「03 ヒロシマNGO」カテゴリーアーカイブ

あさ(山下会機関誌)

あさ(山下会機関誌) 山下会 1964年6月結成

発行年月日 備考 所蔵
所蔵:G=広島原爆資料館、U=宇吹
01 1964/10/20
02 1965/07/01 特集:わたくしの戦争体験
03 1966/06/01 特集:ひろしまの母の戦後体験 GU
04 1967/10/06 特集:わたくしの戦後
05 1969/02/20 特集:戦争・その後のヒロシマ GU
06 1970/06/30 70年のひろしま
07 1971/07/30 71年ひろしま
特集 1971/12/10 原爆体験は子どもらの胸に
08 1972/07/20 被爆二世と手をとりあって
09 11973/07/20 原爆資料の返還と28年目の『ヒロシマ』 GU
10  1974/07/25 平和教育への願い GU
11 1975/07/25 被爆三十年を生きて GU
12 1976/07/20 いまこそヒロシマの声を
13 1977/07/25 被爆者のねがいと原水爆禁止運動の統一
14 1978/07/25 「世界へヒロシマを」-国連軍縮特別総会と三千五百万署名- GU
15 1980/07/31 被爆三十五年 ヒロシマの私たち
16 1981/07/30 ヒロシマとともに生きて GU
17 1982/07/30 82年ひろしま GU
18 1984/07/25 終刊号 草の根から平和を GU

 

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山下会

山下会 1964年6月結成

関連事項

1958 「勤評闘争」の頃、広島市庚午中学校PTAでは月1回くらい、教師と父母の地区懇談会をひらく。
1960 20数名の母親が、昼の部、夜の部と別れて学習会。昼の部がのちの山下会となる。
1964 6月学習会メンバー・被爆者の山下朝代、肝臓障害のため死亡。その生涯をしのび、この時から学習会を山下会となづける。
1964 10月20日追悼文集を『あさ』として発行。部数80部ガリ刷の小冊子。
1971 7月3 0日『あさ』 第7号発行。活版刷に。
1973  被爆教師の会から平和教育推進賞。
1977  アリス・ハーズ夫人記念平和基金、受領。
出典:『ヒロシマの朝そして今 被爆者として母として人間として  』   (山下会著 稲沢潤子編     あゆみ出版     19821220    )

 

 

 

ヒロシマの女たち

ヒロシマの女たち(広島女性史研究会著編、ドメス出版、19870120)

名前 見出しなど
001
007 上栗和子 いち早く孤児救援活動
015 栗原貞子 極限状況のなかでの詩を
023 平和婦人大会 世界へ平和宣言
031 日詰忍 国の内外に語り部の旅
039 広島折鶴の会 「原爆の子の像」建立に力
047 山本シカ 平和へ地道な活動
055 中野千歳 原爆孤児の母親役
063 被爆女教師 体験の継承へ連帯
071 山下朝代 母親の自主的平和学習
079 原水爆禁止広島母の会 世界平和へ女の心結集
087 名越操 被爆2世の子を失い原爆証人に
095 畠中敬恵 胎内被爆小頭症の子とともに
103 松原美代子 世界を巡る語り部
111 小西ノブ子 反戦ひとすじ
119 伊藤サカヱ 戦争をしない政治を
127 笹森恵子 アメリカに永住、反核を訴える
135 山岡美智子 再生した原爆乙女
143 金連順 戦争と差別を告発
149 鄭寿祚 祖国の統一をねがい誇りを持ち生きる
153 節子・サーロー カナダで反核活動
161 バーバラ・レイノルズ アメリカでも反核運動を
169 デルタ・女の会 イギリス反核団体とも交流
177 北西英子 あとがき

 

 

山陽路の女たち(続)

『山陽路の女たち(続)』(広島女性史研究会 、ドメス出版19890730 )

内容

人物  見出し 執筆者など
001 <安藤欣賢(中国新聞編集委員)>  はじめに
007 高山盈(みつ) 女性管理職の草分け
016 柴原浦子  「産児調節」運動の先達
025 花戸イトノほか  初めての女船長・女車掌
030 <大正の職業婦人>  目覚ましい職場進出
034 柚木チカほか  福山の紡績ストライキ
041 横山美智子  新聞懸賞小説に当選
049 金子みすゞ  大正期の輝く童謡詩人
056 林芙美子  小学校時代から文才の芽
064 中谷ミユキ  女流画家協会の創設に力
071 林イシ  女流写真家の草分け
078 真野房子  日本洋髪美容の先駆者
085 砂原美智子  オペラ、仏留学で飛躍
092 広瀬ハマコ  女子教育に情熱を傾注 黒瀬禎子
100 武田ミキ  「教育は平等」信念を貫く 久保田美智子
107 溝上泰子  あらゆる差別と戦う
114 荘司雅子  フレーベル研究ひとすじ 黒瀬禎子
121 永瀬清子  13冊の詩集を世に送る
128 山代巴  苦難の体験を小説に 宮上京子
135 洲和みち子  バレエ界の先達
143 二葉あき子  「ヒロシマの女」の実感 宮上京子
150 小井手伊勢子(いせこ)  洋裁教育一筋56年 久保田美智子
157 大谷[冷左+列]子(きよこ)  戦後オペラのプリマ 北西英子
164 杉村春子  文学座の主役半世紀 北西英子
171 宇野千代  「自然体」衰えしらず
178 讃井光子(さぬい)  「広島アジア文化会館」の館長
185 佐伯スミエ  日系人の「戦争」を描く 北西英子
193 冨士本久代  花嫁で未知のアメリカへ 久保田美智子
201   山陽路の女たち(広島を中心にした)年表
272  あとがき 北西英子

 

広島県母親連絡会

広島県母親連絡会 1960年1月10日結成

資料

文献
発行年 書名・著者・発行所など 備考
19750720 ひろしまの母親たち 所蔵:U
広島県母親連絡会、編集責任者:林郁子
19830717 ひろしまの母親たち No.2  所蔵:G
1.はじめに
2.1982年12・8平和を守るひろしま母親集会
スライドとお話「戦争とは」 広島市婦人教育会館にて
3.学習したこと
・3月27日 平和都市宣言をすすめるための学習及び学習資料(橋本八郎 平和委員会)
・6月5日 基地めぐり感想
・核・米軍基地・自衛隊・軍需産業等地図
4.「非核日本宣言」を政府にもとめる

 

ノー句碑・句集

 

『ノー句碑 句集 霜月おんな』(デルタ女の会、19890319)

内容

表紙・裏 「句碑反対」の句会計画
俳句 風見鶏 鳩をまねても 右を向き (布美子作)
短歌 地中より あまたの拳突きあげよ 見せかけの句碑 倒さんがため (布美子作)
あとがき 1989年2月24日 大喪の礼の日に 浜村匡子(デルタ・世話人)
新聞報道
首相の句碑も”任期切れ” 広島市 反対相次ぐ建立計画 朝日新聞19881108
強行に波紋広がる 前首相句碑据え付け 中国新聞19871113
「息長く前首相句碑反対運動」 16団体、抗議座り込み 読売新聞19871115
栗原さんが抗議の詩 市民グループ、市役所で朗読 読売新聞1987119
<句碑建立に抗議して市役所前で座り込み> 毎日新聞19871122

 

 

冬のリトルボーイ

『劇映画 冬のリトルボーイー対話のための資料集ー』(深川宗俊編、平和プロダクション刊、19820401)

メモ:平和プロダクション<映画センター(呉市)内>

内容

項目 備考
表紙 子どもたちと人類に核兵器のない平和な未来を保障するために
01 解説
02 巻頭メッセージ 石田明(広島県教組委員長・被爆教師の会長)
02 製作意図
03 映画の発問集
03 発問集のための参考資料について
04 映画の題名について
04 映画と関連した被爆者手帳について
05 原爆被爆者
06 被爆者健康手帳
06 物語のなかのヒロシマの母と子どもたち
07 被爆二世について
07 医者の立場から 丸屋博(広島共立病院長)
09 外国人被爆者
10 試写会で寄せられた感想文 <抄>坪井直、芝田進午、松井久治、空辰男、大田英雄、
14 たった一人の修学旅行 高橋昭博(広島平和記念資料館長)
15 被爆者からみた今日 空辰男(広島県原爆被爆教職員の会副会長)
16 高校生と平和問題 森下弘(広島県立廿日市高等学校、高校被爆教師の会)
18 今日の被爆者問題 若林節美(原爆被害者相談員の会医療ソーシャルワーカー)
19 ひろしまの若者に期待すること ひろしまの若者に期待すること(広島商業高校)
21 原爆瓦の発掘からモニュメント建設へ 沢野重男(安田女子高校)
23 平和学習より 元安川での瓦掘り 広島市立翠町中学校 班発表
23 小学生にとっての「原爆瓦」 吉川徹忍(広島城北小学校)
25 原爆・その非人道性
30 いそがれる被爆二世検診 広島共立病院 討議参加者:丸屋博・桶舎洋子・名越由樹・菅三恵、まとめ:深川宗俊
33 被爆者の手記
木の葉のように焼かれて 名越操
父の白骨を砕いて 母の傷口に 皆本さん(ききがき:南京子)
”生きつづける”原点 中谷玉江
35 子どもたちへのメッセージ 相原和光(広島YMCA)
36 柿手春三、堀ひろじ、横山英、<ヨハネ・パウロ二世、オフロ・パルメ>
<楽譜>ぼくらは冬のリトルボーイ
<楽譜>白い翼の鳥にのって
37 原爆体験の全体像―原爆は庶民=人間にとって何であったか
38 若い先生から寄せられた発問集
39 作品 生ましめんかな 栗原貞子(詩人)
39 ヒロシマは冬にこそ―”小さな骨”の実践例 深川宗俊(詩人・広島平和教育研究所員)
41 編集後記

 

 

つぐない 原爆補償

『つぐない 原爆補償』創刊号(原爆被災者補償法の制定を期する市民の会、19731206)

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項目 著者
01 発刊を祝して 志水清(理事長)
02 裁判所の法技術論と原爆補償 畑博行(広島大学政経学部教授)
04 原爆補償の思想 今堀誠二(広島大学教養部部長)
06 無縁仏の遺族さがしを通して 佐伯敏子(主婦)
08 署名運動に参加して 矢野庫雄()
09 奉仕国家建設をめざそう 相原和光(広島YMCA総主事)
10 憲法九条から地球市民へ 小谷鶴次(広島大学元政経学部長)
12 どこまで国の責任か 村上忠敬(女学院大学学長)
13 原爆被災者補償法を考える 久保正直(事務局長)
15 被爆者援護のあゆみ 志水清(理事長)
18 事務局報告
20 編集後記 末永

 

 

原爆被災者補償法の制定を期する市民の会

原爆被災者補償法の制定を期する市民の会 1972年6月2日発足

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被爆者に国家補償を

法の制定を要求。市民組織が発足
原爆被爆者に対する国家補償法の制定を要求して運動を進めようという市民組織が二十日、広島市で発足した。さっそく市内で署名運動を始め、政府に要求してゆく。
この運動を進めているのは同市皆実町四丁目、無職久保正直さん(64)。久保さんは四十五年ごろから補・補償制定要求署名運動を続け、昨年八月六日佐藤首相が広島を訪れたさい、七千百人分の署名を山田広島市長を通じて提出した。
その後、この運動を推進する人々が広がったため、正式に会を結成した。
広島市基町の広島YMCAで開いた結成会には、久保さんのほか、志水清ABCC医科社会学部長、村上忠敬核禁広島県民会議議長ら九人が出席し、今後の運動の進め方を話し合った。
この結果①六一九月の間に署名運動に全力をおける②現在百一人の会員を二百三十人にふやし、署名運動の中心になってもらう③国家補償要求を理論的に裏づける科学的資料の収集、補償法の骨子を決める研究会の開催に努めるなどの運動方針を決めた。
組織の名称は「原爆被災者補償法の制定を期する市民の会」とし、理事長に志水清氏、事務局長に久保正直氏をそれぞれ選んだ。
久保さんは「生存者、死没者を問わず、原爆被災者に国家補償するのは、政府の当然の責務。それが原爆投下は国際法違反であることを確認し、世界平和実現の第一歩につながると確信すると話している。 『中国新聞』(1972年6月21日)

 

 

広島弁護士会史

『広島弁護士会史』(広島弁護士会、19860701)

目次

発刊にあたって
発刊に寄せて
序章 戦後の弁護士会
序章 戦後の弁護士会
1  原爆と終戦直後の弁護士
2  新憲法施行と弁護士
3  新弁護士法と弁護士会
第1章 広島弁護士会の運営機構
第2章  県民の要請に応える活
第3章  会員の要請に応える活動
第4章 事件活動
1 八海事件
2 加藤新一翁再審事件
3 広島大学癌人体実験について
広島大学原爆放射能医学研究所外科I助教授グループの研究
4  シージャック事件
5 仁保事件
6 原爆訴訟
はじめに
原子爆弾による被害とその責任
東京原爆訴訟
桑原原爆訴訟
石田原爆訴訟
孫振斗原爆訴訟
我々の課題
7 広島スモン訴訟
第5章 中国地方弁護士会連合会との関係
1 中国地方弁護士連合会の概要 329
2 中弁連大会 331
3 日弁連副会長候補者選出 347
4 相互扶助制度
第6章 日本弁護士連合会との関係
1 定期総会 355
2 人権擁護大会 364
3 夏期特別研修 367
4 司法シンポジウム 371
5 瀬戸内海汚染シンポジウム
第7章 裁判所、検察庁との関係
第8章  司法をめぐる諸問題
第9章  弁護士会館の建設
資料編
1  先進(物故)会員を偲ぶ-座談会-
(広島弁護士会会報8号~40号掲載されたものの)
2 広島弁護士会会則
3  歴代会長、副会長
4 広島弁護士会略年表(戦後)
20年 原爆により会員23名逝去
<以下略>
5  新弁護士会館見取図
6 会員名簿(昭和61年4月30日現在 217名)
編集後記 秋山光明
執筆者