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永井隆

永井隆

ながい・たかし 19080203生19510501没 享年43歳 長崎医科大学教授。同大で被爆。

資料年表:永井隆<作業中

年月日
1908
0203 誕生
1948
0615 『ロザリオの鎖』(ロマンス社)
0901 『アサヒグラフ』第50巻第9号通巻1252号
原子病と闘う―永井隆博士の或る日―p.4
0925 『この子を残して』(大日本雄弁会講談社)
1018 ヘレン・ケラー女史、長崎市を訪問。永井隆を慰問。 C
1110 『生命の河 原子病の話』(日比谷出版社)
1949
0113 『夕刊ひろしま』、永井の随想「倒れて後始む」を掲載。
0130 『長崎の鐘』(日比谷出版社)<特別附録 マニラの悲劇>
0625 『亡びぬものを』(長崎日日新聞社)
0630 『花咲く丘』(日比谷出版社)
0801 『原子雲の下に生きて 長崎の子供らの手記』(大日本雄弁会講談社)
0810 『雅子斃れず』(石田雅子著、表現社)
0930 『いとし子よ』(大日本雄弁会講談社)
0930 『長崎-二十二人の原爆体験記録』(長崎文化連盟編、時事通信社)
永井「その日の大学 」 61
1120 広島市で広島・長崎両原爆都市青年交歓会。永井隆宅のバラを広島市役所前庭と爆心地に移植。 C
1128 衆議院考査委員会、湯川秀樹・永井隆の表彰を決定。 C
1950
0505 長崎市で第2回広島・長崎両原爆都市青年交歓会。広島城のバラをを永井隆宅に移植。
0728 永井署『長崎の鐘』松竹映画化で現地ロケ隊30人余長崎入り。
09 新藤兼人監督・松竹映画「長崎の鐘」完成。
1951
0501 死亡。
0507 山田耕作、永井隆の辞世の句を作曲、遺族に贈る。
0514 浦上天主堂で公葬。
未完