「原爆被害者相談員の会」カテゴリーアーカイブ

ヒバクシャ-ともに生きる第5号

『ヒバクシャ-ともに生きる第5号』原爆被害者相談員の会、19861211

目次

 鈴木 勉 はじめに
第二回・平和的生存のためのボランティア講座
被団協調査
 原爆被害者相談員の会事務局 日本被団協調査のとりくみをふりかえって
証言活動
  久保浦寛人 証言のつどい五年の歩みから
一九八六年度証言活動一覧
活動報告
 広瀬 勝 原爆遺跡めぐりに参加して
 加藤礼子 中国を訪問して

 

ヒバクシャ-ともに生きる第4号

『ヒバクシャ-ともに生きる第4号』原爆被害者相談員の会、19851211

目次

 鈴木 勉 はじめに
 河合幸尾 四年間の相談活動をふり返って ―私的な感想
座談会 被爆者相談活動の現状と課題をさぐる―待つ相談から出かける相談をめざして 出席者:三村正弘、一泰治、若林節美、江崎須賀子、山田寿美子、小嶋章吾、中村義明、(司会進行)塚本弥生
 久保浦寛人 原爆被害者のつどい一年のあゆみ
一九八五年度証言活動一覧
第一回世界平和連帯都市市長会議 被爆者との懇談会参加者の報告から (久保浦寛人、加藤礼子、加藤英雄 、 桑原千代子 、 川相廣子、土井久男、米田美津子、宮田幸子、片桐チヨ子)
舟橋喜恵 被爆者から学ぶもの《被爆者へのメッセージ》より
江崎須賀子 原爆小頭症患者・木田さん(仮名)宅への訪問相談活動報告
研究会活動
 松崎 徹 被爆体験の継承とは何か 受け継ぐものの立場から
小嶋章吾 二つの原爆被害者調査について

 

ヒバクシャ-ともに生きる第3号

『ヒバクシャ-ともに生きる第3号』原爆被害者相談員の会、19841211

目次

 大牟田 稔 原爆小頭症患者たちとの20年
島方時夫/江崎須賀子 被爆全滅一家の供養を続けるには
片山文枝 ガレスコ氏との出合い
 木村千代子 ドームの窓の少女
原爆資料館及び平和施設等の実態調査の結果について
塚本弥生 原爆被害者アンケート調査から 39年目の生活状況
宇吹 暁 予算からみた原爆被害者対策の変遷
 栗栖武士朗 被爆者援護法を制定せよ! 連続学習会第1回(84.10.21)被爆者援護法の歩みと展望
江崎須賀子 平和的生存のためのボランティア講座―相談員養成講座の内容とその成果
第一回/平和的生存のためには私達は・相原和光 60 第一回/ボランティア実践の中の学びについて・一 泰治 61 第二回/被爆者から学ぶもの・槙 繁 62 第三回/人はかかわりの中で生きている・塩山二郎 63 第四回/人とのかかわり・ケースワーク入門・宗像房子 64 第五回/平和的生存と社会保障・鈴木 勉 65 第六回/被爆者生活史はあくの意味・若林節美 66 第七回/被爆者援護の実情・江崎須賀子 67 第八回/被爆者証言・講座終了のつどい
参加者の感想より
池田みはる 「被爆の実相を語る会」について<***今年は、原水禁世界大会の一環として当初から取り組みを行ってきたこともあり、予想を大幅に上回る参加者***>
我妻正規 原爆二法研究会報告<1983年6月、弁護士、ケースワーカー、修習生などで発足>
片桐直樹 映画「生きるための証言」を世界の人々へ
 山田寿美子 肥田舜太郎氏を迎えて<1984年6月23日講演>

 

ヒバクシャ-ともに生きる第2号

『ヒバクシャ-ともに生きる第2号』原爆被害者相談員の会、19831211

目次

 石田 明 三十八年目の自戒
古山寿朗 被爆者行政の問題点 広島市における「手帳」交付事務の一側面
槙 繁 私にとって被爆者とは― 相談所・取材雑感
*はじめに、*草の根運動と被爆者運動、*加害と被害をめぐって<アジア文学者会議、浄土真宗西本願寺派の平和シンポジウム>、*語ってほしい””被爆に至る個人史、*被爆者相談の社会的責任、*たとえば被爆者条例を
相談活動から
小嶋章吾 原爆手帳の意味におもう
原爆被害者証言のつどい
久保浦寛人 「原爆被害者証言のつどい」誕生の経緯とグループ活動一年のあゆみについて
山岡ミチコ 私の人生を変える広島
 沼田鈴子 ヒバクシャとして悔いのない一生のために
山本幸雄 三十八年目に書いた妻の証言手記から
相良カヨ ”まったなし”の状況に適切な対応を
山本昌子 県東部地区被爆者相談に参加して
石田一紀 証言活動のエッセンス
 奥谷義行 相談員の会の活動に思う(平和を語る青年の集い)

 

ヒバクシャ―ともに生きる(原爆被害者相談員の会 機関誌)

原爆被害者相談員の会 機関誌

『ヒバクシャ―ともに生きる』発行。1982年12月11日創刊

第号  発行年月日 著者
 1  1982/12/11  河合幸尾( 代表)  発刊にあたって
 2  1983/12/11   河合幸尾
 3  1983/12/11   河合幸尾
 4  1983/12/11  鈴木勉
 5  1983/12/11   鈴木勉
 6  1983/12/11   鈴木勉
 7  1983/12/11   鈴木勉
 8  1983/12/11   鈴木勉
 9  1991/03/31  発足10周年記念特集号
10  1992/05/09   鈴木勉
 11  1993/06/01   鈴木勉
 12 1993/06/01   鈴木勉
 13  1993/06/01   鈴木勉
 14  1993/06/01
 15  1997/04/29
 16  1998/06/20
 17
 18
 19  2001/06/02
20
 21
 22
 22  2005/08/06
 23  2005/08/06
 24  2007/08/06
 25  2008/08/06
 26
 27   2012/08/06   鈴木勉
28  2012/08/06  三村正弘
29  2012/08/06 三村正弘
30  2012/08/06  三村正弘
 31   2012/08/06  三村正弘
 32   2012/08/06  三村正弘
 33  2016/08/06  三村正弘
 34  2017/08/06  三村正弘
 35
36  2019/08/06 三村正弘
37  2020/08/06 三村正弘  第38回8・6原爆被害者証言のつどい(2019年)
38  20210806  三村正弘

三十五年目の被爆者

『三十五年目の被爆者』(広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会編、労働教育センター、19790720刊)

目次

はじめに
富岡啓子 広島原爆障害対策協議会 二人の娘に残したもの-中川和子さんの場合
若林節美 広島原爆病院 絵に託すねがい-宮本広三さんの場合
池田みはる 草津病院 病室の中で-品川和三一さんの場合
江崎須賀子 広島市民病院 肝障害を押して-工藤志げのさんの場合
西村清登 放射線影響研究所 光をうばわれた半生-杉沢浅代さんの場合
白石順子 元放射線影響研究所
三村正弘 福島生協病院 生きていてよかったといえる日まで-富永初子さんの場合
塚本弥生 広島市民病院 平和を願い、訴えつづけて-藤枝良枝さんの場合
桶舎洋子 元安佐協同病院 長袖で過ごした青春-西田豊子さんの場合
加藤礼子 広島赤十字病院 生きる重み-長沢豊太郎さんの場合
山田寿美子 福島生協病院 二重の障害を背負って-西本良子さんの場合
座談会-いま被爆者は 石田明(全国被爆教師の会)、湯崎稔(広島大学)、富岡啓子、三村正弘、若林節美

 

原爆被害者証言のつどい

原爆被害者証言のつどい

1982年8月6日

久保浦寛人「『原爆被害者証言のつどい』について」(ヒバクシャ-ともに生きる1号)抄
一九八二年八月六日、三十七回の原爆の日を迎え広島で行なわれた原水爆禁止世界大会の関連行事の一つとして私達は、「原爆被害者証言のつどい」を開催いたしました。被爆体験者五十名の出席をいただき、全国から三○○人に及ぶ一般の参加者を迎え、約四時間にわたって、証言及ぴ被爆実体の継承のための対話集会をひらき、非常に強い反応をいただく事ができました。当日、不自由な身体を押して、このつどいに参加して下さった被爆者の皆さん、また、その被爆体験を熱心に聞いて下さった市民の皆さん、本当に有難うございました。小さくともいい、社会のために何かができたと言う心の張りと湧き出た力は、きっと将来に向っての活動の展開に大きな勇気付となったのではないかと思います。皆さんとともに有意義な一日を過す事ができた事を心からよろこんでおります。
この証言のつどいは、「原爆被害者相談員の会」を母体とし、その中の一部会として新しく誕生した被爆体験者グループでございます。今回の行事は、「相談員の会」は勿論、「被爆者家庭訪問をすすめる会」あるいは、「平和を語る青年のつどい」の方々によって構成された、証言のつどい実行委員会の支援を受けて開催したものでございます。「証言のつどい」などと言えば如何にも固苦しく聞こえますけれども、実際には全く逆で、草の根運動を目指し、市民の方々どなたでも気軽に参加していただける、肩の凝らない、くだけた茶の間の座談会と言うイメージとしました。十人から十五人の小グループを一単位として編成し、素朴で率直でしかも真剣味のある対話集会を心掛け、被爆者と参加者のふれあいをも大切にしながら、被爆体験について自由な討議を重ね、真実を十分汲み取っていただけるよう工夫したつもりでございます。今や反核運動は大きなうねりとなって世界にその輪を拡げつつありますが、まだまだその実体は認識されているとは言えません。戦後すでにご三十七年を経て被爆者は次第に高令化し、その数も年とともに減少の一途を辿りつつあります。戦争を知らない世代への転換 期を控えて、被爆体験の若い世代への継承は今を置いて二度とチャンスはないだろうと思います。私達は今強くあせりを感じております。

年表

Y M D NEWS1
83 08 06 原爆被害者証言のつどい、広島市で開催。「原爆被害者証言のつどい」実行委員会主催、約300人参加。
84 08 05 原爆被害者証言のつどい、広島市で開催。
84 11 13 第5回「原爆犠牲者にささげる音楽の夕べ」(8月6日於広島市)実行委員会、同「夕べ」収益金の一部を「原爆被害者証言のつどい」に寄贈。
86 04 26 「原爆被害者証言のつどい」、アリス・ハーズ平和賞を受賞。同「つどい」は、1982年に、原爆被害者相談員の会の呼びかけで発足。
87 08 06 「原爆被害者証言のつどい」(原爆被害者相談員の会など主催)、広島市で開催(約 500人参加)。
87 11 21 被爆者グループ「原爆被害者証言のつどい」、中曽根前首相句碑撤回運動を進めていくことを決定。
88 08 06 原爆被害者証言のつどい(原爆被害者相談員の会など主催)、広島市で開催(約350人参加)。
89 04 17 「原爆被害者証言のつどい」、広島赤十字・原爆病院NO被爆病棟を保存するよう同病院に要請書を送付。
89 07 15? 原爆被害者相談員の会、8月6日の「原爆被害者証言のつどい」での証言のビデオ保存を決定、ビデオ撮影作業などのボランティアを募集。
89 08 06 「原爆被害者証言のつどい」(原爆被害者相談員の会など主催)、広島市で開催。全国の高校生・大学生ら(約300人)、30人の被爆者による体験談を聴取。
89 12 11 原爆被害者相談員の会、会報「ヒバクシャ―ともに生きる」第八号(B5,76ページ)を発刊。8月6日に開催された「証言のつどい」特集を収録。
91 08 06 8・6原爆被害者証言のつどい、広島YMCAで開催(約300人参加)。28人の被爆者が、被爆体験を発表。
92 05 21 原爆被害者証言のつどい、県被団協など8団体、富重守広島赤十字・原爆病院長に会い、部分保存でも同病院の旧本館を残すよう申し入れる。[原爆遺跡]
93 08 06 原爆被害者証言のつどい、広島YMCAで開催。26人の被爆者の体験談を約500人が聴取。
95 07 16 広島市竹屋公民館、「碑めぐりウオーク」を実施。久保浦寛人「原爆被害者証言のつどい」代表が解説。約20人が参加。
95 08 06 原爆被害者証言のつどい、広島YMCAで開催。27人の被爆者が証言。350人が参加。14回目。
95 08 10? 原爆被害者相談員の会(「被爆者とともに」)・原爆被害者証言のつどい(「ForアスSHOGEN」)・広島医療生協原爆被害者の会(「ピカに灼かれて」)、それぞれ記録集や原爆体験記を出版。
96 08 06 原爆被害者相談員の会など、原爆被害者証言のつどいを広島YMCAで開催。
96 08 06 「原爆被害者証言のつどい」、広島YMCAで開催。約270人が27人の被爆者の体験を聴く。全体会で舟橋喜恵広島大学教授がウクライナ・キエフ市でのチェルノブイリ原発事故被災者の聞き取り調査の結果を報告。
98 08 06 原爆被害者相談員の会、「ヒバクシャと語ろう原爆被害者8・6証言のつどい」、広島YMCAで開催。被爆者26人の体験を小グループに分かれ、約200人が聴取。

 

8・6原爆被害者証言のつどい

備考
39
40  2021
41 2022 コロナ禍、全体会は中止、午後「被爆者の証言」のみ実施。
 42  2023

広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会

広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会
1975年11月日設立

私たち広島で被爆者福祉に従事するケースワーカーは、1975年11月、被爆者相談を充実させるために広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会を発足させ、被爆者のおかれている実態、被爆者のかかえる問題を解決するためのケースワーカーの役割・方法について検討を重ねてきました。その一環として、1977年8月に開催された「NGO国際シンポジウム」の社会科学調査に参加し、30人の被爆者の生活史調査を行ないました。この調査から、原爆が人間にもたらした「いのち・くらし・こころ」にわたる全体破壊の深刻な実相を知らされ、生命をおかされながらも、被爆者として生き抜こうとする被爆者の姿から生きることの尊さを教えられました。そして、被爆体験を語ろうとしない被爆者、語ることのできない被爆者の数多いことを知り、被爆者にかわって、被爆の実相を人びとに伝えることの責任を強く確認しあいました。
1978年12月、広島で開催された第1回原爆問題総合研究会において、ケースワーカーの立場から”原爆孤児であり、ガンとたたかう被爆婦人の苦悩”を報告し、今もなお生命を、そして心をおかしっづけている原爆被害の持続性、それに苦闘しながら、なお被爆者として生きようとする姿は、多くの人びとの感動を呼びました。そしてその報告がきっかけとなって、広島のケースワーカーによる生活史調査をもとにしたこの証言集が生まれました。
出典:「はしがき」(『三十五年目の被爆者』)

 

宇吹に届いた「研究会のご案内」に見る研究会開催状況

ところ 報告者 内容
19800216 広島市民病院 若林節美 研究会活動をふりかえって―ケースワークにおける生活史把握の意味の模索
三村正弘 原子爆弾被爆者対策基本問題懇談会取り組みについて
19800322 広島市社会福祉センター 富岡啓子  レポート報告(栗原淑江”被爆者にみる原爆体験の思想化”、石田忠”<原爆>と人間”―社会調査における生活史把握の意義”)
三村正弘  被爆者相談のための問答集について
石田明  35周年の節目にたって―全国孤老の調査についての問題提起<全国被爆教師の会会長>
19800426  広島市社会福祉センター  大野勇夫  生活史調査と医療福祉援助<淑徳大学>
 石田明   35周年の節目にたって
<以下の発信者は「広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会」から「広島原爆被害者問題研究会」に変化>
 19800628 社会福祉センター  高橋文枝  事例研究「助成孤老被爆者と面接」<神田山荘>
石田明  ユネスコ世界軍縮教育会議報告「被爆者問題研究の継承の課題」<平和教育研究所>
 19800726 社会福祉センター  阿左美信義  被爆者援護法制定の意義及び動向について<広島法律事務所弁護士>
 牧村美枝子  老人ホームで生活する原爆孤老の面接から<桧田病院ケースワーカー>
 19801018  広島市民病院 三村正弘  研究発表「未解放部落の被爆者」<福島生協病院>
 正田恵子  事例研究「地域で生活する原爆孤老」<放射線影響研究所>
 19801220 社会福祉センター 塚本弥生ほか  「被爆者援護法はどうあるべきか」―基本懇答申の評価と課題―<塚本弥生(広島市民病院)・江崎須賀子(広島市民病院)・若林節美(広島原爆病院)>
 その他「1980年をふりかえって」
 19810221  社会福祉センター 江崎須賀子  民間被爆者相談事業について(広島市民病院)
三村正弘  同上<福島生協病院>
塚本弥生  事例研究「認定却下に対し異議申し立てをしたマキさんの事例」(広島市民病院)
 19800328  社会福祉センター 加藤礼子  認定申請に伴なう問題点について<広島赤十字病院>
 民間被爆者相談事業について
 19810418 社会福祉センター 田村和之  被爆者援護法の法的意味について<広島大学総合科学部>
 伊藤直子  中央相談所の相談事業と課題<相談員>

 

 

 

原爆被害者相談員の会

原爆被害者相談員の会 1981年6月13日発足

若林節美「原爆被害者相談員の発足と1年間のあゆみ」
(「ヒバクシャ-ともに生きる1号」所収)より

一九八○年十二月十一日、原爆による苦しみをなめ尽くしてきた被爆者は、原爆被爆者対策基本問題懇談会の意見書(以下、意見書)を期待と不安の中で、じっと待っていた。
それは、被爆者のみならず、被爆者援護や核廃絶を願う人々にとって、被爆者援護法が制定されるか否かは、日本の将来、ひいては人類の未来が問われるという重大な関心事であった。
しかし、報告された意見書は、国の戦争責任を回避し、原爆の被害を矮小化し、そしてあいまいな国家補償論で、三十五年間にわたる被爆者の苦渋に満ちた歴史に意味を与えず、逆に、被爆者に衝撃を与え、生きる意欲を奪ってしまうものであった。
年の瀬も迫る中、日常的に被爆者に接するソーシャル・ワーカー(以下、ワーカー)は、被爆者の悲しみ、怒りを見すごすことはできず、二十人の被爆者の怒りの声を、厚生大臣宛に直訴状として届けた。
震える手で直訴状をつづった老被爆者は、「夫と娘の死にようはひどいものでした。苦しんで、苦しんで……。生きる支えだった息子は、九年間生きましたが、白血病で狂うようにして死にました。たった一人残された私は、あとどれだけ生きられるかわかりません。この死を無駄にしないで下さい。」と訴えた。しかし、この被爆者は長年願い続けてきた援護法の日の目を見ないまま、意見書の衝撃と寒さのため、一ケ月後に他界してしまった。
こうした二十名の被爆者の怒りと抗議の声は政治の前にはむなしく、私たちの小さな灯は、意見書を乗り越える取組みへと燃えていった。

 被害者相談員の会の発足

一九八一年六月一三日、専門ボランティアによる原爆被害者相談が広島市内でスタートした。
これは、不当な意見書を乗り越えるために約半年をかけて産み出された、私たちの唯一の方法であり、運動であった。
今日、被爆者の高令化にともない、被爆者の問題は、複雑かつ深刻化し、とりわけ、被爆者援護の遅れは、被爆者のくらしや、こころの再建を非常に困難にしてきた。
この被爆者の問題に対し、行政や、各関係団体、各機関で相談事業が行なわれてきたが、今日の被爆者の切実な要請に応えるためには、一層、相談事業を強化しなければならず、しかも、専門的知識と経験を生かした総合的、かつ継続的な相談事業が求められていた。
それは、谷間で苦しむ被爆者のために、広く相談窓口を設け、被爆者の直接相談に応じながら、被爆者がかかえる現行二法の問題点、及ぴ、その被害の実態を科学的に究明し、しかも被爆者が被爆者として主体的に生きるための条件を整えていくという内容であった。
しかし、この相談事業の中心的役割を担わなければならないワーカーにとって、これほど重要な課題を目指すには、余りにも荷が重すぎ、不安は隠し切れなかった。
使命感と不安の中で、ワーカー、弁護士、研究者、教師、団体職員、市民等によって原爆被害者相談員の会が発足し、被爆者相談が取り組まれていった。こうして、過去五年にわたる原爆被害者問題研究会活動、NG0国際シンポジウムでの生活史調査、そして「三十五年目の被爆者」の出版等、ねばり強い活動経験が、さまざまな不安を一つ一つとり除き、次のような多くの成果と教訓を残した。

参考

年月日 事項
197511 広島原爆被爆者問題ケースワーカー研究会
198208 原爆被害者証言のつどい
198212 ヒバクシャ-ともに生きる1号
1981~ 年表:原爆被害者相談員の会