資料年表:吉川生美<作業中>
年月日 | ||
*** | 三次市?で誕生 | |
2013 | ||
1228 | 没 | |
きっかわ・いきみ | 生20131228没 | 享年92歳 | 三次市出身。爆心地から約1・6キロの現広島市中区西白島町で被爆。夫は、「原爆1号」と呼ばれた吉川清。 |
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資料年表:吉川生美<作業中>
年月日 | ||
*** | 三次市?で誕生 | |
2013 | ||
1228 | 没 | |
きっかわ・いきみ | 生20131228没 | 享年92歳 | 三次市出身。爆心地から約1・6キロの現広島市中区西白島町で被爆。夫は、「原爆1号」と呼ばれた吉川清。 |
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『レツルの黙示録』(オルガ・ストルスコバ著・佐々木昭一郎訳、日本放送出版協会刊)
内容
プロローグ 7 | |||
手紙1 地球の反対側から 12 手紙2 日本の生活 17 手紙3 ケンとホラ 23 手紙4 ハナとの出会い 32 手紙5 芸者 39 手紙6 広島県物産陳列館 47 手紙7 養女ハナ 55 手紙8 マツコ 65 手紙9 チェコの兵士たち 74 手紙10 帰郷 81 手紙11 故郷の友 91 手紙12 大戦の爪あと 100 手紙13 ハナの結婚 110 手紙14 また、日本へ 121 手紙15 ケンとの再会 130 手紙16 大学の崩壊 138 手紙17 誘惑 149 手紙18 関東大震災 159 手紙19 エリシカの恋 169 手紙20 ふるさと喪失症 179 手紙21 レツルの黙示録 188 |
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エピローグ 196 | |||
あとがき 203 | |||
訳者あとがき 208 | |||
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松下正寿
まつした・まさとし | 19010414生19861224没 | 享年85歳 | 元立教大学総長、元参議院議員。核禁会議議長。1957年に特使として渡英、英に核実験中止を訴え。 |
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木原一郎
きはら・いちろう | ****生19511224没 | 享年67歳 | 戦後初の広島市長。19451022~19470322 |
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三村明
みむら・あきら | 19010106生19851223没 | 享年84歳 | 映画撮影監督。被爆直後、米戦略爆撃調査団の映画班に加わる。『聖林からヒロシマへ 映画カメラマン・ハリー三村の人生』(工藤美代子、晶文社、19850222) |
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『聖林からヒロシマへ 映画カメラマン・ハリー三村の人生』(工藤美代子著、晶文社、1985/02/22)
内容
章 | |||
1 | 38年前の「その翌日(ザ・デイ・アフター)」 ―バンクーバー・1983年11月 9 | ||
2 | ハリーと呼ばれた日本人 ―東京・1984年1月 22 | ||
3 | 鏡の向こうのキャメラマン ―東京・1984年2月 36 | ||
4 | 聖林(ハリウッド)への道 49 | ||
5 | 映画の黄金の都 82 | ||
6 | サナラ、聖林(ハリウッド) 112 | ||
7 | 日本映画が若かったとき 122 | ||
8 | アトミック・バム! 158 | ||
9 | 日本の草が再びグリーンになる前に 170 | ||
10 | アメリカ戦略爆撃調査団の日々 189 | ||
11 | キャメラを静かに手離す日 211 | ||
12 | 二人のハリー ―バンクーバー・1984年10月 224 | ||
あとがき 229 | |||
参考文献 232 | |||
三村明・撮影作品目録 234 | |||
止
千田夏光
せんだ・かこう | 19240828生20001222没 | 享年76歳 | 作家。『赤旗』に小説「終焉の姉妹」を連載。 |
資料年表:千田夏光
年月日 | ||
1924 | ||
0828 | 大連に生まれる。 | |
1984 | ||
0815 | 『筆の涙 被爆者横山雪さんの手紙』(千田夏光著、汐文社) | |
1990 | ||
0510 | 『錠光如来 今なおピカの火を守る男』(千田夏光著、汐文社) | GU |
2000 | ||
1222 | 没 | |
止
大田堯
23 | 19180322生20181223没 | 大田堯 | おおた・たかし | 享年100歳 | 元日本教育学会会長。「平和・軍縮教育-3つの視点- 大田堯 121」(『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』WCOTP、日教組報告書編集委員会編、勁草書房) |
資料年表:大田堯
年月日 | 事項 | 備考 |
1918 | ||
0322 | 誕生。広島県本郷町(現・三原市) | |
2018 | ||
1223 | 死亡。 | |
止
平田嘉三
ひらた・かぞう | 20081223 | 享年83歳 | 文部省初等中等教育局教科書調査官。広島大学教育学部教授。1980年12月15日、家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。 |
資料年表:平田嘉三
年月日 | 事項 | 備考 |
1925 | ||
0528 | 誕生(広島県尾道市) | |
1980 | ||
1215 | 家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。 | |
2008 | ||
1223 | 死亡。享年83歳 | |
2009 | ||
0112 | 「教育 反射鏡」(『中国新聞』) | |
寺脇研「広島時代の大恩人 慈愛溢れる姿忘れぬ」 | ||
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乙羽信子
おとわ・のぶこ | 19241001生19941222没 | 享年70歳 | 女優。映画「原爆の子」に出演。1978年1月新藤兼人と結婚。 |
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