資料年表:吉田茂
年月日 | ||
1878 | ||
0922 | 誕生 | |
1946 | ||
0522 | 内閣総理大臣就任 | |
1957 | ||
0710 | 吉田茂『回想十年 第1巻』(新潮社) | U |
0920 | 吉田茂『回想十年 第2巻』(新潮社) | U |
1030 | 吉田茂『回想十年 第3巻』(新潮社) | U |
1958 | ||
0315 | 吉田茂『回想十年 第4巻』(新潮社) | U |
1967 | ||
1020 | 没 | |
止
資料年表:吉田茂
年月日 | ||
1878 | ||
0922 | 誕生 | |
1946 | ||
0522 | 内閣総理大臣就任 | |
1957 | ||
0710 | 吉田茂『回想十年 第1巻』(新潮社) | U |
0920 | 吉田茂『回想十年 第2巻』(新潮社) | U |
1030 | 吉田茂『回想十年 第3巻』(新潮社) | U |
1958 | ||
0315 | 吉田茂『回想十年 第4巻』(新潮社) | U |
1967 | ||
1020 | 没 | |
止
資料年表:鳩山一郎
はとやま・いちろう | 18830101生19590307没 | 自由民主党初代総裁(1954-56年) |
資料年表:鳩山一郎
年月日 | ||
1883 | ||
0101 | 誕生 | |
1951 | ||
0630 | 『私の自叙伝』(改造社) | |
1955 | ||
1122 | 第54代内閣総理大臣。~19561223 | |
1957 | ||
1020 | 『鳩山一郎回顧録』(文芸春秋新社、19571020) | U |
1959 | ||
0307 | 没 | |
止
『毛沢東研究序説』(今堀誠二著、勁草書房、19660925)
内容
止
『原爆の証言 こゑ第45号』(若杉泰昭編・大久保武雄著、憲法研究会、19700530)
<作業中>
頁 | 見出し | メモ |
03 | 二十五年忌 | |
03 | 小磯総理に直言 | |
07 | 暁部隊と私 | |
10 | 原爆の朝 | |
11 | 福屋ビルの階段 | |
12 | 数珠は切れていた | |
13 | 原子爆弾炸裂 | |
16 | 幽霊の街 | |
20 | 黒い驟雨 | |
25 | 傷ついても母は強い | |
28 | 原子爆弾症にかかる | |
29 | 人影を石に灼きつける | |
31 | 生きていた仏さん | |
40 | 死の脱出 | |
42 | 悲運古山部長の死 | |
46 | ガスを吸うと助からぬ | |
50 | 生死の分かれ目 | |
55 | 終戦の放送 | |
60 | 暁部隊の解散 | |
64 | 原爆ドームに咲いたコスモスの花 | |
67 | 天に祈る | |
71 | その時の写生句 高浜虚子 | |
77 | 原爆忌 大久保橙青 | |
82 | 原爆ドーム | |
85 | あとがき | |
備考 奥付の書名:こゑ 第45号 | ||
止
鎌田定夫
かまた・さだお | 1929生20020226没 | 享年72歳 | 長崎総合科学大学教授、長崎平和研究所長。 |
資料年表:鎌田定夫
年月日 | 事項 | ||
1929 | |||
**** | 誕生 | ||
1970 | |||
0809 | 『沈黙の壁をやぶって』(長崎県教職員組合長崎総支部、長崎市原爆被爆教師の会編、労働旬報社) | ||
鎌田定夫「 第六章 原爆体験の継承と国民教育への展望 -長崎の屈折した体験の中から」 | |||
2002 | |||
0226 | 死亡。 | ||
0228 | 「非核不戦に生きて =鎌田定夫が残したもの= 上 」(『長崎新聞』20020228) |
||
0301 | 「非核不戦に生きて =鎌田定夫が残したもの= 中 」(『長崎新聞』20020301) |
||
0302 | 「非核不戦に生きて =鎌田定夫が残したもの= 下 」(『長崎新聞』20020302) |
||
2006 | |||
1125 | 『時代を生きて 文集・鎌田定夫』(『時代を生きて』刊行会) | ||
止
資料年表:猪飼隆明
年月日 | 事項 | メモ |
1944 | ||
0213 | 誕生 | |
1969 | ||
京都大学文学部国史学科卒 | ||
2024 | ||
0514 | 死去。享年80歳。 | |
0515 | 『熊本日日新聞』 | |
「猪飼隆明さん死去 歴史学者、大阪大学名誉教授 文化財保護、護憲に注力」 | ||
止
資料年表:深川宗俊
年月日 | 事項 | メモ |
1921 | ||
**** | 誕生。本名:前畠雅俊。 | |
1945 | ||
0806 | 被爆。 | |
1950 | ||
0422 | 新日本歌人協会広島支部を中心に「反戦詩歌人集団結成準備会」を広島市内で開く | C |
0501 | 『反戦詩歌集第1集』(深川宗俊編、反戦詩歌人集団準備会) | U |
0801 | 『戦争はいやだ』(山口健次郎編、暁明社) | |
0806 | 『反戦詩歌集第2集』(深川宗俊編、反戦詩歌人集団準備会)反戦詩歌集第2集 | U |
1951 | ||
0331 | 『私は戦争に生き残った。そして・・・ 15人の戦争記録』(暁明社) | U |
深川宗俊「恐怖の街」pp.128-134 | ||
0815 | 深川宗俊『歌集・群列-途絶えざる歌抄』(新日本歌人協会広島支部) | 3 |
1953 | ||
0307 | 深川宗俊(日本歌人クラブ会員)「悲しみに耐えてー『原爆文学』論を中心に」(『中国新聞(夕刊)』19530307) | |
1954 | ||
0215 | 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会、われらの詩の会編、19540215) | |
深川宗俊 「芸術は人間のためにある」98 | ||
0806 | 『廣島 歌集』(歌集廣島編集委員会編、第二書房) | |
深川宗俊 132 | ||
1956 | ||
0520 | 『川-広島詩集』(深川宗俊・増岡敏和等編、われらのうたの会) | |
1959 | ||
0201 | 『紫紅の鳥 広島は歌ふ 青史第1合同歌集』(合同歌集編さん委員会編、短歌文学を研究する会「青史」刊 | |
紫紅の鳥によせて 深川宗俊 | ||
0806 | 『広島-原爆の街に生きて』(深川宗俊(著)「青史」編集部(編)、短歌文学を研究する会) | 5 |
1960 | ||
1103 | 『かえらぬ鶴』(瀬戸奈々子、白樺社) | |
祓…深川宗俊 | ||
1964 | ||
0801 | 『The Songs of Hiroshima 広島のうた』(大原三八雄訳、「広島のうた」編集委員会、) | |
第3部 原水爆禁止を ケロイドの貌 深川宗俊 |
||
1966 | ||
0401 | 『歌集新選十二人』(新選十二人著、短歌新聞社) | |
火 深川宗俊 181 | ||
0720 | 『広島はたたかう』(胎内被爆者・被爆二世を守る会) | |
ABCCとその周辺 深川宗俊 | ||
0806 | 『原爆と文化・芸術-その創造と歴史をとらえる』(日本民主主義文学同盟広島支部) | |
文学と原爆 深川宗俊 35 | ||
1016 | 『加害者への怒り-ABCCはなにをしたか 第1集』(原水爆禁止広島県協議会) | |
ひろしまの証言-ABCCを告発する- 深川宗俊 42 | ||
1967 | ||
0301 | 『広島県短詩型文芸合同作品総鑑』(村本節子編、文化企画社) | |
深川宗俊 47 | ||
1968 | ||
0712 | 『ぼく生きたかった-被爆二世史樹ちゃんの死』(竹内淑郎編、宇野書店) | |
史樹ちゃんに捧げるうた 211 うた 深川宗俊 |
||
1103 | 『キャンバスのうた-神崎敏記文集』(「キャンバスのうた」編集委員会) | |
未来をとらえる青年の譜 深川宗俊 23 | ||
1969 | ||
0515 | 『詩集・ヒロシマ1969-戦後25年アンソロジー[改訂新版]』(詩集「ヒロシマ」編集委員会[大原三八雄・栗原貞子・深川宗俊・米田栄作]編) | 5 |
0806 | 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会) | |
VII 座談会 その6 出席者 615 中村義男・相原和光・林寿彦・永田守男・村上安恵・高井正文・藤田一雄・大原三八雄・山本康夫・深川宗俊・田辺耕一郎・田淵実夫 |
||
1970 | ||
0806 | 深川宗俊『1950年8月6日-朝鮮戦争下の広島』(原水爆禁止広島市協議会) | U |
1971 | ||
0201 | 『河口のある風景 中下煕人歌集』(中下煕人著、青史) | |
中下煕人作品の原点をとらえる 深川宗俊 160 | ||
0515 | 『朱花 宮前初子歌集 新日本歌人叢書』(宮前初子著、新日本歌人協会三重県支部) | |
解説=深川宗俊 169 | ||
0804 | 『未来を語りつづけて 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑序幕にささげる 構成詩』(深川宗俊作・構成、原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会) | |
1215 | 『流灯 ひろしまの子と母と教師の記録 原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局編、石田明) | U |
「流灯」によせて 深川宗俊 276 | ||
1972 | ||
0715 | 『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社) | |
Ⅳ 国、地方自治体と被爆二世 185 4 長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊 206 |
||
0806 | 『夾竹桃(広島はたたかう 第三集)』(「夾竹桃」編集委員会編、胎内被爆者被爆二世問題対策会) | |
ABCC協定とは 深川宗俊・31 | ||
1973 | ||
0718 | 『閃光の丘から わがうたまつり 近藤幸子歌集 青史叢書, No.6』(近藤幸子著、短歌文学を研究する会・青史グループ、春陽社出版) | |
広島の戦後史に生きる-歌集「閃光の丘から」鑑賞の手がかりを求めて 深川宗俊 189 | ||
1974 | ||
0925 | 『鎮魂の海峡-消えた被爆朝鮮人徴用工246名』(深川宗俊、現代史出版会) | U |
1115 | 『未来にかけるたたかい ドキュメント昭和五十年史 6』(佐藤静夫編、汐文社) | |
原水禁運動と分裂 深川宗俊 111 | ||
1975 | ||
0628 | 『河 民藝の仲間166号』(民藝の仲間」編集部編、劇団民藝) | |
ヒロシマの青春…深川宗俊…(11) | ||
0806 | 『詩画集・ひろしまの子-愛のうた』(深川宗俊(詩)四国五郎(絵)、春陽社出版) | |
1976 | ||
0430 | 『広島・長崎30年の証言(下)』(広島・長崎の証言の会編、未来社) | |
朝鮮人被爆者復権のたたかい 深川宗俊 93 | ||
0501 | 『平和教育運動 No.3』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育会館出版部) | |
朝鮮人問題をどうとらえるか 155 深川宗俊 | ||
0915 | 『坦白抄 短歌とエッセイヒロシマに生きて』(根川由夫著、短歌文学を研究する会・青史グループ) | |
跋文 深川宗俊 248 | ||
1977 | ||
0701 | 『地域と科学者 第4号 被爆・核・広島特集』(日本科学者会議広島県支部、) | |
占領下における文芸 深川宗俊(30) | ||
0806 | 『炎の中の私 第1集』(広島医療生活協同組合原爆被害者の会) | |
「炎の中の私」に新鮮な感動をおぼえる 深川宗俊 34 | ||
1220 | 深川宗俊『さわだちやまぬ海峡の怨-深川宗俊訪韓レポート』 | U |
1978 | ||
0724 | 『『生キテ帰ルンダゾ』 親が子に語る戦争と原爆の話 第2集』(日本キリスト教団広島府中教会内平和教育文集編集委員会) | |
銃後の体験 火の葬いをうけた韓国人遺体 深川宗俊 13 |
||
<以下作業中> | ||
1982 | ||
0401 | 『劇映画・冬のリトルボーイ-対話のための資料集』(深川宗俊編、平和プロダクション) | 5 |
1985 | ||
1220 | 『紫紅の鳥-青史三十三人集・合同歌集Ⅱ』(深川宗俊(編)、短歌文学を研究する会・青史) | |
1990 | ||
0806 | 『歌集・連祷-深川宗俊歌集』(深川宗俊、短歌新聞社) | U |
1992 | ||
0731 | 『海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡』(深川宗俊、明石書店) | U |
2008 | ||
0424 | 没。 | |
止
児玉正昭<作業中>
こだま・まさあき | 1934生20240306没 | 広島県史編さん室勤務期(宇吹)の上司。 |
資料年表:児玉正昭
年月日 | 事項 | 備考 |
1934 | ||
**** | 生 | |
1992 | ||
02 | 『日本移民史研究序説』(児玉正昭著、溪水社) | |
序-本書の課題と方法-/ 第一編 ハワイの官約移民 第一章 官約移民制度成立の背景 第二章 移民送出の諸要因 第三章 官約移民制度の推移 第四章 官約移民の諸相 第五章 領事報告からみた移住地の状況/ 第六章 官約移民の影響第二編 移民会社と移民 第一章 移民会社の概要 第二章 オーストラリアへの移民-初期移民会社の移民募集とその実態 第三章 ガードループ島への日本人契約移民 第四章 日本人移民の増大に対するハワイの対応 第五章 海外渡航株式会社の研究 第三編 明治後期の日本人移民の諸相 |
||
1993 | ||
0118 | 学位:博士<文学>(広島大学)取得。 | |
2024 | ||
0306 | 没 | |
止
マッカーサー、ダグラス<作業中>
マッカーサー、ダグラス | 18800126生19640405没 | 享年84歳 | アメリカ陸軍軍人。連合国軍最高司令(1945~50年) |
資料年表:ダグラス・マッカーサー
年月日 | 事項 | メモ |
1880 | ||
0126 | 生 | |
1945 | ||
0919 | ”THE NEW YORK TIMES” | |
M’ARTHUR CLOSES ASAHI, TOKYO PAPER Orders 48-Hour Suspension for Mocking Comment on Our Atrocity Reports SHARED GUILT-CHARGED Foe’s Editional Says Atom Bomb’s Use Is Inhumane – Other Journals Coopetate [マッカーサー、朝日新聞に発行停止を命令] | ||
1964 | ||
0405 | 没 | |
2016 | ||
0929 | 『昭和天皇実録 第9』 | |
<1945年9月27日>午前九時五十五分御出門、聯合国最高司令官ダダラス・マッカーサーと非公式に御会見のため、東京都赤坂区内の米国大使館に行幸される。 | ||
止
石母田正『歴史と民族の発見 歴史学の課題と方法』(東京大学出版会、19520305)
内容
止