『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
『日本共産党の70年』目次(第12章 1990年代初頭の運動―体制選択論に抗し、党の歴史と路線を掲げて)
頁 |
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364 |
90年代幕開けの総選挙と日本共産党 |
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〈東欧の激変を利用した体制選択論攻撃、総選挙の結果〉 |
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〈特別国会の開幕、第二次海部内閣の発足と日米首脳会談〉 |
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367 |
総選挙の総括と八中総、社会主義をみる三つの見地の必要性 |
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〈バルト3国問題と「新しい思考」路線の破たんの急速な進行、『平社』誌の廃刊〉 |
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〈ルーマニア問題への疑問と中傷にたいして〉 |
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371 |
海部内閣の反動攻勢と党と国民のたたかい |
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〈消費税をめぐる攻防と「消費税をなくす全国の会」の発足〉 |
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〈コメ輸入「自由化」、小選挙区制・政党法の導入策動に反対して〉 |
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〈盧泰愚大統領訪日、国際メーデー百周年、京都府知事選挙など〉 |
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〈第19回党大会の成功をめざす「月間」,創造的理論的活動と反共攻撃への反撃〉 |
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〈ソ連の混迷とソ連共産党第28回大会、アメリカのあたらしい世界戦略〉 |
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317 |
科学的社会主義の生命力しめした第19回党大会 |
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〈大会後の「週刊朝日」問題、宮本論文「歴史にそむく潮流に未来はない」〉 |
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〈「大会記念特別月間」の継続と日和見主義とのたたかい〉 |
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383 |
イラクのクウェート侵略と日本の貢献策をめぐるたたかい |
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〈「平和協力法」をめぐる論戦〉 |
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〈愛知県参議院補欠選挙での健闘、「平和協力法」案の廃案、沖縄県知事選での勝利〉 |
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386 |
2中総.領土交渉への提言、カンボジア問題、国連の武力行使容認決議と党の対応 |
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〈地方議会全国集会―前衛党らしい党づくりの先頭に〉 |
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〈カンボジア、ベトナム両党との会談、パリ協定〉 |
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〈金丸.田辺の北朝鮮訪問、「日ソ領土交渉にあたっての提言」〉 |
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〈国連安保理の武力行使容認決議678号と戦費支出反対のたたかい〉 |
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〈ドイツの統一と全欧安保協力会議〉 |
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391 |
ソ連問題の攻勢的解明、湾岸問題の平和的解決のためのたたかい |
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〈バルト三国へのソ連の軍事介入、新春大演説会〉 |
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〈湾岸問題-フランス和平提案と党の対応〉 |
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〈湾岸戦争勃発と自衛隊機派遣策動反対のたたかい〉 |
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394 |
湾岸戦争の終結とアメリカへの戦費追加支出問題 |
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〈湾岸戦争早期解決をもとめる運動の高揚と党の積極的対応〉 |
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〈湾岸戦争の教訓〉 |
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〈自公民連合、多国籍軍への90億ドル支出を強行〉 |
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397 |
いっせい地方選挙、ゴルバチョフソ連大統領の来日をめぐって |
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〈いっせい地方選挙前半戦のとりくみとその結果〉 |
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〈いっせい地方選挙後半戦のとりくみと評価〉 |
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〈ゴルバチョフソ連大統領の来日と覇権主義への無反省〉 |
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401 |
掃海艇中東派遣の強行、第120国会と翼賛型政治の進行 |
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〈鈴木都政の与党に変身した社会党〉 |
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403 |
3中総、小選挙区制などをめぐる情勢の緊迫と「党を学び、語る」運動の前進 |
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〈憲法の平和原則の先駆性を強調〉 |
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〈反共反撃を戦略的課題として強調した三中総〉 |
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〈小選挙区制など反動政策の策動とのたたかい、「政界再編」論にたいして〉 |
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〈全国革新懇結成十周年、全労連第五回大会〉 |
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〈ロンドン・サミットとソ連の経済的屈服〉 |
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408 |
ソ連共産党の解体を歓迎した常幹声明 |
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〈巨悪の党の解体を歓迎した常幹声明と反共反撃〉 |
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〈バルト三国の独立、ANC大会と日本の民主運動への干渉〉 |
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412 |
小選拳区制など「政治改革」三法案の廃案と海部内閣の退陣 |
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〈証券不正事件と「バブル経済」の国際的国内的背景〉 |
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〈雲仙・普賢岳災害問題、PKO法案継統審議へ〉 |
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415 |
第二回全国協議会-社会発展の客観的条件は成熟、党の前進で主体的条件の形成を |
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〈「比例を軸に」した活動の具体化〉 |
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418 |
宮沢政権の成立、自衛隊海外派兵法反対のたたかい |
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〈宮沢政権と三つの危険性〉 |
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〈自・公両党によるPKO法案の強行「採決」〉 |
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〈日蓮正宗総本山の創価学会破門、田辺執行部と竹下派との連合路線〉 |
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421 |
科学的社会主義の世界的な運動の発展のために |
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〈フィリピンの米軍基地撤去〉 |
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〈科学的社会主義から逸脱したゆがんだ体制-ソ連邦の崩壊〉 |
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〈ソ連共産党の外国党への資金援助の発覚〉 |
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424 |
参議院選挙躍進をめざす政策と活動、「赤旗」の紙面改革と「大運動」 |
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〈アメリカの一国覇権主義と日米首脳会談〉 |
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〈「参議院選挙の基本政策」と「政治・組織方針」、画期的な「赤旗」紙面改革〉 |
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426 |
金権腐敗政治の一掃と自民党政治の古い枠組みの打破をめざして |
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〈リクルート、「共和」、佐川急便など一連の疑惑の追及〉 |
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〈参院奈良補選の結果と体制選択論への反撃、社会主義のもとでの国有化問題の解明〉 |
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〈参院沖縄選挙区での革新共闘問題〉 |
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〈小沢調査会の「提言」(素案)と米国防総省「国防計画指針」〉 |
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431 |
参院選躍進のため体制選択論打破を重視した六中総 |
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〈「納税者憲章」、労働基準法改正、コメ輸入「自由化」問題などでの政策発表〉 |
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〈体制選択論論破の「四つの観点」、『紹介 日本共産党』の刊行〉 |
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〈党地方議員全国集会、沖縄県議選の失敗と体制選択論への反撃の重要性〉 |
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434 |
自衛隊海外派兵法の強行と党のたたかい |
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〈PKO法案「修正」など自民党の策動〉 |
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〈自公民による「再修正」案の提出と強行採決〉 |
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〈再開された政治改革協議会での自民党の策略と社公民の妥協〉 |
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〈農水省の[新政策]への批判〉 |
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439 |
スターリンの大量弾圧の犠牲となった同志への哀悼、一連の国際問題と党の対応 |
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〈旧ユーゴスラビアの民族紛争〉 |
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〈地球サミットと日本共産党の見解.ミュンヘン・サミット〉 |
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〈山本、杉本.国崎への哀悼、社会党へのソ連の「財政援助」の発覚〉 |
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441 |
党創立七十周年の年―躍進の土台をきずいた参院選 |
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〈党創立七十周年を記念して〉 |
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止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
『日本共産党の70年』目次(第11章 80年代後半の運動l反核国際統一戦線と非核の政府をめざして)
頁 |
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234 |
第二次大戦終戦40周年の歴史的教訓に立って-第17回党大会 |
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〈覇権主義の克服を綱領上の課題に〉 |
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〈国家機密法を廃案に〉 |
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242 |
86年1月のゴルバチョフ提案、フィリピン人民の闘争 |
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〈マルコス独裁政権の崩壊〉 |
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244 |
天皇・天皇制美化との闘争、「前川リポート」と東京サミット |
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〈「非核の政府を求める会」の結成〉 |
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246 |
国政選挙の得票目標と闘争方針のあたらしい発展―綱領的見地に立って |
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〈多数者革命めざす選挙闘争方針―第17回党大会2中総〉 |
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〈地域セクト主義の克服を提起した3中総〉 |
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248 |
謀略的衆参同時選挙をめぐる闘争 |
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〈安全保障会議設置法と定数是正問題〉 |
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〈中曽根による反共デマ攻撃、「死んだふり」解散と86年衆参同時選挙〉 |
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252 |
自民党300議席での「反動的プログラム」具体化とその矛盾 |
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〈衆参同時選挙の総括―4中総〉 |
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〈新自由クラブの解党、中曽根の「86年体制」論〉 |
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〈300議席のおごりと自民党政治への内外世論の反発〉 |
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256 |
日ソ両党定期協議、「機関紙拡大月間」と党風改善の「必携文書」 |
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〈不破・ゴルバチョフ会談〉 |
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〈「月間」のさなかの5中総―「いっせい地方選挙と中間地方選挙への
方針」〉 |
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258 |
国鉄分割・民営化反対闘争 |
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〈国鉄分割・民営化がもたらしたもの〉 |
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〈軍事賢1%枠突破と老人保健法の改悪〉 |
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261 |
「地方選挙躍進・党生活活性化・機関紙拡大の大運動」のとりくみ |
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〈緒方国際部長宅の電話盗聴事件の発覚〉 |
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262 |
核軍縮をめぐる米ソ交渉、ニカラグアのたたかい、日中両党関係 |
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〈レイキャビク会談の決裂〉 |
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〈レーガンのニカラグア干渉への批判のたかまり) |
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〈「日中両党関係の協議の経過について」の発表〉 |
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〈北朝鮮による覇権主義的干渉の新段階〉 |
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〈フィリピン国防省のでっち上げにたいして〉 |
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〈ソ連の「ペレストロイカ」のはじまり、チェルノブイリ原発事故〉 |
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269 |
社会主義と平和共存の問題をめぐって |
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〈ソ連、中国の対日外交について〉 |
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〈東独政権による中曽根美化論にたいして〉 |
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〈宮本・チャウシェスク共同宣言〉 |
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272 |
売上税をめぐる歴史的対決、「日本列島」騒然のもとでのいっせい地方選挙 |
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〈円高不況―国民本位の経済再建をもとめて〉 |
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〈公約違反の売上税導入の策動、あらたな減反政策のはじまり〉 |
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〈歴史的対決のなかでの6中総〉 |
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〈87年いっせい地方選挙前半戦と党の前進〉 |
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〈売上税導入の火種をのこした議長「あっせん」案、いっせい地方選挙後半戦〉 |
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〈自杜公民の密室協議と[税制協に設置〉 |
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281 |
「党創立65周年記念・機関紙拡大月間」の提起、選挙方針の発展 |
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〈7中総―選挙の情勢判断は4つの基準で〉 |
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〈権力犯罪としての緒方宅盗聴事件の追求〉 |
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283 |
党創立65周年、反核運動の高揚をめざして |
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〈87年反核国際シンポジウム〉 |
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〈世評軍縮委員会と「平和の波」運動の提起〉 |
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286 |
マル優廃止の強行、「党勢(党員・機関紙)拡大全党運動」 |
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〈「税制協」と自社公民の背信行為〉 |
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〈緒方宅盗聴事件i民事訴訟の開始、国連への提訴〉 |
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〈「党勢(党員・機関紙)拡大全党運動」の提起と8中総、9中総〉 |
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〈竹下内閣の発足と「連合」の結成〉 |
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291 |
東独、ソ連、北朝鮮の覇権主義にたいして |
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〈中曽根内閣美化問題をめぐるドイツ社会主義統一党との会談〉 |
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〈ソ連第一主義からの日本社会党美化論批判〉 |
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〈革命70周年記念集会でのゴルバチョフ演説と立木回答〉 |
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295 |
世界と日本の進歩、発展の道しめした第18回党大会 |
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300 |
INF条約、大韓航空機爆破事件 |
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〈不破副議長のインド、デンマーク訪問〉 |
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〈大韓航空機爆破事件と北朝鮮の日本共産党攻撃〉 |
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302 |
竹下内閣の新大型間接税導入策動とのたたかい |
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〈浜田幸一予算委貝長の反共暴言〉 |
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〈参院大阪補選、三宅村議選での勝利〉 |
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〈大型間接税をめぐる国会内外のたたかい〉 |
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〈宮本宅電話盗聴事件―東京高裁判決と創価学会の犯行確定〉 |
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307 |
日本社会党美化をめぐる日ソ両党の論争 |
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〈日ソ両共産党の定期協議、コワレンコ著「日本共産党(概史)」による歴史の歪曲〉 |
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〈ソ連軍のアフガニスタン撤退と日本共産党の先駆性〉 |
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〈ソ連共産党への返書(一九八八年七月十三日付書簡)、立木回答の掲載拒否〉 |
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312 |
「世界の共産主義運動の基本問題と党の立場」(2中総) |
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〈「脱皮のための激動期」について〉 |
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314 |
消費税導入のための臨時国会、天皇美化と主権在民の原則への挑戦 |
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〈リクルート疑惑の発覚、「なだしお」衝突事故〉 |
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〈自社公民4党による消費税法案の受け皿づくり〉 |
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〈INF条約後の原水爆禁止八八年世界大会〉 |
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〈天皇問題、本部盗み撮りなど民主主義をめぐる逆流に抗して〉 |
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318 |
「新しい思考」へのひきつづく批判、一連の国際問題にたいして |
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〈盧泰愚政権の発足と朝鮮問題についての見解〉 |
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〈「新しい思考」への日本共産党の一連の批判〉 |
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322 |
「新しい思考」への先駆的批判と3中総 |
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<二中総以後の機関紙拡大などのとりくみ、「新しい思考」をレーニン死後最大の誤りと先駆的に批判〉 |
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〈リクルート疑獄の反共野党への波及、宮沢蔵相の辞任、消費税法案強行〉 |
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326 |
天皇死去と主権在民の原則をまもるたたかい |
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329 |
四中総、リクルート疑惑の追及、竹下内閣の退陣 |
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〈参院選の躍進をめざして〉 |
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〈「大量宣伝特別期間」のとりくみ、原発問題住民運動全国セッターの発足〉 |
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〈リクルート疑獄、公安調査庁のスパイ活動を追及〉 |
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〈千葉県知事選、名古屋市長選などでの奮闘と羽曳野市長選での敗北〉 |
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〈社公民連四党の反共連合政権構想、メーデー変質策動にたいして〉 |
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〈竹下首相の退陣と予算強行採決、宇野内閣の誕生〉 |
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〈イタリア共産党の「新思考」同調と社民化への批判など一連の国際活動〉 |
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328 |
天安門事件と五中総、「逆風」のなかでの東京都議選、参院選 |
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〈ゴルバチョフ訪中と中ソ関係正常化〉 |
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〈天安門事件―中国の政権党・政府の暴挙にたいして〉 |
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〈社会主義のもつべき4基準〉 |
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〈東京都議選での自民党の惨敗と党の後退〉 |
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〈天安門事件の反共攻撃のなかでの89年参院選―三つの緊急課題での共同をめざして〉 |
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346 |
6中総―参院選総括、総選挙に向けての活動 |
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〈海部内閣の誕生、「グローバルーパートナーシップ」の対米公約〉
〈党建設の二大欠陥克服、総選挙準備へのとりくみ〉
〈バルト三国、東欧の激動のはじまり、国際問題の全党的学習の強化〉 |
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351 |
国民的協同をめざして、全労連の結成 |
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〈京都市長選での健闘、ファッショ的な公明党の「石田見解」〉 |
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〈消費税の廃止と「見直し」をめぐる攻防i第百十六臨時国会〉 |
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〈小選挙区制導入の策謀、コメ「自由化」に反対して〉 |
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〈全労連の結成、全国女性議貝集会、青年学生分野の「広大な空白」克服のとりくみ〉 |
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356 |
東欧の激動にたいして |
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〈「ベルリンの壁」の崩壊とチェコスロバキア侵略の誤りの国際的確認〉 |
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〈総選挙にむけた七中総、消費税廃止法案をめぐる攻防〉 |
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〈ルーマニア問題の進展に応じた機敏な対応〉 |
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〈米ソ・マルタ会談と不破論文「「新しい思考」路線はどこまできたか」〉 |
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止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第10章 1980年代前半の運動・社会党の右転落のもと、国政革新をめざして)
頁 |
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106 |
ソ連軍のアフガニスタン侵略 |
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〈カーター戦略と大平内閣の「西側の一員」論〉 |
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108 |
「社公合意」と社会党の右転落 |
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110 |
真の革新の柱―日本共産党の立場と第15回党大会 |
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114 |
「戦後第二の反動攻勢の時期」の提起、衆参同時選挙での後退 |
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〈「社公合意」をめぐる共杜論争〉 |
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〈戦後はじめての80年衆参同時選挙〉 |
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〈衆参同時選挙の総括〉 |
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119 |
鈴木内閣の発足と「臨調」行革など反動攻勢に抗する党と国民の運動 |
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〈「臨調」設置法の成立、10・21、 11・16闘争のたかまり〉 |
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〈伊藤律の帰国を利用した反共キャンペーンとのたたかい〉 |
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〈ポーランドでの「政労合意」、光州事件、イラン・イラク戦争〉 |
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125 |
機関紙革命のはじまり、覇権主義的誤りとたたかう党の一連の国際活動 |
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〈アフガニスタン問題と日ソ両党会談、ポーランド干渉への警告〉 |
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127 |
レーガン政権の発足、「保守化時代」論への反撃 |
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〈「臨調」発足と国民不在の「行政改革」〉 |
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131 |
機関紙活動の新五原則、鈴木・レーガン会談と核もちこみに反対するたたかい、革新懇運動の前進 |
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〈81年の日米首脳会談と安保の攻守同盟化〉 |
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〈全国革新懇の結成へ〉 |
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〈PLO東京事務所長への反論など一連の国際活動〉 |
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135 |
平和綱領、ポーランド問題をめぐるソ連共産党との論争 |
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〈論文「真の平和綱領のために」〉 |
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〈ポーランド問題でのソ連共産党とポーランド統一労働者党への電報〉 |
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139 |
81年東京都議選での党の前進と七中総 |
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〈第7回中央委貝会総会と陣地構築論の発展〉 |
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〈機関紙活動の「三つの組織的保障」〉 |
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142 |
レーガンの限定核戦争構想と内外の反核運動の高揚 |
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145 |
「行革」国会をめぐるたたかい |
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〈いっそう明確になった「社公合意」の有害性〉 |
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149 |
『平社』誌廃刊の提起、ポーランドの軍事クーデター |
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〈ポーランド戒厳令を糾弾した西沢談話とインタビュー〉 |
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152 |
限定核戦争構想下の日本の軍拡と軍事費削減闘争 |
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〈大軍拡予算と軍事費1兆円削減要求〉 |
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154 |
8中総―党建設、各分野の大衆闘争方針、ポーランド問題など |
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〈『平杜』誌をめぐる国際論争〉 |
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〈ソ連の「資金援助」を暴露したレフチェンコ証言〉 |
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157 |
反核平和運動の前進 |
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〈京都府知事選と横浜市長選〉 |
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〈反核平和運動に背をむけた国連軍縮総会〉 |
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160 |
臨調路線と国民生活との矛盾の激化、鈴木内閣のロッキードかくし |
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〈第16回党大会をめざす躍進大運動の推進) |
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163 |
第16回党大会―歴史に学びあらたな前進へ |
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167 |
鈴木首相の政権なげだしと中曽根内閣の登場 |
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〈中曽根首相の「戦後政治の総決算」、「日米運命共同体」論に抗して〉 |
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〈論文「パレスチナ問題の根源と解決への道」〉 |
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172 |
83年いっせい地方選挙と開拓者精神の発揮 |
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〈道府県議選での画期的な全区立候補〉 |
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〈反共風土と反共反撃のあたらしい位置づけ〉 |
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〈干渉主義への風化現象を批判〉 |
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〈多喜二没後50周年.マルクス没後100周年〉 |
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176 |
83年参院選挙―比例代表区での「抜群の躍進」 |
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〈地域セクト主義の克服を重視した5中総〉 |
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179 |
反核平和運動の国際的なひろがり、大韓航空機撃墜事件などあいつぐ国際的諸事件 |
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|
〈83年原水禁世界大会と核凍結論〉 |
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〈第7回非同盟諸国首脳会議〉 |
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〈大韓航空機撃墜事件、ラングーン事件、アメリカのグレナダ侵略〉 |
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〈レーガン、コール、胡耀邦のあいつぐ来日と党の態度〉 |
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183 |
83年総選挙と国政選挙での「一進一退」打開の提起 |
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〈ロッキード事件・田中有罪判決〉 |
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〈自民党の敗北と新自クとの「連立」〉 |
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〈国政選挙での10年間の「一進一退」の打開をよびかけた7中総〉 |
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188 |
核戦争阻止・核兵器廃絶をもとめて―米ソ両首脳への宮本議長の書簡 |
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〈トマホーク配備、健康保険法改悪法案、政党法案反対の世論のたかまり〉 |
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〈ソ連のスペイン共産党への干渉、中国の覇権主義と中曽根訪中〉 |
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191 |
第一回全国協議会 |
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193 |
中曽根内閣の悪法ごり押しと大衆運動のたかまり |
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〈統一労組懇運動の前進、農民運動全国懇の結成など大衆運動の発展〉 |
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〈7・29中央大集会の成功〉 |
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195 |
84年原水禁世界大会と「東京宣言」 |
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〈原水禁運動をめぐる「朝日」の反共キャンペーンへの反撃〉 |
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〈全斗煥の来日〉 |
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199 |
「非核の政府」の提唱 |
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〈核軍拡競争をめぐる9中総の解明と第二次党躍進大運動〉 |
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〈那覇、逗子、三宅島首長選挙の勝利、社公民の自民党との連合志向〉 |
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201 |
「併党」論批判、覇権主義、干渉主義とのひきつづくたたかい |
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〈北朝鮮の日本漁船銃撃事件と党攻撃の拡大〉 |
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〈『平社』誌各党代表者会議で廃刊をかさねて要求〉 |
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〈党代表団のベトナム、カンボジア、中南米訪問、アフリカの飢餓への見解〉 |
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205 |
核戦争阻止、核兵器廃絶での日ソ両党共同声明 |
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〈三回にわたった日ソ両党予備会談での論争〉 |
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〈日ソ両党共同声明の主な内容とその歴史的意義〉 |
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〈日ソ両党共同声明発表後の事態の展開〉 |
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209 |
核兵器廃絶をめぐる国会論戦と逆流とのたたかい |
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〈「非核の政府」の綱領的位置づけ〉 |
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〈「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動の発足〉 |
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〈ソ連外交追従の誤りをくりかえす世評指導部〉 |
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213 |
決定読了の重視と10中総 |
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〈9中総決定読了運動と支部生活の確立〉 |
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〈「戦前日本共産党幹部著作集」の刊行〉 |
|
|
〈宮本議長宅盗聴事件での創価学会断罪の判決〉 |
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|
〈論文「日中両党関係修復の障害は何か」〉 |
|
|
〈第二次大戦40周年の党の立場〉 |
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216 |
全国革新懇の質的、組織的前進、国民春闘再構築など大衆運動の前進と国家機密法反対のたたかい |
|
|
〈中曽根首相の国際公約とアメリカの市場開放要求への屈服〉 |
|
|
〈国家機密法など一連の反動法案とのたたかい〉 |
|
219 |
東京都議選での前進と反核国際シンポジウム |
|
|
〈都議選での攻勢的な政策宣伝戦と陣地拡大〉 |
|
|
〈釧路市議選失敗の教訓〉 |
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|
〈米ソ軍縮交渉と党主催の反核国際シンポ〉 |
|
223 |
85年原水禁大会の成功、対外盲従集団などとのたたかい |
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|
〈大隈一派への批判、全民労協の「中間報告」と統一労組懇の奮闘〉 |
|
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〈靖国神社公式参拝の強行、日航機墜落事故〉 |
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226 |
第17回党大会をめざす活動、中曽根内閣の「総決算」路線と対決してのたたかい |
|
|
〈第11回中央委貝会総会(第16回党大会)〉 |
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|
〈軍拡、国鉄分割・民営化など、中曽根内閣の反動政策とのたたかい〉 |
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227 |
米ソ核軍縮交渉、レーガン政権のニカラグア干渉との闘争 |
|
|
〈ニュージーランドの反核法など世界の反核平和運動の前進〉 |
|
|
〈核軍縮交渉をめぐる情勢の推移と党の見解〉 |
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〈“バブル”経済の一つの要因となったプラザ合意〉 |
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|
85年9月の日中両国共産党会談 |
|
止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第9章 1970年代後半の党のたたかい―逆流に抗して)
頁 |
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026 |
ベトナム人民の歴史的勝利、三木内閣の自民党支配の立て直し策 |
|
|
〈ベトナム人民の勝利―アメリカの覇権主義とたたかいつづけた日本共産党の歴史的役割〉 |
|
|
〈三木内閣成立をめぐる内外情勢と野党分断政策〉 |
|
|
〈選挙法改悪での”自社共闘”、公明、民社の右傾化〉 |
|
029 |
「解同」朝田派の暴挙と七五年いっせい地方選挙 |
|
|
〈八鹿高校事件―「解同」の蛮行を糾弾して〉 |
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|
〈「解同」の無法を打破した東京都知事選〉 |
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|
〈75年のいっせい地方選挙―自治体労働者論、「解同」とのたたかい〉 |
|
|
〈6中総―内外情勢と党の任務、いっせい地方選挙の総括など〉 |
|
034 |
70年代後半の国際情勢 |
|
|
〈各国人民の闘争、非同盟運動の前進〉 |
|
|
〈ランブイエーサミットの開催〉 |
|
037 |
「救国・革新の国民的合意」のよびかけ |
|
|
〈共・創協定とその死文化〉 |
|
|
〈「国民的合意」のよびかけにもとづく各界各層との対話・懇談〉 |
|
|
〈官公労働者のスト権問題をめぐって〉 |
|
|
〈理論政策会議の開催、「総選挙での前進をめざす機関紙読者拡大月間」〉 |
|
042 |
『文春』立花論文、春日違憲質問への反共反撃 |
|
044 |
ロッキード疑獄の発覚と党の奮闘 |
|
047 |
第13回臨時党大会と「自由と民主主義の宣言」 |
|
|
〈「自由と民主主義の宣言」の先駆的意義〉 |
|
052 |
反動攻勢下の総選挙での後退とあらたな前進めざす活動 |
|
|
〈鬼頭事件―反共攻撃の謀略性〉 |
|
|
〈ロッキード疑獄など国民の怒りと反共大合唱のなかの総選挙〉 |
|
|
〈76年総選挙を総括した13中総(第12回党大会)〉 |
|
|
〈「職場に自由と民主主義を」の訴えとたたかい〉 |
|
057 |
77年参院選での後退と教訓 |
|
|
〈カーター政権と福田内閣の発足にたいして〉 |
|
|
〈200カイリ時代の日ソ漁業交渉、歯舞、色丹のすみやかな返還の提唱〉 |
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|
〈「日本経済への提言」の発表〉 |
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|
〈77年参院選挙とその結果〉 |
|
063 |
第14回党大会と「社会主義生成期」論 |
|
067 |
77年参院選後の政局と党の原則的なたたかい |
|
|
〈党の後退となれあい国会、国債増発〉
〈77年原水禁統一世界大会と分裂策動の継続〉
〈社会党の内部抗争の激化、民社、公明両党の右傾化〉 |
|
071 |
「教育月間」、袴田の転落と反共毒素一掃クリーンパンフの活用 |
|
073 |
78年京都府知事選挙と革新つぷし戦略とのたたかい |
|
|
〈国際勝共連合などの策動とのたたかい〉 |
|
|
〈「革新統一戦線についての懇談会」開催〉 |
|
|
〈宮本委員長のユーゴ、ルーマニア訪問〉 |
|
077 |
「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)と事実上の安保改悪 |
|
|
〈有事立法反対闘争、日中平和条約をめぐって〉 |
|
|
〈「ガイドライン」の閣議決定と大平内閣の成立〉 |
|
|
〈円高不況下の国民生活をまもる活動〉 |
|
|
〈全国婦人活動者会議と「女性のひろば」の創刊〉 |
|
083 |
中国のベトナム侵略に抗して |
|
|
〈ポル・ポト政権の崩壊とカンボジア人民共和国の成立〉 |
|
|
〈社会主義の大義にそむく中国のベトナム侵略〉 |
|
|
〈イラン王政の崩壊、第6回非同盟諸国首脳会議〉 |
|
087 |
79年の全国いっせい地方選挙―いつでも、どこでも革新の党 |
|
|
〈宮本委員長の「資格争訟」をめぐる反共攻撃〉 |
|
|
〈日ソ両党予備会談、国際理論シンポジウム〉 |
|
093 |
79年総選挙での躍進と「一般消費税」の導入阻止の闘争 |
|
|
〈必勝区への力の集中〉 |
|
|
〈79年総選挙での党躍進の意義〉 |
|
|
〈公民合意と社公政権協議) |
|
101 |
ソ連に干渉の誤りをみとめさせた79年の日ソ両党会談 |
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|
〈千島政策の発展〉 |
|
|
〈「発達した社会主義」論の拒否〉 |
|
|
|
|
止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第8章 1970年代前半―革新の高揚と党の躍進)
頁 |
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399 |
1970年代の展望をしめした第11回党大会 |
|
|
〈京都府知事選挙の勝利と70年安保闘争〉 |
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|
〈発達した資本主義国での革命のあたらしい可能性の探究〉 |
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|
〈宮本委貝長宅電話盗聴の発覚〉 |
|
408 |
革新統一戦線めざす党の活動 |
|
|
〈革新三目標の提起〉 |
|
|
〈社公民(”江公民”路線による革新分断の策動〉 |
|
412 |
二つの全国的選挙戦(71年全国いっせい地方選挙と参議院選挙)での前進 |
|
|
〈71年いっせい地方選挙と大阪など革新自治体の発展〉 |
|
|
〈参院選と連合政権・統一戦線論議〉 |
|
|
〈「プロレタリアートのディクタツーラ」の訳語問題〉 |
|
|
〈ソ連による干渉の継続、ベトナムなど五力国共産党・労働者党との会談〉 |
|
|
〈ニセ「左翼」暴力集団激励など毛沢東一派の干渉〉 |
|
420 |
日米沖縄協定によるサンフランシスコ体制の再編 |
|
423 |
ニクソン訪中、訪ソとアメリカ帝国主義美化論批判 |
|
|
〈金日成個人崇拝と「南北共同声明」支持の押しつけ〉 |
|
425 |
党創立五十周年と総選挙での躍進 |
|
|
〈党創立の三つの原点〉 |
|
|
〈「日本列島改造」論と日中国交回復〉 |
|
|
〈72年総選挙と日本共産党の躍進〉 |
|
432 |
ベトナム停戦のパリ協定とアメリカの侵犯 |
|
434 |
小選挙区制など田中内閣、自民党のファッショ的策謀、反共攻撃との闘争 |
|
|
〈田中内閣の小選挙区制を粉砕〉 |
|
|
〈共青創立五十周年と新日和見主義分派の粉砕〉 |
|
|
〈73年大阪参院補選と都議会選挙〉 |
|
|
〈大企業の買い占め売り惜しみに反対して〉 |
|
441 |
「自由社会守れ」のキャンペーンと宮本委員長への右翼テロ |
|
|
〈「解同」朝田派の無法とのたたかい〉 |
|
|
〈年の中ソの核実験にたいするあたらしい対応〉 |
|
|
〈チリの反共軍事クーデター〉 |
|
447 |
第12回党大会と 民主連合政府綱領提案 |
|
|
〈沖縄人民党の日本共産党への歴史的合流〉 |
|
|
〈民主連合政府綱領提案の採択とその意義〉 |
|
|
〈大会後の国民生活防衛の全国的な闘争 |
|
|
〈パレスチナ問題解決の正しい道〉 |
|
455 |
「三つの自由」をかかげてー74年参院選での躍進と党の活動 |
|
|
〈ソルジェニツイン問題-科学的社会主義と言論、表現の自由〉 |
|
|
〈74年京都府知事選、参院選〉 |
|
460 |
反共野党の攻撃とのたたかい、革新統一戦線推進の闘争 |
|
|
〈公明党による憲法問題での日本共産党攻撃と論争での回答不能〉 |
|
|
〈4中総と革新統一のための「開かれた懇談会」、統一労組懇の結成〉 |
|
|
〈民主的教師論の提起〉 |
|
|
〈文化分野での五〇年問題の総括〉 |
|
467 |
ソ連、中国のニクソン美化論と干渉とのたたかい |
|
|
〈第十二回党大会へのソ連などの攻撃とのたたかい〉 |
|
|
〈『平和と社会主義の諸問題』誌をめぐって〉 |
|
|
〈中国の「三つの世界論」と「核のカサ」容認〉 |
|
471 |
ニクソン、田中の退陣と日本共産党 |
|
|
〈ニクソンとウォーターゲート事件〉 |
|
|
〈核積載軍艦寄港を暴露したラロック証言の衝撃〉 |
|
|
〈田中金脈問題の追及、選挙管理内閣の提起〉 |
|
|
|
|
止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第7章 第8回党大会後、1960年代の闘争)
頁 |
|
|
302 |
ケネディの二面政策と世界の共産主義運動の分裂の表面化 |
|
|
〈世界の共産主義運動の不団結と党の自主独立の立場〉 |
|
306 |
安保闘争後の国内情勢と党の先進的なたたかい |
|
|
〈綱領路線の「四つの旗」〉 |
|
|
〈三つの先駆性―安保破棄、「所得倍増計画」反対、政暴法粉砕〉 |
|
|
〈「ケネディーライシャワー路線」と統一戦線分断の策動〉 |
|
|
〈原水禁大会の分裂と安保共闘の解体〉 |
|
313 |
|
|
319 |
4・17スト問題での誤り.大衆団体の民主的強化のための活動 |
|
|
|
|
|
〈「新日本婦人の会」の結成など各分野の運動の発展、松川裁判での勝利〉 |
|
326 |
ソ連による干渉工作と第7回中央委員会総会 |
|
|
〈野坂・袴田、志賀・神山らの策動と五中総決議の誤り、7中総での是正〉 |
|
|
〈63年の原水禁大会とジューコフ論文〉 |
|
|
〈7中総―各個撃破政策の定式化、自主独立の立場の強調〉 |
|
333 |
フルシチョフらの公然とした覇権主義的干渉とのたたかい |
|
|
〈志賀一派をつかったソ連の公然たる党破壊活動への反撃〉 |
|
|
〈新日本文学会の変質と党貝文化人の反党声明〉 |
|
|
〈ソ連の社会党との緊密な関係、平和、国際友好運動への干渉〉 |
|
|
〈「国際会議」開催をめぐるソ連、中国両党への批判、フルシチョフの解任) |
|
|
〈「トンキン湾事件」とアメリカのベトナム侵略の本格化〉 |
|
343 |
第9回党大会と党の国際路線 |
|
345 |
65年の参議院選、都議選での前進、党活動の発展 |
|
|
〈ベトナム侵略戦争反対の統一行動〉 |
|
|
〈65年月の参議院選と東京都議選〉 |
|
|
〈65年原水禁大会、ソ連による佐藤内閣美化論の批判〉 |
|
353 |
ベトナム侵略に反対する反帝国際統一戦線の結成をめざして、日中両党会議 |
|
|
〈反帝国際統一戦線の提起〉 |
|
|
〈党代表団のベトナム、中国、北朝鮮訪問、毛沢束による共同コミュニケの破棄〉 |
|
|
〈毛沢東一派の干渉と中国盲従分子の党破壊活動〉 |
|
359 |
第10回党大会と覇権主義批判 |
|
361 |
中ソ覇権主義とのたたかいの先駆的、歴史的意義 |
|
|
〈日中友好協会本部襲撃事件、砂間代表らへの集団リンチ〉 |
|
|
〈論文「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」「極左日和見主義者の中傷 |
|
|
〈68年の日ソ両党会談〉 |
|
|
〈ソ連など五力国軍隊のチェコスロバキア侵略へのきびしい批判〉 |
|
|
〈ブレジネフの「制限主権」論の誤り〉 |
|
|
〈「武力南進」論を批判した1968年の朝鮮労働党との会談〉 |
|
|
〈国際分野での60年代の闘争の意義〉 |
|
371 |
67年の総選挙と東京都知事選での勝利 |
|
|
〈「高度成長」政策の矛盾のふかまりと国民の要求にこたえる党の政策と活動〉 |
|
|
〈67年いっせい地方選挙と反共攻撃とのたたかい〉 |
|
|
〈都知事選での統一戦線運動の前進〉 |
|
377 |
安保・沖縄問題での先駆的たたかいと統一行動の前進 |
|
|
〈ベトナム侵略反対のたたかいのたかまり〉 |
|
|
〈安保・沖縄問題と「日本共産党の安全保障政策」〉 |
|
|
〈69年の10・21闘争〉 |
|
383 |
基本的大衆組織の建設と大衆運動の前進をめざして |
|
|
〈労働組合運動と6中総決定〉 |
|
|
〈民青同盟への指導援助の改善と9中総〉 |
|
|
〈大学民主化闘争と自民党のニセ「左翼」暴力集団「泳がせ」政策〉 |
|
|
〈公害反対運動のたかまり〉 |
|
389 |
68年参院選と沖縄三大選挙、都識選での前進 |
|
|
〈沖縄での革新統一勢力の勝利〉 |
|
392 |
現実政治を動かす党への前進 |
|
|
〈佐藤・ニクソン会談と核持ち込みの密約〉 |
|
|
〈「千島問題についての日本共産党の政策と主張」〉 |
|
|
〈69年総選挙での14議席への躍進〉 |
|
|
〈公明党・創価学会の出版妨害事件〉 |
|
|
〈60年代にかちとった選挙戦の成果〉 |
|
|
〈党建設の面での前進〉 |
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止
『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(概要)
章 |
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1 |
日本共産党の創立 |
|
|
|
|
2 |
党の創立後、1920年代の闘争 |
|
|
|
|
3 |
中国侵略戦争の開始から日本帝国主義の敗北まで |
|
|
|
|
4 |
敗戦後-党活動の公然化、平和・民主・独立の日本
をめざして |
|
|
|
|
5 |
日本共産党の50年問題とその克服への道 |
|
|
|
|
6 |
第7回党大会と第8回党大会 |
|
|
|
|
7 |
第8回党大会後、1960年代の闘争 |
|
|
|
|
8 |
1970年代前半―革新の高揚と党の躍進 |
|
|
|
|
9 |
70年代後半の党のたたかい―逆流に抗して |
|
|
|
|
10 |
1980年代前半の運動・社会党の右転落のもと、国政革新をめざして |
|
|
|
|
11 |
80年代後半の運動l反核国際統一戦線と非核の政府をめざして |
|
|
|
|
12 |
1990年代初頭の運動―体制選択論に抗し、党の歴史と路線を掲げて |
|
|
|
|
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|
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止
日本共産党史関係文献一覧
発行年月日 |
書名 |
編・刊 |
|
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19571222 |
日本共産党50年問題資料集 1 |
日本共産党中央委員会50年問題文献資料編集委員会編、新日本出版社発行 |
|
19571222 |
日本共産党50年問題資料集 2 |
日本共産党中央委員会50年問題文献資料編集委員会編、新日本出版社発行 |
|
19571222 |
日本共産党50年問題資料集 3 |
日本共産党中央委員会50年問題文献資料編集委員会編、新日本出版社発行 |
|
|
|
|
|
|
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|
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|
19670715 |
日本共産党の45年 |
日本共産党中央委員会出版局発行 |
|
19670815 |
写真集 日本共産党の歩み その45年 1922~1967 |
日本共産党中央委員会宣伝部編・出版局発行 |
|
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|
19720723 |
日本共産党の50年 |
日本共産党中央委員会機関紙経営局 |
|
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|
19810215 |
日本共産党50年問題について |
日本共産党、新日本出版社 |
|
19821225 |
日本共産党の60年 |
日本共産党中央委員会刊・同出版局 |
|
19830520 |
これが真実「ソ連秘密資金」問題―ソ連がもっとも恐れた自主独立の日本共産党 |
日本共産党中央委員会刊・同出版局 |
|
|
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|
|
19890708 |
日本共産党と中国の共産党はどこが根本的にちがうのか 中国の野蛮な流血をつく |
日本共産党中央委員会出版局 |
|
19940505 |
日本共産党の70年(上) |
日本共産党中央委員会、新日本出版社 |
|
19940505 |
日本共産党の70年 党史年表 |
日本共産党中央委員会、新日本出版社 |
|
|
|
|
|
|
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|
19770505 |
宮本顕治 私の歩みから |
日本共産党中央委員会 |
|
19821025 |
歴史の中の日本共産党 宮本顕治80年代論 |
新日本出版社 |
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|
止
『くずれぬ平和と人民の解放を求めて 日本共産党広島県党のあゆみ』(日本共産党広島県委員会、19841028)
内容
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頁 |
|
備考 |
01 |
一 弾圧の嵐をついて―不屈の戦前のたたかい |
|
|
血にまみれた日本帝国主義のアジア侵略と広島県の戦前史 |
|
03 |
呉海軍造兵廠の大ストライキ 胎動する労働運動社会主義運動 |
|
05 |
「米騒動」初メーデー |
|
07 |
党組織の誕生 |
|
11 |
「聳ゆるマスト」 |
|
16 |
二 廃墟のなかから反核のたたかい―波乱にみちた戦後の十数年 |
|
16 |
広島地方(党)委員会の確立 |
|
19 |
ゼネストの中止 |
|
22 |
総選挙での党の躍進とあいつぐ弾圧 |
|
26 |
レッドパージ 「50年問題」 |
|
30 |
原水爆禁止全面講和のたたかい |
|
30 |
歴史の証人「ヒロシマ」 |
|
38 |
被爆者の組織 |
|
41 |
三 光彩ある60年代のたたかい―日本人民解放の路線「綱領」の確立 |
|
41 |
「綱領」 |
|
|
第7回大会と第8回大会 |
|
42 |
広島での安保反対闘争と統一戦線 |
|
44 |
松江ら反党分子との闘争 |
|
46 |
広島県政 |
|
47 |
「ケネディ・ライシャワー路線」と広島・松江らによる原水禁運動の分裂 |
|
51 |
ソ連・中国共産党からの不当な干渉 いっそう強まった県党の団結 |
|
51 |
ソ連・中国の不当な干渉とのたたかい |
|
|
党勢の拡大 |
|
53 |
”ひろしま”をベトナムにくりかえすな |
|
53 |
原爆ドームの永久保存など |
|
56 |
党勢拡大 |
|
58 |
四 70年代前半―党の躍進とトロッキスト・「解同」小森派の策動 |
|
58 |
第11回・第12回大会 |
|
60 |
沖縄全面返還・小選挙区制粉砕 |
|
62 |
トロッキスト・「解同」小森派の蛮行 |
|
63 |
五 70年代後半―逆流に抗して―「犬は吠えても歴史は進む」 |
|
67 |
六 80年代の新たな躍進めざして―10年間の歴史的総括にたって |
|
67 |
反核・平和闘争の新たな高まり |
|
70 |
党建設の前進 |
|
|
|
|
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。