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忘れじのヒロシマわが悼みうた 栗原貞子詩集

『忘れじのヒロシマわが悼みうた 栗原貞子詩集』(栗原貞子著、詩集刊行の会、1997/06/30)

内容

まえがき
1 ヒロシマのうたを歌い続けて
ヒロシマの道標 10
寂寞を希望にかえて 11
相次ぐ発禁-言論弾圧と細田民樹 13
日米ピースセンターの活動 16
悪い政治と斗って 18
崩れぬ平和都市を 19
生と死 20
ヒロシマのうたを歌い続けて 22
2 忘れじのヒロシマ
原爆で死んだ幸子さん 26
夾竹桃 27
異形 29
日詰さんと原水禁広島母の会 30
黒い十字架 32
いまは安らかに眠りませ 34
眼 35
白い虹 36
愛と死 37
ケロイドの背で証言する 38
まどうてくれ 40
ヒロシマの人体実験はまだ続いている 41
原爆半世紀ヒロシマの女たちは 44
3 歴史の立会人だったのだから
歴史の立会人だったのだから 48
石のなかから 49
歴史の残像 50
ヒロシマと言うとき 52
何のために戦ったのか 53
護憲の碑除幕 56
楽譜「世界とともに」 57
献詩「弟よ」 58
射程距離 60
昇天 61
終わりのとき 62
知らなかった 63
呼ぶ 64
空席 65
献詩 66
4 物故作家を語る会の記録 70
第1回 代表 田辺耕一郎
第2回 代表 好村富士彦
あとがき

田沼肇

田沼肇

たぬま・はじめ 19260419生20000809没 享年74歳 1950年、法政大学大原社会問題研究所に就職。64年同大学教授。93年退職し名誉教授に。日本原水協代表理事。

資料年表:田沼肇<作業中

年月日
1926
0419 誕生
 1954
0825  『日本資本主義講座 戦後日本の政治と経済 9 軍国主義の復活』(遠山茂樹編、岩波書店)
 1967
11101  『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局)
 第3分科会 被爆者問題
被爆者援護立法について 田沼肇 96
 1970
 0228  『静岡の被爆者 全戸訪問調査中間報告』(静岡県原水爆被害者の会)
 2.特別寄稿 「全戸訪問調査の意義」 4
日本原水協被爆担当常任理事 田沼肇
 1971
 0720  『原爆被爆者問題 新日本新書,132』(田沼肇、新日本出版社)
 0730  『炎の中を生きて 私の戦争体験記 原爆被爆者の手記』(原水爆禁止日本協議会編、日本青年出版社)
 あとがき 田沼肇 212
 1972
0718  『被爆婦人の集い 第4集』(大阪市原爆被害者の会婦人部)
 援護法をめぐって 田沼肇 37
1975 
 1201  『友情の人文字MINE 被爆二世の死を越えて』(大阪市原爆被害者の会婦人部)
 被爆二世のこと 田沼肇 40
 1977
 0125  『平和教育運動 No.4』(日本平和教育研究協議会、広島平和教育研究所出版部)
 核をめぐる国際情勢と平和教育 166 田沼肇
1978
 0915  『被爆の実相と被爆者の実情 1977NGO被爆問題シンポジウム報告書』(日本準備委員会編、朝日イブニングニュース社)
 被爆者調査 はじめに 田沼肇 217
 1985
 0530  『核兵器廃絶 資料集』(労働者教育協会編、学習の友社)
 5 内外人民の反核・平和運動 運動の歴史と核兵器廃絶への展望 田沼肇 123
 1028  『原爆犯罪 被爆者はなぜ放置されたか』(椎名麻紗枝著、大月書店)
 椎名麻紗枝さんのこと 田沼肇 227
 1987
 1021  『非核自治体 抗議・学習・連帯』(森田俊男著編、平和文化)
 序章 非核自治体運動の意義を生かすために 田沼肇 23
1995
0530 『私のなかの平和と人権』(草の根出版会)
2000
0809 没。享年74歳。
2008
0704 『田沼肇全活動 付・田沼肇著作集DVD』(田沼肇全活動・著作集編集委員会編・刊、日本評論社(発売))(投稿

李鍝

李鍝

り・ぐう 19121115生19450807没 享年32歳 李氏朝鮮王族の子孫。広島原爆で被爆死。

資料年表:李鍝<作業中

年月日 事項 備考
1912
1115 誕生。
1926
04 学習院中等科を経て、陸軍士官学校予科入学。
1945
07 第二総軍司令部(広島)参謀部第一課教育参謀に任命さる。
李方子『過ぎた歳月』
0806 原爆被災。
0807 似島(広島沖)で逝去。32歳。
0808 遺体を吉島飛行場から朝鮮京城へ。
宮内省発表(8日正午)李鍝公殿下には一昨六日広島に於て作戦任務御遂行中空爆により御負傷、昨七日戦死せられたり
0810 宮内省告示第21号 大勲位李鍝公殿下本月七日薨去セラレタルニ付長子李清公系ヲ襲カセラル 宮内大臣 石渡庄太郎
0815 葬儀。
0825 『昭和天皇実録』(1945年8月25日の項)=朝鮮より帰朝の式部次長坊城俊良が御文庫に参殿につき、謁を賜う。坊城は、去る十五日の李鍝公(八月七日広島似ノ島陸軍療養所において薨去)の葬儀に参列するため京城へ出張し、その際に見聞した停戦後の混乱状態につき言上する。○侍従日誌、侍従武官日誌、王公族録、徳川義寛終戦日記、松平慶民手帖
1963
1106 ~7日。 朴賛珠(李鍝夫人)、陸軍士官45期生の招待でソウルから来広。広島平和記念公園、原爆死没者慰霊碑、相生橋、前田別荘など訪問。
1969
1016 広島県、広島韓国人原爆慰霊碑建立委員会が進める韓国人慰霊碑を平和公園対岸の本川橋西詰河岸緑地への建立を許可。
1970
0410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑―李鍝公殿下他弐万余霊位、除幕
1973
01 李方子『すぎた歳月』
第8章
戦局は日々に暗く/広島に原爆投下/ああ、八月十五日/韓国は独立したけれど
1988
0915 中国放送、テレビ『民族と海峡・広島で原爆死した朝鮮王族李鍝 その生と死を追う』放映。
1989
0805 『資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑』(企画:ピカ資料研究所、編集:「全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島」有志<加藤陽祐・多賀俊介・豊永恵一郎>、「ピカ資料研究所」田原幻吉・中川幹郎)、刊行「碑の会」(全朝教有志・ピカ研)
 1999
2015 
 0903  『ともに歩んできた50年 韓日国交正常化50周年記念 駐広島大韓民国総領事館 ニュースレター特別版』(駐広島大韓民国総領事館)
  韓国人原爆犠牲者慰霊碑と李鍝 35

 

り・ぐう 19121115生19450807没 享年32歳 韓国人犠牲者慰霊碑(1970年4月10日除幕)の碑文。『すぎた歳月』(李方子、1973年)。『資料・韓国人犠牲者慰霊碑』(ピカ資料研究所など編、碑の会刊、1989.8.5)、『昭和天皇実録』

阿川弘之

阿川弘之

あがわ・ひろゆき 19201224生20150803没 享年94歳 日本の小説家、評論家。広島県名誉県民。日本芸術院会員。日本李登輝友の会名誉会長。文化勲章受章。『広島県現代文学事典』(高木伸幸・記)<資料年表:阿川弘之>

資料年表:阿川弘之

年月日 事項 備考
1920
1224 広島市に誕生。
1946
0901 『世界  第9号』(岩波書店)
(創作) 年年歳歳 阿川弘之 124
1949
1101 『新潮 特大号 第46卷第11号』
あ號作戦前夜-春の城-200枚 阿川弘之…90
 1952
 08?  『原爆の子完成記念アルバム』(近代映画協会・劇団民芸)
 郷里の廣島から 阿川弘之
 1953
0801 『新潮 特大号 第50卷第8號第580号』
魔の遺産(連載第2回)阿川弘之…248
0901 『新潮 特大号 第50卷第9號第581号』
魔の遺産(連載第三回)阿川弘之…227
1001 『新潮 特大号 第50卷第10號第582号』
魔の遺産(連載第四回) 阿川弘之…242
1201 『新潮 特大号 第50卷第12號第584号』
魔の遺産(終回)阿川弘之…237
 1954
 0328  『魔の遺産』(阿川弘之著、新潮社)
0601 『世界  第102号』(岩波書店)
特集 世界に訴える-水爆実験に関する日本人の發言-
これはあんまり無茶だ 阿川弘之 50
1955
 0410  『人さまざま 続 朝日文化手帖 , 50』(朝日新聞社)
 0530  『春の城 新潮文庫』(阿川弘之著、新潮社)
 0805  『原子力と文学』(小田切秀雄編、大日本雄弁会講談社)
 八 月 六 日 阿川弘之 54
 1001  『知性 10月号 第2巻第10号』(河出書房)
 あなたは現代・歴史的かなづかいのどちらをお使いになりますか アンケート …70
阿川弘之ほか
 <以下未入力
 1999
 ****  文化勲章受章。広島県名誉県民。
2015
0803 没。享年94歳。

資料年表:大佐古一郎

資料年表:大佐古一郎

年月日
1912
1115 誕生
1953
0801 『文芸春秋 第31巻第11号』(文芸春秋新社)
ヒロシマ記者の靴のあと 大佐古一郎 220
1965
0806 『週刊広島 4号』(広報出版センター)
日本の広島人 升田幸三 九段 大佐古一郎 14
1971
1001 『随想尾道 第28号』(尾道随筆クラブ)
核兵器のロボット 大佐古一郎 56
1972
0701 『潮 第156号』(潮出版社)
焦熱のもとで”取材”したこと 大佐古一郎 …248
1975
0825 『広島昭和二十年 中公新書 404』(大佐古一郎 著、中央公論社)
1977
0801 『広島新史編修手帖 No.1』(広島市史編修委員会専門部会)
6.随筆三題
その1 ジュノー博士の資料 大佐古一郎 17
1978
1101 『平和文化 第14号』(広島平和文化センター)
ドクタージュノーと私 大佐古一郎
1225 『広島県医師会速報 第953号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑥(大佐古一郎) 19
1979
0115 『広島県医師会速報 第955号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑧(大佐古一郎) 19
0215 『広島県医師会速報 第958号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑪(大佐古一郎) 28
0225 『広島県医師会速報 第959号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑫(大佐古一郎)21
0305 『広島県医師会速報 第960号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑬(大佐古一郎) 17
0415 『広島県医師会速報 第964号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界17(大佐古一郎) 23
0515 『広島県医師会速報 第967号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界20(大佐古一郎) 23
0525 『広島県医師会速報 第968号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界・24(大佐古一郎) 23
0605 『広島県医師会速報 第969号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界補遺(大佐古一郎) 22
0901 『世界 第406号』(岩波書店)
ジュノー博士と広島 大佐古一郎 269
1215 『ドクター・ジュノー 武器なき勇者』(大佐古一郎、新潮社)
1980
0105 『広島県医師会速報 第991号』(広島県医師会)
新春炉辺談話 大佐古一郎、松永勝、阪田数年 6
0305 『広島県医師会速報 第996号』(広島県医師会)
随想 ドクター・ジュノー(大佐古一郎) 26
0801 『廣島特報 昭和20年8月7日(火曜日)・昭和20年8月8日(水曜日)』(大佐古一郎・中村敏・松重美人)
1981
0901 『世界 第430号』(岩波書店)
ヒロシマ記者の証言 大佐古一郎 93
1982
0125 『広島県医師会速報 第1064号』
特別寄稿・GHQと日本政府は広島に何をしたか?(大佐古一郎) 24
1985
1125 『昭和の戦争ジャーナリストの証言 6 終戦』(講談社出版研究所編、講談社)
証言
IV 原爆に竹槍・国民義勇戦闘隊 大佐古一郎(中国)125
1988
0718 『消えたペン 新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編、汐文社)
炎熱のもとで取材したこと 大佐古一郎 9
1989
1115 『平和の勇者ドクタージュノー 探せ!ヒロシマの恩人の軌跡』(大佐古一郎、蒼生書房)
 1995
 ??  死亡。

資料年表:小寺初世子

資料年表:小寺初世子<作業中

年月日 事項 備考
1932
**** 兵庫県生まれ。
1972
0331 『広島女子大学文学部紀要 第7号』(広島女子大学)
「朝鮮人被爆者の法的地位」
1976
0220 『国際法の基本問題 小谷鶴次先生還暦記念論文集』(山本敬三 [ほか]著、有信堂)
第3章 国際法主体としての国家と個人 小寺初世子 <26>
1979
0101 『広島平和科学 2 1978/79年』(広島大学平和科学研究センター)
国際人権規約の批准とその法的効果
小寺初世子…1
0310 『広島女子大学文学部紀要 1979 第14号』
小寺初世子 在日外国人(在広朝鮮人・韓国人)被爆者の核意識 19
1101 『世界 第408号』(岩波書店)
韓国人・朝鮮人被爆者の核意識 小寺初世子 328
1980
0320 『広島女子大学文学部紀要 1980 第15号』
小寺初世子 外国人と社会保障-被爆者援護と外国人被爆者の問題を含めて 70
0415 『原爆問題 広島総合研究会会報 No. 3』(原爆問題広島総合研究会)
外国人の核意識―大学卒外国婦人に対する試験的調査のまとめ―広島女子大学大学部 小寺初世子、木本喜美子
0910 『平和研究 第5号 現代日本の平和保障』(日本平和学会)
〔書評〕小寺初世子
広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)白いチョゴリの被爆者   182
1981
0101 『広島平和科学 4 1981年』(広島大学平和科学研究センター)
「第二次世界大戦におけるいわゆる“朝鮮人徴用工”への未払賃金供託事件に関する法的一考察 一般市民の蒙る戦争災害の救済」 小寺初世子……1
0320 『広島女子大学文学部紀要 1981 第16号』
小寺初世子 原爆災害の法的研究-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 143
1982
0101 『広島平和科学 5 1982年』(広島大学平和科学研究センター)
国際刑法と罪刑法定主義  小寺初世子……83
0130 『原爆問題 広島総合研究会会報 No.10』(原爆問題広島総合研究会)
より効果的な核兵器の禁止を求めて―国際刑法典の制定をめぐる最近の国連活動への期待― 小寺初世子
0320 『広島女子大学文学部紀要 1982 第17号』
小寺初世子 原爆災害の法的研究(その2)-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 39
1983
0320 『広島女子大学文学部紀要 1982 第18号』
小寺初世子 原爆災害の法的研究(その3)-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 71
0501 『平和文化 第41号』(広島平和文化センター)
非戦闘員被爆者の法的救済をいかに定めるか国家補償の必要性を認める方向で 広島女子大学教授 小寺初世子
1994
0101 『広島平和科学 16 1994年』(広島大学平和科学研究センター)
条約の普及(dissemination)について(調査報告)―女子差別撤廃条約を例に― 小寺初世子……85
『広島平和科学 17 1994年』(広島大学平和科学研究センター)
人権を侵害された個人がもとめる国際的救済 小寺初世子……79
1995
0101 『広島平和科学 18 1995年』(広島大学平和科学研究センター)
第4回世界女性会議(FWCW=北京会議)と女性の地位向上 小寺初世子
1996
0101 『広島平和科学 19 1996年』(広島大学平和科学研究センター)
『従軍慰安婦』への『戦後補償』とその法的問題点 小寺初世子……93
1997
0101 『広島平和科学 20 1997年』(広島大学平和科学研究センター)
条約と日本―条約の国内法としての効力を考える― 小寺初世子……307
0125 『21世紀世界の人権』(田畑茂二郎編、明石書店)
第8章 女子差別撤廃条約とその問題点 小寺初世子 198
0210 『国際人権法概論』(畑博行・水上千之編著、有信堂高文社)
女子差別撤廃条約 小寺初世子
1 はじめに 64
2 女子差別撤廃条約と日本 67
(1)条約批准まで 67
(2)条約批准のインパクト- 1  67
(7)条約批准のインパクト- 6 73
3 おわりに 74
1998
0101 『広島平和科学 21 1998年』(広島大学平和科学研究センター)
人権条約による人権保障の実効性について
―留保の問題を中心に― 小寺初世子……191
1999
0101 『広島平和科学 220 1999/2000年』(広島大学平和科学研究センター)
人権条約による人権保障の実効性ついて(続)
―留保の問題を中心に― 小寺初世子……235
2001
0731 死亡。

桧垣益人

桧垣益人

05 19900805没 桧垣益人 ひがき・ますと 94 元日本被団協代表委員(1970-81年)。広島駅地下道で被爆。1961-84年、広島県被団協事務局長。<資料年表:桧垣益人

資料年表:桧垣益人

年月日 事項 備考
**** 桧垣益人、誕生。
1956
0718 広島県安芸郡原爆被害者団体連合会結成大会。於矢野町公民館。会長に桧垣益人を選任。 C
1960
1201 日本原水協・中国ブロック原水協主催:原水爆禁止・被爆者激励広島大会。於広島市公会堂。桧垣益人ら意見発表。 C
1962
0221 桧垣益人広島県被団協事務局長ら代表10人、原爆被害者援護法制定の陳情のため広島から上京。 C
1963
0217 日本被団協・原水禁中国ブロック協議会、原爆慰霊碑前の24時間座り込みを正午で打ち切り決起集会。参加者500人。国会請願代表団38人を激励。桧垣益人広島県被団協事務局長が決意表明。 C
0930 近畿の社会党・総評系団体など主催、大阪市内で「日本の非核武装と軍縮のための関西平和大会」開催。桧垣益人広島県被団協事務局長らがあいさつ。 C
1968
04 広島県安芸郡海田町の原爆被害者の会(桧垣益人会長)、会員240人の被爆体験をまとめた『被爆者懇談集録』を発刊。 C
1970
0830 広島県被団協、日本被団協の改組に伴う代表委員に桧垣益人事務局長の推薦を決める。森滝の推薦は断念(「ヒロシマ四十年・森滝日記の証言」) C
0831 日本被団協第14回総会を国労会館(東京)で開催。森滝理事長辞任、代表委員制を新設。桧垣益人、小林ヒロ(長崎)、行宗一(東京)を選ぶ。事務局長は伊東壮、森滝は常任顧問。 C
1971
0819 C
0905 C
0906 C
つづく
1990
0805 桧垣益人、死去。94歳。

資料年表:山下義信

資料年表:山下義信<作業中

年月日 事項 備考
1894
0321 広島県呉市生まれ。
 1954
 0625  『ながれ』(村上哲夫)pp.437-440
 「野人の面目躍如 参議院議員 山下義信」
1956
01 『広島市における原爆障害者対策に関する調査概要』(参議院社会労働委員会調査室)
参議院社会労働委員の現地調査 谷口弥三郎・山下義信
 1967
 0401  『菊池女子大学生』(山下義信 編注、善行会刊)
 1975
 1225  『戦後三十年の歩み』(広島県動員学徒等犠牲者の会)
 動員学徒の援護に関する記事 山下義信 123
1982
0630 『歌論短歌の解明 真樹叢書第85編』(山本康夫著、真樹社)
山下義信編注「菊池女子大生」 248
1989
0730 死亡。享年95歳。
0805 「ひと きのう きょう 流れ雲 山下義信さん(7月30日没 95歳) 原爆孤児に「家庭」作る」(渡辺雅隆)『朝日新聞(夕刊)』1989年8月5日
 2017
 0321  『広島戦災児育成所と山下義信 山下家文書を読む』(新田光子著、法蔵館)
2019
11 山下義信の遺族、「広島戦災児育成所」の日誌や写真などを広島市の平和記念資料館に寄贈(『朝日新聞』宮崎園子)

 

資料年表:増岡敏和

資料年表:増岡敏和

年月日 事項 備考
1928
**** 広島市生まれ。
1949
1120 『われらの詩 第1号』(増岡敏和編、「われらの詩の会」編集室刊)
外は嵐だ 他一篇 増岡敏和 4
1950
0101 『われらの詩 第2号』(且原純夫編、「われらの詩の会」編集室刊)
ニュース 増岡敏和  14~15
0201 『われらの詩 第3号』(古井誠三編、「われらの詩の会」編集室刊)
なかまの肩  增岡敏和  14
支部報告 県北から  増岡敏和  20
0303 『われらの詩 第4号』(上野邦彦編、われらの詩の会編集局刊)
眼ん玉  增岡敏和 9
一行評論  増岡敏和 22
編集後記 上野邦彦/村中好穂/且原純夫/増岡敏和/瀧隆治/岡本/峠三吉  30
0501 『われらの詩 第5号』(望月久良壽編、われらの詩の会編集局刊)
増岡敏和 20
0620 『われらの詩 第6号』(藤田千秋編、われらの詩の会編集局刊)
街へやる手紙 増岡敏和 13
1025 『われらの詩 第9号』(峠三吉編、われらの詩の会刊)
1215 『われらの詩 第10号 1周年記念号』(われらの詩の会刊)
増岡敏和 9
1952
0510 『われらの詩 第14号 高木正幸特集』(峠三吉編、われらの詩の会刊)
風の子 增岡敏和 7
裏表紙:広告 増岡敏和詩集『風の子物語』・御庄博実詩集『交響詩岩国組曲』
1953
0720 『われらの詩 第19号』(峠三吉編、われらの詩の会刊)
作品Ⅰ
新聞の記事から 増岡敏和 2
1101 各地の詩運動
中核の思想 増岡敏和 12
1110 『われらの詩 第20号』(われらの詩の会刊)
 二十号発刊にあたって 編集部 1
詩および詩運動 増岡敏和 4
1954
0215 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会編・刊)
増岡敏和「峠三吉氏の生涯」  4
0806 『廣島 歌集』(歌集廣島編集委員会編、第二書房)
増岡敏和 142
1101  『われらのうた 第1号』(われらのうたの会刊)
 李徳全女子歓迎 増岡敏和 26
1206 『われらのうた 第2号』(われらのうたの会刊)
特集 誌上・広島のうたごえ
歌をつくる運動 「怒りの胸」を作曲して 木下航二  5
(*歌詞)「怒りの胸」   5
(*楽譜)「怒りの胸」 増岡敏和詞・木下航二曲  6
(*歌詞付き)世界民青連代表歓迎のうた 長藤久子 7
平和を守る歌声 深川宗俊 8
(*楽譜)「わが故郷」 増岡敏和詞・村中好穂曲 9
1955
0109 『われらのうた 第3号』(われらのうたの会刊)
一言集
増岡敏和 12

詩人本屋 増岡敏和  31-32
0210 『われらのうた 第4号』(われらのうたの会刊)
詩 さあ諸君 増岡敏和   2
シュプレヒコール 歌のベルト―中・四国うたごえ参加作品
山下磨玲、植野浩、増岡敏和 3-7
0301 『詩運動 No.13』(詩運動社)

声 増岡敏和 14
0310 『われらのうた 第5号』(われらのうたの会刊)

春二題 Ⅰ/Ⅱ 増岡敏和  26
0410 『われらのうた 第6号』(われらのうたの会刊)
渦の中 増岡敏和  25-26
0510 『われらのうた 第7号』(われらのうたの会刊)
特集 第二回 誌上広島のうたごえ
鉄路のうたごえ 増岡敏和詞・村中好穂曲  6
0610 『われらのうた 第8号』(われらのうたの会刊)
表紙
(*楽譜)青年栄光曲増岡敏和詞・村中好穂曲 1(表紙裏)
短歌特集
峠三吉短歌抄  21
峠さんの短歌について 増岡敏和  21
0710 『われらのうた 第9号』(われらのうたの会刊)
発展のための問題の提起(*われらのうた第一回総会報告)
増岡敏和  5-11
0810 『われらのうた 第10号』(われらのうたの会刊)
第四回文化の集いのこと 増岡敏和  19
石の沈黙 増岡敏和  22
あとがき  48(裏表紙裏)-裏表紙
(*楽譜)広島のうたごえ増岡敏和詞・村中好穂曲、
0910 『われらのうた 第11号』(われらのうたの会刊)
 城壁 増岡敏和 25
1010 『われらのうた 第12号』(われらのうたの会刊)
詩 写真 増岡敏和  12-13
1110 『われらのうた 第13号』(われらのうたの会刊)

風  増岡敏和 12-13
1210 『われらのうた 第14号』(われらのうたの会刊)

習作 父と子 増岡敏和 51-55(裏表紙裏)
1956
0101 『われらのうた 第15号』(われらのうたの会刊)

詩二題(家庭/ある秋の夜) 増岡敏和 10-11
0216 『われらのうた 第16号』(われらのうたの会刊)
文章特集(*十六号までの批判をうけて)
詩集「明日への眼」後記 増岡敏和   15
(*広告)増岡敏和詩集、麻井比呂志詩集、ラジオ放送曲から、
0308  『われらのうた 第17号』(われらのうたの会刊)
 受贈誌紹介  46
詩集評(*増岡『明日への眼』、麻原『昇天拒否』について)田辺耕一郎、上本正夫、浜野チホ子、四国五郎  47-54
雑感(1) 増岡敏和   54
雑感(2) 増岡敏和   59
0405 『広島文学 第6巻第2号 昭和31年春季号』(広島文学協会)
 =詩= 雪の朝 増岡敏和 38
0408  『われらのうた 第18号』(われらのうたの会刊)
文学サークル運動覚え書き 増岡敏和  14-18
0510 『われらのうた 第19号』(われらのうたの会刊)
二つの実りによせて(*増岡・麻井詩集出版記念会メッセージ)赤木健介、壺井繁治、遠地輝武、大島博光、坂井徳三、李仁、深川宗俊  4-9
(*報告)増岡敏和「明日への眼」麻井比呂志「昇天拒否」 詩集出版記念会報告 27
0610  『われらのうた 第20号』(われらのうたの会刊)
  東京詩集(早春/道) 増岡敏和   10
0710 『われらのうた 第21号』(われらのうたの会刊)

「われら」の合評会のみなさんへ 増岡敏和 25-29

東京詩集(演説/サラリーマン) 増岡敏和  30
0801  『樹木と果実 第5号』(五味書店刊)
作品
沖縄の少女 増岡敏和 27
0807  『われらのうた 第22号』(われらのうたの会刊)
 二十一号漫歩 増岡敏和  2-4、27
原爆詩特集―いまもなお
戦争二題(玲子/生きかえらぬものはいない―歌詞のために) 増岡敏和 16
0915   『われらのうた 第23号』(われらのうたの会刊)
 側面的発言として 二十二号漫歩 増岡敏和  32-35
1110   『われらのうた 第25号』(われらのうたの会刊)
 詩
道 増岡敏和 26
1119 『ひろしま創作曲集』(広島合唱団)
わが故郷 増岡敏和作詩…8
1210   『われらのうた 第26号』(われらのうたの会刊)
 詩
恋 増岡敏和 13
町へ 増岡敏和 14
1957
0201  『われらのうた 第27号』(われらのうたの会刊)
 遠い富士―ある疲れた人に代わって― 増岡敏和 40
0301  『われらのうた 第28号』(われらのうたの会刊)
 あたりまえでなくそしてあたりまえに
―27号詩特集号漫歩― 増岡敏和  44-49
0401  『われらのうた 第29号』(われらのうたの会刊)
第三回峠三吉祭から 増岡敏和 4-5
東京詩集(演説/サラリーマン) 増岡敏和  30
0501  『われらのうた 第30号』(われらのうたの会刊)
 座談会3 新しい歌の土壌―広島合唱団の読者と
大保隆司、児玉藻佑、村中好穂(*広島合唱団)
望月久、増岡敏和、島陽二(*われらのうた) 6-16
0610  『われらのうた 第31号』(われらのうたの会刊)
 歌う詩三つ
おまえになろう/五月の歌 増岡敏和 5
「歌詩」「大丈夫」と「詩でする話」―三十号漫歩― 増岡敏和 32-35
1201   『われらのうた 第35号』(われらのうたの会刊)
散文詩冬の木―工場で― 増岡敏和  10-11
1958
0910  『われらのうた 第38号』(われらのうたの会刊)
 たより
増岡敏和・・・  40-42
1205  『われらのうた 第39号』(われらのうたの会刊)
 たより
増岡敏和・・・ 59-62
1961
1201 『戦いと挨拶』(起点社)
 1962
0520 『われらのうた 第54号』(われらのうたの会刊)
「増岡敏和詩集」評 増原正 30-33(裏表紙裏)
1963
1101  『文化評論 1963-No.24』(日本共産党中央委員会)
 わが党に・他四編(詩・選外佳作) 増岡敏和 123
1964
0801  『ひろしま 創刊号』(広島県文化会議)
随想・ある心情の中の敵/増岡敏和 30
1965
0301 『ひろしま 第2号』(広島県文化会議)
創刊号を読んで・広島の意志・その周辺/増岡敏和 28
0801 『ひろしま 第2号』(広島県文化会議)
反戦詩歌人集団(一九五〇年)のこと 増岡敏和 52
1966
0601 『詩人会議 第4巻第6号』(飯塚書店)
詩誌評 追及の深さとおちつき 増岡敏和 66
1970
0620 『日本原爆詩集』(大原三八雄・木下順二・堀田善衛編、太平出版社)
怖れ 増岡敏和 148
0701  『文化評論 1970-No.106』(日本共産党中央委員会)
□創作 原爆碑銘について(詩) 増岡敏和 166
0831 『八月の詩人 原爆詩人・峠三吉の詩と生涯』(増岡敏和著東邦出版社、)
1001 『広島通信 No.23』(「広島通信」の会)
原爆詩 増岡敏和
1101 『われらの時代に 大島洋詩集 詩人会議叢書』(大島洋著、詩人会議)
跋 増岡敏和 106
1971
0710 『平和詩集 第2集』(広島詩人会議運営委員会)
鳴る 増岡敏和 79
0730 『広島の詩人たち 新日本新書134』(増岡敏和著、新日本出版社)
 0801  『民主文学 第69号通巻119号』(新日本出版社)
詩人の運命―峠三吉・その原爆詩の弾道― 増岡敏和…100
0901 『日本児童文学 第17巻9号通巻179号』(日本児童文学者協会編、盛光社)
<峠三吉未発表遺稿童話集>
百足競争
お爺さんと娘
ドッヂ・ボール
峠三吉とその童話について 増岡敏和 112
1972
0725 『原爆と文学 創刊号』(原爆と文学の会)
創作 夏の饐え 増岡敏和 24
1973
0601 『原爆と文学 第2号』(原爆と文学の会)
創作 父と少年の碑  増岡敏和 70
0801 『でるた 79号 峠三吉没後20周年記念特集』(広島詩人会議)
峠三吉とわれらの詩の会のことなど 増岡敏和 17
1974
0615 『原爆と文学 第3号』(原爆と文学の会)
海の蝉しぐれ  増岡敏和 70
0801 『世界原爆詩集 角川文庫』(大原三八雄編、角川書店)
 増岡敏和 「巨大な沈黙の下に 久保山さんの死を聞いて」 79
1975
0628 『河 民藝の仲間166号』(「民藝の仲間」編集部編、劇団民藝刊)
峠三吉と「広島の青春」…増岡敏和…(11)
0701 『峠三吉作品集 上』(峠三吉著、峠一夫・増岡敏和編、青木書店)
解説 増岡敏和 278
0705 『原爆と文学 第4号』(原爆と文学の会)
座談会 「歴史としての体験」をどう定着させるか
―その創作観点と教育のあり方
中沢啓治 山口勇子 田川時彦 増岡敏和 2
創作
春十四郎先生 増岡敏和 81
0815 『峠三吉作品集 下』(峠三吉著、峠一夫・増岡敏和編、青木書店)
解説 増岡敏和 297
1976
0525 『[季刊]平和教育 第1号』(明治図書出版)
連載 作家と作品1 峠三吉
増岡敏和「峠三吉の抒情の変革とその生涯」 127
1977 
0801 『文化評論 1977-No.196』(新日本出版社)
「民医連金脈」なんてものはない 増岡敏和・・・79
0801 『原爆と文学 第5号』(原爆と文学の会)
 増岡敏和短篇集
幽かな父…54
消えた少女…59
ヘッドライト…65
1978
0801 『木の葉のように焼かれて 第12集』(新日本婦人の会広島県本部)
特別寄稿
われらのうたごえのなかのわがふるさとへ 増岡敏和 69
1201 『広島通信 No.59』(「広島通信」の会)
特集 核時代の文学
ひと一人死ぬとうことのゆゆしきに 増岡敏和
1979
0101 『平和教育 第9号』(日本平和教育研究協議会、明治図書出版)
○連載/作家と作品/原民喜とその生涯○
一輪の花の幻  増岡敏和 117
1980
0601 『広島通信 No.62』(「広島通信」の会)
特集 廣島・広島・ヒロシマ
耳朶に甦りつづける言葉 増岡敏和
1981
1111 『中川秋一遺稿集』(中川秋一先生遺稿・追悼文集刊行委員会編・刊)
増岡敏和氏宛書簡「控」 111
1982
0720 『反核・日本の音楽 ノーモア・ヒロシマ音楽読本』(芝田進午、矢澤寛、木下そんき編、汐文社)
占領下における広島の原爆文化活動ー広島の青春 増岡敏和 62
1 敗戦直後の文化活動-「中国文化」誌と峠三吉 62
2 原爆短歌と文学活動の展開-占領政策の制約のもとで 70
3 朝鮮戦争下の反戦平和運動-「反戦詩歌集」の発行と検閲制度 76
4 ”広島の青春”ー反戦平和詩集のひろがりと平和運動の発展 81
5 広島でのうたごえ運動の盛り上がり-第一回原水禁世界大会にむけて 88
0720 『にんげんをかえせ 詩集(新日本文庫)』(峠三吉著、増岡敏和編、新日本出版社)
解説 増岡敏和 209
1983
0201 『詩民10号 通巻131号』(広島詩人会議)
峠三吉没後三〇年特集<峠三吉と私>
在りし日の断片 増岡敏和 9
0430 『反戦のこえ 詩集 2』(戦争に反対する詩人の会)
雷鳥 増岡敏和26
0601 『文団連ニュース No.53』(広島県文化団体連絡会議)
増岡敏和氏(われらの詩の会)を迎えて
-峠三吉没後30年記念講演会を開く- 2
0901 『真樹 第54巻第9号』(真樹社)
 絶句 詩人・元同人 増岡敏和 81
1985
0725 『原爆を許すまじ 世界の空へ』(木下航二編、あゆみ出版)
広島のうたごえのことなど 増岡敏和 90
0801 『詩人会議第 23巻8号』(詩人会議編、飯塚書店)
座談会
『原爆詩集』が生まれる頃の峠三吉 増岡敏和氏に聞く…きき手 東けいこ・柴田三吉 46
0806 『広島の女 散文詩集』(増岡敏和著、あゆみ出版) U
 『詩人会議 第23巻8号』()
1986
0610 『反核平和詩集』(詩人会議編、新日本出版社)
尊い朝 増岡敏和 69
0806 『ひろしま 19号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
対談 いま、原爆犯罪を問う 椎名麻紗枝 桜木早苗 増岡敏和 (司会) 60
1987
0806 『原爆詩人ものがたり 峠三吉とその周辺』(増岡敏和著、日本機関紙出版センター)
1990
0101 『稜線 季刊詩誌 No.33 冬』(稜線の会)
□批評・感想・随想
概念性を排して動きに即して具象へ 増岡敏和 12
0701 『ヒロシマ・ナガサキから何を学ぶか 第5集 被爆者・国民は何をしてきたか 東友文庫』(東京都原爆被害者団体協議会(東友会))
原爆被爆者運動の前史(正史) 増岡敏和……3
1992
0124 『1992年度久保医療文化研究所講演録』(久保医療文化研究所)
第68回講演会 ’92年3月14日
広島における反原爆文化運動の原点 増岡敏和
1993
0420 『ひろしま 32号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
詩 滅びの碑 増岡敏和 44
0620 『ひばくのこころでシリーズ 3  忘れてはならない「あの日」を』(町友会とともに生きる会)
1 花をかざす-被爆者とともに-(詩) 増岡敏和・本間美智子
0715 『虹の碑 原爆被爆者証言詩抄』(増岡敏和著、日曜舎)
1020 『追悼記 増補』(広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会)
原爆で殺された玲子 1年3組 増岡玲子<兄>増岡敏和 24
1994
0620 『ひろしま 35号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
 詩 八月六日に灼かれて 増岡敏和 38
1995
0130 『にんげんをかえせ 詩集』(峠三吉著、増岡敏和編、新日本出版社)
解説 増岡敏和 191
0301 『原爆と文学 1995年版』(原爆と文学の会)
被爆者証言組曲「虹の碑」「母子像」 増岡敏和 62
0601 『平和教育 第48号』(日本平和教育研究協議会)
詩 妹よ 増岡敏和…92
0701 『占領下の広島 反核・被爆者運動草創期ものがたり』(渡辺力人・田川時彦・増岡敏和編、日曜舎)
第1章 燃える景観
廃墟の中からのうたごえ(敗戦直後の文化運動)…増岡敏和
峠三吉の反戦・反原爆文学運動…増岡敏和
1950年8月6日の記録(ビラが降るビラが降る)…増岡敏和
第2章 にんげんをかえせ
最初の被爆者団体の結成と吉川清…増岡敏和
最初の被爆者援護法請願行動…増岡敏和
 0831  『ひろしま 37号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
峠三吉の最後 増岡敏和 20
1996
0227 『原爆と文学 1996年版』(原爆と文学の会)
詩 パラドックスの鴉  増岡敏和 108
巻頭言・あとがき(増岡敏和・篠垤潔)
1997
0301 『原爆と文学 1997年版』(原爆と文学の会)
永代までも言問わむ―カンタ-タ 東京大空襲 増岡敏和 110
あとがき(増岡敏和・篠垤潔)
1010 『花なき薔薇の傍で 原爆被爆者証言詩抄』(増岡敏和著、日曜舎)
1998
0301 『原爆と文学 1998年版』(原爆と文学の会)
峠三吉の最期 増岡敏和 128
0710 『記憶の火群 短篇集』(原爆と文学の会編、日曜舎)
第1章(小説)
あすも凪…山口勇子 6
幽かな父…増岡敏和 20
立ち止まる風…森川恵美子 28
十八歳の青春…夏目侑子 46
大久野島の毒煙…紙地屋正 96
炎の夜の告発…岡田智晶 120
枯れ芒…篠垤潔 152
 1999
 0301  『原爆と文学 1999年版』(原爆と文学の会)
カンタ-タ沖縄戦 ウチナンチュの母 増岡敏和 84
あとがき(増岡敏和・篠垤潔)
2000
0301  『原爆と文学 2000年版』(原爆と文学の会)
カンタ-タ詞文 光ねんうちゆみ 増岡敏和 116
2001
0301  『原爆と文学 2001年版』(原爆と文学の会)
山口勇子さん追悼 小特集 113
山本文子 116 赤松宏一 118 日高のぼる 123 乙部宗徳 124
山田寿美子 128 山岡和範 130 増岡敏和 132 略歴 114
2002
0301  『原爆と文学 2002年版』(原爆と文学の会)
戦争二題―「微笑」「滴る」  増岡敏和 76
あとがき(篠垤潔・増岡敏和)179
1211 『茜 増岡敏和詩集』(十二舎)
2003
0301  『原爆と文学 2003年版』(原爆と文学の会)
反戦反核の響きを最高に伝える詩の言葉―峠三吉『原爆詩集』の貶めなどを糾す 増岡敏和 78
0715 『反戦アンデパンダン詩集』(反戦詩集編集委員会、創風社)
増岡敏和 微笑…246
 2004
0301 『原爆と文学 2004年版』(原爆と文学の会)
田川時彦氏追悼のページ
弔辞・弔詩  横川嘉範 ・小森香子・ 山岡和範・増岡敏和 ・夏目侑子 66
創作
優しかった玲子の遠い夕暮れ 増岡敏和 142
あとがき(篠垤潔・増岡敏和)
2005
0301 『原爆と文学 2005年版』(原爆と文学の会)
夕焼け人形(童話)  増岡敏和 114
あとがき(篠垤潔・増岡敏和) 表紙4
2006
0301 『原爆と文学 2006年版』(原爆と文学の会)
??
2007
0301 『原爆と文学 2007版』(原爆と文学の会)??

敗れたかにみえる日のある回想 増岡敏和 142
あとがき(篠垤潔・増岡敏和) 表紙 4
0806 『原爆詩一八一人集 1945~2007年』(長津功三良・鈴木比佐雄・山本十四尾編、コールサック社)
増岡敏和「鳴る」 254
2008
0125 『戦後日本における市民意識の形成 戦争体験の世代間継承 (叢書21COE-CCC多文化世界における市民意識の動態 , 31)』(浜日出夫編、慶應義塾大学出版会)
第7章 被爆者の現実をいかに認識するか?-体験者と非体験者の間の境界線をめぐって 八木良広 159
はじめに 159
Ⅰ 被爆者と非被爆者の間の境界線 163
1 増岡敏和のわだかまり 163
2 二つの認識作法-越えがたい「溝」と「線引き」 164
2010
0728 死亡。
2012
0806 『増岡敏和全詩集』(増岡敏和著、佐相憲一・鈴木比佐雄編、コールサック社)
2014
1026 『金輪島と原爆 原爆死没者慰霊碑参拝』(竹内良男)
「原爆で殺された玲子」(増岡敏和)…22
2017
0527 『第1回「峠三吉を歩く」 ピースウォークひろしま2017 原爆文学の記憶をたどる講座とフィールドワーク』(竹内良男制作)
<ヒロシマへ ひろしまから>通信No.35…峠三吉と増岡敏和

 

 

28 2010 増岡敏和 ますおかとしかず 82 8月6日(1945年)には海軍の予科練(飛行機練習生)で松山航空隊に入隊、8月6日頃は軍隊疎開で愛媛県の南部の深浦町にいた。敗戦の数日以内に広島市に帰る。祖母、母、長妹(原爆死)、次妹被爆弟たちは学童疎開中。

今中次麿 生涯と回想

『今中次麿 生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)

内容

imanaka01
imanaka02a
imanaka02b
imanaka03b
imanaka04a
236 中村義知
239 熊田重克
imanaka04b
259 佐久間澄
264 今堀誠二
268 後藤陽一
271 佐藤正夫
274 山代巴
277 挾田喜義
280 山口利男
284 石田明
288 中村吉男
290 山田浩
294 大西典茂
298 北西允
302 池田重久
303 頼和子
 imanaka05a
 imanaka05b
 今中次麿年譜
 imanaka06a
 遺稿目録
 あとがき 大西典茂・北西允・中村義知・山田浩