松前重義(逓信院総裁)褒状(広島逓信病院宛1945年9月17日)
2000年6月7日(撮影:宇吹)
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松前重義(逓信院総裁)褒状(広島逓信病院宛1945年9月17日)
2000年6月7日(撮影:宇吹)
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中西巌
なかにし・いわお | ****生20230816没 | 享年93 | 旧被服支廠の保全を願う懇談会会長(初代)。『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会、2020/03/01) |
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『平和を実現する力―長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竃揚編、日本キリスト教団出版局、2009/06/20)
内容
はじめに 3 | |||
推薦の言葉<<恵みのあと>>-被爆一家の証言 櫻井重宣 15 | |||
Ⅰ | 沈黙の警告 四竃一郎 31 | ||
あの日・広島・私 33 その六日間-佑子臨終記 47 父の見た佑子の性格 60 |
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Ⅱ | ありし日の佑子 四竃わくり 65 | ||
あの日の追憶 67 ありし日の佑子 71 |
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Ⅲ | その記憶を語り継ぐために 四竃揚 101 | ||
その死を超え行くもの 103 一人連れ出されて 109 |
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Ⅳ | 聖書と讃美歌と祈りの日々 四竃更 139 | ||
姉と弟 141 被爆家族の舞台裏 152 |
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Ⅴ | 少年の記憶 四竃招 165 | ||
思い出すまま 167 少年時代の思い出 171 五〇年ぶりに疎開地を訪ねて 175 |
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Ⅵ | 弟たちへの手紙 四竃佑子 179 | ||
特別寄稿 戦友四竃更牧師 渡辺信夫 189 | |||
あとがき 199 | |||
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四竈一郎
しかま・いちろう | ****生19860821没 | 享年83歳 | 広島市基督教連盟委員長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会](日本キリスト教団広島協会牧師)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。元広島県原水協代表理事( 被爆者)。『平和を実現する力 長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竈揚編、日本キリスト教団出版局、2009.6.20) |
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『原水爆禁止運動(潮新書)』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
内容<作業中>
頁 | 大会 | 備考 | |
7 | 1 | プロローグ | |
37 | 2 | 被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる | |
57 | 3 | 地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 | |
85 | 4 | 日本の非核武装化にたちむかうために | |
111 | 5 | 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 | |
130 | 6 | 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か | |
155 | 7 | 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 | |
176 | 8 | 社・共両党の激突と大衆の統一への願い | |
192 | 9 | 国民運動の崩壊と再生への四つの芽 | |
232 | 10 | 毛沢東理論からみた日本原水協批判 | |
261 | 核兵器のない世界をめざして | ||
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『ヒロシマ・ノート 岩波新書 563』(大江健三郎著、岩波書店、1965/06/21)
内容<作業中>
章 | |||
<挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950.8.6 ポツダム書店発行より)> | |||
プロローグ 広島へ 1<196504> | |||
Ⅰ | 広島への最初の旅 15<196308> | ||
Ⅱ | 広島再訪 45<196408> | ||
Ⅲ | モラリストの広島 69<196409> | ||
Ⅳ | 人間の威厳について 89<196410> | ||
Ⅴ | 屈伏しない人々 109<196411> | ||
Ⅵ | ひとりの正統的な人間 131<196412> | ||
Ⅶ | 広島へのさまざまな旅 149<196501> | ||
エピローグ 広島から 169<196501―196505> | |||
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『社史に見る太平洋戦争』(井上ひさし編、新潮社、1995/08/10)
内容
頁 | 社名 | 見出し | |
7 | NHK | 12月8日と8月15日 | |
48 | 読売新聞 | 来るべきものが来た | |
64 | 毎日新聞 | 戦時下の言論統制 | |
70 | 信濃毎日新聞 | 松代の地下大本営 | |
73 | 毎日新聞 | 原子爆弾はどう報道されたか | |
83 | 毎日新聞 | 今日も明日も筆をとる! | |
91 | 新日本製鉄広畑 | 製鉄報国に燃えて | |
104 | (鹿島) | ト工事とイ工事 鹿島建設 | |
121 | 特殊製紙 | 護国第2104工場の名の下で | |
134 | トヨタ自動車 | 一つ目トラックも生産された | |
147 | 日本国有鉄道(JR) | 全くヘトヘト | |
160 | 小田急電鉄 | 焼夷弾がダ、ダ、ダーッ | |
171 | 日本電電公社(NTT) | 電信電話の決戦体制 | |
180 | 三菱銀行 | 焼野原の地下金庫 | |
188 | 野村証券 | 投資信託はお得です | |
206 | 東京海上火災保険 | 陸上戦争保険 | |
209 | 三菱商事 | 日夜、精励あるのみ | |
234 | 新日本製鉄釜石 | 艦砲射撃でほぼ全滅 | |
240 | 東洋工業(マツダ) | 原爆の打撃 | |
245 | 文藝春秋 | 剣がペンを屈服させたとき | |
267 | 講談社 | 軍の圧力と雑誌の休刊・廃刊・創刊 | |
286 | 筑摩書房 | 銀座空襲 | |
304 | 東京国立博物館 | 美術品の疎開 | |
319 | 松竹 | 劇場燃ゆ | |
330 | 丸善 | 銃後の便りを戦場へ | |
345 | 岩波書店 | 敗戦前後 | |
355 | 女子学習院 | 塩原疎開学園 | |
371 | 成城学園 | 成城疎開学園の記 | |
384 | 鉄道弘済み会 | 旅行はやめましょう | |
392 | 後楽園スタヂアム(東京ドーム) | 戦時中のプロ野球 | |
398 | 花王石鹸(花王) | 代用石鹸の開発 | |
404 | 三菱地所 | 丸の内の戦火 | |
422 | 大蔵省造幣局 | 大東亜共栄圏の貨幣 | |
441 | 資生堂 | 電髪も白襟かけて | |
450 | 高島屋 | 防空用品の大売出し | |
457 | 帝国ホテル | 決戦体制下のホテル業 | |
井上ひさし | 戦後史をどこからはじめるのか- | ||
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『日本よ国家たれ 核の選択』(清水幾太郎、文芸春秋、1980/09/25)
内容
Ⅰ | 日本よ国家たれ 7 |
1、 天皇の権威 2、 第九条 3、 大戦の意味 4、 「東洋のスイス」 5、 戦国時代 6、 揺れ動く日本人 7、 「経済大国」へ 8、 崩れるバランス 9、 新しい戦後 10、 安全、平和、福祉 |
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Ⅱ | 日本が持つべき防衛力 軍事科学研究会 103 |
一つのシナリオ 105 | |
米国の確認破壊戦略の崩壊 /十六分の一 /ミサイル外交 / 米ソと日本の関係 | |
日本攻撃のパターン 126 | |
ソ連上陸四つのケース / 自衛隊の欠陥 / 大国にふさわしい軍事力 | |
核の選択と防衛力の強化 144 | |
空母部隊の新設 148 | |
航空防衛力の強化 151 | |
航空警戒管制組織 /地対空ミサイル /要撃戦闘機 /輸送船団の空中援護/ 戦術航空兵力/ 偵察航空兵力/ 航空基地の強化/ 輸送航空兵力 | |
海上防衛力の強化 159 | |
海峡防衛力 / 海上交通の防御能力 | |
陸上防衛力の強化 168 | |
日ソ師団の戦力比較/ 増援部隊用装備の備蓄/ 装備の増強 / 師団の改革計画 | |
必要の予算と総合対策 177 | |
国内対策 184 | |
国土戦 /忘れられてきた民間防衛/ 愛国心 /情報能力の充実/ 西ドイツの国家総動員体制 /収集能力の強化 /国家緊急権/ 分析・決定能力の強化 | |
防衛力としての技術 215 | |
輸入兵器の欠陥/ 小型空母の輸出/ 武 器輸出 | |
日本が持つべき防衛力 233 | |
「節操」と経験 「あとがき」に代えて | |
1 | |
~14 | |
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熊田秀雄
くまだ・ひでお | 19040621生19580818没 | 享年54歳 | 金光教御幸教会初代教会長。『御幸教会五十年史 改りのあゆみ五十年―第一部―初代熊田秀雄の求道と布教』(熊田信道、金光教御幸教会、1986.5.9) |
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『御幸教会五十年史 改りのあゆみ五十年―第一部―初代熊田秀雄の求道と布教』(熊田信道、金光教御幸教会、1986.5.9)
内容
大道あや:カバー絵、カット |
丸木位里:トビラ絵(画集「原爆の図」より) |
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