楮山ヒロ子

楮山ヒロ子

かじやま・ひろこ 生19600405没 享年17 広島で被爆。急性リンパ性白血病のため広島市民病院で死亡。<投稿>

資料年表:楮山ヒロ子

年月日 事項 備考
出典:C=『中国新聞』
1960
0405 急性リンパ性白血病のため広島市民病院で死亡。 C
0505 広島「折鶴の会」、原爆ドーム保存のための署名と募金運動開始を決める。楮山ヒロ子が日記(1959年8月6日)「あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも、恐るべき原爆を後世にうったえてくれるだろう」と記していたのが動機(「アンヘルの名とともに―河本一郎小伝」)。 C
0806 原爆の子の像(広島平和記念公園)前で追悼の集い(3回目)。広島子どもを守る会「あゆみグループ」、レイノルズ夫妻など約200人が参列。楮山ヒロ子の日記(1959年8月6日付)紹介。 C
1967
0804 広島「折鶴の会」、楮山ヒロ子の日記を中心に同会の歴史をつづった「爆心地」を発刊。 C
1994
0802 楮山ヒロ子の日記、広島原爆資料館へ寄贈へ。 C
2011
0331 2012年度からの中学校用教科書の検定に合格した歴史教科書(東京書籍)、楮山ヒロ子の日記をきっかけに60年代に広がった原爆ドーム保存運動などを紹介(山本洋子・記者)。 C
2019
1215 『原爆ドームと楮山ヒロ子』(寺田正弘、中村秀次、吉村勝文著、原爆ドームと楮山ヒロ子の会刊)

志あるところ必ず道あり 大原亨追悼録・遺稿集

『志あるところ必ず道あり 大原亨追悼録・遺稿集』(発行編纂委員会、19910806)

内容<作業中

著者 タイトル 備考
多賀谷真稔・秋葉忠利
序にかえて
秋葉忠利
追悼の辞
大原亨 経歴
001 第1部-1- 社会保障の大原
倒れても、なお、社会保障を 多賀谷真稔 2
大原先生・3つの思い出 伊藤茂 8
年金改革に注がれた情熱 宇津木泰子 13
社会保障制度に生涯を捧げた政治家 内海英男 15
党政策の大先達だった友 堀昌雄 16
「私たちの年金」が生まれた頃の想い出 小口賢三 18
福祉・年金の小原先生への思い 岸田文武 25
30年一筋に医療保障・年金を追究 長尾立子 28
教えられた福祉と平和の国づくり 三井速雄 30
瀬戸内海環境保全と年金で活躍 林義郎 36
「共済組合四法案」の闘いを担って 前田弘 40
045 第1部-2- 政治家としての大原像
慈しみの心で政治に取り組む 藤音晃祐 46
大衆への愛情をこめた政治家の姿 金子みつ 48
勉強家だった社労の大人 横山泰治 50
頼りがいある海坊だった 上杉佐一郎 54
大原君とはもっと話したかった 小杉進 57
「趣味は勉強」の大原先生 森井忠良 60
政治と郷里の大先輩を偲ぶ 粟屋敏信 63
大原先生の人間像を偲ぶ 小森龍邦 66
衆議第一議員会館215号室 素顔の大原さん 秋信利彦 71
初当選をおでん屋で祝ってくれた人 福岡義登 74
大原先生の幾つかの思いで 江田光子 76
パスポートなしで東独入り 海野明昇 78
在京秘書として働いた思い出から 石川弘美 81
085 第2部-1- 地元が語る政治家大原
終りを全うした人 竹下虎之助 86
大原先生と広島市長選挙 荒木武 88
県労会議と平和運動での大原さん 浜本万三 90
大原先生は私の労働運動の師 藤崎徳雄 92
遺影を奉じて被爆者援護法の実現へ 森瀧市郎 98
先生との出会いを心に 吉川生美 99
放影研発足のきっかけを作られた先生 重松逸造 101
昭和33年選挙から関わり続けて 山下三郎 103
大原君と広高教組のことども 岡本清 110
平和を望み、愛した大衆政治家 川崎美澄 115
気どらず気さくな人だった 斎藤尊 117
119 第2部-2- 身近な人が語る大原像
大原亨先生のほこり 鶴敍 120
一言に思いをこめて 庄野直美 134
信心の人・誠実の人・大原先生 武野似徳 135
郷土広島のためにも多大の功績 明星正明 137
町内で語り合った先生の思い出 山本秀雄 138
「むすび会」からと大原先生を懐う 増原千代子 140
「虹の会」の思い(1) 唐川敏子 145
「虹の会」の思い(2) 竹本久子 148
いただいた2枚の書に思う 村井浩 149
大原亨の生まれ故郷を語る 大原信 153
亨さんの生いたちと働きを偲んで 大原輝子 155
私人としての「亨君」を語る 岡本隆 159
勲一等より尊い勲章 山田文雄 165
普段着姿の義兄への思い 大原篤子 172
志あるところ必ず道あり 大原邦夫 174
179 第3部-1- 最後の論文
90年3月5日付の書簡 180
「逆転下の年金改正の総括」(上) 181
「逆転下の年金改正の総括」(下) 188
195 第3部-2- 国会における演説・質疑
初質問 第29国会・衆議院社会労働委員会(58・6・27)原爆被爆者の医療対策に関する質疑 196
第68国会・衆議院本会議代表質問(72・2・1)社会保障政策-老人福祉・医療等 207
第68国会・衆議院本会議趣旨説明(72・4・25)「公的年金の年金額等の臨時特例に関する法律案」 226
第71国会・衆議院本会議趣旨弁明(73・7・10)「活動火山周辺地域における避難施設等の整備等に関する法律案」 231
第72国会・衆議院社労委提案理由説明(74・4・4)「原子爆弾被爆者等援護法案」 234
第96国会・衆議院社労委(82・4・22)原爆関係2法案に対する質疑 237
第102国会・衆議院本会議(84・12・13)永年在職議員表彰に対する謝辞 255
第102国会・衆議院社労委(85・5・23)原爆被爆者対策に関する質疑 257
第104国会・衆議院予算案(86・2・17)部落差別問題に関する質疑 272
最後の質問 第116国会・衆議院社労委(89・11・22)国民年金法等一部改正案などに対する質疑 289

 

森脇幸次

森脇幸次<作業中

もりわき・こうじ ****生19770430没 享年68 中国新聞論説委員、取締役編集局長、中国地方経済連合会常務理事。
moriwaki-kicho
出典:『広島新史編修手帖 No.1』

 

杉村春子

杉村春子

すぎむら・はるこ 19060106生19970404没 享年91 女優。本名:石山春子。広島市出身。『広島県現代文学事典』(九内悠水子・記)。映画吹き込み現場に立ち会う。<投稿>

資料年表:杉村春子<作業中

年月日 事項 備考
出典:C=「中国新聞」
1906
0106 誕生。
1961
0614 杉村春子・朝永振一郎・末川博・亀井勝一郎・坂田昌一・中島健蔵・鈴木一雄、「7人の集まり」を結成、平和アピール発表。(『平和アピール20年運動史』) C
1963
0613 人権を守る婦人協議会、「原子力潜水艦の日本寄港に反対する婦人へのアピール」を発表。市川房枝・山高しげり・淡谷のり子・平塚らいてう・杉村春子など151人が署名。  C
1966
0601 「東京の原爆被害者をはげます集い」、東京都体育館(東京・千駄ヶ谷)で開催。都内の被爆者・家族約1700人など約8000人が参加。松本清張・杉村春子など在京文化人有志50人の呼びかけ。  C
 1967
 0714  広島テレビが芸術祭参加番組として制作するセミ・ドキュメンタリー「百日紅の花」の撮影始まる。監督:松山善三、主演:杉村春子。  C
 1004  広島テレビ制作、芸術祭参加番組「百日紅の花」放送(日本テレビ系は10日)。監督:松山善三、出演:杉村春子、木村光江ら。 C
 1969
 広島テレビ、芸術祭参加番組「碑(いしぶみ)」。 C
2006 
 0714  映画「母たちの祈り」でナレーションを務めた杉村春子さんから「ヒロシマの心とあるが、これはどういうことか」と尋ねられ、立ち会っていた私(宇吹)は、「ある市民からノーモア・ウォ―、ノーモア・ヒロシマと聞きました」と言ったら、「その気持ちで読もう」と言われた  C
  『中国新聞』(2006年7月14日)

 

伊藤実雄

伊藤実雄<作業中

いとう・じつお 19060325生19840404没 1946年4月の総選挙で広島全県区(当時)から初当選、1期。『古稀を越えて 伊藤實雄』(1982.2.25)

資料年表:伊藤実雄

年月日 事項 備考
1906
0325 出生地:広島県安芸郡熊野町。
1945
0808 子息・伊藤忠造(広島県立広島1中1年)原爆被爆により死亡。(「ご遺族からのアンケート」『ゆうかりの友』pp.91-92)
1977
0729 『回顧録』(広島県農業会原爆物故者追悼法要執行委員会)
1982
0225 『古稀を越えて』
1984
0404 死亡。

資料年表:大北威

資料年表:大北威<作業中

年月日 事項 備考
C=出典:『中国新聞』
1976
0606 大北威、第17回原子爆弾後障害研究会で発表。「広島の被爆者の白血病発生は全国平均に比べ依然高率」 C
1977 広島大学原医研、大北威血液学研究部門教授を新所長に選出。4月1日発令。 C
0224
1981
0319 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第1回>、米バージニア州ワレントンで開幕。~25日。12カ国100人が参加。日本から大北威、市丸道人(長崎大学)、庄野直美(広島女学院大学)が出席。 C
1208 パルメ委員会、広島市で研究討論集会。大北威と今堀誠二(広島女子大学長)が被爆の実相を説明。 C
1982
0403 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第2回>大会、英ケンブリッジ大学で開催。大北威が被爆後障害をスライドで紹介。 C
1983
0618 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第3回>大会、オランダ・アムステルダムで開催。福原照明広島市医師会長、大北威原医研教授が出席。7月12日、福原照明・大北威、帰国の記者会見。 C
1984
0405 大北威、野間祐輔広島県医師会副会長、児玉克哉(10フィート運動広島若者の会)の3人の核戦争防止国際医師会議(IPPNW)第4回世界総会への参加が決まる。 C
1985
03 大北威広島大学原医研教授、定年を待たず退官へ。国立名古屋病院副院長に就任。 C
1215 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のノーベル平和賞受賞を記念する学術講演会、広島市内で開催。大北威国立名古屋病院副院長、IPPNW共同代表2人が広島訪問実現の見通しと述べる。 C
12 広島平和文化センターの米国戦略爆撃調査団が広島の被爆直後を撮影した16ミリカラーフィルム全10巻の解説文作業完了。松重美人(写真家)・庄野直美・大北威の3人が担当。 C

大北威

大北威

おおきた・たけし 生20080402没 享年83 広島大原爆放射線医科学研究所所長。ノーベル平和賞を受賞(1985年に)した「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」のメンバー。<投稿>

初代事務総長の大北威 先生は1962年、原医研血 液学部門の開設とともに名 古屋大学より赴任、1965年 に同部門の教授となられ た。被爆者白血病の研究と ともに、白血球の細胞回転 などの研究に携わり、1977 年から4年間は原医研所長 も務められた。大北先生は1985年に国立名古屋 病院副院長に就任、後に同病院の院長、名誉院 長を務め、JPPNW愛知県支部長やJPPNW顧問 もなさったが、2008年4月2日に逝去なさった。<出典:片岡勝子「思い出:IPPNW日本支部と歴代事務総長のことども」(広島県医師会速報2375号、20180625)>

資料年表:ヨハネ・パウロ二世

資料年表:ヨハネ・パウロ二世<作業中

年月日 事項 備考
1920
0518 誕生
1978
1016 ヨハネ・パウロ二世就任
 1980
 0925  ヨハネ・パウロ二世の広島訪問(198102)が決まる。 C
C=出典:『中国新聞』
1221 ヨハネ・パウロ二世の1981年2月の訪日発表。  C
1981
0107  ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の特使エルネスト・ガリ―ナ大司教ら3人、広島入り。原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学。10日、パウロ・マルチンスク大司教も。   C
0223 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、日本カトリック司教協議会の招きで来日。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、広島入り。原爆慰霊碑参拝、約2万5000人の信者らの前で平和アピール(9か国語)発表、原爆資料館見学。広島市公会堂で講演「技術・社会そして平和」。6時間滞在、長崎へ。  C
 0225  ローマ法王、ヒロシマ・アウシュビッツ委員会(桑原英昭会長)が守るアウシュビッツの遺骨を祝福。  C
 0225 ポール・チベッツ(広島原爆投下機エノラ・ゲイの機長)、仏のテレビで原爆投下を「後悔していない」、「ローマ法王の平和を求める人道主義に敬意を表する」と語る。  C
03 広島原爆資料館、ローマ法王の平和アピールをマーク・ハットフィールド米上院議員を通じレーガン大統領に送る。 C
0410 広島原爆資料館、からの贈り物公開。1945年8月8日のバチカン市の新聞『オブセルバトーレ・ロマーノ』(イタリア語)のコピー銅板。 C
0402  『ヨハネ・パウロII世 教皇訪日公式記録』(主婦の友社、1981/04/02)
0413 広島市、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の広島訪問の記録映画を完成。 C
06 藤枝良枝(広島市)、「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピールを記念碑に残そう」と呼びかけ C
0830 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、第二次大戦勃発42周年を前に、核兵器廃絶の訴え。「広島・長崎を思い出すことは核戦争をこの世からなくすこと」 C
1102 ホセ・テオン(エリザベト音大学長)、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の指示で故エドモンド・ブランデン(英詩人)の詩「ヒロシマー1949年8月6日に寄せて」を作曲、同大の定期演奏会で発表。 C
1104 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世来広の記念碑の建設委員会発足。藤枝良枝の呼びかけに原田東岷・栗原貞子・河村盛明(広島平和文化センター理事長)ら応じる。 C
1226 被爆瓦とローマ法王の平和アピールを刻んだ「平和のためのモニュメント」が広島YMCAビジネス専門学校に完成、除幕式。 C
1982
0225 『平和への道 教皇ヨハネ・パウロⅡ世来広記念文集』(カトリック正義と平和広島協議会「平和を願う会」)
0225  『ローマ法王歓迎の集い』(広島市)
0228 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑建立委員会(原田東岷委員長)、広島市内で初の街頭募金。提唱者の藤枝良枝さんらが協力を呼びかける。 C
0315 C
04 C
0611 C
0615 C
0721 C
09 C
1983
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑除幕 C
0531 C
1984
0914 C
1985
0806 C
0905 C
1987
0108 C
0225 C
0401 C
1988
0410 C
1991
0225 『戦争は人間のしわざです』(カトリック正義と平和広島協議会)
0319 C
1992
0223 C
1994
0225 C
2005
0402 ヨハネ・パウロ二世離任。死去、84歳。

 

森亘

森亘

もり・わたる 19260110生 20120401没 享年86歳 元東京大学総長。原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会座長。

原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会

昭和60年 1985年 10月 厚生省が原子爆弾被爆者実態調査において、死没者に関する調査を初めて実施
平成2年 1990年 厚生省が原爆死没者に対する弔意の表し方について検討を開始
平成3年 1991年 国が原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会を設置

出典:祈念館について | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 (hiro-tsuitokinenkan.go.jp)

山西義政

山西義政

やまにし・よしまさ 19220901生20200401没 享年97 (株)イズミ(広島県広島市、山西泰明社長)創業者。1997年、個人コレクションを中心に泉美術館を開設。

資料年表:山西義政<作業中

年月日
19220901 誕生
19970427 泉美術館開館。山西義政の個人コレクションをもとに出発。
20110819 写真展「復興の記憶」。~9月19日 。
20180728 「ヤミ市から立ち上がった広島商人」<記憶から紡ぐあのころの広島>(『広島市被爆70年史 映像編』)
20200401 死亡

 

久保田訓章

久保田訓章

くぼた・のりあき 生20190331没 享年86 1973~2017年広島東照宮宮司。名誉宮司。二葉の里歴史の散歩道ブラッシュアップ研究協議会会長。広島・長崎宗教者平和会議に参加。

資料年表:久保田訓章<作業中

 年月日
 1996
 0806 「序文( 広島県宗教連盟前々理事長・広島東照宮宮司 久保田訓章)」( 『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌-平和と慰霊・追悼の歩み』所収)
 2004
0313 久保田訓章「「五年後」に感じて…」(『雲雀 第4号 2004.03.13』、広島花幻忌の会)
 2005
0416  久保田訓章「原民喜「五年後」に感じて」(『わが昭和史 続編 中学入学60周年記念誌』)中学入学60周年記念アカシア41期会「記念誌編集発行委員会」)
 2009
0805  「原民喜文学碑 境内に建立へ 広島東照宮」(『中国新聞』桑島美帆・記者)
2010
 0321  「文学碑計画の久保田宮司 記憶 後世に残したい」(『中国新聞』梅原勝己・編集委員)
 0608 「原民喜文学碑 市長が揮強へ 東照宮宮司ら依頼」 (『中国新聞』明知隼二・記者)
0726  「被爆直後のメモ 一節刻む 原民喜の追憶碑除幕 東照宮」(『中国新聞』新田葉子・記者)<除幕式:20100725>
 2011
 0931  (『中国新聞』)
 2012
 0726  (『中国新聞』)
2013
 0213 「 宗派超え平和考える 広島・長崎宗教者会議」(『中国新聞』山本乃輔)<今年で28回目>
 2014
 0805  二葉の里歴史の散歩道ブラッシュアップ研究協議会(7社寺・広島市など)主催行事:7社寺が「平和の灯」(平和公園)から採火した約千本のロウソク点火。今年で3回目。(『中国新聞』20140730、川手寿志)
2015
 0309
 0520
 0625
 0804
 0810
 2019
 0331  「久保田訓章氏死去」(『中国新聞』0401)

ジョン・ハーシー

ジョン・ハーシー

ハーシー、ジョン 19140617生19930324没 はーしーJohn Hersey 78 広島のルポルタージュ「ヒロシマ」の著者。2002年の広島市の平和宣言(秋葉市長)に著書『ヒロシマ』が取り上げられる。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)。

資料年表:ジョン・ハーシー<作業中

年月日
19140617 誕生
20020806 秋葉広島市長、平和宣言で著書『ヒロシマ』に言及。「ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』や**さえも忘れられつつあります」
19930324 死亡。享年78歳。

 

河村郷四追想録

『河村郷四追想録』(河村郷四追想録編纂委員会、19860315)

内容<作業中

著者 タイトル
海塚義郎 序にかえて
写真集
1 少年期より青年期へ
2 マツダと河村さん
3 広島テレビと河村さん
4 スポーツと河村さん
5 河村さんと社会活動
6 河村さんへのレクイエム
荒木武 教育への熱い想い―河村さんとの語らいの中で
遺族の方々より
栗村良周 兄を偲ぶ
松元寛 仕事の中に心を見ていた人
中西忠彦 義父河村郷四の思い出
河村瑠璃<妻> 追憶
河村郷四年譜
あとがき

資料年表:川本義隆

資料年表:川本義隆<作業中

年月日 事項 備考
 1974051 「脱出生徒の記録(昭和21年春広島一中第2学年のころ記す)」 『ゆうかりの友』(広島県立一中被爆生徒の会)
「(1氏名)川本義隆、(2勤務先)広島市役所、3(出身校)、4(被爆当時の学級)第1学年12学級、(住所)広島県佐伯郡大野町****」 pp.39-42
 19840301  「講演 (広島平和記念館館長) 川本義隆」(『平和を願う念仏者の集い 第1回-核兵器廃絶へ向けて 記録集(58.7.9)』(浄土真宗本願寺派安芸教区教化推進協議会)) pp.6~11」
 19850415  「平和を誓う場 資料館 川本義隆」(『子どもたちに平和な未来を―平和への願い第2集―』(生活協同組合ひろしま平和部会))
 19860301  「ヒロシマを語る 川本義隆 2」(『平和へのねがい 第6号』原水爆禁止西宮市協議会、西宮市編)
19860801 (制作日)被爆者証言ビデオ(広島平和文化センター)
20020331 肺がんのため広島市中区の病院で死去、69歳。
 20090101  「被爆体験記」川本義隆ほか(広島平和記念資料館)<広島平和文化センター被爆体験証言者で、証言講話を引退した人のプロフィール・体験記をファイルしたもの(啓発担当の平和学習で紹介していたもの等)>

資料年表:福島菊次郎

資料年表:福島菊次郎<作業中

年月日
19210315 福島菊次郎誕生。
19610801 「被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』」(『中国新聞(夕刊)』平岡敬・記)
1963 (写真)ヒロシマみやげをつくるのもひと苦労。福島菊次郎氏撮影。<『「原爆一号」といわれて ちくまぶっくす36』(吉川清、筑摩書房、19810724)所収>
196608 福島菊次郎「原爆白書」(『アサヒカメラ』)
19750806 福島菊次郎(下関出身のフリーカメラマン)写真展「30年目のゲンバク―放射能遺伝傷害の恐怖」、ギャラリー「アメリア」(東京)で開催。 C
19820701 福島菊次郎「ヒバクシャの戦後」<『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部 )所収>
19870830 『戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集』(福島菊次郎、社会評論社)
19890722 写真家福島菊次郎の写真展「天皇の戦争責任とヒロシマ」、広島市で開催(小西のぶ子記念館主催、24日まで)。 C
199508 反原発団体「原発いらん!下関の会」主催「反原発写真展」下関市の旧英国領事館で開催。福島菊次郎らの写真。 C
19950921 東京都写真美術館(主催・会場)「核―半減期(広島・長崎の写真)」
19990806 原爆・原発・差別などを写した社会派写真家・福島菊次郎の作品を常設展示する写真資料館、下関市内に開館。 C
20110615 「被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』」<『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房)>
20120806 C
20121110 C
20130201 C
20130827 C
20130901 C
20141019 C
20150620 C
20150708 C
20150714 C
20150924 福島菊次郎死去
20150926 「反原発・反戦貫く 関係者悼む 福島菊次郎氏が死去」(道免雅良・井上龍太郎) C
20150927 「天風録」 C
20150930 那須圭子「福島菊次郎さんを悼む」 C
20151001 『論』写らなかった戦後 私たちが読み取る番(佐田尾信作・論説主幹) C
20151121 C
20151223 C
20170626  『ピカドン ある原爆被災者の記録』(福島菊次郎著、復刊ドットコム)
 20220710  「書評 福島菊次郎」あざなえる記憶」(那須圭子)  C

 

資料年表:パール・バックとヒロシマ

資料年表:パール・バックとヒロシマ(主な出典『中国新聞』)

年月日
19461120 『アジヤの友へ アメリカ人の生活と国民性について』(翻訳者:石川欣一、発行所:毎日新聞社、配給元:日本出版配給株式会社)
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1949/1/– 米講演旅行中の広島流川教会の谷本清牧師から近況報告。「ワシントンでメソジスト教会などの協力の下に『広島を世界平和のメッカに』の運動を始めた。パール・バック氏、ジョン・ハーシー氏らの協力も得ている」
1949/3/23 ニューヨークでヒロシマ・ピース・センター協力会が結成。「土曜文学評論」のノーマン・カズンズ主筆、パール・バック氏、スタンレー・ハイ氏(リーダーズ・ダイジェスト主筆)、ハリー・カーン氏(ニューズ・ウィーク主筆)らが中心(「広島原爆とアメリカ人」)
1951/5/5 米の作家パール・バック女史が中国新聞社の創立60周年を祝い祝辞。「広島の記憶はアメリカ民衆の良心から永久に消え去ることはないでしょう。広島という名称は平和をもたらすための私たちのシンボルとなりつつあります」
1952/8/6 中国新聞を通じ8月6日メッセージ。ノーマン・カズンズ、マービン・グリーン、パール・バック、アルフレッド・パーカー、フロイド・シュモー、エメリー・アンドリュース、ウィリアム・デビン、メアリー・ジョーンズの各氏
1952/12/– 米国整形外科学会からABCCテーラー所長を通じ広島県医師会に、「広島、長崎に原爆症治療班を1年の予定で送りたい。受け入れ態勢はどうか」との非公式問い合わせ。真杉静江さんら東京の作家グループがパール・バック女史を介し故ルーズベルト大統領夫人に働き掛けた結果
1955/6/19 原水爆禁止世界大会広島準備会がパール・バック女史、ジョン・ハーシー氏、キュリー夫人、アラゴン氏、サルトル氏、郭沫若氏ら70人に大会招請状を発送
1955/12/10 パール・バック、バートランド・ラッセル氏らで構成するスイスの人権アカデミー(本部ジュネーブ=1950年6月発足)が広島、長崎両市へ「原爆被災が平和運動の発端になった」とメダルを贈呈
1958/4/11 米核政策健全化委員会がニューヨーク・タイムズに著名47人の連名で、「太平洋上の核実験を停止させるためアイゼンハワー大統領に訴願書を提出する。国会議員、編集者、放送機関にも訴える」との意見広告。同委員会は前年11月、作家、牧師、教育者などの有志で結成、ノーマン・カズンズ氏が臨時議長に就任。その後、参加者はルーズベルト夫人、パール・バック女史、仏の作家アルベール・カミュ氏など多彩に
1965/10/3 広島市宇品町の広島「憩いの家」で、「被爆者の集い」1,000回記念祝賀会。参加人員延べ5万3,000人。1964年、パール・バック女史、バートランド・ラッセル博士ら国際的文化人約2,000人をメンバーとする国際協力委員会広島ハウス財団(事務局ニューヨーク)が発足、2カ月に1度の割で被爆者救援の定期便
1967/12/23 ニューヨークの「広島憩いの家国際協力委員会」から広島市宇品町の広島「憩いの家」に被爆者救援金10万円が届く。「憩いの家」設立者のアイラ・モリス夫妻、バートランド・ラッセル卿、パール・バック女史ら
1973/3/6 パール・バック女史が米バーモント州ダンビーの自宅で死去。80歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

小説「大地」で知られる米作家でノーベル文学賞受賞者のヒロシマ・ピース・センター運動、精神養子運動などを支援

 

平和都市建設に活躍する人々

『平和都市建設に活躍する人々』(児玉琢雄編、県報関西新聞社、19570101)

内容

名前 メモ
02 大原博夫
05 渡辺忠雄
熊野徳次郎
08 島田兵蔵
長尾節造
桜内乾雄
鈴川貫一
岩井章
川岡譲
新沢憲造
09 白井市郎
白井修一郎
10 田中好一
藤田定市
11 林利平
松田恒次
12 河村郷四
伊藤信之
13 三宅太郎
倉本剛三
14 渡部貞夫
本田三郎
桑田哲夫
15 森本亨
榎並栄
16 仁田竹一
奥村孝
17 鈴木術
岩田幸夫
18 住野重太郎
藤井巌
19 上久保新七
岡野龍一
20 寺田豊
今井稔
21 登稔
西川文二
22 佐々木司三
大野邦男
23 浜井信三氏
24 熊平清一
平塩五男
25 松島彌氏
中山良
26 楠久
小泉万次郎
27 飯田信雄
水野藤雄
28 原田楽一
田村秀太郎
29 田村雅人
高橋敏雄
30 山内信一
岡達
31 谷口寿太郎
西本寿
32 赤木繁三郎
落合誠
33 和泉直太郎
西本春長
植田寿雄
34 蔵野五郎
田淵親章
35 鈴木貢
吉中良雄
36 岡政一
中川朝夫
37 田坂三友
38 大内五朗
原田東岷
39 高橋定
粟屋一歩
40 八谷牛宗
中谷貢
41 斉木実
世良盛吉
42 斉藤剛作
西本直次郎
43 籔崎良一
岸範一
44 湯蓋徳三
45 津村是義
山崎実義
46 木場善男
平原利幸
萩原幸雄
竹内皐
47 山原秀朗
坪井亀
松尾博茂
48 小笠原優
沖野悟
49 佐々木銑
加藤等
寺西正雄
50 向井一貫
川瀬秀夫
51  寺崎幸助
津田真行
甲斐太郎
52 中川行夫
橋本正孝
53 松尾蜜二
前田法道
54 井上博文
55 池坊広告
56  広告-64

戦後地域民主主義の歩み

『戦後地域民主主義の歩み』(天野卓郎、溪水社、19900320)

内容

”昭和”の終焉と歴史意識
戦後責任と昭和史への問い
1 戦後の混乱
2 地域を自立の拠点として
地域部落問題の研究活動
1 部落問題研究会の成立と展開
2 「国民的課題」と部落問題
3 就職差別と進路保障の課題
映画「橋のない川」上映と市民運動
1 部落解放の教育と市民運動
2 「広島”橋のない川”を見る会」活動の一齣
3 「差別の現実」と上映運動
地域史と地域民主主義の課題
1 部落解放と被爆者救援・反核の運動
部落解放と平和
部落解放と被爆者救援の運動
2 差別撤廃へ不断の努力を
3 近代”地方史”研究に求められるもの
”地方史”と地域の歴史
地域と国民的歴史学運動
歴史認識の方法と主体
4 地方史編さんと国民の歴史意識
歴史研究者と国民の歴史意識
ヒロシマの歴史研究状況
”地域”の歴史的課題
あとがき