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原爆記念文庫所蔵原爆関係文献目録

『原爆記念文庫所蔵 原爆関係文献目録 昭和40年8月31日調』(原爆資料保存会、19651015)

 bk651015
 広島 長崎の体験を永久に伝える為に
人類の過ちを繰返へささぬ為に
ひたむきな平和への願いをこめて
尊い原爆記念文庫が広島に生まれました
みんな血と涙と訴へで綴られた記録です
この文庫の保存と成長へ御協力を
(原爆記念文庫標語)
 はしがき
1.原爆が投下されてからもう20年を経過した。本会は広島長崎の体験を永久に後世へ伝える為,昭和23年頃から苦難な道を歩みながら,文献の蒐集に力を注いで来た。これ等はみんな被爆当時の惨状そのままの記録や,学者の研究調査されたもので,世界平和推進の為極めて貴重なものである。
2.昭和40年8月31日迄に集めたものが2,000冊になつたが,まだまだ不足のものが多々ある。これは将来を期して完備したい。尚文献中には専門的のものも数多くあるが大半は大衆的のものである。これは大衆と共に考へ大衆と共に歩みたい文庫の使命に依るものである。
3.原爆の被害が余りも広大である為,学問的研究分野も多様であり,被害の処理も多方面に亘って居るので,全文献を整理分類することは困難である。依って本目録分類は正規の図書分類法に依らず,わかりやすい別記の10分類に整理して見た。御批正を乞う。
4.原爆20周年に当り,各方面の報道陣を始め,著書や雑誌に依って広島をアッピールされた事は感謝に堪えない,特に被爆者調査や,広大に原爆研究機関が設備される等,国家が直接広島と取組むことになった事は,おそまきながら嬉しい事である。
5.文庫開設(昭和40年6月6日)以来,A.B.C.C.や広島医師会を始め全国各地から個人で文献を寄贈されたものが160冊もある。寄贈者各位に対しここに深甚の感謝を致します。
昭和40年9月15日

「広島」原爆記念文庫設置について

「広島」原爆記念文庫設置について(原爆資料保存会、19650606開設)

 「広島」原爆記念文庫設置に就いて
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 広島に原爆が投下されてから、もう二十年を経過した。その当時の惨状に就いては、今日迄科学的研究書や各方面の新聞、雑誌に依って報道されて居るが、現地広島では、今尚年々三○人-四○人づつが原爆病院で病死して居る。

其外被爆による不幸の境遇にある人々は救護の途も充分に講ぜられて居らぬ為、華々しい都市復興の裏に取り残されて、気の毒な生活を続けて居る有様である。私共被爆生存者はこの計り知れない原爆の惨禍を語り再び人類の過ちを繰り返えささぬ様世界へ訴えて来たが、現下の世界情勢は、私共の念願を裏切る方向に、向いつつある様うかがわれるのである。それと共に広島の被爆者も年々死亡してこの惨状を語りつづける人も段々少なくなって行くのである。

そこで私共原爆資料保存会のグループ(現在会員二十四名)は此、原爆二十周年を記念に、世界最初に原爆を受けた広島、長崎の体験を永久に後世え伝える為、今日迄内外で出版された原爆文献を蒐集整理し広島市内で最も、保存活用上最適の場所である、平和公園内の記念資料館の一室に原爆記念文庫を設ける承認を得、広島を訪れられる学者、研究家に公開し平和推進の一助にする事にしたのである。

尚、本会は昭和二十三年頃、市立の原爆資料館が設置された当時からその後援団体として二十数人が相寄り、原爆資料保存会を発足さし、今日迄二十年間、物的資料を始め原爆文献蒐集に着手し始めた。其当時の広島は全市焼野原で、被爆市民は焼跡にバラックを建て、どん底生活をして居ったのて原爆資料などに目をつける人は殆んどなかった。其の上占領政治下にあったので、きびしい圧迫が加えられ原爆資料蒐集の仕事等は命懸でないと出来ない有様であった。然し私共被爆生存者は吾が肉親の犠牲を犬死させない一念から会員一同団結して、資料蒐集の仕事に力を打ち込んで来たのであった。そして昨年九月本会の総会で原爆記念文庫設置の事を決議し今迄集められて倉庫に秘蔵されて居ったものえ更に市内の百書店並に個人の蒐集家を訪ねて文献買厚めに奔走し現在(昭和四十年五月)では千四百冊迄蒐集し得たのである。

この文庫の内容は、左記十種類で広範囲に亘って居って、而かもその九割が古本、絶版本ばかりで、入手出来ない貴重なものが少なくない。これから原爆研究センターを目指して内容の充実を計りたい。

文庫の内容一覧
1 文献 原爆文献一般目録、原爆後遺症研究目録
2 体験記録 個人体験記録、団体被害調査調査記録
3 文学 原爆に関係ある小説、詩、和歌、俳句、川柳
4 芸能 絵画、写真、映画シナリオ、スライド、音楽
5 社会科学 原爆人的被害の統計調査、戦争と平和に関する研究
6 医学 広島、長崎市医師会、大学の研究、ABCCの研究業績報告書
7 歴史学 終戦史、広島原爆医療史、新修広島市史、平和記念都市建設史
8 原子科学 広島、長崎原爆被害調査、原子力の研究
9 長崎焼津 長崎の原爆文献、第五福龍丸遭難記と水爆実験
10 英文書 広島、長崎原爆文献の英訳本、世界原子力研究書

文庫の中で特殊なもの、実例
1 世界的ベストセラーとなったヒロシマ、ヒロシマ日記、原爆の子等
2 被爆者、原爆患者、動員学徒、福龍丸乗組員等の手記類
3 政治的圧迫に耐えて出版されたもの、さんげ(正田篠枝)黒い卵(栗原貞子)ビカドン(丸木位里)
4 動員学徒を引率し工場に出動した時に被爆した教師の血染の出席簿及遭難記
5 市内に散在している学校、会社、町民の為に建てられた慰霊碑碑文、記録
6 戦争を呪い平和を希う一念に、雄々しく起ち上がった広島市民の平和記念都市建設の歩み
7 広島県人終戦死刑執行者遺書
8 保存会製作原爆関係スライド及フィルム

 ○原爆記念文庫(標語)
広島、長崎の体験を永久に伝える為に
人類の過ちを繰り返えさぬ為に
尊い原爆記念文庫が広島に生れました
みんな血と涙と訴えて綴られた記録です
この文庫の保存と成長に御協力を
 昭和四十年六月六日文庫開き記念の日
原爆資料保存会長 横田工 稿

年表:核禁会議の主な動き(前史)

年表:核禁会議の主な動き(前史)

年月日 事項 備考
19540325 米国政府が3月1日に水爆実験を行ったビキニ環礁の危険区域をさらに拡大すると発表したことに対し、海員組合が「拡大反対」声明表
19560309 第五福竜丸被災2周年を迎えた3月1日、米国が再び4月20日以降同区域を拡大して核実験を行うとの声明に対し、海員組合はアメリカ大使館に水爆実験中止を要請。
19570304 原水協が、米国のクリスマス島の水爆実験場に抗議船団を出すとの計画に、海員組合は「死地への船団派遣は特攻隊的行動」と反対を声明。
0322 全労執行委員長は、英国労働党、英国労働組合などに対し、「原水爆の実験禁止」を要請。
19580228 アメリカ政府の14日発表の春から夏にかけての核爆発実験に対し、海員組合はアイゼンハワー大統領に即時中止を申し入れ。
19580805 全労第21回執行委で、7月14日、国際地球観測年の観測行事に参加しようと赤道付近に赴いた「拓洋」「さつま」の2船が太平洋上で強烈な放射能を受けたことに対し、国際アピールを行い、国際自由労連および各国労働組合に訴えることを決定。
19600801 東京・四谷の主婦会館で、全労・民社党が中心となって「原水爆禁止運動全国討論集会」を開催。決議文とアピールを採択。
19610801 被爆者を救おうと、広島で「原水禁全国討論集会」開催。
0815 特定のイデオロギーに奉仕し、特定の国に敵対する原水協運動から、人類愛に基づく全国民的な運動をめざそうと、東京・千駄ヶ谷の東京都体育館に全世界の平和を希求する全労会議、父母会議、日本婦人連盟などの団体・個人約1万人が集まり、核兵器禁止・平和建設国民大会を開催(代表者・松下正寿立教大学総長)。
0915 ソ連の死の灰に抗議する「国民大会」を開催。九段会館に2000人が参加。ソ連に対する抗議など5決議。
1031 午後3時から8時にかけてソ連大使館に50メガトンの死の灰に抗議の提灯デモ。約1万人が参加。
19611115 8月15日に開かれた「核兵器禁止・平和建設国民運動の組織化に関する決議」に基づいて、東京・神宮外苑の日本青年館に5000人が参加して核兵器禁止・平和建設国民会議(略称・核禁会議)の結成大会が開かれ、正式に核禁会議がスタート。

出典:『核兵器廃絶の叫び 核禁会議二十年史』

核軍縮を求める 22人委員会

核軍縮を求める 22人委員会 設立:1984年

資料

年月日 資料名 著者・発行者
1986.1 「1%問題」と軍縮を考える : 緊急シンポジウム 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 著 岩波書店
1987.3 「1%枠撤廃」をどう考えるか : 緊急シンポジウム 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 編 岩波書店 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 著 岩波書店
1988.8 核廃絶と世論の力 : 長崎平和シンポジウム 崎市, 核軍縮を求める二十二人委員会 編 岩波書店
1989.9 『非核三原則の立法化を』 核軍縮を求める二十二人委員会・岩波書店

広島 爆心地中島

『広島 爆心地中島』(原爆遺跡保存運動懇談会編、 新日本出版社、20060806)

内容

備考
001 推薦のことば―改訂版刊行にあたって―(浅井基文)
第一部 爆心地 中島―あの日、あのとき―(元大正屋呉服店を保存する会・原爆遺跡保存運動懇談会編)
013 発刊にあたって
あの日、あのときを(諏訪了我・元)
平和な世界を創るために(河瀬正利・)
019 原爆で消された繁華街
025 一 ただ一つ残った建物、ただ一人の生存
①元安橋西詰めに建つレストハウス…………………25
あのとき………………26
水の竜巻だ……………28
033 二 駆けつけた人々の見た惨状
②相生橋の東詰め、橋上から…………………………33
産業奨励館は、まだ燃えていなかった(午前九時ごろ)………33
一面火の海(午前一〇時過ぎ)……………………34
おびただしい遺体、積み重ね熱風を避ける(午後四時から夜に)………36
③中島本町、慈仙寺周辺………………………………39
上体は白骨化(正午ごろ)………………40
火を噴く慈仙寺(午後二時ごろ)………41
燃料会館の外枠だけ残る(午後二時ごろ)………42
焼け崩れて、踏み込めず(昼過ぎ)………………43
焼け跡に炎がゆらぐ(午後四時過ぎ)……………44
焼け残った燃料会館で(夜)………・……………45
パンク修理のままの姿で(七日朝)………………46
先生のまわりに子どもたちの骨が(七日朝)…………48
④本川左岸、元柳町一帯…………………………50
突然天井が落ちてきた(六日朝、八時一五分)………51
中学生がたくさん倒れている(九時ごろ)……………53
中学生や女学生の遺体が(七日朝)……………………55
⑤材木町………………57
焼け落ちて家の軒は一つも見えなかった(午後三時ごろ)…57
臨月だった妻の骨が、三人の子は行方不明(七日朝)………58
たくさんの骨がバラバラに砕けて(七日朝)…………………60
近所の人はみんな死んだ(七日朝)……………………………62
⑥天神町………………64
首のところだけ白骨化(七日朝)…………………………66
母の骨をさがして(七日夕方から八日朝)………………67
073 三 全滅した建物疎開作業動員学徒・国民義勇隊
  建物疎開作業の経緯と中島地区の生徒の被害…………73
⑦新大橋界隈の県立二中生徒の被害…………………………76
血路は川だ(六日八時一五分)……………………………76
二〇〇〇人もが押しかける(被爆直後)…………………77
「水ッ。水をちょうだい」(一〇時ごろ)………………78
川の中に這い降りていく女学生(午後二時ごろ)………80
無数の死体(六日夕方)……………………………………80
散乱する焼死体(七日午後二時ごろ)……………………82
⑧新橋付近の市女生徒の被害…………………………………83
焦熱地獄が眼前に(六日昼ごろ)…………………………83
顔はふくれ上がり(夕方)…………………………………84
死体を山にして、つぎつぎ火葬に(七日昼過ぎ)………87
工事現場から、真っ白い二体の遺骨が(一九四七年夏)……89
⑨県立工業学校生徒の被害…………92
青い色をした光の玉……………92
⑩中国新聞社国民義勇隊全滅……………………99
皮膚はただれ、誰がだれかわからない(被爆直後)………99
川面を巻き上げる火焔竜巻(被爆直後)……………………101
⑪川内村国民義勇隊の被爆……………………103
107 あとがき
第二部 働突の悲劇はなぜ起こったのか―その明暗を分けたもの―
113 はじめに
115 一 広島の建物疎開動員学徒の被害は全国最大
(一)学徒動員………………115
(二)一、二年生への配慮………………115
(三)建物疎開……………115
(四)広島の建物疎開動員学徒の死亡者数は全国の半数以上……116
二 なぜ、一、二年生が動員されたか
(一)七月初旬の出動会議―学校側の反対と軍部の強圧…………117
(二)「軍責任者」とは……………………119
(三)○○中将とは…………………………120
(四)藤井中将も秋吉内政部長も被爆死…………………122
123 三 明暗を分けた教師の判断
(一)七月下旬―再び教師が「無謀な計画」と反対…………123
(二)八月五日―その一―「非国民」と言われても…………126
(三)八月五日―その二―「教頭が責任を取ります」………129
(四)八月六日―学校長、軍命令を無視して教室待機を指示……134
別表
138 建物疎開の状況、作業場所
140 当日建物疎開に出動していた学校・死亡者数
143 おわりに
145 改訂版編集後記

ISBN 4-406-03306-8

舞台とともに五十年の歩み

『舞台とともに五十年の歩み』(呉市民劇場、20140401)

内容

01 児玉賢登 ごあいさつ
02
03 脊戸昭典 祝辞 呉市文化団体連合会会長
14 50周年おめでとう
17 井上邦枝 広島市民劇場事務局長
20 サークルのよこがお
26 呉市民劇場50年の歴史とあゆみ
29 例会一覧
2015年以降2021年分の例会は、『舞台とともに五十八年の歩み』(呉市民劇場、20211110)参照。
55 50周年記念行事

 

年月日 例会一覧 劇団 備考
1963
1208 忍びのもの 東京芸術座
1964
0130  ひとりっ子  関西芸術座
 2016
 1213  島  青年劇場
  2021
 1110  怪談 牡丹燈篭  文学座 呉市民劇場の 最終公演

参考『舞台とともに五十八年の歩み』(呉市民劇場、20211110)

呉市民劇場

呉市民劇場

年月日 例会一覧 劇団 備考
1963
1208 忍びのもの 東京芸術座
1964
0130  ひとりっ子  関西芸術座
 2016
 1213  島  青年劇場
  2021
 1110  怪談 牡丹燈篭  文学座 呉市民劇場の 最終公演

『舞台とともに五十八年の歩み』(呉市民劇場、20211110)

きのこ会

きのこ会 設立:19650627<作業中

 

年表:きのこ会

年月日 事項 備考
19650627 きのこ会発足。広島県婦人会館で。胎内被爆による小頭症の子を持つ親たちの集まり。
19670703 きのこ会、結成2周年総会を広島市内で開催。
198406 胎内被爆小頭症患者らの会「きのこ会」広島市で総会開き、県・市への要望事頃など決定。
20210824 きのこ会総会。広島市と横浜市の小頭症の被爆者4人、支援者の約30人がオンラインを中心に参加。

 

年表:胎内被爆者

54 04 30 アメリカン・ジャーナル・ディシージス・オブ・チルドレン、長崎の胎内被爆児に放射能の悪影響が見られるとの研究報告(ヤマザキ、ライト、ライト著)を掲載。(朝日新聞)
56 05 09? 諌早市で出血・難聴で苦しむ胎内被爆児中道ひろ子を守る会が組織される(アカハタ)。
56 08 05 母親の胎内で被爆した少女、京大医学部助教授らによって、原爆症と診断される。(読売新聞)
57 09 21 胎内で二次放射能を受けた梶山健二、広島原爆病院で死亡。
59 08 06 原水爆禁止世界大会に参加した外国代表が「被爆者を囲む会」、広島市内の国泰寺高校講堂で開催。畠中国三、小頭症の娘百合子と参加。
65 03 10 米原子力委、広島、長崎の原爆症患者の発病傾向について発表①白血病発病率の増大②放射そこひなどある種の眼球異状の増大③被爆時、母親の胎内にあった子供たちの間での知恵おくれ傾向④放射能を多量に浴びた被爆者の間でみられる甲状センガンの
65 06 27 きのこ会発足。広島県婦人会館で。胎内被爆による小頭症の子を持つ親たちの集まり。
65 10 16 田淵昭広島大学教授「胎内被爆による広い意味での小頭症は四十五人が確認された」と発表。
65 12 04 日本原水協、広島県原水協に被爆者救援資金百九十万円贈る。原爆病院入院患者百人と被爆困窮家庭千二百世帯に千円ずつと原爆小頭症患者の生活治療援助資金二十万円など。
65 12 06 原爆被爆者救援広島大会開く。広島市公会堂で。日本原水協、広島県原水協なと主催。被爆者の完全援護法制定と原爆症の根治治療研究機関の設置、原爆小頭症患者の完全補償などを決議
66 01 12 広島県婦協、原爆小頭症児の成人式開く。広島県婦人会館で。原爆小頭症児九人が出席
66 03 01 中国新聞、文沢隆一「小頭症と取り組んで-原爆被災白書はなぜ必要か」
66 06 30 厚生省、原爆小頭症の調査決定。志水清、日淵昭両広島大教授を中心に調査班を編成。実態調査に乗り出す
66 07 10 ①胎内被爆者・被爆二世実態調査②医療、生活援護③国家補償の実現--の運動方針を決める。前年小頭症の子供を持つ親たち十七人で結成した「ぎのこ会」は、独自の運動を進めるため参加せず
66 07 10 胎内被爆者・被爆二世を守る会結成。共産党系の広島県原水協や県被団協など八団体が中心。広島市・見真講堂で結成大会。五十人が参加。
67 05 18 厚生省委託の原爆被爆者小頭症研究班、胎内被爆が原因と報告。班長、中泉正徳東大名誉教授らが研究。「胎内で被爆した子供たちの小頭症は、原爆放射線が原因として推定される」
67 07 03 きのこ会、結成2周年総会を広島市内で開催。
67 08 31 原爆医療審議会、坊厚相に「胎内被爆による小頭症を原爆症に認定すべきである」と答申。厚生省がつかんだ患者四十四人のうち六人を十月に認定
67 08 31 原爆医療審議会。「胎内被爆による小頭症を原爆症に認定すべきである」との結論をまとめ、31日、坊厚生大臣に答申。
67 08 31 厚生省、胎内で原爆に被爆した子供たちに見られる「小頭症」を「近距離早期胎内被爆症候群」として認定疾病とすることを決定。
67 09 12 広島市、独自の被爆者援護対策費五百万円を予算化。小頭症患者介護料、認定患者死亡時の葬祭料、家庭奉仕員五人増など
71 08 05 成田知巳社会党委員長、広島市内で原爆小頭症の畠中百合子を見舞う。
73 02 05 原爆小頭症児の広島市内の母親、自殺。
75 07 01 広島市、原爆小頭症患者に「援護金」の終生支給を決定
75 07 01 広島市、胎内被爆による高度小頭症患者の介護人に支給していた介護料を援護金として本人に終生支給するよう要綱を改正。
75 10 13 広島県議会本会議、原爆胎内被爆小頭症患者の援護措置についての意見書を決議。
76 03 19? 厚生省、原爆小頭症患者の認定更新制度を廃止することを決定。
76 05 18 広島・長崎両県・市の「8者協」、東京で幹事会を開催。-19日。原爆小頭症対策を新たに国に要望する方針を決定。
76 06 17 田中厚生大臣、広島・長崎の陳情団に小頭症対策に前向きの意向を表明。
76 08 06 宮沢広島県知事と荒木広島市長、三木首相・田中厚生大臣に原爆小頭症の具体策などを陳情。
76 08 25 自民党原爆被爆者対策小委員会、厚生省の昭和52年度の被爆者対策予算の概算要求を了承。原爆小頭症患者への特別措置は見送り。
76 10 19 参議院社会労働委員会。原爆小頭症患者対策や放射線影響研究所の運営問題などを論議。
77 01 11 広島・長崎八者協、自民党小委で小頭症対策など十項目を要望。
77 01 18 原爆小頭症の生活指導費補助金認められる。
77 01 24 「きのこ会」、小頭症患者の恒久対策を県・市に要望。
77 05 17? このほど広島市、来広予定の福田首相に対する要望事項(原爆小頭症などへの援護の充実等)を決定。
77 06 07 6月定例県会で、知事、原爆小頭症患者の終身補償を国に要望するとの態度表明。
77 06 27 胎内被爆女性の記録「生きる-その証のために」(秋吉宜子監督)、第7回国際赤十字映画祭でグランプリ受賞。
77 07 20? このほど広島市、原爆小頭症患者宅への被爆者相談員の派遣を開始。
77 09 01 広島市、原爆小頭症患者に対する援護事業の10月実施を決め9月補正予算に計上。
77 09 09 10月から原爆小頭症患者への生活指導補助をめぐって、物品支給か手当支給かで論議。
77 09 29 厚生省公衆衛生局課長、来広。被爆者の消化器系疾患に健康管理手当を支給する方針発表。また原爆小頭症患者への生活指導費は物品支給で行うとの意向表明。
77 11 10 広島市、原爆小頭症患者への生活指導費を病院・事業所を通して生活指導奨励金として、11月から支給することを決定。
77 12 07 長崎県・市・国の原爆小頭症患者、生活指導事業費の予算を議会に計上。
77 12 29 53年度予算案で、胎内被爆による小頭症患者への手当支給を決定。その他被爆相談員設置費補助各種手当の所得制限緩和など決定。
78 02 17 広島市、原爆小頭症患者への援護金の新年度からの打ち切りを発表。
78 04 14 原爆小頭症患者手当の支給について(衛発第345号厚生省公衆衛生局長通知)。
78 12 26 小頭症患者の母で岩国市在住の原爆症認定患者死亡。
79 08 06 ドキュメンタリー番組「自立-原爆小頭症児の33年」、放送。
79 08 22? 原爆小頭症患者・家族の会「きのこ会」の会報(11号)、刊行される。
79 11 03 原爆小頭症などの研究活動を続けた元広島大学教授、田淵明、勲三等旭日中綬章受ける。
81 02 18? 原爆小頭症児らの35才の誕生日を祝う会、広島市で開催。
81 08 10 ニューヨークタイムズ、広島市の原爆小頭症患者についての記事を掲載。
82 07 12 山口放送ディレクター磯野恭子、国際ソロプチミストアメリカ連盟大会で国際婦人援助賞受賞。胎内被爆児のテレビドキュメンタリー制作が評価されたことによる。
82 08 05 胎内被爆者を扱ったテレビドラマ「白い夏の絶唱」、テレビで放映。
83 06 19 「きのこ会」(胎内被爆小頭症患者とその親の会)、広島市で、総会開催。終身收容施設設置などの要望事項を决定。
84 03 24 被爆者問題研究会(原爆被害者問題研究会)、広島市で開催。「原爆小頭症患者の実態について」他。
84 06 26 胎内被爆者をめぐるテレビドラマについての対談番組、「わたしと夢千代とヒロシマと」(NHK製作)、送放。
84 06 99 胎内被爆小頭症患者らの会「きのこ会」広島市で総会開き、県・市への要望事頃など決定。
84 08 14 日韓両国政府の合意に基づく在韓被爆者渡日治療(第11陣)で、被爆者20名来日。(広島へ12名・長崎へ8名)(胎内被爆者が、初めて加わる)。
85 03 05 放影研の第12回専門評議員会、広島市で開催。(7日まで)。新研究項目として胎内被爆者の追跡調査などを勧告。
85 03 99 胎内被爆者を描いた映画「夢千代日記」の撮影開始(6月公開予定)。
85 06 16 「きのこ会」(原爆小頭症患者とその家族)の第20回総会、広島市で開催(16人出席) 。活動計画など決定。
85 06 30? 被爆小頭症患者の家族会「きのこ会」、政府に手当増額と養護ホーム建設を要望。
86 02 24 胎内被爆による小頭症患者とその親の集まり「きのこ会」、広島市で、「四十歳を祝う会」を開催。
86 10 01? 放影研、広島・長崎の胎内被爆者にがんの発生率が高いとの追跡調査結果を発表。
87 06 14 原爆小頭症児をテーマにした合唱組曲「百合子のうた」、完成し、徳山市で初上演。
87 07 28 「アキバ・プロジェクト’87」の記者、広島原爆病院などを訪れ、取材開始。29日、 原爆資料館を見学。31日、広島市長にインタビュー。3日、原爆小頭症患者を取材。
87 08 05 青森県在住の胎内被爆者、遺族代表として平和祈念式に参列するため来広。
87 08 05 「第8回ノーモア・ヒロシマコンサート」、広島市で開催(聴衆約600人)。原爆小頭症の母子をテーマにした合唱組曲「百合子のうた」など上演。
87 11 09 放影研のウィリアム・シャール博士、同研究所での延べ8年間の研究を終え、帰国。 主として胎内被爆と放射線の因果関係について研究。
88 01 14? 放影研、胎内被爆による重度精神遅滞が起きる被爆放射線量を発表。
88 02 13 広島市で胎内被爆した下村盛長(41才)、がんで死去。昨年9月に小頭症の認定。
88 08 06 日本被団協相談員、原爆小頭症の認定を受けた直後死亡した胎内被爆者の遺影を携えて来広。
89 07 24 広島平和文化センタ-製作の被爆証言ビデオの本年度分50巻、完成し、貸し出し開始。胎内被爆者の証言など収録。
89 08 04 「第6回反核平和マンガ展」(広島県労マンガ集団主催)、広島市で開催(6日まで)。「被爆44周年原水禁世界大会」の行事で、約140点展示。
90 07 21 テレビ番組「ウィークエンドリポート『胎内被爆45歳の肖像』」(NHK)、放送。
90 08 01 ソ連ノーボスチ通信社カザフ支局のアスカル・ヌルマノフ記者、中国新聞社の招きで来広し、取材を開始(6日まで)。2日、岩国市で、胎内被爆者を取材。
90 08 03 旭川医科大学の立川裕幸助手、低線量の胎内被ばくでも、将来、不妊になる可能性が強いとの動物実験結果を発表。
91 03 17 原爆小頭症の患者と家族による「きのこ会」、子供の45歳の誕生日を祝う会を広島市で開催(29人参加)。
91 08 06 北九州市在住の原爆小頭症の婦人、広島市の平和平和記念式典に初参列。
91 08 06 テレビ番組「おとう~小頭症患者の45年」(中国放送)、放送。
92 08 04 第1回「アジア記者招請プロジェクト」の記者5人、原爆小頭症の畠中百合子を取材。
92 12 06 原爆小頭症患者とその家族でつくる「きのこ会」、広島市内で総会を開催。親子で原爆養護ホームに入所できるよう県や市に働きかけることを決定。
93 08 03 広島国際文化財団の招請した記者4人、原爆小頭症の畠中百合子を取材。
93 11 13 光石信幸(全国に26人存在する原爆小頭症患者の一人)、長崎市の病院で死亡。47才。
94 08 04 第3回アジア記者招請プロジェクトの記者4人、岩国市を訪れ、原爆小頭症の畠中百合子を取材。
95 06 08 広島市立安佐市民病院の平位剛院長と医療相談室の村上須賀子主査、「きのこ会」の会員18人を対象とした面接と電話聞き取りによる調査結果をまとめる。原爆小頭症患者の8割が身体障害者手帳などを未申請。
95 07 12 北九州市在住の原爆小頭症患者とその母が、広島市内に建設中のケアハウスに入居を申し込んで断られていたことが判明。
95 08 01 広島国際文化財団の「アジア記者招請プロジェクト」の記者5人、原爆小頭症の畠中百合子と父国三を取材。
96 03 20 原爆小頭症患者と親で組織する「きのこ会」、50歳の誕生会を広島市内で開催。11家族と医師・ボランティアら約70人が参加。
96 07 24 アジア記者招請プロジェクトの記者4人、岩国市の原爆小頭症患者・畠中百合子を取材。
96 07 25 米ハーバードがん予防センターのトリコポウロス博士らの研究グループ、チェルノブイリ原発事故の放射性降下物が大量に降ったギリシアで、母親の胎内で被曝した乳児の白血病発病率が2.6倍とする調査結果を英科学誌ネイチャーに発表。
96 08 28 大牟田稔広島平和文化センター理事長、「きのこ会」に10年にわたりカンパを届けていた新潟の労組を訪ね、お礼を述べる。
97 03 28 広島市の人事異動で4月1日に胎内被爆者の畑口実が原爆資料館館長に就任することが判明。原田浩館長は市民局理事(国際平和推進担当)に専任。
97 06 13? 被爆者援護法に基づいて支給される特別葬祭給付金が、胎内被爆者に支給されていないことが判明。
97 08 04 広島国際文化財団の「アジア記者招請プロジェクト」に参加の記者4人、岩国市在住の原爆小頭症患者・畠中百合子を取材。
97 08 06 10時20分、RCCテレビ、「ひとりぼっち-原爆小頭症・信子」を放映。

 

 

原爆訴訟を支援する会

原爆訴訟を支援する会 結成集会 20030426

参考資料:『核なき世界をめざして 原爆症認定を求める闘い』(「原爆訴訟を支援する会」編集委員会、20040710)

内容

01 はじめに…豊永恵三郎
03 原爆症認定を求める集団訴訟…田村和之
07 原爆症訴訟への思い…青木克明
13 弁護団報告…池上忍
21 原告の証言
原爆に人生を狂わされて…小田アサミ
あの日を境に変えられた人生…舛岡善光
原子爆弾を使った人にいいたい…重住澄夫
原爆に壊された青春時代…中田忠義
被爆者に目を向けてください…大江賀美子
劫火の中に母と妹を残して…鳴床輝子
弱いものが犠牲になる…三谷キミエ
今も果てなく続く苦しみ…木村裕彦
「原爆後遺症」に苦しみつづけて…川上誠
原爆という重い荷物を背負って…丹土美代子
好きで親なし子になったわけではない…西博
たった一人で生き抜いて…小松清興
被爆していなかったら・・、夢でした…萬膳ハル子
健康な身体を奪った原爆・・、…石川吉則
90 「原爆訴訟ヒロシマ」裁判の経過
94 今後の活動
95 あとがき