「22 平和記念都市」カテゴリーアーカイブ

広島市議会史 昭和(戦後)編

『広島市議会史 昭和(戦後)編』(広島市議会編・刊、19900331)

章節
1 戦争終結と広島市
1-1 被爆による戦後 19
1 歴史を決めた白い光 19
2 市の応急措置 24
1-2 市会議員の被爆 36
1-3 敗戦と占領 48
1 8月15日までの応急事務 48
2 戦後処理 54
1-4 新市政の発足 60
1 戦後初の市会 60
2 復興の試み 65
1-5 市会の記録 70
1 市長の選出 70
2 官公庁等市内復帰の要望 76
2 再建の基礎
2-1 財政難の現実 81
1 戦後初の予算編成 81
2 財源問題 86
2-2 浜井市政の開始 89
1 最初の市長選挙 89
2 行政機溝の改変と制度の転換 94
2-3 戦後第1回の市会選挙 98
1 全市1選挙区制の採用 98
2 市会制度の整備と運営 103
2-4 広島平和記念都市建設法の成立 111
1 請願から特別法へ 111
2 法案通過と住民投票 117
2-5 市議会の記録 119
1 法制定過程についての報告 119
2 感謝決議と現実問題 123
3 戦後改革と市政
3-1 市町村主義への転換 137
1シャウプ勧告 137
2 諸改革への対応 139
3-2 自治体警察の顛末 148
1 公安条例の制定 148
2 自治体警察の廃止 153
3-3 誘致の努力と成功 159
1 第6回国民体育大会とカープ出資 159
2 工場誘致 164
3-4 議員定数問題と選挙 169
1 定数削減の論議 169
2 26年統一選挙 175
3-5 市議会議員選挙当選無効事件 178
1 問題の経過 178
2 事件の幕切れ 184
4 施設の拡充と市政
第1節 市民球場とバスターミナル 189
1 市民球場の建設まで 189
2 バスターミナルの建設 195
第2節 治水・取水問題 203
1 太田川改修工事の完成 203
2 太田川分水問題と土師ダム負担金 208
第3節 中核都市への構想と対応 219
1 大広島構想の継続 219
2 広島市開発公社の設立 225
第4節 大規模施設をめぐる紛争 230
1 市営火葬場建設問題 230
2 空港 236
第5節 市議会の規模(施設と定数)241
1 新議事堂の建設 241
2 定数問題再び 248
5 原爆問題への新たな対処
第1節 原水爆禁止へ向けて 253
1 原水爆禁止運動と市議会 253
2 原水爆・核兵器の禁止を求めて 257
第2節 被爆者対策・被爆者医療を求めて 263
1 被爆者対策の開始 263
2 原爆医療法の成立と展開 268
第3節 被爆者の全面的援護を求めて 278
1 原爆特別措置法へ向けて 278
2 被爆者援護法を求めて 283
第4節 平和施設の設置 293
1 広島平和記念都市建設法の制定と市議会の対応 293
2 原爆ドーム 301
6 民生と福祉
第1節 同和対策事業 309
1 戦後当初の同和対策行政 309
2 同和対策行政の発展 313
第2節 失業対策事業 316
1 失業対策事業の開始と発展 316
2 失業対策事業の縮減へ向けて 319
第3節 医療機関の充実 323
1 広島市立舟入病院 323
2 社会保険広島市民病院 325
3 広島市立安佐市民病院 328
第4節 社会福祉事業の開始 331
1 戦後当初の社会福祉 331
2 国民健康保険事業 337
第5節 高齢化社会へ向けて 342
1 社会福祉施策の展開 342
2 高齢化社会への対応 351
7 教育行政
第1節 教育委員会 363
1 戦前の地方教育行政 363
2 教育委員会の変遷 364
第2節 小・中学校、高等学校 375
1 小学校および中学校 375
2 市立高等学校 385
第3節 幼椎園とその他の市立学校 393
1 幼椎園 393
2 その他の市立学校 401
第4節 広島大学移転 404
1 新制広島大学の誕生 404
2 統合移転へ向けて 406
3 広島市および市議会の対応 410
8 草の根民主主義のために
第1節 図書館の発展 427
1 CIE図書館と市立浅野図書館 427
2 市立中央図書館と公文書館 430
第2節 冷戦の中の姉妹都市 431
2 ホノルル 432
3 ボルゴグラード 437
第3節 新たな国際友好の動き 446
1 ハノーバー 446
2 重慶 453
第4節 安全な環境づくり 455
1 市議会の暴力追放決議 455
2 都公害からの自由 459
第5節 市議会議員定数条例問題 470
1 民主主義と議員定数 470
2 直接請求の提出と市議会の対応 472
9 政令指定都市への歩み
第1節 大広島構想による編入合併 487
1 戸坂村の編入 487
2 中山村・井口村の編入 490
第2節 広域合併 494
1 14カ町村の合併 494
2 合併をめぐる紛争 503
第3節 目標の確定 507
1 調査研究の進行 507
2 政策の転換 514
第4節 目標の実現 521
1 政令の公布 521
2 区設置条例の成立 529
第5節 指走都市移行の背景 537
1 基本構想の改定 537
2 自治省の視点からの折衝経過 541
10 政令指定都市としての広島市
第1節 区名決定の経緯 555
1 行政区画研究会案 555
2 区名決定まで 559
第2節 制度的移行の概要 563
1 制度としての指定都市 563
2 事務移譲 568
第3節 区役所の組織と機構 571
1 行政区の理念 571
2 区役所設置 578
第4節 昭和55年度への対応 584
1 予算編成と条例・規則の制定・改廃 584
2 予算と施策の概要 586
第5節 人事問題の波紋 597
1 副議長不信任 597
2 議員・市長・助役 606
11 大都市建設事業
第1節 西部開発事業の完成 615
1 事業の経緯 615
2 補償と市議会議員 620
第2節 市庁舎の完成・改修 626
1 本庁舎の新築 6262 議事堂としての南庁舎改修 632
第3節 市街地整備事業のあらまし 637
1 基町地区再開発 637
2 段原再開発 642
3 駅前再開発 648
第4節 臨海部開発の構想 652
1 21世紀ビジョンの作成 652
2 メッセ・コンベンション・ゾーンの計画 657
第5節 広島西部丘陵都市構想の具体化 667
1 新都心形成の夢 667
2 都市建設に向けての論議 677
12 国際平和文化都市としての成熟を目指して
第1節 ごみ戦争と環境浄化 687
1 都市化と廃棄物 687
2 し尿処理 694
第2節 交通問題構想と総合交通体系 698
1 道路・交通の現況と取組み 698
2 新交通システム 711
第3節 平和アピールの継続 720
1 非核3原則 720
2 被爆40周年 727
第4節 文化行政の諸相 732
1 文化懇話会の提言から 732
2 都市美と現代美術館 740
第5節 市制100周年前後 748
1 昭和の終わり、平成の始まり 748
2 海と島の博覧会からアジア競技大会へ 753
付録
1 歴代市議会議長・副議長および市議会議員名簿 763
2 市議会開会の記録 772
3 会派の推移 789
あとがき

広島市議会史

広島市議会史 広島市議会編・刊

1 概観広島市議会史 広島市議会事務局 編 1976/03/31
2 広島市議会史-統計資料編 広島市議会編 1983/03/31
3 広島市議会史-法令資料編 広島市議会編 1984/03/31
4 広島市議会史-新聞資料編 広島市議会編 1985/03/31
5 広島市議会史-議事資料編Ⅰ 広島市議会編 1985/03/31
6 広島市議会史-社会資料編 広島市議会編 1986/02/28
7 広島市議会史-議事資料編Ⅱ 広島市議会編 1987/03/31
8 広島市議会史-大正・昭和(戦前)編 広島市議会編 1987/03/31
9 広島市議会史-総論・明治編 広島市議会編 1990/03/31
10 広島市議会史-昭和(戦後)編 広島市議会編 1990/03/31

広島に聞く・広島を聞く(『広島平和研究所ニューズレター』所収)

「特集 広島に聞く・広島を聞く」<インタビュー: 浅井 基文>(『広島平和研究所ニューズレター』)

巻号・発行年月
1  広島は疲れている(舟橋喜惠・広島大学名誉教授) 8-3・200603
2 言行一致こそヒロシマの心(平岡敬・前広島市長) 9-1・200607
3 被団協50年――回顧と展望(坪井直・広島県原爆被害者団体協議会理事長) 9-2・200611
4 差別ではなく共生を(李実根・在日本朝鮮人被爆者連絡協議会会長) 9-2・200703
5 被爆者は私の教育者(鎌田七男・広島原爆被爆者援護事業団理事長/広島原爆養護ホーム倉掛のぞみ園園長) 10-1・200707
6 ゲンは怒っている(中沢啓治・漫画家) 10-2・200711
7 もう一つの被団協(金子一士・広島県原爆被害者団体協議会理事長) 10-3・200803
8 きのこ会と原爆投下質問(秋信利彦・元中国放送記者) 11-1・200807
<2008年3月号 金子一士氏『もう一つの被団協』への見解と回答>
心外だが、すべてを未来のために(坪井直)
金子一士氏と浅井基文氏への一言(森瀧健一郎)
確認とお詫び(金子一士)
回答(浅井基文)
11-1・200807
9 前・廿日市市長 平和と岩国を語る(山下三郎・広島県社会福祉協議会会長/前廿日市市長) 11-2・200811
10 詩人・御庄博巳と医師・丸屋 博(丸屋博・広島共立病院名誉院長)
11 児童文学作家・那須正幹氏の目線における広島(那須正幹・児童文学作家) 12-1・200907
12 原爆症認定訴訟の画期的意義と残された問題(渡辺力人・原爆認定証を求める集団訴訟を支援する県民会議事務局長) 12-2・200911
13 被爆・占領下の広島を語り残す(大村英幸氏・広島青年文化連盟初代委員長) 12-3・201003
14 広島原水禁活動40年をふり返る(横原由紀夫・元原水爆禁止広島県協議会事務局長) 13-1・201007
15 原水禁第9回世界大会を回顧する(北西允・広島大学名誉教授) 13-2・201011
16 反核平和運動に生きて(佐藤光雄・日本平和委員会代表理事) 13-3・201103

原爆被害の実相-長崎レポート 長崎原爆被害総合報告1977

『原爆被害の実相-長崎レポート 長崎原爆被害総合報告1977』(NGO被爆問題国際シンポジウム長崎準備委員会、19770730)

内容

巻頭言
核兵器廃絶に向かって 具島兼三郎 1
世界平和への大きな指針 諸谷義武 2
国際連合への要請 広島市長・長崎市長 3
 原爆被害の全体像にどう迫るか 7
1 原爆による物理的破壊
1. 原爆のエネルギー 9
2. 爆風の威力 10
3. 熱線の威力 14
4. 爆風と熱線と火災による総合的被害 17
5. 放射能の威力 23
5-1 初期放射線 24
5-2 残留放射線 28
5-3 放射線の植物への影響 29
6. 原爆による死傷者数 31
7. 被爆当日の気象 33
(参考文献)41
2 原子爆弾による身体的障害
1. 概説 44
2. 急性原爆症について
2-1 急性期 46
2-2 亜急性期 47
2-3、4 亜慢性期および慢性期 49
3. 後障害
3-1 ケロイド 50
3-2 眼障害 51
3-3 血液疾患 57
3-4 悪性腫瘍 60
3-5 老化現象 62
3-6 精神神経障害 63
3-7 若年期被爆者の障害 64
3-8 胎内被爆による障害 66
3-9 遺伝的影響 68
4. 長崎原爆医療史 70
(長崎文献)78
3 長崎における原爆と人間
1. 長崎原爆とは何か-アプローチと全体像 82
2. 長崎原爆をめぐる社会的政治的諸問題
2-1 なぜ原爆は投下されたのか 84
2-2 なぜアメリカは長崎を投下地に選択したか 86
2-3 なぜ8月9日、外国人たちが長崎にいたか 89
3. 原爆による社会の崩壊
3-1 住居、家屋等の物理的被害 91
3-2 人的被害 92
3-3 家族崩壊と世代形成への打撃 94
3-4 地域社会の崩壊と生活資源の破壊 96
3-5 被爆者一般調査にみる社会の崩壊 98
4. 原爆による生活の破壊
4-1 生命の破壊 101
4-2 生活の場・生活資材の破壊 104
4-3 身体の障害と健康の阻害 105
4-4 家庭生活への影響 107
4-5 生活力・労働力の喪失と減退 108
4-6 被爆者の生活記録 110
5. 被爆者の精神的苦悩
5-1 被爆者の精神的苦悩をどう認識するか 113
5-2 被爆者の 否定 意識 113
5-3 被爆者の意識の前進 116
6. 表現活動に見る長崎の被爆意識 117
7. 被爆者の住宅づくり・まちづくり
7-1 重度被爆者の住宅づくり 124
7-2 平和都市建設への課題と展望 130
8. 長崎における被爆者の運動
8-1 被爆者運動の胎動と初期原水禁運動 135
8-2 原水禁運動・被爆者運動の試錬期 138
8-3 被爆者運動の到達点と課題 141
4 原爆と平和教育
1. 現代の平和教育 142
2. 平和教育の歴史
2-1 長崎における平和教育運動の経過 145
2-2 日本の教科書における原爆記述の変遷 149
2-3 学校教育における平和児童文化の教材化 157
2-4 爆心地付近の学校実践 160
2-5 長崎市における平和教育の実態 163
2-6 修学旅行団の対する体験談を通しての平和教育の実践 164
2-7 学校教育の実践例 167
3. 平和教育の視点とカリキュラム
3-1 小学校における平和教育の視点とカリキュラム 174
3-2 中学校平和教育の視点 176
3-3 高等学校における平和教育の視点カリキュラム 176
4. 家庭と社会における平和教育
4-1 被爆証言運動の歩みと現状 182
4-2 原爆資料収集、研究、展示の諸活動 184
4-3 長崎国際文化会館の活動 185
4-4 親子文集・読書・映画・絵図展・追悼碑建立等の諸活動 187
5 長崎におけるマスメディアの活動
1. 原爆報道とマスメディア 189
2. 長崎新聞-被爆県紙としての課題を背負って 191
3. 共同通信-原爆企画の主なもの 195
4. 長崎放送-「長崎原爆」報道活動について 198
5. KTN-長崎問題報道年表 205
6. NHK長崎放送-原爆問題への取組み 208
7. 長崎原爆関係文献一覧 216
6 長崎における被爆者の実情-調査報告 222
1. 被爆者調査報告の目的と意義 222
2. 被爆者一般調査報告
2-1 今回調査の概要 223
2-2 問「被爆による不利」への回答例 224
2-3 被爆による不利の全体像 226
2-4 被爆者の「人間回復」のための社会的条件とは何か-失対労働者群にみる 226
2-5 問「被爆者としての要求や訴え」への回答例 229
3. 被爆者医学調査報告
3-1 調査目的 236
3-2 とりくみの経過 236
3-3 医学調査集計結果 236
3-4 医学調査結果の特徴と問題点 238
3-5 医学調査・事例報告 239
4. 被爆者生活史調査 241
(証言-事例研究篇)
原爆被爆者の32年-生活史調査における証言記録 243
4-1 石本秋男さんの場合-疎外と逃避をのりこえて 244
4-2 永瀬和子さんの場合-病気と差別、貧困にたえる 249
4-3 松尾敦之さんの場合-妻子を奪い私のナカにもえる原爆 255
4-4 小佐々八郎さんの場合-被爆から反被爆、被爆者運動へ 262
4-5 中村順さんの場合-どん底からの証言と告発 267
4-6 田島治太夫さんの場合-連合軍捕虜たちとともに被爆して 274
4-7 崔季*さんの場合-釜山から長崎へ、国境を越える怒りと愛 279
今後の課題―被爆体験の思想化と継承  鎌田定夫286
(付) 長崎原爆関係年表 288
(あとがき)1977年7月25日 鎌田定夫(編集委員会代表)
NGO国際シンポジウム長崎準備委員会 312
 sinpobkn19770730

『平和の推進』(広島平和文化センター、19710331)

『平和の推進』(広島平和文化センター、19710331)

内容

bk19710331
見出し 備考
02 まえがき(広島市長 山田節男、19710331)
03 平和運動の推進
1基本方針
2事業推進の体系
04 3平和精神の確立
05 平和文化施設の整備
06 平和文化推進審議会
1 平和を推進する指針緒作成
(1)「平和の歩み」
(2)平和と教育「ヒロシマの証言」
(3)映画「ヒロシマ・原爆の記録」
07 2 原爆被災者の究明
(1)原爆被災全体像調査
(2)原爆被災資料保存の要請
08 (3)ABCCについて
3 平和祈念式典について
(1)式典
(2)平和宣言
4 国際平和会議の開催
09 5 国際文化会館の構想について
6 平和記念施設の整備について
7 平和文化団体の提携
平和文化推進審議会委員名簿
10 ヒロシマをすべての人の心に
平和文化図書の発刊/原爆記録映画の制作・公開/原爆死没者の調査/原爆死没者名簿公開
22 ひとりひとりの心に平和の砦を
平和文化市民講座/平和を語る市民集会/原爆被災全体像調査のための市民集会/文化活動
43 世界平和への道
平和宣言
世界連邦運動
国際文化会館(仮称)の建設
53 平和文化センターの歩み
57 資料

広島県名誉県民

広島県名誉県民 出典:広島県名誉県民 – 顕彰 | 広島県 (hiroshima.lg.jp)

氏名 氏名よみ 生、没年月 事績
井伏 鱒二 いぶせ・ますじ 平成5年7月10日 逝去 小説家。代表作に「黒い雨」。昭和41年 文化勲章受章
灘尾 弘吉 なだお・ひろきち 明治32年12月21日佐伯郡大柿町生まれ。平成6年1月22日 逝去 昭和27年から31年間にわたり,衆議院議員として活躍。この間,文部大臣(6回),厚生大臣(1回)を歴任,また,昭和54年には第61代衆議院議長に就任。全国社会福祉協議会会長として社会福祉の充実に努める。
織田 幹雄 おだ・みきお
奥田 元宋 おくだ・げんそう
圓鍔 勝三 えんつば・かつぞう
岡田 善雄 おかだ・よしお
平山 郁夫 ひらやま・いくお 昭和5年6月15日豊田郡瀬戸田町生まれ。平成21年12月2日 逝去。 日本画家。仏教を主題にした幻想的な作風を確立し,シルクロードシリーズなどの連作で日本画壇に清新の境地を開拓するとともに,アンコール遺跡をはじめとする世界各地の文化遺産の保護活動に尽力。代表作に「仏教伝来」「入涅槃幻想」「広島生変図」「祇園精舎」など。平成10年 文化勲章受章
阿川 弘之 あがわ・ひろゆき 平成27年8月3日 逝去 小説家。代表作に「春の城」「雲の墓標」「山本五十六」「志賀直哉」など。平成11年  文化勲章受章。
井口 洋夫 いのくち・ひろお
新藤 兼人 しんどう・かねと 明治45年4月22日広島市生まれ。平成24年5月29日 逝去 シナリオ作家・映画監督。
代表作に「原爆の子」「裸の島」「竹山ひとり旅」「午後の遺言状」「三文役者」など
宮澤 喜一 みやざわ・きいち 大正8年10月8日生まれ。平成19年6月28日逝去 昭和28年参議院議員に初当選,昭和42年からは衆議院議員として連続12回当選。この間,内閣総理大臣をはじめ,大蔵大臣,経済企画庁長官などの要職を歴任するなど,50年にわたり,国政をリード。政治・経済・外交の指導者として,わが国の繁栄と世界平和の推進に努める
三宅 一生 みやけ・いっせい 昭和13年4月22日広島市に生まれる。(平成22年12月16日顕彰) 衣服デザイナー。
平面である布と立体としての身体との関係を独自の眼で捉え直し,「一枚の布」という画期的な衣服づくりの概念を世界に広めた。長年にわたり常に第一線でファッション界をリードするとともに,日本のみならず世界各地で活躍し,国際的にも高い評価を獲得している。
平成22年  文化勲章受章

長崎原爆犠牲者慰霊の会

広島平和文化センター主催「長崎原爆犠牲者慰霊の会」2003年~<作業中

1 2003
2 2004
3 2005
4 2006
5 2007
6 2008
7 2009
8 2010
9 2011
10 2012
11 2013
12 2014 会場:原爆資料館。参列者約50人
13 2015
14 2016
15 2017 会場:原爆資料館。参列者約100人
16 2018 会場:原爆資料館。参列者約30人
17 2019 会場:原爆資料館。参列者約100人
18 2020
2021 新型コロナウィルス感染拡大のため中止
2022 会場:原爆資料館。参列者約50人

長崎被爆者団体一覧表

長崎被爆者団体一覧表

団 体 の 名称等 設 立 年 月  主 な 事 業 内 容
 長崎原爆被災者協議会(一般財団法人)  19560623設立

19630529財団法として認可

20140401一般財団法人として認可

 

 ・「ふたたび被爆者をつくらせない」ために核兵器廃絶
の実現をめざす
・日本政府に「核兵器禁止条約」の批准を求める
・国家補償の被爆者援護法をめざす
・戦争に反対し、平和な世界の実現をめざす
・原爆被害の実相を国の内外へ伝える
・「原発ゼロとエネルギー政策の転換」を求める
・「被爆体験者」への支援をおこなう
・被爆2世、3世の対策の強化をはかる
 長崎原爆遺族会  ・原子爆弾被爆の実相の継承
・核兵器廃絶に適う世界平和実現へ。核ゼロにするた
め、世界の人々の役に立つ知見の共有化を求めて、努
力する。
・被爆者への援護施策の改善と相談・支援・絆の強化。
・原爆死没者の遺族や二・三世、体験者、在外被爆者等
への対策の確立。
・あの日と未来のために!原爆遺構の世界遺産登録に他
の団体と協力、努力する。
 長崎県被爆者手帳友の会 19670618  ・国家補償の原則を求め、被爆者援護法の充実
・被爆者の相互扶助・親睦を図り、明るい市民生活を促

・被爆者の社会的、経済的地位の確立
・被爆二世、三世対策の強化
・被爆「体験者」の支援
・核兵器廃絶、恒久平和実現のための国際交流
 長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会 19750129  ・被爆者援護法の国家補償法への改正
・被爆者医療援護、生活補償の拡充
・原爆症認定、在外被爆者、「被爆体験者」など被爆者
問題の抜本的解決
・被爆二・三世対策の確立
・「核兵器禁止条約」の締結、核廃絶、脱原発(省エネ
を基本に、自然エネルギーを基幹エネルギーへ)
・反戦・平和・護憲、人権と民主主義の確立
・安保法制の廃止、立憲主義の回復
 長崎県被爆者手帳友愛会  1979  ・核兵器廃絶と世界平和の確立
・拡大地域の処遇の改善要求(12km以内の未指定地域を
被爆地域に)
・被爆者援護法を国家補償の精神に基づいた援護法に
・被爆二世の健康診断の充実(ガン検診の実施を)
・被爆した親の影響を受けて発病したものと思われる病
気については被爆者と同等の取り扱いをすること
・被爆認定の距離的条件を撤廃
 長崎原爆被爆者の会  200004  ・高齢化する被爆者援護の充実
・核廃絶と世界平和の実現
・被爆者の社会的、経済的地位の確立
・被爆二世定期健診の充実と施策強化
・被爆者の相互扶助と親睦
 長崎県原爆被爆者島原半島
連合会
 199705  ・核兵器廃絶と世界平和の確立
・被爆者援護法の充実強化
・被爆者の保健・医療・福祉の充実
・被爆実態の調査研究と啓発活動の促進
・被爆者のための文化向上と生活相談
・被爆二・三世の定期健診の法制化と医療費の国庫負担

出典:長崎市│原爆被爆者対策事業概要 (nagasaki.lg.jp)

年表:灯ろう流し 1947~76年

年表:灯ろう流し

年 月日
1947
0714 広島市内の日蓮門下寺院8ケ寺の僧侶13人と広島立正婦人協会員1、000人が中 島本町慈仙寺鼻の供養塔で臨川大施我鬼法要を執行。供養塔での読経終了後、3隻 の発動機船に分乗し、本川の三篠橋から播磨橋の間を往復、原爆犠牲者の戒名・ 俗名などをしたためた経木を川に流して、水供養をおこなう。48年7月31日、51年 7月11日にも執行。
47年8月5日、広島県宗教連盟が、慈仙寺鼻河畔から慰霊船を元安川に出して、川供養。
1948
0806 広島市的場大通商店街が的場町太陽館前広場に「法界万霊戦死者供養塔」を 建て、法要を執行、午後7時から猿こう川で川施我鬼を催し、とうろう流し。
1950
0806 中国商店街連合会、とうろう流し。以後毎年実施(「中国新聞」56年8月5日)
1952 ひろしま川祭委員会
広島市・市教委・市観光協会・広島商工会議所・FK・国際文化協会・中国新聞社が、「原爆犠牲者の霊を慰めるとともに大衆への慰安をも併せ行い、春の広島まつりとともに広島の二大年中行事」にしようと結成(「中国新聞」1952年7月23日)
第1回52年8月9-10日。
9日、供養塔前と本川橋側水上で花火大会
相生橋河畔で9日夜の満潮時に2、000燈のとうろう流し
10日、原爆ドーム前元安川で水上音楽会
0806 午後9時から、本川青年団が今年も相生橋下でとうろう400個を流す。
1953 ひろしま川祭委員会
第2回53年8月8日。
6-8日夜の満潮時に元安川と本川で2、000燈のとうろう流し
8日、水上音楽会と花火
1954 ひろしま川祭委員会
第3回54年8月7-8日。7つの川で午後7時半からとうろう流し。2万個。
中部地区=6-8日、大仏殿前元安川河畔、2、000灯
横川地区=7-8日、横川橋下、700灯
己斐地区=6-7日、己斐橋、1、000灯
十日市地区=6日、本川小学校横河畔、300灯
鷹野橋地区=6日、明治橋下、700灯
駅前地区=6-7日、駅前橋下北側、800灯
段原地区=7日、大正橋下、300灯
6日、5、000個のとうろう
8日、平和記念公園で慰霊花火大会
0806 午後8時から、世界平和広島仏舎利塔建設会・広島大仏奉賛会が元安川原爆ドー ム前で5000個のとうろう流し。
0806 本願寺広島別院、水上法要と流灯会を行う。56年も。
1955 ひろしま川祭委員会
第4回55年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。1万個。
6日、8、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1956 ひろしま川祭委員会
第5回56年8月6-7日。7つの川(10か所)で午後8時からとうろう流し。1万2,000個。
6日、10、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1957 ひろしま川祭委員会
第6回57年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。
6日、15、000個のとうろう
相生橋・広島駅前橋・荒神橋・稲荷橋・大正橋西詰・京橋・明治橋・横川橋・己 斐橋・本川小学校裏
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1959 ひろしま川祭委員会
第9回60年8月6-7日。7つの川(11か所)で午後9時40分満潮時からとうろう流し。
6日、1万個のとうろう
広島駅前橋・稲荷橋・大正橋・京橋・元安橋・本川小学校・横川橋・観音橋・明 治橋・己斐橋・県貯木場(吉島)
7日、平和記念公園・市公会堂南側で慰霊花火大会
1960 ひろしま川祭委員会
第10回61年8月6-7日。
6日、6つの川でとうろう流し。
0806 広島県宗教連盟が、初めて本川で2、000個のとうろう流し
1962 ひろしま川祭委員会
第11回62年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
11-12日、市民球場で盆おどり大会
1963 ひろしま川祭委員会
第12回63年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万2、000個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
1964 ひろしま川祭委員会
第13回64年8月6日。
6日、川(10か所)で1万1、000個のとうろう流し。
1965
0807 広島市・中国新聞社など共催とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)市内10か所。約1万1、000個
0814 広島広島悲願の会とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)元安川と本川。約1万個
太田川夏祭=盆踊大会と花火大会
1973
0806 5か所、広島祭委員会は12,000個を用意。後始末が大変なため、この年は本川など3 つの川で姿を消す。
1976
0806 とうろう流し。花火大会。市政と市民では初紹介。
環境問題で流す数を制限され、昨年より5,000個少ない1万個を用意

とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)

とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)

実施状況 場所:原爆ドーム対岸 元安川浸水テラス

1973 とうろう流し。約1万2000個。
2005 とうろう流し。
2009 とうろう流し。約9000個。
2010 とうろう流し。約1万個。
2012 とうろう流し。約1万個。
2013 とうろう流し。約1万個。
2014 とうろう流し。約9000個。
2015
市民約70人、「広島 愛の川」合唱(初回)
2016 ピースメッセージとうろう流し
2017 とうろう流し。約1万個。
2018 ピースメッセージとうろう流し
2019 原爆ドーム前の元安川などで「とうろう流し」。約7000個の灯籠。
2020 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠17個を川に浮かべる。
2021 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠12個を川に浮かべる。