佐藤月二
| さとう・つきに | 19090215生19880522没 | 享年79歳 | 元広島大学教育学部教授。広島県史跡名勝天然記念物調査委員(1947年2月~)。1949年当時、原爆ド-ムの保存を主張。著書『むさしあぶみ』(溝本積善館、19720215)。 |
資料年表:佐藤月二<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1909 | ||
| 0215 | 生 | |
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| 1988 | ||
| 0522 | 没 | |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
佐藤月二
| さとう・つきに | 19090215生19880522没 | 享年79歳 | 元広島大学教育学部教授。広島県史跡名勝天然記念物調査委員(1947年2月~)。1949年当時、原爆ド-ムの保存を主張。著書『むさしあぶみ』(溝本積善館、19720215)。 |
資料年表:佐藤月二<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1909 | ||
| 0215 | 生 | |
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| 1988 | ||
| 0522 | 没 | |
止
『平家納経の世界』(小松茂美著、六興出版、19761226 新装第1版)
内容
| 章 | |||
| 1 | 平家納経の成立ドラマ 11 | ||
| 謎みちた女神 11 法華信仰と「平家納経」 15 平家勃興の波に乗って 20 祖父正盛・父忠盛のこと20 清盛登場 27 実説ご落胤27 十二歳の次官殿29 安芸守平清盛の霊 夢31 栄達の血塗道32 二条帝現説と立太子騒動35 長寛二年における清盛の心情 38 怨霊騒ぎと皇子誕生38 忠通の死40 関白・基実の幼 な妻42 頼長の子・師長を夜宮44 帝の皇子誕生46 崇徳院の崩御51 願文の内容54 筆者は清盛64 “他 人を以って名と為す”74 櫛筆の謎84 厳島繁昌記 87 厳島詣での大流行87 名花・厳島の内侍たち96 平家 の落日102 佐伯景弘という男111 厳島内侍発願説の虚構 121 |
|||
| 2 | 高く、広く、大きく―平家納経と歩んだ三十年 127 | ||
| 死神と美神の出合い 127 手習い草紙 128 死の淵に立って 133 その名を恋人のごとく 137 一冊の古本 139 「平家納経」を見る 141 無知の蛮勇 146 生涯のことば 152 「伊都岐嶋千僧供養日記」 155 厳島文書を読む 157 『いつくしま』を刊行 161 上京、池田亀鑑先生 163 念願の博物館勤務 171 |
|||
| 3 | 不思議な本 175 | ||
| 4 | 王朝の女性の夢を追って 190 | ||
| 5 | 王朝の教養と和洋書道の源を探る 197 | ||
| 6 | 栄華と末法におののく美の殿堂 213 | ||
| 7 | 子筆額の成立へ 227 | ||
| 王朝のこころ十選 247 三十六人家集(貫之集上)247 木彫一字金輪坐像249 普 賢菩薩像250 扇面写経251 金銅秋草文薫炉252 伴大納 言絵詞253 藤原行成筆白氏詩巻254 秋草文壷255 平等 院鳳鳳堂256 戸隠切257 |
|||
| 人と書とのかかわり 対談/小松茂美・松井如流 259 | |||
| 小松茂美・丸夫妻の世界―編集部編― 273 | |||
| 後記 282 |
小松茂美
| こまつ・しげみ | 19250330生20100521没 | 享年75歳 | 古筆学者、美術史学者。広島で被爆。「死の淵にたって」(『平家納経の世界―国宝の謎を推理する』(六興出版、19861226)pp.133-136。 |
資料年表:小松茂美
| 年月日 | ||
| 1925 | ||
| 0330 | 山口県岩国市生まれ | |
| 1938 | 崇徳中学校(旧制、現崇徳高校)進学。 | |
| 1942 | 柳井中学校(旧制、現山口県立柳井高校)卒業。広島鉄道局勤務。 | |
| 1945 | ||
| 0806 | 広島駅近くの庁舎内(爆心地から1.7キロ)で原爆被爆。 | |
| <作業中> | ||
止
島薫
| しま・かおる | 18970702生19770516没 | 享年79歳 | 外科島病院(広島原爆爆心地)院長。 |
資料年表:島薫<作業中>
| 年月日 | ||
| 1897 | ||
| 0702 | 誕生(本籍地:広島県安芸郡瀬野川) | |
| 1917 | ||
| 03 | 広島県立第一中学校卒業 | |
| 1924 | ||
| 0325 | 大阪医科大学卒業 | |
| 1930 | これより欧米留学、米国メイヨークリニックにても研究晩学。 | |
| 1931 | ||
| 04 | 大阪帝国大学医学博士。 | |
| 1933 | ||
| 08 | 広島市細工町にて外科島病院を開設、診療開始。 | |
| 1945 | ||
| 0806 | 「県下世羅郡甲山町植田病院に出張手術中広島島病院上空に世界始めての原子爆弾降下の報により帰広し、市袋町戦災者仮設病院に於いて罹災者の処置に尽力し後中野村の本宅に於いて診療を開始す。」 | |
| 1948 | ||
| 1030 | 「広島市大手町戦災被害地を整理し復興、病院を建設し診療を開始す」 | |
| 1977 | ||
| 0516 | 没 | |
| 1983 | ||
| 0515 | 『島薫あれもこれも』発行 | |
止
『島薫あれもこれも』(島薫[著・刊]、紺野耕一編、1983/05/15)
内容<作業中>
| ご挨拶 島忍 | ||
| Ⅰ | ||
| 大学医局時代の思い出…3 入局…6 恩師 岩永先生の御魂に…8 古武先生の想い出…11 日本臨床外科医会創立のこと…12 医学上より見たる広島の復興…13 広島外科会100回を迎えて…17 広島外科会40年のお祝の言葉…23 予後…24 朝風に乗って…26 |
||
| Ⅱ | ||
| 原爆直後のこと…31 | ||
| 運命というもの…35 | ||
| 「ゲランを流す」…37 | ||
| ピカドンと婦人たち…38 | ||
| 呉の空襲…41 | ||
| 警防団ところどころ…43 | ||
| 「教育随想」鍛えられた土性骨…45 | ||
| Ⅲ | ||
| 広島信用金庫理事長あいさつ…49 戦争と金…50 最高の福祉…51 ひかり園理事長のあいさつ…54 ユース・ホステル15年を迎えて…56 年頭の所感 正月を迎えて 1969年の日の出 瀬戸内海周遊ホステリング 海底より 無言の囁き 第四国高校生ユースラリー 迎春 かおり高き品格…67 見て喜ぶ…71 |
||
| Ⅳ | ||
| 「私の愛蔵品」精進湖 南薫造作…76 二人展出品作品…78 白青会・杏林画会合同展覧会 第21回合同展を迎えて 国際美術展に出品 |
||
| Ⅴ | ||
| 「雲雀物語」…85 秋に思う…87 |
||
| Ⅵ | ||
| よみがえるあの日爆心地島病院・ただ余熱と死臭…93 紅バラのヤグラ…爆心地の庭に…96 ヒロシマの戦後見続けた27年―生れ変る爆心の島病院…97 瓢鮎図…99 微笑み…100 幽霊…102 洋モクで一札取られの巻…104 西村徳一氏に呈す…106 還暦に思う…108 還暦のうた…109 一丁のピストル…110 人権擁護…112 広島市民交響楽団生みの親高橋理事長の追想…113 わが十代―雲井浪子に片思いこがす…115 秋の夜ばたし―花つくり・碁・ゴルフ…121 外科医追放が文化…124 わたしの散歩道…127 ヒロシマに生きる…130 協力は健康者の義務―「かたすみの人生」…134 晴れの叙勲―スポーツで人心復興…136 国鉄マン「ゲスト・トリオ」島車掌…138 |
||
| Ⅶ | ||
| 忘れ得ぬ人びと…141 谷川昇君 立石吾一氏 高橋定氏 三戸俊美氏 上田太郎氏 越智しげる氏 河野先生 島薫博士「原爆後の広島についての彼の回想録」 ウォーナー・ウエルズ…157 |
||
| Ⅷ | ||
| 筆談 喉頭癌手術後の大学病院生活と退院後…187 恵声会発会の思い出…565 恵声会誌創刊によせて…569 |
||
| Ⅸ | ||
| 遺徳を偲んで…571 大内五良 長崎孝 国信玉二 斉藤環 中本カツコ |
||
| 偲び草(年譜)…586 | ||
| あとがき(紺野耕一)…593 | ||
止
草野信男
| くさの・のぶお | 19100111生20020514没 | 享年92歳 | 病理学者。元日本原水協理事長。 |
資料年表:草野信男
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1910 | ||
| 0111 | 誕生 | |
| 1952 | ||
| 1201 | 『原子爆弾の話』(志田信著、東京大学出版会) | |
| 草野「序」 | ||
| 1953 | ||
| 0505 | 『原子爆弾災害調査報告集 第二分冊』(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編、日本学術振興会刊) | |
| 119 広島における原子爆弾症の病理解剖(西条療養所の剖検例)(草野信男、東大・伝研・病理)1346 | ||
| 1957 | ||
| 0710 | 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料』(原水爆禁止日本協議会) | |
| 草野「 放射能被害と人体」135 | ||
| 1967 | ||
| 1101 | 『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局) | |
| 草野「経過報告」 6 | ||
| 1969 | ||
| 1120 | ||
| 『平和運動20年記念論文集』(日本平和委員会編、大月書店) | ||
| 草野「原水禁運動の始まった頃」 387 | ||
| 1976 | ||
| 0331 | 『ビキニ水爆被災資料集』(第五福龍丸平和協会編、東京大学出版会) | |
| 草野「久保山さんの解剖に立会って)」 324 | ||
| 0730 | 『20年の大義を世界へ』(原水爆禁止長野県協議会、) | |
| 発刊を祝す…草野信男…6 | ||
| 1977 | ||
| 1101 | 『原水爆禁止世界大会の記録 1977年』(原水爆禁止統一実行委員会) | |
| 草野「開会あいさつ…草野信男 29」「議長団代表あいさつ…草野信男 60」 | ||
| 1980 | ||
| 0815 | 『わが戦後行動 いま原水爆禁止は』(吉田嘉清著、新興出版社) | |
| 「座談会 原水爆禁止運動と吉田君 238」 (中野好夫 古在由重 草野信男 吉田嘉清) |
||
| 1983 | ||
| 0806 | 『道 安井郁 生の軌跡』(「道」刊行委員会編、法政大学出版局) | |
| 草野「 安井さんを偲び業績をたたえる」 297 | ||
| 2002 | ||
| 0514 | 死去 | |
| 0516 | 「元原水協理事長 草野信男氏死去」(『中国新聞』) | |
| 0517 | 「天風録」(『中国新聞』) | |
| 0604 | 金井淳一郎「悼記 草野信男さん 医学研究からヒロシマと向き合う」 | |
止
『別冊 新評 梶山季之の世界 <追悼特集号>』(新評社、19750720)
内容(抄)<作業中>
| 頁 | |||
| 16 | 告別式レポート | ||
| 藤本義一、澤村三木男、吉行淳之介、今東光、柴田錬三郎 | |||
| 幻のライフワークといわれた遺稿集 | |||
| 40 | 遺稿その1 積乱雲 | ||
| 79 | 原爆記者とのつき合い(大牟田稔) | ||
| 82 | 梶山季之の壮絶な死! 柴田錬三郎 | ||
| 86 | 梶山季之の経緯 山口瞳 | ||
| 132 | 座談会 トップ屋時代の梶山季之(岩川隆・中田建夫・加藤憲作・有馬將祠) | ||
| 162 | 梶山季之人脈図 有馬將祠 | ||
| 211 | 丈夫、志あるも 竹中労 | ||
| 250 | 梶山季之完全年譜(季節社・編) | ||
| 256 | 梶山季之単行本リスト(季節社・編) | ||
止
編年資料:梶山季之<作業中>
| 年月日 | ||
| 1930 | ||
| 0102 | 京城(現・韓国ソウル)に生まれる。京城中学校4年の時終戦。1945年末、広島県地御前村に引揚げ。広島二中に編入。 | |
| 1948 | 広島高等師範学校入学。 | |
| 1966 | ||
| 0225 | 『松田重次郎』 | |
| 「はしがき」の巻頭 | ||
| 自叙伝というものがある。よんでみると、なかなかに面白いものである。だが、私は、自叙伝というものを、あまり信用していない。(中略)また伝記というものがある。政財界の大立者が物故すると、必ずといってもよいぐらいに、伝記が刊行される。なかには良心的なものもあるが、故人を追慕するのあまり、美しい面ばかりを取り上げて、欠点や短所はとり上げない傾向の方が強い。人間だから長所もあれば短所もあるはずなのだが、どういうものか、人間の醜い面が取り上げられないのは不思議である(日本に不足しているのは、真の伝記文学とユーモア小説ではあるまいか?)というのは私の持論だが、伝記を書く以上は正確に、その人間像を浮き彫りに、私生活も描かねばならないと、私は考えていた。 | ||
| 1973 | ||
| 1020 | 『広島の文芸 小説・評論 知的風土と軌跡』(岩崎清一郎 著、広島文化出版) | |
| 「第五章 死の影―原 民嘉・大田洋子 阿川弘之…88」 | ||
| 1975 | ||
| 0511 | 没。享年46歳。 | |
| 0720 | 『別冊新評 梶山季之の世界 追悼号』 | |
| 0731 | 『ヒロシマの原風景を抱いて』(栗原貞子著、未来社) | |
| 「梶山季之作「ケロイド心中」をめぐって 87」 | ||
| 1977 | ||
| 0415 | 『旅とその世界』(山と溪谷社) | |
| 1979 | ||
| 0313 | 『定本原民喜全集 別巻』(山本健吉他編、青土社) | |
| 「梶山季之 「天邪鬼」のころ 362」 | ||
| 1991 | ||
| 0615 | 『梶山季之のメジャー・コンタクト(17回忌・文学碑建立 記念号)』(季節社・代表梶山美那江) | |
| 2007 | ||
| 1110 | 『時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す 没後33年記念事業』(梶山季之記念事業実行委員会、中国新聞社) | |
| 2010 | ||
| 1220 | 『広島県現代文学事典』(天野裕康・記) | |
止
今川卓治
| いまがわ・たくじ | 18961109生19810510没 | 享年84歳 | 『被爆医師 今川卓治』(今川静子、19870510) |
資料年表:今川卓治<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1896 | ||
| 1109 | 群馬県で誕生 | |
| 1922 | 旧九州帝国大学医学部卒業 | |
| 1927 | 東京帝大より医学博士号を受ける | |
| 1928 | ||
| 03 | 広島市猫屋町に医院を開業 | |
| 1945 | ||
| 0806 | 往診中に広島市観音町で被爆。多くの被爆者の救護活動にあたる | |
| 1947 | 社団法人広島市医師会初代会長に就任。~1949年2月。 | |
| 1955 | 広島市医師会会長。~1957年2月。 | |
| 1981 | ||
| 0510 | 旧制心不全で死去。享年84歳。 | |
| 1987 | ||
| 0510 | 『被爆医師 今川卓治』(発行:今川静子) | |
止
資料年表:菊池武彦<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 出典:C=『中国新聞』 | ||
| **** | 誕生 | |
| 1947 | ||
| 0401 | 戦後初の日本医学会総会。於:大阪。菊池武彦京大教授らがについて特別講演。 | C |
| 1010 | 菊池武彦京都大学教授ら、広島市で被爆者健康調査のため無料巡回診療。~19日。 | C |
| 1949 | ||
| 1202 | 菊池武彦京都大学教授、ABCCで被爆生存者の病状記録について協議。 | C |
| 1953 | ||
| 0505 | 『原子爆弾災害調査報告集 第二分冊』(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編、日本学術振興会) | |
| 1954 | ||
| 0919 | 原子爆弾災害調査研究班第5回研究会議。会場:広島大医学部付属病院(呉市)。都築正男・塩田広重・中泉正徳・菊池ら出席。 | C |
| 1961 | ||
| 0331 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第2回 [昭和35年]』(長崎県・長崎市・長崎原爆障害対策協議会編) | |
| 1985 | ||
| 0504 | 死亡。 | |
| 1991 | ||
| 0615 | 『医師たちのヒロシマ 原爆災害調査の記録』(核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会「医師たちのヒロシマ」刊行委員会編、機関紙共同出版) | |
| 1993 | ||
| 0901 | 『京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難 「記念碑建立・慰霊の集い」のあゆみ』(芝蘭会広島支部、京都大学) | |
止
『消えた十字架』(碓井静照著、ガリバープロダクツ刊、19950806)
内容
| 章 | 見出し | 備考 |
| はじめに 2 | ||
| 1 | 消えた十字架 9 | |
| ・心のふるさと-アメリカ 11 /ボストン大学へ… 12 /ボストン近郊にて~ヨットや釣りのこと~ 27 /消えた十字架~ボストンのクリスマスに思いを馳せながら~ 37 /変わりゆくマンハッタン・ハーレム 45 |
||
| ・アフリカ、メヘバ難民キャンプを訪ねて… 51 /アフリカ、難民キャンプを訪ねて… 52 /南部アフリカ回想 56 |
||
| ・世界を語る 73 米ソの穀物事情と世界の緊張 74 /ドルと鯨と核利用 77 /二十世紀最大の疫病-エイズ 80 /真の国際化とは 84 /トイレットペーパーと文明度 86 |
||
| ・友ありユーゴより来る 89 ユーゴの友 90 /友あり、ユーゴより来る 92 /ホームスティのお話 95 |
||
| 2 | ノーモアヒロシマの決意新たに 99 | |
| ・私と原爆 101 | ||
| 時は流れる 102/私と原爆 103/語り継ぐ夏~四十七年目のヒロシマ~ 109/転機を迎えた核時代~処方せんは一つ「核廃絶」~ 110 | ||
| ・ノーモアヒロシマの決意新たに…~IPPNWの活動から~ 113 | ||
| IPPNW平和学術講演会の印象記 114 | ||
| /〈座談会〉IPPNWによせて~IPPNW国際会議出席者に聞く~ 121 | ||
| /IPPNW広島大会、一九八九年に開催決定の瞬間 136 | ||
| /ノーモアヒロシマ、この決意永遠に…139 | ||
| /第二回IPPNWアジア太平洋地域会議(マニラ)開かれる 140 | ||
| /ヒロシマの教訓~第二回IPPNWアジア太平洋地域会議(マニラ)での講演より~ 144 | ||
| /はじめてチェルノブイリ原発事故被害の真相にせまる・IPPNW日本支部代表団、モスクワなどソ連四都市を公式訪問 154 | ||
| /「安全保障の共有と健康のための地球規模のコミュニケーション」をテーマに~IPPNW第十回世界大会開催~ 162 | ||
| /IPPNWストックホルム大会とヒロシマ 167 | ||
| /ソ連クーデター直後、核管理の揺らぐモスクワに入る・IPPNW「ソ連共和国非核化教育キャンペーン」準備会議へ出席して 170 | ||
| /IPPNW日本支部・碓井氏が帰国報告 173 | ||
| /日ソ非核化キャンペーン・ロシアウインターキャンペーン(医療援助募金)について 175 | ||
| /中国、北朝鮮(DPRK)、韓国、日本によるIPPNWアジア太平洋地域会議のための準備会議開催 183 | ||
| /エリツィン大統領らに核廃絶を申し入れる・旧ソ連非核化教育キャンペーンの代表団の一員として 187 | ||
| /国連軍縮会議が広島で行われたことの意義 199 | ||
| /IPPNWボルゴグラード支部活動について 200 | ||
| / 朝鮮半島の非核化と日本のプルトニウム保有について 203 | ||
| 3 | CUREとCARE 211 | |
| ・医師として生きる 213 医学部を志す人達へ、一医師の日常 214/医者の不養生 221/週休二日制を考える 225/四面楚歌の中で 228/心に残った患者さん 232/医師をめざす後輩に物申す 234/〈座談会〉医の原点を求めて~海外医療活動経験者は語る~237 |
||
| ・地域医療の充実を求めて 257 春爛漫 258/広島市医師会創立一〇〇周年記念行事から 259/橋田寿賀子「ドラマの中の女たち」評・広島市医師会創立一〇〇周年記念~文化講演より~ 260 |
||
| ・医療経営を考える 265 規則緩和を求めて-病院協会の在り方 266/生き残れるか民間医療〈座談会〉医療経営について 268 |
||
| ・高齢化を見つめる 289 老人福祉制度への雑感 290/甘露の雨とこしえに 293/ボケ防止について 294 |
||
| ・老人保健施設について 297 都市医師会での老人保健に関する分科会から 298/老人保健施設短評 300 |
||
| ・深刻な看護婦不足 303 書評「ナースコール」を読んで 304/深刻化する看護婦不足 305/診療報酬体系と看護婦不足 309 |
||
| 4 | GALLERY 313 | |
| ・ゴルフ顛末記 315 大学の会報で同級生に紹介されたら 316/B組優勝者の弁 317/B組ブービー残念記 319/広島カントリー倶楽部「成人の日杯」に優勝して 321/またまたB組ブービー賞残念記 323 |
||
| ・写真に魅せられて 327 写真に魅せられて 328/街を撮る〈座談会〉写真放題~〝わがブロック〟担当カメラマン~ 332 |
||
| ・GALLERY 351 天神嶽の石佛 352/モスクワの子供たち 353/カレメグタンの丘にて 354/N・Y・ハーレムにて 355/エニセイ川(ロシア)上流の山脈 356/芽花、白い穂 357 |
||
| ・徒然なるままに 359 なくて七癖 360/徒然なるままに 361/一冊の本「徒然草」 369/英訳「宇津保物語」評・「The Tale of Cavern(Utsuho Monogatari)」について 371/高瀬堰随想~太田川に想う~ 375 |
||
| あとがき 392 |
止
碓井静照
| うすい・しずてる | 201209没 | 享年74歳 | 広島県医師会会長、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)日本支部長などを歴任。第67回(2010年)中国文化賞(中国新聞社主催)。8歳の時被爆。 |
資料年表:碓井静照<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1937 | ||
| ** | 広島市牛田本町生まれ | |
| 1945 | ||
| 0806 | 8歳のとき、原爆被爆。 | |
| 1989 | ||
| 0720 | 『ヒロシマ医師のカルテ』(広島市医師会) | |
| 座談会:あの日 (小山綾夫・横山滋・福原照明)67 | ||
| 碓井静照 「私と原爆」 147、「核戦争の危機-第3回大会」282、「’89年広島大会開催決定の瞬間」314、 | ||
| 川堀耕平・福原照明・茶幡隆之・碓井静照「IPPNWによせ」 338 | ||
| 1992 | ||
| 0130 | 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成4年1月30日(その1)』(IPPNW日本支部) | |
| 日本支部1990年度報告 碓井静照 4 | ||
| 0130 | 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成4年1月30日(その2)』(IPPNW日本支部) | |
| 「安全保障の共有と健康のための地球規模のコミュニケーション」をテーマに日本支部から30名参加 碓井静照 10 | ||
| IPPNW「ソ連共和国非核化教育キャンペーン」準備会議に出席して 碓井静照 67 | ||
| 0130 | 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成5年1月30日』 | |
| (1)ロシアウィンターキャンペーン(医療援助募金)について ボストンIPPNW執行委員会報告 碓井静照 7 |
||
| (4)IPPNW代表団による旧ソ連邦非核化教育キャンペーンに参加して 碓井静照 14 | ||
| 中国、北朝鮮(DPRK)韓国、日本によるIPPNW アジア太平洋地域会議のための準備会議開催 碓井静照 22 |
||
| IPPNWボルゴグラード支部活動について 碓井静照 36 | ||
| ヒロシマからの教訓-第3回IPPNWアジア太平洋地域会議に於ける講演- 福原照明 48 | ||
| 朝鮮半島の非核化と日本のプルトニウム保有について -第3回IPPNWアジア太平洋地域会議の位置づけ- 碓井静照 64 |
||
| 1995 | ||
| 0806 | 『消えた十字架』(ガリバープロダクツ刊) | |
| 1996 | ||
| 0701 | 『エドナ・ライル夫人の死』(ガリバープロダクツ刊) | |
| 第1章 ミンスク(ベラルーシ)への旅 13 | ||
| 1998 | ||
| 0806 | 『語り継ぐ夏 Abolition 2000をめざして』(ガリバープロダクツ刊) | |
| 2002 | ||
| 0329 | 『ニューヨーク午後の日射し 続ヒロシマ2001』(ガリバープロダクツ刊) | |
| 2004 | ||
| 1212 | 『哀しみの虹 ある美しき韓国女性の死』(ガリバープロダクツ刊) | |
| 2007 | ||
| 1008 | 『シアトルからの手紙』(ガリバープロダクツ刊) | |
| 2009 | ||
| 0331 | 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成20年度(2008年度)』 | |
| 2.IPPNW日本支部理事会・総会・広島県支部総会 柳田実郎 2 | ||
| ・日本支部長挨拶 碓井静照 5 | ||
| 0911 | 『ピョンヤンの春 望春-北朝鮮の核廃絶と被爆者医療』(ガリバープロダクツ刊) | |
| 2012 | ||
| 0127 | 『放射能と子ども達 ヒロシマ、チェルノブイリ、セミパラチンスク、そしてフクシマ』(ガリバープロダクツ、20120127) | |
| 0509 | 没。享年74歳。 | |
止
故議員砂原格君に対する追悼演説
出典:『第68回国会 衆議院 本会議 第31号 昭和47年5月23日』
002 船田中
003 船田中
004 大原亨
止
砂原格
| すなはら・かく | 19020403生19720508没 | 享年70歳 | 『砂原格追想録』(砂原格先生顕彰会・会長森本亨、1978.5.8) |
資料年表:砂原格<作業中>
| 年月日 | 事項 | メモ |
| 1902 | ||
| 0403 | 誕生 | |
| 1952 | ||
| 0425 | 『藤野七蔵氏追懐録』(広島瓦斯) | |
| 砂原格「産業界の巨星」445 | ||
| 0920 | 『川よとわに美しく 詩集』(米田栄作著、第二書房) | |
| 砂原格「跋」 | ||
| 1954 | ||
| 0625 | 『ながれ』(村上哲夫著) | |
| 砂原格:信用は真実、真剣 <318~320頁> | ||
| 1965 | ||
| 0330 | 『砂原組40年史』 | |
| 1972 | ||
| 0508 | 死亡 | |
| 1974 | ||
| 0120 | 『高田郡史 下巻』 | |
| 「砂原格」< 518頁> | ||
| 1978 | ||
| 0508 | 『砂原格追想録』(砂原格先生顕彰会・会長森本亨) | |
| 1995 | ||
| 0301 | 『砂原組70年史』 | |
止
渡辺忠雄
| わたなべ・ただお | 18980715生19800506没 | 享年81歳 | 元広島市長(1955~59年)。 |
資料年表:渡辺忠雄<作業中>
| 年月日 | |||
| 1898 | |||
| 0715 | 山県郡大朝町生まれ。 | ||
| 1928 | |||
| ** | 弁護士開業 | ||
| 1946 | |||
| 0411 | ~460622衆議院議員(日本自由党)。公職追放。 | ||
| 1955 | |||
| 0430 | 広島市長選挙。当選。5月2日就任、1959年5月1日退任。 | ||
| 0730 | 臨時市議会「原子炉導入については世界の科学的水準が高い国々ではすべて原子炉の平和利用の試験が行われ、実用化の段階に入っているので日本だけ、広島市だけが原子力の平和利用に狭量であってはならない。適当な時期に受け入れる気持ちである」 | ||
| 0806 | 広島市平和記念式典。平和宣言。 | ||
| 1007 | 第7回広島建設促進協議会、参院議員会館(東京)で開催。渡辺市長の提案で同協議会規約「平和記念都市建設の促進をはかる」を「産業都市建設の促進をはかる」に変更し、協議会の新発足を決める。 | ||
| 1123 | 原水爆禁止広島県民協議会発足。代表委員7名の一人にに選ばれる。 | ||
| 1956 | |||
| 0103 | 中国新聞紙上で柴田重暉市議会議長と対談。「選挙で公約したように私は従来の『平和都市建設』をさらに進めて『産業都市建設』へすべての施策をもっていきたい」 | ||
| 0215 | 原水爆禁止広島市協議会の結成大会、広島市公会堂で開催。会長に渡辺市長。 | ||
| 0705 | 広島市、米から帰国した原爆乙女8人を招き、市社会館で渡辺市長を囲み座談会。 | ||
| 0806 | 広島市平和記念式典。平和宣言。 | ||
| 0928 | 渡辺市長の平和宣言に米ハワイ・ホノルル市長から返書。 | ||
| 1012 | |||
| 1015 | |||
| 1022 | |||
| 1956 | |||
| 0207 | |||
| 0806 | |||
| 1959 | |||
| 04 | 広島市長選挙。落選 | ||
| 1978 | |||
| 0508 | 『砂原格追想録』 | ||
| 渡辺「情熱に燃え実行型の士」pp.55-57 | |||
| 1980 | |||
| 0506 | 没 | ||
止
高橋和巳
| たかはし・かずみ | 19310831生19710503没 | 享年39歳 | 作家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)<投稿> |
資料年表:高橋和巳<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1931 | ||
| 0831 | 大阪市浪速区で誕生。 | |
| 1949 | ||
| 07 | 京都大学文学部(旧制)入学。 | |
| 1965 | ||
| 1130 | 『憂鬱なる党派』(河出書房新社) | |
| 1967 | ||
| 06 | 京都大学文学部助教授。 | |
| 1969 | ||
| 03 | 大学闘争の最中、学生側を支持して京都大学文学部助教授を辞職 | |
| 0615 | 『京大闘争 京大神話の崩壊』(京大新聞社編・京大全共闘協力、三一書房) | |
| 「大学問題をめぐって」ティーチイン(大学変革委員会 講師:高橋和巳) | ||
| 学生H:僕は4回生ですが、今現実的に卒業や大学院入試がせまっていて、どうしようか迷っています。現実の問題として入試中止といった事態も起こりかねない時に、先生や闘争を組んでいる諸君は一体どんな展望を持っているのか。卒業や入試をひかえた者のことも考えてほしい。 | ||
| 1110 | ||
| 1971 | ||
| 0503 | 死亡。享年39歳。 | |
| 0705 | 『文芸臨時増刊 高橋和巳追悼特集号』(河出書房新社) | |
| 1130 | 『高橋和巳作品集3 憂鬱なる党派』(河出書房新社) | |
| 1976 | ||
| 0115 | 『わが解体』(河出書房選書) | |
| 1978 | ||
| 1201 | 笠原伸夫「高橋和巳論 暗鬱志向の原拠」(『現代思想12月号』青土社) | |
止
布川弘
| ぬのかわ・ひろし | 1958**生20190927没 | 享年61歳 | 山形県生まれ。広島大学大学院総合科学研究科教授。広島市被爆70年史編集研究会で同席。 |
著書:『“近代都市”広島の形成』(吉川弘文館、2018年)
| はじめに(勝部眞人) | ||
| 1 | 近代日本の秩序形成(近代日本社会における「外来」と「在来」の構造的な連関;歩兵第四十一連隊の福山転営と市制施行への動き;戦間期国際秩序構想と日本―太平洋問題調査会における論議を中心として;国際平和運動における新渡戸稲造と賀川豊彦の役割) | |
| 2 | 片隅から見た日本の近代(「片隅」に込めた意味;広島藩における海防の端緒と砲術;戦争と神機隊;救民の構想と軍事;武一騒動;成立した新政府への対抗;第五師団の成立;片隅から見た現在) | |
| 世界の片隅からの視座(勝部眞人) | ||
止
宮本顕治
| みやもと・けんじ | 19081017生20070718没 | 享年98歳 | 日本共産党中央委員会議長、幹部会委員長、中央委員会議長。 |
資料年表:宮本顕治<作業中>
| 年月日 | 事項 | 出典など |
| C=『中国新聞』 | ||
| 1908 | ||
| 1017 | 山口県光市生 | |
| 1958 | ||
| 0811 | 広島―東京平和行進と長崎―広島―東京自転車平和リレー、六郷橋(東京の入り口)到着。浅沼稲次郎(社会党)・宮本顕治ら出迎え。 | C |
| 08 | 日本共産党中央委員会書記長 | |
| 1964 | ||
| 0902 | 宮本書記長、赤旗紙上でソ連共産党へ、部分核停条約締結について「帝国主義者に譲歩と妥協をあえてした」と反撃。 | C |
| 1017 | 宮本書記長、「中国の核実験は祖国の防衛だけでなく、アジアにおける核戦争を防止するための防衛的な措置」と声明。 | C |
| 1967 | ||
| 1213 | 畑中政春(日本原水協代表理事)・吉田嘉清(事務局長)、山本幸一社会党書記長・宮本共産党書記長をそれぞれ訪れ、被爆者援護法実現への協力申入れ。 | C |
| 1968 | ||
| 0611 | 宮本共産党書記長、山本幸一社会党書記長に「原水禁運動統一問題での協議」を申入れ。山本幸一書記長、了承。12日、社会党、組織の根本に関する問題を政党レベルで話し合うことは政党の干渉になると、協議を断ることを決定。 | C |
| 1969 | ||
| 0804 | 第15回原水禁世界大会本会議開会総会(広島県立体育館)。宮本書記長があいさつ。広島県庁で記者会見。統一問題について語る | C |
| 1970 | ||
| 07 | 日本共産党幹部会委員長 | |
| 1973 | ||
| 0705 | 宮本委員長、国会内で記者会見。「今後は社会主義国の核実験でも反対する」。 | C |
| 1975 | ||
| 0925 | 宮本顕治『「敗北」の文学』(新日本文庫) | U |
| 1977 | ||
| 0127 | 宮本委員長、記者会見。原水禁運動統一問題について総評とのトップ会談で一致点が確認されれば統一は可能と語る。 | C |
| 0315 | 宮本委員長、記者会見。原水禁運動統一問題にとって被爆国際シンポジウムが開かれることしはチャンスと語る。 | C |
| 0704 | 宮本委員長、広島市で記者会見。統一大会反対の動きを批判。 | C |
| 1982 | ||
| 07 | 日本共産中央委員会議長 | |
| 1984 | ||
| 1217 | 日ソ共産党の宮本議長とチェルネンコ書記長、モスクワで会談。核廃絶に向け両党の協力をうたった共同声明。 | C |
| 1985 | ||
| 0505 | 『核兵器廃絶への道』(新日本出版社) | |
| 2007 | ||
| 0718 | 宮本顕治没 | |
| 2015 | ||
| 0501 | 県立山口図書館、戦後70年企画で山口ゆかりの文学者(宮本元共産党議長ら5人)が戦争体験を題材にした小説など展示。~8月27日。 | |
止
長田三郎
| おさだ・さぶろう | 生19940205没 | 享年74 | 父は長田新。 |
資料年表:長田三郎<作業中>
| 年月日 | |||
| 誕生 | |||
| 臨時徴収現役兵として、南支(かつての中国南部)で敗戦を迎え捕虜収容所に収容され復員。 | |||
| 長野県上田市へ移住 | |||
| 1983 | |||
| 0430 | 「 燕」 長田三郎16 | ||
| 『反戦のこえ 詩集2』(戦争に反対する詩人の会) | |||
| 1985 | |||
| 0213 | 「歴史をくりかえさないために 」 長田三郎 | ||
| 『信州白樺 長野新特集』第61・62・63号 | |||
| 1987 | |||
| 第1回 上田平和音楽祭。 | |||
| 第4回から第6回まで実行委員長 | |||
| 上田市はやはりすごかった: てんこ盛り人生 (way-nifty.com) | |||
| 1990 | |||
| 0101 | 「ヤシガニ」 長田三郎 18 | ||
| 『稜線 季刊詩誌 No.33 冬』(稜線の会、 1990.1) | |||
| 0701 | 「原爆の子をめぐりて」 | ||
| 『わだつみのこえ90号』(日本戦没学生記念会) | |||
| 1992 | |||
| 0720 | 『燕 長田三郎反戦反核詩集』(稜線の会) | ||
| 1994 | |||
| 0205 | 長田三郎死亡 | ||
| 07 | 『稜線』51号 長田三郎追悼 | ||
| 0701 | 長田三郎「『原爆の子』と長田新」 | ||
| 1.だまって死んでしまえるものか | |||
| 2.映画「ひろしま」 | |||
| 3.広島子どもを守る会 | |||
| 4.8月6日 | |||
| 5.平和の砦を築くために | |||
| 出典:『占領下の広島 反核・被爆者運動草創期のものがたり』 | |||
| 2000 | |||
| 1001 | 鈴木初江「わが心友、長田三郎」 4 | ||
| 出典:『火幻』第44巻169号 | |||
| 2011 | |||
| 1231 | 「長田三郎との出会い」 | ||
| 出典:『君たちに捧げる 『原爆の子』(岩波版) 出版六〇周年記念』(中村巖) | |||
| 2019 | |||
| 1119 | 『原爆の子』と長田三郎氏 | ||
| 出典:『原爆の子』と長田三郎氏 (fc2.com) | |||
止
『「原爆の子」の父長田新 子どものしあわせと平和のために生涯をささげた日本のペスタロッチー』(川島弘著、本の泉社、2014/08/06)
内容
| 部章 | |||
| Ⅰ | 生い立ちから学生時代まで 13 | ||
| 1 | 生い立ち 14 | ||
| 日に新たなり 14/父と母 15/小学校時代 18/小石を拾いながら 20/諏訪中学校 21/「寮雨」 23/三輪先生との出会い 24/文武両道 25 | |||
| 2 | 高等師範学校時代 28 | ||
| 広島高等師範学校へ 28/初めて教壇に立つ 30 | |||
| 3 | 大学時代 32 | ||
| 京都帝国大学へ 32 | |||
| Ⅱ | 日本のペスタロッチー 35 | ||
| 1 | 澤柳政太郎の片腕として 36 | ||
| 研究助手 36/新しい学校づくり 38/結婚と妻義子 41 | |||
| 2 | ペスタロッチー研究にうちこむ 43 | ||
| 再び広島へ 43/ペスタロッチー運動を開始 44/ペスタロッチーにひかれて 45/厳しさと優しさ 新の講義 46 | |||
| 3 | 川井訓導事件 49 | ||
| 松本の小学校の教室で 49/その後の川井と長田新 51/信念の人 52 | |||
| 4 | 世界的ペスタロッチー研究者に 53 | ||
| 文学博士に 53/「すべてを他人のためにし おのれには何ものも」 54/山里の子どもたちを見つめて 57/暗い時代へ 59 | |||
| Ⅲ | 子どものしあわせと平和を守るために 61 | ||
| 1 | 戦時中の長田新 62 | ||
| 非国民とののしられ 62 | |||
| 2 | 原子爆弾 64 | ||
| 運命の日、八月六日 64/五郎父を救う 65/被服廠の看護所で 68/五郎の親孝行 70 | |||
| 3 | 広島大学の誕生 72 | ||
| 広島文理科大学長に 72/新制広島大学 73/激務からの解放 74 | |||
| 4 | 『原爆の子』出版 76 | ||
| 新たな決意 76/『原爆の子』たち 77/オート三輪に乗って 79/書きたくない、思い出したくない 81/泣き出してしまう女学生 83/出版を決意 85/岩波書店の勇気 86/プレスコードをのがれる 88/平和のためのバイブルに 89 | |||
| 5 | 『原爆の子』の反響とその意義 92 | ||
| 海の向こうからも 92/おさえきれぬ感動 93/一生消えない傷を背負って 98/『原爆の子』の意義 101/『原爆の子』の世界へ 102/「原爆の子友の会」 104/消えた体験原稿 107/運命的な偶然 109/ペスタロッチー全集の完成 111 | |||
| 6 | 平和運動の先頭に立って 114 | ||
| 日本子どもを守る会の結成 114/原爆孤児精神養子運動 117/その死 やはり新も 121/別れを惜しむひとびと 122/『原爆の子』の父を喪って 124/ペスタロッチーのもとへ 125 | |||
| あとがき いまなぜ長田新か 128 | |||
| あとがきに添えて 執筆の経験と謝辞 135/資料補足 140/長田新(1887~1961)紹介 147/ | |||
| 【おもな参考資料】 149/長田新 略年譜(長田五郎監修) 152/長田新 主要著作 157 | |||
止