和デー 14,16,18,20,79
世界平和都市連帯 68,69
世界連邦 20,55,71,84,98
線香リレー 30
戦災供養塔 6,7,9,23,30,35,43,46,101,102,104,105
戦災供養盆踊 9,107
戦災孤児→原爆孤児
戦災死没者追悼法会 9
戦災死没者慰霊祭 9,23,24,27,41,42,46,100,101,107
戦災礼拝堂 7,8,100,101
戦没者追悼式 25,73,89
占領軍 10,23,75,77,83
全学連 38
全国鳩協会 76
全日自労 87

た行
胎内被爆 50
高松宮 76
谷川和穂 39
谷本清 13,14,19
丹下健三 18,30,32,33
中央公園 31
中国地方競翔部 76
弔旗 30,86
朝鮮戦争 21,24,36
寺田豊 10-12,15
天皇 29,33,37,48,52,76,78
天理スクールバンド 51
道徳復興運動 20,21,97
灯ろう流し 38,104-107
トルーマン 18-20
童心園 47

な行
中島供養会→広島市戦災死没者供養会
中島公園 30,31,102
中曽根康弘 39,78,92
中村藤太郎 10,11,41
中山マサ 77,78
長崎市 2,4,12,20-22,41,45,47,60,61,64,67,68,72,79,80,81,89-91,93,97,99,
108
永野巖雄 78
流れ献花 34,36,41,83
日米学生会議 82
仁都栗司 7,18,20
似島学園 47
似島供養塔 101
日本原水爆被害者団体協議会 84,89
日本国憲法 9,92
日本青年会議所 32
日本伝書鳩協会 36
日本文化平和協会 49
ノーモア・ヒロシマズ 13-15,20,98,99

は行
ハーシー 13,19,20
橋本登美三郎 78
花一輪運動 36
花行進 15
花満 36
花輪(奉呈) 24,26,41,46,47,50,80,81,83
浜井信三 6,10-15,17,18,20,21,23-26,28,31,35,38,43,46,47,50,53,54,70,71,
78,79,87,94
パーカー 19,98
パール・バック 98
非核三原則 59,64,78
非核宣言 80,85
非核都市宣言自治体連絡協議会 80
被爆者援護(法) 64,70,84
被爆者代表 47,48,80,83,89
被爆者代表から要望を聞く会 94
被爆者健康手帳 44,45
被爆体験 20,53,56,60,66,79
被爆体験の継承 66,67,70,88,108
碑文 6,32,71,87
平岡敬 53,71
平塩五男 29
広島折鶴の会 82
ひろしま川祭委員会 105
広島観光協会 10
広島県生花商組合 36
広島県遺族厚生連盟 25,73
広島県警察本部 37-39,52
広島県原爆被爆者援護対策協議会 38,89
広島県原爆被爆者団体協議会 45,94
広島県産業奨励館→原爆ドーム
広島県宗教連盟 8,86,100,101,105
広島県商工経済会 7-9
広島県戦没者合同慰霊祭 25,73
広島県地域婦人団体連絡協議会 38,44
広島県朝鮮人被爆者協議会 95
広島県労働組合会議 75,90
広島県労働組合会議被爆者団体連絡協議会 90,94
広島原爆病院→広島赤十字・原爆病院
広島交響楽団 51
広島市観光協会 10,105
広島市原爆被爆者協議会 38,47
広島市公衆衛生推進協議会 35
広島市商店街連合会 107
広島市視力障害者福祉協議会 72
広島市青年連合会 36,79
広島市戦災死没者供養会 6,8,9,100,101
広島市町(内)会連盟 7,8
広島市都市美化推進本部 35
広島市平和問題調査会 84
広島市未亡人会 32
広島市本通商店街復興協議会 7
広島修道院 47
広島商工会議所 10,11,28,41,77,105
広島少年合唱隊 51
広島吹奏楽団 18,51
広島赤十字・原爆病院 44,94
広島戦災供養会 23,24,44,46,101-103
広島戦災児育成所 8,47
広島茶業協同組合 36
広島中央競翔連合会 36
広島銅金鋳造会 17
ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展 61,67
広島被爆者団体連絡会議 95
広島ピース・センタ- 98
広島フィルハーモニー 51,105
広島平和記念館 32,41,104,108
広島平和記念資料館 32,34,35,69,72,94
広島平和記念都市建設法 17-19,21,31,32,49,68
広島平和協会 14,15,17,18,21-24,28,46,54,75,105
広島平和競翔連合会 36
広島平和祭協会 10,11,13,14,28,54
広島平和ツアー 85
広島平和都市記念碑→原爆死没者慰霊碑
ひろしま平和の歌 10-12,15,18,24,26,40,42,50,52,53,72
広島平和婦人連盟 107
広島平和文化センタ- 77,84,108,110
広島平和擁護委員会 22,23,107
広島放送管弦楽団→NHK広島放送管弦楽団
広島放送合唱団→NHK広島放送合唱団
ビキニ水爆被災事件 56,57
婦人国際平和自由連盟 82
プレスコード 4
平和記念資料館→広島平和記念資料館
平和祈念慰霊国民大祭 37
平和記念館→広島平和記念館
平和記念公園 18,25,27,30,32,33,37-39,74,89,100,102,107
平和記念植樹 12,15,18,41
平和記念都市建設法→広島平和記念都市建設法
平和記念日 11,12,28,35,37,41,65,67,85,88,90,91,96,97-99,101,105,107,108,
110
平和教育 66,67,70,108
平和祭(第1回) 9-14,23,40,48,92,50,52,55,91,95
平和祭(第2回) 13-16,23,28,29,49,98,105
平和祭(第3回) 17-19,27,42,49,73,79,97
平和祭(第4回) 19-23,36,48,53,77,97,101
平和祭協会→広島平和祭協会
平和サミット 68,108
平和式典(1951年) 23,24,27,42,43,46,53,73
平和式典(1952年) 25-27,33,43,73,74,92,98
平和請願署名運動 19,20
平和宣言 12,14,15,18,27,36,40,42,53-72,78,79,88,94,98,99,108
平和塔 11,15,23,41,48,49,54
平和都市記念碑→広島平和都市記念碑
平和の池 32,35,42
平和の歌→ひろしま平和の歌
平和の鐘 11,15,18,26,40,42,47-50,83,91
平和の灯 33
平和の灯奉賛会 35
平和広場 11,15,23,30,31
平和美術展覧会 14
平和復興祭 7-9,27
平和復興市民大会 7,9
平和文化推進審議会 88
平和文化都市建設協議会 31
平和問題調査会 77,84
平和擁護運動 20
平和を語る市民の会 108
ヘレン・ケラー 99
米軍軍政部 10,11
米国原爆被爆者協会 47
放鳩 11,15,18,21,26,36,40-42,76
放射能被曝 58,64
本願寺 7,33,105,107
ボーイスカウト 36,38,72
ポーツ 13

ま行
マクミラン 81
松岡駒吉 11,15,92
マッカーサー 11,12,18,99
松平恒雄 11,15,18,92
三笠宮 50,76
三木武夫 78,92,94
ミスヒロシマ 15,18,41
南薫造 14
名誉市民 81
モーテンソン 81
黙とう 8,13,23,24,26,40,42,48,88-91
森戸辰男 11,14,15,18,74
モントゴメリー 11

や行
野外音楽堂 11
山田節男 11,20,35,38,41,53,55,56,66,70,71,78,80,81,84,99
山本博 49
屋良朝苗 80
ユネスコ 20
吉田茂 18,24,26,50,92

ら行
礼拝の曲 53
レイノルズ 82
連合軍総司令官 11,21,75,76
ローズベルト夫人 98
ローマ法王 68,99
ロバートソン 15,16,18

わ行
渡辺忠雄 53,55,70
ワルトハイム 60,81
**********************

写真一覧(平和記念式典の歩み)

写真一覧

写真 1 バーチェット記者のヒロシマ報告         広島県文書館提供
写真 2 平和復興祭          中国新聞社提供
写真 3 平和広場に建設中の平和塔   中国新聞社提供
写真 4 1948年(昭和23年)の第2回平和祭        中国新聞社提供
写真 5 1949年(昭和24年)の第3回平和祭        中国新聞社提供
写真 6 広島市警察のビラ       広島市公文書館提供
写真 7 1951年(昭和26年)の平和式典に参列した米軍兵士 中国新聞社提供
写真 8 1952年(昭和27年)の平和式典 中国新聞社提供

写真 9 原爆死没者慰霊碑の過去帳を見る市民      中国新聞社提供
写真10 広島県と広島市の共催で開催された1960年(昭和35年)の平和式典
中国新聞社提供
写真11 1910年代(大正初期)の平和公園付近       中国新聞社提供
写真12 椅子が並べられた平和式典会場       広島市広報課提供
写真13 原爆資料館壁面に掲示された平和式典パネル   広島市広報課提供
写真14 第5回原水爆禁止世界大会       中国新聞社提供
写真15 空からの参加や取材      広島市広報課提供
写真16 原爆死没者名簿を奉納する荒木市長と遺族代表  広島市広報課提供
写真17 遺族代表(原爆孤児)の献花       中国新聞社提供
写真18 平和の鐘の点打       中国新聞社提供
写真19 平和の鐘の点打      広島市広報課提供
写真20 平和の鐘(香取正彦作)を点打する遺族代表   広島市広報課提供
写真21 ひろしま平和の歌の合唱      広島市広報課提供
写真22 吹奏楽団と合唱団      広島市広報課提供
写真23 平和宣言を読み上げる浜井市長      中国新聞社提供
写真24 平和宣言を読み上げる渡辺市長      広島市広報課提供
写真25 平和宣言を読み上げる山田市長      広島市広報課提供
写真26 平和宣言を読み上げる荒木市長      広島市広報課提供
写真27 平和宣言を読み上げる平岡市長       広島市広報課提供
写真28 1952年(昭和27年)の平和式典      広島市広報課提供
写真29 1954年(昭和29年)の平和式典      広島市広報課提供
写真30 平和式典会場の高松宮夫妻       広島市広報課提供
写真31 広島の式典で献花する長崎市民代表       中国新聞社提供
写真32 献花する特別名誉市民(シュモー、マクミラン) 広島市広報課提供
写真33 流れ献花 1991年(平成3年)      広島市広報課提供
写真34 被爆者の声を聞く三木総理大臣      広島市広報課提供
写真35 供養塔前につめかけた市民       中国新聞社提供
写真36 相生橋の下を流れる灯ろう      中国新聞社提供

表一覧(平和記念式典の歩み)

表一覧
表1 原爆死没者の追悼行事主催者一覧(1945年)
表2 平和式典(1947・52・91年)の式次第
表3 原爆死没者名簿奉納者数
表4 1991年の合唱団の構成
表5 ひろしま平和の歌
表6 1991年の特別来賓の案内数
表7 総理大臣・衆参両院議長の参列状況(1971年-91年)
表8 1991年の外国人参列者の概要
表9 広島市民の「8月6日の過ごし方」(NHK世論調査の結果)
表10 ローカル紙の原爆記念日に関する社説(1991年)
表11 海外からの広島市長あて書簡数(1947-51年)

参考資料・文献(平和記念式典の歩み)

参考資料・文献(平和記念式典の歩み)

広島市役所『市勢要覧(昭和22年版)』(広島市、1947年3月)
広島市役所『市勢要覧(昭和23年版)』(広島市、1949年1月)
広島平和協会『「平和と広島」に関する国外からの書簡(第一輯)』
(1949年7月)
広島市役所『市勢要覧(昭和24年版)』(広島市総務局調査課、1950年3月)
谷本清『ヒロシマの十字架を抱いて』(講談社、1950年7月25日)
広島市総務局調査課『市勢要覧(昭和26年版)』(広島市役所、1952年7月)
今堀誠二『原水爆時代(上)』(三一書房、1959年7月)
浜井信三『原爆市長』(朝日新聞社、1967年12月)
佐々木雄一郎『写真記録・ヒロシマ25年』(朝日新聞社、1970年)
広島県編『広島県史-近代現代資料編Ⅲ』(1976年3月)
広島市史編集委員会専門部会編『広島新史編集手帖第4号』(1979年8月)
広島市公文書館編『ひろしま今昔-’80広島市政令指定都市記念』
(広島市、1980年9月)
中国新聞社編『増補・ヒロシマの記録-被爆35周年写真集』(1980年9月)
広島市編『広島新史-資料編Ⅱ(復興編)』(1982年3月)
高桑幸吉『マッカーサーの新聞検閲』(読売新聞社、1984年9月)
広島市編『広島新史-歴史編』(1984年11月)
広島平和文化センタ-編『平和宣言集』(1985年4月)
広島都市生活研究会編『都市の復興-広島被爆40年史』
(広島市企画調整局文化担当、1985年8月)

海外からの広島市長あて書簡数(1947-51年)

海外からの広島市長あて書簡数(1947-51年)

国名 1947 19 48 1949 1950 1951
アメリカ 12 77 132 213 268 702
イギリス 5 34 31 27 97
ドイツ 11 16 15 42
オーストラリア 4 10 11 25
インド  7 14 2 23
フランス 3 4 11 18
その他  4 12 7 27 23 73
16 94 198 315 357 980

(広島市役所『昭和26年版市勢要覧』)

原爆記念日に関する社説(1991年、ローカル紙)

原爆記念日に関する社説(1991年、ローカル紙)

紙名 見出し
北海道新聞  いま「核廃絶」を目指すために
東奥日報 被爆体験が平和貢献への原点
福島民友 戦争の悲劇から学ぶこと(8月7日)
上毛新聞  鍛えよう平和への意志(8月7日)
(山梨日日新聞・日本海新聞・四国新聞・大分合同新聞にも同じ社説あり)
東京新聞 「ヒロシマ」から新しい訴えを
神奈川新聞  新時代にこそ広島の誓い
新潟日報  胸に刻みたい核廃絶への訴え
北陸中日新聞 「ヒロシマ」から新しい訴えを
福井新聞 国際化のなかでのヒロシマ (論説-和田稔)
信濃毎日新聞  核兵器の拡散を許すまい
岐阜新聞  平和に貢献できる道は -広島・長崎の被爆から46年
中日新聞 「ヒロシマ」から新しい訴えを
京都新聞 「原爆の日」と核減らしの潮流
神戸新聞 「世界化するヒロシマ」
山陽新聞 核の全廃へ新たな誓いを
愛媛新聞 被爆を語り継ぐのは国民の責務
高知新聞 「ヒロシマの心」を新時代に刻もう
熊本日日新聞  強い平和への意志を訴えよう
南日本新聞 初の戦争謝罪したヒロシマ宣言(8月7日)
沖縄タイムズ 「原爆の日」を迎える広島
琉球新報 永遠に忘れまじ原爆忌
西日本新聞 ヒロシマ91と日本の平和主義

 

 

広島市民の「8月6日の過ごし方」(NHK世論調査の結果)

広島市民の「8月6日の過ごし方」(NHK世論調査の結果)

回答 1975 1980 1985 1990
A.自宅や外出先で祈った 59% 63% 59% 52%
B.「原爆の日」と関係なく過ごした 18 21 28 32
C.教会や平和公園にお参り 14 14 10 11
D.平和式典や慰霊祭に参加 10 9 7 6
E.原水禁運動の催しに参加 1 2 1 1

 

外国人参列者の概要(1991年)

1991年の外国人参列者の概要

<区分>
来賓席(計34人)
世界テレビ映像祭関係者 16
その他 18
団体席(計339人)
原水爆禁止1991年世界大会海外代表者  100
YMCAピースセミナー参加者一行 50
第38回国際学生会議参加者 40
被爆46周年原水爆禁止世界大会海外代表者 36
日米文化センタ-関係者一行 20
ニュージーランド・ギスボン市長一行 16
ワールドフレンドシップセンター関係者一行 15
広島市国際交流員及び英語指導助手新規招致者 14
英国・ブライトン市元市長一行 11
英国・コベントリー市青年一行 11
その他 26

出典:広島市『平成3年平和記念式典資料』

総理大臣・衆参両院議長の参列状況(1971-91年)

総理大臣・衆参両院議長の参列状況(1971-91年)

総理大臣(代理) 衆議院   参議院
1971 佐藤栄作総理大臣 船田中(議長) 森八三一(副議長)
1972 二階堂進(内閣官房長官) (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1973 二階堂進(官房長官) (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1974 斉藤邦吉(厚生大臣) (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1975 田中正己(厚生大臣) 秋田大助(副議長) (メッセージのみ)
1976 三木武夫(総理大臣) (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1977 藤田正明(総務長官) (メッセージのみ) 加瀬完(副議長)
1978 安倍晋太郎(官房長官) (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1979 橋本龍太郎(厚生大臣) 灘尾弘吉(議長) (メッセージのみ)
1980 宮沢喜一(官房長官) (メッセージのみ) 徳永正利(議長)
1981 鈴木善幸(総理大臣) (メッセージのみ) 秋山長造(副議長)
1982 森下元晴(厚生大臣) (メッセージのみ) 徳永正利(議長)
1983 中曽根康弘(総理大臣) (メッセージのみ) 木村睦男(議長)
1984 渡部恒三(厚生大臣) (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1985 中曽根康弘(総理大臣) 坂田道太(議長) 木村睦男(議長)
1986 斉藤十朗(厚生大臣) 原健三郎(議長) 藤田正明(議長)
1987 中曽根康弘(総理大臣) 多賀谷真稔(副議長) 藤田正明(議長)
1988 藤本孝雄(厚生大臣) 多賀谷真稔(副議長) 藤田正明(議長)
1989 宇野宗佑(総理大臣) 安井吉典(副議長) 瀬谷英行(副議長)
1990 海部俊樹(総理大臣) 桜内義雄(議長) 小山一平(副議長)
1991 海部俊樹(総理大臣) 桜内義雄(議長)   土屋義彦(議長)

出典:新聞報道、広島市総務局総務課の資料

特別来賓の案内数(1991年)

特別来賓の案内数(1991年)

区分 人員
国機関 9
県関係 2
名誉市民 4
特別名誉市民 3
被爆者代表・遺族代表 55
長崎市民代表 3
地元選出・出身国会議員 18
22人委員会 24
国の出先機関 49
財界代表 17
市政功労者 40
平和問題調査会 18
平和文化センタ- 35
平和団体関係 8
広島市原爆被爆者協議会 9
広島原爆障害対策協議会 20
医療機関・研究機関 8
その他 10

出典:広島市『平成3年平和記念式典資料』

合唱団の構成(1991年)

合唱団の構成(1991年)

NO. 合唱団名 人員
1  広島大学合唱団 10
2 広島大学グリークラブ 14
3  広島大学東雲混声合唱団パストラール 24
4  広島女子大学 フラウエン・コール 6
5  広島少年合唱隊 72
6  広島少年合唱隊 母親コーラス 28
7  広島ジュピター 少年少女合唱団 76
8 広島放送児童合唱団 80
9  広島中央合唱団 13
10 広島ジュニアコーラス 48
11 エコー合唱団 11
12 広島合唱同好会 9
13 袋町小学校PTAコーラス部 23
14 コール・テンマ 31
15 基町小学校PTA 2
16  尾長小学校PTA ママさんコーラス 12
17 鈴が峰小学校PTAコーラス 12
18 舟入高校音楽部 8
19 ィンランド・タピオラ少年少女合唱団 39
(19団体) 518

 

 

原爆死没者名簿奉納数

表3

追加数 内数①②③ 総数
1952 57902 57902
1953 391 58293
1954 212 58505
1955 523  59028
1956 680  59708
1957 185 15   59893
1958 173  60066
1959 187  60253
1960 161 95 66 60414
1961 139 64   60553
1962 125 83 42 60678
1963 127 29   60805
1964  169 44  60974
1965 469 69   61443
1966 550 68 61993
1967 430 157 43 62423
1968 1101 521 428 121 63524
1969 9211 1390 6764 1035 72735
1970  3606   1228   1122  1196 76341
1971  1745  243   389  1107 78086
1972  2097   204 319  1567 80183
1973  2650   321  742   1575 82833
1974  1970  139  396    1429 84803
1975  2172  128  450  1590 86975
1976   2159   114  392 1647 89134
1977  2282  1 43   528  1611 91416
1978  2179  97   370  1712 93595
1979   2090  59  318 1713 95685
1980  2279  71   355  1853  97964
1981    2753  82   656  2015  100717
1982   3060  112  792   2153  103777
1983  5179  65  2648    2466  108956
1984   4315  56  1685   2573  113271
1985  25419  123  22009 3234  138690
1986   4941  165  1018 3656  143590
1987   4619  110   993  3473  148177
1988   4476   114  931  3428  152650
1989 4 424   23  921  347 4  157071
1990  10175  1565  5117 3483  167243
1991 4787 20 1081 3682 172024
 2021

注:①1945年8月6日死没者
②1945年8月6日~前年8月5日死没者
③前年8月6日~当年8月6日死没者
出典:1967年までは新聞報道、68年以降は広島市原爆被害対策部資料

平和式典(1947・52・91年)の式次第

平和式典(1947・52・91年)の式次第

1947年 1952年 1991年
開会挨拶  開会の辞  慰霊碑献水
平和塔除幕 慰霊碑除幕 開式
平和の歌合唱 原爆死没者過去帳奉納 原爆死没者名簿奉納
平和宣言 式辞 式辞
平和の鐘 平和の鐘・黙とう 献花
(平和への祈り) 平和宣言 黙とう・平和の鐘
メッセージ 放鳩 平和宣言
祝電披露 メッセージ朗読 放鳩
放鳩 平和の歌合唱 あいさつ
平和記念樹植樹 閉式の辞 ひろしま平和の歌
平和賛歌合唱 閉式
閉会の辞

出典:『中国新聞』、広島市『平成3年平和記念式典資料』

 

 

海外での関心(平和式典への関心)

平和式典への関心

(5) 海外での関心
広島市の平和へのよびかけは、世界中に大きな関心を呼び起こした。このような関心の高まりは広島市長に送られてくる海外からの書簡の増加にも見ることができる(表11)。市長あての書簡数は、第3回平和祭が開催された1949年(昭和24年)末までに300通を超えた。また、平和祭が中断を余儀なくされた50年1年で315通もの書簡が届いていることは、この時期の広島への関心がいかに高かったかを示している。書簡の内容は、同情・激励的なものから、次第に具体的な協力・支援・要望となった。国別では、アメリカからのものが大半であるが、ドイツ平和協会、ベルギー・ストップ・ウォー協会、オーストラリア平和誓約同盟、デンマーク・ノー・ウォー協会などヨーロッパの平和団体からのものも見られた。また、これらの書簡は、MRA大会(スイス)、世界連邦政府樹立運動の会議(スウェーデン)、世界平和主義者会議(インド)といった世界的な平和会議における広島への関心やニューヨークにおける広島ピース・センタ-建設準備委員会の結成の動きなどを伝えた。
平和宣言が、初めて海外に送られたのは1948年のことである。広島市あての海外からの書簡には、これに対する返書が多く含まれていた。49年の宣言に対する返書は、1月後に約30通あった(「中国新聞」48年9月10日)。また、占領期の書簡の多くは、「ノーモア・ヒロシマズ運動」関係者のものであった(「第2回平和祭」、「第3回平和祭」参照)。52年の平和記念日に中国新聞社の要請に応えて、アルフレッド・パーカー、ノーマン・カズンズ、パール・バックなど8人が広島市民にメッセージを送っているが、そのほとんどは、この運動の関係者であった(「中国新聞」52年8月6日)。
1952年には、チェコのプラーグ市平和委員会も、広島市の平和式典に電報を寄せた。広島市が平和宣言を社会主義諸国に初めて送ったのは、54年のことであるから、平和・独立・民主主義のための共同闘争を呼びかけたこの電文は、広島市への返信ではなく、独自のものであった。54年には、インドネシア平和委員会、北カリフォルニア平和会議をはじめ、日本放送協会の働きかけでエレノア・ルーズベルト夫人からも原爆記念日へのメッセージが寄せられた。また、
社会主義国の諸都市や世界各国の平和団体から平和宣言への返書が、続々広島市に届いた。これらのほとんどは、原水爆禁止についての広島のメッセージに賛同するという内容のものであった。都市からの返書には、ホノルル、シカゴ、サンフランシスコ(アメリカ)、バンクーバー(カナダ)、ジュネーブ(スイス)など欧米の諸都市をはじめ、モスクワ、スターリングラード、レニングラード、北京、プラーグ、ドレスデン、ソフィア、カール・マルクスなど社会主義諸国の諸都市からのものがあった。
原爆10周年の1955年には、前年以上に多くの関心が式典に寄せられた。8月15日までに海外から広島市に届いた書簡は、約60通にも及んでいる。また、翌年1月に宣言への反響をまとめたところ、238通(うち社会主義国からは82通)という宣言発送数151通をはるかに上回る書簡が届いていた。寄せられた書簡を国別に見ると、フランス88通、東独62通、米国とオーストリア17通、ハンガリー15通などとなっている(「中国新聞」56年5月2日)。
1956年8月6日の日本向けモスクワ放送は、つぎのような内容の「再び広島の悲劇を繰り返させるな」と題する解説を放送した。
今日では8月6日は悲しみの日であるだけでなく、闘いの日となった。「広島の悲劇を繰り返させるな」という言葉は、文明とこどもの幸福な将来を尊ぶすべての人々のスローガンとなった。原子兵器の禁止を要求する人類の声はいま世界のいたるところで響いている。(以下略)
(「中国新聞」1956年8月7日)
この年には、11月下旬までに、世界各国の都市長、平和団体やヘレン・ケラーなど著名人から20通の返書が届いた。また、57年の宣言の返書は17通、60年には40通あったことが報じられている。
広島市は、1968年6月下旬、ノーモア・ヒロシマの訴えを一層盛り上げるために平和記念日に向けてメッセージを送るよう海外29人、国内17人の著名人に要請した。この要請に海外15人、国内11人、合わせて26人が応えた。また、この年には、山田市長が5月27日にローマ法王パウロ6世に会見し、式典への招待状を渡したことから、法王より式典にメーッセージが届けられた。
1960年代後半から、世界の関心はベトナムに向けられた。69年の平和記念日に広島に寄せられたメッセージは、3通だけという低調ぶりである。74年以降、広島市は前述のように平和宣言の普及に様々な工夫をこらすようになった(「平和宣言の普及」参照)。80年には、海外の172人を対象に平和宣言についてのアンケート調査を実施し、宣言への意見や提言を求めた。その結果、17国47人から宣言の内容を支持する感想や意見が寄せられた。同様の調査は、翌81年にも実施されたが、33国128人から感想や意見が寄せられている。
海外の新聞も、式典に大きな関心を寄せてきた。ニューヨーク・タイムズは、毎年、平和記念日に関連した報道を行なっている。1947年には、マッカーサーのメッセージを中心とした東京発のAP電を掲載し、91年には、海部総理の式典でのあいさつを紹介したAP電を紹介した。ザ・タイムズ(ロンドン)が、広島の式典を初めて報道したのは51年である。これ以後、ほぼ毎年、広島または長崎への原爆投下日に関連した報道を行なっている。91年には、8月6日に広島の平和記念公園で祈りを捧げる人々を取材した写真を掲載した。
被爆40年(1985年)の広島の式典は、世界的に反核運動が高まっていたことと節目の年であることから、テレビ20社、新聞13社、通信8社、ラジオ4社など計49の海外のマスコミが取材した。米国3大ネットワークであるCBS、NBC、ABCが、それぞれ中国放送、広島テレビ、NHKの協力を得て、式典の模様を衛星中継した。このうちNBCとABCのものは、自局のニュースキャスターを広島に派遣しての放映であった。

マスコミの関心(平和式典への関心)

平和式典への関心

(4) マスコミの関心
日本のマスコミは、平和式典を初期の段階から積極的に報道した。NHKは、1947年(昭和22年)の第1回から実況放送を行なっている。47年は、ローカル放送であったが、48年と49年には、全国中継がなされた。51年と52年は、ローカルに戻ったが、53年以降、再び全国放送となり現在に至っている。広島局のテレビ放送が、56年3月に開始され、16ミリフィルムなどで取材された式典の模様がニュースとして放映された。テレビ中継は、開局から3回目に当たる58年から始まった。当時、広島局にはテレビ中継車は配備されておらず、中継は、福岡から派遣された中継車と技術スタッフが担当した(『NHK広島放送局60年史』)。
広島の民間放送局は、1952年10月に中国放送(ラジオ)が開局したのを手はじめに、59年4月の同局のテレビ、62年9月の広島テレビ放送、70年12月の広島ホームテレビ、75年10月のテレビ新広島と続いた。中国放送は、53年8月6日午前8時から30分間、平和式典を実況放送したが、これは、大阪朝日放送、ラジオ九州、ラジオ長崎などに中継された。テレビ各局も、開局直後の平和式典から中継を継続的に行ない、系列局を通じて全国各地に放映されている。
中国放送は、1970年の式典の模様を、8時13分から17分までの4分間、米国CBS系を通じて衛星中継した。この中継は、式典の衛星中継としては初めてのものであり、中国放送-TBS-国際電電十王無線局(茨城県)-インテルサット3号-CBSのルートで送られた。NHKは、89年の8月5日午後3時から7日午前0時までの33時間、衛星第2放送で「BSサマースペシャル-ヒロシマから世界へ、世界からヒロシマへ」を放送し、この中で式典の模様を世界に伝えた。NHK衛星第2による同様の放送は、90年と91年にも実施されている。
新聞各社も、式典の模様を報道し続けてきた。報道は、地元紙のみでなく、全国紙においても行なわれた。たとえば、朝日新聞(東京版)は、すべての式典を報じており、しかも、そのほとんどは、夕刊一面のトップかそれに準ずる扱いをしている。また、各紙は、早い時期から、8月6日前後の社説で平和記念日に言及している。朝日、読売、毎日、日経各紙の社説を追ってみると、この日に関連した社説は、1949年8月6日の朝日(「広島に残る“生きた影”」)、毎日(「平和のいしずえ」)、日経(「原爆4周年を迎う」)の社説を始めとして、51年朝日「原爆6周年」、52年朝日「“力による平和”への反省」、53年朝日「原爆貯蔵量と国際情勢」、毎日「原爆の日に思う」、54年朝日(「原子兵器の使用禁止」)、読売(「原爆記念日に答えるの道」、毎日(「原子力を平和の道へ」)と続き、55年以降は、4紙が、ほぼ毎年、8月6日前後に、広島・長崎に関連した社説を掲げ続けている(日経の場合、8月6日前後に原爆に関連した社説の無い年は、56年・66年・68年の3年)。これらから、日本の全国紙が、戦後の早い時期から原爆被害や平和記念日を特別の被害あるいは特別の日として意義づけてきた ことを知ることができる。こうした意義付けは、現在では多数のローカル紙においても見ることができる。表10は、91年8月6日前後のローカル紙の社説である。