『物語私の広大医学部60年史』(原田康夫編著、広島大学医学部医学科広仁会刊、20150612)
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はじめに |
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001 |
県立医大より広島大学医学部への昇格 |
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016 |
医学部50年史から当時の様子をみよう |
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018 |
国立移管式典の状況 |
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020 |
阿賀の校舎中庭でのビールパーティ |
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022 |
国立移管と広島移転問題の発生 |
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024 |
大学の失火事件 |
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<作業中> |
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066 |
昭和33年4月1日原子放射能基礎医学研究施設開設 |
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<作業中> |
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147 |
学園紛争と医学部封鎖 |
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151 |
医学部講義再開、バリケード解除 |
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180 |
広大の危機・総合科学部長刺殺事件 |
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219 |
「学寮問題」 |
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247 |
シュミット元西独首相による特別講演 |
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<作業中> |
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止
『ナガサキノート 若手記者が聞く被爆者の物語 朝日文庫』(朝日新聞長崎総局編、朝日新聞出版、20090730)<作業中>
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<地図> 爆心地周辺 長崎県 |
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010 |
はじめに 今こそ生の声、刻みたい |
佐々木亮(長崎総局デスク) |
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2008年8月10日から2009年5月14日まで、朝日新聞長崎県内版に掲載された「ナガサキノート」(31人計270回)を再構成したもの |
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013 |
あこがれのハイヒール |
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023 |
火葬された、ふりそで姿の少女 |
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036 |
巡回診療班 |
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046 |
一人芝居「命ありて」 |
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057 |
90歳の語り部 |
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069 |
永遠の10秒 |
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085 |
運命の一言 |
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094 |
捨てられた、おすそ分け |
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110 |
兄を焼く音 |
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118 |
救援隊として急行せよ |
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125 |
14人の卒業式 |
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138 |
父の最期 |
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150 |
白い落下傘 |
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163 |
沖縄の数倍の光 |
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174 |
放射能情報のなかった沖縄 |
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183 |
命を絶った妹 |
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202 |
原爆の年のクリスマス |
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222 |
畑で見た、きのこ雲 |
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231 |
ブラジルから日本へ |
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241 |
死は名誉か |
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254 |
在韓被爆者 |
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262 |
燃える天主堂 |
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273 |
今に残る傷跡 |
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285 |
入学式に迫る戦火 |
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295 |
川に折り重なった人々 |
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307 |
父子2代、白血病を追う |
朝長万佐男 |
319 |
世界に向けた被爆証言 |
|
332 |
麻痺した心 |
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343 |
原爆投下は遅すぎた |
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357 |
完成した遺稿集 |
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370 |
救援列車 |
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383 |
<解説>長崎と原爆 |
佐々木亮 |
393 |
本書に登場していただいた方々 |
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止
『高校生1万人署名活動 高校生パワーが世界を変える 長崎新聞新書010』(高校生1万人署名活動実行委員会・長崎新聞社報道部著、長崎新聞社、20031115)
内容<作業中>
部 |
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発刊にあたって |
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目次 |
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1 |
高校生パワーが世界を変える |
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2 |
次世代の平和運動-高校生1万人署名の軌跡 |
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八月の空の下で 2003 |
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高校生平和大使 1998~2000 |
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|
高校生1万人署名のはじまり 2001 |
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多様化する署名運動 2001・02 |
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|
平和って何ですか 2002・03 |
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止
渡辺浩<ゆたか>『15歳のナガサキ原爆 岩波ジュニア新書』(岩波書店 、20021120)
内容(作業中)
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はじめに |
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「被爆当時、私は15歳、長崎県立長崎中学校の3年生」 |
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目次 |
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原爆被害地図/長崎市街地図/広域図/ |
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1 |
ナガサキを知っていますか |
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2 |
小国民と戦艦「武蔵」 |
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子供のころから戦争だった/戦艦「武蔵」誕生 |
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3 |
戦争している国の中学生 |
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中学にはいってみれば/今はない母校<長崎県立長崎中学校>/校内を案内しましょう/中学生の戦争/秘匿名(ナ)工場<長中の学校工場>/爆撃下に生きる |
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4 |
1945年8月9日 |
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ファットマン /小倉をあきらめ長崎へ/原爆の火球を見た人<『はだしのゲン』で落下傘をつけた原爆が空中で爆発したとあるのはまちがい> |
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爆心地の中学では/私立鎮西学院中学校/私立常清高等実践女学校/長崎県立瓊浦中学校/長崎県立長崎工業学校/長崎市立商業学校/私立純心高等女学校/大浦東山手と市内の中学校では//西山では /角田京子先生の手紙/// |
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5 |
われわれの8・9 |
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//// |
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6 |
爆心地を越えて |
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//// |
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7 |
再び爆心地へ |
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//// |
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8 |
ナガサキ・ディ・アフター |
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//// |
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おわりに―世紀を生きていく人たちへのお願い |
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原爆被害地図・長崎市街地図・広域図 |
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止
広島県被爆者の手記編集委員会編『原爆ゆるすまじ 新日本新書9』(新日本出版社、19650705)
頁 |
著者 |
タイトル |
備考 |
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まえがき |
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9 |
大江恵美 |
あれから二十年 |
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21 |
四国五郎 |
弟の日記 |
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43 |
一被爆者 |
空中に被爆して |
|
45 |
はやみちかこ |
太陽のない朝 |
|
52 |
金崎是 |
差別の壁をこえて |
|
68 |
大倉和子 |
父母を失って |
|
83 |
福田須磨子 |
たたかいの二十年 |
|
99 |
山中みち子 |
七歳の証言 |
|
115 |
山口彊 |
死中に生を得て ―広島・長崎での二重被爆記― |
|
133 |
山下寛治 |
原爆とその後 ―短歌と日記― |
|
153 |
温品道義 |
過去の広島商人として |
|
174 |
杉原芳夫 |
医師として |
|
188 |
志水禎吉 |
まともな目 |
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202 |
吉岡幸雄 |
たたかいの中で |
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止
『大竹から戦争が見える シリーズ広島地域近現代史 1』(阪上史子著、ひろしま女性学研究所、20160201)
内容
章 |
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はじめに 4 |
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1 |
海南島に出会う 6 |
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『大竹港引き揚げの記録』を観る 9 |
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海南島へ行く 13 |
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「神戸・南京をむすぶ会」について 16 |
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大竹と海南島をつなぐもの 18 |
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2 |
大竹から「戦争」が見える 22 |
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歴史遺産たっぷりの大竹 23 |
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大竹海兵団 26 |
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城山三郎と笠原和夫の海兵団体験 26
消耗品としての悔しい日々 29
海兵団それぞれの思い出 31
海兵団と大竹 32
その後の海兵団-跡地利用 33 |
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大竹引揚港 35 |
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海南島から復員 35
海南島の日本兵の戦争犯罪 37
大竹『引揚援護の記録』 39
厚生省『引揚援護の記録』 42 |
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企業城下町・大竹 46 |
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“社宅に住む” 46
大林組の飯場 49 |
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戦争と災害と大竹 52 |
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戦時体制下の大竹 52
甚大な原爆被害 53
枕崎台風と広島 57 |
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占領時代の大竹 59 |
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大竹の占領軍慰安所 59
天皇の大竹訪問 65
国立大竹病院 6 |
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3 |
大竹と朝鮮人 68 |
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記録の中の朝鮮人 69
李相萬(リ・サンマン)さんのお話 75
姜周泰(カン・ジュテ)さんのお話 82
私と朝鮮の出会い 87 |
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おわりに 89 |
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止
『ヒロシマの空白 被爆75年』(著者 中国新聞社報道センターヒロシマ平和メディアセンター著、中国新聞社・ザメディアジョン、中国新聞社、ザメディアジョン、20210623)
内容
頁 |
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002 |
「空白」を埋めていく 2 |
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004 |
目次 |
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1部 |
「埋もれた名前」編 13 |
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NEWS 原爆犠牲者 8万9025人把握
〈特集〉埋もれた犠牲者名 どう把握 14
1 70年余 公的記録なし 16
2 全容把握 消極的な国 17
3 生後数時間 名なき命 18
4 各地から応召 犠牲に 19
5 大学の調査 最近から 20
6 多数犠牲 解明には壁 21
7 国交なく援護対象外 22
8 亡命一家をほんろう 23
9 5万人余の記録不明 24
10 宙に浮く事業所名簿 25
11 「個人情報保護」壁に 26
12 「推定」79歳 わが名は 27
NEWS「消された命の証しあった」 28
NEWS「壊滅の悲惨さ 浮き彫り」 29
コラム1「空白 被爆翌年以降にも」 30 |
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2部 |
「帰れぬ遺骨」編 31 |
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NEWS 供養塔の遺骨 1体返還調査
〈特集〉帰れぬ遺骨 家族はどこに 32
1 祈念館の遺影 糸口に 34
2 墓の骨は誰 募る疑問 35
3 資料館周辺 生活の場 36
4 証言集に「麓」さん表記 37
5 供養塔も「家族の墓」 38
6 名前記載 眠ったまま 39
7 小さな「かけら」供養 40
8 1人で発掘「まだある」 41
9 収集「地方がやること」 42
10 死者の無念思い続け 43
11 捜し続けた子 どこに 44
番外編 死亡状況 記録と一致 45
コラム2「生きた証し訴える遺品」 46 |
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3部 |
「さまよう資料」編 47 |
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NEWS 米軍返還の組織標本 劣化
〈特集〉史料の散逸 阻まれた研究 48
1 標本 急性症状の痕跡 50
2 内部被曝 細胞貫く筋 51
3 健康追跡 膨大な蓄積 52
4 被害実態 鮮明に語る 53
5 遺品 焼け跡写す一枚 54
6 保存基準なく廃棄も 55
7 各地の歩み 無二の財産 56
8 屋外動員 教師は反対 57
9 手記や遺品 国・市にも 58
10 痛みや歩み「継承を」 59
コラム3「資料保存 オール広島で」 60 |
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4部 |
「国の責任を問う」編 61 |
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NEWS 原爆犠牲「米に賠償責任」
〈特集〉被害の全て 償われたか 62
1 「遺族も被爆」が条件 64
2 全ての死者に償いを 65
3 死没者銘記 まだ一部 66
4 空襲・原爆 共に被害者 67
5 91歳でやっと手に 68
6 「放射線起因」に限定 69
7 広範囲に「黒い雨」 71
8 「遺伝」未解明 援護の外 71
9 「生き残った者の務め」 72 |
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5部 |
「朝鮮半島の原爆被害者」編 73 |
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NEWS 朝鮮人被爆死 把握漏れ
〈特集〉埋もれた犠牲者 海外にも 74 |
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6部 |
「つなぐ責務」編 77 |
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〈特集〉被害に迫る営み未来へ 78
1 75年経て肉親記載へ 80
2 「まだ発見あるはず」 81
3 公開情報に眠る事実 82
4 援護の外 見えぬ被害 83
5 「絶対悪」繰り返させぬ 84
6 一人一人の命 忘れぬ 85 |
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7部 |
「75年後の夏」編 87 |
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NEWS 投下前の写真3000枚寄贈
1 8・6前日 笑顔のわが家 88
2 生きた証し 語る反物 89
3 75年後の健康手帳取得 90
4 今向き合う「あの日」 91
5 捜し歩いた日々克明に 92
6 叔母の最期 初めて知る 93 |
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ヒロシマの空白 街並み再現 95 |
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写真グラフ 96 |
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本通り 100
八丁堀 108
旧中島地区と周辺 110
本川地区 114
基町と周辺 116
国泰寺町 118
広島駅 120
島病院 122
〈特集〉日常のカケラ 埋めていく 124 |
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ウエブサイト案内 127 |
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止
『原爆と戦った特攻兵 8・6広島、陸軍秘密部隊(レ)の救援作戦』(豊田正義著、KADOKAWA、20150731)
内容
章 |
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まえがき…3
ベニヤ板製の特攻艇「㋹」
特攻兵が非戦闘員の死を看取らなければならなかった
大君の御楯となりて捨つる身と 思へば軽きわが命かな
被爆地を駆け回った特攻兵は原爆症に苦しめられた |
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1 |
学徒-学生は、戦地へ送り出された…21 |
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二万五千人の八列縦隊
兵力補充に使われた学生たち
違和感を覚えた来賓の訓示
講道館の門を叩く
「権力に迎合する貴様には天誅を下す!」
「二、三年は徴兵猶予がつづく」と考えていた
開戦直後から軍部は大学生出兵を示唆していた
学生狩り
徴兵検査で評価が一変した
「俺は戦争に行きたくない!軍隊に入隊したくない!」 |
|
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2 |
志願-見習士官、水上特攻兵となる…51 |
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「佐倉兵営」
「まるでロボット養成所にいるようでした」
殴る蹴るの懲罰
「将校・下士官・馬・豚・兵」
えんえんと繰り広げられた私的制裁
露骨な機嫌取りで競い合う
後悔した施術がある
玉砕への洗脳
「決死生還を期せざる要員」
「これが母さんに会える最後かもしれない」
「えっ、江田島に陸軍基地があるのか!?」
「一艇を以て一艦を屠る、それが諸君の任務である」
㋹はベニヤの板だった |
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3 |
開発-技術者の願いは砕かれた…91 |
|
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|
特攻作戦の本格化
㋹の研究開発チーム
「これは戦闘だと思って掛かれ」
「人命を救いたい」という設計技術者の願い
ベニヤ板製の㋹「甲一号型」の完成
「特攻隊なんだから、体当たりしかない」
技術者たちの望みは打ち砕かれた
戦闘方法大綱に「帰還」「生還」の文字はなかった
十五~十九歳の少年兵
「これで下士官になれるぞ!」
「みんな今年いっぱいの命だと覚悟して精進してくれ」
「手柄を立てんでもよいから絶対帰ってきてね」
拳銃を口に咥え、引き金を引く |
|
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4 |
戦場-㋹、戦果をあげ、散る…127 |
|
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|
「捷号作戦」
アメリカのフィリピン侵攻を予想した大本営
隊員の多くがフィリピンに到着できなかった
バシー海峡は〝魔界〟であった
ルソン島上陸
決戦準備は、判断ミスにより瞬く間に瓦解した
隊員は誰ひとり残っていなかった
㋹の戦果
隊員たちを「特攻戦没者」として扱わなかった
「私たちには玉砕は許されませんでした」
「身体を…、東の方へ…、向けてくれ…」
総員千四百人のうち、約千二百人が命を失った |
|
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5 |
敗北-㋹輸送船、爆沈す…169 |
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第三十戦隊長・富田稔大尉
「憲兵がなんだ!上等兵のくせして生意気な事を言うな!」
父の背中は小さかった
㋹を貨車で輸送する
慣れからくる失態
出港
「敵機来襲!」
奇跡が起こった
二十二名の隊員が久慈湾で戦死した
㋹はすべて燃えた
三人は沖縄をめざして出発した
「これはとんでもない所へ来てしまった!」
「内地防衛を頼む」
特攻兵同士の友誼
帰還 |
|
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6 |
原爆-秘密部隊は広島を奔走した…217 |
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全軍特攻化
少年特攻兵の訓練教官となる
機密系将校
本土空襲
親日家が支持した原爆投下
「対日原爆使用問題」
候補地は広島、小倉、新潟、長崎に絞られた
トルーマンの態度は「別人のように変わった」
ポツダム宣言発表前に原爆投下命令は承認された
トルーマンのシナリオ通りの展開
「諸君、我々の運んでいる爆弾は世界最初の原子爆弾だ!」
見習士官の目に映った原子雲
民間人救助は司令官の即断だった
惨状
全隊員、出動
少年兵、突入す
猛火の中を駆け回る
「今は眠る時ではない」
「見ていろ!この仇は必ず取ってやる!」
少年特攻兵たちが見た地獄
広島市民に告ぐ
御前会議
すべての㋹は特攻兵の手で焼かれた |
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7 |
被曝-「戦後」を戦いつづける…289 |
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㋹の特攻兵たちの戦争は終わらなかった
兵士を襲った被曝症状
当初「被爆者健康手帳」の交付は「直接被爆者」のみだった
病状がもっとも重かった時期には、何の支援もなかった
奇跡的にみつかった特幹隊の戦友名簿
四十代で毎年数人の戦友たちが逝った
「俺が原爆症だと知れ渡ったら、子供たちが何されるかわからん」
㋹特攻兵を襲った被爆者差別
証言は鎮魂であり、継承であり、遺言である |
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あとがき…317 |
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止
『ミス・ドロシー・デッソー 日本における生活と事業』(香川亀人編・刊、19781228)
内容
止
『呉空襲体験記 第1集』(広島県立呉三津田高等学校、19750123)
内容
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。