「23 被爆国」カテゴリーアーカイブ

昭和40年度原子爆弾被爆者実態調査生活調査の手引

昭和40年度原子爆弾被爆者実態調査生活調査の手引
厚生省、1965年11月1日実施

この調査について
 第2次大戦が終末をつげてから20年の歳月が流れた。もはや戦後ではない,ということばが語られてすでに久しく,今日ではもはやそのようなことばが意味をもつ時期さえ去ったようにみえる。しかし,いうまでもなく太平洋戦争は,わが国にとって史上かってない強烈な経験であり,その敗戦の残した幾多の記憶はわれわれの終生忘れることのできないものであろう。そして,その記憶をもっとも生々しくわれわれの胸によみがえらせるひとつの事実は,20年8月6日広島に,つづいて9日長崎に投下された原子爆弾による惨害である。

ところで,原子爆弾の被爆者についての調査は,25年および35年に限られた範囲内で行なわれたほかは,国が国の責任において,全国的な規模で行なったことはなかった。敗戦からはやくも20年を閲した今日,わが国は,社会,経済,あらゆる面で大きく変ぼうした。そして,経済成長とそれにともなう諸変化,国民的自覚の高まりなどは,とみに被爆者への関心を促すこととなり,このことは,現在,被爆者の健康の保持増進についての制度である原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の改正などをめぐる国会の審議の模様などによっても明らかである。

このたび国が各都道府県および広島市,長崎市に委託し,全国のすべての被爆者について行なおうとする調査は,上のような国民的関心を背景として,国として行なうはじめてのものであり,その意味するところはまことに深いものがある。

この調査は,すべての被爆者について行なわれる基本的なものと,一部抽出した被爆者について行なわれる生活状況および健康状態に関するもの,さらにその他の特別のものから成り立っているが,事柄の性格上,種々の困難さがあることを覚悟しなければならない。それだけに対象者の把握,調査する事項,調査の方法などについては,原子爆弾被爆者医療審議会に部会を設け,それぞれの部門の有識者に十分に諮り,その意見にもとずいて立案されたのであるが,それでもなお,20年という長い年月を経過した今日,被爆という事実が被爆者にどのような影響を残しているかを知ることはすこぶる困難であるといわざるをえない。そして,この困難を克服し,被爆者の真の実態を把握するために,なににもまして望まれることは,この調査そのものが正確であり精緻でなければならないことであろう。それなくしては,この調査はその意義の半ば以上を失うといっても過言ではない。

さらに,この調査の結果については,国内のみならず,国際的にも多大の関心をもって注視され,期待されている。各位のご熱意,ご協力をとくに願う所以である。

第1 調査の目的
第2 調査の期日と日程
第3 調査員の受持つ被爆者とその世帯
第4 調査票などの種類
第5 調査の対象
第6 調査の手順
第7 調査員の心得
第8 調査票記入上の一般的注意
第9 生況調査・個人票の記入の仕方
第10 生活調査・世帯票の記入の仕方
第11 調査票などのまとめ方
第12 審査の仕方
附表1 附表2 附表3

米紙The New York Timesの原爆裁判報道

米紙The New York Timesの原爆裁判報道(1953年2月~1963年12月)

年月日 事項
1953.2.13 Hiroshima Ponders a Suit
[広島の法律家、原爆訴訟を検討]
HIROSHIMA, Japan, Feb. 12 (Reuters) – A legal committee here is studying international law to see if the city can claim damages from the United States for the 1945 atomic bomb attack. The Civic Bar Association passed a resolution yesterday setting up the committee.
1953.6.9 Reuters TOKYO 6.8
[ルーズヴェルト夫人、トルーマン大統領の原爆投下命令は正しかったと語る。]
1954.1.10 ATOMIC VICTIMS TO SUE
Japanese Plan to Name Truman in plea for Indemnity
[11人の日本人弁護士、今日、トルーマン大統領とアメリカ合衆国に対し、原爆被害者に対する損害賠償請求を行うと発表。]
TOKYO Jan. 9 (Reuters) – Eleven Japanese lawyers announced today that they would sue former President Harry S. Truman and the United States Government to gain compensation for every victim killed or wounded in the atomic attacks on Hiroshima and Nagasaki.
The lawyers, most of whom defended Japanese war criminals at post-war trials, alleged had violated both international and American domestic law. They gave no details as to where they would bring suit.
A spokesman for the group, known as the Atomic Bomb Compensation Federation, said it would demand about $3,000 compensation for every fatality, to be paid to relatives of the victims, and $600 for every survivor.
1955.4.4 1955.4.4
AP TOKYO 4.26
[広島の3人の原爆被害者、昨日、日本政府に原爆被害の賠償を提訴。]
1963.12.7 TOKYO COURT RULES ’45 A-BOMBS ILLEGAL
[東京地裁、原爆投下は国際法違反との判決を下す。]
TOKYO Saturday, Dec. 7 (AP) – A Japanese civil court declared today the United States violated international law by dropping atomic bombs on Hiroshima and Nagasaki in August, 1945, just before the end of World War Ⅱ.
The opinion by Judge Toshimasa Kozeki of Tokyo District civil court, on Pearl Harbor day, was in the case of five atomic bomb victims who sued the Japanese Government for $555 to $833 compensation each for their injuries. The court turned down their suit, ruling that neither national nor international law gave individuals the right to claim war compensations from the state.
The legal declaration condemning the atomic bombings was the first of its kind in Japan. Prof. Kaoru Yasui of Hosei University, director of the Japan Council against Atomic and Hydrogen Bombs, said the ruling had a “profounded significance and constituted a great encouragement to the ban-the-bomb movement in the world.” He said he regretted the court did not recognize the survivors’ claims.

 

被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録

『被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録』(広島大学編・刊、20150301)

内容

章節
写真
 ①アブドゥル・ラザク氏への授与式
②ハッサン・ラハヤ氏への授与式
③ペンギラン・ユソフ氏への授与式
④興南寮跡碑の写真
⑤留学当時の写真
「被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録」の発刊に寄せて(広島大学理事・副学長 岡本哲治)
広島大学名誉博士号授与の記録…3
授与に至る経緯と教育研究評議会で決定…7
アブドゥル・ラザク氏への授与式…13
1 アブドゥル・ラザク氏への広島大学名誉博士号授与式
名誉博士候補者調書 業績 授与式プログラム
2 岡本哲治 広島大学理事・副学長からの挨拶
3 アブドゥル・ラザク氏からの挨拶
4 松浦博司 在マレーシア日本国大使館公使からの挨拶
5 ズルキフリ・アブドゥル・ラザク氏からの挨拶
ハッサン・ラハヤ氏への授与式…29
1 ハッサン・ラハヤ氏への広島大学名誉博士号授与式
名誉博士候補者調書 業績 授与式プログラム
2 上真一 広島大学理事・副学長からの挨拶
3 ハッサン・ラハヤ氏からの挨拶
4 オロアン・シアハアン ダルマプルサダ大学長からの挨拶
5 鹿取克章 駐インドネンシア日本国大使からの挨拶
ペンギラン・ユソフ氏への授与式…47
1 ペンギラン・ユソフ氏への広島大学名誉博士号授与式
名誉博士候補者調書 業績 授与式プログラム
2 岡本哲治 広島大学理事・副学長からの挨拶
3 ペンギラン・ユソフ氏からの挨拶(抜粋)
4 清水生介 駐ブルネイ日本国臨時代理大使からの挨拶
関係者からの寄稿…59
1 留学生と野宿の一週間 栗原明子…61
2 アブドゥル・ラザク先生
「言葉」でマレーシアと日本をつなぐこと 兵庫県立大学教授 宇高雄志…72
3 興南寮跡碑の思い出 花岡正雄…79
4 南方特別留学生と国際学友会 前財団法人国際学友会 理事長 佐藤次郎…83
南方特別留学生の広島での被爆…93
広島の南方特別留学生…117

行幸啓の中の戦没者慰霊(平成期)

行幸啓の中の戦没者慰霊(平成期)

終戦70年にあたり

平成26年6月26日~6月27日 天皇皇后両陛下 沖縄県行幸啓
平成26年10月11日~10月12日 天皇皇后両陛下 長崎県行幸啓
平成27年4月8日~4月9日 天皇皇后両陛下 パラオご訪問(西太平洋戦没者の碑等)
平成27年4月16日 天皇皇后両陛下 高尾みころも霊堂行幸啓
平成27年5月26日 天皇皇后両陛下 東京都慰霊堂行幸啓
平成27年6月10日 天皇皇后両陛下 神奈川県行幸啓(戦没船員の碑)
平成27年6月17日 天皇皇后両陛下 宮城県行幸啓(蔵王町北原尾地区開拓地)
平成27年7月20日 天皇皇后両陛下 栃木県行幸啓(那須町千振開拓地)
平成27年8月11日 天皇皇后両陛下 広島市被爆70周年記念事業 広島交響楽団 平和の夕べコンサートご鑑賞
平成27年8月22日 天皇皇后両陛下 長野県行幸啓(軽井沢町大日向開拓地)
平成28年1月26日~1月30日 天皇皇后両陛下 フィリピンご訪問(比島戦没者慰霊碑等)

終戦60年にあたり

平成17年6月27日~6月28日 天皇皇后両陛下 サイパン島ご訪問(中部太平洋戦没者の碑等)
平成17年7月4日 天皇皇后両陛下 終戦60周年記念行事「戦没殉職船員遺族の集い」
平成17年8月29日~8月30日 天皇皇后両陛下 長野県行幸啓(南牧村野辺山地区開拓地)
平成17年9月2日 天皇皇后両陛下 栃木県行幸啓(那須町千振開拓地)
平成17年10月11日 天皇皇后両陛下 神奈川県行幸啓(戦没船員の碑)
平成17年12月13日 天皇皇后両陛下 日本遺族会婦人部「新たなる出発の集い」

終戦50年にあたり

平成6年2月12日 天皇皇后両陛下 硫黄島行幸啓(天山慰霊碑,鎮魂の丘)
平成7年7月26日~7月27日 天皇皇后両陛下 長崎県・広島県行幸啓
平成7年8月2日 天皇皇后両陛下 沖縄県行幸啓
平成7年8月3日 天皇皇后両陛下 東京都慰霊堂行幸啓

 

広島市平和式典総理大臣など式辞(1952年)

広島市平和式典総理大臣式辞(1952年)

(内閣総理大臣吉田茂)

八月六日を迎えるに当り,遙かに想いをはせて,戦災犠牲者の冥福を祈ると共に、苦難に充ちた過去の陰影を払拭して着々と,平和郡市建設の理想を実現せられつつある広島市民諸君の努力に対し,心から深甚なる敬意を表するものであります。

世界の平和を目指して,民主々義に基く,文化国家を建設することは,わが国憲法の理想とするところであり,われわれ国民の進むべき目標であります。新しい広島市の建設も,この意味においてわが国の理想を世界に闡明せんとするものであり,広島市の生成は,平和的文化的なる日本国家の成長を表徴するものであります。身を以て尊い平和の礎となられた地下の霊も民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信じてうたがいません。この式典に当り,私は謹んで原爆死没者各位の冥福を祈ると共に,市民諸君が更に決意を新たにし,理想達成への途に邁進せられんことを切望して已みません。

 

(衆議院副議長岩本信行)

本日原爆死没者慰霊並びに平和記念式典を挙行するに際し、一言御挨拶を申し上げます。

思うに戦争ほど人類を不幸におとし入れるものはありません。もし,第三次世界大戦が勃発するようなことがあれば折角今日まで人類が築き上げてきたすべての文化を破壊し,人類そのものをも滅亡にみちびくであろうことは疑う余地がありません。恐るべきは将来の原子戦争であります。

当市は,さきに平和宣言を発して広島の悲劇を再び繰返すことのないよう世界に呼ぴかけてくれたのでありますが,人類史上最初の原子爆弾の犠牲となった当市としては,洵に当然の措置であったと存じます。

どうか広島市民におかれましては,原爆の凄惨な体験を想い起され,この地上から永久に原子戦争の恐怖と罪悪を抹殺するよう世界平和の勇敢な使徒として起ち上っていただきたいと存じます。そして真に平和な日本の建設と世界の恒久平和に貢献することこそ原爆によって散華した方々の霊にお報いする所以であると存じます。

本日の式典に際し謹みて死没者の霊に哀悼の誠を捧げると共にその御冥福を祈念いたしまして,私の御挨拶といたします。

昭和二十七年八月六日

衆議院副議長 岩本信行

 

(参議院議長佐藤尚武)

原子爆弾第一号の洗礼を受けました広島市民が,あの悲境にも,屈せず起ち上りますとともに恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴,広島平和都市の建設を目ざして奮闘せられ,いま,その逞しい復興の姿をまのあたりに致しまして,私ども,各位の勇気とご努力に対し,心から敬意を表します。

あれから七ケ年,日本国独立後最初の記念日であります本日,竣工した「慰霊碑」を前に,原爆死没者の霊を慰めますことは,その尊い犠牲を再認識いたしまして,在天の霊のご加護のもとに,平和都市広島の完成と,さらには新鮮な未来の創造へ躍進する決意を新たにするものと致しまして,まさに大きな意義があると存じます。

私どもは,ここに改めまして,平和日本国建設の先駆者としての広島市民のご自重と,被爆犠牲者ご遺族近親の御健祥を切に念願いたしてやみません。

〔広島市役所蔵〕

広島市平和式典総理大臣挨拶(2019年)

広島市平和式典総理大臣挨拶(2019年)

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0806hiroshima.html

今から74年前の今日、原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。
原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
核兵器によってもたらされた広島と長崎の悲劇を決して繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けること。これは、令和の時代においても、変わることのない我が国の使命です。新しい時代を平和で希望に満ち溢(あふ)れた時代としなければなりません。
近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています。
我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ、被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります。核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取組を主導していく決意です。
明年は、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年という節目の年を迎え、5年に1度のNPT運用検討会議が開催されます。この会議において、意義ある成果を生み出すために、一昨年、ここ広島から始まった核軍縮に関する「賢人会議」の提言等を十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。
私たちには、唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を、世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります。
被爆者の方々から伝えられた被爆体験を、しっかりと、若い世代へと語り継いでいく。
そして、広島や長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。そうした取組を我が国として、着実に推し進めてまいります。
被爆者の方々に対して、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、今後も、被爆者の方々に寄り添った援護施策を総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
結びに、「国際平和文化都市」として発展を遂げた、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

令和元年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三

広島市平和式典総理大臣挨拶(2020年)

広島市平和式典総理大臣挨拶(2020年)

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0806hiroshima.html
令和2年8月6日

本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めることは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

令和2年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三

内閣総理大臣菅義偉広島市平和式典挨拶(2021年)

内閣総理大臣菅義偉広島市平和式典挨拶(2021年)

ttps://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0806hiroshima.html
本日、被爆76周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
世界は今も新型コロナウイルス感染症という試練に直面し、この試練に打ち勝つための奮闘が続いております。
我が国においても、全国的な感染拡大が続いておりますが、何としても、この感染症を克服し、一日も早く安心とにぎわいのある日常を取り戻せるよう、全力を尽くしてまいります。
今から76年前、一発の原子爆弾の投下によって、十数万とも言われる貴い命が奪われ、広島は一瞬にして焦土と化しました。
しかし、その後の市民の皆様のたゆみない御努力により、廃墟から見事に復興を遂げた広島の美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島及び長崎への原爆投下から75年を迎えた昨年、私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、「ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします。」と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。
近年の国際的な安全保障環境は厳しく、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります。このような状況の下で核軍縮を進めていくためには、様々な立場の国々の間を橋渡ししながら、現実的な取組を粘り強く進めていく必要があります。
特に、国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石である核兵器不拡散条約(NPT)体制の維持・強化が必要です。日本政府としては、次回NPT運用検討会議において意義ある成果を収めるべく、各国が共に取り組むことのできる共通の基盤となり得る具体的措置を見出す努力を、核軍縮に関する「賢人会議」の議論等の成果も活用しながら、引き続き粘り強く続けてまいります。
被爆の実相に関する正確な認識を持つことは、核軍縮に向けたあらゆる取組のスタートです。我が国は、被爆者の方々を始めとして、核兵器のない世界の実現を願う多くの方々とともに、核兵器使用の非人道性に対する正確な認識を継承し、被爆の実相を伝える取組を引き続き積極的に行ってまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
先月14日に判決が行われました、いわゆる「黒い雨」訴訟につきましては、私自身、熟慮に熟慮を重ね、被爆者援護法の理念に立ち返って、上告を行わないことといたしました。84名の原告の皆様には、本日までに、手帳交付の手続きは完了しており、また、原告の皆様と同じような事情にあった方々についても、救済できるよう早急に検討を進めてまいります。
今や、国際平和文化都市として、見事に発展を遂げられた、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々の御冥福と、御遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様の御平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
令和3年8月6日
内閣総理大臣・菅義偉

全国戦没者追悼式(開催概要)

全国戦没者追悼式(開催概要)<作成中

元号 総理大臣 参列者 特記事項
1963 昭和38
1982 昭和57
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989 平成元
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999 令和元
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020 安倍晋三
2021 菅義偉 185人。遺族:付き添いを含め92人。 戦没者の配偶者の参列なし(初)