『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20150806
目次
| 栗原淑江 | 今、「自分史」を書くということ~被爆70年をふりかえって~ | |
| 1.はじめに―「被爆者の自分史」の20年 | ||
| 「自分史つうしん ヒバクシャ」を20年間240か月、240号(2013年1月)まで発行。のべ940編、実数は、被爆者95人、二世・三世10人、支援者66人。 | ||
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20150806
目次
| 栗原淑江 | 今、「自分史」を書くということ~被爆70年をふりかえって~ | |
| 1.はじめに―「被爆者の自分史」の20年 | ||
| 「自分史つうしん ヒバクシャ」を20年間240か月、240号(2013年1月)まで発行。のべ940編、実数は、被爆者95人、二世・三世10人、支援者66人。 | ||
『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20160806
目次
| 三村正弘 | 巻頭言 | |
| 田村和之 | 最高裁で勝訴-在韓被爆者医療費裁判~最高裁判決の意味、残された課題~ | |
| 高東征二 | 「黒い雨」地域拡大の運動に参加して | |
| 望月照己 | 世界遺産・原爆ドームの近くにかき船は、いらない! | |
| 渡邊美和 | 原発事故から五年四ヵ月~福島原発ひろしま訴訟~ | |
| 山地恭子 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会活動終了の節目に | |
| 村田 朱 | 12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題講演会の報告 | |
| 村上須賀子 | 「被爆体験の継承~ヒロシマMSWの生活史から~」 | |
『ヒバクシャ-ともに生きる第34号』原爆被害者相談員の会、20170806
目次
| 三村正弘 | 巻頭言 | |
| 山下正寿 | ビキニ事件を検証する | |
| 古寺愛子 | 原爆症認定申請を支援して | |
| 中野陽子 | 長崎原爆学級について | |
| 宇田茂樹 | 長崎原爆・被爆稲を育てて感じていること | |
| 渡辺淳子 | “究極の偶然”リオオリンピック1分間の黙祷を目指して | |
| 古寺愛子 | 第35回 8・6原爆被害者証言のつどい報告 | |
| 村田 朱 | 12・11被爆者問題講演会の報告 | |
| 直野章子 | 講演録「被爆者を引き受ける―七一年目の広島で」 | |
| 三村正弘 | 福島第一原発被災地の視察と交流・研修(概要) | |
| 中村有紀子 | 貧困研究会 第九回研究大会 シンポジウム報告 | |
| 山地恭子 | 福島に生きるソーシャルワーカー~被災者として~ | |
| 望月みはる | 福島、原発避難区域の現地調査 | |
| 三村正弘 | 浜通り医療生協組織部訪問 | |
| 古寺愛子 | 『生きる』5集出版記念パーティー | |
『ヒバクシャ-ともに生きる第5号』原爆被害者相談員の会、19861211
目次
| 鈴木 勉 | はじめに | |
| 第二回・平和的生存のためのボランティア講座 | ||
| 被団協調査 | ||
| 原爆被害者相談員の会事務局 | 日本被団協調査のとりくみをふりかえって | |
| 証言活動 | ||
| 久保浦寛人 | 証言のつどい五年の歩みから | |
| 一九八六年度証言活動一覧 | ||
| 活動報告 | ||
| 広瀬 勝 | 原爆遺跡めぐりに参加して | |
| 加藤礼子 | 中国を訪問して | |
『ヒバクシャ-ともに生きる第4号』原爆被害者相談員の会、19851211
目次
| 鈴木 勉 | はじめに | |
| 河合幸尾 | 四年間の相談活動をふり返って ―私的な感想 | |
| 座談会 被爆者相談活動の現状と課題をさぐる―待つ相談から出かける相談をめざして 出席者:三村正弘、一泰治、若林節美、江崎須賀子、山田寿美子、小嶋章吾、中村義明、(司会進行)塚本弥生 | ||
| 久保浦寛人 | 原爆被害者のつどい一年のあゆみ | |
| 一九八五年度証言活動一覧 | ||
| 第一回世界平和連帯都市市長会議 被爆者との懇談会参加者の報告から (久保浦寛人、加藤礼子、加藤英雄 、 桑原千代子 、 川相廣子、土井久男、米田美津子、宮田幸子、片桐チヨ子) | ||
| 舟橋喜恵 | 被爆者から学ぶもの《被爆者へのメッセージ》より | |
| 江崎須賀子 | 原爆小頭症患者・木田さん(仮名)宅への訪問相談活動報告 | |
| 研究会活動 | ||
| 松崎 徹 | 被爆体験の継承とは何か 受け継ぐものの立場から | |
| 小嶋章吾 | 二つの原爆被害者調査について | |
『ヒバクシャ-ともに生きる第3号』原爆被害者相談員の会、19841211
目次
| 大牟田 稔 | 原爆小頭症患者たちとの20年 | |
| 島方時夫/江崎須賀子 | 被爆全滅一家の供養を続けるには | |
| 片山文枝 | ガレスコ氏との出合い | |
| 木村千代子 | ドームの窓の少女 | |
| 原爆資料館及び平和施設等の実態調査の結果について | ||
| 塚本弥生 | 原爆被害者アンケート調査から 39年目の生活状況 | |
| 宇吹 暁 | 予算からみた原爆被害者対策の変遷 | |
| 栗栖武士朗 | 被爆者援護法を制定せよ! 連続学習会第1回(84.10.21)被爆者援護法の歩みと展望 | |
| 江崎須賀子 | 平和的生存のためのボランティア講座―相談員養成講座の内容とその成果 | |
| 第一回/平和的生存のためには私達は・相原和光 60 第一回/ボランティア実践の中の学びについて・一 泰治 61 第二回/被爆者から学ぶもの・槙 繁 62 第三回/人はかかわりの中で生きている・塩山二郎 63 第四回/人とのかかわり・ケースワーク入門・宗像房子 64 第五回/平和的生存と社会保障・鈴木 勉 65 第六回/被爆者生活史はあくの意味・若林節美 66 第七回/被爆者援護の実情・江崎須賀子 67 第八回/被爆者証言・講座終了のつどい 参加者の感想より |
||
| 池田みはる | 「被爆の実相を語る会」について<***今年は、原水禁世界大会の一環として当初から取り組みを行ってきたこともあり、予想を大幅に上回る参加者***> | |
| 我妻正規 | 原爆二法研究会報告<1983年6月、弁護士、ケースワーカー、修習生などで発足> | |
| 片桐直樹 | 映画「生きるための証言」を世界の人々へ | |
| 山田寿美子 | 肥田舜太郎氏を迎えて<1984年6月23日講演> | |
『ヒバクシャ-ともに生きる第2号』原爆被害者相談員の会、19831211
目次
| 石田 明 | 三十八年目の自戒 | |
| 古山寿朗 | 被爆者行政の問題点 広島市における「手帳」交付事務の一側面 | |
| 槙 繁 | 私にとって被爆者とは― 相談所・取材雑感 | |
| *はじめに、*草の根運動と被爆者運動、*加害と被害をめぐって<アジア文学者会議、浄土真宗西本願寺派の平和シンポジウム>、*語ってほしい””被爆に至る個人史、*被爆者相談の社会的責任、*たとえば被爆者条例を | ||
| 相談活動から | ||
| 小嶋章吾 | 原爆手帳の意味におもう | |
| 原爆被害者証言のつどい | ||
| 久保浦寛人 | 「原爆被害者証言のつどい」誕生の経緯とグループ活動一年のあゆみについて | |
| 山岡ミチコ | 私の人生を変える広島 | |
| 沼田鈴子 | ヒバクシャとして悔いのない一生のために | |
| 山本幸雄 | 三十八年目に書いた妻の証言手記から | |
| 相良カヨ | ”まったなし”の状況に適切な対応を | |
| 山本昌子 | 県東部地区被爆者相談に参加して | |
| 石田一紀 | 証言活動のエッセンス | |
| 奥谷義行 | 相談員の会の活動に思う(平和を語る青年の集い) | |
原爆被害者相談員の会 機関誌
『ヒバクシャ―ともに生きる』発行。1982年12月11日創刊
| 第号 | 発行年月日 | 著者 | ||
| 1 | 1982/12/11 | 河合幸尾( 代表) | 発刊にあたって | |
| 2 | 1983/12/11 | 河合幸尾 | ||
| 3 | 1983/12/11 | 河合幸尾 | ||
| 4 | 1983/12/11 | 鈴木勉 | ||
| 5 | 1983/12/11 | 鈴木勉 | ||
| 6 | 1983/12/11 | 鈴木勉 | ||
| 7 | 1983/12/11 | 鈴木勉 | ||
| 8 | 1983/12/11 | 鈴木勉 | ||
| 9 | 1991/03/31 | 発足10周年記念特集号 | ||
| 10 | 1992/05/09 | 鈴木勉 | ||
| 11 | 1993/06/01 | 鈴木勉 | ||
| 12 | 1993/06/01 | 鈴木勉 | ||
| 13 | 1993/06/01 | 鈴木勉 | ||
| 14 | 1993/06/01 | |||
| 15 | 1997/04/29 | |||
| 16 | 1998/06/20 | |||
| 17 | ||||
| 18 | ||||
| 19 | 2001/06/02 | |||
| 20 | ||||
| 21 | ||||
| 22 | ||||
| 22 | 2005/08/06 | |||
| 23 | 2005/08/06 | |||
| 24 | 2007/08/06 | |||
| 25 | 2008/08/06 | |||
| 26 | ||||
| 27 | 2012/08/06 | 鈴木勉 | ||
| 28 | 2012/08/06 | 三村正弘 | ||
| 29 | 2012/08/06 | 三村正弘 | ||
| 30 | 2012/08/06 | 三村正弘 | ||
| 31 | 2012/08/06 | 三村正弘 | ||
| 32 | 2012/08/06 | 三村正弘 | ||
| 33 | 2016/08/06 | 三村正弘 | ||
| 34 | 2017/08/06 | 三村正弘 | ||
| 35 | ||||
| 36 | 2019/08/06 | 三村正弘 | ||
| 37 | 2020/08/06 | 三村正弘 | 第38回8・6原爆被害者証言のつどい(2019年) | |
| 38 | 20210806 | 三村正弘 | ||
| 39 | ||||
| 40 | ||||
| 41 | 20240806 | 三宅文江(代表) | ||
広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1971』1971年8月1日発行
目次
| 上村吉郎 | 今後の医療社会事業(広島県医療社会事業協会長) |
| 山本鎮雄 | 医療行為の二律背反と医療社会事業の必要性(広島女子大学講師) |
| 特集=原爆被爆者対策に考える= | |
| 志水 清: | 原爆被爆者対策に対する提言(原爆傷害調査委員会医科社会部長) |
| 宮本秀夫: | 被爆者対策の基底(広島県社会福祉協議会コミュニティオーガニゼーションワーカー) |
| 西谷義則: | 被爆保護世帯の実態と今後の課題(広島市社会福祉事務所ケースワーカー) |
| 事例研究 | |
| 若林節美: | 入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭(広島原爆病院ケースワーカー) |
| 児島美都子: | 講評/遅すぎたケース紹介(日本福祉大学助教授) |
広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1972』1972年10月10日発行
目次
| 上村吉郎 | 巻頭言:社会福祉の向上を<広島県医療社会事業協会長> | |
| 江崎須賀子 | 人工血液腎臓透析医療のかかえる問題 | |
| 特集=社会福祉士法制定試案を考える | ||
| 三村正弘 | 「社会福祉士法」案に対する提言 | |
| 特集=老人と医療 パネルディスカッション(=1971年12月16日開催の広島県MSW協会第2回研修会のまとめ) | ||
| <出席者>上村吉郎、*江紀雄、若林節美(広島原爆病院、MSW)、田中勉<助言者>和田直(広島大学名誉教授、ABCC顧問)<司会>早川美子(原爆対策協議会、PSW) | ||
| 事例研究 | ||
| 西村清登 | 事例4:ある婦人の腎臓摘出手術をめぐって | |
| 早川美子 | 事例7:ある被爆家庭の人間関係(PSW、現広島県立精神衛生センター専門員) | |
| 特集=原爆被爆者対策に考える= | ||
| 志水 清:原爆被爆者対策に対する提言 | ||
| 宮本秀夫:被爆者対策の基底 | ||
| 西谷義則:被爆保護世帯の実態と今後の課題 | ||
| 事例研究 | ||
| 若林節美:入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭 | ||
| 児島美都子:講評/遅すぎたケース紹介 | ||
『三十五年目の被爆者』(広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会編、労働教育センター、19790720刊)
目次
| はじめに | ||
| 富岡啓子 | 広島原爆障害対策協議会 | 二人の娘に残したもの-中川和子さんの場合 |
| 若林節美 | 広島原爆病院 | 絵に託すねがい-宮本広三さんの場合 |
| 池田みはる | 草津病院 | 病室の中で-品川和三一さんの場合 |
| 江崎須賀子 | 広島市民病院 | 肝障害を押して-工藤志げのさんの場合 |
| 西村清登 | 放射線影響研究所 | 光をうばわれた半生-杉沢浅代さんの場合 |
| 白石順子 | 元放射線影響研究所 | |
| 三村正弘 | 福島生協病院 | 生きていてよかったといえる日まで-富永初子さんの場合 |
| 塚本弥生 | 広島市民病院 | 平和を願い、訴えつづけて-藤枝良枝さんの場合 |
| 桶舎洋子 | 元安佐協同病院 | 長袖で過ごした青春-西田豊子さんの場合 |
| 加藤礼子 | 広島赤十字病院 | 生きる重み-長沢豊太郎さんの場合 |
| 山田寿美子 | 福島生協病院 | 二重の障害を背負って-西本良子さんの場合 |
| 座談会-いま被爆者は | 石田明(全国被爆教師の会)、湯崎稔(広島大学)、富岡啓子、三村正弘、若林節美 | |
広島市政白書
| 広島市政白書 | 編・発行 | 発行年月日 | |
| (第1次) | 197412 | ||
| (第2次)住民参画の広島市政を実現するために | 広島市職員労働組合・広島自治体問題研究会(編集)広島市職員労働組合(発行) | 19781010 | |
| 14.平和教育、17.被爆者問題 | |||
| (第3次)広島・ヒロシマ | 19831021 | ||
| (第4次) | 19861225 | ||
| (第5次)10年のあゆみ・これからの広島 | 19901227 | ||
| (第6次)くらしといのち 輝く広島に | 19950324 | ||
| (第7次)ひろしまの明日のために | 19990110 | ||
| 出典:『広島自治体問題研究所20年の歩み―21世紀の地方自治をひらく』 | |||
創立20周年記念 「ヒバクシャと現代」 地域と科学者第8号
創立20周年記念 ヒバクシャと現代[1981年2月1日開催のシンポジウムをもとにまとめる]
目次
| 大森正信 | 巻頭言 | |
| 1.被爆者の実態―生活と援護の諸問題 | ||
| 江崎須賀子 | 被爆者の実態と生活史 | |
| 舟橋喜恵 | 被爆者の生活史調査の意義―石田忠氏の場合― | |
| 宇吹暁 | 原爆被災資料をめぐって | |
| 田村和之 | 「被爆者援護法」の検討 | |
| 2.被爆者と医学―その歴史と今後の課題 | ||
| 斎藤紀 | 被爆者と医師 | |
| 鎌田七男 | 現場kの人体影響とその研究の歩み | |
| 3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究 | ||
| 星正治 | 広島・長崎の原爆放射線量の見直し―第4回(最終)日米ワークショップより | |
| 永井秀明 | 現代核科学と科学者 | |
| 山田浩 | 広島大学平和科学研究センターの歴史と今後の加害―平和研究の制度化推進のために | |
| 佐中忠司 | ||
| 創立20周年 地域にねざす科学者の運動―日本科学者会議広島県支部の創立10周年から20周年への歩み | ||
| 3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究 | ||
日本科学者会議広島県支部(JSAH)<1966年6月25日創立>
機関誌『地域と科学者』
| 号(発行年月) | 備考 |
| 創刊号197501 | 大学問題特集号 |
| 創刊のことば(事務局長 小川修三)=「全国組織が発足した1966年1月、50名前後の会員でもって呱呱の声をあげました」「現在広島支部も:::160名を数えるに至っています」 | |
| 第2号197509 | 公害問題特集 |
| 第3号197606 | 支部創立10周年特集 |
| 公害病の原点・原爆症をめぐって(広島大医・ 杉原芳夫)1.原爆症にはどのようなものがあるか、2.不毛の論争、3.原爆症の認定、4.被爆二世問題、「原爆症は最も深刻な公害病である」 | |
| 〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係 | |
| 石田明「ヒロシマの研究者への要請」 | |
| 〔記念講演〕E.H.バーロップ「核兵器、軍縮及びエネルギー危機」 | |
| 19761126 JSA県支部主催〔世界科学者連盟会長・ロンドン大学教授〕バーロップ講演会。広島大学理学部会議室。 | |
| 第4号197707 | 被爆・核・広島特集 |
| 「地域と科学者」のために(飯島宗一 前広島大学学長)。「ひとつの問題は、科学者の業績主義」。「ある東京の科学者で、放射線医学のある地位を占める人と、広島・長崎の原子爆弾障害の研究のすすめ方について雑談していたところ、彼は「正直にいえば、広島・長崎の被爆影響の医学的研究はもはやあまり意味がないのではないか。少なくとも今後学問的なノイエス(noues)が見つかる可能性はほとんどない」」。 | |
| [座談会]被爆・核・広島―各時代における広島の課題(北西允、相良勝美、佐久間澄、永井秀明、司会=横山英)論文ほか(佐久間澄、阿佐美信義、永井秀明、山田浩、深川宗俊、空辰男、萱原威、若林節美、丸山益輝、庄野直美、宇吹暁) | |
| 若林節美「原爆が人間にもたらしたものは―被爆者とともに模索しながら―」(広島原爆病院)〇原爆孤児として―生きることに迷いながら―、〇ケロイドに悩んだ青春―親子の離別を余儀なくされて―、〇原爆により子供を奪われて―子供の遺骨のために生きて32年―、まとめ「被爆後32年を経過した今日、原爆による被害は、被爆時の年代によって、それぞれに異なった側面をもち、新たな問題として考えねばならない時期にきているように思える。被爆者への政策的対応は救貧原理貫かれ、しかも、疾病の治療を要するものと限定する側面が強い。原爆被害の全体像を、生活史的視点でとらえ直し、被爆者のいのち、くらし、こころと、きめ細かい対策が望まれていると思う」 | |
| 庄野直美(広島女学院大学、NGOシンポジウム日本準備会事務局代表)「NGO被爆問題国際シンポジウム」〇シンポジウム開催に至る経緯、〇シンポジウムの内容と日程、〇シンポジウムの意義 | |
| 第5号197811 | 大学改革特集 |
| 若林誠一「核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会に出席して」 | |
| 第6号198107 | 「地方の時代」・環境特集 |
| 第7号198307 | 「教育・教科書問題と今日の時代」特集 |
| 第8号198606 | 創立20周年記念 ヒバクシャと現代[1981年2月1日開催のシンポジウムをもとにまとめる] |
| 大森正信、江崎須賀子、舟橋喜恵、宇吹暁、田村和之、斎藤紀、鎌田七男、星正治、永井秀明、山田浩、佐中忠司 |
『地域と科学者第3号』(日本科学者会議広島県支部機関誌)
支部創立10周年特集
| 出席者 |
|
|
| 石田明 | 「ヒロシマの研究者への要請」 |
| 〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係 | ||
| 出席者 | ||
| 佐久間澄 | 広大名誉教授 | |
| 横山英 | 広大文学部 | |
| 北西允 | 広大経済学部 | |
| 中村義知 | 広大政経学部 | |
| 今中比呂志 | 広大総合科学部 | |
| 大森正信 | 事務局、司会 | |
| 1 | 「大学人の会」の生い立ち | |
| 2 | 活躍された人々 | |
| 3 | 活動の内容 | |
| 4 | 困難の台頭 | |
| 5 | ’69年安保のころ | |
| 6 | 日本科学者会議とのつながり | |
| 7 | 広教組との関係 | |
| 8 | 「大学人の会」のそのほかの活動 | |
| 9 | 「大学人の会」の今後 | |
平和のために市民の対話をすすめる会 設立:1968年11月17日。
平和のために市民の対話をすすめる会・会誌(「対話の会」事務局発行)
| 号 | 発行年 | 目次 |
| 1 | 19690101 | 「対話の会」 その発足と経過 |
| 「第一回市民対話のつどい」記録 青年とヒロシマ 経過 | ||
| 平和グループ名簿(在広島) | ||
| 2 | 19680415 | 市長を囲む市民対話のつどい記録 |
| 大本営復元のいきさつ | ||
| 韓国在住被爆者の実態 | ||
| 広島にうたう(深川宗俊) | ||
| 「ヒロシマ研究の会」紹介 | ||
| 「平和を願う友の会」紹介 | ||
| 平和グループ名簿 | ||
| 通信・投稿欄 | ||
| 3 | 19690715 | ガイガー博士の講演 |
| ベトナムと今後の日本 | ||
| これからの市民運動 | ||
| バーバラ・レイノルズ女史が広島で行なった活動の評価と広島市民の立場 | ||
| 通信・投稿 | ||
| 編集後記 |
市長を囲む市民対話のつどい 1968年3月1日
| 日時 | 昭和43年3月1日、午後6時15分~9時 | |
| 場所 | 平和記念館1階講堂 | |
| 主題 | 広島市民の生活と平和 | |
| 参加人員 | 約150名 | |
| 集会次第 | ||
| 司会 | 橋本栄一、今堀誠二 | |
| 開会挨拶 | 庄野直美 | |
| 話題提起 | 山田節男広島市長、田淵実夫広島市平和文化センター局長 | |
| 自由討論 | ||
| 閉会挨拶 | 原田東岷 |
出典:平和のために市民の対話をすすめる会『ヒロシマ 平和のために市民の対話をすすめる会・会誌2号』(1968年4月15日)
被爆者・遺族と国民のつどい・広島
主催 日本原水爆被害者団体協議会
1990.8.5 14:00~16:30
広島・見真講堂
<袋>式辞資料など未入力
被爆者問題シンポジウム―被爆者調査をめぐって
開催日:1988年11月28日
場所:日本都市センター会議室
主催:日本原水爆被害者団体協議会
『報告書 被爆者問題シンポジウム―被爆者調査をめぐって』(日本原水爆被害者団体協議会発行)
日本科学者会議広島県支部(JSAH) 1966年6月25日創立
関連資料
| 資料名 | 発行年月日 | 備考 | |
| 日本科学者会議広島県支部ニュース | 19820621~ | No.37~ | |
| 地域と科学者(機関誌) | 197501~ | No.1~ | |
止