阿部静子
配信 tssテレビ新広島 広島ニュースTSS
差別に苦しみながら…97歳の被爆者の半生綴った本出版「被爆者・阿部静子は語る」日本被団協設立に尽力
日本被団協の結成当時を知る97歳の被爆者 阿部静子さんの半生を綴った本が出版されました。 【被爆者 阿部静子さん(97)】 「どうぞみなさん、この本に書かれていることの裏側をお考えくださいまして読んでいただければありがたい」 「被爆者・阿部静子は語る」は97歳の被爆者 阿部静子さんの歩みを「ヒロシマ通信」研究会のメンバーが聞き取ってまとめたものです。 阿部さんは18歳のとき爆心地からおよそ1.5キロで被爆。 大やけどを負った阿部さんは、差別に苦しみながらも国に被爆者援護を求める声をあげ、日本被団協の設立に尽力しました。 本は、去年10月に書きあがっていましたが、日本被団協のノーベル平和賞受賞を受けて追記し、昨年末に完成しました。 【被爆者 阿部静子さん(97)】 「私ども被爆者も高齢になりました。これからの若い方たちに被爆者の気持ちを受け取っていただいて、活動していただきたい」 この本は、300部限定で全国の図書館などに寄贈され、今後、「ヒロシマ通信」研究会のホームページでも読めるようにするということです。
広島ニュースTSS
資料年表:石田雅子<作業中>
年月日 |
|
|
|
1931 |
|
|
|
**** |
誕生 |
|
|
|
|
|
|
1945 |
|
|
|
0809 |
学徒動員で働いていた三菱兵器大橋工場で被爆。 |
|
|
|
|
|
|
1949 |
|
|
|
0220 |
『長崎原子爆弾記 雅子斃れず』(婦人タイムズ社) |
|
|
0810 |
『雅子斃れず』(表現社) |
|
|
|
原爆地写真集
永井博士より著者への手紙
序にかえて 永井隆
第1部
運命の日 19
雅子たおれず 42
原子この闘い 63
新生 75
第2部
あの日より一年 95
父の贈りもの 99
芍薬 118
目を病む 121
永井博士を訪ねて 130
深堀少年と平さん 143
みどりの長崎 155
第3部 -父の思い出-
その日の朝 161
我が子帰らず 168
奇跡の生還 175
病む頃 180
長崎を離れて 189
爆心地を行く 194 |
|
|
|
|
|
|
1952 |
|
|
|
0405 |
『永井博士を憶う』(如己堂会編、中央出版社) |
|
|
|
石田雅子「 芍藥の花」158 |
|
|
|
|
|
|
1991 |
|
|
|
0525 |
『日本の原爆記録2 長崎の鐘 マニラの悲劇、長崎精機原子爆弾記、雅子斃れず 長崎原子爆弾』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター) |
|
|
|
|
|
|
1995 |
|
|
|
0610 |
『デルタの記』(暮しの手帖編集部編、暮しの手帖社) |
|
|
|
雅子たおれず…石田雅子 30 |
|
|
|
|
|
|
2010 |
|
|
|
0815 |
『長崎・そのときの被爆少女 : 六五年目の「雅子斃れず」』(横手一彦編著、時事通信出版局、時事通信社(発売)) |
|
|
|
|
|
|
2014 |
|
|
|
0625 |
『雅子斃れず 長崎原子爆弾記 平和文庫』(石田雅子著、日本ブックエース、日本図書センター(発売)) |
|
|
09 |
『(ナガサキノート)「雅子斃れず」 検閲を越えて』
(『朝日新聞』2014年9月日) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
資料年表:副島まち子
年月日 |
事項 |
メモ |
**** |
|
|
|
誕生 |
|
1931 |
|
|
03 |
山脇高女(東京)卒 |
|
1934 |
|
|
06 |
副島吉雄と結婚。 |
|
1945 |
|
|
0806 |
広島市南千田町で原爆被爆。当時妊娠10か月。8月19日、男児を出産。 |
|
|
|
|
1950 |
|
|
**** |
芦屋あすなろ友の会に参加 |
|
|
|
|
1955 |
|
|
08 |
広島市で開催の原水爆禁止世界大会に「芦屋あすなろ友の会」・兵庫県代表として参加。 |
|
08 |
広島から帰り、報告大会で一円募金を提唱、みずから開始。 |
|
|
|
|
1956 |
|
|
|
被爆者代表として長崎大会に参加。全国被爆者協議会の府県選出理事に就任。 |
|
1125 |
副島まち子『あの日から今もなお-母のヒロシマ原爆戦史』(東都書房)。 |
|
1125 |
「兵庫県原爆被害者の会」結成総会、神戸市の県遺族会館で開催(約50人参加)。被爆者援護法制定促進を確認。(『中国新聞』19561125) |
|
|
|
|
|
「日本原水爆被害者団体協議会兵庫県理事」。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2015 |
|
|
0302 |
伝えるヒロシマ 被爆70年 紙碑<6>「あの日から今もなお」 1956年刊 廃墟に「力強い産声」(『中国新聞』) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
兵庫県原爆被害者団体協議会 |
|
|
|
|
|
|
|
止
『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 上』( NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班、日本放送出版協会、20050730)
月 |
|
|
|
日本を変えたあの年 前篇 半藤一利 8 |
|
1 |
昭和20年1月 16 |
|
|
1日 新藤兼人
2日 赤木春恵
3日 阿川弘之
4日 上坂冬子
5日 千玄室
6日 早坂暁
7日 野見山暁治
8日 丹波哲郎
9日 大村毘
10日 石井好子
11日 ちばてつや
12日 朝丘雪路
13日 関本忠弘
14日 羽仁進
15日 有馬稲子
16日 青島幸男
17日 江崎玲於奈
18日 佐藤忠男
19日 杉本苑子
20日 小田島雄志
21日 早乙女貢
22日 辻久子
23日 水木しげる
24日 半藤一利
25日 本島等
26日 日野原重明
27日 杉下茂
28日 服部公一
29日 岸朝子
30日 平山郁夫
31日 加藤芳郎 |
|
|
|
|
2 |
昭和20年2月 80 |
|
|
1日 やなせたかし
2日 海老名香葉子
3日 松谷みよ子
4日 佐野浅夫
5日 三浦朱門
6日 澤地久枝
7日 塩田丸男
8日 冨田勲
9日 河合隼雄
10日 金子兜太
11日 久米明
12日 天野祐吉
13日 明石康
14日 織本順吉
15日 渡辺美佐子
16日 倉嶋厚
17日 坂上二郎
18日 野村万作
19日 田端義夫
20日 辻村寿三郎
21日 早乙女勝元
22日 松本零士
23日 赤木春恵
24日 神坂次郎
25日 童門冬二
26日 関根潤三
27日 道場六三郎
28日 北村和夫 |
|
3 |
昭和20年3月 138 |
|
|
1日 二葉百合子
2日 田英夫
3日 畑正憲
4日 京唄子
5日 猿谷要
6日 池部良
7日 竹本住大夫
8日 岡田眞澄
9日 粟津則雄
10日 半藤一利
11日 日野原重明
12日 早乙女勝元
13日 海老名香葉子
14日 多湖輝
15日 藤本義一
16日 木村庄之助
17日 大村毘
18日 妹尾河童
19日 古橋廣之進
20日 財津一郎
21日 早坂暁
22日 山田太一
23日 安西篤子
24日 黒木和雄
25日 熊倉一雄
26日 黒川紀章
27日 正司歌江
28日 佐木隆三
29日 近藤富枝
30日 細江英公
31日 中島丈博 |
|
4 |
昭和20年4月 202 |
|
|
|
|
|
1日 大田昌秀
2日 登川誠仁
3日 ペギー葉山
4日 中里逢庵
5日 市田ひろみ
6日 赤瀬川隼
7日 堀田力
8日 梅原猛
9日 栄久庵憲司
10日 中村メイコ
11日 藤子不二雄A
12日 塩川正十郎
13日 野村万作
14日 千玄室
15日 児玉清
16日 羽田澄子
17日 佐野浅夫
18日 近藤芳美
19日 東松照明
20日 冨田勲
21日 安野光雅
22日 鈴木清順
23日 俵萌子
24日 宍戸錠
25日 藤岡琢也
26日 平良とみ
27日 桂由美
28日 船越義彰
29日 内海桂子
30日 山下惣一 |
|
5 |
昭和20年5月 264 |
|
|
1日 岡田茉莉子
2日 茂山千作
3日 新藤兼人
4日 多湖輝
5日 内藤武敏
6日 観世榮夫
7日 坂上二郎
8日 黒木和雄
9日 津本陽
10日 宮沢喜一
11日 馬場當
12日 笑福亭松之助
13日 川田正子
14日 小林亜星
15日 加賀乙彦
16日 本村つる
17日 上坂冬子
18日 熊倉一雄
19日 馬場あき子
20日 登川誠仁
21日 宝田明
22日 森村誠一
23日 林光
24日 松谷みよ子
25日 宗左近
26日 池坊専永
27日 関根潤三
28日 大田昌秀
29日 杉下茂
30日 織本順吉
31日 岩城宏之 |
|
|
|
|
|
あとがき 330 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
『浦上の原爆の語り 永井隆からローマ教皇へ』(四條知恵、未來社 、20150815)
内容
章 |
節 |
タイトル |
備考 |
1 |
|
歴史の語りを繙く 7
歴史叙述についての先行研究 8
歴史の物語論に対する批判 14
原爆被害についての先行研究 22
浦上の原爆の語り 28 |
|
|
|
|
|
2 |
|
浦上と永井隆 33 |
|
|
|
一 「浦上」 33
浦上の歴史と原爆被害 33
浦上と差別38
二 永井隆の燔祭説 41
永井隆の足跡 41
永井隆の燔祭説 43
三 永井隆の燔祭説をめぐる論争 48
一九五〇年代から七〇年代 48
一九八〇年代以降 51
燔祭説をめぐる論争の問題点 55 |
|
|
|
|
|
3 |
|
焦点化する永井隆 58 |
|
|
|
一 占領期の長崎における原爆の語り 59
原爆投下から占領軍による検閲開始までの変遷 59
永井隆の登場 63
「ピース・フロム・ナガサキ」の発祥と国際文化都市建設の礎論 72
朝鮮戦争の勃発による反動 86
二 焦点化する永井隆 93
占領軍と親和性 93
占領期の長崎における燔祭説の位置 96 |
|
|
|
|
|
4 |
|
永井隆からローマ教皇へ―純心女子学園をめぐる原爆の語り 100 |
|
|
|
一 純心の沿革と学校の被害 102
二 純心女子学園をめぐる原爆の語り 104
一九四五(昭和二〇)年から一九六一(昭和三六)年まで 104
一九六一(昭和三六)年以降 109
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来日と恵の丘長崎原爆ホーム 119
一九八一(昭和五六)年以降の純真女子学園における原爆の語り 124
三 二つの語りが意味するもの 129 |
|
|
|
|
|
5 |
|
浦上の原爆の語り 135 |
|
|
|
一 占領期 136
二 ローマ教皇庁と日本のカトリック教会の動向 139
三 浦上のひび 141
四 長崎における原爆被害をめぐる行政と市民活動の流れ 154
五 原水爆禁止運動とカトリック教界 161
六 カトリック地域共同体の変容 164
七 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来訪 171
八 カトリック教界への波紋 176
日本のカトリック教界 176
長崎のカトリック教界 180 |
|
|
|
|
|
|
|
結び 187 |
|
|
|
謝辞 201 |
|
|
|
註 203 |
|
|
|
参考文献 233 |
|
|
|
|
|
止
ボーヴォワール、シモーヌ・ド・
学生時代、宇吹の下宿にオルグにきた友人にボーヴォワールの講演会を勧められ聴講。
1966年10月9日、ボーヴォワール、サルトルと一緒に広島訪問。
片山美沙子
京都大学美術研究会の会員。『オパールの炎』(桐野夏生、中央公論新社)のモデル。
資料年表:岡田智晶
年月日 |
事項 |
備考 |
|
|
|
1974 |
|
|
0201 |
『平和教育運動 創刊号』(全国平和教育研究協議会準備会編、広島教育会館出版部) |
|
|
<第六分科会>戦災史発掘と平和教育
福山空襲の記録をとおして教える 岡田智晶 153 |
|
|
|
|
1977 |
|
|
0125 |
『平和教育運動 No.4』(日本平和教育研究協議会編・広島平和教育研究所編、広島教育会館出版部) |
|
|
<郷土史・戦災史実発掘>
福山空襲の記録運動と平和教育 岡田智晶・佐藤精一124 |
|
1978 |
|
|
0601 |
『季刊平和教育 第8号』(日本平和教育研究協議会編、明治図書出版) |
|
|
特集 地域に学ぶ平和教育
福山空襲の記録運動の中で 岡田智晶 43 |
|
|
|
|
1982 |
|
|
0331 |
『広島県史研究 7』(広島県史編さん室、広島県、19760331) |
|
|
「空襲・戦災を記録する運動と資料保存」 |
|
|
|
|
1998 |
|
|
0301 |
『空襲通信 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議会報 準備号』 (空襲・戦災を記録する会全国連絡会議会報委員会、1999/07/24) |
|
|
第2部 各地の会の報告
福山空襲の記録と教材化 岡田智晶…46 |
|
0710 |
『記憶の火群 短篇集』(原爆と文学の会編、日曜舎、1998/07/10) |
|
|
炎の夜の告発…岡田智晶 120 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
大塚茂樹
資料年表:大塚茂樹<作業中>
年月日 |
|
|
|
1957 |
|
|
|
** |
誕生 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1994 |
|
|
|
0705 |
『ある歓喜の歌 小松雄一郎 嵐の時代にベートーヴェンを求めて』(同時代社) |
|
|
|
|
|
|
2011 |
|
|
|
0708 |
『まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる』(旬報社) |
|
|
|
|
|
|
2016 |
|
|
|
0605 |
『原爆にも差別にも負けなかった人びと―広島・小さな町の戦後史』(かもがわ出版) |
|
|
2017 |
|
|
|
1210 |
『心さわぐ憲法9条-護憲派が問われている』(花伝社) |
|
|
|
|
|
|
2019 |
|
|
|
0725 |
中野慶『軍馬と楕(かもがわ出版) |
|
|
|
|
|
|
2021 |
|
|
|
1220 |
中野慶『岩波書店取材日記』(かもがわ出版) |
|
|
|
|
|
|
2023 |
|
|
|
0325 |
『「日本左翼史」に挑む 私の日本共産党論』(あけび書房新社) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。