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現代憲法読本

『現代憲法読本』(石井金一郎、法律文化社、19650520)

内容

見出し 備考
はしがき
1 日本国憲法と憲法調査会
2 憲法制定の経過
3 憲法の現実
4 憲法第9条
5 基本的人権と公共の福祉
1 人権の歴史とその内容
2 公共の福祉―学説と判例
3 憲法調査会における意見
6 三権分立制
1 議院内閣制とアメリカ型大統領制
2 日本国憲法の分立制と改憲論
7 改憲論の問題点
資料 日本国憲法と憲法調査会における多数意見との対比

文献:憲法とヒロシマ

文献:憲法とヒロシマ<作業中

発行年月日 書名 著者・編者 発行所 備考
1947
1020 戦争の放棄 横田喜三郎 国立書院
1948
0515 国際平和条約機構関係条約及日本国憲法-和英対照 早稲田大学外政学会編 正統社
0831 恒久平和論 長谷信夫(編) 日本文化平和協会
1115 国民統合の象徴 和辻哲郎 勁草書房
1949 ヒロシマ平和都市法-ヒロシマ平和記念都市建設法註解 寺光忠 中国新聞社
1951
0904 平和の創造 上原専六 理論社
 1952  原爆の子 見よ!戦争の惨苦を!-広島の少年少女・魂の叫び 日本労働組合総評議会情報出版部
1965
0520 現代憲法読本 石井金一郎 法律文化社
1990
0503 ヒロシマと憲法 水島朝穂ほか 法律文化社

年表:沖縄・広島 1996年~2000年

年表:沖縄・広島 1996年~2000年<作業中

 年月日  事項
1996年
01 10 日本被団協、九州ブロック会議を沖縄県那覇市で開催。九州8県の会長と全国理事が参加。
01 27 <宇吹メモ>**の話:戦争遺跡の保存は沖縄の南風原が先陣を切った。「平和の礎」とともに沖縄が先進的な役割を果たしている。
02 15 沖縄県、全国巡回展「沖縄からのメッセージ-基地と平和と文化を考える」を広島市内の県民文化センターで開催。約1500人が参加。
03 11 広島県内の被爆者7団体代表ら、国が広島市に建設する「原爆死没者追悼平和祈念館」への死没者氏名の掲示問題の参考にするため沖縄の「平和の礎」を視察。12日、帰広。
03 15 広島県原爆被害者団体協議会(伊藤サカエ理事長)、6月に沖縄訪問団を派遣することを決める。
03 05? 広島県内の被爆者7団体、国の「原爆死没者追悼平和祈念館」に要望している死没者氏名の掲示方法を探るため、沖縄県の「平和の礎」の視察と専門の検討委員会の発足を計画。
04 13 「4・13沖縄・佐世保の声を!長崎集会」、長崎原爆資料館ホールで開催。
04 27? 長崎市・長崎平和推進協会、今夏に沖縄への平和学習ツアー「長崎市少年平和と友情の翼」を計画。
05 13 沖縄平和運動センター(社会党系)の平和行進、那覇市など沖縄県内3か所を出発。1978年に始まったこの行進は今年で19回目。過去最高の700人余が参加。
05 27 広島県被団協(伊藤サカエ理事長)、総会を広島市内で開催。沖縄に交流団を派遣することなどを決める。
05 19? 沖縄県伊良部町立佐良浜中学校3年生87人、修学旅行で訪れた長崎市の爆心地公園で平和集会を開催。
06 03 長崎市が募集している沖縄平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」への応募が定員120人に対し2000人を越える。
06 20 「沖縄発全国キャラバン」一行、広島市の原爆資料館を訪問。大田沖縄県知事などのメッセージを原田館長に手渡す。
06 23 広島県被団協(伊藤サカエ理事長)の「ヒロシマ・オキナワ交流団」、沖縄を訪問。-24日。
06 23 「広島と沖縄をむすぶつどい-広島と沖縄の新しいスタートを!」、広島YMCAで開催。約100人が参加。
06 23 沖縄県、沖縄全戦没者追悼式を糸満市摩文仁の平和祈念公園で挙行。約5000人が参列。
06 28 広島市議会、全面的核実験禁止条約の締結促進と沖縄・普天間基地の岩国移転反対の二つの意見書を可決。
07 13 長崎市などがはじめて企画した沖縄平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」(30日-8月2日)に参加する同市内の小中学生約120人、長崎原爆資料館で、伊藤市長と平和について話し合う。
08 03 原水禁長崎県民会議の平和の島を目指す沖縄の運動に連帯する平和行進キャラバン、原水禁長崎大会会場に向け佐世保市を出発。約40人が参加。
08 03 「沖縄からのメッセージ展」、長崎池田平和会館で開幕。-9日。
08 04 「平和に生きる社会をつくるヒロシマのつどい実行委員会」(代表:松江澄)、「平和に生きる社会を創るヒロシマのつどい1996」を開催。-7日。テーマは「沖縄-岩国-ヒロシマ-『核の傘』のもとで平和は守れるか」。
08 06 沖縄県中頭郡北谷町の町民11人、広島市の平和祈念式典に参列。
08 07 沖縄市の親子平和大使一行16人、恵の丘長崎原爆ホームなどを訪問。
08 08 「沖縄・高校生平和集会」、那覇市内で開催。-10日。広島から30人が参加。
08 08 「なくせニュークス96MICフォーラムwith沖縄」、長崎市内で開催。約100人が参加。
08 09 「被爆51周年長崎反戦集会」、長崎県勤労福祉会館で開催。沖縄の反戦地主・知花昌一が講演。約300人が参加。
08 23 広島県内の小中学生らでつくる「サダコクラブ」のメンバー11人、沖縄学習旅行に出発。沖縄県立平和祈念資料館やひめゆり資料館などを見学。-25日。
08 03? 広島高校生平和ゼミナール、5月に沖縄の若者を広島市に招き開いた「広島と沖縄を結ぶ平和ゼミナール」の報告集を発行。
10 28 那覇市・広島市・広島平和文化センター、「広島・沖縄・平和のキャンパス」を広島国際会議場で開催。31人が参加。坂本義和が講演。-30日。
11 21 広島市立長束小学校と沖縄県具志川市立天願小学校、テレビ電話で交流。
11 29 自由法曹団広島支部、結成20周年を記念して「沖縄から広島へ-梅原司平ミニコンサート&安保・基地・核を語る夕べ」を広島市内で開催。
11 13? 広島県内の平和学習グループ「サダコ・クラブ・ヒロシマ」、今夏沖縄県に平和学習旅行をした感想文集「私たちのみた沖縄」を発行。
1997年
02 10 外務省、米海兵隊岩国基地所属の垂直離着陸機ハリアーが1995年から96年にかけて沖縄県の射爆撃場で放射性物質である劣化ウラン弾を誤射していたと発表。
02 11 沖縄県で訓練中に米海兵隊が劣化ウラン弾を誤射した問題で、岩国市の照会により、同弾が岩国基地に貯蔵されていることが判明。
04 18 広島県被団協(伊藤サカエ理事長)、組織強化対策委員会・拡大事務局合同会議を開催。米の臨界前核実験への抗議、長崎・沖縄との連帯、放影研の発行した冊子の全面改定の要請などの行動計画を決める。
04 28 <宇吹メモ>大牟田の話=週刊金曜日で筑紫哲也が、原爆・沖縄を特集すると、売れる部数が半減したと書いていた。
05 08 長崎市・長崎平和推進協会、今夏沖縄県で行われる平和学習ツアー「長崎市少年平和と友情の翼」に参加する小・中学生を募集。
05 15 沖縄県宮古島・伊良部町立佐良浜中学校3年生99人、修学旅行で長崎市を訪れ、平和公園で平和集会を開催。
05 18 映画「GAMA-月桃の花」上映と安里要江(沖縄)・沼田鈴子(被爆者)のトークの集い、広島県廿日市市で開催。600人が参加。
06 03 広島・長崎・沖縄3県の社民党県連合、党の平和政策を協議する独自の研究会「社民党広島・長崎・沖縄3県平和研究交流会議」を沖縄県で開催。-4日。平和政策に関する共同アピールを採択。
06 22 「広島と沖縄をむすぶつどい」、広島YMCAで開催。約100人が参加。
06 23 広島市立幟町中学校、「沖縄を学ぶ全校集会」を開催。
06 28 第25回全国平和教育シンポジウム「沖縄・ヒロシマ・ナガサキ・アジアを結ぶ-憲法施行50年」を福岡市の西南学院大学で開催。約300人が参加。-29日。
07 12 長崎市企画の沖縄平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」に参加する小中学生120人、伊藤市長と長崎原爆資料館で意見交換。
07 22 長崎市の平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」の小中学生120人ら、沖縄を訪問。-25日。
07 23 山梨・滋賀・和歌山・香川・高知・沖縄の6県が、広島市が平和記念式に都道府県から一人ずつ招いている遺族代表を派遣しないことが判明。
08 03 創価学会広島学生平和委員会、広島・長崎・沖縄などの学生1800人を対象とした平和意識調査の結果をまとめる。
08 04 沖縄市内の中学生と保護者による親子平和大使一行17人、平岡広島市長を表敬訪問し、被爆韓国人の体験談を聴取。
08 05 沖縄の親子平和大使として広島入りした中学生とその親8組16人、平和公園の原爆慰霊碑に献花。
08 06 被爆52周年広島反戦集会「くり返すな!アジア侵略-ヒロシマ・ナガサキを」、広島のアステールプラザで開催。沖縄の反戦地主・知花昌一が記念講演。
08 06 社民党の広島・長崎・沖縄の3県連合、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直しの内容が憲法違反にならないよう求める要請書を土井たか子党首に送る。
08 09 8・9長崎反戦集会。沖縄の反戦地主会長が講演。
10 29 広島・長崎・沖縄3県の社民党県連合、「3県平和研究交流会議」を広島市内で開催。6月に那覇市で初会合を開いて以来2回目。
11 15 沖縄県与那国町立与那国中学校の3年生25人、修学旅行で長崎を訪問。平和公園で伝統舞踊エイサーで原爆犠牲者を慰霊。
12 06 長崎・沖縄・広島3県の社民党県連合会、「平和研究交流会議」を長崎市内で開催。提言「21世紀への平和ビジョンとプロセス」をまとめる。9日、提言を党本部へ送付。
12 07 広島県原水禁、沖縄県の米軍普天間飛行場返還に伴う名護市沖の海上ヘリポート建設などを訴える街頭宣伝を広島市内で実施。約20人が参加。
12 13 沖縄県南風原町の子供ら、平和学習で広島市を訪れ、地元の子供らと交流。
1998年
02 05 <宇吹メモ>**より電話。沖縄・高松・高知の原水協の連絡先が知りたいとのこと。県原水協(松本)に電話し、一覧表をファックスで送って貰う。奥さんが3月初めに沖縄調査に行くとのことで、行くべき場所についても聞かれる。
05 17? 長崎市・長崎平和推進協会、沖縄県での平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」の参加者を募集。
06 12 沖縄市の社会福祉法人緑樹会の職員22人、長崎市平和公園で原爆犠牲者追悼のため郷土民舞を披露。
06 15 <宇吹メモ>総科講義の感想文を読む。原爆問題を学ぶために沖縄から広島に来たと書いた女学生が一人いた。
06 18 <宇吹メモ>佐藤三男(日本共産党中央委員会平和・統一戦線推進委員会責任者)と会う。3年ほど沖縄へ行っていた由。
06 21 戦争遺跡保存全国シンポジウム(第2回)、沖縄県南風原町で開催。-22日。三百数十名が参加。
06 23 沖縄県人会など12団体、「広島と沖縄を結ぶ」をテーマに広島YMCAで集会。
07 11 長崎市・長崎平和推進協会、被爆地長崎の小中学生が沖縄戦の悲惨さなどを学ぶ平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」の事前研修を実施。-12日。
07 23 <宇吹メモ>**(国際協力研究科)来所。広島・長崎・沖縄の地方紙を取り上げて、8月下旬に神戸で発表するとのこと。
08 01 沖縄駐留の米軍が、1950年代後半、旧ソ連など敵の侵攻を受けた際に備え、核兵器の使用を含む沖縄本島の防衛作戦計画を立てていたことが、米海兵隊の秘密指定文書で明らかになる。
08 01 広島・長崎・沖縄3県の創価学会青年部、「3県青年平和協議会」を広島市内で開催。40人が参加。-2日。
08 06 沖縄タイムス社説「広島「原爆の日」-新たな認識で核廃絶を」
08 07 「沖縄市親子平和大使」一行22人、長崎市入り。「青少年ピースフォーラム」などに参加。
08 09 沖縄タイムス社説「長崎「原爆の日」-「抑止力」の意味を考える」
08 13? 日本非核宣言自治体協議会、国際会議を来年沖縄県で開催することを計画。
09 30 沖縄の歌手喜納昌吉らが企画した平和リレー隊(ネイティブ・アメリカンの風習に基づく「セイクレッド・ラン(聖なる走り)」)、広島市の原爆ドーム前を出発。
11 22 沖縄県・南風原町の小学生、広島市牛田公民館で市立戸坂城山小学校の生徒と平和交流。
11 29 <宇吹メモ>**・**と立教大学の研修旅行(12月15日)の打ち合わせ。**の話=自分の勤務地の焼津には資料が残されていない。戦争資料と言えば忠魂碑のみ。第5福龍丸関係の資料は図書館の片隅にあるだけ。広島・長崎・沖縄が崩れると日本全体に現代史を語るよすがが無くなることになる。
11 29 <宇吹メモ>「大番」で「集い」の反省会。-7時半。20人余が参加。広島の修学旅行生が、戦争・平和を実感するのには沖縄の方が良いと言って同地に流れている。**=広島では原爆資料館に集中しすぎている。見学者が数珠つなぎで頭しか見えない。
12 15 沖縄県与那国町立与那国中学校3年生21人、修学旅行で長崎を訪れ、平和祈念像前でエイサーを披露。
12 18 <宇吹メモ>広島自治研事務局で**と話す。広島市役所職員に原爆問題についての見識がない。沖縄では、職員研修で徹底的に戦争について教えられている。なんとかしたいという気持ちを持つものはいるが、どうしてよいか分からないでいる。
12 28? 我部政明琉球大学教授、復帰前の沖縄に核兵器を600発貯蔵していたことを示す米の公文書を入手。
1999年
01 11? 米国家安全保障局、朝日新聞社の公開請求に対し、沖縄返還時の核密約の存在を認める。
02 06 広島市・那覇市など、「広島・沖縄-平和のキャンパス」を国際青年会館で開催。3回目。-8日。中国・台湾・韓国からの留学生を含む30人が参加。
02 07 「広島・沖縄-平和のキャンパス」(第2日)。小林よしのり「新ゴーマニズム宣言スペシャル戦争論」、山上たつひこ「光る風」、「がきデカ」の3作品を取り上げ討論。
02 07 ピース・ネットワーク南風原、「戦争体験を子供たちへ伝える夕べ」を開催。沖縄県原爆被爆者協議会顧問の金城文栄と南風原赤十字奉仕団の仲程シゲを招く。30人余が参加。(「琉球新報」hp)
02 15 沖縄平和運動センター、中部地区労、県原爆被爆者協議会は十五日、北中城村の米軍司令部ゲート前で「米国の臨界前核実験強行に抗議する緊急集会」を開く。75人が参加(「琉球新報」hp)
02 19 劇団「はぐるま座」沖縄公演、南風原町を皮切りに始まる。(「琉球新報」hp)
02 23 琉球新報「論壇/宮田夏江/同じ目線で語り合う/広島・沖縄平和のキャンパス」(「琉球新報」hp)
03 01 沖縄県原爆被爆者協議会(被爆協、伊江和夫理事長)など、核兵器廃絶を求める「被災45周年3・1ビキニデー県集会」が那覇市内で開く。労働組合員など100が参加。(「琉球新報」hp)
03 03 大浜長照石垣市長、高知県の橋本大二郎知事が外国艦船の入港時に「非核証明書」の提示を外務省を通して求める条例制定を提示したことについて、重要港湾の石垣港を抱える同市も賛同する考えであることを明らかにする。(「沖縄タイムス」hp)
03 03 那覇市の親泊康晴市長、高知県の橋本大二郎知事が非核証明書を求める条例案を県議会に提出していることについて理解を示す。(「沖縄タイムス」hp)
03 10 大浜沖縄県石垣市長、与党議員との協議の結果、非核港湾条例の市議会への提案を「時期尚早」として見送る方針を明らかにする。(「沖縄タイムス」hp)
04 29 秋葉広島市長、2000年の主要国首脳会議(サミット)の開催地が沖縄に決まったことについて、沖縄開催を歓迎する意向を表明。
06 16 沖縄県・竹富町立竹富小中学校、NTT長崎支店のテレビ電話回線を利用し、長崎の語り部・山脇佳朗の被爆体験を聞く。
06 26 「広島と沖縄をむすぶ会」など12団体、「沖縄慰霊の日祈念集会」を広島YMCAで開催。山内徳信沖縄県前出納帳が「沖縄の現状と将来展望」と題して講演。
07 23 <宇吹メモ>**の話=新聞労連で大田元沖縄県知事に講演依頼。50万の講演料と50万の旅費(秘書役の娘分も含む)ということであったが、講演料は10万にして貰った。
08 01 (16:00-)NBC(TBS系)、今年の日本民間放送連盟賞報道番組部門・九州沖縄地区優秀賞を受賞した「ゆるすまじ~山口仙二、その生の記録」を再放送。
08 03 広島県三良坂町・平和公園で「戦争・核・差別を許さない99みらさか平和の集い」。大田昌秀前沖縄県知事が「平和のために、今私たちができること」と題して講演。
08 05 中国新聞労働組合など、「99広島平和フォーラム」を広島市内で開催。大田昌秀前沖縄県知事と大牟田稔前広島平和文化センター理事長が講演と対談。80人が参加。
08 06 沖縄タイムス社説「被爆地の声世界に発信を」
08 07 広島・沖縄両県の少年野球チーム8チーム、広島市内で親善試合を実施。広島県少年野球協議会の企画する「沖縄・広島平和交流の翼」の一環。
08 13 NHKテレビ、九州沖縄スペシャル「被爆者たちの肖像画、絵筆に込めた遺族の思い」を放映。
08 14? 九州・沖縄8県の2000年度政府予算の概算要求に向けた要望が出そろう。長崎県は、介護保険導入を前に、原爆被爆者の負担軽減に配慮を求める。
09 11 「沖縄・ヒロシマ青年交流会」、沖縄県で開催。
10 02 「非核・平和条例全国交流会in函館」、北海道函館市で開催。富野暉一郎龍谷大学教授・大田昌秀前沖縄県知事などが参加してパネルディスカッション。約850人が参加。-3日。
10 20 ノリス天然資源保護協会(米の核軍縮団体)上級研究員、返還前の沖縄に18種合計1200発以上の核爆弾・弾頭が配備されていたとする米国防総省機密解禁文書の分析結果を発表。
10 22 赤旗「国防総省解禁文書-米国は沖縄を核戦略の拠点にしていた-日本政府は施政権返還後も”密約”で通過など黙認」
10 31 広島市の広陵高校2年生、広陵祭で広島の「原爆ドーム」、長崎の「平和の像」、 沖縄の「平和の礎(いしじ)」の模型を作成し展示。
11 08 <宇吹メモ>母、沖縄旅行。-11日。
11 12 毎日新聞[2面特集]「特集・天皇陛下即位10周年-「平和」「沖縄」「福祉」両陛下、思い新たに」
12 15 広島平和文化センター、来年2月10~14日に沖縄県那覇市で開催する「広島・沖縄平和のキャンパス」の参加者を募集。
12 23 沖縄タイムス社説「臨界被ばく-大内さんの死を忘れまい」
12 28 広島県原水協・県被団協、米軍普天間飛行場返還問題で、沖縄県名護市長に、新基地受け入れ撤回を求めるファックスを送付。
2000年
01 05 1969年11月の日米両国首脳会談時に、沖縄への核再持ち込みを認めた極秘文書「日米合意議事録」が、現在も機密扱いのまま国務省に保管されていることが、米情報公開法に基ずく請求への回答で明らかになる。6日、外務省は、「核密約」を否定。
01 06 朝日新聞「解説:核密約-有効性の有無検証を-沖縄の基地偏重を固定化、自由使用の密約が「実害」」
02 07 広島・長崎両市、サミット期間中、沖縄で原爆展の開催を計画。
02 08 <宇吹メモ>JSA事務局より電話。沖縄問題に関する公開質問状案のファックスを検討して欲しい。
02 11 朝日新聞「主張・解説:60年安保・沖縄返還時の日米「密約」-「秘」ベール、外務省は外せ」
02 12 広島・那覇両市長や被爆者らが話し合う「戦争の世紀から平和の世紀へ」、沖縄県那覇市で開催。約200人が参加。
02 12 鳩山由紀夫・民主党代表、沖縄サミットに合わせて広島市が計画中の原爆展に賛意を表明し、政府に協力を働きかける考えを示す。
02 14 稲嶺沖縄県知事、広島・長崎両市が沖縄サミットに合わせて計画している原爆展に協力する意向を表明。
02 29 朝日新聞「列島2000:秋葉・広島市政1年-「沖縄原爆展」久々のヒットだが」-平和・経済の両立に腐心」
02 22? 沖縄県、広島・長崎両市の原爆展の会場として糸満市の県平和祈念資料館の使用を承諾。
02 24? 沖縄市、広島・長崎の代表を招き、8月22-25日に「中学生ピースサミット」を開催することを計画。
03 09 ナガサキ学生平和ボランティア、戦争や被爆の体験を若者がどう継承していくべきかを考えようと、琉球大学の学生らと沖縄・長崎学生平和フォーラムを沖縄県那覇市で開く。
03 17 朝日新聞「戦争ない世界どう実現-広島・沖縄平和のキャンパス-広島からの参加者のひとこと(広島平和文化センターに寄せた感想文から)」
04 11 政府、旧ソ連の核兵器解体について、沖縄サミットでロシアを除く7カ国で総合的支援策を打ち出す方針を固める。
04 30 岡山県・大聖寺住職で陶芸家の福田寺大英、広島市・西向寺境内の土を採取。この土でつぼを制作し、沖縄サミットに参加する首脳らに贈る予定。6月、窯出し。
04 12? 「広島・沖縄 平和のキャンパス」に参加した学生ら、両県の大学生を対象に実施した「若者の平和意識を探るアンケート」の結果をまとめる。調査は、昨年11月から今年1月にかけて琉球大・広島大・広島市立大など計932人。全体の65%が「日本は平和」と回答。
04 14? 藤田雄山広島県知事と秋葉忠利広島市長、連名で、主要国首脳会議(沖縄サミット) に参加する各国の首脳や閣僚に広島を訪れてもらうよう招請状を送る。
05 24 広島・長崎両市、両市が沖縄サミットに合わせて沖縄県で開催する原爆展に、核保有5カ国首脳に視察してもらうよう、各国大使館に要請。-25日。
05 27 中国新聞社説「沖縄サミット-平和な21世紀像を描け」
05 31 使用済みの劣化ウラン弾とみられる米軍機関砲弾の薬きょうが、沖縄県西原街の資材置き場に放置されていることが判明。
05 12? 長崎市など、夏休み中に沖縄でせんそうについて学ぶ「長崎市少年平和と友情の翼」の参加者を募集。
06 01 広島市、沖縄・広島・長崎3市などが、8月22-25日に沖縄市で開催する「中学生ピースサミット」の参加者を募集。
06 11 長崎新聞社説「沖縄サミット-被爆地・長崎から考える」
06 12 秋葉忠利広島市長、主要国首脳会議(沖縄サミット)に合わせて広島、長崎両市が沖縄県で開く「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の概要を記者会見で発表。
06 12 伊藤長崎市長、主要国首脳会議(沖縄サミット)に合わせて広島、長崎両市が沖縄県で開く「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の概要を記者会見で発表。
06 17 広島・長崎両市、沖縄サミットに合わせて開催する原爆展を、首脳に同行して来日する夫人に見学してくれるよう招請状を、7カ国の在日大使館などに届ける。
06 23 朝日新聞「沖縄戦継承へ課題-終結から55年きょう慰霊の日-原爆展も計画」
06 23 広島・長崎両市、沖縄サミットに合わせて開催する原爆展をクリントン大統領が視察するよう求める書簡を在日米大使館に提出。
06 12? 広島市と広島平和文化センター、主要国首脳会議(沖縄サミッ ト)開催を記念して8月に沖縄で開く「2000〇年中学生ピ

ースサ ミット」(広島、沖縄、長崎市など主催)の参加者を募集。

06 14? 主要国首脳会議(沖縄サミット)期間中、広島市と長崎市が沖縄県糸満市で開催する原爆展について中国新聞社が在日大使館などを通じて尋ねた結果、サ ミット参加の海外7カ国首脳と欧州連合(EU)委員長の見学予定は無し。
06 20? 広島・長崎両市が沖縄サミットに合わせて開催する原爆展で、沖縄在住の被爆者が証言することが決まる。
06 22? 先進7か国(G7)、チェルノブイリ原発事故の完全閉鎖を決めたウクライナに対し、総額3億ドルの新たな共同支援計画を、沖縄サミットで表明することで合意。日本は21億円負担。
07 06 広島原爆資料館、先進国首脳会議(沖縄サミット、21〜23日)に合わせて沖縄県で開く原爆展の展示資料を発送。長崎原爆資料館も。
07 08 沼田鈴子から贈られた広島の被爆樹木「アオギリ」の苗木の委託式、沖縄国際大学で開催。約40人が参加。
07 11 朝日新聞(広島版)「広島ひと模様:反核、沖縄から発信-原爆展で実相訴え」
07 14 広島・長崎両市、原爆展の開会式を沖縄県糸満市・県平和祈念資料館で開催。両市長など100人が参列。-26日。期間中6000人が参列。
07 20 秋葉忠利広島市長、沖縄県入り。クリン トン米国大統領が21日、糸満市の県平和祈念資料館そばの「平和の礎(いしじ)」前で演説する計画があるため、資料館で開催中の 「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の会場で、大統領の見学に備え待機。伊藤長崎市長も。
07 20 広島市の女性グループ「ヌチドゥタカラ (命こそ宝)ひろしま」、主要国首脳会議(沖縄サミット)を前に、原爆ドーム前で座り込みを実施。10人が参加、米兵による犯罪の根絶を求める署名活動などを行う。
07 21 クリントン米大統領が演説した沖縄県糸満市の平和祈念公園を訪れていた米軍基地の子供たち約40人、大統領の演説後、同公園内の同県平和祈念資料館で開かれている「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を見学。大統領は見学せず。
07 23 金城文栄・山岡ミチコ・比嘉幸子、沖縄県糸満市で開催中の原爆展会場で被爆体験を証言。約300人が参加。
07 23 沖縄サミット、終了。共同宣言「沖縄2000」で、「核兵器廃絶への明確な誓約」を合意した今年五月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議について、「その成功を歓迎する」とさらりと触れただけで論議は皆無。
07 25 夏休み中の子供たちに戦争について学んでもらう「長崎市少年平和と友情の翼」事業に参加した同市内の小中学生60名、沖縄県に向け出発。沖縄地上戦ゆかりの地を訪ねる平和学習行事で、今年で5回目。
07 26 長崎新聞「訴えは届いたか-沖縄の原爆展から」(-27日、2回)
07 31 朝日新聞(広島版)「沖縄の「原爆展」6000人見学-反核のメッセージ心に刻み-核廃絶への行動、ますます重要に」
07 11? 宮崎市で開く主要国首脳会議(沖縄サミット)の外相会合がまとめる「総括文書」に米ロの第2次戦略兵器削減条約(START2)の早期履行と第3次戦略兵器削減条約(START3)交渉の早期開始、妥結の必要性を明記することが固まる。
08 01 沖縄で開かれる「2000年中学生ピースサミット」に参加する広島市の中学生12人、事前学習会を原爆資料館で開催。
08 04 中国新聞「沖縄・韓国・北朝鮮…-民族芸能一堂に-6日、芸術祭」
08 07 沖縄市役所内のギャラリーで、市の平和月間事業の一環として「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開催。(沖縄タイムス)
08 11 毎日新聞「特集・平和の発信:新たな世紀へ-沖縄から、各地から-広島・原爆資料館ほか」
08 12 沖縄市で開かれる中学生ピースサミットに長崎市から参加するメンバーの事前研修会。長崎市から江平、山里、淵の各中学校の代表、計12人が参加予定。
08 22 広島、長崎、沖縄県沖縄市の3市、「2000年中学生ピースサミット」を沖縄県内で開催。-25日。広島、長崎、沖縄県沖縄市の3市の中学生48人が沖縄戦の戦跡や米軍基地巡りや、グループ討議などを沖縄県内で実施。
08 24 広島、長崎、沖縄市の中学生が平和について語り合う「2000年広島市・長崎市・沖縄市中学生ピースサミット」(主催・沖縄、広島、長崎市)のピースフォーラム、沖縄市民小劇場あしびなーで開催。
08 02? 中曽根康弘元首相が沖縄返還の日米交渉が「核抜き・本土なみ」で合意に達した翌年の1970年9月、防衛庁長官として訪米した時、有事の際の日本への核持ち込みを容認する発言をしていたことが、米側の公文書で判明。
11 02 <宇吹メモ>**より電話。沖縄平和大会参加の件。初日の南部戦跡めぐりは、5000円高であるが可能になったとのこと。
11 08 <宇吹メモ>**(広島県平和委員会)より電話。沖縄行きの件の確認。
11 23 <宇吹メモ>2000年日本平和大会結団式兼学習会・打合会。於沖縄旅行のホームページをカラーで打ち出す。・県立生涯学習センター。湯川寛子(沖縄の現状)・上田博之(呉の基地の現状)の話を聞く。-4時。6万5000円支払う。広島からの参加者は約40名。
12 01 <宇吹メモ>沖縄行きのため年休を取る。
12 01 <宇吹メモ>南部戦跡めぐり。糸満市の平和祈念公園・沖縄県平和祈念資料館見学のみ。ゆったりとしたスペース。建物・展示いずれも金をかけていることは理解できた。閉館直前なので、入館者は、ほとんどいない。5時過ぎ那覇市民会館到着。300円の弁当が夕食。
12 01 <宇吹メモ>日本平和大会in沖縄開会集会。須田博基調報告。ジョセフ・ガーソン(アメリカ)、イアヌゼッリ(イタリア)、イム・サンジン(韓国)、グアダルーペ(プエルトリコ)海外代表挨拶。各地からの報告。-20:30。
12 02 <宇吹メモ>ホテルで朝食バイキング。徒歩で一緒に沖縄バス旭町車庫へ。8時半、沖縄本島北部・中部基地調査バス出発。3号車。サカ(三重県代表)が車長。ガイドは名嘉。
12 02 <宇吹メモ>那覇市民会館着。近くのブックオフに沖縄コーナーがあったので、関係の本を数冊購入。近くのピザ屋で簡単な夕食。
12 02 <宇吹メモ>文化の夕べ。子ども獅子舞、琉球舞踊、琉球民謡、琉球舞踊、沖縄空手、真志喜トミのパフォーマンス、エイサーなど沖縄の芸能を楽しむ。
12 02 <宇吹メモ>ワシントンホテル近くの飲み屋「居酒屋六文銭」で、広島県代表団の壮年・老年グループの交流会。10数人参加。オリオンビール、泡盛など、沖縄料理を堪能。
12 27 <宇吹メモ>沖縄旅行のホームページをカラーで打ち出す。

 

年表:沖縄・広島 1972年~94年

年表:沖縄・広島<作業中

 年月日  事項
1971年
05 23 「基地のない平和で豊かな沖縄を返せ!真の沖縄返還をめざす全国キャラバン」来広.
06 17 日米両国が沖縄返還に同時調印
06 23 原水禁(社会党・総評系)が沖縄核兵器実態調査の結果発表①沖縄貯蔵の核兵器はほとんど戦術核で約千発②場所は沖縄本島の読谷村、美里村、久志村の三カ所
07 20 原水禁国民会議(社会党・総評系)の被爆二十六周年原水禁世界大会、沖縄で開幕。二十三日まで
08 15 日本原水協の原水禁沖縄大会
10 27 ロジャーズ米国務長官、沖縄の核兵器撤去を上院外交委で言明.
11 07 弾薬輸送反対・米軍基地撤去広島県民共闘会議, 軍事基地(黄幡・秋月・川上)即時全面返還・沖縄返還協定批准阻止広島県中央集会を呉市役所広支所前で開催. 62団体・2000人参加.
11 13 沖縄協定批准反対・アムトチカ核実験抗議・被爆者援護法要求・国際共同行動広島集会.
11 16 社会党の楢崎弥之助代議士、衆院沖縄返還協定特別委で「岩国の米軍基地に核兵器貯蔵の疑いがある」と政府追究。同基地貯蔵庫は核兵器の取り扱いを決めた米軍事故防止点検表に出てくる核貯蔵庫の基準に合致していると指摘
11 19 沖縄協定の強行採決に抗議して, 広島・福山・呉など県下13地区で13万人が集会・デモに参加. 22日にも県中央集会開催. 4300人参加.
11 24 沖縄返還協定、衆院通過。社共欠席。自、公、民三党で非核決議
1972年
01 18 日本原水協と沖縄在住被爆者との交流に,広島から田辺勝広島県被団協理事長と福島生協病院の田阪正利院長, 三村正弘相談員が参加, 現地で交流・調査・検診活動.
01 20 日本原水協(共産党系)の沖縄県被爆者激励・医療調査団(小佐々八郎団長)、沖縄へ出発。二十八日まで
03 01 日本原水協のビキニデー集会に参加したアル・ハバド(反戦ベトナム帰還兵の会書記長・元米空軍曹長)、日本に核を持ち込んだと証言。「一九六○-六三年に二、三十回にわたり日本本土と沖縄の米軍基地に核兵器を運んだ」。八日、広島も訪問
03 15 沖縄協定批准書交換抗議・全軍労連帯スト・春闘勝利全国統一行動. 県下各地で集会・デモ.
05 15 沖縄、日本に正式復帰
05 15 沖縄協定発効に抗議する全国統一行動. 広島県中央集会, 県庁前で開催. 2600人参加. 三次・三原・尾道でも集会.
07 13 原水禁国民会議(社会党・総評系)の被爆二十七周年原水禁世界大会沖縄大会。那覇市で。十七日まで
08 09 長崎市、平和祈念式典を開催。7000人が参列。金城秀一沖縄県原爆被害者協議会理事長、原爆死没者名簿を奉安。広島の代表も初参加。平和宣言、世界平和旬間を提唱。
08 14 日本原水協の第十八回原水禁大会沖縄大会。那覇市で十六日まで
09 23 日本被団協、沖縄各地で原爆被爆者の実態調査を実施。沖縄被爆者協議会と始めて懇談。-26日。
1973年
02 23 日本原水協の三.一ビキニデー集会参加の反戦べトナム帰還米兵、「沖縄に依然核兵器」と証言
08 14 日本原水協の原水禁大会沖縄大会。那覇市で十五日まで。原水禁国民会議は十五日から四日間
1974年
08 02 屋良朝苗沖縄県知事の広島平和式典への出席が決定。宮沢広島県知事の招待。
1975年
1976年
1977年
04 18 原水禁、在沖縄米軍のNBC兵器の実態調査(14日-18日)で「嘉手納基地に核兵器あり」との結論発表。
05 17 沖縄県浦添中学校の修学旅行生、長崎市の平和祈念像前で、「平和集会」開く。
06 18 広島・長崎・沖縄各原水禁、大阪軍縮協の4団体、13日発足の「統一実行委員会」批判の声明発表。
06 23 沖縄県各地で沖縄戦の33回忌法要。
06 27 原水禁の広島・長崎・静岡・沖縄の4県代表、東京で会合。世界大会の独自開催を確認。
08 11 沖縄県原水協(社会党系)主催「1977年原水禁世界大会」開催。(13日まで)
08 14 沖縄県原爆被害者協議会・県原水協共催の原爆犠牲者33回忌合同慰霊祭、那覇市で。
10 18 沖縄県那覇市の琉球舞踊団、原爆病院慰問。
?? 沖縄戦を考える会、発足。沖縄戦の戦争遺跡・遺物の保存を県教育庁に要請。
1978年
02 21 沖縄の米国空軍嘉手納基地司令部は、年8回、起爆演習と事故処理の核訓練を行っていたことを認める。
09 11 原水禁国民会議主催「被爆33周年原水禁国民会議沖縄大会」、那覇市で開催。
10 07 国労被爆者対策協の「沖縄被爆者派遣団」、那覇市で交流会。
11 09 沖縄那覇市の中学生、修学旅行で長崎市訪れ平和集会開く。
1979年
06 21 原水禁国民会議、沖縄で「原水爆禁止・基地撤去6・23沖縄大会」を開催。
06 23 日本平和学会、沖縄県那覇市で研究集会。テーマ「1980年代の沖縄」
08 03 沖縄県少年の船、長崎市を訪問、平和公園など見学。
1980年
03 16 沖縄・ホワイトビーチで、米国原子力巡洋艦ロングビーチ号周辺から平常値より30-40%高い放射線を検出。
04 14 被爆問題市民団体懇談会、被爆35年・被爆者援護法即時制定全国行脚を沖縄・広島・札幌の3起点から出発させる.全国行脚は第4回目.市民懇主催は初めて.
08 18 原水禁、沖縄で「被爆三十五周年原水爆禁止沖縄大会」開催。(20日まで)
08 21 ソ連エコー級ミサイル原潜が沖縄の東海域で、推進室に火災。少なくとも乗員9人が死亡。
11 02 沖縄県の浦添中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ平和祈念像前で平和集会開く。
11 21 沖縄県の首里中学校生徒、修学旅行で長崎市訪れ「平和祈念大集会」開き平和学習。
1981年
03 26 広島県創価学会青年部の広島平和委員会、那覇市で、「沖縄戦とヒロシマ・ナガサキ原爆記録展」開催。
04 28 日本原水協の提唱で、「核基地をなくす沖縄国際会議」、那覇市で開催。
05 04 長崎県被爆者手帳友の会、沖縄県など訪れ、一般戦災者へ連帯呼びかけ。
05 24 米国C130E輸送機がフィリピンから沖縄の嘉手納基地に飛行中、機関部に故障。核弾頭を搭載して、宮古島の民間空港に緊急着陸。
06 17 「被爆三十六周年原水禁沖縄大会」(原水禁国民会議など主催)、開催(19日まで)。
06 23 沖縄県で、沖縄戦集結36周年を記念して集会。「繰り返させるな沖縄・広島・長崎」の決議採択。
06 23 沖縄の地元紙、核廃絶・非核三原則の支持を訴え、統一アピールを発表。
06 29 佐世保空襲を語り継ぐ会、空襲・原爆・沖縄戦の犠牲者に対する救済を求める決議文を採択。
06 17? 沖縄県原爆被爆者協議会、記録「沖縄の被爆者」を刊行。
08 03 沖縄県の「少年の船」の一行、長崎市訪れ、長崎国際文化会館など見学。
08 06 九州・沖縄縦断被爆者行脚平和行進の一行、長崎入り(被爆者援護法制定を訴え署名運動)。
10 29 沖縄県の東風中学校生徒、修学旅行で長崎市訪れ、平和公園で平和集会開く。
11 02 米国空母ミッドウェー号のA7コルセア攻撃機が沖縄沖の海上に墜落。核兵器搭載の可能性あり。
11 18 沖縄県の浦添中学校生徒、修学旅行で長崎市訪れ、平和公園で平和集会。
1982年
01 30 平和をつくる沖縄百人委員会、那覇市内で反核大会開き核廃絶の取り組みを強化する方針を決定。
03 06 「平和をつくる沖縄百人委員会」、沖縄県・市町村議会に対して各議会が非核宣言するよう求めるアピールを提出。
03 24 沖縄市議会、「核兵器全面禁止と軍備縮小」を求める政府への意見書を採択。
03 29 沖縄県議会、「核兵器の完全禁止と全面軍縮に関する意見書」を採択。
03 29 沖縄県島尻郡南風原町議会、「非核都市宣言」を採択。
04 03 沖縄県名護市議会、「非核都市宣言」の決議を採択。
04 06 原爆をテーマにしたオペラ「はだしのゲン」の8月の沖縄公演(那覇市など主催)、決定。
04 09 創価学会広島県青年平和委員会など、広島市で、「沖縄戦と住民展」開催(13日まで)。
04 24 「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」優秀作品上映会、沖縄・那覇市で開催。
04 11? 那覇市長、来広し、広島市長と会談。被爆地・広島市と激戦地・沖縄市が、反核・反戦を目指し交流していくことを確認。
06 23 沖縄の美術家ら、那覇市で沖縄反核平和美術展開催。
06 26 沖縄国際大学、教職員・学生による全学集会で「非核大学宣言」採択。
07 08 長崎放送制作「“核廃絶の原点を追う”連続報道」、九州・沖縄地区民間放送の番組コンクールで、最優秀賞受賞。
07 30 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、東京で開催(8月4日まで)。その後、大阪(8/6‐8/18)千葉(8/20‐25)名古屋(8/28‐9/2)礼幌(9/9‐9/20)沖縄(10/12‐10/24)で開催。
07 30 朝日新聞社・広島市・長崎市、東京・日本橋東急で原爆展を開催.以後,10月24日まで大阪・千葉・名古屋・札幌・北九州・沖縄で開催.
07 30? 西独の反核市民グループのメンバー、来日し反核行脚を開始(秋田→沖縄)。
08 06 非核自治体宣言をした沖縄県北中城村など8市町村の首長、広島市の平和祈念式典に参列。
08 27 原爆をテーマにした創作オペラ「はだしのゲン」、沖縄県那覇市で公演。(29日まで)。
10 03 原爆をテーマにした創作オペラ「はだしのゲン」の沖縄公演ドキュメンタリー番組「広島と沖縄の心を結ぶ」(テレビ新広島制作)、放送。(9日も)
10 12 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、沖縄で開催。
10 13 原水爆禁止国民会議主催「被爆三十七周年原水禁沖縄大会」、那覇市で開催。
11 19 沖縄県那覇市首里中学校、修学旅行で長崎市訪れ、平和公園で平和祈念集会開催。
12 18 沖縄被爆協、年末恒例の団結パーティを開催.40名参加.
1983年
08 01 第5回沖縄県「少年の船」、長崎市を訪れ、平和公園で平和祈念式を開催。
09 03 反戦・反核・反公害の願いを込めた「海の母子像」、水俣市に完成、除幕式。(沖縄・広島・長崎にも同像の建立を計画)
10 30 沖縄県那覇市立神原中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和公園で平和集会を開催。
10 99 「ヒロシマ・ナガサキの証言」第8号刊行。「原爆・敗戦38年目の証言」と「沖縄・広島・長崎・水俣いのちの出会い」を特集。
11 25 沖縄気工業労組、被爆者援護にと広島市に寄金。(昭42年以来年1回)
1984年
02 05 日本科学者会議主催シンポジウム「核と沖縄」、那覇市で開催。(約300人参加)反核を呼びかけるアピール採択。
02 23 沖縄県観光宣伝隊、広島原爆病院を慰問。
03 31 若者グループ「平和交流をすすめる広島若者の会」、九州・沖縄への平和キャラバンに出発。旧、長崎市で交流4月9日、帰広し、成果を報告
04 28 原水爆禁止日本協議会、那覇市で、「核基地、軍事同盟をなくす沖縄国際会議」を開催。(約300人  参加、海外代表25人参加)29日、分科会(30日まで)
06 99 沖縄出身の入市被爆者(大阪市在住)、「沖縄戦記録フィルム‐フィート運動」を実施。
07 20 画家丸木位里・俊の作品集「鎮魂の道-原爆・水俣・沖縄」(A5・84ページ)刊行。
07 21 「長崎の証言の会」、長崎市で第八回長崎市民平和講座を開催、テーマ「原爆と水俣・沖縄」(約50人参加)。
08 06 沖縄県からの「ヒロシマ体験子供派遣団」(那覇職員労組派遣)、来広し平和学習。
10 13 日本被団協中央相談所、九州ブロック講習会を沖縄で開催(~14日).130人参加.
10 99 広島県内で平和学習の一環として沖縄へ修学旅行へ行く私立高校が増加。
12 11 全国の非核宣言都市をリレーしてきた「平和の旗」最終点の沖縄県平良市に到着。(今年2月徳島県日和佐町を出発)。
1985年
03 04 日本被団協、広島・長崎・沖縄から全国縦断行脚を出発させる.
03 12 全国行脚沖縄コース、愛媛県八幡浜から四国入り.
05 08 大阪府、有識者による「世界平和を考える大阪会議」設置を決め、委員・顧問のメンバーを発表。顧問:広島・長崎市長、沖縄県知事の3人、委員:朝比奈隆、梅  忠夫、桑原武夫ら35人。
06 20 沖縄市、「核兵器廃絶・平和都市宣言」を採択。
06 23 沖縄・広島・長崎を結ぶコンサート「三つのレクイエム」(琉球放送など主催)   那覇市で開催(聴衆約 400人)。
06 28 茶道裏千家、沖縄県糸満市で「裏千家同門沖縄大会-平和の祈り」を開催(29日まで)。平和アピール採択。
07 11 原水禁国民会議、広島・長崎・沖縄で開催する独自大会の第二回実行委員会を、東京で開催。大会基調案などをまとめる。
08 04 沖縄県の老人クラブ・青年会代表ら、来広し、ヒロシマを語る会のメンバーと交流。
08 11 被爆四十周年原水禁大会国際連帯会議(原水禁主催)、沖縄市で開催(海外代表約30人を含め、約 500人参加、13日まで)(広島女学院大聖歌隊、参加し、合唱曲を発表)。
10 31 沖縄県糸満市の糸満中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和公園で、原爆犠牲者慰霊に民俗舞踊を披露。
11 12 沖縄県石垣市立大浜中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和祈念像前で伝統芸能を披露。
11 18 徳島県那賀郡鷲敷町の「平和を考える老人のつどい」、広島・長崎・沖縄などの自治体の首長に「反核遺書」を送付し、賛同の署名を求める運動を開始。
11 18 中国新聞(夕刊)「ひろしまサロン:野坂恵子-「広島・長崎・沖縄 三つのレクイエム」を呼びかけた」
11 24 戦争被害を受けた三地点を結ぶコンサート「広島・長崎・沖縄 三つのレクイエム」(民音主催)、広島市で、開催( 12月 6日、長崎市で) 。
12 06 コンサート「広島・長崎・沖縄 3つのレクイエム」、長崎市で開催。
1986年
01 11 沖縄の北西150/キロ/の海上で、ソ連原潜が事故で浮上。ウラジオストクにえい航。
01 25 被爆者・広島在住の沖縄出身者ら、「広島と沖縄をむすぶつどい」を広島市で結成(25人参加)。
02 02 広島市長、沖縄市での「国際平和年特別講演会」(沖縄市主催)で、「ヒロシマの心」と題して講演。
04 25 日本原水協の呼び掛けによる  「核戦争阻止・核兵器廃絶・非核化のための沖縄国際会議」、那覇市で開催( 29日まで) 。27日、全体会議開催( 約 350人参加) 。
06 22 「広島から沖縄戦を見つめる集い」(「広島・沖縄をむすぶつどい」主催)、広島市で開催(約60人参加)。
07 19 沖縄戦の記録映画上映・コンサート、長崎市で開催( 約 300人参加) 。長崎沖縄の平和運動家ら、交流。
07 31 平和の祈り集会、広島市で開催。講演「私の韓国・広島・沖縄」、原爆供養塔前での祈とう会他。
07 31 京都市の「仏桑花の会」、沖縄・本土の中・高校生らを引率し、来広。原爆資料館など見学し、平和学習。
08 04 広島・長崎・沖縄を巡る「ピースツアー」の一環として「アジア学生交歓会」、広島市で開催 (国内から約 100人、東南アジア留学生ら 8名参加) 。
08 22 日本原水協、米・ニューヨーク市での第 4回北大西洋ネットワーク平和会議(22日-24日)に、沖縄原水協のメンバーを派遣。
09 22 「長崎平和の母子像」の原型、完成し、長崎市に搬入(来年3月除幕予定)。同像の  制作を依頼した沖縄県の関係者ら、長崎市を訪問。
11 05 沖縄市立美里中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和学習。平和公園で、原爆犠牲者追悼に、沖縄の伝統芸能を披露。
11 16 沖縄の反戦フォーク歌手、100回目のコンサートを被爆地で開催したいと、広島市で チャリティーコンサートを開催(聴衆約70人)。
11 18 沖縄県那覇市立首里中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和学習。平和公園で平和集会を開催(8回目)。
1987年
03 26 「広島・沖縄をむすぶつどい」、「子どもの沖縄体験旅行」を実施。被爆者ら、随行。
08 05 「8・5反戦反核広島集会」、広島市で開催(約300人参加)。テーマに、基地・原発・沖縄など。
08 07 原水禁の「九州縦断非核平和行進」(約250人)、長崎市に到着(6月中旬沖縄を出発)。
09 14 ヒロシマ・ナガサキ平和基金、沖縄県西原町での「平和の集い」に、原爆をテーマにした絵(増田勉作)などを貸与。
12 15 沖縄・「平和の像」破壊と広島・中曽根句碑建立を許さない映画のつどい(市民講座ヒロシマなど主催)、広島市で開催。
12 26 「沖縄とヒロシマを結ぶ市民の会」、初の平和交流団「ピースフライト沖縄」を派遣。
1988年
02 14 昨年末の「ピースフライト沖縄」で沖縄を訪問した被爆者ら、広島市で、「見てきた沖縄の報告会」を開催(約80人参加)。
03 01 原水爆禁止沖縄県協議会などの調査で、1954年にビキニ環礁で沖縄の漁船が被爆した可能性が高いことが判明。
03 16 広島県山県郡の千代田中学校、平和学習の一環として沖縄へ修学旅行。
07 31 沖縄県の中学・高校生らによる「仏桑花の会・学生勉強の旅」の一行(17人)、来広し、原爆資料館などを見学し平和学習。
08 07 ヒロシマと沖縄を結ぶ平和集会、広島県安芸郡府中町で開催。
08 15 広島市の反核画家吉野誠、沖縄・広島の戦争被害をテーマにした作品を、沖縄県中頭郡北谷町に寄贈、同町で贈呈式。
10 05? 広島市の画家吉野誠、沖縄の戦争被害や被爆直後の広島などを描いた版画絵はがき(10枚1組400円)を制作。
11 19 第1回九州地区平和学会研究集会、長崎市で開催(日本平和学会・長崎平和文化研究所共催、20日まで、約60人参加)。テ-マ「九州・沖縄からアジアの平和を考える」。「長崎原爆松谷訴訟の目的と争点」などについて研究交流会。
12 15 沖縄市長、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に異議があると同議会で答弁。
12 21 沖縄県中頭郡読谷村村議会で、同村長、天皇を戦争の最高責任者であると答弁。
12 23? 沖縄県の社会党・護憲共同県議団、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して激励の文書を送付。
1989年
03 28 「広島・沖縄をむすぶつどい」主催の子どもたちを対象にした沖縄体験旅行、実施(3泊4日)。
04 21 6月開催予定の「心に刻むアウシュビッツ長崎展」に賛同する市民の集い、長崎市で開催(約50人参加)。「アウシュビッツ・南京・沖縄・広島・長崎の悲劇は同じ線上にある」と同展を計画。
05 08 米誌ニューズウィーク、水爆を塔載した米海軍艦載機が1965年に沖縄近海に水没、海軍はこの事故をもみ消したとの調査報告を掲載。森滝市郎ら、非核三原則の空洞化であるとコメント。
05 12 広島県、米の水爆搭載機水没事故で、非核三原則厳守などを求めた要請文を外務省に提出。沖縄県も。
06 19 海上保安庁、1965年に米の水爆搭載機水没事故のあった沖縄近海の環境影響調査を来月実施することを決定。
07 21 24年前に水爆機が米国空母から沖縄近海に水没していた問題で、科学技術庁は現場海域での調査の結果、国民生活上心配ない、との結論。
08 05 沖縄県の「平和を守る北谷町民の会」、沖縄戦の写真などを展示した「沖縄平和展」を広島市で開催(6日まで)。
1990年
02 24 日本機関紙協会広島県本部主催「沖縄文化共同取材ツアー。~26日」(出典:『ヒロシマ・沖縄 その道は一つ』)
06 22 反核・平和を訴える自転車行進「ピース・サイクル」、広島・長崎に向けて沖縄を出発。
06 25 沖縄・原爆をテーマにした絵画(渡慶次恒徳作)の展示会、大阪市で開催(大阪市原爆被害者の会主催)。
08 09 沖縄県の「少年の船」の団員ら516人、長崎市を訪れ、平和公園で平和祈念式典を開催(12回目)。
?? 沖縄県南風原町、戦争遺跡である陸軍病院壕跡を全国初の文化財として町史跡に指定。
1991年
05 01 「ピースラン’91」の聖火伝達式、長崎県庁前で開催。同聖火は4月27日に広島市を出発、沖縄を巡回し、東京へ到着予定。
06 18 「6・23沖縄平和祭PAL in OKIMAWA(平和・友好・愛)」(沖縄県主催)のシンボルとなる「平和の灯」採火式、広島市の平和記念公園で開催。沖縄平和祭の大城純亀事務局長ら4人が出席。
06 18 「6・23沖縄平和祭」(沖縄県主催)のシンボルとなる「平和の火」、長崎市の爆心地公園で採火。
06 23 沖縄県、糸満市・摩文仁の平和公園で沖縄全戦没者追悼式を挙行。広島の「平和の灯」・長崎の「誓いの火」を「平和の火」として点火。
06 ? 全国を自転車で走って広島・長崎に向かう平和運動「ピースサイクル」、北海道・沖縄をスタート。今年で6回目。
07 08 <宇吹>堀場清子著『沖縄女性史を探る』拝受。
07 27 「親子平和学習のつどい’91この子たちの夏-ヒロシマ・沖縄」、広島市の婦人教育会館でで開催(約50人が参加)。同会館で活動している市民グループが主催。朗読劇などを上演。
08 05 沖縄平和大使の一行(15人)、来広し、平岡広島市長に沖縄市長からのメッセージを提出。沖縄市が中学生とその母親にヒロシマを学んでもらうため初めて派遣。
08 09 長崎・沖縄交流会、「太平洋戦争と沖縄戦-親と子でみる写真と文献・長崎展」を長崎新聞文化ホールで開催。-15日。
10 03 沖縄での戦争体験について証言活動をしている「ひめゆり同窓会」の一行、来広し、広島の被爆者の案内で原爆資料館を見学。
11 24 長崎「原爆問題」研究普及協議会と沖縄平和の創造委員会、「ナガサキとオキナワを結ぶ交流シンポジウム」を長崎市の県教育文化会館で開催。30人が参加。
1992年
01 09 <宇吹>吉川生美氏来所。年末、沖縄(西表島)旅行をしたとのことで、泡盛などの土産を貰う。
05 06 <宇吹>M(某紙記者)より電話。沖縄返還20周年をヒロシマの視点から取り上げたい。宇吹=原水禁大会で第2回大会以降、返還まで毎回大きく取り上げられていたことを話す。
05 31 広島と沖縄をむすぶつどい、広島YMCAで開催。
05 23? 広島県被団協、平和会館内に沖縄戦の遺品コーナーを常設。
06 14 平和展「ヒロシマ原爆」、沖縄県の南風原文化センタ-で開幕。-28日。広島市原爆資料館や広島平和文化センタ-から借り出した資料を展示。
08 03 ヒロシマと沖縄を結ぶ夕べ、広島市内で開催。
08 03 沖縄戦の悲劇を歌い続けている沖縄在住のシャンソン歌手の母娘、広島市の原爆慰霊碑に献花。
08 04 沖縄県豊見城村の中学生24人、平和学習のため大竹市を訪問。-8日。同村教育委員会のふるさと創世事業の一環。
08 16 沖縄市が派遣した14人の親子平和大使、長崎入り。沖縄・長崎を一年交代で訪問するもので、前年に始まり、長崎訪問は初。
10 31 平和を考える念仏者の集い、沖縄戦をテーマに本願寺広島別院で開催。約200人が参加。
11 29 日本被団協中央相談所、九州ブロック講習会を沖縄県那覇市で開催。430人が参加。-30日。
1993年
05 15 沖縄平和運動センター主催の平和行進、那覇市と名護市から出発。
06 06 沖縄県原水協などの1993年原水爆禁止国民平和大行進、長崎に向け沖縄を出発。
06 26 広島キリスト教女子青年会、講演会「沖縄に生きる女性たち」を広島YMCAで開催。ヒロシマと沖縄とのかかわりを問い直すのがねらい。約20人が参加。
08 04 新川秀清沖縄市長と同市の各中学校から選ばれた2年生の代表7人とその親、「平和大使」として広島入り。同市は2年前から広島と長崎に交互に平和大使を派遣。
09 18 「シンポジウム・平和記念館のあり方を考える」。於中央大学駿河台記念館285号室。<宇吹メモ>発言(菊池):修学旅行で飛行機の使用が可能になり沖縄を修学旅行先に選べるようになった。
10 27 国会議事録索引・被爆者対策史年表の編修会議。於放影研。-14時30分。<宇吹メモ>年表に、沖縄被爆者対策や全国各地の法外事業を加えるべきとの意見を言う。
1994年
02 03 <宇吹メモ>沖縄の書店より電話。マンハッタン計画の報告書を入手したとのことで概要を聞く。珍しくないと回答。
05 17 <宇吹メモ>**(関東学院大学図書館)より電話。「図書館雑誌」への正式な投稿依頼。プランゲ文庫・平和図書復刻・松川資料室・沖縄・長崎と一緒に取り上げる由。
05 17? 広島市、9月に「平和博物館会議」(仮称)の開催を計画。埼玉県平和資料館・川崎市平和館・立命館大学平和ミュージアム・大阪国際平和センター・長崎国際文化会館・沖縄県立平和祈念資料館が参加予定。
06 22 <宇吹メモ>藤居平一の話=沖縄・小笠原の「招待治療」は、「原爆乙女」のアメリカでの治療に使われていた言葉を使った。
06 22 沖縄県、「平和語り部の集い」を那覇市内で開催。高橋昭博(広島)・下平作江(長崎)らが参加。
06 25 「広島・長崎をむすぶつどい」、那覇市役所で平和行政に携わる宮里千里の講演会「今、平和憲法を沖縄から問いかける」を広島YMCAで開催。
07 25 「ひろしま少年少女合唱団」のメンバー43人、沖縄を訪問。
07 27 広島市草津公民館で親子平和映画会「石の声-沖縄戦マラリア地獄の記録」を開催。
07 10? 沖縄市役所、「沖縄発平和トライアングル94」の親子平和大使認定式を開催。毎年交互に、親子で広島・長崎を訪れているもので、今回が4回目で長崎を訪問。
08 04 「沖縄・長崎・広島」平和交流会、広島厚生年金会館で開催。
08 05 「原水爆禁止1994年世界大会・広島」・「ピースジャム94inヒロシマ」、広島県立総合体育館で開演。沖縄のミュージシャン嘉納昌吉が出演。
08 06 沖縄県豊見城村の中学生24人、大竹市を訪問。同市の平和記念式典に参列。
08 07 沖縄県出身の広島被爆者渡慶次恒徳(とけし・つねのり)、奈良市で開催された市民平和集会で被爆体験を証言。
08 07 沖縄市親子平和大使(市内7つの中学校の親子14人)、長崎市に到着。恵の丘長崎原爆ホームを慰問。8日、長崎市役所を訪問。-10日。広島と長崎を交互に訪問し、今回の長崎訪問は2回目。
08 10? 「広島・沖縄をむすぶつどい」、第10回子供の沖縄体験旅行(8月24日-27日)の参加者を募集。
09 13 広島市が呼びかけた「平和博物館会議」、原爆資料館東館で開催。埼玉県平和資料館・川崎市平和館・立命館大学国際平和ミュージアム・大阪国際平和センター・ナガサキ国際文化会館・沖縄県立平和祈念資料館・広島市原爆資料館の館長らが出席。

 

年表:沖縄・広島 1995年

年表:沖縄・広島<作業中

 年月日  事項
1995年
02 12 <宇吹メモ>藤居の話=1月後ぐらいに舟橋と一緒に会って欲しい。原爆医療法が沖縄・小笠原の人々とともに朝鮮人に適用されるよう努力。戦争への謝罪の気持ちがあった。こうした問題について話がしたい。
02 19? 大田沖縄県知事、県議会2月定例会に「非核・平和沖縄県宣言」を提出。
03 09 <宇吹メモ>**(中国新聞記者)来所。米兵捕虜と沖縄の被爆者について。
05 15 沖縄のミュージシャン喜納昌吉の「サバニ・ピース・コネクション」の出発式、与那国島で開かれる。沖縄伝統の手こぎ舟「サバニ」で沖縄と奄美の島々を訪れた後、8月6日に広島、9日に長崎入りをめざす。
05 18 沖縄県伊良部町立佐良浜中学校3年生92人、修学旅行で長崎市を訪問。爆心地公園で平和集会を開催。
05 24 五十嵐官房長官、天皇・皇后が今夏に広島・長崎の被爆地を訪問する方向で検討していることを明らかにする。沖縄・東京大空襲の慰霊堂も検討。
06 18 「広島・沖縄をむすぶつどい」、集会「沖縄と広島の戦後50年」を広島YMCAで開催。
06 21 <宇吹メモ>浅沼稲次郎は小笠原のすぐ近くの三宅島出身。もう少しのところで占領下に置かれる場所。早稲田での原水爆禁止世界大会の開催は、沖縄出身の大浜・浅沼・藤居のお陰で可能になったようなもの。使用許可書には、浅沼の名前があるので社会党が国宝ものと言っていた。沖縄には日本からの独立の動きがあった。大浜は日本派。私は、第3の琉球処分になってはならないと思っていた。沖縄に被爆者手帳が交付されることは、日本に引きつけることになる。(宇吹=当時考えていたことか、それとも今から考えて結果的にそういうことになる?)
06 22 沖縄県原爆被爆者協議会、沖縄県出身者の被爆50周年追悼慰霊祭を那覇市の護国寺で挙行。約70人が参列。
06 23 長崎市の音楽愛好家らで組織する「平和の旅へ」合唱団、沖縄市役所で故渡辺千恵子の半生を描いた合唱組曲「平和の旅へ」を披露。24日には、那覇市で。
06 23 長崎県、沖縄全戦没者追悼式を糸満市摩文仁の平和祈念公園で開催。式の前に「平和の礎(いしじ)」の除幕式。約23万4000人の犠牲者の氏名を刻んだモニュメントで費用は約15億円。式典で、広島・長崎の火を合わせた「平和の火」に点火。
06 23 村山首相・土井衆議院議長・草場最高裁長官ら、「沖縄全戦没者追悼式」に出席。
06 23 沖縄県糸満市摩文仁の丘で「平和の礎」の除幕式。広島・長崎の原爆で死亡した沖縄県出身者176人の名前を刻む。
06 23? 那覇・長崎の両市など、「広げよう世界に・平和の心を」をテーマに沖縄戦集結・長崎原爆被災50年平和資料展を那覇市民ギャラリーで開催。-25日。
06 25 <宇吹メモ>NHKスペシャル『沖縄・23万人の碑・戦後50年目の祈り』を見る。「平和の礎(いしじ)」の名簿作成過程に復元調査と同様の方法論を見る。これへの反応を原爆犠牲者慰霊施設の犠牲者名簿作製の参考とする必要がある。
07 25 沖縄のミュージシャン喜納昌吉、広島県立廿日市養護学校を訪問。歌や踊りで交流。
06 26 <宇吹メモ>ETV特集「沖縄・戦世の記録・1フィート映像の証言1」を見る。自分の母や妹を殺した人の証言。
06 27 <宇吹メモ>ETV特集「沖縄・戦世の記録・1フィート映像の証言2」を見る。米軍の残虐性の告発。
08 01 沖縄のミュージシャン喜納昌吉、広島・長崎の平和のメッセージを携え沖縄伝統の小舟「サバニ」に乗って、大阪市の川を上る。
08 02 天皇・皇后、沖縄を慰霊のため訪問。
08 06 沖縄伝統の丸木舟「サバニ」で沖縄と広島を結ぶ旅を続けてきたミュージシャン喜納昌吉ら、広島市・太田川河川敷に到着。約500人が出迎える。
08 07 沖縄のミュージシャン喜納昌吉ら、「サバニ・ピース・コンサート」を広島郵便貯金ホールで開催。聴衆1500人。
08 07 沖縄県臨時議会、中国の核実験に抗議しフランスの核実験再開の即時中止を要求する決議を全会一致で可決。
08 09 長崎爆心地公園で平和集会。約1000人が参加。沖縄のミュージシャン喜納昌吉らが出演。
08 10 天皇、戦後50年に当たっての長崎・広島・沖縄・東京の戦争犠牲者慰霊施設への訪問の感想を文書で公表。
08 11 「被爆50周年原水爆禁止世界大会」沖縄大会、那覇市で開催。(社会新報)
08 27 <宇吹メモ>**の話=台湾の師範の同窓会を毎年やっているが、沖縄出身者は参加しない。
09 29 広島市議会、米兵による沖縄の女子小学生暴行事件に抗議し、米兵の犯罪防止や日米地位協定の見直しを求める意見書を全会一致で可決。
09 29 長崎県被爆者手帳友の会、拡大理事会を長崎市内で開催。沖縄の米兵女児暴行事件で沖縄県知事に激励電報を送付し、被爆地域拡大是正問題で中央陳情することを決める。
09 30 <宇吹メモ>日本の戦後50年問題は、もし、自民党政権であったら、明治百年祭や紀元節復活キャンペーンのようなイデオロギー攻勢がなされた筈。自社連立のため出来なかった。天皇の沖縄・広島・長崎・東京慰霊という形と、アジア歴史資料センターなど経済主義路線がとられた。
10 18 沖縄県佐敷中学校3年生180人、修学旅行で長崎市を訪問。平和公園で平和集会を開催。
10 21 沖縄県民総決起大会、宜野湾市で開催。58000人が参加。
10 24 <宇吹メモ>**・**の話=沖縄と長崎の調査をした。沖縄・南風原村では、字単位で戦争状況の掘り起こしを進めている。堅い本を作ると終わりになってしまうので、小さなレポートの発行を続けている。原爆資料館でもやる意味はある。一国一館運動が利用できないか。沖縄の視点から広島をみると、新たに見えるものがある。総軍が置かれたが、これは、西日本の切り捨て=沖縄化となる可能性があったのではないか。
10 26 広島県、戦後50周年戦没者追悼式を沖縄県糸満市米須の丘「ひろしまの塔」前で挙行。県知事・県議会議長など約100人が参列。
10 27 平和・民主主義労組会議、「沖縄と連帯するヒロシマ集会」を広島労働会館で開催。約300人が参加。
11 10 広島県労連や民主商工会などで組織する国民運動大運動実行委員会、沖縄駐留米兵の小学生女児暴行事件や国際司法裁判所での日本政府の意見陳述、フランスの核実験などに抗議して、広島市内でデモ。約1000人が参加。
11 17 沖縄市立越来中学校2年生113人、修学旅行で長崎市の平和公園を訪れ、琉球の伝統舞踊「エイサー」を踊る。
11 21 広島県被団協(金子一士理事長)、沖縄県の米軍用地強制使用の代理署名について、村山首相に抗議電報を送付。
11 23 日本平和委員会、95年日本平和大会を沖縄県で開催。-25日。
11 30 広島県原水禁大崎地区協議会、フランスの核実験と沖縄の米軍兵士による少女奉公事件に抗議する集会を木江町中央公民館で開催。
12 02 広島県・甲田町職労など、フランスの核実験や沖縄の米兵による暴行事件に抗議する24時間の座りこみを同町中央公民館横で実施。約50人が参加。
12 08 <宇吹メモ>**の話=天皇は、関心を持っていた。沖縄の話を出していた。20分のところ40分話した。
12 10 沖縄県南風原(はえばる)町の小学6年生8人、平和学習のため広島市を訪問。「サダコ・クラブ・ヒロシマ」のメンバーら13人と交流。
12 22 天皇、62歳の誕生日を前に記者会見。長崎・広島・沖縄・東京での戦争犠牲者を追悼した「慰霊の旅」に触れ、体験の継承の必要性について語る。
12 13? 長崎の証言の会・長崎原爆被災者協議会など6団体、シラク・フランス大統領らへの抗議文や大田昌秀沖縄県知事への激励メッセージを送付。

 

年表:沖縄・広島 2001年~

年表:沖縄・広島 2001年~<作業中

 年月日  事項
2001
 0522 <宇吹メモ>広島女学院大学講義: 文化史学A(第7回)。「日本の文化遺産」、「法隆寺」(途中から)。「京都」。「日光」。「姫路城」。「飛騨」。「琉球・沖縄」。
  052 <宇吹メモ> 広島女学院大学講義:文化史学B(第5回)。「日本の文化遺産」、「法隆寺」(途中から)。「京都」。「日光」。「姫路城」。「飛騨」。「琉球・沖縄」。
0623 沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
 2002
 0206  <宇吹メモ>沖縄平和賞委員会からの推薦依頼書類が原医研から転送される。趣旨の問い合わせのメールを送る。
 0207  <宇吹メモ>西垣学長室へ。沖縄平和賞委員会の推薦について話す。森滝春子、節子・サーロー名が挙がる。
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
 2003
0623 沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
0703 <宇吹メモ> 広島女学院大学木曜チャペル:桐木建始「慰霊の日に思う―戦世(いくさゆ)の沖縄―」。
 0916 <宇吹メモ> 広島女学院大3年宇吹ゼミ生有志、沖縄旅行。~17日。8月31日、中止との連絡。
 0927 <宇吹メモ> **へ会誌と宇吹ゼミ卒業論文集を宅急便で送付。10月1日に届く由。沖縄の遠さを知る。1690円。
1106  <宇吹メモ>西垣学長の話=沖縄・長崎との交流を考えるなら、いずれも関西学院大学の関係者がいるので協力できる
 2004
 0510 <宇吹メモ> 桐木の話=学長から沖縄・長崎と一緒に単位互換の講義を開くよう交渉中であるとの話があった。関西学院も加われば、8月の集中講義は3年に1回ということになる。<私は賛意を表明>。5時過ぎ、西垣より電話で同様の連絡あり。
0607 <宇吹メモ> 西垣の話=ランバス・リーグの平和学習プログラム。沖縄・長崎・広島・関西学院の間で話が進展。
 0618  <宇吹メモ>**と**、来室。中国旅行の下準備の話から日中の歴史観について話す。**は、小林よしのりを読んでいた。父は自衛官で、沖縄・長崎の学校を経験。
0623 沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
 0713 <宇吹メモ> 西垣学長の食堂での話=単位互換を関西学院大学・女学院に長崎・沖縄を加えたい。来年は、長崎の鎮西で。近いうちに院長と話す予定。
 0807  <宇吹メモ>(関西学院大学・女学院単位互換講座「ヒロシマ」:講義「オキナワとヒロシマ」。ヒノハラ5F・アセンブリホール。
 0808  <宇吹メモ>西垣・村田・中迫とヒノハラ5階の応接室で話す。来年以降の講義。西垣の提案=来年は長崎・活水、以後、沖縄などを加えてゆく。
0808  <宇吹メモ>講座「ヒロシマ」:講評。村田・**(=父が入市被爆者、沖縄でのヒロシマ体験)・西垣。
 1009
 1122  <宇吹メモ>**、来室。沖縄での内観の体験を30分ほど聞く。私から世界遺産:斎場御嶽(セーファウタキ)の写真のお礼として100円渡す。
 1123 <宇吹メモ> **、沖縄土産を届けてくれる。新婚旅行。
 2005
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2006
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2007
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2008
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2009
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2010
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2011
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2012
0623 沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
 0902  日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部「不戦のつどい」。司会:井上俊逸。伊波洋一(元宜野湾市長)「復帰40年の沖縄から問う 日米安保の限界と今後の展望」、久米慶典(岩国平和委員会副会長、元山口県議)「オスプレイ配備強行は何を意味するか―岩国からの報告」。
2013
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2014
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2015
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
 2016
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。安倍晋三内閣総理大臣参列。
2017
 0619  日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部「Jサロン」大内要三(元朝日新聞出版本部編集委員)「いま沖縄が問う日本国憲法の有効性」。
 0623  沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。安倍晋三内閣総理大臣参列。
2018
0623 沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。安倍晋三内閣総理大臣参列。
0825 映画『沖縄スパイ戦史』。横川シネマ。<宇吹>
2019
0623 沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。
2020
0623 広島学院高校で沖縄戦を学ぶゼミ、太平洋戦争中に撃沈された沖縄の学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を追悼する集いを、広島市南区の比治山陸軍墓地で営む。約10人が参列。(『中国新聞』)
0623 『中国新聞』社説:沖縄慰霊の日 今に続く営み忘れまい
0624 『中国新聞』天風録「沖縄慰霊の日」
 2021
 0623 沖縄県・沖縄県議会主催
令和3年沖縄全戦没者追悼式
日時:令和3年6月23日(水)午前11時50分~午後0時40分
場所:平和祈念公園(糸満市摩文仁)
 2022
 0515  東京都と沖縄県において、政府と沖縄県の共催で、天皇皇后両陛下のオンラインによる御臨席の下、沖縄復帰50周年記念式典を開催.令和4年3月8日(火)午前 | 令和4年 | 官房長官記者会見 | ニュース | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)
  0623

 

南京の日本軍―南京大虐殺とその背景(藤原彰)

『南京の日本軍―南京大虐殺とその背景』(藤原彰、大月書店、19970801)

内容

はじめに
南京攻略戦と大虐殺
1 南京戦への道程
2 南京攻略戦の展開

南京攻略に参加した日本軍主要部隊

中支那方面軍
(松井石根大将)
[1937年
11月7日編合]
上海派遣軍
(朝香宮鳩彦王中将)
[略] [略] [略]
第10軍
(柳川平助中将)
[1937年
10月20日編成]
第6師団 [略] [略]
第114師団 [略] [略]
国崎支隊(第5師団の一部)
(国崎登少将)
歩兵第9旅団 歩兵第41連隊
(山田鐵二郎大佐)

3 捕虜の組織的殺害
4 市内掃蕩と集団処刑
5 市民への残虐行為
6 南京大虐殺の本質と規模
事件の背景と原因
1 日本軍隊の特質
2 軍の素質の低下

第5師団の兵の役種区分調査結果

(1937年7月27日動員、同年8月20日調査)

人数 百分比
現役兵 6615 27.4
予備兵 7527 31.2
後備兵 3313 13.7
補充兵 6645 27.7
合計 24100 100.0

3 指揮官と幕僚の変質
4 軍機風紀の退廃
5 志気の衰退

「満州事変」と広島

「満州事変」と広島

 1931(昭和6)年9月18日、関東軍は、奉天(現・瀋陽)北方の柳条湖の満州鉄道線上で爆薬をしかけ、これを中国軍による爆破であるとして、張学良軍を奇襲、翌日には満鉄沿線を制圧した。この「満州事変」は、以後、日中戦争・太平洋戦争と足かけ15年にわたる戦争(「15年戦争」)の発端となった。

呉では、1931年10月9日に呉鎮守府所属の巡洋艦「天龍」が、「邦人保護」を名目として、上海に向け出動、上海事件直後には、巡洋艦「大井」および駆逐隊4隻が、特別陸戦隊2個中隊を乗せ上海に向った。また、11月以降、広島の宇品は増援軍の乗船港として利用され、12月には、第5師団の一部が天津・北平(北京)方面の警備に出動した。

政府は、英米との対立を避けるため事件の不拡大方針をとったが、関東軍はこれを無視してつぎつぎと軍事行動を起こし、翌年1月までに満州(中国東北部)全域を占領した。この間、軍部は、満州に傀儡国家を樹立する工作をすすめ、1931年11月には天津事件を起こして清朝最後の皇帝溥儀を満州に連れ出した。そして翌32年1月18日には、列強の目を満州での新国家樹立工作からそらせるため、上海事変を引き起こした。1932年3月1日の満州国建国後、日本政府は、国際連盟を脱退(1953年)し、1936年11月25日には日独防共協定を締結した。

国内では、「満州事変」後、血盟団事件(1932年2月9日)、5・15事件が相次いで起こり、「満州事変」を契機に日本の社会は、急速に戦争とファシズムの時代に突入した。

軍隊の歓送迎

県内では広島・福山・呉を中心に、市民が歓送迎にかり出され、戦争熱に巻き込まれた。県は、1931年11月列車で来広し、宇品を出発する第8師団(弘前)混成第4旅団の見送りのため、沿線各町村は国旗または提灯を掲揚、各駅および沿線には各種団体が出て歓送するよう通牒した。弘前部隊は16日の広島駅頭での大歓迎を受けた後、翌17日には10万人の市民に見送られて出発した。また、この日の鈴木旅団長の訓示が広島放送局を通じ全国放送された。

12月の第5師団の出発では、第41連隊(福山)連隊長が同師団の派遣隊長であり、福山での歓送が盛り上がった。市議会が満場一致で採択した送別文を決議して激励した。19日には、市民が提灯行列を行って門出を祝うとともに、21日の福山駅出発にあたっては10万人が見送った。同日の宇品港出発に際しても、1000隻の船が歓送し、宇品付近で13万人の人出が見られた。こうした宇品港・広島駅での歓送迎は、事変後から翌1932年10月末までに462回にも達している。

1932年2月6日、呉市で挙行された上海事変後最初の呉鎮守府所属戦死者2名(三重・岡山出身者)の海軍合同葬(第1次)には、4万人が会葬した。(『呉日日新聞』1932年2月7日)

慰問金・国防献金

戦争支持の具体的行動は、慰問金・国防献金への参加という形でも現れた。広島連隊区司令部は、事変発生から1か月後、在満将兵と山海関警備にあたっていた歩兵第11連隊細川中隊への慰問金品募集を始めた。最終締め切りの1931年11月末には、慰問金の総額は、1万円余となった。ところが、12月10日に、第5師団長、広島・山口・島根各県知事、帝国在郷軍人会第5師管連合支部長らが呼びかけた国防献金では、37万円という桁違いの額に達した。これは、「勅諭拝受50周年記念事業兵器献納」と銘打って募金運動で、集まった金は、37万円余で軍用機5機が建造され、残りの22万円は高射砲などの防空兵器に当てられた。

1932年7月24日、広島市の東練兵場で軍用機5機の命名式が、梨本宮・小磯陸軍次官などの来賓のほか5万人の市民の参加のもとに挙行され、愛国第32号~35号、第40号の模範飛行が行われた。

陸軍で起こった軍用機献納熱は、海軍にも波及した。呉では献納のための後援会が1932年2月14日に結成され、献金11万5000円余で戦闘機2機を建造し、1932年5月13日、広工廠で命名式(報国第3号、第4号)を挙行した。このほか1933年7月30日にも、呉海工会・広工僚会・徳山燃工会による献納機2機(報国第23号、第24号)の命名式が行われている。

「満州事変」下の主な軍国主義的諸行事

「満州事変」以後、軍国主義的な各種行事が大々的に開かれるようになった。その主なものとしては、つぎのようなものがあった。これらの諸行事は、時局の緊迫した折には、民衆を動員する一大決起の場となり、時局が一段落した折には、意図的に「非常時」を演出する役割を果たした。

年 月日 記念日・関連諸行事、大会など
1932
0424 軍人勅諭拝受50年。
記念式典。広島=在広部隊5000人、市民数千人、呉=2万人、福山=15000人参加。
記念時局博覧会。広島市西練兵場・広島県商品陳列所などで開催。総入場者34万人。
0918 満州事変記念日。
在広部隊・郷軍・小中学生・青年訓練校生など9000人、市中行進。
広島国防研究会主催時局講演会、広島偕行社で開催。
土肥原歩兵第9旅団長・三宅陸軍運輸部長・二宮師団長、満州事変を回顧し講演。
FK、全国に実況中継。
1025 リットン報告に対する広島国民大会(広島西練兵場)。
広島県・広島市・広島商工会議所・在郷軍人会広島市聯合分会・広島国防研究会共同主催。5万人参加。
1933
0211 建国祭・広島国民大会(広島西練兵場)。
県・市・商工会議所・郷軍広島市連合会・国防研究会・広島市町総代連合会共催。7万人参加。
0429 天長節。
在広部隊の観兵式(広島西練兵場)。観衆3万人。
0527 海軍記念日。
記念行事(呉二河公園)。2万人参加。
1229 東宮命名記念行事。
広島市主催奉祝式(比治山御便殿)。招待者2000人、有志5000人参列。
中等学校生徒1万人、西練兵場で奉祝。
尾道市式典(久保小学校)6000人参列、市内を旗行列。
1934
0211 建国祭および皇太子殿下生誕奉祝大会(広島西練兵場)。
広島県・広島市・第五師団・商工会議所その他24団体主催。5万余人参加。
0310 陸軍記念日。
92式装甲自動車献納命名式(広島東練兵場)。
1101 大本営御進転40周年。
記念式典(広島西練兵場)。5万余人参加。
明治天皇行幸記念展覧会、広島城で開催。拝観者総数23万余人。
1935
0327 国防と産業大博覧会(~5月10日)。呉市主催。第1会場二河公園、第2会場川原石海軍用地。
入場者(両会場観覧者)136万余人。
0527 海軍記念日。日本海海戦三十周年記念日。
祝賀会(呉市)。県在住の日露戦争海軍従軍者1000人、呉市在住の陸軍従軍者1000人を招待。
1936
0918 満州事変5周年記念大会(広島招魂社前)。2万人参加。
午後10時30分(柳条湖爆破時刻)、全市で30分の黙祷。

 

国防団体の結成

広島には、帝国軍人後援会・海軍協会・愛国婦人会といった軍事後援団体の支部が存在していたが、「満州事変」後、より積極的な団体が新たに生まれた。上海事変が勃発し海軍が本格的に戦争に介入するようになってまもない1932年2月15日、呉市対支時局後援会が設立された。市当局を中心に市内の各種団体・在郷軍人会・男女青年団など全市をあげての軍事援護機関であった。同会は、翌33年9月30日、呉市国防協会と改称した。広島でも同様の機関として、1932年7月24日に広島国防研究会が設立された。また、「事変」3周年にあたる1933年9月18日には、広島市で広島国防研究会の肝いりで広島国防婦人連合会が発足した。さらに、同月29日には、こうした県内の組織の連合体として広島国防研究会が発会した。

防空演習

広島においては、1932(昭和七)3月、陸軍記念日の行事として広島市青年訓練所連合主催・第5師団後援の防空・市街戦演習が2日間にわたり行なわれた。初日の9日夜半には、3分間の燈火管制が実施され、全市民がこれを実行した。呉においても、同年7月設立された呉・広連合防護団が、秋の陸・海軍合同演習に呼応して、10月24日防空演習を実施した。

防護団というのは、法的根拠はいっさいなく、軍部が市町村長に奨励してつくらせたものであったが、昭和8年2月1日には、広島市防護団が発会式をあげ、3月にかけて、尾道・福山・三原の各市にも防護団が設立された。3月8~9日には、これらの防護団を中心とした第5師管下防空警備演習が実施された。

広島県が直接防空演習に関係するのは、昭和9年からである。7月21日実施された呉鎮守府・第五師団・第11師団連合中国・四国四県下防空演習にさきだって、広島県は、『防空演習必携』を発行し、県内各市町村に演習内容・防護団囲設置基準などを明らかにするとともに、演習中は、知事が県統監を勤めた。こうした軍と広島県の共同主催になる防空演習は、昭和10年・11年にも実施された。演習の模様を、広島・呉周辺の学校日誌から摘記すれぱつぎのとおりである。

年 月日  記事
1932
1020 (広小)第4校時防空演習をなす。
1021 (二河小)午前9時40分毒ガス弾防護演習。午後1時毒ガス弾防護避難映画撮影。
1933
0222 (幟町小)宿直中、防空講演会講堂において行なわる。大盛会なり。
0301 (幟町小)午後1時45分より防空警備予行演習あり。
本校は第5分団本部となり児童の避難訓練をなす。
0308 (幟町小)本日より第5師団管内の防空演習。
午後1時40分爆弾並に毒ガス弾本校に落下の想定の下に3年以下は西練兵場に、
4年以上は泉邸前松原にそれぞれ避難す。
1934
0712 (二河小)燈火管制演習、午後8時半~10時。
1935
0728 (二河小)本校炊事室にて防護団第7分団の炊出をなす。
1936
0909 (広小)防空演習予行。
0912 (広小)防空予行演習(催涙弾投下演習)挙行さる。
よって尋4以下学年は第1時限のみにて授業を打切る。
午前9時半北庭集合(西南高等、北東6年、中央尋5以上)。
0915 (広小)御進転記念日。防空演習午前9時より開始さる。
呉鎮守府長官、広工廠長その他の参観あり。

注:広(呉市)・二河(呉市)・幟町(広島市)各小学校保存の日誌より抜粋

 防空演習とともに、防空展・防空講演会・防空映画会などが開催され、防空思想の普及がはかられているが、軍の記念日や軍事演習の付随行事として行なわれたものが多く、一般には、空襲が現実のものと理解されるというよりも、戦意高揚の行事としてうけ取られたであろう。