『空白の20時間 原爆被爆惨状絵図』(長崎県被爆者手帳友の会、19970601)
内容
1 | あっ閃光だ!! 深堀勝一 三菱兵器大橋工場(1380米) 9 | ||
2 | 顔面に負傷した女子挺身隊 深堀勝一 三菱兵器大橋工場(1380米) 11 | ||
3 | 三菱兵器大橋工場第三門につめかけた負傷者 深堀勝一 三菱兵器大橋工場(1380米) 13 | ||
4 | 救援列車第3号 深堀勝一 長崎市西町(1400米) 15 | ||
5 | 原爆投下被害を偵察するグラマンF6F 深堀勝一 長崎市西町(1450米) 17 | ||
6 | 救援列車第3号を見送る道の尾住民 深堀勝一 長崎市道の尾(約3200米) 19 | ||
7 | 爆心地の8月9日午后10時 島田 運・深堀勝一 長崎市松山町(0米) 21 | ||
8 | 救援隊員に間違えられて 島田 運・深堀勝一 長崎市松山町(0米) 23 | ||
9 | 母にカンフルを打たれて 土岐えみ子・深堀勝一 長崎市城山町(0米) 25 | ||
10 | タンカに乗せられて 土岐えみ子・深堀勝一 長崎市城山町(0米) 29 | ||
11 | 660の棺桶が 水江オケ・長谷川誠 長崎市銭座町(1760米) 31 | ||
12 | 私の夫が紅蓮の炎に 水江オケ・長谷川誠 長崎市銭座町(1760米) 33 | ||
13 | 下の川からみた被災状況 水江オケ・長谷川誠 長崎市松山町(0米) 35 | ||
14 | 660の遺体焼却で全市が火事のようだった 水江オケ・長谷川誠 長崎市銭座町(1760米) 37 | ||
15 | 行きながら焼かれた少女 村里鶴枝・長谷川誠 長崎市銭座町(1760米) 37 | ||
16 | 銭座町山の手に逃げていく被災者達 下谷富太郎 茂里町兵器 41 | ||
17 | 目覚町から山の手に逃げて行く被災者達 下谷富太郎 茂里町兵器 43 | ||
18 | 浜平町山の手附近でいこう被災者達 下谷富太郎 茂里町兵器 45 | ||
19 | 昭和町から道の尾駅へ向けて急ぐ被災者 大平力男 三菱兵器大橋工場 47 | ||
20 | 廃墟と化した浦上天主堂 深堀勇 長崎市上野町 49 | ||
21 | 私の手で焼いたお友達 大塚美智子 長崎市城山町 51 | ||
22 | 大村海軍病院第10病棟 深堀勝一・村崎圭子 53 | ||
23 | 私の大村海軍病院日記 山本帝子 市内竹之久保町3丁目自宅 55 | ||
24 | 防空壕でのお友達 山本帝子 市内竹之久保町3丁目 57 | ||
25 | 火の玉(あっ太陽が落ちた!!)水江オケ 実家横道の田の草取り中 59 | ||
26 | 五輪橋の上で 石原公明 長崎三菱製銅所第1工場内にて(現茂里町) 61 | ||
27 | 可愛い私の妹が 永田マツエ(妹)永田千里、城山町1丁目自宅にて被爆 63 | ||
28 | 私の従妹 徳永りょう子さんも死んでいた 永田マツエ(妹)永田千里、城山町1丁目自宅にて被爆 63 | ||
29 | 私の姉はたんぼの中で死んでいた!! 永田マツエ 67 | ||
30 | 原爆投下機に対して対空砲火陣は、唯、沈黙していた 土岐えみ子・深堀勝一 69 | ||
31 | アラッ!!落下傘が落ちてくる 土岐えみ子・本多博子 城山国民学校 71 | ||
32 | 原爆投下2ヶ月前に原爆の講習会が 深堀勝一 昭和20年6月頃 73 | ||
33 | 独、VI、VIIのロケット兵器、実験が長崎で!! 深堀勝一 昭和20年4月頃 75 | ||
34 | 昭和20年8月1日、B24、B25、による長崎大爆撃 深堀勝一 77 | ||
35 | 降伏ビラが落ちて来た 早川 久人・辻原津由子 79 | ||
36 | 七高生大いに暴れる 深堀勝一 三菱兵器大橋工場にて 81 | ||
37 | B29 黒煙を吐いて、長崎上空を!深堀勝一・森藤治 長崎市坂本町にて 83 | ||
38 | 輸送の産業戦士(馬ちゃん)浦上駅前に戦死する 金原勇・水江オケ・浦田健一 浦上駅前にて 83 | ||
39 | さげすんでいた朝鮮人に助けられて 深堀勝一 三菱兵器大橋工場にて 87 | ||
40 | 浦上天主堂の存置運動についての経過 深堀勝一 大浦天主堂にて(山口大司教訪問) 89 | ||
41 | 大学病院の中で私は生きていた 山口国男 S20.8.9 大学区病院内で 91 | ||
42 | 長崎商業校で、財津先生助けて!!水江オケ・故 財津勝一S20.8.9 校内にて 93 | ||
43 | 私達は岩郷の防空壕で助かった 大塚万智子・井上礼子 S20.8.9 落下時 95 | ||
44 | もゆる長崎駅 小溝昭七郎 諫早市永田町 97 | ||
45 | 爆心地進入の関所、井樋の口 水江オケ 長崎市天神町 99 | ||
46 | 川の中に飛びこんだとき原爆が! 片岡重昭 S20.8.9 當時の状況 101 | ||
47 | 浦上川大橋のほとりで 浦田健一 S20.8.9 三菱造船所より 自宅へ 103 | ||
48 | 大村海軍工廠爆撃のため、B29数編隊式見上空通過!! 早川久人 S19.10月頃 式見にて 105 | ||
49 | 兵役忌避工作は成功すれど、原爆の運命は悲し 深堀勝一 107 | ||
50 | 大村海軍病院のベッドの中で、人類は必ず滅亡すると深堀勝一 S20.8.9 大村病院 109 | ||
51 | 私は長崎警察署の望楼から、ただひとり原子雲を見た。 嘉松半四郎 S20.8.9 長崎署より 111 | ||
52 | 私は爆心地(大学病院)附近で野宿した。 平兼則 S20.8.11~12の状況 113 | ||
53 | お母さんの金の指輪 ゴルフパットとなりて 深堀勝一 115 | ||
54 | 赤迫トンネルの前で私が見たもの 山川米雄 S20.8.9兵器 赤迫トンネル内で 117 | ||
55 | 清水町 照円寺の下で 山川米雄 S20.8.9 兵器 赤迫トンネル前面で 119 | ||
56 | 常在寺(川棚町)に収容された被爆者 神木三郎 S20.8.10 121 | ||
57 | ガスタンク爆発のために爆死した人々 水江オケ・深堀勝一・下谷富太郎 S20.8.10 123 | ||
58 | 諫早駅前における救援活動 諫早市 田嶋義治 S20.8.9 1,500~ 125 | ||
59 | 48年ぶりに執刀医発見されて 安田泰華S21.9.15 127 | ||
60 | 開戦の日 12月8日の思い出 深堀勝一 S16.12.8 御厨駅にて負傷 129 | ||
61 | 爆心地慰霊碑撤去は何の為か 山下弘文 H8.9..19 131 | ||
62 | 慰霊碑撤去は許されん 宮部マチヨ H8.9.19 133 | ||
63 | 私の主人が死んだのよ!!遺族年金を申請してみたら!! 深堀勝一 H3年頃のこと 135 | ||
64 | 長崎駅からみたガスタンク 葉山利幸 S20.8.9 137 | ||
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