沖縄人民党の歴史 第9章 革新共闘の発展と三大選挙の勝利<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
教公二法阻止のたたかい |
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1 土地接収反対闘争 |
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2 教公二法阻止闘争の勝利 |
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3 一九六七年の四・二八行動 |
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4 「核基地つき返還」論の登場 |
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2 |
第15回党大会 |
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1 新綱領草案を提起した第15回党大会 |
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2 党創立20周年を祝う |
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3 渡航の自由のためたたかいと人民党 |
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4 瀬長委員長の渡航許可かちとる |
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5 「核基地つき返還」論との対決 |
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6 佐藤訪米反対のたたかいと日米共同声明 |
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3 |
B52戦略爆撃機撤去のたたかい |
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1 佐藤首相、B52問題で古堅書記長に暴言 |
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2 全軍労の10割年休闘争と一九六八年の四・二八行動 |
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4 |
主席公選の実現と歴史の転換をかちとった三大選挙の勝 |
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1 たたかいとった主席公選 |
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2 革新共闘会議の結成と統一の前進 |
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3 「いもとはだし」論、反共攻撃とのたたかい |
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4 歴史の転換をかちとった勝利 |
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止
沖縄人民党の歴史 第8章 ベトナム侵略戦争の拡大と大衆闘争の高まり<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
「北爆」開始と第十四回党大会 |
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1 第一次佐藤・ジョンソン会談〔1965年1月14日日米共同声明〕 |
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2 第十四回党大会〔1965年1月16・17日〕 |
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3 ベトナム侵略戦争の基地化と米兵犯罪、演習被害の増大 |
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〔1965年6月18日「隆子ちゃん(読谷村・喜名小学校5年生)圧殺に対する抗議県民大会」、同校で開催。参加者約1万人〕 |
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4 労農運動の発展と統一を回復した四・二八闘争 |
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〔1965年4月28日、4・28県民大会、会場:那覇市内神原小学校、8万5000人結集〕 |
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5 立法院でのベトナム出撃基地化反対決議 |
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〔1965年7月30日、B29の渡洋爆撃で「戦争行為の即時取止めに関する要請」を全会一致で決議〕 |
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2 |
佐藤首相来冲抗議のたたかい |
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1 製糖会社合併反対の宮古農民闘争 |
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2 「売国奴・佐藤かえれ!」〔1965年8月19~21日訪問〕 |
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3 「戦場」状態とその下での大衆闘争 |
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〔第11回原水爆禁止世界大会への取り組み。沖縄県原水協から代表17人派遣。「民政府」、団長の瀬長委員長へのパスポート拒否(10回目)〕 |
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〔1965年7月30日、沖縄・小笠原返還同盟結成大会。会場:東京千駄ヶ谷・全自交会館。42都道府県・188人参加〕 |
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4 二中総・三中総と自治体選挙 |
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5 第7回立法議員選挙と「失格」宣言とのたたかい |
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〔11月14日投票〕 |
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3 |
あらたな土地接収への怒り |
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1 矢つぎばやに土地接収通告 |
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2 『人民』四頁建てに躍進 |
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3 一九六六年4・28とグェン議長のメッセージ |
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4 統一を回復したメーデー |
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4 |
裁判権移送撤回闘争と公民権奪還 |
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1 侵略の前進基地化と増大する県民の犠牲 |
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2 主席間接選挙反対闘争の発展と裁判権移送撤回、公民権回復闘争の勝利 |
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3 一九六六年いっせい市町村選挙と人民党 |
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4 欺瞞的な「分離返還」論とのたたかい |
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5 植民地的な搾取・収奪に反対して |
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止
沖縄人民党の歴史 第7章 専制支配の強化とそのもとでの共闘と分裂<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
第十三回党大会と第六回立法院議員総選挙 |
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1 第十三回党大会とあけぼの印刷所建設〔1962年9月22~23日〕 |
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2 第六回立法院議員総選挙と党の前進 |
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3 中学生れき殺米兵への無罪判決と県民の抗議 |
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〔1963年2月28日国場秀夫轢殺、米兵は5月1日の軍法会議で無罪判決〕 |
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4 那覇区教育委員に人民党から初当選 |
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2 |
アメリカの専制支配と県民の共闘 |
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1 キャラウェイ高等弁務官の専制政治 |
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2 生活と権利を守る県民共闘会議の結成と六三年春闘 |
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〔1963年3月12日、共闘会議結成〕 |
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3 一九六三年四・二八と初の海上交歓 |
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4 全沖労連分裂の策動と党のたたかい |
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5 婦人運動の新たな前進 |
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〔1963年6月9日、新日本婦人の会沖縄県本部結成〕 |
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3 |
専制政治下での諸闘争の発展と八・一五海上大会 |
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1 ケネディの美化に反対して |
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〔1963年11月22日、ケネディ米大統領暗殺される。人民党中央常任委員会論文「ケネディの死を利用した人民党攻撃の陰謀を暴露する」〕 |
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2 「キャラウェイ〔高等弁務官〕旋風」吹き荒れる |
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3 「クィック・リリース〔緊急発進〕」作戦反対デモ |
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4 八・一五海上大会 |
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4 |
戦線分裂と統一をめざすたたかい |
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1 大田主席を辞任に追いこむ |
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2 県原水協の分裂 |
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3 令冲労連脱退派で県労協を結成 |
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〔1964年9月25日、県労協:沖縄県労働組合協議会結成〕 |
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4 主席指名阻止のたたかい |
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止
沖縄人民党の歴史 第6章 軍事的植民地的支配の新段階と県民運動の前進
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
第十一回党大会と第五回立法院議員総選挙 |
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1 第十一回党大会〔1960年8月27・28日〕 |
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2 第五回立法院議員総選挙での後退 |
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3 OSIのスパイ強要事件 |
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2 |
原水爆基地化の進行と平和運動 |
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1 ホーク、メースBの配備とナイキ発射演習〔1961年1月13日、演習開始〕 |
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2 復帰協の戦闘的方針 |
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3 平和行進と県原水協 |
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〔平和行進1961年6月4日、八重山の伊原間から開始、本島内では7日間行進、参加者のべ人員およそ8万人、迎えた人びと、集会参加者あわせて12万人〕 |
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〔原水爆禁止沖縄県協議会第6回定期総会1961年8月5日那覇市・沖縄会館で開催〕 |
3 |
第十二回臨時党大会と「二つの敵」路線の確立 |
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1 日本共産党第八回大会と綱領決定 |
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2 ケイセン調査団来県への抗議行動 |
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3 第十二回臨時党大会 |
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4 糸満町長選挙で上原亀一郎当選 |
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4 |
党中央機関紙『人民』の発行 |
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1 出版の自由をかちとるたたかいと『人民』の創刊 |
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2 「二・一決議」と運動の高揚 |
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3 沖縄民青同盟と全沖農の結成 |
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4 ケネディ「新政策」の登場 |
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5 1962年統一春闘と全沖労連 |
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6 布令第145号の撤廃 |
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止
沖縄人民党の歴史 第5章 瀬長那覇市政と民主主義擁護、祖国復帰運動の発展まり
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
瀬長那覇市政の誕生と民主主義擁護のたたかい |
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1 第八回党大会〔1956年11月4日〕 |
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2 瀬長書記長、那覇市長に当選〔1956年12月25日投票〕 |
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3 市政に対する不当な干渉、妨害の激化と臨時党大会〔1957年1月13日〕 |
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4 不信任可決と那覇市議選挙 |
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5 布令による市長追放〔1957年11月23日布令公布、11月25日那覇市議会で不信任案可決〕 |
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6 瀬長市政の意義 |
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2 |
那覇市長選挙勝利と立法院議員総選挙での前進 |
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1 大統領行政命令と岸・アイク共同声明 |
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2 第9回党大会〔1957年12月8日〕 |
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3 民主主義をまもるたたかいの前進と那覇市長選挙での民連の勝利 |
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4 民連の全県的統一戦線組織への発展と第四回立法院議員総選挙 での前進 |
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5 兼次の裏切りと民連の不団結 |
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6 民連の評価―その成果と教訓 |
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3 |
労働運動の新しい発展とドル切り替え |
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1 労働運動の高揚 |
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2 沖縄県原水協の結成〔1958年8月6日〕 |
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原水爆禁止沖縄県協議会綱領
一、私たちは原水爆実験の即時停止を要求します。
一、私たちは核兵器の製造、貯蔵、使用の禁止を要求します。
一、私たちはソア等核兵器の沖縄持ちこみに絶対反対します。
一、私たちは原水爆搭載機のパトロールを即時止めることを要求します。
一、私たちは、沖縄を原水爆基地にすることにつよく反対します。
一、私たちは、沖縄をいつまでもアメリカの軍事基地にすることに反対し、祖国復帰実現のためにたたかいます。 |
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3 ドル切り替えと党のたたかい |
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4 妥協と四原則放棄の軍用地問題”解決” |
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5 日本共産党第七回大会と沖縄問題 |
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第七回大会:1958年7月23日~8月1日。大会としては10年7か月ぶりの開催。「沖縄に関する決議」を採択。 |
4 |
復帰協結成と復帰運動の発展 |
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1 第十回党大会と統一戦線方針 |
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2 「新集成刑法」阻止のだたかいと日本政府への公開質問 |
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3 宮森小学校ジェット機墜落事件と平和運動 |
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〔1959年6月30日 学童11人を含む死者17人、重軽傷者121人。パイロットはパラシュートで脱出〕 |
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4 復帰協の結成と復帰運動の新段階 |
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〔1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約発効<屈辱の日>〕 |
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〔1959年4月28日 沖縄県祖国復帰協議会結成〕 |
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5 新安保条約反対とア大統領の来沖抗議 |
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〔1960年6月19日 アイゼンハワー米大統領来沖。沖縄県祖国復帰協議会、県民大会開催。1万人余参加。〕 |
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6 主席任命の「第一党方式」登場 |
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止
沖縄人民党の歴史 第4章 弾圧の激化と”島ぐるみ”土地闘争の高まり
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
沖縄「無期限保有」方針と県民への弾圧の強化 |
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1 あいつぐ米軍首脳の長期保有声明
2 第二回立法院議員総選挙と人民党の前進、親米派の後退
3 祖国復帰運動に対する弾圧と反共攻撃の激化
4 ”メーデーはカールーマルクスの誕生日”
5 オグデンの反共声明と人民党の公開質問状
6 立法院正副議長辞任強要ー民主主義破壊の暴挙 |
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2 |
人民党弾圧事件 |
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1 原水爆基地化に反対して |
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2 「防共法」制定策動と県民の反撃 |
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3 党員、支持者の大量逮捕と投獄-弾圧の嵐 |
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4 人民党弾圧事件の政治的影響と教訓 |
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5 人民党村長の誕生と弾圧 |
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6 奪われた瀬長書記長の議席 |
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7 受刑者の決起-沖縄刑務所「暴動」事件 |
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3 |
反響を呼んだ沖縄報道と沖縄問題国際化の努力 |
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1953年1月、映画「ひめゆりの塔」(今井正監督)上映。
1954年6月、東京沖縄県学生会、沖縄現地ルポ『祖国なき沖縄』を発行。
1954年12月、平和擁護日本委員会、「沖縄問題を1955年の平和運動のカナメとして、日本国民のみでなく、平和的共存のためにたたかう世界の諸国民と共にたたかう」との沖縄の全県民におくるあいさつを発表。
自由人権協会(海野晋吉理事長)が約10ヵ月にわたっておこなった沖縄調査の結果を発表。
1954年12月30日・31日、日本共産党中央機関紙『アカハタ』が報道。
1955年1月13日、『朝日新聞』が報道
1955年4月、アジア諸国民会議(インド・ニューデリー)。東京の沖縄県人会から神山政良が日本代表団の一員として参加、会議は沖縄の日本への即時返還要求を決議。
1955年6月、ヘルシンキ世界平和大会で沖縄問題が訴えられる。 |
4 |
アメリカ軍の土地強奪のひろがり |
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1 伊江島、伊佐浜の頑強な抵抗 |
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2 武力で襲いかかったアメリカ軍 |
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5 |
いのちとくらし、権利を守って |
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1 布令第一四五号公布と弾圧にさらされる労働組合運動 |
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2 由美子ちゃん事件と党のだたかい |
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6 |
第七回党大会と第三回立法院議員総選挙 |
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1 第七回党大会 |
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2 第三回立法院議員総選挙 |
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3 瀬長書記長の出獄 |
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7 |
四原則貫徹の”島ぐるみ”土地闘争の爆発 |
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1 四原則をふみにじつだプライス勧告 |
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2 燃えあがる四原則貫徹闘争 |
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3 アメリカ軍の弾圧と戦線の分断 |
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止
沖縄人民党の歴史 第1章~第3章
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
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見出し |
第1章 沖縄人民党の創立と初期のたたかい |
01 |
沖縄人民党創立の背景 |
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1 戦前の沖縄県とたたかいの伝統
2 沖縄戦とアメリカ軍の占領
3 敗戦後の県民の状態とたたかいの始まり |
02 |
党創立と初期の綱領・方針 |
|
1 沖縄人民党創立大会
2 人民党創立の意義と創立期の党の特徴
3 たたかいを開始した党
4 当時の政党の状況 |
03 |
大衆の党をめざして |
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1 第二回党大会と食糧配給停止反対闘争
2 所得税全免要求の三党共同闘争
3 第三回党大会-強化された指導部 |
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第2章 日本復帰方針の確立 |
01 |
講和問題と群島知事選挙 |
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1 本格的な基地建設の開始
2 シーツの就任と群島知事・議員公選発表
3 第四回党大会と知事選挙
4 社会大衆党の結成 |
02 |
復帰方針の確立過程と講和をめぐるたたかい |
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1 信託統治反対、日本復帰をかかげて
2 全面講和のだたかい
3 日本復帰運動の展開
4 奄美における復帰のたたかい
5 サンフランシスコ講和と沖縄、奄美、小笠原
6 メーデー記念行事 |
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第3章 サンフランシスコ体制の始動 |
01 |
サンフランシスコ「平和」条約の発効とたたかいの新たな展開 |
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1 軍事的植民地的支配の固定化
2 第五回党大会―琉球人民党第一回代表者大会
3 第一回立法院議員総選挙と宣誓拒否
4 条約第三条の撤廃をめざすたたかいと第一回メーデー
5 ビートラーの反共声明と笠利村での選挙 |
02 |
労働法をかちとるたたかい |
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1 恒久基地の建設と労働者 |
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2 かちとられた労働法 |
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3 警察予備隊募集反対のたたかい |
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4 武力による土地強奪 |
03 |
圧政下での抵抗闘争と奄美の返還 |
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1 雑誌『平和』事件 |
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〔大山光二(人民党員・名護市議会議員)1952年12月アメリカ軍に逮捕される、理由は雑誌『平和』配布。翌53年1月22日、アメリカ「民政府」の軍事法廷、大山に重労働3年と罰金刑2万5千円。〕 |
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2 天願事件と植民地化反対闘争 |
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3 第二回メーデー〔1953年5月1日〕 |
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4 琉大事件 |
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〔琉球大学 1951年2月12日開学式。1953年4月10日、琉球大当局、学生4人を謹慎処分、5月9日退学処分。理由は原爆展を無許可で開いたこと、など〕 |
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5 全沖縄労働組合協議会の結成 |
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6 奄美の返還と第六回党大会 |
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止
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)
目次
章 |
見出し |
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刊行にあたって(瀬長亀次郎)1985年9月 |
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<前略> 人民党の闘争を抜きにして沖縄の戦後史は語れない。これは人民党を好きな人も好きでない人もひとしくみとめていることである。
人民党の歴史の教訓は第一に、日本民族の真の独立を達成しなければならないということである。独立を奪われた民族が、アメリカ帝国主義の抑圧と圧制、搾取と強奪などだえがたい苦しみを強要されたことを県民はひとしく肌で感じとっている。
第二に、安保条約=日米軍事同盟の鉄鎖をたち切って、平和、民主主義と基本的人権、人間らしいくらしをかちとること。
第三に、核基地のもとでの沖縄県民の不安と恐怖からの解放である。核兵器の全面禁止・廃絶、この人類の死活にかかわる緊急な政治の中心課題を実現するために、反核国際統一戦線の一翼をにない、県民のなかに原爆死ノー、生存を、の統一戦線をきずきあげること。
あの「ひめゆりの塔」の碑には、「いはまくらかたくもあらん やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは」と、また広島の原爆碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。
このことを思うとき、日本の平和の原点はまさに沖縄と広島、長崎である。この原点をふまえ沖縄戦終結、広島、長崎原爆投下四十年のこの年を核兵器廃絶への転換の年にしなければならない。
「沖縄を日本とアジアの侵略の拠点から平和のとりでにする」という初心にたち、強大な県党組織をつくりあげる決意をあらためてのべ、むすびにするものである。(一九八五年九月)。 |
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01 |
沖縄人民党の創立と初期のたたかい |
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02 |
日本復帰方針の確立 |
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03 |
サンフランシスコ体制の始動 |
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04 |
弾圧の激化と”島ぐるみ”土地闘争の高まり |
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05 |
瀬長那覇市政と民主主義擁護、祖国復帰運動の発展 |
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06 |
軍事的植民地的支配の新段階と県民運動の前進 |
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07 |
専制支配の強化とそのもとでの共闘と分裂 |
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08 |
ベトナム侵略戦争の拡大と大衆闘争の高まり |
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09 |
革新共闘の発展と三大選挙の勝利 |
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10 |
日米共同声明路線反対闘争の発展と国政参加選挙の勝利 |
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11 |
核も基地もない沖縄をめざして |
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12 |
科学的社会主義の党に向かって |
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年表 |
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止
書誌:書誌:オキナワの心と行動<作業中>
発行年月日 |
書誌名 |
著者・発行所 |
備考 |
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1949 |
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1115 |
沖縄の最後 |
古川成美、中央社 |
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10版、初版は19471105 |
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1953 |
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0605 |
沖縄健児隊 |
大田昌秀・外間守善(編)、日本出版共同 |
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1963 |
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0428 |
沖縄―その解放は日本の独立を完成する |
沖縄解放祖国復帰促進懇談会編・刀江書院 |
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1964 |
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0810 |
沖縄県祖国復帰運動史―民族分断18年にわたる悲劇の記録 |
沖縄県祖国復帰協議会・原水爆禁止沖縄県協議会(共編)・沖縄時事出版社 |
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1968 |
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0720 |
基地沖縄―沖縄からの総合報告 |
琉球新報社編、サイマル出版会 |
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09 |
われらの沖縄―祖国復帰をまつ人々とそのくらし |
沖縄教職員会編・沖縄時事出版社 |
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1969 |
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0125 |
醜い日本人 日本の沖縄意識 |
大田昌秀、サイマル出版会 |
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0625 |
資料 沖縄問題 |
岡倉古志郎・牧瀬恒三編、労働旬報社 |
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0720 |
シナリオ沖縄(仮題) |
劇映画「沖縄」推進委員会、労働旬報社 |
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1215 |
ドキュメント沖縄闘争 |
新崎盛暉編・亜紀書房 |
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1970 |
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0210 |
沖縄以後の日米関係―70年代のアジアと日本の役割 |
ジェラルド・L・カーチス、神谷不二(編著)、サイマル出版会 |
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0215 |
安保・沖縄報道―たたかう新聞記者たち |
日本新聞労働組合新聞研究部・労働旬報社 |
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1971 |
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0520 |
沖縄の証言 激動の25年誌(上) |
沖縄タイムス社 |
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0628 |
沖縄 陸・海・空の血戦 |
ビーニス・M・フランク、サンケイ新聞社出版局 |
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1972 |
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0830 |
近代沖縄の政治構造 |
大田昌秀、勁草書房 |
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1130 |
沖縄米軍基地 調査報告 |
日本共産党国会議員団、新日本出版社 |
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1973 |
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0625 |
沖縄の証言 激動の25年誌(下) |
沖縄タイムス社 |
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1220 |
沖縄のあしおと 1968-72年 |
福木、岩波書店 |
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1980 |
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0620 |
歴史の証言 米占領下における沖縄の歩み |
大田政作、力富書房 |
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0715 |
鉄の暴風 沖縄戦記 |
沖縄タイムス社編 |
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第9版1刷、初版19500815 |
07 |
「ひめゆりの乙女たち」展図録 |
朝日新聞東京本社企画部 |
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あれから35年―鉄の暴風・沖縄戦の全容 「ひめゆりの乙女たち」展 |
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1982 |
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0620 |
沖縄の戦記 |
仲程昌徳、朝日新聞社 |
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1983 |
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0131 |
戦争賛美に異議あり!―沖縄における慰霊塔碑文調査報告 |
靖国神社国営化反対沖縄キリスト者連絡会 |
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0505 |
沖縄・84日の戦い |
榊原昭二、新潮社 |
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1225 |
平和への証言 沖縄県立平和祈念資料館ガイドブック |
沖縄県生活福祉課部援護課 |
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1984 |
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1115 |
証言・沖縄戦 戦場の光景 |
石原昌家、青木書店 |
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1985 |
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0620 |
沖縄戦―沖縄を学ぶ100冊 |
刊行委員会、勁草書房 |
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10 |
沖縄の戦跡と軍事基地 |
あけぼの出版社 |
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1115 |
沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973 |
沖縄人民党史編集刊行委員会 |
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1986 |
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1105 |
沖縄・女たちの戦後 焼土からの出発 |
宮里悦編、沖縄婦人運動研究会 |
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1990 |
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0111 |
イナグヤ ナナバチ―沖縄女性史を探る |
堀場清子 ドメス出版 |
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1994 |
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0801 |
沖縄の米軍と基地 核兵器の廃絶をめざして |
吉沢弘明 あけぼの出版 |
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1996 |
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0331 |
燃える沖縄 揺らぐ安保 ゆずれるものと譲れないもの |
知花昌一、 社会批評社 |
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1999 |
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0503 |
響け われらの声--沖縄、アイヌ、在日から |
朝日新聞労働組合「5・3集会」事務局、朝日新聞労働組合本部新聞研究委員会 |
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朝日新聞労働組合新研かわら版通算173号、朝日新聞労働組合「5・3集会」特集 |
0801 |
響け われらの声--沖縄、アイヌ、在日から |
国末憲人・青木政夫(編)、国末憲人(発行) |
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朝日新聞労働組合新研かわら版通算174号、「第12回言論の自由を考える5・3集会」報告集 |
1215 |
歴史と実践 第20号 |
沖縄県歴史教育者協議会編 |
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平和祈念資料館問題特集 歴史の真実は歪めてはならない |
2000 |
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1124 |
歴史と実践 第21号 |
沖縄県歴史教育者協議会編 |
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2004 |
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0331 |
読谷村の戦跡めぐり |
沖縄県読谷村 |
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2012 |
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0529 |
星条旗と日の丸の狭間で 証言記録 沖縄県冠と核密約 |
具志堅勝也、芙蓉書房出版 |
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止
識名園(しきなえん) 2006年9月14日調査
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。