『高校生1万人署名活動 高校生パワーが世界を変える 長崎新聞新書010』(高校生1万人署名活動実行委員会・長崎新聞社編集局報道部著、長崎新聞社、20031115)
内容<作業中>
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発刊にあたって |
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目次 |
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| 1 |
高校生パワーが世界を変える |
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| 2 |
次世代の平和運動-高校生1万人署名の軌跡 |
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八月の空の下で 2003 |
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三度目の夏 |
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イラク戦争の気配の中で |
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ピースメッセンジャー |
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高校生平和大使 1998~2000 |
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平和大使の誕生 |
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新しい何かの始まり |
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被爆地の若者として |
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地球市民会議 |
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ヨーロッパへ |
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一つのアイデア |
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高校生1万人署名のはじまり 2001 |
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若者たちが動き始めた |
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焦り、悩み、不満、不安・・・ |
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支え合い、叱咤激励して |
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一万人を超えた! |
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第4回高校生平和大使 |
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9・11テロの衝撃と波紋 |
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多様化する署名運動 2001・02 |
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オランダからの高校生平和大使 |
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ミサイルよりも鉛筆を |
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広がる署名活動 |
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ローマ法王との単独謁見 |
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長崎発 高校生平和アピール |
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バックアップ |
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大人のスタンス |
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定着する活動への評価 |
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平和って何ですか 2002・03 |
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力を抜いて普段着の自分を |
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継続する力 |
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「ソミョンヘジョセヨ」 |
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21世紀平和ネットの誕生 |
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第6回高校生平和大使 |
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「世界に認められた」 |
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止
渡辺浩<ゆたか>『15歳のナガサキ原爆 岩波ジュニア新書』(岩波書店 、20021120)
内容(作業中)
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はじめに |
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「被爆当時、私は15歳、長崎県立長崎中学校の3年生」 |
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目次 |
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原爆被害地図/長崎市街地図/広域図/ |
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| 1 |
ナガサキを知っていますか |
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| 2 |
小国民と戦艦「武蔵」 |
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子供のころから戦争だった/戦艦「武蔵」誕生 |
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| 3 |
戦争している国の中学生 |
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中学にはいってみれば/今はない母校<長崎県立長崎中学校>/校内を案内しましょう/中学生の戦争/秘匿名(ナ)工場<長中の学校工場>/爆撃下に生きる |
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| 4 |
1945年8月9日 |
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ファットマン /小倉をあきらめ長崎へ/原爆の火球を見た人<『はだしのゲン』で落下傘をつけた原爆が空中で爆発したとあるのはまちがい> |
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爆心地の中学では/私立鎮西学院中学校/私立常清高等実践女学校/長崎県立瓊浦中学校/長崎県立長崎工業学校/長崎市立商業学校/私立純心高等女学校/大浦東山手と市内の中学校では//西山では /角田京子先生の手紙/// |
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| 5 |
われわれの8・9 |
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| 6 |
爆心地を越えて |
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| 7 |
再び爆心地へ |
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| 8 |
ナガサキ・ディ・アフター |
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おわりに―世紀を生きていく人たちへのお願い |
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原爆被害地図・長崎市街地図・広域図 |
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止
広島県被爆者の手記編集委員会編『原爆ゆるすまじ 新日本新書9』(新日本出版社、19650705)
| 頁 |
著者 |
タイトル |
備考 |
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まえがき |
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| 9 |
大江恵美 |
あれから二十年 |
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| 21 |
四国五郎 |
弟の日記 |
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| 43 |
一被爆者 |
空中に被爆して |
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| 45 |
はやみちかこ |
太陽のない朝 |
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| 52 |
金崎是 |
差別の壁をこえて |
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| 68 |
大倉和子 |
父母を失って |
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| 83 |
福田須磨子 |
たたかいの二十年 |
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| 99 |
山中みち子 |
七歳の証言 |
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| 115 |
山口彊 |
死中に生を得て ―広島・長崎での二重被爆記― |
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| 133 |
山下寛治 |
原爆とその後 ―短歌と日記― |
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| 153 |
温品道義 |
過去の広島商人として |
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| 174 |
杉原芳夫 |
医師として |
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| 188 |
志水禎吉 |
まともな目 |
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| 202 |
吉岡幸雄 |
たたかいの中で |
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止
『炎の中から-被爆衛生兵の証言』(田川清光著、長崎の証言刊行委員会、19710630)
内容
| 部 |
章 |
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メモ |
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序文 聖フランシスコ病院長 秋月辰一郎 5 |
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まえがき 著者 田川清光 13 |
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| 1 |
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被爆前後(原爆の記)17 |
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最後の召集-員数外の兵隊 18
特設長崎地区警備隊-敵の上陸に備えて 27
八月九日-運命の日の朝 30
閃光と崩壊-生きながらの地獄 39
死の行進-妻と妹をたずねて 49
隣人愛は国境をこえて-外人捕虜たちの協力 56
妻と妹が生きていた-再会の喜びに泣く 58
炎からの脱出-竹の久保より浦上駅、長崎駅へ 63
浦上の大火-大浦からの夜景 69
八月十日-「煉獄」の中の救護活動 74
死者たちの世界-爆心地付近に入る 85
八月十一,十二日-果てしない救護活動 93
八月十三日-薬品捜しと牛馬の徴発 103
八月十四日-憲兵隊への応援 108
八月十五日-ついに敗戦 112
八月十六日-地獄から天国三ッ山へ 118
父の話-十日早朝の爆心地帯 124
原爆病-三ッ山での発病と救護活動 129
飢えと病気とのたたかい-救急病院にて節子死す 134
受難の日々-疎開地や市街地での苦闘 141
秋から冬へ-春を待ちつつ 147 |
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| 2 |
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第2部 原爆の十字架を背負って -祈りと沈黙から証言・告発への歩み- 151 |
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序 |
「犠牲と祈り」からの出発 原爆犠牲者追悼の辞 152 |
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永井隆博士の反省の意味するもの 154 |
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2 |
あの日の記憶-私たちの原点 158 |
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1 毎ばん、死者たちの夢をみる-城山小学校の受難 159
2 原子雲の下に生きて-山里小学校児童の記録から 164
3 第1部「被爆前後」の補足証言
義妹・七奈子の証言 173
第二中隊長・藤野中尉の証言 174
田川福松さんの証言 176
三菱製鋼所生き残りの証言 179 |
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3 |
原爆後遺症とのたたかい 185 |
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1 二十年後におそった突然の死 189
2 善意の人びとの供血もむなしく 190
3 おかあさんの骨をぶっつけてやりたい 192
4 小頭症患者家族の深い沈黙 194
5 原爆に片目と片腕を奪われた怒り 197 |
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4 |
被爆者ゆえに流転する人生 -生活と??と権利を求めて被爆者たちは歩む- 201 |
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ある被爆乙女のたどった半生 202
被爆患者たちは訴える 206
被爆朝鮮人・中国人たちの運命 208 |
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5 |
原爆白書と援護法制定の運動 -政府の対策と被爆者たち 実状と要求- 213 |
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1 政府の被爆者対策の推移 214
2 被爆者の実態調査結果が示すもの 220
3 被爆者たちは何を望み何を要求しているか(資料)226 |
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終章 |
原点からの再出発と運動統一こそ被爆者の悲願 232 |
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{付} 被爆体験を語る兄妹たち -田川・本村家生き残り十二人の証言- 238 |
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あとがき 「長崎の証言」刊行委員会 鎌田定夫 250 |
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止
『大竹から戦争が見える シリーズ広島地域近現代史 1』(阪上史子著、ひろしま女性学研究所、20160201)
内容
| 章 |
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はじめに 4 |
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| 1 |
海南島に出会う 6 |
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『大竹港引き揚げの記録』を観る 9 |
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海南島へ行く 13 |
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「神戸・南京をむすぶ会」について 16 |
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大竹と海南島をつなぐもの 18 |
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| 2 |
大竹から「戦争」が見える 22 |
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歴史遺産たっぷりの大竹 23 |
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大竹海兵団 26 |
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城山三郎と笠原和夫の海兵団体験 26
消耗品としての悔しい日々 29
海兵団それぞれの思い出 31
海兵団と大竹 32
その後の海兵団-跡地利用 33 |
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大竹引揚港 35 |
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海南島から復員 35
海南島の日本兵の戦争犯罪 37
大竹『引揚援護の記録』 39
厚生省『引揚援護の記録』 42 |
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企業城下町・大竹 46 |
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“社宅に住む” 46
大林組の飯場 49 |
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戦争と災害と大竹 52 |
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戦時体制下の大竹 52
甚大な原爆被害 53
枕崎台風と広島 57 |
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占領時代の大竹 59 |
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大竹の占領軍慰安所 59
天皇の大竹訪問 65
国立大竹病院 6 |
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| 3 |
大竹と朝鮮人 68 |
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記録の中の朝鮮人 69
李相萬(リ・サンマン)さんのお話 75
姜周泰(カン・ジュテ)さんのお話 82
私と朝鮮の出会い 87 |
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おわりに 89 |
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止
『ヒロシマの空白 被爆75年』(著者 中国新聞社報道センターヒロシマ平和メディアセンター著、中国新聞社・ザメディアジョン、中国新聞社、ザメディアジョン、20210623)
内容
| 頁 |
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| 002 |
「空白」を埋めていく 2 |
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| 004 |
目次 |
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| 1部 |
「埋もれた名前」編 13 |
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NEWS 原爆犠牲者 8万9025人把握
〈特集〉埋もれた犠牲者名 どう把握 14
1 70年余 公的記録なし 16
2 全容把握 消極的な国 17
3 生後数時間 名なき命 18
4 各地から応召 犠牲に 19
5 大学の調査 最近から 20
6 多数犠牲 解明には壁 21
7 国交なく援護対象外 22
8 亡命一家をほんろう 23
9 5万人余の記録不明 24
10 宙に浮く事業所名簿 25
11 「個人情報保護」壁に 26
12 「推定」79歳 わが名は 27
NEWS「消された命の証しあった」 28
NEWS「壊滅の悲惨さ 浮き彫り」 29
コラム1「空白 被爆翌年以降にも」 30 |
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| 2部 |
「帰れぬ遺骨」編 31 |
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NEWS 供養塔の遺骨 1体返還調査
〈特集〉帰れぬ遺骨 家族はどこに 32
1 祈念館の遺影 糸口に 34
2 墓の骨は誰 募る疑問 35
3 資料館周辺 生活の場 36
4 証言集に「麓」さん表記 37
5 供養塔も「家族の墓」 38
6 名前記載 眠ったまま 39
7 小さな「かけら」供養 40
8 1人で発掘「まだある」 41
9 収集「地方がやること」 42
10 死者の無念思い続け 43
11 捜し続けた子 どこに 44
番外編 死亡状況 記録と一致 45
コラム2「生きた証し訴える遺品」 46 |
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| 3部 |
「さまよう資料」編 47 |
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NEWS 米軍返還の組織標本 劣化
〈特集〉史料の散逸 阻まれた研究 48
1 標本 急性症状の痕跡 50
2 内部被曝 細胞貫く筋 51
3 健康追跡 膨大な蓄積 52
4 被害実態 鮮明に語る 53
5 遺品 焼け跡写す一枚 54
6 保存基準なく廃棄も 55
7 各地の歩み 無二の財産 56
8 屋外動員 教師は反対 57
9 手記や遺品 国・市にも 58
10 痛みや歩み「継承を」 59
コラム3「資料保存 オール広島で」 60 |
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| 4部 |
「国の責任を問う」編 61 |
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NEWS 原爆犠牲「米に賠償責任」
〈特集〉被害の全て 償われたか 62
1 「遺族も被爆」が条件 64
2 全ての死者に償いを 65
3 死没者銘記 まだ一部 66
4 空襲・原爆 共に被害者 67
5 91歳でやっと手に 68
6 「放射線起因」に限定 69
7 広範囲に「黒い雨」 71
8 「遺伝」未解明 援護の外 71
9 「生き残った者の務め」 72 |
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| 5部 |
「朝鮮半島の原爆被害者」編 73 |
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NEWS 朝鮮人被爆死 把握漏れ
〈特集〉埋もれた犠牲者 海外にも 74 |
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| 6部 |
「つなぐ責務」編 77 |
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〈特集〉被害に迫る営み未来へ 78
1 75年経て肉親記載へ 80
2 「まだ発見あるはず」 81
3 公開情報に眠る事実 82
4 援護の外 見えぬ被害 83
5 「絶対悪」繰り返させぬ 84
6 一人一人の命 忘れぬ 85 |
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| 7部 |
「75年後の夏」編 87 |
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NEWS 投下前の写真3000枚寄贈
1 8・6前日 笑顔のわが家 88
2 生きた証し 語る反物 89
3 75年後の健康手帳取得 90
4 今向き合う「あの日」 91
5 捜し歩いた日々克明に 92
6 叔母の最期 初めて知る 93 |
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ヒロシマの空白 街並み再現 95 |
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写真グラフ 96 |
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本通り 100
八丁堀 108
旧中島地区と周辺 110
本川地区 114
基町と周辺 116
国泰寺町 118
広島駅 120
島病院 122
〈特集〉日常のカケラ 埋めていく 124 |
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ウエブサイト案内 127 |
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止
『原爆と戦った特攻兵 8・6広島、陸軍秘密部隊(レ)の救援作戦』(豊田正義著、KADOKAWA、20150731)
内容
| 章 |
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まえがき…3
ベニヤ板製の特攻艇「㋹」
特攻兵が非戦闘員の死を看取らなければならなかった
大君の御楯となりて捨つる身と 思へば軽きわが命かな
被爆地を駆け回った特攻兵は原爆症に苦しめられた |
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| 1 |
学徒-学生は、戦地へ送り出された…21 |
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二万五千人の八列縦隊
兵力補充に使われた学生たち
違和感を覚えた来賓の訓示
講道館の門を叩く
「権力に迎合する貴様には天誅を下す!」
「二、三年は徴兵猶予がつづく」と考えていた
開戦直後から軍部は大学生出兵を示唆していた
学生狩り
徴兵検査で評価が一変した
「俺は戦争に行きたくない!軍隊に入隊したくない!」 |
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| 2 |
志願-見習士官、水上特攻兵となる…51 |
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「佐倉兵営」
「まるでロボット養成所にいるようでした」
殴る蹴るの懲罰
「将校・下士官・馬・豚・兵」
えんえんと繰り広げられた私的制裁
露骨な機嫌取りで競い合う
後悔した施術がある
玉砕への洗脳
「決死生還を期せざる要員」
「これが母さんに会える最後かもしれない」
「えっ、江田島に陸軍基地があるのか!?」
「一艇を以て一艦を屠る、それが諸君の任務である」
㋹はベニヤの板だった |
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| 3 |
開発-技術者の願いは砕かれた…91 |
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特攻作戦の本格化
㋹の研究開発チーム
「これは戦闘だと思って掛かれ」
「人命を救いたい」という設計技術者の願い
ベニヤ板製の㋹「甲一号型」の完成
「特攻隊なんだから、体当たりしかない」
技術者たちの望みは打ち砕かれた
戦闘方法大綱に「帰還」「生還」の文字はなかった
十五~十九歳の少年兵
「これで下士官になれるぞ!」
「みんな今年いっぱいの命だと覚悟して精進してくれ」
「手柄を立てんでもよいから絶対帰ってきてね」
拳銃を口に咥え、引き金を引く |
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| 4 |
戦場-㋹、戦果をあげ、散る…127 |
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「捷号作戦」
アメリカのフィリピン侵攻を予想した大本営
隊員の多くがフィリピンに到着できなかった
バシー海峡は〝魔界〟であった
ルソン島上陸
決戦準備は、判断ミスにより瞬く間に瓦解した
隊員は誰ひとり残っていなかった
㋹の戦果
隊員たちを「特攻戦没者」として扱わなかった
「私たちには玉砕は許されませんでした」
「身体を…、東の方へ…、向けてくれ…」
総員千四百人のうち、約千二百人が命を失った |
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| 5 |
敗北-㋹輸送船、爆沈す…169 |
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第三十戦隊長・富田稔大尉
「憲兵がなんだ!上等兵のくせして生意気な事を言うな!」
父の背中は小さかった
㋹を貨車で輸送する
慣れからくる失態
出港
「敵機来襲!」
奇跡が起こった
二十二名の隊員が久慈湾で戦死した
㋹はすべて燃えた
三人は沖縄をめざして出発した
「これはとんでもない所へ来てしまった!」
「内地防衛を頼む」
特攻兵同士の友誼
帰還 |
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| 6 |
原爆-秘密部隊は広島を奔走した…217 |
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全軍特攻化
少年特攻兵の訓練教官となる
機密系将校
本土空襲
親日家が支持した原爆投下
「対日原爆使用問題」
候補地は広島、小倉、新潟、長崎に絞られた
トルーマンの態度は「別人のように変わった」
ポツダム宣言発表前に原爆投下命令は承認された
トルーマンのシナリオ通りの展開
「諸君、我々の運んでいる爆弾は世界最初の原子爆弾だ!」
見習士官の目に映った原子雲
民間人救助は司令官の即断だった
惨状
全隊員、出動
少年兵、突入す
猛火の中を駆け回る
「今は眠る時ではない」
「見ていろ!この仇は必ず取ってやる!」
少年特攻兵たちが見た地獄
広島市民に告ぐ
御前会議
すべての㋹は特攻兵の手で焼かれた |
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| 7 |
被曝-「戦後」を戦いつづける…289 |
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㋹の特攻兵たちの戦争は終わらなかった
兵士を襲った被曝症状
当初「被爆者健康手帳」の交付は「直接被爆者」のみだった
病状がもっとも重かった時期には、何の支援もなかった
奇跡的にみつかった特幹隊の戦友名簿
四十代で毎年数人の戦友たちが逝った
「俺が原爆症だと知れ渡ったら、子供たちが何されるかわからん」
㋹特攻兵を襲った被爆者差別
証言は鎮魂であり、継承であり、遺言である |
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あとがき…317 |
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止
『ミス・ドロシー・デッソー 日本における生活と事業』(香川亀人編・刊、19781228)
内容
止
『呉空襲体験記 第1集』(広島県立呉三津田高等学校、19750123)
内容
止
『聞き書 ふるさとの戦争 徴用は山河に及び』(青木暢之・畑矢健治著、農山漁村文化協会、19950630)
内容
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まえがき 1 |
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<1994年8月から12月まで8部構成で中国新聞社会面に「ふるさとの戦争」として連載> |
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ブナの翼 9 |
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航空機用材に次々伐採 9
巨木相手 3尺ノコひく 12
軍から「増槽」製作命令 14
アルミ不足窮余の木製 17
尾翼試作マルニに白羽 20
山も戦場並みの厳しさ 22
本炭増産老人も子供も 25
なべ、かま、大鐘も供出 28
難問…金属並み木製機 31
学徒の手で接着剤調合
強度試験や設計手探り 36
完成したが日の目見ず 38 |
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報国の海 41 |
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島の男たち船ごと徴用 41
機雷の大河緊張の航海 44
タンカーに変身南洋へ 47
質二の次で機帆船量産 50
恩賜の帆柱で士気鼓舞 53
造っては沈む南洋材船 56
薪を搬送高瀬舟が復活 59
徴用盾に休業の舟動員 61
二代の南洋行父は戦死 64
帰らぬ船埋もれた戦死 67 |
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二世の優勝旗 71 |
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移民の子ら故国で快挙 71
山陽中に米編入生集う 74
英語でパス、本場の技 77
奔放なプレーで快進撃 79
黄金時代忍び寄る戦雲 82
帰米・開戦…収容所ヘ 85
敵国人特高の監視下に 78
終戦はさみ両軍で通訳 90
国籍の違い兄弟敵味方 93
海越え青春の誇り今も 95 |
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動物も植物も 99 |
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児童らウミホタル集め 99
軍命で発光成分を研究 102
決戦に備え松の根掘る 104
松をフル活用燃料確保 107
兵器の材料ブドウ増産 110
対潜作戦にブドウ成分 112
ヌートリアで軍服毛皮 115
特産ミカン伐採麦畑に 118
防寒着用にウサギ飼育 120
ヒガンバナ糊用に採取 123
薬に菓子に活用試みる 126
決戦下「野草も食糧に」 158
食糧増産へ児童も動員 131 |
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隔絶の島 135 |
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国策でハンセン病隔離 135
自給自足病おし農作業 138
田舎に子を残し入園 141
退園し病友と結婚・被爆
144
療養所名ばかり重労働 1S7
三交代で「病友」を看護
150
絶望の歳月刻み半世紀 153
兄・伯父失い孤独な戦後 156 |
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山の飛行場 159 |
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特攻機出撃へ秘密基地 159
延べ15万人夜間も工事
162
木の枝利用し偽装工作 165
立ち退きそして娘の死 167
滑走路用に畑削ら黶@170
出撃前の特攻機隠す 173
峠に監視哨村も非常時 176
出撃命令出ぬまま終戦 178 |
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上殿のナイン 183 |
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準優勝その後3人戦死 183
2度目召集翌月に被爆 186
つめと髪の毛だけ帰る 189戦場で球友に救われる 192
共同墓地足遠のュ遺族 195
石工の伝統徴兵で細る 198
療養中に無念の災害死 201
教え子戦死悔やむ教師 204 |
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写真の伝言 207 |
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「弾よけ」に奉納数万枚 207
山越え長男の無事祈願 210
漁師の父アユの慰問袋 213
兄弟従軍再会かなわず 216
銃後の1S歳煌C兵団ヘ 219
青年学校で歩兵の訓練 222
山や田守り竹やり訓練 224
外地へ出発新妻が弁当 227
妻のため「絶対死なん」 230
子残し夫戦死弟と再婚 233
親の祈り孤島に届かず 235 |
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あとがき 239 |
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止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。