「NGO(は行)」カテゴリーアーカイブ

資料年表:ヒロシマ・平和のリボンの会

資料年表:ヒロシマ・平和のリボンの会

年月日
1989
05 ミニ平和博物館(東京・港区)で「世界を結ぶ平和のリボン展」。平和のリボン:ジャスティン・メリット(米の平和活動家)が1982年に提唱。
0619 米の平和団体「平和のリボン」のジャスティン・メリット、14年ぶりに広島の平和公園を訪問。世界各地からのリボンを披露。
1990
0729 原爆ドームをリボンで取り囲む。
0991
0828 『ヒロシマ・平和のリボン―あしたにむかって』刊
未完

広島平和科学研究所

広島平和科学研究所 開所式:1962年8月22日

資料

”平和”を学問的に研究-「広島平和科学研究所」誕生-中野広大教授ら中心に(「中国新聞」1962年8月23日)
出典:アール・レイノルズ「広島はいまもわが故郷」(『ヒロシマの意味』所収)

もう一つの手段は、ビキニやウラジオストックへ抗議船を出すような直接行動である。しかし、わたしにはやってみたいもう一つの手段があった。その手段とは、学問の領域で、平和を学問の一つの主題として研究することにあった。長い間、わたしはこの第三の方法を考えぬいてきたが、ついに、広島大学長森戸辰男氏と会って、話しあう機会が与えられた。

飾りのない控え室で森戸学長をまっていたのだが、この間中、二、三年前にクエィカー派の一員となってから学びおぼえた、沈黙の瞑想を行なっていた。精神をおちつけ、ととのえるよい機会であった。

やっと森戸氏が現れて、自分の部屋に招じ入れてくれた。前おきのような雑談がすんでから、わたしは率直に語った。平和研究の研究所を、平和を一つの学問の対象として探り、扱う研究の場を立てたいと。森戸氏は一瞬、考え込んだが、立ち上って、書棚のところに行き、大きな書物をもってもどってきた。さあと目をとおしてから、こういった。「レイノルズ博士、ここには、日本でみとめられている職業、業務の全部がのっているはずです。しかし、平和学、平和研究というのはない。いいや、平和という語がのっていない」。

「では、のせる時期だと考えませんか」。

彼は一瞬、考えていたが、微笑した、「考えておきましょう」。一週間して、森戸氏との面会を段取りしてくれた広大の中野清一教授から電話があって、森戸氏が広島平和研究所(Hiroshima Institute of Peace Science)への協力創設者になることに同意したということであった。予備的な声明はすでに一九六二年十一月十日に出してあった。組織委員は、広島YMCAの相原氏、広島大学の久保、中野、西村、内海の諸氏とわたしであった。HIPS--わたしの研究所はこう略称されてきたが--の正式の発足は、一九六二年八月六日であった。この八月の末に、公的な発会式を広島市内で開いた。東京毎日新聞は、研究所は「広島県、市および財界の全面的バック」をもっていると報じ、取上げる研究として次の項目を書きそえている。

一 核実験と軍備競争の問題、
二 核戦争、細菌戦争、化学戦争を含むすべての型の戦争が人間に及ぼす影響の研究、
三 戦争にかかわる社会的、心理的、政治的問題の研究、
四 戦争経済から平和経済へと国家を変換させる問題、
五 世界資源の平等な分配の問題、
六 政治的、イデオロギー的摩擦の問題。

毎日新聞はさらに、「四九名の著名人が顧問として、企画に参加を同意した」と加えて、湯川、川端、茅、ノーマン・カズンズ氏らの名をあげている。

これは広島平和研究所のきわめてさい幸きのいい第一頁であった。そして、仕事の種類はさまざまで、成功もあり、失敗もあったが、この研究所は五、六年も続いたが、ここで、HIPSの物語を全部まとめておきたい。研究の成果の一部を出版できたが、研究所はほんとうの意味では活発な活躍をしなかった。それには数多くの理由があったが、ただ次の数点をあげておこうと思う。

(1)わたしがアメリカ人でありながら、広島に平和の研究所をたてようとしている。この地方の学究人のグルーブは、この活動を自分たちの活動不足への批判と考えて、多くの批判を浴びせた。

(2)HIPS設立の直後、わたしはロンドンからレーニングラードへ、平和活動の航海の指揮を要請されたのだったが、この依頼を断わるわけにはゆがず、HIPSが一ばん助力を必要としたその時点、不在だった。

(3)わたし自身の結婚上の問題。これがある人たちを分裂させ、一般市民の心情に疑惑を与えた。

(4)さまざまのアメリカの団体から、ノーマン・カズンズ氏を含めて、若干の寄付はあったが、日本側からは全くなかったといっていい。そのために、運営を続ける資金面の土台がなかった。

(5)日本に、この種の研究所をたてるべき時が熱してなかった。

以上の理由から、ほかにもあったが、HIPSの気勢はもり上らなかった。で次のステップとして、平和研究の関心を東京にうつし、東京を中心に、何かの組織を導入してみようかと、徐々に、結論するに到ったのである。関心を示すグループや知識人たちに語りかけ、接触しては、機会の到来をまったのだが、ついに、平和研究のグループが一つできて、今日も、国際的な平和研究の組織に加っていることを喜びとしたい。

広島では、HIPSは静かに死んでいった。いまはその存在を語る記念碑もない。わたしの机の上には、広島平和文化センターが一九六九年に出した小冊子、『平和への歩み』(英文)があるが、終戦以来、広島で行われた平和活動の年代表がついている。「フェニックス」号やわたしの家族の活動の一部は記録されているが、HIPSの設立については一行もない。あるいは、全く存在しなかったのであって、わたし一人の空想の産物にすぎないのだろうか。

出典:「ヒロシマ巡礼-バーバラ・レイノルズの生涯」(小谷瑞穂子、筑摩書房)pp153-155

もともとレイノルズ博士は、裁判の判決が下りハワイから再びヒロシマに帰還した時から、原爆都市にこそ世界平和を科学的に研究する機関を設置すべきだという構想を抱いていた。第二次大戦後の欧米の大学では、核兵器の開発と、資本主義と共産主義とのイデオロギーの対立を踏まえて、人類はいかにして平和を確保すべきかという問題を追求する新しい研究が注目されていた。

すでに一九六○年代のアメリカの各大学では、「平和科学研究所」が設置されていたし、スエーデンやノルウェーでも国立の平和研究所があったが、日本ではどこの大学にも平和科学の研究機関をおいている所はなかった。そこでレイノルズは広島大学の社会学教授、中野清一に仲介してもらい学長の森戸辰男に働きかけ賛同を得ると、一九六二年八月六日を「広島国際平和科学研究所」の発足の日として、その構想を中国新間紙上に発表した。

その構想とは、

一、放射能と化学兵器による環境破壊と人類に与える障害の研究。
二、戦争の原因となる社会的、政治的、心理的問題の研究。
三、戦争経済から平和経済に移行するための問題解決策の研究。
四、世界における資源分配の不平等の解決策の研究。
五、政治、宗教、イデオロギーによる国際間の緊張緩和の研究。

などのテーマで、海外の平和研究所と討議や文献資料などの交換をし、すぐれた論文を出版し、国際的視野から、二十世紀がかかえる紛争の解決の要求に応じようとするものであった。

海外からはシュヴァイツァー博士をはじめとして、バートランド・ラッセル卿やノーマン・カズンズなど、日本国内では日本ペンクラブ会長の川端康成や、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹の支援もとりつけた。とりあえず研究所の仮事務所を広島市の管轄下にあったシュモー住宅におき、レイノルズが所長となり、連絡事務にはアルバイト学生をやとって、諸外国の平和科学研究所から情報を収集することになった。運営基金としては、海外および日本の有力財団から寄付を集める方針で、その依頼の手紙を書くこともレイノルズの仕事であった。

ちょうどバーバラが第一回の平和巡礼を終えてヒロシマに帰ってきたころ、レイノルズの紙屋町郵便局私書箱九九番にはニューヨークのカーネギー財団やロンドンの平和研究所、インドのガンジー財団などから照会の手紙が沢山きていた。だがその山積する仕事をふりきるようにして、アールは、ソ連の核実験に抗議するため、レニングラードに向かうヨットの船長となって、イギリスに出発してしまった。レイノルズは出発まえに委員たちを個別に訪問して了解をとったが、日本人委員たちはイエスともノーともいわず、表面ではだれも批判がましい意見をいう人はいなかった。しかし彼がヒロシマからいなくなると、「レイノルズは書斎に腰をすえて研究する学者ではない。科学者としてよりも、反核運動の活動家の道を選んだのだ。国際的に影響を与えるどんな立派なプロジェクトをかかげようとも、実際にはどれだけの科学者が真剣に協力するかに、研究所の将来がかかっている。すべてがレイノルズの独断専行でことが運ばれ、二十名の委員はあってなきがごとしだ」と厳しい批判が起こった。

三カ月後レイノルズがかえってくると、広島大学側や委員たちの態度は冷たかった。申請していた文部省の認定も日本企業からの基金援助も、留守の間になんの進展もなかった。そのうえ、いままでレイノルズに協力していた中野清一が委員を辞任すると、次々とほかの委員からも辞表がだされた。追い打ちをかけるように、頼りにしていた学長の森戸辰男が中央教育審議会の委員長となり、広島大学を去った。広島国際平和科学研究所(HIPS)の会計をまかされていた森戸の秘書の西村宏は、会計報告を0と記して、レイノルズに渡した。

広島県医師連盟推薦候補と選挙結果

広島県医師連盟推薦候補と選挙結果<作業中

『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第15章

第1節  広島県医師連盟等の略史…1364
1. 広島県医師連盟の結成…1364
広島県医師連盟初代役員
日本医師連盟初代役員
2. 常勝県医連、反省の一敗地…1365
3. 県医連委員長の旗の下に…1365
4. 新しい医政活動の推進に…1366
日本医師連盟の活動方針
第2節 衆議院議員総選挙…1368
1. 第30回総選挙
2 第31回総選挙
3 第32回総選挙
4 第33回総選挙
5 第34回総選挙
6 第35回総選挙
7 第36回総選挙
8 第37回総選挙
9 第38回総選挙
10 第39回総選挙
11 第40回総選挙
12 第41回総選挙
13 第42回総選挙
14 第43回総選挙
第3節 参議院議員選挙…1392
1. 第6回参議院選挙
2 第7回参議院選挙
3 第8回参議院選挙
4 第9回参議院選挙
5 第10回参議院選挙
6 第11回参議院選挙
7 第12回参議院選挙
8 参議院地方区補欠選挙
9 第13回参議院選挙
10 第14回参議院選挙
11 第15回参議院選挙
12 第16回参議院選挙
13 参議院広島補欠選挙
14 第17回参議院選挙
15 第18回参議院選挙
16 第19回参議院選挙
17 第20回参院選候補に西島英利日医連常任執行委員
第4節 広島県知事選挙…1413
1. 大原博夫知事の誕生…1413
2. 永野厳雄知事の誕生…1414
3. 宮沢弘知事の誕生…1415
4. 竹下虎之助知事の誕生…1415
5. 藤田雄山知事の誕生…1416
第5節  広島県議会議員選挙…1417
1. 田坂三友県議の誕生…1417
  2. 杉原久夫候補、県議に…1417
3. 大谷彰候補、4度県議に…1418
4. 長船元昭候補、県議に…1419
5. 桧田仁県議の時代…1419
6. 麻尾朋久候補、県議補欠選挙…1420
第6節 広島市長選挙など…1421
1. 荒木武候補、広島市長選挙…1421
2. 杉本純雄候補、広島市長選挙…1421
広島県医師連盟役員(平成2年9月8日現在)
杉本純雄後援会規約
「瑠璃の会」発足 杉本純雄の政治団体
広島県医師連盟執行委員会
杉本すみお後援会事務所の移転
自民党、杉本純雄候補を推薦
出陣式から投票日《1991年2月3日》まで
開票結果
 平岡敬(63歳) 276781
 杉本純雄(61歳)151845
 森脇勝義(56歳)18172
3. 大田晋候補、広島市長選《1999年1月31日》、惜敗…1427
 開票結果
 当選:秋葉忠利 次点:大田晋(無新、元厚生官僚) 中本弘(自新)
広島市長選《2003年2月2日》
 当選:秋葉忠利 次点:大田晋、 古葉竹識
  4. 寺上正人候補、庄原市長選挙…1428

 

放射線被曝者医療国際協力推進協議会《略称HICARE》の活動(広島県医師会)

核戦争防止国際医師会議<作業中>作業中
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第5節

内容

1  放医協設立の目的…648
2 放医協の機構…648
放医協組織図
歴代会長
初代:重松逸造放影研理事長(平成3年度~9年度)
2代:鎌田七男広大原医研所長(平成10年度~11年度)
3代:真田幸三県医師会長(平成12年度~1現在)
3 放医協事業の概要…649
 1医師等受入研修・派遣事業 …649
 2被曝者医療解説書作成事業…650
 3放射線被曝者医療国際協力普及啓発事業…650
 4  放医協の活動状況…650
1 医師等受入研修事業
  研修機関
  年度・国別受入研修生
  平成3年度
  ~~平成14年度
2 医師等派遣事業
3 普及啓発事業
①講演会、パネル展
②『原爆放射線の人体影響1992』
内容
執筆者
5 広島県医師会の放医協への直接協力…655
平成3年
~平成12年

核戦争防止国際医師会議(広島県医師会)

核戦争防止国際医師会議<作業中>作業中
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第4節

内容

1 IPPNWとは…619
1 設立の経緯
IPPNW世界大会
2 組織運営
3 一般大衆に対する知識の普及
4 世界の指導者に対する知識の普及
5 医療専門家に対する知識の普及
 6 IPPNWの新しい活動展開
2 IPPNWの歩み…621
1980年
2003年
3 IPPNW日本支部の創生…626
ノーベル平和賞受賞、日本支部の貢献
1 「被爆の実相」を普及させた努力
2 平和の原点を求めての努力
4 IPPNW世界大会(日本支部関係)…629
1回
2回
3回
4回
5回
6回
7回
8回
9回
10回
11回
12回
13回
14回
15回
 5  IPPNW日本支部の関連諸活動…632
IPPNWの歩み
1 1982年
2 1983年
3 1984年
4 1985年
5 1986年
6 1987年
7 1988年
8 1989年
9 1990年
10 1991年
11 1992年
12 1993年
 13  1994年
14 1995年
15 1996年
16 1997年
17 1998年
18 1999年
 19  2000年
20 2001年
 21 2002年
 22 2003年
 IPPNW日本支部役員名簿
 第9回 IPPNW世界大会広島組織委員会委員

在外被爆者支援対策事業(広島県医師会)

在外被爆者支援対策事業
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第2節

内容

1 在北米被爆者検診事業…591
1 大内会長国連訪問の旅
2 米国西海岸で在米被爆者と会見
3 ロサンゼルス郡・広島県の両医師会姉妹縁組
4 第1回在北米被爆者健診
5 アメラシンゲ国連議長、初来広
大内五広島県医師会長スピーチ
広島市長歓迎夕食会出席者
6 第2回在北米被爆者健診
7 第3回在北米被爆者健診
8 サンフランシスコ・広島県の両医師会姉妹縁組
9 第4回在北米被爆者健診
10 ブラッドレー・ロサンゼルス市長、広島へ
11 第5回在北米被爆者健診
12 第6回在北米被爆者健診
13 第7回在北米被爆者健診
14 在北・南米被爆者協会幹部・来広
15 第8回在北米被爆者健診
16 第9回在北米被爆者健診
17 第10回在北米被爆者健診
18 ハワイ州医師会・広島県医師会友好姉妹提携20周年記念会
19 第11回在北米被爆者健診
20 第12回在北米被爆者健診
21 第13回在北米被爆者健診
22 第13回在北米被爆者健診
2 在南米被爆者検診事業…603
1 在南米被爆者の実態調査
2 第1回在南米被爆者巡回医師団
南米の各医師会へ持参した広島医師会長の書簡
3 第2回在南米被爆者巡回医師団
4 第3回在南米被爆者巡回医師団
5 第4回在南米被爆者巡回医師団
6 第5回在南米被爆者巡回医師団
7 第6回在南米被爆者巡回医師団
8 第7回在南米被爆者巡回医師団
9 第8回在南米被爆者巡回医師団
10 第9回在南米被爆者巡回医師団
11 第10回在南米被爆者巡回医師団
12 平成15年度在南米被爆者健康診断事業派遣団
3 在北米被爆者帰国治療事業…607
1 在外被爆者帰国治療事業の充実
2 女流作家上坂冬子の支援
3 広島県医師会長、米国被爆者協会長に確約
4 北米被爆者帰国治療受入実績
4 在南米被爆者帰国治療事業…610
第1回(1990年)~第12回(2001年)計38人

『ヒロシマの子育て・教育』1993年

『ヒロシマの子育て・教育』1993年

01 29 09 私学の頁=「呉・広地区父母懇の発足②」
02 30 06 全国教研集会に参加して
07 第19分科会・平和と国際連帯の教育
10 高校の頁:私の同和教育論
03 31 08 高校の頁:アニメ映画「キムの十字架」を使った平和学習の試み
11 広島教育研究所1年間の活動 1993.2
04 32 06 高校の頁:「沖縄戦」を歩いて
05 33 11 1993年度広島教育研究所の研究活動
06 34 08 八次小・岡田判決の意義(弁護士・高村是あつ)
07 35 06 教育実践:福山同授研サークルのあゆみ
09 私学の頁:夏の高校生(沢野重男)
09  36  05  わが街の資料館2:大久野島毒ガス資料館
 06  高校の頁:長崎・平和の旅(広島高校生平和ゼミナール)
08 マラソン講座「江戸時代の身分制度を教えて」は楽しかった(川島孝郎)
10 37 03 「激動する世界のなかの憲法と教育」 第2回全国教育研究交流集会
 11  38
12 39 04 今こそ八次小判決を生かす取り組みを

広島県医師会史 第II編

『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、2004/03/30)

内容<作業中

章節 見出し
口絵…広島県医師会歴代会長(昭和20年以降)
序…広島県医師会会長 真田幸三
祝辞…日本医師会会長 坪井栄孝
祝辞…広島県知事 藤田雄山
広島県医師会史第II編編纂の記…広島県医師会副会長 寺岡暉
1 広島県医師会通史
1-1 前史…2
1.広島県医会時代(明治25年~明治36年)…2
2.広島県郡市連合医会時代(明治36年~明治39年)…3
3.省令医師会時代(明治39年~大正8年)…3
4.法定医師会時代(大正8年~昭和16年)…8
5.国民医療法医師会時代(昭和17年~昭和21年)…13
6.大原博夫会長時代(昭和19年~昭和22年)…14
7.渡辺英吉造会長時代(昭和22年~昭和23年)…14
8.石田俊雄会長時代(昭和23年~昭和24年)…15
9.長崎五郎会長時代(昭和24年~昭和25年)…16
10.松坂義正会長時代(昭和25年~昭和30年)…16
11.正岡旭会長時代(昭和30年~昭和32年)…19
12.田坂三友会長時代(昭和32年~昭和37年)…21
1-2 皆川尚常会長時代(昭和37年~昭和42年)…24
1-3 大内五良会長時代(昭和42年~昭和57年)…39
1-4 杉本純雄会長時代(昭和57年~平成4年)…105
1-5 福原照明会長時代(平成4年~平成10年)…139
1-6 真田幸三会長時代(平成10年~現在)…158
2 代議員会の歴史
 第1節 新生広島県医師会代議員会…192
1.第1同県医設立代議員会~92.
第92同県医臨時代議員会…194
第2節 新生日本医師会代議員会…280
1.第1回日医代議員会~109.
第109回日医臨時代議員会…283
3 医療保険等の動きから
 第1節 保険医総辞退問題(昭和36年)…328
1.発端…328
2.中国四国医師会の団結…328
3.日医、実力行使を宣言…329
4.県医、闘争態勢に入る…330
5.医療危機突破広島県医師抗議大会…331
6.日医闘争本部指令…333
7.広島県下3地区で抗議集会…334
8.日医闘争本部、第2次一斉行動を指令…334
9.闘争態勢を監視態勢へ…335
10.支払い側の反発と中医協の再開…336
11.公約促進全国医師・歯科医師大会…336
12.灘尾厚相の尽力、保険医総辞退態勢に終止符…337
13.医療問題懇談会の発足…338
 第2節 保険医総辞退問題(昭和46年)…340
1.「審議用メモ」に日医の怒り…340
2.日医、当面の対策として包括的抵抗体制をとる…341
3.広島県医師会の対応…342
4.健保法近代化促進全国医師大会…342
5.保険医総辞退の手続き決める…343
6.保険医登録抹消請求書2,100通知事に提出…345
7.窓口混乱防止に万全の策…346
8.非常事態時の協力貯蓄融資制度…347
9.全国市議会議長会へ、日医「声明書」で反論…347
10.保険医総辞退、全国約7万2,000人…348
11.武見日医会長と斎藤厚相の会談…348
12.保険医総辞退に終止符…349
 第3節国民健康保険の問題…350
1.国民健康保険法案の登場…350
2.国民健康保険の概況…351
3.戦後の保険制度建て直し…351
4.広島県医師会の国保闘争…352
5.新国民健康保険法の制定…353
6.国民健康保険法の改正…354
7.国保直診部会…357
8.広島県医師会社会保障関係担当理事並びに委員…358
9.社会保険請求事務員養成講座…360
10.社会保険指導者講習会…360
 第4節 医療法の改正など…363
1.戦後の医療関係諸制度の制定…363
2.医療法制定の略史…366
3.第1次医療法改正…366
4.第2次医療法改正…368
5.第3次医療法改正…369
6.第4次医療法改正…370
 第5節 労災、自賠責医療問題…381
1.工場法から労災保険へ…381
2.広島県労災指定医協会の発会…381
3.広島県労災指定病院協会定時総会…382
4.広島県損害保険医療協議会…393
5.広島県医師会労災自賠責委員会…395
4 高齢者の保健・医療・福祉対策
 第1節老人福祉法の制定…400
1.老人福祉法の制定…400
2.老人医療の無料化へ…400
3.広島県、老人医療の助成開始…400
4.老人福祉法改正…401
 第2節老人保健法の制定…401
1.老人医療無料化制度の見直し…401
2.老人医療費のあり方…402
3.老人保健法案の立案…402
4.老人保健法案、継続審議に…403
5.老人保健法の意義…404
6.老人保健法の施行…405
7.老人保健制度の見直し…406
8.老人保健法の改正…406
9.老人保健施設事業、本格スタート…408
10.高齢者医療制度の見直し…409
 第3節 介護保険制度の発足…410
1.介護保険制度創設の背景…410
2.厚生省の介護保険構想動き出す…411
3.介護保険制度の概要…412
4.介護保険制度へ向けての地元行政、
医師会の対応…412
5.介護支援専門員実務研修…415
6.介護保険制度施行直前…415
7.介護保険制度スタート…416
8.改定介護報酬…417
9.広島県介護支援専門員連絡協議会…419
10.各市郡地区医師会の介護体制…420
(1)広島(2)呉(3)福山(4)尾道(5)三原(6)因島
(7)大竹(8)安芸(9)佐伯(10)安佐(ll)高田(12)東広島
(13)世羅(14)松永沼隈(15)府中(16)三次
5 生涯研修活動の実践
 第1節 広島医学会総会の歴史…448
1.有志医会から奨進医会へ…448
2.芸備医学会の創立…449
3.広島医学会の出発…449
4.広島医学会を運営してきた人々…450
5.広島医学会総会の歴史…454
 第2節 月刊誌『広島医学』の刊行…535
1.『広島医学』の誕生…535
2.『広島医学』の編集方針…536
3.『広島医学』の編集に携わってきた人々…539
4.『広島医学』各巻の総べージ数…543
 第3節各専門分科会…544
1.広島県内科会…544
2.広島外科会…547
3.広島県臨床整形外科医会…549
4.広島県小児科医会…550
5.広島県耳鼻咽喉科医会…552
6.広島県眼科医会…556
7.広島皮膚科医会…558
8.広島泌尿器科医会…560
9.呉泌尿器科会…561
10.福山泌尿器科会…561
11.広島県放射線医会…562
 第4節 組織腫瘍登録事業…564
1.大内会長時代、広島県腫瘍登録委員会の発足…564
2.組織腫瘍登録作業の開始…567
3.杉本会長時代…569
4.福原会長時代…571
5.真田会長時代…572
6.日本対ガン協会賞受賞…574
7.地域がん登録事業…575
6 広島県医師会と原爆関連
第1節 原子爆弾後障害研究会…580
第2節 在外被爆者支援対策事業…591
1.在北米被爆者検診事業…591
2.在南米被爆者検診事業…603
3.在北米被爆者帰国治療事業…607
4.在南米被爆者帰国治療事業…610
第3節 原爆医療支援機関…611
1.放射線影響研究所(放影研)…611
2.広島大学原爆放射線医科学研究所(原医研)…613
3.広島原爆障害対策協議会(原対協)…615
4.広島赤十字・原爆病院…617
第4節 核戦争防止国際医師会議(略称IPPNW)…619
1.IPPNWとは…619
2.IPPNWの歩み…621
3.IPPNW日本支部の創生…626
4.IPPNW世界大会…629
5.IPPNW日本支部の関連諸活動…632
第5節 放射線被曝者医療国際協力推進協議会
(略称HICARE)の活動…648
1.放医協設立の目的…648
2.放医協の機構…648
3.放医協事業の概要…649
4.放医協の活動状況…650
5.広島県医師会の放医協への直接協力…655
第6節 マルセル・ジュノー博士顕彰事業…657
1.Dr.ジュノーと広島…657
2.Dr.ジュノーの掘り起こし…659
3.Dr.ジュノー顕彰世話人会発足…661
4.Dr.ジュノー発起人会、役員会…662
5.Dr.ジュノー記念碑除幕式…664
6.Dr.ジュノー記念祭…666
第7節 ノーマン・カズンズ博士顕彰事業…676
1.ノーマン・カズンズ博士の功績と略歴…676
2.カズンズ氏記念碑建設委員会…678
3.カズンズ氏記念碑除幕式…679
4.カズンズ氏記念碑建設委員会に
「国際交流奨励賞」…683
第8節 原爆ドームの世界遺産化活動…683
1.「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」結成…683
2.請願運動、署名の重み…684
3.被爆50周年記念に実現を期す…685
4.世界遺産化早期実現ヒロシマの集い…686
5.「原爆ドーム」の世界遺産、登録決定…687
7 医の倫理、医事紛争関連
 第1節 医の倫理…690
1.第1次倫理委員会の設置…690
2.第2次生命倫理委員会の活動…691
3.第3次生命倫理委員会…692
4.第4次生命倫理委員会…698
5.「医療と倫理を考える会・広島」の発足…698
6.日本医師会の「医の倫理」…700
第2節 医療・苦情相談窓口事業…702
1.医療・苦情相談事業…702
2.診療情報提供事業…705
第3節 医事紛争処理の歴史…708
1.広島県医師会医療事故処理特別委員会の発足…708
2.医事紛争報告書収受の背景…711
3.医事紛争に関する研修会等開催状況…716
4.医療事故特別会費の位置づけ…726
5.医療事故特別委員会の組織・機能…730
6.日医医療事故防止緊急対策合同委員会…731
8 地域保健医療計画策定…765
 第1節 広島県地域保健対策協議会の諸活動…734
1.広島県地域保健対策協議会の発足…734
2.県地対協の活動概要…737
3.地区地対協連絡協議会…746
4.県地対協各委員会・部会及び委員長・部会長…755
第2節 地域保健医療計画策定…765
1.医療基本問題調査…765
2.広島県保健医療基本計画策定…767
3.計画見直し作業…769
4.日本医師会最高優功賞…773
第3節 医師会病院・医師会立臨床検査センター関係…774
1.各医師会立検査センター・医師会病院への支援…774
2.県下医師会立臨床検査センター連絡協議会…780
3.広島県臨床検査精度管理調査並びに向上研修会の実施…788
4.県下医師会立臨床検査センター・検診センター…793
(1)広島市医臨床検査センター
(2)呉市医臨床検査センター
(3)福山市医臨床検査センター
(4)三原市医臨床検査センター
(5)因島市医臨床検査センター
(6)安芸地区医臨床検査センター
(7)東広島地区医臨床検査センター
(8)三次地区医臨床検査センター
5.県下医師会病院…803
(1)呉市医師会病院
(2)三原市医師会病院
(3)因島市医師会病院
(4)三次地区医療センター
(5)広島市医師会運営・安芸市民病院
6.中国四国医師会病院・臨床検査センター連絡協議会…811
7.全国医師会共同利用施設関係…814
9 会員福祉活動
 第1節 協力貯蓄制度…820
1.協力貯蓄制度の創設…820
2.協力貯蓄制度の変遷…821
3.協力貯蓄制度の改正諸度の概要…824
第2節 広島県医師共済会制度…834
1.医師共済会制度の発足…834
2.医師共済会制度の変遷…836
第3節 グループ保険制度…840
1.グループ保険制度の発足…840
2.グループ保険制度の変遷…842
第4節 税制問題…845
1.医療に関する税制問題…845
2.広島国税局・中国地区医師会役員懇談会…851
第5節准看護師の養成…857
1.看護制度の在り方と日医の見解…857
2.看護要員の需給…859
3.県知事への看護問題要請…865
4.各医師会立看護学校…868
(1)広島(2)呉(3)福山(4)尾道
(5)三原(6)江能(7)安佐(8)府中
5.県内医師会立准看護師養成施設連絡協議会…875
6.中国四国医師会看護職員養成対策協議会…880
第6節 医療秘書の養成…883
1.副看護員通信学院発足に至るまで…883
2.副看護員通信学院時代…885
3.副看に准看資格受験資格を…886
4.MS学院時代…889
5.医療秘書学院時代…891
6.安田女子短大へ委託…892
7.全国医療秘書連絡協議会…894
第7節会員親睦行事…900
1.ソフトボール大会…900
2.ゴルフ大会…903
3.勤務医ゴルフ大会…905
4.軟式庭球大会…908
5.硬式庭球大会…912
6.クラブ対抗庭球大会…915
7.医師走ろう会ジョギング大会…916
8.囲碁大会地区対抗戦…921
9.囲碁大会個人戦…923
10.囲碁大会本因坊戦…925
11.将棋大会…926
12.医家芸術展…926
13.医家音楽祭…928
14.会員随筆集…929
15.広島医芸ニュース…929
第8節 会員の表彰受賞…934
1.日本医師会最高優功賞など…934
2.保健文化賞…940
3.中国科学賞・中国文化賞…942
4.その他主たる賞…942
第9節 広島医師会館建設の経緯…943
1.広島県医師会事務所の所在…943
2.広島市中町の広島医師会館建設…944
3.観音本町の広島医師会館…946
4.現広島医師会館の管理運営、老朽度調査…951
5.21世紀の新医師会館…951
10 広報・情報活動への対応
 第1節 総合医療情報ネットワーク化の推進…956
1.広島県医師会の医療情報システム化構想…956
2.先進的情報通信システム等に関し補助金申請…957
3.広島県医師会総合医療情報センターの開所…958
4.県医師会情報活動の展開…959
第2節 旬刊紙『広島県医師会速報』の発行…963
1.創刊号…963
2.第3種郵便物認可…964
3.「編集後記」執筆者と編集委員…964
4.記念号の記事…968
5.各種座談会掲載号…975
6.掲載内容のことなど…977
第3節 地域に開かれた健康教育…978
1.新聞紙上に健康相談欄…978
2.「あなたの健康」ポスター…978
3.健康シリーズ…980
4.救急医療小冊子982
5.健康セミナー…982
6.みんなの健康展984
7.長寿道場…985
8.禁煙教育…987
9.県警との連携…998
10.母子保健…1004
11 各部会の設立とその活動
 第1節 学校医部会…1008
1.学校保健衛生の推移…1008
2.広島県医師会学校医部会発足…1009
3.広島で第1回全国学校医大会…1010
4.学校医部会委員会に改称…1011
5.『学校医の手引き』刊行…1012
6.学校医研修会など…1013
第2節 産業医部会…1033
1.広島県医師会産業医部会の発足…1033
2.『産業医の手引』発刊…1034
3.産業医部会が労働大臣表彰受賞…1036
4.産業医研修会など…1038
5.広島県産業保健推進協議会…1045
6.広島県産業保健推進センターの概要…1050
7.広島県下の地域産業保健センターの紹介…1052
(1)広島(2)呉(3)佐伯(4)広島北(5)三次
(6)福山(7)三原(8)尾道(9)府中
第3節 勤務医部会…1059
1.広島県医師会勤務医部会…1059
2.中国四国地区医師会勤務医問題担当
理事連絡協議会…1069
3.全国医師会勤務医部会連絡協議会…1071
第4節 スポーツ医部会…1073
1.広島県医師会スポーツ医部会の創設…1073
2.スポーツ医部会の活動…1074
3.日医認定健康スポーツ医制度…1081
4.日医認定健康スポーツ医制度実施研修会…1082
第5節 救急部会…1084
1.広島県医師会救急医療部会の発足…1084
2.救急医療情報システムの開発と運用等…1085
3.救急労災部会…1090
4.救急部会諸活動め概要…1090
第6節 災害部会…1097
1.広島県医師会災害部会の設置…1097
2.災害医療救護訓練…1098
第7節 有床診療所部会…1102
1.一人医師医療法人部会の設置…1102
2.有床診療所検討委員会…1104
3.福原論文、木村論文から
「有床診療所に未来はあるのか」…1105
4.広島県医師会有床診療所部会の誕生…1106
5.全国有床診療所連絡協議会総会…1109
12 広島県下各市郡地区医師会
  1.広島市…1116
2.呉市…1117
3.福山市…1120
4.尾道市…1122
5.三原市…1125
6.因島市…1126
7.大竹市…1128
8.安芸地区…1129
9.佐伯地区…1131
10.安佐…1133
11.高田地区…1134
12.山県郡…1137
13.賀茂郡東部…1139
14.東広島地区…1141
15.豊田郡…1145
16.竹原地区…1146
17.世羅郡…1148
18.松永沼隈地区…1150
19.深安地区…1151
20.府中地区…1152
21.三次地区…1154
22.庄原地区…1156
23.広島大学医学部…1157
13 関係諸団体並びに関連医療施設
 第1節 広島県医師会員との連携団体…1162
1.広島県医師国民健康保険組合…1162
2.広島県医師協同組合…1166
3.広島県病院協会…1167
4.広島県産婦人科医会…1170
5.広島県精神病院協会…1172
6.広島県精神神経科診療所協会…1173
7.広島県社会保険診療報酬支払基金…1176
8.広島県国民健康保険団体連合会…1178
9.広島県女性医師の会…1180
 第2節 友好関係諸団体…1182
1.広島県歯科医師会…1182
2.広島県薬剤師会…1183
3.広島県看護協会…1184
4.広島県柔道接骨師会…1185
5.広島県栄養士会…1186
6.広島県放射線技師会…1187
7.広島県臨床検査技師会…1189
8.広島県理学療法士会…1191
9.広島県健康福祉センター…1192
10.広島県社会福祉協議会…1194
11.広島県環境保健協会健康クリニック…1195
12.労災保険情報センター…1196
13.広島県産業保健推進センター…1198
14.ひろしま角膜・腎バンク…1200
 第3節 広島県内の公的医療機関…1203
1.国立関係…1203
(1)広島大学病院
(2)広島逓信病院
(3)国立病院呉医療センター
(4)中国労災病院
(5)国立福山病院
(6)国立大竹病院
(7)国立療養所賀茂病院
(8)国立療養所広島病院
(9)国立療養所原病院
2.県立関係…1218
(1)県立広島病院
(2)県立総合精神保健福祉センター
(3)県立身体障害者リハビリテーションセンター
(4)県立心身障害者コロニー重症心身障害児
施設わかば療育園
(5)県立福山若草園
(6)県立瀬戸田病院
(7)県立安芸津病院
(8)県立神石三和病院
3.市町立関係…1228
(1)市立広島市民病院
(2)市立舟入病院
(3)市立安佐市民病院
(4)福山市民病院
(5)尾道市立市民病院
(6)公立みつぎ総合病院
(7)公立下蒲刈病院
(8)加計町国保病院
(9)戸河内町国保病院
(10)豊平町国保病院
(11)久井国保病院
(12)世羅中央病院
(13)国保神辺町立病院
(14)国保上下病院
(15)上下湯ヶ丘病院
(16)三次中央病院
(17)国保西城病院
4.赤十字関係…1252
(1)三原赤十字病院
(2)庄原赤十字病院
5.済生会関係…1255
(1)済生会呉病院
(2)済生会広島病院
6.厚生連関係…1258
(1)廣島総合病院
(2)吉田総合病院
(3)府中総合病院
(4)尾道総合病院
7.組合立関係…1263
(1)広島記念病院
(2)吉島病院
(3)呉共済病院
(4)中国中央病院
(5)旧立造船因島総合病院
(6)呉共済病院忠海分院
8.法人関係…1274
(1)旧本鋼管福山病院
(2)住吉浜病院
9.会社立関係…1277
(1)広島鉄道病院
(2)中電病院
(3)マツダ病院
(4)広島三菱病院
(5)三菱三原病院
10.生協関係…1287
(1)福島生協病院
(2)広島共立病院
14 中国四国各県医師会との連携
 第1節 中国5県医師会連合総会…1292
1.中国地区医師会協議会…1292
2.中国5県医師会合同会議…1292
第2節 中国四国医師会連合総会…1294
1.関西医師連盟代表者会議…1294
2.関西地区日医代議員代表者協議会…1295
3.中国四国医師会連合総会…1295
第3節 中国四国医師会連合常任委員会…1324
第4節中国地区衛生主管部長・県医師会長合同会議…1338
第5節中国四国各県衛生主管部長・医師会長合同会議…1341
第6節中国四国医師会連合医学会…1343
1.中国四国医師会連合医学会の創設…1343
2.中国四国医師会連合医学会…1344
15 広島県医師連盟推薦候補と選挙結果
 第1節 広島県医師連盟等の略史…1364
1.広島県医師連盟の結成…1364
2.常勝県医連、反省の一敗地…1365
3.県医連委員長の旗の下に…1365
4.新しい医政活動の推進に…1366
第2節 衆議院議員総選挙…1368
1.第30回総選挙~14.第43回総選挙…1368
第3節参議院議員選挙…1392
1.第6回参議院選挙~17.
第20回参議院選挙に向けて…1392
第4節 広島県知事選挙…1413
1.大原博夫知事の誕生…1413
2.永野厳雄知事の誕生…1414
3.宮沢弘知事の誕生…1415
4.竹下虎之助知事の誕生…1415
5.藤田雄山知事の誕生…1416
第5節 広島県議会議員選挙…1417
1.田坂三友県議の誕生…1417
2.杉原久夫候補、県議に…1417
3.大谷彰候補、4度県議に…1418
4.長船元昭候補、県議に…1419
5.桧田仁県議の時代…1419
6.麻尾朋久候補、県議補欠選挙…1420
第6節 広島市長選挙など…1421
1.荒木武候補、広島市長選挙…1421
2.杉本純雄候補、広島市長選挙…1421
3.大田晋候補、広島市長選、惜敗…1427
4.寺上正人候補、庄原市長選挙…1428
16 資料編
第1節広島県医師会の主要規約…1430
1.広島県医師会定款並びに同施行細則…1430
2.広島県医師会議事規則…1436
3.広島県医師会会費賦課徴収規程
並びに特別会計規程…1438
4.広島県医師会医療事故特別委員会規則
並びに施行細則、実施要領…1440
5.広島県医師会協力貯蓄運営規則並びに運営細則、
手数料賦課徴収規程…1444
6.広島県医師共済会規約並びに施行細則…1446
第2節 役員・代議員(特に昭和38年以降)…1450
1.広島県医師会歴代役員…1450
2.広島県医師会歴代裁定委員…1456
3.広島県医師会選出歴代日本医師会代議員・
同予備代議員一覧…1457
4.広島県医師会選出の日本医師会役員
及び各種委員会委員…1459
5.各市郡地区医師会の歴代正・副会長と正・副議長…1466
6.広島県医師会定例代議員会出席者名簿…1483
第3節 行政担当者…1518
1.歴代広島県知事…1518
2.歴代広島県議会議長…1518
3.歴代広島県環境生活部長…1518
4.歴代広島県福祉保健部長…1518
第4節 会員数・療機関数…1519
1.広島県医師会会員数の推移…1519
2.広島県医師会医療機関数の推移…1520
年表で見る医師会の歴史(昭和20年以降)…1522
参考文献・書籍一覧…1551
広島県医師会史第Ⅱ編の編纂を終えて
…広島県医師会副会長 青山喬