沖縄被爆連運動のあゆみ 1963年9月~1966年3月

沖縄被爆連運動のあゆみ

1963年9月~1966年3月

年月日  事項
1963年
09. 原水協が先島オルグ活動のとき八重山の一性から原爆症の訴えを受けたのをきっかけに、沖縄県原水協ではこの問題を重視、被爆者救援運動にのりだした。
10. 原水協常任理事会を開き被爆者の実態調査を全琉各市町村長に依頼、期間を2ケ月と決定した。
11. 各市町村を通じて依頼した調査の結果11月末日現在で36名の被爆者のいることが判明した。
11-12. 2ケ月間の調査の結果被爆者の数は59名と判明12月27日付で原水協えは被爆者救援について日本政府及び琉球政府の各関係へ要請書を提出した(被爆者名簿添付)
1964年
01. 日本政府厚生省は、沖縄在住被爆者救援について治療問題については「可能性がある」と見解を厚生局へ明るい回答がよせられた。
02. 本土の原水協から沖繩の被爆者59名に見舞金が送られ1人当り千円の割で5万9千円(162ドル55セント)が送られてきた。
03. 3、1ビキニデー被災11周年沖繩県集会を那覇市内の文化座で催し死の灰再び降らすまいとして映画「世界は恐怖する」を上映して原爆の恐ろしさを訴えた。
04. 被爆者の数78名となったので、常任理事会を開き大島事務局長を本土政府並びに国会へ直訴のため派遣することを決定5月4日被爆者の補償要請のため渡日した。要請の趣旨は被爆者健康手帳の交付、沖縄へ専門医の派遣、原爆病院への入院、医療費の支給等について5月11日から総理府、特連局、厚生省、南方援護会、衆参両議院各政党へ実情説明、陳情をなした。これに対し政府関係筋は「法律上は被爆者保護の国内法適用には無理がある。しかし政府としては米琉当局とよく話し合い対琉援助計画の中におりこんで早急に解決のため検討したい。」と好意的な態度を示した。
05.20 衆議院外務委員会で社会党の帆足計代議士が同問題をとりあげ質問答弁に起った。小林厚生大臣、野田総務長官もそれぞれ「これは人道問題であり日本政府として黙視出来ない早急に資料を集めて検討する」と答えた。
05.27 大島事務局長は被爆者救援問題折衝から「本土政府は非常に厚意的で見通しは明るい」ということで帰任した。
05.29 午後2時から常任理事会を開き東江厚生局長を訪れ被爆者救援問題について積極的に解決するよう促進方を要請した。
1964年4月厚生局は4日日本政府南連事務所長にたいし沖繩の被爆者も本土並みに国庫で治療の受けられるよう取計い方を依頼した。
07.12 沖繩在住原子爆弾被害者連盟を結成し初代理事長に金城秀一氏を選出した。結成総会で次のことを決議し各関係先へ要請した。要旨は次のとおりである。
原爆医療法の沖縄への適用、専門医の沖縄への派遣検診、沖繩原爆被害者への原爆手帳の交付、また近く国会で立法化される被爆者生活援護法の沖繩への適用、沖縄独自の原爆医療法の早期制定、また米国政府にたいして原爆使用国として被爆者の救援に積極的施策をこうじるよう要請、その他再び犠牲者を出さないために、原水協に加盟、原水禁運動に参加することを決議した。
08.06 金城理事長が広島、長崎大会に沖縄被爆者問題を訴えるため原水協代表として渡日参加した。
08.28 午後5時から来県中の臼井総務長官へ金城理事長他3名の理事が要請書を手交した。これにたいし「本土政府としても皆さんの要望を実現できるよう努力する」とこたえた。
08.30 原爆症治療のため広島の原爆病院へ屋部村の岸本久三氏を送り出す。検診の結果原爆症と判明入院治療す。
10.04 亀甲原水協理事長外4名の常任理事は厚生局長を訪れ原爆医療法の沖縄への適用もしくは準用、専門医による検診の早期実現方を本土政府に促進するよう要請した。
来県された社会党沖繩調査団へ被爆者の救援に関する要請書を手交した。
1965年
01.25 金城理事長他大島事務局長を含む代表者9名は2時から立法院、厚生局、南連事務所を訪れ要請書を手交した。これにたいし東江厚生局長は非公式であるがと、まえおきして次のように語った。「被爆者救援については、日米外交ルートにのせられているようで、米民政府も好意的である。従って近いうちになんらかのめどがつくものと思う。」と述べた。
02.02 午前10時から立法院文社委員会に金城理事長、大島事務局長が被爆者救援問題について参考人として招れ事情説明をなし医療対策について話合った。
02.04 松岡主席は午後4時から民政府のワーナー民政官と会見し沖縄在住被爆者救援問題について日本政府が5月に実施する被爆者の実態調査に沖縄も含めもし被爆者がいれば日本政府で治療するよう外交ルートを通じ折衝方を要請した。これにたいしワーナー民政官も「正式な外交ルートを通じ早速折衝したい」と答えた。
02.10 定例会見でワーナー民政官は沖繩の被爆者救援について「琉球列島に居住する者の専門的診断及びそれらの者の治療に閉する同意書」を発表した。
02.12 立法院は午後1時から本会議を開き沖繩在住の原爆被害者救援に関する要請決議を可決した。宛先は日米両政府へ。
03.01 3・1ビキニ被災11周年原水爆禁止沖繩県集会で日米両政府へ1日も早く被爆者の救援対策を講じられるよう再要請した。
04.06 待望の専門医が来県され4月8日から20日まで長崎班、広島班は17日から24日までの両班に分れて被爆者の検診が始められた。検診の結果は次の通り発表された。
検診者184人の内原爆医療法の規定により被爆者と認められる者172人(広島62人長崎110人)その内訳は治療上特別の措置を要するもの14人。一般的治療を要するもの43人。経過観察を要するもの25人。治療効果の期待できないもの48人。症状のないもの36人。時間の関係などで充分検診を受けられないもの6人である。
04.17 午後2時から教育会館ホールで沖繩在住全被爆者大会を開催、次のことを決議し各関係先へ要請した。また来県中の日本自民党沖繩調査団長、床次徳次氏へ要請書を手交した。要請書の内容は本土政府にたいし原爆医療法の沖縄への適用。被爆者の実態調査の対象に沖繩の被爆者も含めていただきたい。これまでの医療費を本土政府で負担していただきたい。琉球政府には単独法として独自の原爆医療法の立法要請をした。
05.11 原爆被爆者医療審議会は午前10時から審議会を開き沖縄の被爆者検診結果について審議し13人は適切な治療が必要であると発表した。
06.05 原水協常任理事小牧喜(?)一氏が本土政府関係先へ被爆者救援について陳情要請のため渡日した。
06.07 原水協、被爆連で被爆者救援カンパ運動を展開街頭カンパ始める。6月11日までのカンパ類は次のとおりである。
街頭$224.66、職域$1,048.00で計$1,272.66である。
08.02 被爆連理事、真喜志津留子氏被爆20周年原水爆禁止世界大会参加のため被爆者代表として渡日し広島、長崎大会で沖縄被爆者の実情を訴えた。
08.06 被爆20周年原水爆禁止沖繩県集会で被爆者救援について決議し要請書を日米琉三政府宛送付する。
08.16 本土政府から沖繩の原爆被爆者13人の受け入れ体勢が出来ているので事務を進めてほしいとの連絡が厚生局へ届いた。
原爆死の遺族から弔慰金の支払について訴えがあり早速原水協常任理事会で検討関係当局へ照会し、その結果次第で問題にとっくむことに決定した。
08.20 戦後20年間も放置された沖縄事情を視察のため来県された佐藤総理、鈴木厚相へ被爆者救援について要請書を手交した。
08.25 沖繩違憲訴訟対策委員会弁護士団の金城睦弁護士来県9月9日東京地裁へ提訴の資料募集のため訴訟団と懇談し今後の運動について特別対策委員と話し合った。原爆訴訟では丸茂つる、謝花良順、真喜志津留子、真喜志ウト、翁長生氏の5氏が代表として原告として法務大臣(国)を被告として原爆医療法にもとずく医療費等請求の事件である。一方同日から11月本土で実施される被爆者の実態調査の予備調査として原水協、被爆連で実態調査及び死亡者調査を実始した。
08.22 原水協亀甲理事長本土の全逓大会参加を兼ねて本土政府並に関係先へ沖繩被爆者救援について陳情要請のために渡日した。
08.28 被爆者第2回定期総会開催沖縄会館ホールにて次の議件を審議可決した。1965年度運動の基本方針について、規約の一部改正について、役員選任について、被爆者救援金の配分について、1965年度予算定めについては役員会への一任。役員選任については金城秀一氏を理事長に再選し従来の役員5名を10名としその後世界大会に参加した真喜志津留子より報告があり次に宣言決議をなし関係当局へ送付した。
09.23 午後6時より沖縄会館ホールで広島、長崎の原爆病院へ治療のため出発する11名の被爆者の結団式と激励会を開いた。
09.24 正午ひめゆり丸にて11名の被爆者が本土での治療のため出発、原水協加盟団体、厚生局、南連その他一般民多数が見送った。広島病院へ9名長崎病院へ2名
10.05 日本社会党沖繩調査団長赤松勇氏外4名の代議士へ被爆者救援について陳情要請書を手交した。同日年後2時から沖縄教職員会館会議室で社会党代議士川崎寛冶氏を囲み遠憲訴訟の経過、今後の運動方針について原告、特別対策委員会金城理事長、原水協代表を交へて懇談した。
10.06 東京地方裁判所民事第2部中川幹郎裁判長のもとに歴史的な違憲訴訟裁判初公判始まる「憲法によって保障される基本的人権は人類固有の天賦の権利である貴職の公正なる裁判を乞う」の電報を打電した。同日より厚生大臣への被爆者健康手帳交付申請書作成並に医療費支払要請を開始した。
12.08 沖縄違憲訴訟第2回公判開かる。
1966年
01.26 本土のマスコミ安彦氏、小粥氏が沖縄の被爆者の実態調査のため来県し先島、本島をくまなく調査し被爆者の実際を見知された。
02.06 日本テレビ局員と沖縄被爆者との懇談会を沖繩会館ホールで開催、各個人的な生活状況を訴えていた。
02.18 違憲訴訟の件で日本弁護士団土井氏を囲んで原告、特別委員会、原水協代表と今後の対策について懇談した。
02.18 被爆者、石原愛子さんの請願による生活保護申請を那覇市福祉事務所へ申請し許可を得る。
02.22 被爆連の幹事会を沖縄会館にて催し、違憲訴訟の運動を強力におし進める。被爆者の貧困家庭に対する対策、日本政府並に琉球政府に対する要請、3・1ビキニデー沖繩県集会においての被爆者の活動について審議した。
02.23 全国活動家会議沖縄県集会に被爆者代表も参加して研究発表を行った。
03.01 3・1ビキニ国民統一沖繩県集会において被爆者代表として真喜志津留子さんが意見発表を行い被爆者救援を訴えた。
03.05 原水協代表が3・1ビキニ国民統一行動沖繩県集会において決議された「沖縄在住被爆者救援に関する要請書」を主席、立法院議長、厚生局長に手交した。また3月6日立法院より本土に派遣される知花議員、浜端議員、坦花議員、岸本議員に本土政府に沖繩被爆者救援問題を訴えていただくよう要請し資料を提出した。
日本政府厚生大臣宛に南連事務所を通じ「原爆被害者健康手帳の交付申請書」を依頼した。

沖縄在住被爆者第1回本土治療者

 

氏名 性 生年月日 現住所 症状 行先
1 男 大13.9.18 那覇市 肝機能障 広島
2 女 明40.2.7 那覇市 ケロイド 広島
3 男 明33.6.3 那覇市 ケロイド 広島
4 女 大6.4.1 宜部湾市 ケロイド 広島
5 女 昭10.7.20 宜部湾市 ケロイド 広島
6 男 昭6.3.14 コザ市 ケロイド 広島
7 女 明43.8.10 本部町 ケロイド 広島
8 男 大6.10.11 下地町 貧血 広島
9 男 大12.12.10 石垣市 異物残留 広島
10 男 大11.5.13 浦添村 異物残留 長崎
11 男 大13.4.16 南風原村 甲状腺腫症 長崎

 

1965年第1回検診結果

検診者 184人の内原爆医療法の規定による被爆者と認められる者172人で、広島62人長崎110人、その内訳は下記のとおりである。

 

治療上特別の措置を要する者 13人
一般的な治療を要する者 43人
経過観察を要する者 25人
症状のない者 36人
時間の関係で充分検査を受けられない者 6人
治療効果の期待できない者 48人
計 172人

 

出典:原水爆禁止沖縄県協議会『基地沖縄の全貌』(1966年12月)

沖縄県原子爆弾被害者連盟結成総会

沖縄県原子爆弾被害者連盟結成総会

1964年7月12日

宣言決議

 きょうここに集った私たちは、19年前の8月6日、9日、広島、長崎においてあのおそろしい原子爆弾によって被害を受けた者です。

私たちは九死に一生を得て生きのこったもののその中には原爆症ではないかと思われる病気で死亡しだ人、あの時の傷痕がまだのこっている人、現在原爆症ではないかと思われる病気でねている人、更に今健康状態は良好であるが、将来放射能害が出てきはしないかと気にかかり毎日不安な生活を送っている人さまざまであります。私たちはこれまでこのような十字架を背負いながらそれを訴えるすべや解決の道を知らず19年間も悩みつづけて参りました。幸いこのたび沖縄原水協の誠意ある御努力によって沖縄在住被爆者の調査がなされ琉球政府、本土政府への救援方が要請されました。その結果本土政府も沖縄の被爆者問題について誠意をもって解決していただくという明るい見通しがつきました。

私たち被爆者にとってこれにまさる喜びはありません。思えばあの時のおそろしさ、そして19年間の不安と悩みそれはその当事者でなくてはわからぬものがありました。それにしても琉球政府本土政府のこれまでのこの問題に対する無関心さと、不誠意、私たちの力の足りなかったことがくやまれてなりません。

私たちはここに沖縄原子爆弾被害者進盟を結成するにあたり私たちの問題が、1日も早く解決されまたもう二度とあのような惨禍によって私たちのような人々が出ないよう原水爆禁止による世界の平和確立のために積極的な運動をおこすよう宣言し次のことを決議します。

1、沖縄在住の被爆者に本土の「原爆医療法」を適用させよう。

1、沖縄独自の原爆医療法を立法させよう。

1、米国政府に対し施政権者の立場から自ら投下した原爆による被害者の医療に積極的施策をこうじさせよう。

1、人類に私たちの苦難と犠牲をくり返させないため原水爆を全面禁止する国際協定を結ばせよう。

1964年7月12日

沖縄県原子爆弾被害者連盟結成総会

1965年運動基本方針

一、原水爆禁止運動

1、全面核停、核武装反対、軍備全廃促進のための諸運動
2、被害体験の訴え、体験記の募集。
3、研究会、学習を盛んにする。

二、原爆医療法の獲得運動
1、原爆医療法の沖縄適用のための強力な運動
2、琉球政府、民政府による医療措置運動
3、日本被団協と提携して生活援護法のかくとく
4、友好団体との協力

組織

1、役員

理事長 金城秀一
役員  丸氏つる、真喜志津留子、岸本久三、与みね、赤嶺高三、大域和恵、仲間呂美夫、吉本毅、久高政英

沖縄被爆連運動のあゆみ(1963年9月~1966年3月)

出典:原水爆禁止沖縄県協議会『基地沖縄の全貌』(1966年12月)