第九条の会ヒロシマ
サイト:第九条の会ヒロシマ (9-hiroshima.org)
資料年表:第九条の会ヒロシマ
年月日 |
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1992 |
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0217 |
第九条の会ヒロシマ会則 |
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04 |
「発起人・賛同人へのご就任のお願い」(岡本⇒宇吹) |
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0501 |
第九条の会ヒロシマ発足シンポジウム。ところ:アステールプラザ。 |
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0806 |
意見広告(朝日新聞)「第九条はヒロシマの誓いそのものです!」 |
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2024 |
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0806 |
意見広告 戦争の準備をするな(朝日新聞) |
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0806 |
意見広告 戦争の準備をするな(中国新聞) |
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止
原爆絵本シリーズ(汐文社、19890410)
シリーズ |
タイトル |
作・絵 |
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1 |
ヒロクンとエンコウさん |
四国五郎作・絵 |
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2 |
もえたじゃがいも |
入野忠芳作・絵 |
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3 |
原爆の少女ちどり |
山下まさと作・絵 |
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4 |
とうちゃんの涙 |
下村仁一作・絵 |
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5 |
ミヨちゃんの笛 |
白井史朗作・絵 |
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6 |
金魚がきえた) |
山本美次作・絵、吉野和子作 |
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7 |
天に焼かれる |
金崎是作・絵 |
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『朝鮮人被爆者と私―82・5・28法政大学における講演』(岡正治、東京・朝鮮人被爆者の記録映画を作る会、19820809)
内容
頁 |
見出し |
01 |
私たちの手で被災白書を |
02 |
なおざりにされた被爆二世 |
06 |
被爆者完全援護法をめざして |
06 |
核と人類は共存できない |
08 |
ナンセンスな被爆地の認定 |
10 |
なかなかもらえぬ被爆者手帳 |
12 |
部落差別の中での被爆 |
14 |
ヒロシマより複雑なナガサキ |
15 |
無神経な爆心地のナガサキ |
16 |
「在日朝鮮人の人権を守る会」を始めて |
18 |
朝鮮人被爆者の足跡 |
19 |
二つの外国人被爆者追悼碑 |
20 |
「唯一の被爆国」意識は思いあがり |
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23 |
19181101 大阪市に生まれる
日本福音ルーテル長崎協会牧師
広島市議会議員
長崎在日朝鮮人の人権を守る会代表
長崎原爆問題キリスト者協議会顧問 |
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止
シナリオ 世界の人へ 朝鮮人被爆者の記録
朝鮮人被爆者の記録
脚本・監督 盛善吉
<作業中>
出典:『8ケ国語訳「世界の人へ」 朝鮮人被爆者の記録』(盛善吉・高實康稔編、同時代社、19940720)所収
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1 |
空撮 広島市、刑務所による。 |
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石浜義則さんの証言 |
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2 |
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3 |
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4 |
ネルソン・アンジャインさん |
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R |
ネルソン・アンジャインさんの証言 |
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5 |
~8 |
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9 |
徐さんの肺のレントゲン写真・説明する医師 |
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R |
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N |
徐**さんは、14歳で強制連行され、はじめは三菱の軍艦島の炭鉱で働かされ、ついで三菱造船所へ。そこで被爆されました。 |
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11 |
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R |
呉**さんの証言 |
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13 |
高暮ダムへの道 |
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14 |
高暮ダム・工事中の写真など |
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16 |
高暮ダム 原爆で、李実根さんの祈り |
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19 |
姜**さん。途中から足の傷・背中のケロイド |
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R |
姜**さんの証言 |
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20 |
辛**さん。海に向って歩く |
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R |
辛**さんの証言 |
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21 |
玉**さん |
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R |
玉**さんの証言 |
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22 |
朴**さん |
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R |
朴**さんの証言 |
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23 |
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R |
金**さんの証言 |
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24 |
金**さんの背中・肩・腕など |
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R |
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25 |
呉**さん |
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R |
呉**さんの証言 |
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26 |
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R |
尹**さんの証言 |
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27 |
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R |
金**さんの証言 |
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28 |
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R |
宋**さんの証言 |
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29 |
全国高校生集会、話す李**さん、追悼碑、掃除する田中**さん |
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R |
李**さんの証言 |
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30 |
朴 **さんの証言 |
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R |
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31 |
公園の朴さん |
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32 |
海上から見た軍艦島・船上の徐さん、軍艦島の廃墟 |
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N |
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33 |
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R |
岡正治さんの証言 |
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34 |
軍艦島、海を見下ろす。坑口に入る。岸壁で叫ぶ徐さん、祈る二人。 |
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35 |
徐**さん、三菱の裏山で |
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R |
徐**さんの証言 |
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36 |
朴**さん、自宅で |
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R |
朴**さんの証言 |
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37 |
働く朴さん |
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38 |
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N |
非戦の国、平和の国と言われてきた朝鮮
日本のファシズムとアメリカの原爆との二重の苦しみを一度に叩きつけられた朝鮮人被爆者。
この悲劇をのりこえてきた朝鮮人被爆者と原爆雲に消された痛恨の朝鮮人被爆者の想いを、
世界の人々に…! |
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止
『8ケ国語訳「世界の人へ」 朝鮮人被爆者の記録』(盛善吉・高實康稔編、同時代社、19940720)
内容
頁 |
見出し |
備考 |
005 |
わたしにとっての朝鮮人被爆者(盛善吉) |
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010 |
今なお「世界の人へ」 8カ国語翻訳・出版にあたって(高實康稔) |
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1981年「朝鮮人被爆者の記録映画を作る会」結成 |
010 |
1 「シナリオ」の翻訳出版を思い立って |
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日本の加害責任を追及した基本的な作品 |
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011 |
2 出版の動機を振り返る |
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民族差別の心理と排外主義 |
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被爆者にも国境はある |
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免れない戦前・戦後の加害責任 |
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元凶は天皇制ファシズム |
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それでもなお謝罪・賠償の原動力は国民 |
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014 |
3 今なお「世界の人へ」 |
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連立政権の「侵略戦争」見解は時代の要請 |
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「戦後補償」は国家間だけでは「決着」しない |
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世論を高め、差別撤廃と戦後補償を |
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018 |
シナリオ「世界の人へ」日本語版 |
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029 |
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止
中国人戦争被害者の要求を支える会
ニュース「すうおぺい」(「Suopei」=中国語で「索賠」(賠償請求)の意味)
略年表
年月日 |
事項 |
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1995 |
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0807 |
中国人戦争被害者の要求を支える会発足 |
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1996 |
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0803 |
中国人戦争被害者の要求を支える会創立総会 |
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止
原水爆被災白書についての佐藤総理大臣への要望書(談和会)19650805
原爆被災二十周年を迎えるにあたり、私たちは日本政府が被災の実態調査を行ない、全死没者の氏名を明らかにして慰霊碑の過去帳に納めるとともに、生存者についてはその健康と生活の全貌を客観的に明らかにすることを要望いたします。そのことは、犠牲者の霊をなぐさめ、被爆者を力づけるとともに、学術研究の上に多大の貢献をなし得るものと信じます。佐藤総理大臣が英断をもってこれを国家的事業としてとりあげ、完璧な研究体制をつくって、世界の文明に貢献し得る被災白書を完成されるよう、希望してやみません。
昭和四十年八月五日
出典:今堀誠二「原水爆被災白書運動のその後」(『世界』1965年12月号)
原爆被爆者調査に関する研究会 1965(昭和40)年2月11日
出席案内状
原爆被爆者調査に関する研究会について
このたび厚生省は、被爆者の調査を実施することになりました。被爆者調査の必要性については、さきに本会でも要請決議をおこなったところであり、この調査を成功させるための「地の塩」になりたいと思います。
ついては、当地における被爆者問題の各方面の権威にお集まりいただき、調査についての御高見をおうかがいしたいと存じます。
ご多忙中を大変恐縮ですが、まげて御出席いただきたく、お願い申しあげます。
一、日時 二月十一日(木) 午后五時~六時半
一、場所 広島大学 大学会館 第三集会室 (広大正門南、電車通ぞい)
談和会 幹事 石井金一郎 今堀誠二
なお、ご参考のため、厚生省調査原案を同封致しました。
(恐縮ですが少いので、当日、御持参願います。)
本研究会には、左の方々に御案内をさしあげました。(敬称略 アイウエオ順)
伊藤満、金井利博、熊沢俊彦、佐久間澄、重藤文夫、志水清、庄野直美、田渕昭、百々次夫、中野清一、原田東岷、松坂義正、三村剛昴、山手茂、渡辺漸、和田精護
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。