『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第7章 第8回党大会後、1960年代の闘争)
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302 | ケネディの二面政策と世界の共産主義運動の分裂の表面化 | |
〈世界の共産主義運動の不団結と党の自主独立の立場〉 | ||
306 | 安保闘争後の国内情勢と党の先進的なたたかい | |
〈綱領路線の「四つの旗」〉 | ||
〈三つの先駆性―安保破棄、「所得倍増計画」反対、政暴法粉砕〉 | ||
〈「ケネディーライシャワー路線」と統一戦線分断の策動〉 | ||
〈原水禁大会の分裂と安保共闘の解体〉 | ||
313 | ||
319 | 4・17スト問題での誤り.大衆団体の民主的強化のための活動 | |
〈「新日本婦人の会」の結成など各分野の運動の発展、松川裁判での勝利〉 | ||
326 | ソ連による干渉工作と第7回中央委員会総会 | |
〈野坂・袴田、志賀・神山らの策動と五中総決議の誤り、7中総での是正〉 | ||
〈63年の原水禁大会とジューコフ論文〉 | ||
〈7中総―各個撃破政策の定式化、自主独立の立場の強調〉 | ||
333 | フルシチョフらの公然とした覇権主義的干渉とのたたかい | |
〈志賀一派をつかったソ連の公然たる党破壊活動への反撃〉 | ||
〈新日本文学会の変質と党貝文化人の反党声明〉 | ||
〈ソ連の社会党との緊密な関係、平和、国際友好運動への干渉〉 | ||
〈「国際会議」開催をめぐるソ連、中国両党への批判、フルシチョフの解任) | ||
〈「トンキン湾事件」とアメリカのベトナム侵略の本格化〉 | ||
343 | 第9回党大会と党の国際路線 | |
345 | 65年の参議院選、都議選での前進、党活動の発展 | |
〈ベトナム侵略戦争反対の統一行動〉 | ||
〈65年月の参議院選と東京都議選〉 | ||
〈65年原水禁大会、ソ連による佐藤内閣美化論の批判〉 | ||
353 | ベトナム侵略に反対する反帝国際統一戦線の結成をめざして、日中両党会議 | |
〈反帝国際統一戦線の提起〉 | ||
〈党代表団のベトナム、中国、北朝鮮訪問、毛沢束による共同コミュニケの破棄〉 | ||
〈毛沢東一派の干渉と中国盲従分子の党破壊活動〉 | ||
359 | 第10回党大会と覇権主義批判 | |
361 | 中ソ覇権主義とのたたかいの先駆的、歴史的意義 | |
〈日中友好協会本部襲撃事件、砂間代表らへの集団リンチ〉 | ||
〈論文「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」「極左日和見主義者の中傷 | ||
〈68年の日ソ両党会談〉 | ||
〈ソ連など五力国軍隊のチェコスロバキア侵略へのきびしい批判〉 | ||
〈ブレジネフの「制限主権」論の誤り〉 | ||
〈「武力南進」論を批判した1968年の朝鮮労働党との会談〉 | ||
〈国際分野での60年代の闘争の意義〉 | ||
371 | 67年の総選挙と東京都知事選での勝利 | |
〈「高度成長」政策の矛盾のふかまりと国民の要求にこたえる党の政策と活動〉 | ||
〈67年いっせい地方選挙と反共攻撃とのたたかい〉 | ||
〈都知事選での統一戦線運動の前進〉 | ||
377 | 安保・沖縄問題での先駆的たたかいと統一行動の前進 | |
〈ベトナム侵略反対のたたかいのたかまり〉 | ||
〈安保・沖縄問題と「日本共産党の安全保障政策」〉 | ||
〈69年の10・21闘争〉 | ||
383 | 基本的大衆組織の建設と大衆運動の前進をめざして | |
〈労働組合運動と6中総決定〉 | ||
〈民青同盟への指導援助の改善と9中総〉 | ||
〈大学民主化闘争と自民党のニセ「左翼」暴力集団「泳がせ」政策〉 | ||
〈公害反対運動のたかまり〉 | ||
389 | 68年参院選と沖縄三大選挙、都識選での前進 | |
〈沖縄での革新統一勢力の勝利〉 | ||
392 | 現実政治を動かす党への前進 | |
〈佐藤・ニクソン会談と核持ち込みの密約〉 | ||
〈「千島問題についての日本共産党の政策と主張」〉 | ||
〈69年総選挙での14議席への躍進〉 | ||
〈公明党・創価学会の出版妨害事件〉 | ||
〈60年代にかちとった選挙戦の成果〉 | ||
〈党建設の面での前進〉 | ||
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