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シナリオ・生きていてよかった[抄](1956年5月)

シナリオ・生きていてよかった

脚本・監督 亀井文夫

製作   原水爆禁止日本協議会・日本ドキュメントフィルム社

広島、長崎の原爆症患者の生活を捉えた真実の記録映画がはじめてつくられた。この姿を世界中に訴えて!とケロイドの娘さんも自らすすんでカメラの前に立った。これはそのシナリオを亀井監督が本誌のために特に書き改めたものである。

第1部 死ぬことは苦しい[撮影場所のみ摘記]

・(広島日赤病院)

・(長崎医大の付属病院)

・(広島日赤病院の廊下)

・(広島・比治山下のあるバラック)

第2部 死ぬことは苦しい だが 生きることも苦しい

・(ある家の室内)

・(広島の繁華な街)

・(梅の花が咲いている山村)

・(日赤病院の一室)

・(長崎医大の付属病院の一室)

・(諫早から長崎へ通うバス道路)

・(広島・五日市にある戦災孤児育成所)

第3部 死ぬことは苦しい だが、生きることも苦しい でも、生きていてよかった

・(日本座敷)

・(広島市・宇品町にある明成園)

・(ある家庭の庭先)

・(長崎、路地の奥の家)

・(長崎の道路工事)

・(丘陵へつづくなだらかな坂道)

・(長崎の原爆記念館の陳列棚)

・(再び浦上の美しい道)

出典:『婦人公論』1956年5月号