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日本国政府に対する要請(談和会 19641003)

日本国政府に対する要請
1964年10月3日

日本国政府に対する要請
談和会
私たちは日本国政府が、原水爆被害者の救援を効果的に行うとともに、日本国民および全世界に、原水爆戦争の恐ろしさを客観的に伝えることによって、核兵器をこの地上から永久に葬り去るため、さしあたり左の三点につき、積極的にとりくまれることを、要請いたします。

一、原水爆被災者の国勢調査
一九六五年は国勢調査の年に当りますが、その付帯調査として、一九四五年に広島・長崎で、一九五四年にビキニで、被害をうけた人々の、人口調査を行うことを要望いたします。この種の国勢調査は、一九五○年にABCCの要請で実施した先例があり、中間調査としては一九五八年に一部実施されていますが、被爆者援護の推進など、重要問題が山積している現在、全国的規模で完全な調査を行う必要性は、ますます増大いたしております。被災後、二十年たった今日こそ、こうした調査を客観的に実施できる、唯一かつ最後の機会だと思います。調査にあたっては、被災当時に遡って、被爆地に居住し、又はその直後に被爆地に入ったすべての人口、一九四五年九月以後、後遺症によって死亡した者、ならびに被爆者の児孫など、被害の全貌を明らかにすることが、大切であると思います。

なお、広島・長崎の被災者の中には、沖繩県民をはじめ、アメリカ・ロシア・中国・朝鮮・東南アジア各国人、ビキニの場合はマーシャル群島の原住民と外人宣教師が、相当数含まれていますので、琉球民政府および関係各国の協力を得て、国際的な規模での調査がなされるよう、希望いたします。

二、被災白書の作製
終戦以来、総理府はじめ各官庁は、種々の白書を公表していますが、原水爆被災に関する白書は、一度も発表されていません。原水爆被害者については、当時の惨害はいうまでもなく、原子力で破壊せれた健康が、遺伝の問題をも含めて、どのように深刻な問題をはらんでいるかを、明らかにせねばなりません。さらに、被災によって生じた社会的条件を調査研究することも、被害者援護の問題点を明らかにする上において、大切なことだと思います。これには現代科学の精髄をつくした、綜合的な学術調査が要求されます。被災白書の作製は、今日の人類が、子子孫孫のために残さねばならない、人間としての義務であります。このことは、被爆者援護を決議した、国会両院の要請に答える道でもあると思います。

三、国連が原水爆被害調査報告書を作製するよう、国連総会に提案すること
原爆症を中心とする原水爆被害の科学的究明については、すでに多くの業績が発表されていますが、その間に見解の相違があり、調整を必要とする段階に来ています。また、その治療および社会医学に関する部門においては、研究にかなりの立ちおくれがあり、この方面の研究を推進することは、被害者の痛切な願いであります。国連がこうした点で調整および補充を行ない、原水爆被害の科学的研究を完成・発表するならば、単に被爆者の救援に役立つばかりでなく、核戦争のおそろしさを、全世界に伝える意味でも、重要な役割をはたすことと信じます。ウ・タント国連事務総長も、日本国政府から、こうした提案がなされるならば、全面的に協力したいという意見をのべられていますし、セラー国連原子放射能科学委員会事務局長も、この主旨に賛意を表されています。日本国政府が十一月の国連総会に、右の提案をなされるよう、要望してやみません。

以上の三点は、日本国民全体の願いを具体化したものであり、また世界全人類の願いでもあると思います。原爆被災二十周年を迎えんとするに当り、日本国政府が、全国民の支持と協力のもとに、自主・民主・公開の三原則にもとづいて、右の三事業の達成に努力されるならば、被災者の救援および核戦争の禁止のため、多大なる寄与をあたえられるぱかりでなく、「後世への最大のおくりもの」となると信じ、敢て要請するゆえんであります。

一九六四年十月三日

日本国民に訴える
私たち、広島・山口の大学人有志の研究団体「談和会」は、本月、日本国政府に対し、原水爆被害についての実態調査を行い、これを被災白書にまとめるよう、要請いたしました。その内容は、来年の国勢調査にあたり、付帯調査として原水爆被害者の調査を行なうこと、日本政府が責任ある被災白書を作ること、今秋の国連総会に際し、日本政府から、国連が完全な被爆調査報告書を作成するよう、提案することの三件であります。こうした要請は、全国民の強力な支持なしには、到底実現することができません。私たちは日本の各界各層の人々が、政府に対して右の三提案をとりあげるように、申し入れていただきたいと思い、敢てこの訴えを公にする次第であります。

「戦後は終った」という人もいます。たしかに原水爆被害者などを除けば、戦争の爪あとは、ある程度回復いたしました。また核戦争の危険性が強いという一点をのぞけば、泰平ムードは天下にみちあふれています。しかし、現代にとって大切なことは、いまだに解決し得ない、被爆の惨禍であり、新しい核戦争の危険性であります。普通の戦災とちがって、放射能禍におかされたものには、何の救いもないのです。人類が四六時中、核戦争がいつ始まるか分らない、恐怖にさらされている様では、戦後どころか、戦争そのものがまだ終っていないといわねばなりません。

敗戦の直後、日本政府の協力のもとに、学術研究会議の支援をうけた日本の科学者数千人は、総力をあげて原爆被害の総合調査にとりかかりました。しかし、この研究に対して、一九四五年十一月三十日に、占領軍がら禁止命令が出され、すべては水泡に帰してしまいました。その後、今日に至る迄、政府機関の手による調査は行なわれていません。被爆当時、亡くなった人の数さえ、正確に分っていないのです。

一九四九年以後、戦争は終っていたにもかかわらず、被爆者の中には、原爆症にかかっていることさえ知らされず、まして適切な治療も与えられないまま、空しく死んでいった人が、幾万人にのぼりました。原爆症という言葉が普及し、その救援活動が始まったのは、一九五八年以後のことです。今でも被爆の実体が正確にわかっていないために、救援活動は有効に組織されておりません。原水爆被害の完全な調査を行なうことによって、本当の対策が立てられるのでなければ、被災者は救われようがないわけです。

核兵器の全面禁止は、全人類の願いであると思います。しかし、実際には大小の核兵器およびその運搬手段の開発は日ごとに進み、核実験による死の灰の降下は、人類の生存に深刻な影響を与えるほどになっています。こうした矛盾が生ずるのは、原水爆戦争の本当の恐ろしさが、知らされていない結果、核戦争に反対する声が、全人類のものとなっていないためです。今こそ私たちは、被爆の全貌を明らかにすることによって、核兵器禁止の声を、すべての人の、心からの願いとし、また人類全体の大合唱としなければならないと思います。

一九六五年は原爆被災二十周年にあたります。石の上にも十年と中申しますが、日本の原水禁運動も二十年の風雪に耐えて来ました。今こそ大きく飛躍して、文字通り全国民を包む運動を展開し、被爆者救援と原水爆禁止の大目的を達成せねばなりません。その口火をきる意味で、私達は右の三つの提案を公表した次第です。

私たちは日本国民ががっちりとスクラムを組んで、右の三つの提案を実現するように、日本国政府に働きかけることを、希望いたします。原水禁団体・被爆者諸団体などが、こうした問題について、積極的な討論を起して下さることを、期待いたしております。婦人団体・青年団体・社会福祉団体など、多年この方面で努力を重ねてこられた諸団体が、さらに元気をふるい起して、国民運動の担い手となって下さるよう、頼みにいたしております。衆参両院をはじめ、県議会・市町村議会などは、選良としての叡智を発揮し、日本政府への要請を決議されるよう切望いたします。新聞・放送・言論界は、正しい輿論を育てるためのキャンペーンに、とりかかって下さるよう、特にお願い申し上げます。部落会・町内会およびすべての民主団体・社会教育団体・文化団体も、積極的に協力いただければ幸です。科学者・芸術家・宗教家・知識人とくに日本学術会議が、この運動の要の役割を引受けて下さるよう、仰望いたしております。原水爆被害者が先頭にたつことは、救援運動との結びつきからいっても、大いに意味があると思います。

私たちは運動の前途に横たわる困難を、知らないわけではありません。しかしビキニ被災の当時、だれがあの国民運動の大波が、起ることを予想したでしょうか。歴史の教訓は、正しい国民運動が、必ず勝利することを、証明しています。水の流れはどんなに小さいものでも、それが集まれば河となって、縦谷をうがち、横谷をきり開いて、千山万岳をつきぬけずにほおかないものです。

共通の目標に向って国民全体がいっしょに歩き出すことは、原水爆問題に関する限り、当然の命題です。日本国民は、世界から核兵器をとり除く使命をもっています。私たちのかかげた三目標は、政治上の利害や感情的な対立をのりこえて、皆が一致して要求し得るものと思います。

国際的には核兵器保有国のなかに、こうした運動を心よく思わない政治家がいます。彼らは自国民に対して、核兵器の恐ろしさを知らせたがらないからです。しかし、これらの諸国民も真実を知ることを希望していますし、私たちがその点でお役に立つことは国際的な友情の発露と申せます。世界の大部分を占める非核武装国が、日本の声を心から歓迎することは、申すまでもありません。国連の原水爆災害調査報告書は、全世界の輿論を、核兵器の全面的禁止に向ってもりあげるのに、大きな役割を果すことと思います。

私たちは何の力も持たない、弱い人間にすぎません。ただ無力な人間でも、みんなが団結して国民運動に立ち上るとき、世界の歴史を動かすことができます。一人一人の自覚が大切であり、勇気をもって当る行動が必要です。静かで力強い運動の中から、日本政府の方向が決定され、国連を通じて世界の動向を決定することができます。

「あの日」から54年を生きて―被爆者の証言と原爆後障害

『「あの日」から54年を生きて―被爆者の証言と原爆後障害』(デルタ女の会、19991009)

内容

01 (室田秀子)私の被爆体験―母の顔―
07 (畠山裕子)原爆後障害と私
<註>デルタ女の会主催「’99 8・6 ヒロシマの女たちの集い」
<1999年8月6日、会場(広島平和会館)>の採録。

デルタ・女の会ニュース

デルタ・女の会ニュース

発行年月日 記事 備考(所蔵ほか)
24 1985/09/21 G
26 1986.03.01 G
27 1986.05.02 G
28 1986.05.31 G
29 1986.07.12 G
48 1990.06.23 G
51 1991.05.11 G
52 1991.09.20 G
53 1992.02.01 G
54 1992.07.23 G
55 1992/09/25
74 1997/10/15 G
75 1998/02/14 G
79 19991009 被爆54年女たちのヒロシマ U 最終号。

 

 

中国新聞労働組合50年史

『中国新聞労働組合50年史』(同編集委員会、19970829)

内容

備考
平和・生活・権利 そして新聞のために 斎藤普
50年であって50年ではない「ヒロシマ」 北村肇
1 50年の歩み
2 組織・権利・共闘
3 賃金・退職金
4 生活と健康
5 合理化
6 新研・平和
講和条約
原水爆禁止運動
新研活動の誕生
警職法反対
政暴法反対
安保
単組初の新研集会
沖縄・安保
マスコミ攻撃
ベトナム戦争反対
戦史博
単組新研部が発足
外務省機密漏洩事件
県民と自衛隊のつどい
米大統領歓迎広告
自衛隊FF参加
自衛隊政府広報
紙面モニター・アンケート
不戦の碑・消えたペン 被爆40周年事業 125人の無念刻む
国家秘密法阻止
朝日新聞射殺事件
「浮標」
天皇報道
連載企画ボツ
元編集局長が市長選出馬
連載「B・C級戦犯」
小選挙区・審議会
記者クラブ問題
ヒロシマ新聞 50年後の視点で45年8月7日付紙面を製作
7 経営・企業間競争
8 青年婦人部
あとがき
資料
歴代役員/スローガン/年表

 

 

ノー句碑・句集

 

『ノー句碑 句集 霜月おんな』(デルタ女の会、19890319)

内容

表紙・裏 「句碑反対」の句会計画
俳句 風見鶏 鳩をまねても 右を向き (布美子作)
短歌 地中より あまたの拳突きあげよ 見せかけの句碑 倒さんがため (布美子作)
あとがき 1989年2月24日 大喪の礼の日に 浜村匡子(デルタ・世話人)
新聞報道
首相の句碑も”任期切れ” 広島市 反対相次ぐ建立計画 朝日新聞19881108
強行に波紋広がる 前首相句碑据え付け 中国新聞19871113
「息長く前首相句碑反対運動」 16団体、抗議座り込み 読売新聞19871115
栗原さんが抗議の詩 市民グループ、市役所で朗読 読売新聞1987119
<句碑建立に抗議して市役所前で座り込み> 毎日新聞19871122

 

 

年表:この子たちの夏・夏の会

年表:この子たちの夏・夏の会

1985 07 05 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、全国公演始まる。
1985 07 15 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、中国地方公演(4市)始まる。27日広島市で上演。
1985 07 27 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏1945、ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一演出)、
1985 07 29 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」東京で上演。
1986 07 01 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ ナガサキ」( 木村光一構成演出) 、新潟市で上演。全国での巡演開始(5日松江市、15日尼崎市など)。
1987 07 07 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」公演、青森県八戸市で開催(米子・松山・金沢東京などでも上演、8月10日まで)。
1987 07 18 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945・ヒロシマナガサキ」、中国地方での巡演開始(28日まで)。18日米子市、19日鳥取市、他。
1987 07 24 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」呉市で上演。
1987 08 09 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を水道橋アール・エヌホールで上演.
1988 07 03? 朗読劇「この子たちの夏―1945・ヒロシマ・ナガサキ」、因島市で上演(国際ソロプチミスト因島の企画)。
1988 07 11 朗読劇「この子たちの夏-1945ヒロシマ・ナガサキ」、芦屋市で上演。(7月中旬、  津市で100回公演を達成)。
1988 07 14 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐世保市で上演。
1988 08 01 朗読劇「この子たちの夏」,金沢で上演.
1989 05 09 演出家木村光一の講演会、広島市で開催。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」などについて。
1989 07 16 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945 ヒロシマ ナガサキ」の中国地方での巡回公演、開始(28日まで)。17日岩国市、18日山口市、26日下関市、28日広島市。
1989 07 28 朗読劇「この子たちの夏~1945  ヒロシマ  ナガサキ」(演出木村光一)、広島市で上演。
1990 02 11? 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」公演への参加スタッフを募集。
1990 05 20 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした劇「この子たちの夏」の自主上演に向けて来広、被爆者らと懇談。
1990 06 03? 演出家木村光一、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」の市民による上演を呼びかけ。
1990 07 03 朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマナガサキ」公演、開始(8月9日まで全国28会場で上演)。
1990 08 04 広島市の市民グループ、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1990 08 05 広島市のノートルダム清心高校手話部・演劇部、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1991 04 01 習志野市の英語学習サークルのメンバーら、来広し、平和学習。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」上演に備えての事前学習。
1991 05 29? 山口県の長門大津原爆友の会や一般市民、8月5日に自主上演する「この子たちの夏」の練習を開始。
1991 07 06 朗読劇「この子たちの夏」(地人会)、岡山市で公演。8月9日まで全国各地を巡演。
1991 07 08 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐賀市で上演。13日まで九州公演、8月9日まで全国を巡演。
1991 07 27 「親子平和学習のつどい’91この子たちの夏-ヒロシマ・沖縄」、広島市の婦人教育会館でで開催(約50人が参加)。同会館で活動している市民グループが主催。朗読劇などを上演。
1991 08 03 瀬戸市内の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を同市で上演。
1992 03 05 岡山県井笠主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を笠岡市での再上演を計画。
1992 03 16 広島市・亀崎小学校PTAの朗読サークル「きょうちくとう」、同校の5・6年生を対象に原爆朗読劇「この子たちの夏1945ヒロシマ」を上演。
1992 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」を東京・有楽町朝日ホールで公演。-9日。
1993 07 19 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を米子市で上演。26日には尾道で。
1993 08 01 松江市の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1993 08 05 広島市の主婦でつくる朗読の会「はまゆう」、地人会の台本「この子たちの夏」の抜粋を広島市祇園西公民館で公演。7日には矢野公民館で。
1993 08 07 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市婦人教育会館で上演。
1994 07 18 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマ・ナガサキ」を広島市内で上演。
1994 07 30 広島市倉掛公民館で平和について考える市民の集い。朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1994 08 06 朗読劇「この子たちの夏」、東京・有楽町の朝日ホールで上演。-9日。
1994 08 11? 滋賀県長浜市の「この子たちの夏」の実行委員会、7月13日の公演の収益の一部を広島の朝鮮人・韓国人被爆者団体に寄付。
1994 09 03 大阪府豊中市立刀根山小学校の6年生児童・母親・教師、朗読劇「この子たちの夏」を同校体育館で上演。
1995 07 30 広島女学院、被爆50周年記念事業として「地人会」の朗読劇「この子たちの夏」を同学院ゲーンスホールで上演。
1995 07 24? 福岡市原爆被害者の会、地人会の「この子たちの夏」の上演会を市立少年科学文化会館で開催。約700人が参加。
1995 08 01 「徹子の部屋」(朝日系)で日色ともえが朗読劇「この子たちの夏」について語る。
1995 08 06 岡山県・里庄町立図書館で朗読ボランティアによる朗読劇「この子たちの夏」の上演。
1996 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
1998 07 14 地人会、朗読劇「この子たちの夏・1945ヒロシマ・ナガサキ」を長崎市内で上演。
1998 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマナガサキ」を東京有楽町・朝日ホールで上演。-9日。
1998 08 12? 岡山県・井原市立図書館で朗読劇「この子たちの夏・1945・ヒロシマ・ナガサキ」を上演。
1999 07 20 長崎新聞「時の顔:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」にことしも出演する女優-原爆の実態訴え続ける」
1999 07 26 中国新聞「この人:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」に今年も出演する女優」
1999 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 地人会、「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 「この子たちの夏」朗読会、北海道・苫小牧市で開催。約40人が参加。(北海道新聞)
2000 08 09 ABCテレビ「徹子の部屋」に朗読劇「この子たちの夏」の出演者、日色ともえ、山田昌、長内美那子が出演。
2003 08 02 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市内で上演。
2007 朗読劇「この子たちの夏」の全国公演を続けた演劇制作集団「地人会」解散。
2008 03 朗読劇「この子たちの夏」の出演者たちが「夏の会」を結成。新たな台本で活動を再開。
2009 07 10 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない 1945・ヒロシマ ナガサキ」を広島県廿日市市で上演。県内での公演は初。11日は福山市。
2010 11 07 第22回谷本清平和賞(主催:財団法人ヒロシマ・ピース・センター)授賞式。受賞者は、「夏の会」
2012 07 14 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない ヒロシマ ナガサキ1945」を広島市佐伯区で上演。
2014 07 12 なぎさ中学校(広島市佐伯区)、「夏の会」を招き、原爆朗読劇を観劇。
2015 07 25 「夏の会」、原爆朗読劇を広島県立美術館で上演。
2018 07 06 「夏の会」、原爆朗読劇を広島市安芸区民文化センターで上演。(『中国新聞』20180707)
2019 07 01 「夏の会」、原爆朗読劇を広島国際会議場で上演。(『中国新聞』20190702)

 

『中国公論』(19551230)

『中国公論』 発行所:中国公論社、編集兼発行人:百々幽学(第2巻第4号 19551230)所蔵:ピカ資料研

著者 タイトル
古川伸 賀屋さん お目出度う
遠山春遠 明朗天衣無縫の渡辺市長 緒についた渡辺市政―当選以来知られざる人間渡辺の横顔
川瀬秀夫 私の夢 未来の広島市(広島市産業局長)
涌島秀好 社会保障制度確立の必要性(社会福祉法人広島社会福祉協議会)
百々幽学 人物論壇―広陵財界の雄―藤田定一の足跡

 

大学生活協同組合

大学生活協同組合  機関誌『りいぶる―学生のための書評誌』(全国大学生活協同組合連合会東京支所機関誌)。創刊号発行年:1963年。

発行年月日 著者 タイトル 所蔵
1967
0920 13 PH
長岡弘芳 戦争責任を永遠に告発する文学-原爆文学史略説-(上)
1120 14 長岡弘芳 戦争責任を永遠に告発する文学-原爆文学史略説-(中) PH
1968
0420 15 長岡弘芳 戦争責任を永遠に告発する文学-原爆文学史略説-(下) PH
16 長岡弘芳 原爆文学論 P

 

『青史』主要記事目録

短歌文学を研究する会機関誌『青史』主要記事目録

発行年月日・号数 著者 タイトル 備考
1955
0401 <詳細は投稿へ> 第1巻第1号
0501 深川宗俊 髪にそよぐ風のように 第1巻第1号
青史創刊記念会ノート 記念会=4月17日、於:郵政会館会議室。参加者24名。
0701 第1巻第4号。
0701 広島特集。 第1巻第5号。
0904 第1巻第6号。
1001 第1巻第7号。
1101 第1巻第8号。
1956
0101 第2巻第1号。
0301 第2巻第3号。
0420 創刊1周年記念特集号 第2巻第4号。
0510 第2巻第5号。
0601 第2巻第6号。
0701 第2巻第7号。
0801 広島特集号 第2巻第8号。
0901 第2巻第9号。
1001 第2巻第10号。
1101 第2巻第11号。
1201 第2巻第12号。
1957
0101 第3巻第1号。
0201 第3巻第2号。
0301 第3巻第3号。
0401 第3巻第4号。
0701 第3巻第7号。
0801 広島特集 第3巻第8号。
1101 第3巻第11号。
1201 神田三亀男 広島県戦後短歌10年史 第3巻第12号。
1958
0101 神田三亀男 広島県戦後短歌10年史(続) 第4巻第1号。
0401 第4巻第4号。
1001 第4巻第10号。
1101 第4巻第11号。
1201 第4巻第12号。
1959
0301 第5巻第3号。
0601 第5巻第6号。
0701 第5巻第7号。
0901 第5巻第9号。
1001 第5巻第10号。
1201 第5巻第12号。
1960
1101 安保改定と文学者―児童文学者集会における中野重治氏の講演要旨 第6巻第1号。
0201 第6巻第2号。
0501 第6巻第2号。
0701 深川宗俊 歌人山隅衛翁を悼む 第6巻第7号。4月25日昇天。
1961
0201 第7巻第2号。
0301 正田篠枝 人間の善悪 第7巻第3号。
0701 第7巻第7号。
0901 第7巻第9号。
1001 第7巻第10号。
1201 第7巻第12号。
1962
0101 第8巻第1号。
0201 第8巻第2号。
 0401  第8巻第4号。
0501 第8巻第5月号。
0701 第8巻第7号。
0801 第8巻第8号。
1001 第8巻第10号。
1101 第8巻第11号。
1201 第8巻第12号。
1963
0201 第9巻第02号。
0301 第9巻第03号。
0401 第9巻第04号。
0501 第9巻第05号。
0701 第9巻第07号。
0801 第9巻第08号。
0901 第9巻第09号。
1001 第9巻第10号。
1101 第9巻第11号。
1201 第9巻第12号。
1964
0101 通巻105
0201 通巻106
0301 通巻107
0720 通巻109
1001 特集・現代の追及<可能性について> 通巻110
1965
0101 アンソロジー<眼> 通巻111
0501 特集・アンソロジー<眼>その周辺 通巻112
1020 特集・ベトナム作品 通巻113
1966
0501 定型詩劇武一一揆批評特集(2) 通巻115
0520 定型詩劇武一一揆批評特集(2) 通巻116
1966.夏 広島シンポジューム特集 通巻117
深川宗俊 広島宣言―原水爆禁止運動の歩みと短歌
1020 通巻118
1967
0101 通巻119
0701 通巻121
0201 通巻123
0520 通巻124
1969
0301 通巻126
0806 ヒロシマはあなたにとって何なのか 通巻27
1970
0120 通巻128
0701 創刊15周年記念号 通巻129
1105 通巻130
1971
0101 通巻131
0410 特集・70年代の短歌はいかにあらねばならないか 通巻132
0801 特集/私とヒロシマ 通巻133
1228 通巻134
1972
0508 通巻135
0901 通巻136
1212 通巻137
1973
0425 通巻138
0806 通巻139
1101 通巻140
1974
0210 通巻141
1225 通巻145
1975
0601 通巻147
1976
0815 通巻151
1115 通巻152
1977
0215 通巻153
1978
0508 通巻158
0810 通巻159