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資料年表:明田弘司

明田弘司

あけだ・こうし 192212生20150812没 享年92歳 写真家。「戦争から復員後の48年、広島市内で写真展を開業。仲間とヒロシマ・フォト・クラブを結成。写真家の名取洋之助から広島の復興を記録するよう助言され、市民生活や街の活気を撮り続けた」(『中国新聞』2015.8.13)。

資料年表:明田弘司

年月日 事項 備考
1922
12 誕生
1967
0701 『ひろしま JRP広島支部写真集 1967.7 創刊号』(日本リアリズム写真集団広島支部)
父の記録 明田弘司
1981
1201 『美術ひろしま-昭和56年度市民美術作品』(広島市文化振興事業団)
写真
84 浅き春  明田弘司
2009
0808 『百二十八枚の広島 広島を撮り続けて六十一年、明田弘司(写真家)が見た 昭和二十年代→三十年代』(明田弘司著、南々社)
2011
02 明田弘司の写真パネル展。天満屋八丁堀店1階(広島市)で開催。~21日。
0819 写真展「復興の記憶 広島 戦後の商業史」、泉美術館で開催。~19日。 C
2013
0806 「広島復興の記録次代へ 広島市中区の明田さん 市公文書館に写真10万点から寄託」(『中国新聞』) C
2014
0716 『写真展「広島の記憶 写真家明田弘司の仕事から~忘れちゃぁいけん、あの頃。~」』(泉美術館・中国新聞社主催)
2015
0716 『復興の記憶 ヒロシマを見つめた写真家たち 被爆70年記念写真展』
0812 死亡。享年92歳。
0819 「天風録」(『中国新聞』)<明田追悼>
2016
0908 泉美術館で「追悼写真展 写真家明司の昭和」(同館・中国新聞社主催)~10月16日。
以下つづく

池田勇人

池田勇人

いけだ・はやと 18991203生19650813没 享年65歳 広島県豊田郡吉名村(現・竹原市)で誕生。内閣総理大臣(1960年7月19日 – 1964年11月9日)

資料年表:池田勇人

年月日 事項 備考
1899
1203 誕生。
1948
0415 広島市議会無償払下特別委員会、旧軍用地払下問題で池田勇人前大蔵次官に最高顧問就任を要請。
1951
0312 広島平和記念聖堂の建設後援会が東京で設立総会。会長に池田勇人蔵相。
0720 広島市、広島復興のための市政懇談会を池田勇人蔵相らを招き上野精養軒(東京)を開催。
1952
0714 「ヒロシマ・ピース・センター東京協力会」誕生。池田勇人蔵相夫人・真杉静江らが世話人。
0801 「ヒロシマ・ピース・センター東京協力会」発足のための準備会。世話人に池田勇人蔵相夫人・田中耕太郎最高裁長官夫人、石川達三夫人、真杉静江ら。
1960
0718 広島県議会、「原爆15周年大慰霊祭」への池田勇人自民党総裁、浅沼稲次郎社会党委員長、西尾末広民社党委員長の招待を決める。
0725 政府、「原爆15周年慰霊式・平和記念式典」に首相代理として中山マサ厚生大臣の出席を決める。池田勇人首相は「党の新政策がまとまるまでは公式の場に出席は避けるべき」の自民党内意見で出席を見送る。
0911 池田勇人首相、首相就任後初のお国入り。原爆慰霊碑に参拝し、原爆病院を見舞う。現職首相の原爆病院慰問は初。
1961
1114 自民党、核兵器禁止・平和建設国民会議(核禁会議)の結成大会に積極的に参加し、池田勇人総裁のメッセージを贈ることを決める。
1965
0813 没。

 

資料年表:粟屋仙吉

粟屋仙吉

あわや・せんきち 18931107生19450806没 広島の原子爆弾被爆時の広島市長。

資料年表:粟屋仙吉<作業中

年月日
1893
1107 誕生
1945
0806 原爆被爆死。
1966
1225 『粟屋仙吉の人と信仰 原爆にたおれた広島市長 待晨新書』(津上毅一編、待晨堂)
1998
0501 『追悼-原爆にたおれた粟屋家の人々』(粟屋忠編・刊)
 2009
 0710  『康子十九歳 戦渦の日記』(門田隆将著、文芸春秋)

 

 

清水幾太郎

清水幾太郎

しみず・いくたろう 19070709生19880810没 享年81歳 社会学者。原爆孤児精神養子運動に協力。

資料年表:清水幾太郎

年月日
1907
0709 誕生
 1947
 0201  『世界 第14号』(岩波書店)
「ヒューマニズム」の性格 清水幾太郎 1
1948
0801  『世界 第32号』(岩波書店)
世代の差違をめぐって(座談會)-進歩的思潮の批判と反批判-(安倍能成・和辻哲郎・天野貞祐・清水幾太郎・高桑純夫・松村一人・都留重人・磯田進) 14
 1949
0701 『世界 第43号』(岩波書店)
平和のための教育(座談會) 24
清水幾太郎・今井譽次郎・上飯坂好實・宮原誠一・猪野謙二・新村猛・中井正一・吉野源三郎
1101 『女性改造 4巻11号』(改造社)
不運な書物 清水幾太郎 12
1951
0301 『世界 第63号』(岩波書店)
櫻の園をみて  清水幾太郎・渡邊一夫・竹内好・中野好夫 106
0501 『文芸春秋 第29巻第7号』(文芸春秋新社)
わが子の教育史…清水幾太郎 52
0501 『人間 6巻5号』(目黒書店)
清水幾太郎「私の社會觀」 林健太郎 124
0701 『世界 第67号』(岩波書店)
私の信篠/清水幾太郎 95
1015 『声なき民の声』(清水幾太郎編、要書房) U
1201 『世界 第72号』(岩波書店)
批准國會を傍聴して /清水幾太郎 113
1952
0101 『婦人公論 第416号(38巻1号)』(中央公論社)
 幸福について 清水幾太郎 98
0613 『岩波講座教育 第1巻 世界と日本』(編集責任者:清水幾太郎、岩波書店) U
清水幾太郎「Ⅰ現代文明論」
1953
0101 『婦人公論 第428号)』(中央公論社)
作文について 清水幾太郎 168
0425 『基地の子 この事実をどう考えたらよいか』(清水幾太郎 [ほか]編、光文社)
編集のことば 清水幾太郎・宮原誠一・上田庄三郎 1
0520 『平和の探求 河出新書』(亀井勝一郎編、河出書房)
現代の魔術に抗して 清水幾太郎 48
 0901  『世界 第号』(岩波書店)
 内灘 清水幾太郎 65
0901 『婦人公論 第4号)』(中央公論社)
悲しむべき偏見について 清水幾太郎 43
1954
0301 『中央公論 第786号)』(中央公論社)
弾圧はまず教育から 清水幾太郎 48
以下”雑誌”未入力
1955
1220 『戦争屋-あのころの知識人の映像- スマイルブック』(長尾和郎著、妙義出版)
清水幾太郎と三木清のこと 80
1956
1125 『岩波講座現代思想第1巻 現代の思想的状況』(岩波雄二郎編、岩波書店)
Ⅰ 現代の思想と歴史  清水幾太郎 3
1957
0710 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料』(原水爆禁止日本協議会)
Ⅴ 原水爆禁止運動と平和諸運動
原水爆禁止運動と国際的緊張緩和をめざす諸運動の関連について 上原専祿・高桑純夫・久野収・清水幾太郎・古在由重…223
0917 『岩波講座現代思想第6巻 民衆と自由』(岩波雄二郎編、岩波書店)
IIIプラグマティズム
プラグマティズムの本質 清水幾太郎 249
V自由の観念の発展
自由の観念の発展 清水幾太郎 357
1957
0725 『講座現代倫理 第9巻 世界と日本の道徳教育』(筑摩書房)
これからの日本人 清水幾太郎 3
1969
1220 『原点 「戦後」とその問題 「世界」座談会集III』(吉野源三郎編、評論社)
1980
0925 『日本よ国家たれ 核の選択』(文芸春秋)
1981
0125 『非戦・永世中立論 憲法九条と防衛の問題』(田畑忍著、法律文化社)
四 反憲法九条論に対する批判…42
一 清水幾太郎『日本よ国家たれ』(「諸君」昭和五五年七月号)批判…42
二 江藤淳『一九四六年憲法-その拘束』(「諸君」昭和五五年八月号)批判…50
0324 『戦後思潮 知識人たちの肖像』(粕谷一希著、日本経済新聞社)
4章 近代化の流れ
清水幾太郎-知の遍歴 100
1982
0320 『世界的に狂っている国防論 「世界連邦」創設の「政治的プロセス」』(三好康之著、勁草書房)
5 清水幾太郎筆「核の選択と日本が持つべき防衛力」は「世界の危機」を扇動、助長する以外の何ものでもない…228
1983
0315 『講座現代芸術 2 芸術家』(阿部知二 [ほか]編、勁草書房)
天才 清水幾太郎 171
1988
0810 死亡。
1995
0131 『ジャーナリストとマスコミ 松浦総三の仕事 3』(松浦総三著、大月書店)
第3章 清水幾太郎-極左から極右までの思想遍歴 41
1006 『「世界」主要論文選 1946-95 戦後50年の現実と日本の選択』(「世界」主要論文選編集委員会編、岩波書店)
いまこそ国会へ-請願のすすめ [60・5] 清水幾太郎 333
1996
0207 『丸山眞男集 第八巻 一九五九-一九六〇』(岩波書店)
「清水幾太郎氏の闘い」に寄す……341
1999
0625 『日本原爆論大系 第4巻 核兵器禁止への道Ⅰ』(岩垂弘 [ほか]、日本図書センター)
われわれはモルモットではない(清水幾太郎)66
2002
1120 『「核」論 鉄腕アトムと原発事故のあいだ』(武田徹著、勁草書房)
1980年論清水幾太郎の「転向」 163
2015
0125 『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(山本昭宏著、中央公論新社)
第4章 消費される核と反核-1980年代…161
清水幾太郎の核武装論-被爆国という特権

増本量

増本量

ますもと・はかる12 18950109生19870812没 享年92歳 金属物理学者。東北大学名誉教授。日本金属学会会長。広島県安芸郡矢賀村(現:広島市東区矢賀)出身。

 

『増本量伝』(石川悌次郎著、誠文堂新光社、1976/06/25)

序 藤森成吉
1 矢賀の春秋
1 出稼ぎの村 1
2 結婚開運 5
3 一等公民 10
4 みのほど 15
5 模索する精神 19
6 門構えの家・高女出の妻 22
7 海老の寺詣り 29
8 “ちょうさい”の里 34
9 排日移民法の公布 40
2 才蔵峠
1 畦のバイオリニスト 47
2 父と子 51
3 二宮穠 56
4 涙の峠路 60
5 肝臓と自転車 68
6 ぼん倉が立つ 76
3 螢雪の時代
1 富士の肩雲 85
2 妥協を排す 90
3 洟水とチブス 97
4 意外な曲り角 103
5 別名“亀さん”決る 112
6 大道無門の実学 118
4 コバルトの妻
1 緑は異なもの 129
2 提灯に吊鐘 136
3 教育代議士 141
4 コバルトの妻(その1) 153
5 コバルトの妻(その2) 162
5 死線を越えて
1 肺患の急襲 173
2 エネルギー哲学 182
3 スーパーインパー 187
4 広島の人々 193
5 不可思議の解明 200
6 錬金術師 208
7 学士院賞と母 214
8 磁石鋼もの語り(その1) 222
9 磁石鋼もの語り(その2) 227
10 磁石鋼もの語り(その3) 232
6 戦局と研学
1 耳栓のはなし 239
2 欧米出張 247
3 センダストもの語り 260
4 焦眉のアルフェル 267
5 広島の原爆 274
7 金研所長時代
1 学士院恩賜賞 285
2 金研の履歴書 288
3 学者の俗務 292
4 金研の復興拡充(その1) 297
5 金研の復興拡充(その2) 301
6 本多先生の終焉(その1) 307
7 本多先生の終焉(その2) 315
8 電磁研とともに
1 航空計器材料試作研究所 325
2 電磁研の躍進(その1) 330
3 電磁研の躍進(その2) 338
4 電磁研の躍進(その3) 344
5 増本式健康法 356
6 栄誉と褒章の道 374
増本量年譜 384
あとがき 松永陽之助

 

忘れじのヒロシマわが悼みうた 栗原貞子詩集

『忘れじのヒロシマわが悼みうた 栗原貞子詩集』(栗原貞子著、詩集刊行の会、1997/06/30)

内容

まえがき
1 ヒロシマのうたを歌い続けて
ヒロシマの道標 10
寂寞を希望にかえて 11
相次ぐ発禁-言論弾圧と細田民樹 13
日米ピースセンターの活動 16
悪い政治と斗って 18
崩れぬ平和都市を 19
生と死 20
ヒロシマのうたを歌い続けて 22
2 忘れじのヒロシマ
原爆で死んだ幸子さん 26
夾竹桃 27
異形 29
日詰さんと原水禁広島母の会 30
黒い十字架 32
いまは安らかに眠りませ 34
眼 35
白い虹 36
愛と死 37
ケロイドの背で証言する 38
まどうてくれ 40
ヒロシマの人体実験はまだ続いている 41
原爆半世紀ヒロシマの女たちは 44
3 歴史の立会人だったのだから
歴史の立会人だったのだから 48
石のなかから 49
歴史の残像 50
ヒロシマと言うとき 52
何のために戦ったのか 53
護憲の碑除幕 56
楽譜「世界とともに」 57
献詩「弟よ」 58
射程距離 60
昇天 61
終わりのとき 62
知らなかった 63
呼ぶ 64
空席 65
献詩 66
4 物故作家を語る会の記録 70
第1回 代表 田辺耕一郎
第2回 代表 好村富士彦
あとがき

田沼肇

田沼肇

たぬま・はじめ 19260419生20000809没 享年74歳 1950年、法政大学大原社会問題研究所に就職。64年同大学教授。93年退職し名誉教授に。日本原水協代表理事。

資料年表:田沼肇<作業中

年月日
1926
0419 誕生
 1954
0825  『日本資本主義講座 戦後日本の政治と経済 9 軍国主義の復活』(遠山茂樹編、岩波書店)
 1967
11101  『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局)
 第3分科会 被爆者問題
被爆者援護立法について 田沼肇 96
 1970
 0228  『静岡の被爆者 全戸訪問調査中間報告』(静岡県原水爆被害者の会)
 2.特別寄稿 「全戸訪問調査の意義」 4
日本原水協被爆担当常任理事 田沼肇
 1971
 0720  『原爆被爆者問題 新日本新書,132』(田沼肇、新日本出版社)
 0730  『炎の中を生きて 私の戦争体験記 原爆被爆者の手記』(原水爆禁止日本協議会編、日本青年出版社)
 あとがき 田沼肇 212
 1972
0718  『被爆婦人の集い 第4集』(大阪市原爆被害者の会婦人部)
 援護法をめぐって 田沼肇 37
1975 
 1201  『友情の人文字MINE 被爆二世の死を越えて』(大阪市原爆被害者の会婦人部)
 被爆二世のこと 田沼肇 40
 1977
 0125  『平和教育運動 No.4』(日本平和教育研究協議会、広島平和教育研究所出版部)
 核をめぐる国際情勢と平和教育 166 田沼肇
1978
 0915  『被爆の実相と被爆者の実情 1977NGO被爆問題シンポジウム報告書』(日本準備委員会編、朝日イブニングニュース社)
 被爆者調査 はじめに 田沼肇 217
 1985
 0530  『核兵器廃絶 資料集』(労働者教育協会編、学習の友社)
 5 内外人民の反核・平和運動 運動の歴史と核兵器廃絶への展望 田沼肇 123
 1028  『原爆犯罪 被爆者はなぜ放置されたか』(椎名麻紗枝著、大月書店)
 椎名麻紗枝さんのこと 田沼肇 227
 1987
 1021  『非核自治体 抗議・学習・連帯』(森田俊男著編、平和文化)
 序章 非核自治体運動の意義を生かすために 田沼肇 23
1995
0530 『私のなかの平和と人権』(草の根出版会)
2000
0809 没。享年74歳。
2008
0704 『田沼肇全活動 付・田沼肇著作集DVD』(田沼肇全活動・著作集編集委員会編・刊、日本評論社(発売))(投稿

李鍝

李鍝

り・ぐう 19121115生19450807没 享年32歳 李氏朝鮮王族の子孫。広島原爆で被爆死。

資料年表:李鍝<作業中

年月日 事項 備考
1912
1115 誕生。
1926
04 学習院中等科を経て、陸軍士官学校予科入学。
1945
07 第二総軍司令部(広島)参謀部第一課教育参謀に任命さる。
李方子『過ぎた歳月』
0806 原爆被災。
0807 似島(広島沖)で逝去。32歳。
0808 遺体を吉島飛行場から朝鮮京城へ。
宮内省発表(8日正午)李鍝公殿下には一昨六日広島に於て作戦任務御遂行中空爆により御負傷、昨七日戦死せられたり
0810 宮内省告示第21号 大勲位李鍝公殿下本月七日薨去セラレタルニ付長子李清公系ヲ襲カセラル 宮内大臣 石渡庄太郎
0815 葬儀。
0825 『昭和天皇実録』(1945年8月25日の項)=朝鮮より帰朝の式部次長坊城俊良が御文庫に参殿につき、謁を賜う。坊城は、去る十五日の李鍝公(八月七日広島似ノ島陸軍療養所において薨去)の葬儀に参列するため京城へ出張し、その際に見聞した停戦後の混乱状態につき言上する。○侍従日誌、侍従武官日誌、王公族録、徳川義寛終戦日記、松平慶民手帖
1963
1106 ~7日。 朴賛珠(李鍝夫人)、陸軍士官45期生の招待でソウルから来広。広島平和記念公園、原爆死没者慰霊碑、相生橋、前田別荘など訪問。
1969
1016 広島県、広島韓国人原爆慰霊碑建立委員会が進める韓国人慰霊碑を平和公園対岸の本川橋西詰河岸緑地への建立を許可。
1970
0410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑―李鍝公殿下他弐万余霊位、除幕
1973
01 李方子『すぎた歳月』
第8章
戦局は日々に暗く/広島に原爆投下/ああ、八月十五日/韓国は独立したけれど
1988
0915 中国放送、テレビ『民族と海峡・広島で原爆死した朝鮮王族李鍝 その生と死を追う』放映。
1989
0805 『資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑』(企画:ピカ資料研究所、編集:「全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島」有志<加藤陽祐・多賀俊介・豊永恵一郎>、「ピカ資料研究所」田原幻吉・中川幹郎)、刊行「碑の会」(全朝教有志・ピカ研)
 1999
2015 
 0903  『ともに歩んできた50年 韓日国交正常化50周年記念 駐広島大韓民国総領事館 ニュースレター特別版』(駐広島大韓民国総領事館)
  韓国人原爆犠牲者慰霊碑と李鍝 35

 

り・ぐう 19121115生19450807没 享年32歳 韓国人犠牲者慰霊碑(1970年4月10日除幕)の碑文。『すぎた歳月』(李方子、1973年)。『資料・韓国人犠牲者慰霊碑』(ピカ資料研究所など編、碑の会刊、1989.8.5)、『昭和天皇実録』

阿川弘之

阿川弘之

あがわ・ひろゆき 19201224生20150803没 享年94歳 日本の小説家、評論家。広島県名誉県民。日本芸術院会員。日本李登輝友の会名誉会長。文化勲章受章。『広島県現代文学事典』(高木伸幸・記)<資料年表:阿川弘之>

資料年表:阿川弘之

年月日 事項 備考
1920
1224 広島市に誕生。
1946
0901 『世界  第9号』(岩波書店)
(創作) 年年歳歳 阿川弘之 124
1949
1101 『新潮 特大号 第46卷第11号』
あ號作戦前夜-春の城-200枚 阿川弘之…90
 1952
 08?  『原爆の子完成記念アルバム』(近代映画協会・劇団民芸)
 郷里の廣島から 阿川弘之
 1953
0801 『新潮 特大号 第50卷第8號第580号』
魔の遺産(連載第2回)阿川弘之…248
0901 『新潮 特大号 第50卷第9號第581号』
魔の遺産(連載第三回)阿川弘之…227
1001 『新潮 特大号 第50卷第10號第582号』
魔の遺産(連載第四回) 阿川弘之…242
1201 『新潮 特大号 第50卷第12號第584号』
魔の遺産(終回)阿川弘之…237
 1954
 0328  『魔の遺産』(阿川弘之著、新潮社)
0601 『世界  第102号』(岩波書店)
特集 世界に訴える-水爆実験に関する日本人の發言-
これはあんまり無茶だ 阿川弘之 50
1955
 0410  『人さまざま 続 朝日文化手帖 , 50』(朝日新聞社)
 0530  『春の城 新潮文庫』(阿川弘之著、新潮社)
 0805  『原子力と文学』(小田切秀雄編、大日本雄弁会講談社)
 八 月 六 日 阿川弘之 54
 1001  『知性 10月号 第2巻第10号』(河出書房)
 あなたは現代・歴史的かなづかいのどちらをお使いになりますか アンケート …70
阿川弘之ほか
 <以下未入力
 1999
 ****  文化勲章受章。広島県名誉県民。
2015
0803 没。享年94歳。

資料年表:大佐古一郎

資料年表:大佐古一郎

年月日
1912
1115 誕生
1953
0801 『文芸春秋 第31巻第11号』(文芸春秋新社)
ヒロシマ記者の靴のあと 大佐古一郎 220
1965
0806 『週刊広島 4号』(広報出版センター)
日本の広島人 升田幸三 九段 大佐古一郎 14
1971
1001 『随想尾道 第28号』(尾道随筆クラブ)
核兵器のロボット 大佐古一郎 56
1972
0701 『潮 第156号』(潮出版社)
焦熱のもとで”取材”したこと 大佐古一郎 …248
1975
0825 『広島昭和二十年 中公新書 404』(大佐古一郎 著、中央公論社)
1977
0801 『広島新史編修手帖 No.1』(広島市史編修委員会専門部会)
6.随筆三題
その1 ジュノー博士の資料 大佐古一郎 17
1978
1101 『平和文化 第14号』(広島平和文化センター)
ドクタージュノーと私 大佐古一郎
1225 『広島県医師会速報 第953号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑥(大佐古一郎) 19
1979
0115 『広島県医師会速報 第955号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑧(大佐古一郎) 19
0215 『広島県医師会速報 第958号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑪(大佐古一郎) 28
0225 『広島県医師会速報 第959号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑫(大佐古一郎)21
0305 『広島県医師会速報 第960号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑬(大佐古一郎) 17
0415 『広島県医師会速報 第964号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界17(大佐古一郎) 23
0515 『広島県医師会速報 第967号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界20(大佐古一郎) 23
0525 『広島県医師会速報 第968号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界・24(大佐古一郎) 23
0605 『広島県医師会速報 第969号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界補遺(大佐古一郎) 22
0901 『世界 第406号』(岩波書店)
ジュノー博士と広島 大佐古一郎 269
1215 『ドクター・ジュノー 武器なき勇者』(大佐古一郎、新潮社)
1980
0105 『広島県医師会速報 第991号』(広島県医師会)
新春炉辺談話 大佐古一郎、松永勝、阪田数年 6
0305 『広島県医師会速報 第996号』(広島県医師会)
随想 ドクター・ジュノー(大佐古一郎) 26
0801 『廣島特報 昭和20年8月7日(火曜日)・昭和20年8月8日(水曜日)』(大佐古一郎・中村敏・松重美人)
1981
0901 『世界 第430号』(岩波書店)
ヒロシマ記者の証言 大佐古一郎 93
1982
0125 『広島県医師会速報 第1064号』
特別寄稿・GHQと日本政府は広島に何をしたか?(大佐古一郎) 24
1985
1125 『昭和の戦争ジャーナリストの証言 6 終戦』(講談社出版研究所編、講談社)
証言
IV 原爆に竹槍・国民義勇戦闘隊 大佐古一郎(中国)125
1988
0718 『消えたペン 新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編、汐文社)
炎熱のもとで取材したこと 大佐古一郎 9
1989
1115 『平和の勇者ドクタージュノー 探せ!ヒロシマの恩人の軌跡』(大佐古一郎、蒼生書房)
 1995
 ??  死亡。