広島民報 19650801-12号<作業中>
20周年を迎えた被爆者 |
核戦争阻止・核兵器完全禁止・被爆者救援で統一しよう |
広島県母親大会開く |
核兵器完全禁止のため 首脳会議を開けなど 大会宣言で12項の要求を決議 |
止
広島民報 19650801-12号<作業中>
20周年を迎えた被爆者 |
核戦争阻止・核兵器完全禁止・被爆者救援で統一しよう |
広島県母親大会開く |
核兵器完全禁止のため 首脳会議を開けなど 大会宣言で12項の要求を決議 |
止
広島民報 19650720-11号<作業中>
第11回原水禁世界大会を成功させよう |
核戦争阻止・核兵器完全禁止・被爆者救援で統一しよう |
原水爆禁止運動の歴史と伝統 |
止
広島民報 19650425-2号
米の毒ガス・ナパーム弾使用を 被爆者は断じて許せない! |
岩国を侵略基地にするな 今日もベトナムに飛びたつ |
ベトナム侵略に手をかす 佐藤内閣へ抗議の行動を! 病床から原爆症患者は訴える |
南小一(原爆病院患者)、宮田幸子(新婦人の会広島支部)、南雅子(歌人)、深川宗俊(詩人)、金崎是(福島町被爆者の会会長) |
広島民報 創刊おめでとう |
日朝協会広島支部、広島県平和委員会、日本民主青年同盟広島県委員会、福島病院、原田法律事務所、広島商工会 |
ベトナムー日本 連帯の絵葉書(広島県アジア、アフリカ連帯委員会) |
止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
『日本共産党の70年』目次(第12章 1990年代初頭の運動―体制選択論に抗し、党の歴史と路線を掲げて)
頁 | ||
364 | 90年代幕開けの総選挙と日本共産党 | |
〈東欧の激変を利用した体制選択論攻撃、総選挙の結果〉 | ||
〈特別国会の開幕、第二次海部内閣の発足と日米首脳会談〉 | ||
367 | 総選挙の総括と八中総、社会主義をみる三つの見地の必要性 | |
〈バルト3国問題と「新しい思考」路線の破たんの急速な進行、『平社』誌の廃刊〉 | ||
〈ルーマニア問題への疑問と中傷にたいして〉 | ||
371 | 海部内閣の反動攻勢と党と国民のたたかい | |
〈消費税をめぐる攻防と「消費税をなくす全国の会」の発足〉 | ||
〈コメ輸入「自由化」、小選挙区制・政党法の導入策動に反対して〉 | ||
〈盧泰愚大統領訪日、国際メーデー百周年、京都府知事選挙など〉 | ||
〈第19回党大会の成功をめざす「月間」,創造的理論的活動と反共攻撃への反撃〉 | ||
〈ソ連の混迷とソ連共産党第28回大会、アメリカのあたらしい世界戦略〉 | ||
317 | 科学的社会主義の生命力しめした第19回党大会 | |
〈大会後の「週刊朝日」問題、宮本論文「歴史にそむく潮流に未来はない」〉 | ||
〈「大会記念特別月間」の継続と日和見主義とのたたかい〉 | ||
383 | イラクのクウェート侵略と日本の貢献策をめぐるたたかい | |
〈「平和協力法」をめぐる論戦〉 | ||
〈愛知県参議院補欠選挙での健闘、「平和協力法」案の廃案、沖縄県知事選での勝利〉 | ||
386 | 2中総.領土交渉への提言、カンボジア問題、国連の武力行使容認決議と党の対応 | |
〈地方議会全国集会―前衛党らしい党づくりの先頭に〉 | ||
〈カンボジア、ベトナム両党との会談、パリ協定〉 | ||
〈金丸.田辺の北朝鮮訪問、「日ソ領土交渉にあたっての提言」〉 | ||
〈国連安保理の武力行使容認決議678号と戦費支出反対のたたかい〉 | ||
〈ドイツの統一と全欧安保協力会議〉 | ||
391 | ソ連問題の攻勢的解明、湾岸問題の平和的解決のためのたたかい | |
〈バルト三国へのソ連の軍事介入、新春大演説会〉 | ||
〈湾岸問題-フランス和平提案と党の対応〉 | ||
〈湾岸戦争勃発と自衛隊機派遣策動反対のたたかい〉 | ||
394 | 湾岸戦争の終結とアメリカへの戦費追加支出問題 | |
〈湾岸戦争早期解決をもとめる運動の高揚と党の積極的対応〉 | ||
〈湾岸戦争の教訓〉 | ||
〈自公民連合、多国籍軍への90億ドル支出を強行〉 | ||
397 | いっせい地方選挙、ゴルバチョフソ連大統領の来日をめぐって | |
〈いっせい地方選挙前半戦のとりくみとその結果〉 | ||
〈いっせい地方選挙後半戦のとりくみと評価〉 | ||
〈ゴルバチョフソ連大統領の来日と覇権主義への無反省〉 | ||
401 | 掃海艇中東派遣の強行、第120国会と翼賛型政治の進行 | |
〈鈴木都政の与党に変身した社会党〉 | ||
403 | 3中総、小選挙区制などをめぐる情勢の緊迫と「党を学び、語る」運動の前進 | |
〈憲法の平和原則の先駆性を強調〉 | ||
〈反共反撃を戦略的課題として強調した三中総〉 | ||
〈小選挙区制など反動政策の策動とのたたかい、「政界再編」論にたいして〉 | ||
〈全国革新懇結成十周年、全労連第五回大会〉 | ||
〈ロンドン・サミットとソ連の経済的屈服〉 | ||
408 | ソ連共産党の解体を歓迎した常幹声明 | |
〈巨悪の党の解体を歓迎した常幹声明と反共反撃〉 | ||
〈バルト三国の独立、ANC大会と日本の民主運動への干渉〉 | ||
412 | 小選拳区制など「政治改革」三法案の廃案と海部内閣の退陣 | |
〈証券不正事件と「バブル経済」の国際的国内的背景〉 | ||
〈雲仙・普賢岳災害問題、PKO法案継統審議へ〉 | ||
415 | 第二回全国協議会-社会発展の客観的条件は成熟、党の前進で主体的条件の形成を | |
〈「比例を軸に」した活動の具体化〉 | ||
418 | 宮沢政権の成立、自衛隊海外派兵法反対のたたかい | |
〈宮沢政権と三つの危険性〉 | ||
〈自・公両党によるPKO法案の強行「採決」〉 | ||
〈日蓮正宗総本山の創価学会破門、田辺執行部と竹下派との連合路線〉 | ||
421 | 科学的社会主義の世界的な運動の発展のために | |
〈フィリピンの米軍基地撤去〉 | ||
〈科学的社会主義から逸脱したゆがんだ体制-ソ連邦の崩壊〉 | ||
〈ソ連共産党の外国党への資金援助の発覚〉 | ||
424 | 参議院選挙躍進をめざす政策と活動、「赤旗」の紙面改革と「大運動」 | |
〈アメリカの一国覇権主義と日米首脳会談〉 | ||
〈「参議院選挙の基本政策」と「政治・組織方針」、画期的な「赤旗」紙面改革〉 | ||
426 | 金権腐敗政治の一掃と自民党政治の古い枠組みの打破をめざして | |
〈リクルート、「共和」、佐川急便など一連の疑惑の追及〉 | ||
〈参院奈良補選の結果と体制選択論への反撃、社会主義のもとでの国有化問題の解明〉 | ||
〈参院沖縄選挙区での革新共闘問題〉 | ||
〈小沢調査会の「提言」(素案)と米国防総省「国防計画指針」〉 | ||
431 | 参院選躍進のため体制選択論打破を重視した六中総 | |
〈「納税者憲章」、労働基準法改正、コメ輸入「自由化」問題などでの政策発表〉 | ||
〈体制選択論論破の「四つの観点」、『紹介 日本共産党』の刊行〉 | ||
〈党地方議員全国集会、沖縄県議選の失敗と体制選択論への反撃の重要性〉 | ||
434 | 自衛隊海外派兵法の強行と党のたたかい | |
〈PKO法案「修正」など自民党の策動〉 | ||
〈自公民による「再修正」案の提出と強行採決〉 | ||
〈再開された政治改革協議会での自民党の策略と社公民の妥協〉 | ||
〈農水省の[新政策]への批判〉 | ||
439 | スターリンの大量弾圧の犠牲となった同志への哀悼、一連の国際問題と党の対応 | |
〈旧ユーゴスラビアの民族紛争〉 | ||
〈地球サミットと日本共産党の見解.ミュンヘン・サミット〉 | ||
〈山本、杉本.国崎への哀悼、社会党へのソ連の「財政援助」の発覚〉 | ||
441 | 党創立七十周年の年―躍進の土台をきずいた参院選 | |
〈党創立七十周年を記念して〉 | ||
止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
『日本共産党の70年』目次(第11章 80年代後半の運動l反核国際統一戦線と非核の政府をめざして)
頁 | ||
234 | 第二次大戦終戦40周年の歴史的教訓に立って-第17回党大会 | |
〈覇権主義の克服を綱領上の課題に〉 | ||
〈国家機密法を廃案に〉 | ||
242 | 86年1月のゴルバチョフ提案、フィリピン人民の闘争 | |
〈マルコス独裁政権の崩壊〉 | ||
244 | 天皇・天皇制美化との闘争、「前川リポート」と東京サミット | |
〈「非核の政府を求める会」の結成〉 | ||
246 | 国政選挙の得票目標と闘争方針のあたらしい発展―綱領的見地に立って | |
〈多数者革命めざす選挙闘争方針―第17回党大会2中総〉 | ||
〈地域セクト主義の克服を提起した3中総〉 | ||
248 | 謀略的衆参同時選挙をめぐる闘争 | |
〈安全保障会議設置法と定数是正問題〉 | ||
〈中曽根による反共デマ攻撃、「死んだふり」解散と86年衆参同時選挙〉 | ||
252 | 自民党300議席での「反動的プログラム」具体化とその矛盾 | |
〈衆参同時選挙の総括―4中総〉 | ||
〈新自由クラブの解党、中曽根の「86年体制」論〉 | ||
〈300議席のおごりと自民党政治への内外世論の反発〉 | ||
256 | 日ソ両党定期協議、「機関紙拡大月間」と党風改善の「必携文書」 | |
〈不破・ゴルバチョフ会談〉 | ||
〈「月間」のさなかの5中総―「いっせい地方選挙と中間地方選挙への 方針」〉 |
||
258 | 国鉄分割・民営化反対闘争 | |
〈国鉄分割・民営化がもたらしたもの〉 | ||
〈軍事賢1%枠突破と老人保健法の改悪〉 | ||
261 | 「地方選挙躍進・党生活活性化・機関紙拡大の大運動」のとりくみ | |
〈緒方国際部長宅の電話盗聴事件の発覚〉 | ||
262 | 核軍縮をめぐる米ソ交渉、ニカラグアのたたかい、日中両党関係 | |
〈レイキャビク会談の決裂〉 | ||
〈レーガンのニカラグア干渉への批判のたかまり) | ||
〈「日中両党関係の協議の経過について」の発表〉 | ||
〈北朝鮮による覇権主義的干渉の新段階〉 | ||
〈フィリピン国防省のでっち上げにたいして〉 | ||
〈ソ連の「ペレストロイカ」のはじまり、チェルノブイリ原発事故〉 | ||
269 | 社会主義と平和共存の問題をめぐって | |
〈ソ連、中国の対日外交について〉 | ||
〈東独政権による中曽根美化論にたいして〉 | ||
〈宮本・チャウシェスク共同宣言〉 | ||
272 | 売上税をめぐる歴史的対決、「日本列島」騒然のもとでのいっせい地方選挙 | |
〈円高不況―国民本位の経済再建をもとめて〉 | ||
〈公約違反の売上税導入の策動、あらたな減反政策のはじまり〉 | ||
〈歴史的対決のなかでの6中総〉 | ||
〈87年いっせい地方選挙前半戦と党の前進〉 | ||
〈売上税導入の火種をのこした議長「あっせん」案、いっせい地方選挙後半戦〉 | ||
〈自杜公民の密室協議と[税制協に設置〉 | ||
281 | 「党創立65周年記念・機関紙拡大月間」の提起、選挙方針の発展 | |
〈7中総―選挙の情勢判断は4つの基準で〉 | ||
〈権力犯罪としての緒方宅盗聴事件の追求〉 | ||
283 | 党創立65周年、反核運動の高揚をめざして | |
〈87年反核国際シンポジウム〉 | ||
〈世評軍縮委員会と「平和の波」運動の提起〉 | ||
286 | マル優廃止の強行、「党勢(党員・機関紙)拡大全党運動」 | |
〈「税制協」と自社公民の背信行為〉 | ||
〈緒方宅盗聴事件i民事訴訟の開始、国連への提訴〉 | ||
〈「党勢(党員・機関紙)拡大全党運動」の提起と8中総、9中総〉 | ||
〈竹下内閣の発足と「連合」の結成〉 | ||
291 | 東独、ソ連、北朝鮮の覇権主義にたいして | |
〈中曽根内閣美化問題をめぐるドイツ社会主義統一党との会談〉 | ||
〈ソ連第一主義からの日本社会党美化論批判〉 | ||
〈革命70周年記念集会でのゴルバチョフ演説と立木回答〉 | ||
295 | 世界と日本の進歩、発展の道しめした第18回党大会 | |
300 | INF条約、大韓航空機爆破事件 | |
〈不破副議長のインド、デンマーク訪問〉 | ||
〈大韓航空機爆破事件と北朝鮮の日本共産党攻撃〉 | ||
302 | 竹下内閣の新大型間接税導入策動とのたたかい | |
〈浜田幸一予算委貝長の反共暴言〉 | ||
〈参院大阪補選、三宅村議選での勝利〉 | ||
〈大型間接税をめぐる国会内外のたたかい〉 | ||
〈宮本宅電話盗聴事件―東京高裁判決と創価学会の犯行確定〉 | ||
307 | 日本社会党美化をめぐる日ソ両党の論争 | |
〈日ソ両共産党の定期協議、コワレンコ著「日本共産党(概史)」による歴史の歪曲〉 | ||
〈ソ連軍のアフガニスタン撤退と日本共産党の先駆性〉 | ||
〈ソ連共産党への返書(一九八八年七月十三日付書簡)、立木回答の掲載拒否〉 | ||
312 | 「世界の共産主義運動の基本問題と党の立場」(2中総) | |
〈「脱皮のための激動期」について〉 | ||
314 | 消費税導入のための臨時国会、天皇美化と主権在民の原則への挑戦 | |
〈リクルート疑惑の発覚、「なだしお」衝突事故〉 | ||
〈自社公民4党による消費税法案の受け皿づくり〉 | ||
〈INF条約後の原水爆禁止八八年世界大会〉 | ||
〈天皇問題、本部盗み撮りなど民主主義をめぐる逆流に抗して〉 | ||
318 | 「新しい思考」へのひきつづく批判、一連の国際問題にたいして | |
〈盧泰愚政権の発足と朝鮮問題についての見解〉 | ||
〈「新しい思考」への日本共産党の一連の批判〉 | ||
322 | 「新しい思考」への先駆的批判と3中総 | |
<二中総以後の機関紙拡大などのとりくみ、「新しい思考」をレーニン死後最大の誤りと先駆的に批判〉 | ||
〈リクルート疑獄の反共野党への波及、宮沢蔵相の辞任、消費税法案強行〉 | ||
326 | 天皇死去と主権在民の原則をまもるたたかい | |
329 | 四中総、リクルート疑惑の追及、竹下内閣の退陣 | |
〈参院選の躍進をめざして〉 | ||
〈「大量宣伝特別期間」のとりくみ、原発問題住民運動全国セッターの発足〉 | ||
〈リクルート疑獄、公安調査庁のスパイ活動を追及〉 | ||
〈千葉県知事選、名古屋市長選などでの奮闘と羽曳野市長選での敗北〉 | ||
〈社公民連四党の反共連合政権構想、メーデー変質策動にたいして〉 | ||
〈竹下首相の退陣と予算強行採決、宇野内閣の誕生〉 | ||
〈イタリア共産党の「新思考」同調と社民化への批判など一連の国際活動〉 | ||
328 | 天安門事件と五中総、「逆風」のなかでの東京都議選、参院選 | |
〈ゴルバチョフ訪中と中ソ関係正常化〉 | ||
〈天安門事件―中国の政権党・政府の暴挙にたいして〉 | ||
〈社会主義のもつべき4基準〉 | ||
〈東京都議選での自民党の惨敗と党の後退〉 | ||
〈天安門事件の反共攻撃のなかでの89年参院選―三つの緊急課題での共同をめざして〉 | ||
346 | 6中総―参院選総括、総選挙に向けての活動 | |
〈海部内閣の誕生、「グローバルーパートナーシップ」の対米公約〉 〈党建設の二大欠陥克服、総選挙準備へのとりくみ〉 〈バルト三国、東欧の激動のはじまり、国際問題の全党的学習の強化〉 |
||
351 | 国民的協同をめざして、全労連の結成 | |
〈京都市長選での健闘、ファッショ的な公明党の「石田見解」〉 | ||
〈消費税の廃止と「見直し」をめぐる攻防i第百十六臨時国会〉 | ||
〈小選挙区制導入の策謀、コメ「自由化」に反対して〉 | ||
〈全労連の結成、全国女性議貝集会、青年学生分野の「広大な空白」克服のとりくみ〉 | ||
356 | 東欧の激動にたいして | |
〈「ベルリンの壁」の崩壊とチェコスロバキア侵略の誤りの国際的確認〉 | ||
〈総選挙にむけた七中総、消費税廃止法案をめぐる攻防〉 | ||
〈ルーマニア問題の進展に応じた機敏な対応〉 | ||
〈米ソ・マルタ会談と不破論文「「新しい思考」路線はどこまできたか」〉 | ||
止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第10章 1980年代前半の運動・社会党の右転落のもと、国政革新をめざして)
頁 | ||
106 | ソ連軍のアフガニスタン侵略 | |
〈カーター戦略と大平内閣の「西側の一員」論〉 | ||
108 | 「社公合意」と社会党の右転落 | |
110 | 真の革新の柱―日本共産党の立場と第15回党大会 | |
114 | 「戦後第二の反動攻勢の時期」の提起、衆参同時選挙での後退 | |
〈「社公合意」をめぐる共杜論争〉 | ||
〈戦後はじめての80年衆参同時選挙〉 | ||
〈衆参同時選挙の総括〉 | ||
119 | 鈴木内閣の発足と「臨調」行革など反動攻勢に抗する党と国民の運動 | |
〈「臨調」設置法の成立、10・21、 11・16闘争のたかまり〉 | ||
〈伊藤律の帰国を利用した反共キャンペーンとのたたかい〉 | ||
〈ポーランドでの「政労合意」、光州事件、イラン・イラク戦争〉 | ||
125 | 機関紙革命のはじまり、覇権主義的誤りとたたかう党の一連の国際活動 | |
〈アフガニスタン問題と日ソ両党会談、ポーランド干渉への警告〉 | ||
127 | レーガン政権の発足、「保守化時代」論への反撃 | |
〈「臨調」発足と国民不在の「行政改革」〉 | ||
131 | 機関紙活動の新五原則、鈴木・レーガン会談と核もちこみに反対するたたかい、革新懇運動の前進 | |
〈81年の日米首脳会談と安保の攻守同盟化〉 | ||
〈全国革新懇の結成へ〉 | ||
〈PLO東京事務所長への反論など一連の国際活動〉 | ||
135 | 平和綱領、ポーランド問題をめぐるソ連共産党との論争 | |
〈論文「真の平和綱領のために」〉 | ||
〈ポーランド問題でのソ連共産党とポーランド統一労働者党への電報〉 | ||
139 | 81年東京都議選での党の前進と七中総 | |
〈第7回中央委貝会総会と陣地構築論の発展〉 | ||
〈機関紙活動の「三つの組織的保障」〉 | ||
142 | レーガンの限定核戦争構想と内外の反核運動の高揚 | |
145 | 「行革」国会をめぐるたたかい | |
〈いっそう明確になった「社公合意」の有害性〉 | ||
149 | 『平社』誌廃刊の提起、ポーランドの軍事クーデター | |
〈ポーランド戒厳令を糾弾した西沢談話とインタビュー〉 | ||
152 | 限定核戦争構想下の日本の軍拡と軍事費削減闘争 | |
〈大軍拡予算と軍事費1兆円削減要求〉 | ||
154 | 8中総―党建設、各分野の大衆闘争方針、ポーランド問題など | |
〈『平杜』誌をめぐる国際論争〉 | ||
〈ソ連の「資金援助」を暴露したレフチェンコ証言〉 | ||
157 | 反核平和運動の前進 | |
〈京都府知事選と横浜市長選〉 | ||
〈反核平和運動に背をむけた国連軍縮総会〉 | ||
160 | 臨調路線と国民生活との矛盾の激化、鈴木内閣のロッキードかくし | |
〈第16回党大会をめざす躍進大運動の推進) | ||
163 | 第16回党大会―歴史に学びあらたな前進へ | |
167 | 鈴木首相の政権なげだしと中曽根内閣の登場 | |
〈中曽根首相の「戦後政治の総決算」、「日米運命共同体」論に抗して〉 | ||
〈論文「パレスチナ問題の根源と解決への道」〉 | ||
172 | 83年いっせい地方選挙と開拓者精神の発揮 | |
〈道府県議選での画期的な全区立候補〉 | ||
〈反共風土と反共反撃のあたらしい位置づけ〉 | ||
〈干渉主義への風化現象を批判〉 | ||
〈多喜二没後50周年.マルクス没後100周年〉 | ||
176 | 83年参院選挙―比例代表区での「抜群の躍進」 | |
〈地域セクト主義の克服を重視した5中総〉 | ||
179 | 反核平和運動の国際的なひろがり、大韓航空機撃墜事件などあいつぐ国際的諸事件 | |
〈83年原水禁世界大会と核凍結論〉 | ||
〈第7回非同盟諸国首脳会議〉 | ||
〈大韓航空機撃墜事件、ラングーン事件、アメリカのグレナダ侵略〉 | ||
〈レーガン、コール、胡耀邦のあいつぐ来日と党の態度〉 | ||
183 | 83年総選挙と国政選挙での「一進一退」打開の提起 | |
〈ロッキード事件・田中有罪判決〉 | ||
〈自民党の敗北と新自クとの「連立」〉 | ||
〈国政選挙での10年間の「一進一退」の打開をよびかけた7中総〉 | ||
188 | 核戦争阻止・核兵器廃絶をもとめて―米ソ両首脳への宮本議長の書簡 | |
〈トマホーク配備、健康保険法改悪法案、政党法案反対の世論のたかまり〉 | ||
〈ソ連のスペイン共産党への干渉、中国の覇権主義と中曽根訪中〉 | ||
191 | 第一回全国協議会 | |
193 | 中曽根内閣の悪法ごり押しと大衆運動のたかまり | |
〈統一労組懇運動の前進、農民運動全国懇の結成など大衆運動の発展〉 | ||
〈7・29中央大集会の成功〉 | ||
195 | 84年原水禁世界大会と「東京宣言」 | |
〈原水禁運動をめぐる「朝日」の反共キャンペーンへの反撃〉 | ||
〈全斗煥の来日〉 | ||
199 | 「非核の政府」の提唱 | |
〈核軍拡競争をめぐる9中総の解明と第二次党躍進大運動〉 | ||
〈那覇、逗子、三宅島首長選挙の勝利、社公民の自民党との連合志向〉 | ||
201 | 「併党」論批判、覇権主義、干渉主義とのひきつづくたたかい | |
〈北朝鮮の日本漁船銃撃事件と党攻撃の拡大〉 | ||
〈『平社』誌各党代表者会議で廃刊をかさねて要求〉 | ||
〈党代表団のベトナム、カンボジア、中南米訪問、アフリカの飢餓への見解〉 | ||
205 | 核戦争阻止、核兵器廃絶での日ソ両党共同声明 | |
〈三回にわたった日ソ両党予備会談での論争〉 | ||
〈日ソ両党共同声明の主な内容とその歴史的意義〉 | ||
〈日ソ両党共同声明発表後の事態の展開〉 | ||
209 | 核兵器廃絶をめぐる国会論戦と逆流とのたたかい | |
〈「非核の政府」の綱領的位置づけ〉 | ||
〈「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動の発足〉 | ||
〈ソ連外交追従の誤りをくりかえす世評指導部〉 | ||
213 | 決定読了の重視と10中総 | |
〈9中総決定読了運動と支部生活の確立〉 | ||
〈「戦前日本共産党幹部著作集」の刊行〉 | ||
〈宮本議長宅盗聴事件での創価学会断罪の判決〉 | ||
〈論文「日中両党関係修復の障害は何か」〉 | ||
〈第二次大戦40周年の党の立場〉 | ||
216 | 全国革新懇の質的、組織的前進、国民春闘再構築など大衆運動の前進と国家機密法反対のたたかい | |
〈中曽根首相の国際公約とアメリカの市場開放要求への屈服〉 | ||
〈国家機密法など一連の反動法案とのたたかい〉 | ||
219 | 東京都議選での前進と反核国際シンポジウム | |
〈都議選での攻勢的な政策宣伝戦と陣地拡大〉 | ||
〈釧路市議選失敗の教訓〉 | ||
〈米ソ軍縮交渉と党主催の反核国際シンポ〉 | ||
223 | 85年原水禁大会の成功、対外盲従集団などとのたたかい | |
〈大隈一派への批判、全民労協の「中間報告」と統一労組懇の奮闘〉 | ||
〈靖国神社公式参拝の強行、日航機墜落事故〉 | ||
226 | 第17回党大会をめざす活動、中曽根内閣の「総決算」路線と対決してのたたかい | |
〈第11回中央委貝会総会(第16回党大会)〉 | ||
〈軍拡、国鉄分割・民営化など、中曽根内閣の反動政策とのたたかい〉 | ||
227 | 米ソ核軍縮交渉、レーガン政権のニカラグア干渉との闘争 | |
〈ニュージーランドの反核法など世界の反核平和運動の前進〉 | ||
〈核軍縮交渉をめぐる情勢の推移と党の見解〉 | ||
〈“バブル”経済の一つの要因となったプラザ合意〉 | ||
85年9月の日中両国共産党会談 |
止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第9章 1970年代後半の党のたたかい―逆流に抗して)
頁 | ||
026 | ベトナム人民の歴史的勝利、三木内閣の自民党支配の立て直し策 | |
〈ベトナム人民の勝利―アメリカの覇権主義とたたかいつづけた日本共産党の歴史的役割〉 | ||
〈三木内閣成立をめぐる内外情勢と野党分断政策〉 | ||
〈選挙法改悪での”自社共闘”、公明、民社の右傾化〉 | ||
029 | 「解同」朝田派の暴挙と七五年いっせい地方選挙 | |
〈八鹿高校事件―「解同」の蛮行を糾弾して〉 | ||
〈「解同」の無法を打破した東京都知事選〉 | ||
〈75年のいっせい地方選挙―自治体労働者論、「解同」とのたたかい〉 | ||
〈6中総―内外情勢と党の任務、いっせい地方選挙の総括など〉 | ||
034 | 70年代後半の国際情勢 | |
〈各国人民の闘争、非同盟運動の前進〉 | ||
〈ランブイエーサミットの開催〉 | ||
037 | 「救国・革新の国民的合意」のよびかけ | |
〈共・創協定とその死文化〉 | ||
〈「国民的合意」のよびかけにもとづく各界各層との対話・懇談〉 | ||
〈官公労働者のスト権問題をめぐって〉 | ||
〈理論政策会議の開催、「総選挙での前進をめざす機関紙読者拡大月間」〉 | ||
042 | 『文春』立花論文、春日違憲質問への反共反撃 | |
044 | ロッキード疑獄の発覚と党の奮闘 | |
047 | 第13回臨時党大会と「自由と民主主義の宣言」 | |
〈「自由と民主主義の宣言」の先駆的意義〉 | ||
052 | 反動攻勢下の総選挙での後退とあらたな前進めざす活動 | |
〈鬼頭事件―反共攻撃の謀略性〉 | ||
〈ロッキード疑獄など国民の怒りと反共大合唱のなかの総選挙〉 | ||
〈76年総選挙を総括した13中総(第12回党大会)〉 | ||
〈「職場に自由と民主主義を」の訴えとたたかい〉 | ||
057 | 77年参院選での後退と教訓 | |
〈カーター政権と福田内閣の発足にたいして〉 | ||
〈200カイリ時代の日ソ漁業交渉、歯舞、色丹のすみやかな返還の提唱〉 | ||
〈「日本経済への提言」の発表〉 | ||
〈77年参院選挙とその結果〉 | ||
063 | 第14回党大会と「社会主義生成期」論 | |
067 | 77年参院選後の政局と党の原則的なたたかい | |
〈党の後退となれあい国会、国債増発〉 〈77年原水禁統一世界大会と分裂策動の継続〉 〈社会党の内部抗争の激化、民社、公明両党の右傾化〉 |
||
071 | 「教育月間」、袴田の転落と反共毒素一掃クリーンパンフの活用 | |
073 | 78年京都府知事選挙と革新つぷし戦略とのたたかい | |
〈国際勝共連合などの策動とのたたかい〉 | ||
〈「革新統一戦線についての懇談会」開催〉 | ||
〈宮本委員長のユーゴ、ルーマニア訪問〉 | ||
077 | 「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)と事実上の安保改悪 | |
〈有事立法反対闘争、日中平和条約をめぐって〉 | ||
〈「ガイドライン」の閣議決定と大平内閣の成立〉 | ||
〈円高不況下の国民生活をまもる活動〉 | ||
〈全国婦人活動者会議と「女性のひろば」の創刊〉 | ||
083 | 中国のベトナム侵略に抗して | |
〈ポル・ポト政権の崩壊とカンボジア人民共和国の成立〉 | ||
〈社会主義の大義にそむく中国のベトナム侵略〉 | ||
〈イラン王政の崩壊、第6回非同盟諸国首脳会議〉 | ||
087 | 79年の全国いっせい地方選挙―いつでも、どこでも革新の党 | |
〈宮本委員長の「資格争訟」をめぐる反共攻撃〉 | ||
〈日ソ両党予備会談、国際理論シンポジウム〉 | ||
093 | 79年総選挙での躍進と「一般消費税」の導入阻止の闘争 | |
〈必勝区への力の集中〉 | ||
〈79年総選挙での党躍進の意義〉 | ||
〈公民合意と社公政権協議) | ||
101 | ソ連に干渉の誤りをみとめさせた79年の日ソ両党会談 | |
〈千島政策の発展〉 | ||
〈「発達した社会主義」論の拒否〉 | ||
止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第8章 1970年代前半―革新の高揚と党の躍進)
頁 | ||
399 | 1970年代の展望をしめした第11回党大会 | |
〈京都府知事選挙の勝利と70年安保闘争〉 | ||
〈発達した資本主義国での革命のあたらしい可能性の探究〉 | ||
〈宮本委貝長宅電話盗聴の発覚〉 | ||
408 | 革新統一戦線めざす党の活動 | |
〈革新三目標の提起〉 | ||
〈社公民(”江公民”路線による革新分断の策動〉 | ||
412 | 二つの全国的選挙戦(71年全国いっせい地方選挙と参議院選挙)での前進 | |
〈71年いっせい地方選挙と大阪など革新自治体の発展〉 | ||
〈参院選と連合政権・統一戦線論議〉 | ||
〈「プロレタリアートのディクタツーラ」の訳語問題〉 | ||
〈ソ連による干渉の継続、ベトナムなど五力国共産党・労働者党との会談〉 | ||
〈ニセ「左翼」暴力集団激励など毛沢東一派の干渉〉 | ||
420 | 日米沖縄協定によるサンフランシスコ体制の再編 | |
423 | ニクソン訪中、訪ソとアメリカ帝国主義美化論批判 | |
〈金日成個人崇拝と「南北共同声明」支持の押しつけ〉 | ||
425 | 党創立五十周年と総選挙での躍進 | |
〈党創立の三つの原点〉 | ||
〈「日本列島改造」論と日中国交回復〉 | ||
〈72年総選挙と日本共産党の躍進〉 | ||
432 | ベトナム停戦のパリ協定とアメリカの侵犯 | |
434 | 小選挙区制など田中内閣、自民党のファッショ的策謀、反共攻撃との闘争 | |
〈田中内閣の小選挙区制を粉砕〉 | ||
〈共青創立五十周年と新日和見主義分派の粉砕〉 | ||
〈73年大阪参院補選と都議会選挙〉 | ||
〈大企業の買い占め売り惜しみに反対して〉 | ||
441 | 「自由社会守れ」のキャンペーンと宮本委員長への右翼テロ | |
〈「解同」朝田派の無法とのたたかい〉 | ||
〈年の中ソの核実験にたいするあたらしい対応〉 | ||
〈チリの反共軍事クーデター〉 | ||
447 | 第12回党大会と 民主連合政府綱領提案 | |
〈沖縄人民党の日本共産党への歴史的合流〉 | ||
〈民主連合政府綱領提案の採択とその意義〉 | ||
〈大会後の国民生活防衛の全国的な闘争 | ||
〈パレスチナ問題解決の正しい道〉 | ||
455 | 「三つの自由」をかかげてー74年参院選での躍進と党の活動 | |
〈ソルジェニツイン問題-科学的社会主義と言論、表現の自由〉 | ||
〈74年京都府知事選、参院選〉 | ||
460 | 反共野党の攻撃とのたたかい、革新統一戦線推進の闘争 | |
〈公明党による憲法問題での日本共産党攻撃と論争での回答不能〉 | ||
〈4中総と革新統一のための「開かれた懇談会」、統一労組懇の結成〉 | ||
〈民主的教師論の提起〉 | ||
〈文化分野での五〇年問題の総括〉 | ||
467 | ソ連、中国のニクソン美化論と干渉とのたたかい | |
〈第十二回党大会へのソ連などの攻撃とのたたかい〉 | ||
〈『平和と社会主義の諸問題』誌をめぐって〉 | ||
〈中国の「三つの世界論」と「核のカサ」容認〉 | ||
471 | ニクソン、田中の退陣と日本共産党 | |
〈ニクソンとウォーターゲート事件〉 | ||
〈核積載軍艦寄港を暴露したラロック証言の衝撃〉 | ||
〈田中金脈問題の追及、選挙管理内閣の提起〉 | ||
止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第7章 第8回党大会後、1960年代の闘争)
頁 | ||
302 | ケネディの二面政策と世界の共産主義運動の分裂の表面化 | |
〈世界の共産主義運動の不団結と党の自主独立の立場〉 | ||
306 | 安保闘争後の国内情勢と党の先進的なたたかい | |
〈綱領路線の「四つの旗」〉 | ||
〈三つの先駆性―安保破棄、「所得倍増計画」反対、政暴法粉砕〉 | ||
〈「ケネディーライシャワー路線」と統一戦線分断の策動〉 | ||
〈原水禁大会の分裂と安保共闘の解体〉 | ||
313 | ||
319 | 4・17スト問題での誤り.大衆団体の民主的強化のための活動 | |
〈「新日本婦人の会」の結成など各分野の運動の発展、松川裁判での勝利〉 | ||
326 | ソ連による干渉工作と第7回中央委員会総会 | |
〈野坂・袴田、志賀・神山らの策動と五中総決議の誤り、7中総での是正〉 | ||
〈63年の原水禁大会とジューコフ論文〉 | ||
〈7中総―各個撃破政策の定式化、自主独立の立場の強調〉 | ||
333 | フルシチョフらの公然とした覇権主義的干渉とのたたかい | |
〈志賀一派をつかったソ連の公然たる党破壊活動への反撃〉 | ||
〈新日本文学会の変質と党貝文化人の反党声明〉 | ||
〈ソ連の社会党との緊密な関係、平和、国際友好運動への干渉〉 | ||
〈「国際会議」開催をめぐるソ連、中国両党への批判、フルシチョフの解任) | ||
〈「トンキン湾事件」とアメリカのベトナム侵略の本格化〉 | ||
343 | 第9回党大会と党の国際路線 | |
345 | 65年の参議院選、都議選での前進、党活動の発展 | |
〈ベトナム侵略戦争反対の統一行動〉 | ||
〈65年月の参議院選と東京都議選〉 | ||
〈65年原水禁大会、ソ連による佐藤内閣美化論の批判〉 | ||
353 | ベトナム侵略に反対する反帝国際統一戦線の結成をめざして、日中両党会議 | |
〈反帝国際統一戦線の提起〉 | ||
〈党代表団のベトナム、中国、北朝鮮訪問、毛沢束による共同コミュニケの破棄〉 | ||
〈毛沢東一派の干渉と中国盲従分子の党破壊活動〉 | ||
359 | 第10回党大会と覇権主義批判 | |
361 | 中ソ覇権主義とのたたかいの先駆的、歴史的意義 | |
〈日中友好協会本部襲撃事件、砂間代表らへの集団リンチ〉 | ||
〈論文「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」「極左日和見主義者の中傷 | ||
〈68年の日ソ両党会談〉 | ||
〈ソ連など五力国軍隊のチェコスロバキア侵略へのきびしい批判〉 | ||
〈ブレジネフの「制限主権」論の誤り〉 | ||
〈「武力南進」論を批判した1968年の朝鮮労働党との会談〉 | ||
〈国際分野での60年代の闘争の意義〉 | ||
371 | 67年の総選挙と東京都知事選での勝利 | |
〈「高度成長」政策の矛盾のふかまりと国民の要求にこたえる党の政策と活動〉 | ||
〈67年いっせい地方選挙と反共攻撃とのたたかい〉 | ||
〈都知事選での統一戦線運動の前進〉 | ||
377 | 安保・沖縄問題での先駆的たたかいと統一行動の前進 | |
〈ベトナム侵略反対のたたかいのたかまり〉 | ||
〈安保・沖縄問題と「日本共産党の安全保障政策」〉 | ||
〈69年の10・21闘争〉 | ||
383 | 基本的大衆組織の建設と大衆運動の前進をめざして | |
〈労働組合運動と6中総決定〉 | ||
〈民青同盟への指導援助の改善と9中総〉 | ||
〈大学民主化闘争と自民党のニセ「左翼」暴力集団「泳がせ」政策〉 | ||
〈公害反対運動のたかまり〉 | ||
389 | 68年参院選と沖縄三大選挙、都識選での前進 | |
〈沖縄での革新統一勢力の勝利〉 | ||
392 | 現実政治を動かす党への前進 | |
〈佐藤・ニクソン会談と核持ち込みの密約〉 | ||
〈「千島問題についての日本共産党の政策と主張」〉 | ||
〈69年総選挙での14議席への躍進〉 | ||
〈公明党・創価学会の出版妨害事件〉 | ||
〈60年代にかちとった選挙戦の成果〉 | ||
〈党建設の面での前進〉 | ||
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『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(概要)
章 | ||
1 | 日本共産党の創立 | |
2 | 党の創立後、1920年代の闘争 | |
3 | 中国侵略戦争の開始から日本帝国主義の敗北まで | |
4 | 敗戦後-党活動の公然化、平和・民主・独立の日本 をめざして |
|
5 | 日本共産党の50年問題とその克服への道 | |
6 | 第7回党大会と第8回党大会 | |
7 | 第8回党大会後、1960年代の闘争 | |
8 | 1970年代前半―革新の高揚と党の躍進 | |
9 | 70年代後半の党のたたかい―逆流に抗して | |
10 | 1980年代前半の運動・社会党の右転落のもと、国政革新をめざして | |
11 | 80年代後半の運動l反核国際統一戦線と非核の政府をめざして | |
12 | 1990年代初頭の運動―体制選択論に抗し、党の歴史と路線を掲げて | |
止