「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

23森井忠良

資料年表:森井忠良<作業中

年月日 事項 メモ
1829
0725 誕生(広島県呉市吉浦)
1953
 早稲田大学法学部卒
 日本電信電話公社入社
1972
衆議院議員初当選。以後当選7回
1996
0606 森井忠良『明日を創るー提言・新世紀の社会保障』(NTT出版)
2011
0423 没。享年81歳。
0425  『中国新聞』(2011年4月24日)
 「森井忠良氏死去 元厚相 被爆者援護法に尽力 81歳」

 

資料年表:吉田茂

資料年表:吉田茂

年月日
1878
0922 誕生
1946
0522 内閣総理大臣就任
1957
0710 吉田茂『回想十年 第1巻』(新潮社) U
0920 吉田茂『回想十年 第2巻』(新潮社) U
1030 吉田茂『回想十年 第3巻』(新潮社) U
1958
0315 吉田茂『回想十年 第4巻』(新潮社) U
1967
1020

 

資料年表:鳩山一郎

資料年表:鳩山一郎

はとやま・いちろう 18830101生19590307没 自由民主党初代総裁(1954-56年)

 

資料年表:鳩山一郎

年月日
1883
0101 誕生
1951
0630 『私の自叙伝』(改造社)
1955
1122 第54代内閣総理大臣。~19561223
1957
1020 『鳩山一郎回顧録』(文芸春秋新社、19571020) U
1959
0307

 

原爆の証言

『原爆の証言 こゑ第45号』(若杉泰昭編・大久保武雄著、憲法研究会、19700530)

作業中

見出し メモ
03 二十五年忌
03 小磯総理に直言
07 暁部隊と私
10 原爆の朝
11 福屋ビルの階段
12 数珠は切れていた
13 原子爆弾炸裂
16  幽霊の街
20 黒い驟雨
25 傷ついても母は強い
28 原子爆弾症にかかる
29 人影を石に灼きつける
31 生きていた仏さん
40 死の脱出
42 悲運古山部長の死
46 ガスを吸うと助からぬ
50 生死の分かれ目
55 終戦の放送
60 暁部隊の解散
64 原爆ドームに咲いたコスモスの花
67 天に祈る
71 その時の写生句 高浜虚子
77 原爆忌 大久保橙青
82 原爆ドーム
85 あとがき
備考 奥付の書名:こゑ 第45号

 

資料年表:文沢隆一

資料年表:文沢隆一(本名:増本勲一)<作業中

年月日 事項
1928
 ****  広島県山県郡千代田町生まれ。
1945
 0806  旧制広島高校休学中に、千代田町で原子雲を見る。
 1957
東京大学文学部哲学科卒。
1960
 『安芸文学』同人
  1965
 0720  『この世界の片隅で 岩波新書』(山代巴編、岩波書店)
文沢隆一「相生通り 」 1
1969
0325 『アンチヒューマン (ドキュメ, ント日本人 8)』(谷川健一ほか責任編集、学藝書林刊)
 文沢隆一「原爆小頭症」  30
1970
0620 『<八月六日>を描く 作品集』(原民喜 ほか著、文化評論出版)
文沢隆一「重い車」  209
 0806  『原爆被災資料総目録 第二集』(原爆被災資料広島研究会編集委員会編、原爆被災資料広島研究会刊)
文沢隆一「あとがき」  232
0810 『RCCテレビ 市民とともに フィルム構成 風は木の間をぬって』(中国放送)
構成:文沢隆一
1971
 0731  『ヒロシマ・25年-広島の記録 3』(中国新聞社編、未来社)
文沢隆一『現実を歴史の中に送り込む時』 108
  1982
  0806  『子どもたちの見たヒロシマ 修学旅行感想文集』(文沢隆一、汐文社)
 1983
 0801  『日本の原爆文学 10 短編Ⅰ』(美川きよ(ほか)、ほるぷ出版)
 文沢隆一「重い車 」 309
1996
08 『ヒロシマの歩んだ道』(風媒社)
 2000
 0802  『原爆文学21世紀へ 前編 作品-そのとき・それから<3>』(『中国新聞』)
「文沢隆一と「重い車」 行き場失った人々「知る」こと重視」(記者 梅原勝己)
2010 
 1220  『広島県現代文学事典』(勉誠出版)
 「文沢隆一」(岩崎清一郎・記)
2022
0228 『卒業生証言記録集 1 広島大学文書館オーラル・ヒストリー叢書』(石田雅春、伊東かおり編、広島大学文書館・75年史編纂室)
文沢隆一(本名増本勲一)氏(昭和24年広島高等学校文科甲類卒業、作家) 19
・武一騒動について
・山代巴との関係
・原爆スラムの取材
・原爆小頭症、きのこ会とのかかわり
 2024
 0509  死亡。享年96歳。

 

鎌田定夫

鎌田定夫

かまた・さだお 1929生20020226没 享年72歳 長崎総合科学大学教授、長崎平和研究所長。

 

資料年表:鎌田定夫

 年月日  事項
 1929
 ****  誕生
 1970
 0809  『沈黙の壁をやぶって』(長崎県教職員組合長崎総支部、長崎市原爆被爆教師の会編、労働旬報社)
 鎌田定夫「 第六章 原爆体験の継承と国民教育への展望 -長崎の屈折した体験の中から」
 2002
 0226  死亡。
 0228  「非核不戦に生きて =鎌田定夫が残したもの= 上
」(『長崎新聞』20020228)
0301 「非核不戦に生きて =鎌田定夫が残したもの= 中
」(『長崎新聞』20020301)
0302 「非核不戦に生きて =鎌田定夫が残したもの= 下
」(『長崎新聞』20020302)
 2006
 1125  『時代を生きて 文集・鎌田定夫』(『時代を生きて』刊行会)

 

 

 

資料年表:猪飼隆明

資料年表:猪飼隆明

年月日 事項 メモ
 1944
 0213 誕生
 1969
 京都大学文学部国史学科卒
2024
0514 死去。享年80歳。
0515 『熊本日日新聞』
「猪飼隆明さん死去 歴史学者、大阪大学名誉教授 文化財保護、護憲に注力」

 

資料年表:深川宗俊

資料年表:深川宗俊

年月日 事項 メモ
1921
**** 誕生。本名:前畠雅俊。
1945
0806 被爆。
1950
0422 新日本歌人協会広島支部を中心に「反戦詩歌人集団結成準備会」を広島市内で開く C
0501 『反戦詩歌集第1集』(深川宗俊編、反戦詩歌人集団準備会) U
0801 『戦争はいやだ』(山口健次郎編、暁明社)
0806 『反戦詩歌集第2集』(深川宗俊編、反戦詩歌人集団準備会)反戦詩歌集第2集 U
1951
0331 『私は戦争に生き残った。そして・・・ 15人の戦争記録』(暁明社) U
深川宗俊「恐怖の街」pp.128-134
0815 深川宗俊『歌集・群列-途絶えざる歌抄』(新日本歌人協会広島支部) 3
1953
0307 深川宗俊(日本歌人クラブ会員)「悲しみに耐えてー『原爆文学』論を中心に」(『中国新聞(夕刊)』19530307)
 1954
0215 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会、われらの詩の会編、19540215)
 深川宗俊 「芸術は人間のためにある」98
0806 『廣島 歌集』(歌集廣島編集委員会編、第二書房)
深川宗俊 132
1956
0520 『川-広島詩集』(深川宗俊・増岡敏和等編、われらのうたの会)
1959
0201 『紫紅の鳥 広島は歌ふ 青史第1合同歌集』(合同歌集編さん委員会編、短歌文学を研究する会「青史」刊
紫紅の鳥によせて 深川宗俊
0806 『広島-原爆の街に生きて』(深川宗俊(著)「青史」編集部(編)、短歌文学を研究する会) 5
1960
1103 『かえらぬ鶴』(瀬戸奈々子、白樺社)
 祓…深川宗俊
1964
0801 『The Songs of Hiroshima 広島のうた』(大原三八雄訳、「広島のうた」編集委員会、)
第3部 原水爆禁止を
ケロイドの貌  深川宗俊
1966
0401 『歌集新選十二人』(新選十二人著、短歌新聞社)
火  深川宗俊 181
0720 『広島はたたかう』(胎内被爆者・被爆二世を守る会)
ABCCとその周辺 深川宗俊
0806 『原爆と文化・芸術-その創造と歴史をとらえる』(日本民主主義文学同盟広島支部)
文学と原爆  深川宗俊 35
1016 『加害者への怒り-ABCCはなにをしたか 第1集』(原水爆禁止広島県協議会)
ひろしまの証言-ABCCを告発する-  深川宗俊 42
1967
0301 『広島県短詩型文芸合同作品総鑑』(村本節子編、文化企画社)
深川宗俊  47
1968
0712 『ぼく生きたかった-被爆二世史樹ちゃんの死』(竹内淑郎編、宇野書店)
史樹ちゃんに捧げるうた 211
うた 深川宗俊
1103 『キャンバスのうた-神崎敏記文集』(「キャンバスのうた」編集委員会)
未来をとらえる青年の譜 深川宗俊 23
1969
0515 『詩集・ヒロシマ1969-戦後25年アンソロジー[改訂新版]』(詩集「ヒロシマ」編集委員会[大原三八雄・栗原貞子・深川宗俊・米田栄作]編) 5
0806 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会)
VII 座談会 その6
出席者 615
中村義男・相原和光・林寿彦・永田守男・村上安恵・高井正文・藤田一雄・大原三八雄・山本康夫・深川宗俊・田辺耕一郎・田淵実夫
1970
0806 深川宗俊『1950年8月6日-朝鮮戦争下の広島』(原水爆禁止広島市協議会) U
1971
0201 『河口のある風景 中下煕人歌集』(中下煕人著、青史)
中下煕人作品の原点をとらえる 深川宗俊 160
0515 『朱花 宮前初子歌集 新日本歌人叢書』(宮前初子著、新日本歌人協会三重県支部)
解説=深川宗俊 169
0804 『未来を語りつづけて 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑序幕にささげる 構成詩』(深川宗俊作・構成、原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会)
 1215  『流灯 ひろしまの子と母と教師の記録 原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局編、石田明)  U
「流灯」によせて 深川宗俊 276
1972
0715 『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社)
Ⅳ 国、地方自治体と被爆二世 185
4 長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊 206
0806 『夾竹桃(広島はたたかう 第三集)』(「夾竹桃」編集委員会編、胎内被爆者被爆二世問題対策会)
ABCC協定とは 深川宗俊・31
1973
0718 『閃光の丘から わがうたまつり 近藤幸子歌集 青史叢書, No.6』(近藤幸子著、短歌文学を研究する会・青史グループ、春陽社出版)
広島の戦後史に生きる-歌集「閃光の丘から」鑑賞の手がかりを求めて 深川宗俊 189
1974
0925 『鎮魂の海峡-消えた被爆朝鮮人徴用工246名』(深川宗俊、現代史出版会) U
1115 『未来にかけるたたかい ドキュメント昭和五十年史 6』(佐藤静夫編、汐文社)
原水禁運動と分裂 深川宗俊 111
1975
0628 『河 民藝の仲間166号』(民藝の仲間」編集部編、劇団民藝)
ヒロシマの青春…深川宗俊…(11)
0806 『詩画集・ひろしまの子-愛のうた』(深川宗俊(詩)四国五郎(絵)、春陽社出版)
 1976
0430 『広島・長崎30年の証言(下)』(広島・長崎の証言の会編、未来社)
朝鮮人被爆者復権のたたかい  深川宗俊 93
0501 『平和教育運動 No.3』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育会館出版部)
朝鮮人問題をどうとらえるか 155  深川宗俊
0915 『坦白抄 短歌とエッセイヒロシマに生きて』(根川由夫著、短歌文学を研究する会・青史グループ)
跋文 深川宗俊 248
1977
0701 『地域と科学者 第4号 被爆・核・広島特集』(日本科学者会議広島県支部、)
占領下における文芸 深川宗俊(30)
0806 『炎の中の私 第1集』(広島医療生活協同組合原爆被害者の会)
「炎の中の私」に新鮮な感動をおぼえる 深川宗俊 34
1220 深川宗俊『さわだちやまぬ海峡の怨-深川宗俊訪韓レポート』  U
 1978
0724 『『生キテ帰ルンダゾ』 親が子に語る戦争と原爆の話 第2集』(日本キリスト教団広島府中教会内平和教育文集編集委員会)
銃後の体験
火の葬いをうけた韓国人遺体 深川宗俊 13
以下作業中
1982
0401 『劇映画・冬のリトルボーイ-対話のための資料集』(深川宗俊編、平和プロダクション) 5
1985
1220 『紫紅の鳥-青史三十三人集・合同歌集Ⅱ』(深川宗俊(編)、短歌文学を研究する会・青史)
1990
0806 『歌集・連祷-深川宗俊歌集』(深川宗俊、短歌新聞社)  U
1992
0731 『海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡』(深川宗俊、明石書店)  U
 2008
 0424  没。

児玉正昭

児玉正昭<作業中

こだま・まさあき 1934生20240306没  広島県史編さん室勤務期(宇吹)の上司。

 

資料年表:児玉正昭

年月日 事項 備考
1934
 ****  生
1992
 02  『日本移民史研究序説』(児玉正昭著、溪水社)
序-本書の課題と方法-/
第一編 ハワイの官約移民
第一章 官約移民制度成立の背景
第二章 移民送出の諸要因
第三章 官約移民制度の推移
第四章 官約移民の諸相
第五章 領事報告からみた移住地の状況/
第六章 官約移民の影響第二編 移民会社と移民
第一章 移民会社の概要
第二章 オーストラリアへの移民-初期移民会社の移民募集とその実態
第三章 ガードループ島への日本人契約移民
第四章 日本人移民の増大に対するハワイの対応
第五章 海外渡航株式会社の研究

第三編 明治後期の日本人移民の諸相
第一章 移民送出の背景
第二章 一九〇〇年代の移民の概況
1 全国的概況
2 移民県広島の概況
3 熊本・福岡・山口三県の概況
第三章 アメリカ本土への移民
1 アメリカ移民の推移
2 徴兵忌避と海外移民
3 移民母村の実態
4 移民の影響
あとがき/

 1993
 0118  学位:博士<文学>(広島大学)取得。
2024
0306